平民男子、最強精霊に懐かれ令嬢だらけの魔法学校に入学する 作:ワタリ3@ぼちぼち浮上
ロゴスで迎えた初めての朝。
アレン・レグロスは、食堂の入口で立ち尽くしていた。
「……部屋戻っていいか?」
「おい、まだ朝食を食べていない」
隣のナナティナが、いつも通り淡々と言う。
彼女は白い髪に硝子玉の髪飾りをつけ、当然のようにアレンの袖を掴んでいた。
問題は、食堂の中である。
広い。綺麗。天井が高い。
壁にはロゴスの紋章が飾られ、長い食卓がいくつも並んでいる。並んでいる料理も、イギー村の朝飯とはまるで違った。
焼き立ての白パン。卵料理。香草入りのスープ。
果物。薄く切られた肉。銀の食器。
そして何より。
令嬢、令嬢、令嬢。
どこを見ても、上品な制服姿の女子生徒だらけだった。
彼女たちの視線が、一斉にアレンへ向かう。
男がいる。男性契約者がいる。
例のアレン・レグロスだ。
そんな囁きが、声にならずに空気の中を漂っていた。
「クソ……飯の味、分かるかなこれ」
「簡単だ。食べれば分かる」
「はは……お前は強いな」
「腹が減っているからな」
ナナティナはまったく怯まない。
むしろ料理の方をじっと見ている。
アレンは観念して、食事を受け取り、できるだけ目立たなそうな端の席へ向かった。
しかし、端に座っても目立つものは目立つ。
周囲の令嬢たちは、露骨に見る者、見ないふりをする者、扇子で口元を隠して囁く者に分かれていた。
「アレン」
「何だ」
「このパンはすごく柔らかい」
「そうだな」
「村のパンとは違う」
「作り方が違うかもな」
「もう一つ食べていいか?」
「お、お前、視線とか気にならないのか?」
「視線は食べられない」
「おっと名言来たね」
アレンが苦笑した、その時だった。
「ご一緒してもよろしいでしょうか?」
柔らかな声がした。
アレンが顔を上げると、そこには桃色の髪を持つ少女が立っていた。
第三王女、セレッサ・ウィ・ベータシィア。
昨日の入学式でも見た、あの王女である。
彼女の後ろには、すらりとした少女が控えていた。
凛とした目元。整った姿勢。
制服の着こなしも隙がない。
彼女がセレッサの従者、ユリーカなのだろう。
「え、あ、はい。どうぞ」
アレンは反射的に立ち上がりかけた。
セレッサはくすりと笑う。
「そのままで結構ですわ、アレン様」
「様……」
「私はセレッサ・ウィ・ベータシィア。同じ一年生です。あまり堅くならないでくださいませ」
「ぞ、存じています。いや、王女様にそう言われても、堅くならない方が難しいですことよ?」
セレッサは一瞬きょとんとし、それから楽しそうに微笑んだ。
「不思議な喋り方をなさるのですね」
「よく言われます」
「わたくしは好きですわ」
「そ、そうですか」
アレンは少しだけ顔を赤くした。
その瞬間、ユリーカの視線が鋭くなる。
「アレン・レグロス」
「はい?」
「殿下に対し、不必要に馴れ馴れしい態度は控えていただきたい」
「いや、今の俺が悪いの!?」
「ユリーカ」
セレッサがやんわりと制した。
「彼女は従者のユリーカ・ウィニングトール。ユリーカ、アレン様は悪気があったわけではありません」
「ですが、殿下」
「わたくしが話したいのです。あなたも座りなさい」
「……承知しました」
ユリーカは不承不承といった様子で、セレッサの隣へ座った。
アレンは心の中で叫んだ。
王女様と朝飯。
従者に警戒されながら。
初日から濃すぎる。
ナナティナはセレッサをじっと見ていた。
「桃色だな」
「え?」
「髪が」
「ああ、そういう意味でしたのね」
セレッサは微笑んだ。
「ナナティナ様の髪は、とても綺麗な白ですわ」
「そうか」
「ええ。硝子玉の髪飾りもよくお似合いです」
ナナティナは、髪飾りにそっと触れた。
「アレンに買ってもらった宝物だ」
「まあ」
セレッサの目が楽しそうに細くなる。
「アレン様が?」
「ちょ、ナナティナ。そういうのは別に言わなくていい」
「なぜだ。事実だ」
「恥ずかしい」
「仲がよろしいのですね」
セレッサがにこりと笑う。
ユリーカの視線がさらに鋭くなった。
「アレン・レグロス」
「はい」
「殿下の前で過度な男女の親密さを見せるのは控えていただきたい」
「ちょい俺、今ただ飯食ってただけなんだけど!?」
「ナナティナ様は精霊ですよ」
セレッサが静かに言った。
「男女というより、契約者と精霊の距離感なのでしょう」
「その距離感も近すぎるかと」
ユリーカは即答した。
ナナティナはアレンの袖を掴んだまま言う。
「む、私はアレンの精霊だ。近いのは当然だ。他人が四の五のいうな」
「当然ではありません」
「当然だと言ってる」
「違います」
「……そうなのか、アレン」
「急に自信を無くすなよ。俺もよく分かってない」
朝食の時点で、アレンはすでに疲れていた。
だが、セレッサは楽しそうだった。
彼女はアレンを責めるでもなく、珍しいものとして眺めるでもなく、自然に会話へ入ってくる。
その柔らかさに、アレンは少しだけ救われた。
β
最初の授業は、座学だった。
場所は一年生用の講義室。
今年の新入生は三十六人。
アレンを除けば、当然ながら全員女子である。
席に座ったアレンは、またもや周囲の視線に晒されていた。
隣にナナティナはいない。
精霊は授業内容によって同席できる時とできない時があり、最初の基礎講義では教室後方の精霊待機席にいることになっていた。
つまり、アレンはまた一人である。
泣きたい。
講義室へ入ってきたのは、ミリアナ・クーゼンだった。
教務主任にして、一年生担当。
彼女が教壇に立つと、教室の空気が引き締まった。
「本日最初の授業は、基礎概論です」
ミリアナは黒板に文字を書く。
――ウィッチとは何か。
「皆さんの多くは、幼い頃からウィッチに憧れ、あるいはウィッチとなる責任を教えられてきたことでしょう。ですが、ロゴスでは改めて問います。ウィッチとは何か」
教室は静まり返っている。
「ウィッチとは、魔法を振るう者ではありません。力を持つだけの者でもありません。『清く、正しく、華麗に、逞しく』王国を守る責任を背負う者です」
清く。正しく。華麗に。逞しく。
アレンは小さく自分を見下ろした。
――清く。
怪しい。
――正しく。
さらに怪しい。
――華麗に。
男だ。
――逞しく。
これは自信がある。
だが絶望的。
「……俺、初手からウィッチ向いてねぇな」
小さく呟いたつもりだった。
しかし、ミリアナの目がこちらを向いた。
「アレン・レグロスさん」
「は、はい!」
「独り言は控えなさい」
「はい……」
周囲から小さな笑いが漏れた。
アレンは机に沈みたくなった。
ミリアナは授業を続ける。
「ロゴスで学ぶのは、魔法技術だけではありません。力をどう扱うか。誰のために振るうか。いつ振るわないか。それを学ぶ場でもあります」
その言葉は、アレンの胸に少し刺さった。
キャベット町。
町中で撃てなかった光線。
守るために出した白い盾。
自分一人では倒しきれなかったウォーカー型。
力があるだけでは足りない。
それは、すでに思い知らされている。
「次に、魔道具の支給を行います」
ミリアナが合図すると、補助教師たちが木箱を運んできた。
中には、ワンドとロッドが並んでいる。
「魔道具は、魔力の制御を助けるための道具です。ワンドは携帯性と即応性に優れ、ロッドは精密な魔力制御と大きな出力に向きます。
自分の魔力量、戦闘適性、精霊との相性を考えて選ぶことになりますが、初回は触れてみて反応を見るだけで構いません」
生徒たちが順番に魔道具を選んでいく。
中にはすでに持っている人もいるようだ。
アレンの番が来る。
ワンドかロッド。
どちらかと言えば、ワンドの方が扱いやすそうに見える。
槍ほど長いロッドより、短いワンドの方がまだ手に馴染みそうだった。
「じゃあ、こっちで」
アレンは木製のワンドを手に取った。
その瞬間。
ワンドが白く染まった。
「……え」
木目が消える。
淡い白い光が走る。
持ち手から先端まで、純白のワンドへと変化していく。
教室がざわついた。
ミリアナの目もわずかに見開かれる。
「魔道具の変質……」
「あの」
アレンは白くなったワンドを見つめた。
「壊しました?」
「壊していません」
ミリアナは近づき、ワンドを確認した。
「別に珍しいことではありません。精霊と契約している者が魔道具を持つと、魔道具は契約者と精霊の性質に合わせて変化します。あなたの場合、ナナティナさんの力に強く反応したのでしょう」
「へぇ……」
アレンはワンドを軽く振ってみた。
妙に手に馴染む。
まるで最初から自分のものだったような感覚があった。
「でも、俺、最初は魔道具なんて使わなかったな」
完全な独り言だった。
しかし、ミリアナは聞き逃さなかった。
「今、何と言いましたか」
「え?」
「魔道具を使わなかった、と」
「ああ、はい。ウォーカー型と戦った時は、特に何も持ってなかったんで」
教室が静まり返った。
ミリアナの表情が厳しくなる。
「アレン・レグロスさん。通常、魔法の多くは、魔道具による術式補助を前提とします。魔道具なしで魔法を発動するには、極めて高度な魔力制御が必要です」
「そうなんですか?」
「そうです」
ミリアナの声が少し強くなる。
「上級ウィッチであっても、魔道具なしで得意魔法を一つ扱える程度です。それも長い訓練を経て、ようやく可能になる技術です。二つ以上の補助なし魔法を実戦で扱える者は、極めて限られます」
アレンは固まった。
「……俺、そんなやばいことしてたんですか?」
「やばい、という言葉は適切ではありませんが、異常ではあります」
「て、適切に刺された」
ミリアナはため息をついた。
「おそらく、ナナティナさんが魔道具の代替として術式補助を行っていたのでしょう。ですが、それも通常の精霊には困難です。あなた方の契約は、やはり特殊です」
教室の視線が、またアレンへ集まる。
アレンは白いワンドを握ったまま、心の中で呟いた。
もう、目立ちたくない。
そう願うほど、目立つ。
β
午前の最後は、中庭で行われる精霊召喚の儀式だった。
ロゴスの中庭は広く、中央には巨大な円形の石が地面に埋め込まれていた。
召喚石。
表面には無数の魔法文字が刻まれている。
花、鳥、風、月。
四属性を示す紋様が円形に配置され、その中心には精霊界との接続を行う術式が刻まれていた。
ミリアナが生徒たちへ説明する。
「精霊とは、皆さんの魔法適性に応じて精霊界より召喚される存在です。花、鳥、風、月。この『魔法四属性』のうち、自分と最も相性の良い精霊が召喚されます」
生徒たちは緊張した面持ちで聞いている。
「精霊と契約して初めて、ウィッチは『属性魔法』を本格的に扱えるようになります。また、精霊固有の魔法、すなわち『精霊魔法』も契約後に発現していきます」
アレンは少し離れた位置で見学していた。
セレッサやユリーカのように、すでに精霊と契約している生徒も同じく見学組である。
ナナティナは隣に立ち、召喚石をじっと見ていた。
「どうした?」
「懐かしいような、そうでもないような」
「曖昧だな」
「思い出せない」
ナナティナは少しだけ目を細めた。
「だが、あの石は精霊界へ呼びかけているようだ」
「分かるのか?」
「なんとなくだ」
最初に召喚を行った生徒は、緊張で手を震わせながら召喚石へ魔力を流した。
召喚石の文字が光る。
風が吹く。
淡い花びらのような光が舞い、小さな花属性の精霊が現れた。
中庭に歓声が上がる。
次々と儀式が進む。
鳥型の精霊。小動物型の風精霊。
月光をまとった小さな獣型精霊。
精霊たちはそれぞれ個性があり、召喚者と向き合うと契約の光を交わしていった。
やがて、平民のミーナ・ミュラーの番になった。
彼女は緊張した顔で召喚石の前に立ち
深く息を吸いながら、召喚石へ手を置く。
魔力が流れる。
緑がかった風の光が立ち上がった。
次の瞬間、小さな猫鼬(ミーヤキャット)のような精霊が現れる。
細長い体。
愛嬌のある顔。
風の尾を揺らしながら、きょろきょろと周囲を見回す。
「……かわいい」
ナナティナが呟いた。
「お前もそういう感想言うんだな」
「かわいいものは、かわいい」
「前だったら食べられるか聞かれたけどね」
「私をなんだと思ってる」
ミーナは精霊を見て、涙ぐむように笑った。
精霊は彼女の肩へ駆け上がり、頬を擦り寄せる。
契約の光が二人を包んだ。
「風属性、契約成立」
ミリアナが告げる。
拍手が起きた。
次はグレタ・マーズだった。
伯爵令嬢。
金髪のツインテールを揺らし、堂々と召喚石へ向かう。
彼女は自信に満ちていた。
魔力を流す。
召喚石に風の文字が浮かび上がる。
光の中から現れたのは、細身の鼬型精霊だった。
素早そうな体。
鋭い目。
尻尾の先に風の刃のような光をまとっている。
グレタは満足そうに微笑んだ。
「いいわ。あなた、私にふさわしいじゃない」
イタチ型精霊は、軽く鳴いて彼女の腕へ駆け上がった。
契約の光が広がる。
「風属性、契約成立」
再び拍手。
アレンはその光景を見ながら、少し不思議な気分になっていた。
普通は、こうして精霊と出会うのだ。
儀式を行い、属性に合った精霊を召喚し、契約する。
アレンのように森で拾い、命を救われ、そのまま一緒に暮らし、悪魔兵器との戦いで契約する方がおかしい。
「ナナティナ」
「なんだ」
「俺たちって、かなり変なんだな」
「ふふ、今さらだな」
「そうでした」
β
放課後。
アレンは完全に疲れ切っていた。
初日から情報が多すぎる。
朝食で王女と食事。
授業で魔道具を白く変える。
魔道具なし魔法が異常だと説明される。
精霊召喚の儀式を見る。
周囲から視線を浴び続ける。
もう部屋に戻って寝たい。
そう思っていた。
だが、ロゴスは彼を簡単には休ませてくれなかった。
「アレン・レグロス」
廊下で呼び止められる。
振り返ると、そこにグレタ・マーズが立っていた。
風属性の鼬型精霊を肩に乗せている。
彼女の後ろには、数人の令嬢が控えていた。
いわゆる取り巻きというやつだろうか。
「えっと、何か用か?」
「いきなりですが、あなたに決闘を申し込みます」
アレンは一瞬、理解できなかった。
「……え?」
「決闘です」
「いや聞こえてる。初日だぞ?」
「初日だからです」
グレタは顎を上げた。
「私は、あなたを認めていません」
「そりゃまた、はっきり言うね」
「男性で、平民で、よく分からない精霊と契約している。そんな存在がロゴスにいること自体、納得できません」
周囲がざわつく。
廊下の向こうから、他の生徒たちもこちらを見始めていた。
アレンは頭をかいた。
「いや、認められなくても、俺も困るんだけどな。王女殿下に入学しろって言われたんで」
「王女殿下の判断に異を唱えるつもりはありません。ですが、あなた自身がロゴスにふさわしいかどうかは別です」
「それはまた面倒な……」
ぼそりと漏れた。
グレタの眉が動く。
「何か?」
「いえ、何でもございませんこと」
「そのふざけた態度も気に入りません」
ナナティナがアレンの隣に立つ。
「アレン、これは何だ」
「たぶん、貴族令嬢式の喧嘩」
「決闘です!」
グレタが訂正する。
「本来、ロゴスの決闘は魔装を習得した者同士で行うものです。しかし、今の私はまだ魔装を使えません。ですから、通常魔法の結界を張り、その結界が解かれた方を敗北とする簡易決闘を提案します」
「へぇ」
アレンは頷いた。
「悪いが拒否します」
「な、なぜです!」
「そもそも俺、結界の張り方知らない」
グレタが固まった。
「……知らない?」
「知らない。今日ワンドもらったばっかだぞ。通常魔法の基礎もまだ習ってない」
「あなた、ウォーカー型を倒したのでしょう?」
「魔装とナナティナの力でな。通常魔法は知らん」
「そんな馬鹿な……」
「馬鹿と言われても、俺は魔法を学ぶためにロゴスに来たんだ」
アレンは肩をすくめる。
「だから決闘は無理。初日から揉めたくないんだけどね」
「逃げるのですか?」
「帰るんです。教師寮に」
「それを逃げると言います」
「めんどくさいね君」
アレンが本気で帰ろうとした瞬間、グレタはワンドを抜いた。
「では、私から結界を張ります。あなたも張りなさい」
「え、話聞いてた!?」
グレタの肩にいた鼬型精霊が、前へ出る。
風が周囲に渦巻いた。
廊下にいた生徒たちがざわめく。
アレンは顔をしかめる。
「おい、マジでやる気かよ」
「あなたがロゴスにふさわしくないことを証明します」
「あー……ナナティナ」
「なんだ」
「魔装したらまずいよな?」
「まずいと思うな」
「だよなぁ……」
アレンが困っていると、グレタが命じた。
「精霊魔法で行きます。行きますわよフィーネ!」
鼬型精霊フィーネが身を低くする。
風が刃のように集まる。
だが。
精霊は動かなかった。
「……フィーネ?」
グレタが怪訝そうに声をかける。
フィーネは、ナナティナを見ていた。
じっと。
警戒とも畏怖とも違う、不思議な様子で。
そして、ゆっくりと首を横に振った。
「な、なぜ?」
グレタが目を見開く。
「攻撃しなさい」
フィーネは動かない。
むしろ、一歩後ろへ下がった。
ナナティナは首を傾げる。
「私は嫌われていないようだ」
「いや、そういう問題なのか?」
廊下の空気が変わる。
グレタは焦ったように精霊を見る。
「フィーネ、どうしたの。命令よ」
フィーネは小さく鳴く。
しかし、攻撃しない。
ナナティナへ向けて、風の刃を放とうとしない。
その様子を見て、アレンは思い出した。
ナナティナは普通の精霊ではない。
自分でもまだ分かっていない。
だが、精霊たちにとって何か特別な存在なのかもしれない。
「なら通常魔法で!」
そこへ、柔らかな声が割って入った。
「そこまでになさいませ」
セレッサだった。
彼女の隣にはユリーカもいる。
セレッサは穏やかな微笑みを浮かべているが、その目は静かに場を制していた。
「グレタ様。廊下での私的な決闘は、ロゴスの規律に反しますわ」
「せ、セレッサ殿下……」
グレタは唇を噛んだ。
「ですが、私は」
「お気持ちは分かります。けれど、決闘には手続きと許可が必要です。まして本日は入学初日。精霊と契約したばかりの状態で、感情のまま戦うのは危険です」
セレッサの声は柔らかい。
だが、逃げ道を塞ぐような強さがあった。
「あなたの精霊も、今は戦いを望んでいないようですし」
グレタはフィーネを見る。
イタチ型精霊は、やはりナナティナへ攻撃しようとしない。
むしろ、どこか困ったようにグレタを見上げていた。
「……分かりました」
グレタはワンドを下ろした。
だが、その目はまだアレンを睨んでいる。
「今日のところは引きます。ですが、私はあなたを認めたわけではありません」
「別に急いで認めなくてもいいけどな」
「その態度が気に入らないと言っているのです!」
「すみませんね」
「ふざけないでください!」
「そういう性分です。……虚勢を張ってないとやっていけないんで」
グレタは怒ったまま背を向けた。
取り巻きたちも慌てて後を追う。
フィーネだけは一度ナナティナを振り返り、小さく頭を下げるような仕草をしてから去っていった。
廊下に残った空気は、何とも言えないものだった。
セレッサがアレンへ向き直る。
「大丈夫でしたか、アレン様」
「助かりました。正直、どうしたらいいか分からなくて」
「初日から決闘沙汰は、少し刺激が強すぎますものね」
「少しどころじゃないですぜ」
ユリーカが冷静に言う。
「ですが、アレン殿にも問題があります」
「え、俺?」
「不用意な発言が相手を刺激しています」
「それは……否定しづらし、難しい」
「それと、逃げるならもっと上手く逃げるべきです」
「助言が実戦的すぎる!?」
セレッサはくすりと笑った。
ナナティナは、去っていったグレタたちの方を見ていた。
「アレン」
「何だ」
「あの精霊は、私を攻撃しなかった」
「まぁそうだな」
「なぜだろう」
「俺が聞きたいよ」
アレンは小さく息を吐いた。
ロゴス入学二日目。
最初の授業。魔道具の異常変質。
精霊召喚。そして、決闘未遂。
もう十分すぎるほど濃い。
それでも、これはまだ始まりにすぎないのだろう。
アレンは、白く変わったワンドを見下ろした。
自分の力。
ナナティナの存在。
精霊たちの反応。
周囲の視線。
分からないことは増えるばかりだった。
「……ロゴスは、こえぇな」
廊下の向こうでは、まだ多くの生徒がこちらを見ていた。
好奇。警戒。反発。
そして、わずかな畏怖。
アレン・レグロスのロゴスでの日々は、平穏とは程遠いものになりそうだった。