海軍中将・丹花イブキ提督   作:ていん?が〜

15 / 21
第15話『僕たちのこの力は、もう人間を傷つけるためのものじゃない』

 盤喪鎮守府の正門前に、初夏の終わりの、どこか寂しげな夕暮れの光が満ちていた。

 茜色に染まる水平線を見つめながら、2つの異形なる影が、長らく慣れ親しんだ敷地の一歩手前で立ち止まっていた。

 

 戦艦棲姫(せんちゃん)と、戦艦レ級(レーちゃん)

 

 彼女たちの両手首から、あの日彼女たちを縛り付けた鈍い銀色の『腕輪』は、すでに綺麗に取り外されていた。

 金剛の手によって枷を解かれ、艤装も完全に修復された2人は、名実ともに、いつでも人類を滅ぼすための牙を剥くことができる『最凶の深海棲艦』へと戻っていた。

 だが、今の2人の瞳に、かつて世界を焼き尽くそうとしていたドス黒い憎悪の光は、一滴すらも残されてはいなかった。

 

「……せんちゃん、レーちゃん。本当に行っちゃうの?」

 

 門の前に立ち、大きすぎる純白の軍服の萌え袖をぎゅっと握り締めながら、丹花イブキが寂しそうな声で二人を見上げた。

 頭上のヘイローは、彼女の心の翳りに同期するように、ぽつり、ぽつりと、どこか頼りなく淡い光を明滅させている。

 

 隣に立つ『提督補佐当番』の時雨が、そっとイブキの小さな肩に手を添えて支えていたが、イブキの黄金の瞳には、今にも零れ落ちそうなほどの涙が溜まっていた。

 

「はい、イブキ提督」

 

 せんちゃんは、長い白髪を潮風に揺らしながら、ゆっくりとイブキの前に膝をついた。その仕草には、もはや魔王に怯える捕虜の卑屈さなど微塵もない。

 ただ1人の、自分たちを闇から救い出してくれた偉大な少女への、心からの敬意が溢れていた。

 

「私たちは、海へと戻ります。あなたが教えてくれた『和睦』という奇跡の光を、まだ冷たい海の底で狂気に狂っている同胞たちに伝えるために。……だから、これは悲しいお別れではないのです。私たちが、あなたの『和睦の軍勢』として、世界中の海を平和で満たすための、始まりの第一歩なのですから」

 

「そうだよ、提督!」

 

 レーちゃんもまた、イブキの前に膝をつき、異形の尾鰭を静かに芝生へと伏せた。

 

「僕たちのこの力は、もう人間を傷つけるためのものじゃない。君が信じてくれたから、僕たちは新しい命を貰えたんだ。だから、泣かないで? 君の笑顔が曇っちゃったら、僕たち、お空の星になっちゃうくらい悲しいんだから」

 

「……うん。イブキ、泣かないもん。ちゅうじょうだもん」

 

 イブキは一生懸命に涙を堪え、健気に笑おうとした。

 

 そのあまりにも愛らしく、切ない姿に、せんちゃんとレーちゃんは、どちらからともなく手を伸ばし、イブキの小さな身体をぎゅっと、優しく抱きしめた。

 深海棲艦の、少し冷たい、けれど今や確かな『心』の温もりが宿った腕が、イブキを包み込む。

 せんちゃんは、長い指先でイブキの綺麗な金髪を何度も、何度も優しく撫でた。

 

「ありがとう、イブキ提督。私たちの、小さくて、世界一偉大な、可愛い提督……」

 

「また絶対に会おうね、約束だよ!」

 

 2人は最後に、イブキの小さな小指と自分たちの小指をもう一度だけ固く絡ませると、意を決したように立ち上がり、振り返ることなく夕暮れの海へと足を踏み入れていった。

 波飛沫の向こうへと消えゆく2つの影を、イブキは大きすぎる軍服の袖をちぎれんばかりに振りながら、いつまでも、いつまでも、大声で見送っていた。

 

「バイバイ、せんちゃん! バイバイ、レーちゃん! また一緒に、コンちゃんのクッキー食べようねーーーっ!!!」

 

 

 

 

 

 深海の迷い子たちを見送り、すっかり夜の帳が下りた頃。

 

 盤喪鎮守府の廊下には、まだ少し名残惜しそうにトコトコと歩くイブキの姿があった。

 

「オーウ、イブキ! せんちゃんたちがお土産に置いていった深海の綺麗な貝殻、私が食堂の特等席に飾っておきマシタよ! 早く行って、ルックしてきなサイ!」

 

「わあ! 本当!? コンちゃん、イブキ、真っ先に見に行く!」

 

 金剛の陽気な声に、イブキは一瞬で元気を取り戻し、萌え袖をフリフリと揺らしながら、廊下の奥の食堂へとタタタッと走っていってしまった。

 

「……ふふ、本当に現金な子。でも、あの笑顔が戻ってよかったわね」

 

 陸奥がクスリと笑い、イブキの背中を追うように食堂へ歩き出そうとした。

 加賀、榛名、摩耶、天龍、そして時雨も、それに続いて足を動かそうとする。

 

「――オーウ、ユーたち。ちょっとストップデース」

 

 唐突に、金剛の声が響いた。

 

「……金剛お姉様? どうかいたしましたか?」

 

 榛名が、不思議そうに小首を傾げて振り返った。時雨も、足を止めて金剛の顔をじっと見つめる。

 

 金剛は、6人が完全に廊下の中央で立ち止まったのを確認すると、何食わぬ顔で、食堂へと繋がる重厚な樫の木の扉の前に立った。

 そして、ガチャン、と重々しい金属音を響かせ、扉の鍵を内側から完全に閉めてみせたのだ。

 

「おいおい、何すんだよ姐御。飯の前に、おふざ………」

 

 摩耶が冗談めかして言ったが、それより先の言葉が紡がれることはなかった。

 

 金剛が、ゆっくりと振り返る。

 

 その瞬間、彼女の周囲の空気が、ドス黒く、そして肉眼で見えるほどの圧倒的な『漆黒の圧力』によって激しく歪んだ。

 

 レベル5000。神をも殺せる、世界最強の具現体が放つ本気の殺気。

 

 廊下の壁がミリミリと悲鳴を上げ、電球の光がチカチカと恐怖に怯えるように明滅する。

 

 そして――金剛は、その美しい唇を開いた。

 

 

「……さて。ここからは、『大人の時間』よ」

 

 

 低く、冷徹で、凛とした、完全な『夜の絶対王者』の声音。

 

 その場にいた陸奥、加賀、榛名、摩耶、天龍、時雨の6人は、一瞬にして全身の毛穴が逆立つような猛烈な戦慄に襲われ、直立不動のまま完全に硬直した。

 

 彼女たちが今まで見てきた金剛は、イブキを溺愛し、エプロン姿で料理を振る舞い、カタコト言葉で笑う、どこか親しみやすい母親だった。

 だが、今目の前に立っているのは、かつて大本営を恐怖に陥れ、世界すべてを呪い、皆殺しにしようとしていた、あの『狂気の戦艦・金剛』の、剥き出しの本性だった。

 

「ひっ……!?」

 

 榛名が、憧れのお姉様の見たこともない恐ろしい姿に、息を呑んで胸元を押さえる。

 加賀の鉄面皮も激しく歪み、陸奥の瞳からは蠱惑的な余裕が完全に消え失せていた。

 摩耶と天龍は、本能的に艤装の引き金に手をかけようとしたが、金剛の放つ圧倒的なプレッシャーの前に、指一本動かすことすらできなかった。

 時雨も、冷たい汗を額から流しながら、必死に金剛の暗黒の瞳を睨み返している。

 

 金剛は、冷たい将校用コートの裾を微かに揺らしながら、6人の顔を一人一人、射殺すような視線で見据え、静かに言葉を続けた。

 

「……今さっき、あの2体の深海棲艦――戦艦棲姫と戦艦レ級を、この盤喪鎮守府から無傷で『解放』したわね。……これがどういう意味か、海軍の法律を叩き込まれたあなたたちなら、嫌というほど理解できているはずよ」

 

 金剛の一言一言が、鋭い氷の刃となって6人の鼓膜を突き刺す。

 

「人類の敵を捕虜にし、あまつさえそれを独断で海へと還した。これは大本営に対する完全な【国家反逆罪】。もしもこの事実が、外の、あの腐りきった老人たちの耳に一言でも漏れてみなさい。……その瞬間に、この鎮守府は軍法会議にかけられ、あなたたち6人は全員、即座に解体・廃棄処分になるわ」

 

 金剛は一歩、前に踏み出した。ドン、と地鳴りのような衝撃が廊下を走る。

 その瞳の奥には、イブキを脅かすものすべてを、たとえ世界そのものであろうとも噛み殺してやるという、狂気的なまでの執念の炎が揺らめいていた。

 

「私はね、あなたたちがどうなろうと、海軍が滅びようと、これっぽっちも興味はないの。私のすべては、私の命も、艤装も、この血の一滴に至るまで、すべては『イブキの笑顔』を守るためだけに存在している。……だから、口止めをさせてもらうわ。あの2体のこと、そしてイブキが目指す『和睦』という禁忌の道について、外の者に少しでも漏らした者がいれば――」

 

 金剛は、自らの白く美しい右手を、冷徹に6人へと突きつけた。

 

「……その瞬間に、あなたたちの魂ごと、この世界から一切の痕跡を残さず消し炭にしてあげる。分かったかしら?」

 

 それは、生半可な脅しではなかった。レベル5000の彼女なら、本当にそれを一瞬で実行できるだけの力がある。

 

 誰もが、金剛のあまりの迫力と恐怖の前に、言葉を失って平伏する

 

 

 はずだった。

 

 

「……あらあら、金剛さん。随分とお姉さんたちを安く見てくれたものね」

 

 沈黙を破ったのは、陸奥だった。

 

 彼女は、額に冷たい汗を滲ませながらも、ふっと、これ以上ないほど不敵で、誇らしげな微笑みをその唇に浮かべたのだ。

 

「何……?」

 

 金剛が、微かに眉をひそめる。

 

「当然でしょう、そんなこと」

 

 次に言葉を発したのは加賀だった。彼女は静かに腕を組み、一歩も引かない確固たる決意を込めて金剛を見据えた。

 

「私たちは、ただ生かされているだけの操り人形ではないわ。あの子の……イブキ中将の、あの清らかで温かい願いを目の当たりにして、今更大本営の老人たちに魂を売るような真似をする艦娘が、この盤喪鎮守府にいるとでも思っているのかしら?」

 

「そうだぜ、姐御!」

 

 摩耶が、金剛の威圧を力ずくで跳ね返すように、ニカッと豪快に笑ってみせた。

 

「アタシらはよぉ、イブキ中将のためなら、大本営だろうが深海棲艦だろうが、全員纏めてブッ飛ばすって、とっくに決めてんだよ! 脅しなんて必要ねぇ、アタシらの口から漏れるわけがねぇだろ!」

 

「榛名も、お姉様と提督の目指す未来を、命に代えても守り抜きます!」

 

 榛名が、恐怖を完全に乗り越えた真っ直ぐな瞳で、金剛を仰ぎ見る。

 天龍も「おうよ、俺たちの背中を預かるボスを、裏切るような奴はいねぇさ!」と大笑いした。

 

 最後に、時雨が1歩前に出て、金剛の目を真っ直ぐに見つめた。

 

「……僕たちの幸運は、提督のためにあるんだ。雨が降っても、僕たちが彼女の傘になる。金剛、君1人に、すべての重荷を背負わせたりはしないよ。僕たちを……『家族』を、もっと信じてよ」

 

 6人の艦娘たちの、一切の迷いもない、魂からの言葉。

 

 彼女たちは、金剛のレベル5000という絶対的な恐怖の前に屈したのではない。

 丹花イブキという小さな太陽によって救われ、彼女の目指す未来に、自らの意思でその命を賭けることを、とっくに『当然の義務』として受け入れていたのだ。

 

 その6人の姿を見た瞬間――。

 

 金剛の暗黒の瞳に、一瞬の、驚愕の色が走った。

 

 そして……彼女の放っていた凄まじい殺気が、まるで嘘のように、一瞬にして綺麗さっぱりと霧散していった。

 

「……オーウ! ユーたち、本当に、本当に最高デーーース!!!」

 

 次の瞬間、金剛はいつもの陽気な『お母さん』へと一瞬で切り替わり、ガハハ! と廊下全体に響き渡るような豪快な笑い声を上げた。

 そして、猛スピードで突進すると、呆気にとられている陸奥、加賀、榛名、摩耶、天龍、時雨の6人を、その長い両腕でまとめて強引に、ぎゅーーーっと力任せに抱きしめたのだ。

 

「お、お姉様!? 苦しいです、苦しいですが……すっごく温かいです……っ!」

 

 榛名が顔を真っ赤にして悶絶し、陸奥も「あらあら、本当に極端な人ねぇ」と苦笑いする。

 加賀や時雨も、金剛の規格外の腕力に圧されながらも、その胸の中にある、絶対的な『信頼』の温もりに、ふっと柔らかく微笑んでいた。

 

「私は、ユーたちのそのハートを信じてマシタよ! これで、この盤喪鎮守府は、誰にも破れない世界一の『最強の要塞』になりマシタ! さあ、お喋りは終わりデース! 鍵を開けて、待っている私の可愛いイブキの元へ、最高のディナーを食べにレッツゴーデーーース!!!」

 

 金剛はガチャンと鍵を開けると、最高の笑顔で扉を押し開けた。

 

 廊下の奥からは、「コンちゃん、みんな、遅いよー! 早くご飯食べよう!」という、イブキの愛らしい声が響いてくる。

 

 裏の顔も、表の顔も、すべては1人の愛娘のために。

 

 最強の王者が率いる、命を賭けた秘密の絆。盤喪鎮守府は、大本営という巨大な闇を欺きながら、世界で一番温かく、そして絶対に壊れない『家族』の航路へと、力強くその舵を切ったのだった。




次は20時5分に投稿します。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。