TS上位存在   作:甘朔八夏

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4話 破口のカフカ

 

 

「……寒っ」

 

短い貫頭衣だけを見にまとったほぼ全裸みたいな格好で、私は公園のベンチに座っている。

 

何か服を羽織りたいが、背中から生えたでっかい翼が邪魔で着ることができない。では、腹巻きみたいに毛布とかを巻き付ければいいのでは? そう思って試してみたところ、肌に触れている場所が異様にちくちくして不快感に耐えられなかった。

服のタグがちくちくと痒くて気持ち悪く、切ってしまったという経験はないだろうか。それが素肌全体で起こっているような感覚だ。

 

結果、私の衣装はエロ売りVtuberの体になった時から着ていたこの謎貫頭衣だけである。

 

翼が生えるまではギリ大丈夫だったのに、今ではすっかり、

 

(痴女だなぁ)

 

……

 

「は?」

 

手足よりも自在に動く翼を上下に揺らして、私は舌打ちをこらえる。極彩色に輝いていた両翼は、少し光沢のある白色に落ち着いていた。

 

ため息をつく。

 

シトラと淫魔族の女性……名前訊くの、忘れてた……ともかく、二人の話から考察するに、おそらく私は『天使』である。

 

……そう。他の上位存在から「やばい奴」として見られてて、人間を誘拐したり襲ったりする指名手配済み犯罪者種族。あと露出狂。

 

しかし私の心を埋めるのは驚きや落胆ではなく、納得だった。

 

「……人間さん」

 

口に出すと、腰から背中にかけて甘い感覚が広がる。

性欲である。紛れもなく、私は発情期のうさぎ張りに頭が真っピンクであった。

 

 

「天使全員がこんなんだったら、そりゃあ犯罪者だ」

 

 

……少年は、私が天使であることに気づいていたのだろうか。私に攻撃してきた理由は、私が天使だからということなのだろうか。

 

(……それならばむしろ、勝算はある)

 

私の体は変態天使であっても、心は善良な一般男性である。私が他の天使とは違うということを分かってもらえたら、少年とも友好的な関係を築けるかもしれない。

そうなった暁には、少年のちいさくてかわいいおててでわたしの———

 

「って違う!!!」

 

……とりあえず、少年のことは忘れよう。

 

 

指名手配種族のレッテルを得た以上、もうシトラには会えないだろう。ぼっちになってしまったことは悲しいが、私の目的は変わらなかった。

 

『記憶を取り戻すこと』。

 

そのためには、私の記憶をくすぐる場所へ行きたい。この翼を使って日本行脚(あんぎゃ)である。

無料貸し出し本コーナーから奇跡的に発掘した『地球の歩き方 日本(2023〜2024年)』を取り出そうとして……

 

「!」

 

服と呼んでいいか分からない服の中から、電話の鳴る音が聞こえた。

 

慌てて服の隙間に手を突っ込むと、またよく分からない原理でスマホの感触が手に届く。

 

「しまった」

 

それはシトラのiPhoneだった。そうだ、彼女からスマホを借りてネットニュースを見ている時に問題は起き、返すのを忘れて持ってきてしまったのだ。

 

画面には名前ではなく番号が表示されている。つまり、電話帳にない者からの電話だった。

 

逡巡の末、私はその電話に出ることに決める。シトラには悪いが、今の私は少しでも多くの情報を求めていたから。

 

 

「もしもし——」

 

『ねぇアユ!?アユだよね!?今どこにいるの?そっち大丈夫なの!?』

 

耳がキンキンするほどの大きな声に、思わず私はびくついた。…間違えようもない。その声は、

 

「シトラ?」

 

『そーだよシトラだよ!教会に根掘り葉掘り取り調べされてこっちは大変だったんだから。今どうなってるのアユは?』

 

「……分からない。富士山は見えるから、そう遠くまで行ったわけじゃないと思ってるけど……」

 

そこまで言って言い淀む。とっくに受け入れていたはずの事実を、私は客観視してしまう。他人にとって、自分がどのような存在なのかを考えてしまう。

 

「シトラ。私は、天使なのかな」

 

『そうだろうね!』

 

え、軽っ。

 

『今電話してわかった。天使だろうが、アユはアユだよ!とりあえず、教会に見つかる前に早く会お? 早くしないと危ない』

 

彼女の言葉に感動している暇はなかった。聞き捨てならない発言に聞き返す。

 

「危ないって?」

 

『教会の人たち、アユを倒そうとしてるの!アユは悪い天使じゃないって何度も説明したのに——』

 

突然、プツリとシトラの声が止んだ。画面を見やる。真っ黒の画面に触れても、電源ボタンを押しても、スマホは沈黙を保っている。

 

(……充電切れ?)

 

この状況で?

ああもう、と砂を蹴るが、事態は何にも変わらない。私はしぶしぶスマホを服の中に入れた。シトラにスマホを返すのは、しばらく後になりそうだった。

 

「疲れた」

 

私はぐっと伸びをして脱力した。ぼーっと灰色の空を見上げる。考えるべきこと、やるべきことは無数にあるが、そろそろ休みたい。シトラに連絡しようにも、今のご時世、公衆電話はまるで見つからない。そもそも私は彼女の電話番号を知らなかった。

 

(……さっきの番号、メモしとけばよかった)

 

休息が必要だ。趣味。私の頭はフィクションを求めている。

私はベンチに座ったまま、隣に置いていた文庫本を手に取った。先ほど貸し出し本コーナーから『地球の歩き方』と一緒にいただいたものである。

 

なんと道端に巣箱のような棚があり、ご自由にお読みください、と本が詰められていたのだ。その棚には「リトルフリーライブラリー」と書かれていた。なんと太っ腹なことだろう。

 

 

足を組み、優雅にその文庫本を開く。

 

 

『ある朝、グレゴール・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に』

 

 

 

ちょうど『虫』の部分を指さすように、背後から伸びる真っ白で鋭利な何かが、文庫本を貫通した。

 

『———(わたし)はたちまち滅び尽くす』

 

本を突き刺した白い剣が、閃光を放った。本は前方に吹き飛ばされて砂まみれになる。表紙に印刷されたフランツ・カフカの顔には剣による風穴が空いていた。本を持っていた私の手から、どぱっと鮮血が吹き出した。

 

私は振り向いた。オリーブオイルのような、緑がかった透明感のある髪が舞い、少年は私の座るベンチから飛び退いた。

彼の動揺した顔を見るのは、これで三回目だった。

 

あどけなさの残る顔立ちに、少し垂れた目を精いっぱい吊り上げた表情に、

 

|

 

わたしはあいじょうをいだいた。

 

|

 

たちまち脳内が一色に染め上げられる。

神父さんのような真っ黒の服も、華奢な肩にかけられた短めのローブも、熟れる直前の桃のような肌の色と絶妙に調和していて、

端的に言えばどちゃシコだった。

 

私は天使だろうから、一応警戒はされていると思う。でも私を睨む少年の立ち姿は無防備にしか見えない。逆に誘われているようで、めちゃめちゃえっちだ。

 

私の目を奪うは、ほんの少しくせのあるふわふわの髪の毛。触りたい。あいにく私の翼は見た目に反して()ってえのだ。その絶対やわらかい髪の毛を触りたい。ぽふぽふしたい。

 

口を開けば犯罪者になってしまいそうだった。しかし私は子供を導く善良な大人。欲求を全力で押し留め、私はしかと少年を見据えた。人生の先達として、彼に行わなければいけないことがあった。

 

逆十字架の剣を構える少年を、

 

「———こら!」

 

私は叱りつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

『多奈波。例の天使の位置情報が途絶えました』

 

電話口から届いた司教の声に、多奈波は走る足を止めた。

 

『猫獣人のスマートフォンのGPSを追っている事に勘づかれたのかもしれません。場所情報の優勢がなければ、天使と一対一は危険でしょう。作戦は失敗です。教会へ帰還してください』

 

「……ぼくは今、天使にかなり接近しています。奇襲される危険性はありますが、それは相手も同じ。少しだけ探索を続けたいです」

 

『成程。()()()()()()()()()。承認します。良い報告を待っていますね』

 

電話が切れる。多奈波はスマートフォンをポケットにしまい、ばくばく跳ねる心臓を手で押さえた。そうでもしないと、心がこの場から逃げ出してしまいそうだった。

 

 

多奈波は紅葉樹の陰から、標的である女の後ろ姿を見ている。公園のベンチにぽつりと座る小柄な背中は、少女と言った方がしっくりくる。

 

(……悪夢でも見ているみたいだ)

 

顔をしかめる。多奈波と同年代のように見える少女の肩甲骨からは、身体よりも大きな翼が一対、荘厳に生えていた。

 

桜に似た薄紅色のショートヘアが、風も吹いていないのにさらりと揺れた。ぞっとするほど綺麗な髪を、他でもない彼女自身の真っ赤な血で汚そうとしていることに、多奈波は罪を感じた。

 

 

 

しかし多奈波の行為は正しかった。確実に。絶対に。

 

現に世界の歯車は噛み合っている。多奈波は多くの天使をころした。人々を守った。それは正しかった。彼がそうすべきだと行動したから。

 

 

多奈波はゆっくりと眼前の天使に歩み寄る。天使は()を開いていた。多奈波はそれを、天使の本体である『偽典』だと思った。

 

(……ころさないと)

 

多奈波は、目の前の天使へ衝動を抱いている。だから、多奈波の行動は正しい。

 

 

多奈波は逆十字架の剣を構え、天使の持つ本に照準を合わせた。天使は多奈波に気づいていない。その事実もまた、少年の覚悟を後押しする。

 

 

 

『———(わたし)はたちまち滅び尽くす』

 

 

多奈波の衝動は聖なるもので、必ず、正当だった。

 

 

まばゆい光が衝撃波を放つ。天使の手ごと、その一冊を破壊する。

ぽっかりと風穴が空いた本は、そのまま前方へ投げ出される。砂にまみれた表紙は、見慣れた紺色の布張りではなかった。

 

文庫本。

 

「———」

 

多奈波の頭が真っ白になる。

少女のような天使は振り向いた。天使が『偽典』以外の本を持っていた事実に動揺する多奈波と目を合わせた。

 

(……眠そうだ)

 

眠たげに少し細められた目に見つめられて、多奈波は場違いな感想を抱いた。瞳の色は、初めて会った時から色が変わっている。

 

元々綺麗な灰色だった瞳には、水面に油性絵の具をぽたり、と垂らしたかのように、金色が混ざらずに広がっていた。

天使の瞳の象徴たる金色が。

 

 

多奈波は飛び退いて、天使から距離を取る。

彼女の目を絶えず見ていた。瞳に垂らされた金色は、脈動するかのように面積を広げたり、萎んで灰色の中に消えそうになったりする。

 

 

やがて天使はゆっくりと息を吸い込んだ。思わず身構える多奈波を襲ったのは、

 

 

「———こら!」

 

 

あまりにも簡潔な叱責だった。

 

——こら。

 

重なる。声が。

多奈波は唾を飲む。喉がずきずきと痛む。性病にでも罹ったみたいだった。十四歳の多奈波を十四歳の子供として叱りつける言葉に多奈波はすくみあがる。

 

「…………う、あ」

 

まるで自分があの日の無力で無邪気な十歳の少年に戻ってしまったかのようだった。

 

 

 

 

「……一度、落ち着いて話そうか。ここに座ってくれるかな」

 

多奈波が弾き飛ばした文庫本を拾って、天使はベンチに戻ってくる。そして彼女は、ベンチの左端に腰を据えた。

 

多奈波は抵抗せず、ベンチの右端に座った。頭がぼんやりしていた。

熟れすぎた果実のような甘い匂いが多奈波の鼻をつく。芳香は頭痛に変わる。それほどまでに、多奈波と天使の距離は近かった。

 

「どうして私が君に怒っているか、わかるかい」

 

「……あなたを、ころそうとしたから」

 

「…………え?」

 

天使が突然、腑抜けた声を上げた。思わず隣に座る彼女の顔を盗み見る。「うそ…最近の子こわ…… 」ショックを受けた顔でしょぼくれていた。

 

咳払いした天使は、鷹揚にかぶりを振る。多奈波が殺した文庫本の表紙をこちらに向けた。

 

「違う。君がこの本を傷つけたからだ」

 

表紙には、『変身』と題されていた。

 

「私をころ……害そうとしたこと。これはまぁ……いい。私は天使なんだろう? そして、君が街中で堂々と剣を振るっていたことから考えるに、天使は排除されるべき存在。君の行動は()()()されるんだろう」

 

「——っ」

 

ぐさりと、胸に刺さる。そうだ。ぼくは、絶対に正しい。正しく在ってしまう。

しかし天使は言葉を続けた。人間を愛する自分本位な言葉ではなく、愛欲にまみれた甘ったるい言葉でもない。

 

思い出す。多奈波は思い出す。

 

 

「……だけども、何の罪もない本を台無しにするのはもってのほかだ。それはきっと、君が使っていい力の範疇を超えている」

 

———だけども、結局君はまだ子供だね。怒られなかったらオッケーで、みんなが認めてくれるから正しいっていうのはヘンなんだよ。

 

「少年。わかるね? 君のしたことは、」

 

———多奈波。わかるかな? 君のしたことは、

 

 

『間違っている』

 

 

 

「————」

 

多奈波は、開きかけた口をつぐんだ。驚いた。自分が信じられなかった。

 

でも。だって。

 

口から出そうになった言葉。多奈波は、天使の叱責に言い返そうとしていた。

 

混乱が頭を支配する。彼女が自分を(さと)した内容に、多奈波は間違いを見つけられない。それは()()だった。

 

(じゃあ、どうして)

 

どうしてぼくの胸にわだかまりがあるんだ?

 

 

 

 

「ところで少年!」

 

びくりと、多奈波の肩が跳ねる。突然大声を出した天使は、勢いよくベンチから立ち上がった。不機嫌な大人の顔色をうかがうみたいに、多奈波は彼女の後ろ姿を見上げた。

 

「私は神戸に行きたいんだけれど。とりあえず、西へ飛ぼうと思う。方位磁針などは持っていたりするかい?」

 

そわそわと、天使は(せわ)しなく身体を揺らす。そのたびに彼女の豊かな胸が運動する。多奈波は困惑する。双丘を目で追ってしまう自分に嫌気が指す。

 

「!」

 

少年の視線に気付いたのかのように天使は振り向いたので、多奈波は思わず硬直した。

 

 

黄金に染まった瞳が、とろける熱を|孕(はら)んで少年を見据えている。人間を求める上位存在の瞳。自分勝手な肉欲に支配された天使の瞳。

 

|

 

パァン、と天使は自分の片胸をビンタした。

 

「!?」

 

 

()……」

 

自傷部位を押さえ、天使は力なくその場にしゃがむ。意味がわからなかった。

 

仕切り直したかのように天使はこちらを向いた。「どうかな?」と、上目遣いに多奈波を見やる天使の瞳は、灰色と金色の混ざった瞳に戻っている。その中には先ほどまでと同じ理性が宿る。

 

……金一色の瞳は、見間違いだったのだろう。もう剣を地面に置いているにも関わらず、ろくに自分に近づこうとさえしない天使の様子から、多奈波はそう断定する。

 

 

(「どうかな?」って……)

 

彼女の疑問に頭をひねり、西がどの方向か尋ねたのだと思い出し、多奈波は雲に隠れながらもうっすら存在を主張する太陽を確認した。

 

今は午後六時で、日の入りはもうすぐだった。

 

日は西へ沈む。多奈波は太陽のある方向を指差した。

 

「……あっちだと思います」

 

「!」

 

天使は多奈波の指先と沈みかける太陽を交互に眺め、そっぽを向いて両手で顔を覆った。

 

「……うわ。そうじゃん。今の私ダサ……私のあほ……」

 

 

 

小柄な背中は、隙だらけだった。そのまま剣を突き刺せば致命傷も容易なほどに。

多奈波はベンチに座ったまま、隣に置いた剣に視線を下ろす。

 

握れなかった。彼女をころす衝動は、形になる前に霧散した。

 

「ありがとう」

 

その声に、多奈波は顔を上げる。

そこには誰もいなかった。

 

最初から公園には多奈波しかいなかったのだと錯覚するほど、眼前には静寂が広がっている。

 

飛んだのだ、と多奈波は悟った。

 

 

 

 

ふと、(つば)を飲み込むのを忘れていたことに気づく。ひと息に飲んだ唾は蜜のように甘く感じて、多奈波は顔を(しか)めた。

唾を吐いておけばよかったと、多奈波は公園の蛇口を見ながら後悔する。

 

 

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