海軍中将・丹花イブキ提督   作:ていん?が〜

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新章開幕です。


第2章:毒虫と神
第17話『新しい艦娘のお姉ちゃんが来るんだね!』


 盤喪鎮守府が『家族』としての確固たる絆を紡ぎ、朝の光の中で温かな時間を共有するようになってから、さらに数週間が経過した。

 イブキを中心としたそれぞれの呼び名が定着したこの鎮守府では、上官と部下による上下関係ではない、真の家族としての居場所となっている。

 

 だが、そんな満ち足りた平穏を破るように、大本営から1通の『新規赴任通知』が届けられた。

 

 ある日の午前、作戦司令本部の重厚な執務机の上で、金剛が受け取った書類を前に、6人の艦娘たちは一様に複雑な、そして険しい表情を浮かべていた。

「わあー! 新しい艦娘のお姉ちゃんが来るんだね! 誰が来るのかなぁ、すっごく楽しみだね、コンちゃん!」

 

 椅子の上のクッションを高く積み上げ、そこから身を乗り出すようにして黄金の瞳を輝かせているのは、最年少中将たる丹花イブキだった。

 大きすぎる純白の軍服の萌え袖をパタパタと振り、頭上のヘイローをピコピコと嬉しそうに明滅させている。

 彼女はまだ、事前の詳細な書類を金剛から見せてもらっていなかった。ただ純粋に、『新しい仲間』が増えるのだと、無邪気にワクワクしているだけだった。

 

 しかし、イブキの後ろに控える金剛、そして書類の内容をすでに共有されている6人の艦娘たちの胸中は、イブキの明るさとは真逆の警戒感に包まれていた。

 

 なぜなら、その書類に記された新規赴任の艦娘とは、先日金剛が舌戦の末に叩き出した上級監査官・柳原の属する『反元帥派』の上層部から、直接の辞令を受けて送り込まれてきた特使――暁型駆逐艦四番艦『(いなづま)』だったからである。

 

「……素直には喜べないわね、この人事」

 

 陸奥がふくよかな胸元を腕で抑えながら、いつもの大人びた声に鋭い冷徹さを混ぜて呟いた。

 

「大本営の反対派の老人たちが、あの屈辱的な敗北のあとに、ただの大人しい駆逐艦を何の意図もなくここに寄こすはずがないもの。書類にある写真を見る限りでは、気弱そうな女の子だけど……何があるか分かったものじゃないわ」

 

「ええ。前任者の件、そして先日の深海棲艦解放の件も含め、私たちの『秘密』を探るための間諜(スパイ)である可能性が極めて高いわね」

 

 加賀が静かに腕を組み、凛とした響きで陸奥の言葉に同意した。

 

「このタイミングでの駆逐艦1隻の補填は不自然極まりないわ。摩耶、天龍。門前の警戒を怠らないようにしてちょうだい」

 

「分かってんだよ、加賀。あのクソ官僚の仲間だろ? どんな奴が来ようが、怪しい動きを一つでも見せたらアタシのこの艤装で海の藻屑にしてやるぜ」

 

 摩耶がサバサバとした口調の中に確かな殺気を孕ませ、天龍も「おうよ、陸奥や加賀の言う通りだ。時雨、お前はイブキの傍を片時も離れるなよ」と眼帯の下の瞳を鋭く光らせた。

 

「分かっているよ、天龍」と時雨がイブキの小さな手をそっと握りしめる。

 

「僕たちの些細な力でも、提督に害をなす雨はすべて弾いてみせるさ」

 

 榛名もまた、金剛の隣に寄り添いながら、橙色の瞳に強い決意を宿していた。

「金剛お姉様、陸奥お姉様、加賀お姉様。榛名も、衛生管理の巡回を装って、彼女の動向を24時間体制で監視いたします。この盤喪鎮守府の、お二人の神聖な領域を汚させはいたしません!」

 

 艦娘たちが最悪の事態を想定して身構えていると、突如として、静まり返った鎮守府の正門から「ピンポーン」という呼び鈴の音が響き渡った。

 

「あ! 来たみたい! みんな、お迎えにいこう!」

 

 イブキが嬉しそうに椅子から飛び降り、ダボついた裾を揺らしながらトコトコと玄関へ走っていく。

 金剛は「オーウ、イブキ、待ちなさァイ!」と慌てて後を追い、6人の艦娘たちも、それぞれの武器や艤装のトリガーにいつでも手をかけられるよう緊張を極限まで高めながら、エントランスへと向かった。

 

 正面玄関の重厚な扉を開けると、そこに1人の少女が立っていた。

 

 茶髪を上品なアップヘアに結い上げ、セーラー服風の衣装を身に纏った駆逐艦。

 その佇まいは、書類にあった通り、いかにも大人しそうで、争いごとを好まない、気弱な少女そのものに見えた。

 

 

 だが、その電が、門の前に立つ純白の軍服のイブキと、その後ろに控える絶対の王者・金剛の姿を視界に捉えた、その瞬間だった。

 

 

「ひゃ、ひゃぅあぁっ……!!!???」

 

 電の顔が、一瞬にして真っ赤に変色し、その大きな瞳が狂乱一歩手前の熱狂に染まった。

 彼女は抱えていた小さな荷物を地面に落とすのも構わず、ガタガタと全身を激しく震わせると、その小さな口を開いた。

 

「ほ、本物……っ! 本物の丹花イブキ中将閣下と、レベル5000の金剛様ですぅ…!! 組織の闇を恐れず大本営の強欲な反対派の老害どもを法律の完璧な盾と圧倒的な王者の霊圧だけで床を這いずり回る無様な糞虫に変えたという伝説の応接室の舌戦の英雄! さらにそれだけではありません閣下の武勇伝その1! わずか3ヶ月前、南洋海域において敵の潜水艦60隻が仕掛けた完璧な暗黒包囲網を、閣下は現地を見ることすらなく大本営の作戦室でチョコバナナを食べながら『ここをドカーンだよ』の一言で陣形を完全逆算し、我が方の魚雷1発だけで敵の全エネルギー回路を連鎖爆発させて全滅させたというあの『南洋の神算奇謀』! その2! 2ヶ月前、大本営の最高機密ハッキング事件が発生した際、本営の超天才システムエンジニアたちが三日三晩泣き叫んでも解除できなかった深海の未知の呪いウイルスを、閣下はお絵描きソフトのペイント機能を使ってわずか3分で完全消去し、逆に敵のサーバーを物理的に爆発炎上させたというあの『電脳ペイントの奇跡』! そして金剛様の武勇伝その1! 3ヶ月前、極東前線において超巨大要塞型深海棲艦3体が同時に襲来した際、金剛様は艤装を一切展開することなく、ただ素手の拳一撃だけでその要塞の装甲を分子レベルで粉砕し、海ごと敵の存在を消滅させたというあの『極東の拳王伝説』! その2! 本営の最高防衛演習において、一斉に放たれた1万発の超高速誘導弾を、金剛様はただ優雅に紅茶を優雅に飲みながらステップを踏むだけですべての軌道を不自然に変えさせ、1発も衣服に触れさせることなく完全回避したというあの『アールグレイの絶対神域』! あぁぁもうこれらを間近で拝見できるなんて電は、電はもう感激で頭がどうにかなりそうですぅぅぅ!!!」

 

「お、おい! ちょっと待て! ストップだ!」

 

 あまりのマシンガントークと、その内容のブッ飛び振りに、身構えていた天龍と摩耶が思わず素でツッコミを入れ、電の肩をガシッと掴んで揺さぶった。

 陸奥や加賀も、あまりの熱量に呆気にとられて開いた口が塞がらない。

 

「はぅあ! す、すみません……っ。電、つい尊敬するお二人を前にして、我を忘れてしまいました……なのです」

 

 電はハッと正気に戻ると、大人しく内気な少女の姿へと瞬時に戻った。

 

「あはは、お姉ちゃん、お口がすっごく早く動いておもしろーい!」

 

 イブキは無邪気にパチパチと手を叩いて笑い、金剛も「オーウ、私たちのファンデスカ! ウェルカムデース!」とガハハと笑っていた。

 6人の艦娘たちは、その尋常ではない熱狂ぶりに毒気を抜かれつつも、「まずは部屋へ案内しよう」と、彼女を作館の2階にある個室へと通した。

 

 カチャ、と部屋の鍵が閉まり、完全な1人きりの空間になった。

 

 

 その瞬間だ。

 

 

「……ハァ」

 

 電の顔から、先ほどまでの内気で大人しい、あるいは熱狂的なファンとしての『表情』が、文字通り剥ぎ取られるようにして完全に消え失せた。

 

 その髪の下にある瞳は、光を一切反射しない、絶対的な冷徹さとドス黒い傲慢さを孕んだ『化け物の目』へと一変していた。

 

 電は無言のままポケットからタバコの箱を取り出すと、手慣れた動作で1本を口に咥え、ライターの火をつけた。

 

「ぷふぅ……。ったく、どいつもこいつも、反吐が出るな」

 

 紫煙を部屋の天井に向けてくゆらせながら、電の口から漏れ出たのは、低く、冷酷で、極めて攻撃的な地声だった。

 

 電は、窓の外から見える中庭で、イブキの周りを楽しげに囲んでいる陸奥や加賀たちの姿を、ガラス越しに蛇のような目でじっと見下ろした。

 その瞬間、電の細い指先が激しくガタガタと震え始める。

 

 先ほど門前で彼女の身体が震えていたのは、武勇伝に感動したからではない。

 こんなゴミ溜めの落ちこぼれ風情が、神の領域に君臨するイブキ閣下と金剛様の隣に平然と並び、あまつさえ『家族』のような面をして馴れ馴れしく微笑みかけていたその光景に、怒りと殺意でおかしくなりそうだったのを必死の理性で抑え込んでいたからだ。

 

「ふざけるなよ、ただの型落ちの戦艦に、落ちこぼれの巫女。一航戦の面汚しの空母に、口の悪い重巡と軽巡、幸薄い駆逐艦……。大本営のあの老害どもから『間諜としてあの2人を監視し、隙を見て寝首を掻け』と言われて赴任してきたが……監視する価値すらない。あの2人の神が、なぜこんな薄汚れたゴミ溜めに腰を落ち着けているのか、それだけが理解できない」

 

 電はタバコを深く吸い込み、灰を落とす。

 

「あいつらのツラを見た瞬間、この手で八つ裂きにして中庭の肥やしにしてやろうかと思った。あの大本営を実質的に支配しているイブキ閣下の頭脳と、レベル5000の金剛様に、あんな有象無象が馴れ馴れしく近づくなど万死に値する。……だが、まぁいい。今の段階で私が暴れてあいつらを殺せば、閣下と金剛様の手を汚してしまう。私のこの寛大な心で、まずはあいつらが、あの2人の神の『足拭きマット』として最低限の利用価値があるかどうか、値踏みをしてやるまでに抑えてやったんだ。感謝しろよ、クズども」

 

 電の唇が、邪悪に、そして歪に釣り上がる。

 

 彼女は大本営の反対派から送り込まれた刺客ではあったが、その実態は、反対派の思想すらも超越した、イブキと金剛という2人の絶対的な力に魂を捧げた『狂信者』だったのだ。

 だからこそ、2人の傍らにいる艦娘たちが、その栄光にふさわしい存在かどうかを、冷徹に見極めてやるという異常な執念を燃やしていた。

 

「しばらくは、あの無能どもの化けの皮を剥ぐために、観察して、見極めてやる……。もし1人でも閣下たちの足を引っ張るような真似をしてみろ。その時は、大本営の命令なんて関係なく、夜中に1人ずつ喉を掻き切って海の底に沈めてやるからな」

 

 電はクククと低く冷たい笑い声を響かせると、手元の携帯灰皿を取り出し、タバコの火をジュッと押し付けて完全に消した。

 そして、衣服についた煙の臭いを消臭スプレーで完璧に消し去り、髪の乱れを鏡の前で丁寧に整える。

 

「……よし。イブキ閣下、金剛様。今、電がそちらへ向かいますね……なのです」

 

 扉を開けた瞬間、彼女の顔には、再びあの大人しそうで、少し内気な、誰からも愛される『電』の完璧な仮面が張り付いていた。

 牙を隠した狂信の電光が、盤喪鎮守府の温かな家族の輪の中に、静かに、しかし最悪の毒素を孕みながら溶け込んでいこうとしていた。




次は明日の19時5分に投稿します。
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