非効率な選択   作:孤独なSilhouette

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ヘルタが好きな人生でした。


本編

 意識が浮上した時、最初に感じたのは痛みだった。

 全身が重い。身体の内側に鉛でも流し込まれたような感覚だった。ゆっくりと瞼を開くと白い天井が視界いっぱいに広がった。

 見覚えのある景色だった。規則的に並ぶ照明。無機質な壁面。

 そして耳の奥で鳴り続ける電子音。ここは天才達が集まる場所

宇宙ステーションヘルタ……その医療区画。

 

 そう結論が出るまでに数秒を要したが、思考ができるということはつまり、自分は今回の無理難題からも、何とか生きて帰って来れたらしい。

 辺境星域で発見された古代遺跡…このステーションの所有者…からの調査命令。

雇われ職員に拒否などできるわけもなく、準備を整え出発。

 

地下深部に潜り、崩落事故を避け、鳴り響く警報や閃光を十二分に浴びたのち辿り着いた最深部

覚えているのはそこまでだった。記憶の続きは途切れているが、生き残ったのだから、誰かが助けたのだろう。

それ以上のことは分からなかった。視線を横へ向ける。そこでようやく、自分以外の存在に気付いた。

 

窓際に置かれた一つ椅子。そこに一人の女性が腰掛けている。

 

自他共に認める美貌。長い髪が肩から流れ落ち、照明を受け、静かに揺れていた。

手元の端末に視線を落としたまま、こちらを見る気配はない。それでも見間違えることはなかった。

「……マダム」

声に出すと、相手は顔を上げないまま答えた。

「目が覚めた?」

 まるで分かっていたかのような、見つめていた端末から視線をあげることもせず、淡々とした口調だった。

「生きてるなら結構」

 小さく息を吐く、その態度は相変わらずであった。

 数十年近い付き合いになる。研究者として採用されたはずが、今はトレジャーハンターのような仕事ばかり、その間に何度も死にかけた。そのたびに似たようなやり取りをしてきた気がする。

 少なくとも、この人が心配そうな顔をしているところを見た記憶はなかった。それでも彼女は雇い主である。いくら採用条件と実務内容に大きな違いがあって、納得がいかなくとも報告は必要である。

「任務報告なら後でします」

「別にいらないわ」

「そうですか」

「そうよ」

 会話はそこで終わっり、沈黙が落ちる。

 

 気まずさはなかった。これが昔なら違っただろう。

 直属配属になったばかりの頃なら、沈黙に耐えられず何か話題を探したはずだ。

 

 だが今は違う。

 この人は元々そういう人間なのだと知っている。無駄を嫌う。必要のない会話をしない。それでいて、時折どうでもいい話を始めるが、その基準は未だによく分からない。

 

「……一つ聞いてもいいですか」

「何」

「なんでここにいるんです?」

 その瞬間だけ、端末を操作していた指が止まった。

 本当に一瞬だった。見間違いと言われても反論できない程度の変化。だが長い付き合いは、そういう僅かな違和感を見逃さない。

「暇だったから」

 返ってきた答えに、思わず笑みが漏れる。

「それは信じられませんね」

「相変わらず失礼ね」

 そう言うと、ヘルタは肩を竦めた。どうやらそれ以上説明する気はないらしい。追及を諦めた。昔からそうだった。言いたくないことは言わない。無理に聞き出そうとしても意味がない。

 もっとも。

 暇だったという言葉だけは信じられなかった。彼が知る限り、マダム・ヘルタという人間は常に何かをしていた。

 研究。

 実験。

 観察。

 考察。

 あるいはその全部。天才という言葉を体現したような人物だった。

 

 数十年前。初めて彼女のプロジェクトに配属された時のことを思い出す。その頃はまだこの宇宙ステーションもなかった。

 周囲は羨ましがった。天才クラブの一員。宇宙でも指折りの研究者。その直属になれ研究ができる。誰もが幸運だと言った。

 当時の自分もそう思っていた。努力すれば届くと信じていた。天才に追いつけると、本気で思っていた。

 

 だけど……今にして思えば若かった。

 無知だった。そしてかなりの傲慢だった。十年かけて辿り着く答えに、彼女は数日で到達する。徹夜でまとめた資料を数分で読み終える。誰も気付かなかった欠陥を一目で見抜く。

 そんな光景を何度も見た。

 

 羨望した。嫉妬した。悔しかった。

 だが……それ以上に理解した。

 努力で埋まる差と、埋まらない差がある。自分と彼女との差は後者だった。それに気がついた時、不思議と恨みは湧いて来なかった。

 

 悔しさはあった。だが憎しみにはならなかった。理由はいまだに分からない。

 

 心が折れてしまったのか、何か別の理由があるのか。嫉妬したのが、彼女だったからなのか…いまだに謎のままである。

 

 ふと扉が開く。

 若い研究員が入ってきた。

 

 その研究員には見覚えがあった。

 何度か廊下ですれ違ったことがある、最近名前を聞くことも増えた今話題の若手研究員だ。

 

 研究員は彼へ視線を向け、何かを言いかけて、ヘルタの姿を見つけ足を止め視線を向けた。

 

「ヘルタ様」

「何」

「会議のお時間です」

「後で」

「ですが――」

「後でと言ったでしょう」

 研究員は言葉を失った。

 彼はその様子を眺める。研究員の顔は、理解できない…そんな顔だった。

 

 無理もない。昔は同じ反応をしていた。ヘルタは自分の時間を何より重視する。会議を後回しにすること自体は珍しくない。

 

 だが。病室で足止めを食うような人ではなかった。研究員は何か言いたそうな顔をしていたが、結局何も言わずに部屋を出ていった。

 

 静寂が戻る。窓の外には宇宙が広がっていた。無数の星々、遠くを行き交う輸送船。宇宙ステーションの外壁に反射する光。何度見ても慣れない景色だった。

 

 その光景を眺めながら、ゆっくりと目を閉じる。疲労が残っていた。思考もまだ鈍い。しばらくすると、端末を操作する微かな音だけが耳に届くようになった。

 

 そういえば。

 

 いつからだっただろう。

 

 この人のことを理解しようとするのをやめたのは。

 

 理解できないと諦めたわけではない。むしろ逆だった。考えても分からない。何十年付き合っても分からない。だから考えること自体を楽しむようになった。

 今日もそうだ。なぜここにいるのか。

 

 分からない。

 

 分からないままでいいのかもしれない。

 

 少なくとも。彼女はここにいる。それだけは事実だった。ふと、端末を操作する音が止んだ。

 薄く目を開ける。ヘルタは窓の外を見ていた。珍しいことだった。研究でもなく、資料でもなく、実験でもない。ただ宇宙を眺めている。その横顔を見ていると、ふと昔のことを思い出した。

 

 初めて会った日のこと。緊張で言葉も出なかった自分、そんな自分を一瞥して彼女はこう言った。 

 

『あなた、走るのは速い?』

 

 挨拶でもなく。自己紹介でもなく。最初の言葉がそれだった。

 訳が分からないあの時からずっとマダム・ヘルタという人間は分からない。

 そしてきっと。

 これからも分からないのだろう。苦笑しながら再び目を閉じた。電子音が静かに響いている。その音を聞きながら、意識はゆっくりと眠りへ沈んでいった。

 

 

 

  

 

 

 

 今にして思えば、あの日はひどく浮かれていた。

 無理もない。宇宙中の研究者が羨むような配属だった。天才クラブの一員。数え切れない発明と発見を生み出した研究者。マダム・ヘルタ直属。

その辞令を受け取った時は、本気で人生が変わったと思った。研究者としての未来が開けた気がした。

 努力は報われる。才能ある者の側で学べば、自分もいつかそこへ辿り着ける。

 若かった。 本当に。

 今なら笑ってしまう。だが当時は本気だった。 研究棟の廊下を歩きながら、何度も辞令書を確認したことを覚えている。

 見間違いではない。夢でもない。確かにそこには自分の所属先が記されていた。 指定された研究室の前で立ち止まる。

 一度深呼吸をした。二度目もした。 三度目をする前に、自分が情けなくなってやめた。

 緊張していた。それも当然だろうなにせ、 宇宙中に名を轟かせる天才に会うのだ。

  学生時代の教授ですら声が震えたという人物である。平静でいられる方がおかしい。

扉の横に設置された認証端末へ身分証をかざす。

 電子音と共に ロックが解除され、静かに扉が開いた。 想像していた光景とは少し違った。研究室というより倉庫だった。 床にも机にも資料が積まれている。分解途中の機械。用途不明の装置。

半透明の容器に沈められた何か。整頓という概念が存在しているのか疑わしくなる。

だが不思議と散らかっているようには見えなかった。すべてが意味を持って配置されている...そんな印象だった。

 室内を見回す。人の気配はなく早く来すぎたのだろうか。 そう思った時だった。

「あなた」

 声がした。

 背後ではもなく、前方でもない。

 頭上だった。

 反射的に顔を上げる。天井付近に設置された足場。その上に一人の少女が座っていた。長い髪が垂れている。こちらを見下ろす視線。整った顔立ち。想像していた人物像とはあまりにも違っていた。

もっと年上だと思っていた。もっと威厳のある人物を想像していた。少なくとも、初対面の相手がマダム・ヘルタ本人だと気付く人間は少ないだろう。

 呆気に取られていると、その女性は首を傾げた。

「あなた、新人?」

 反応が遅れた。慌てて背筋を伸ばす。

「は、はい」

「ふーん」

 興味があるのかないのか分からない返事だった。視線だけが向けられている。

 観察されている。そんな感覚があった。

 居心地が悪い。面接を受けている時とも違うまるで実験動物になった気分だった。

 少女はしばらく黙ったままこちらを見ていた。

 数秒だったのか。一分だったのか。 妙に長く感じられた時間はやがて

 彼女は唐突に口を開く。

「あなた、走るのは速い?」

 意味が分からなかった。自己紹介ではない。名前も聞かれていない。研究歴でも専門分野でもない。走るのは速いか。あまりにも予想外だった。

「……は?」

「速いの? 遅いの?」

 聞き間違いではなかったらしい。彼女は本気で聞いていた。

 いまだ思考が追いつかない。研究者に必要な能力だろうか。 何かの適性試験だろうか。 それとも天才の考えは常人には理解できないというやつだろうか。

 

 

 

 少しだけ迷った後、正直に答える。

 

「走りには自信があります。

「へーどのくらい?」

「人生で負けたことはありません。」

「へぇ? 面白いね」

 そう言って彼女…マダム・ヘルタは足場の上から飛び降りた。

 軽やかな着地だった。

 数メートルはあったはずだが、本人は気にも留めていないらしい。

 そのまま彼の前まで歩いてくる。

 思っていたより小柄だった。だが不思議な圧力があった。それは威圧感とは少し違う、存在感と言うべきだろうか。研究者というより、災害に近い。そんな感想が頭をよぎる。

 

「何その顔」

「いえ」

「今失礼なこと考えてたでしょ」

「考えてません」

「そう」

 絶対に信じていない顔だった。

 

 だが追及はされなかった。代わりにヘルタは近くの机から何かを取り上げる。掌に収まる程度の金属の箱で、表面には見たことのない文字列が刻まれている。

「はい これ」

 

 箱が投げられ、慌てて受け取った。

 思ったより重い。

 ヘルタは満足そうに頷くと次の瞬間、とんでもないことを言った。

「じゃあ行きましょうか」

「どこへです?」

「回収」

「何をです?」

「それの残り」

 箱を見下ろす。

 嫌な予感しかしない。

「どこにあるんですか」

「未知星域の未知の惑星」

 聞いたことはあった最近見つかった 辺境星域の未開発区域。

 立入制限ありで、危険度評価も高い。帰還者は1割にも満たないと言われている星域である。

 

 彼はゆっくり顔を上げる。

「研究ですよね?」

「研究よ」

「現地調査ですか?」

「そうとも言うね」

「探索任務では?」

「言い方の問題よ」 

 よくない……非常によくない。 配属初日で既に嫌な予感が限界を突破していた…だが断れる立場ではなかった。

 

 何しろ相手はあのマダム・ヘルタである。彼女との初めての遭遇はそこまで、指定された輸送艇の座席で、彼は静かに後悔していた。 出発まで二時間。その間に説明された研究内容は極めて簡潔だった。

 

 古代文明の遺跡がある。調査隊が入った。生還者がほとんどいない

 そこへ行って回収してこい。

 以上 説明終了。

 研究とは何だったのか。

 人生で初めて真剣に考えた瞬間だった。

 

 

 

 何とか、初めてのお使い? 研究?を終え、ボロボロの身体で帰還し、遺物を持ち帰り気がついた時には、医療区画のベットの上。

 目が覚めてから、暫くしてお使いの主人が病室を訪れた。

「マダム」

「何」

「一つ確認したいんですが」

「何私は忙しいんだけど」

「私は研究者ですよね」

 ヘルタは窓際の椅子に座り、端末をいじり続けている。

 数秒考え込むような沈黙。

 

「たぶん」

「たぶん?」

「少なくとも履歴書にはそう書いてあったわ」

 彼は頭を抱えた。会ったのは2回目、期間は1ヶ月も経っていない。それなのにもう辞めたくなっていた。

「口から出まかせかと思えば、中々面白い身体してるね君 」

 活動記録でも見ているのだろう。病人に視線を向けず、話も聞かず、彼女は聞きたいことだけ聞いて病室を去っていった。

 

 

 

 

 

 

 今にして思えば。

 あの日が始まりだったのだろう。数え切れない任務。

 遺跡を巡り。死にかけて。

 気付けば数十年が過ぎていた。

 

 

 

 

 

 

 




はじめまして! 本作を読んでいただき、ありがとうございました。

構成では起承転結の起だったんですが、完全な自己満足で書いたものです。
主人公の身体能力は
握力500kg。片手で2トンの金塊を持ち上げることができ、100メートルを5秒フラットで走る。しかもそのままのスピードで3キロメートルは走り続けられる想定で考えていたりします。
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