海軍中将・丹花イブキ提督   作:ていん?が〜

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続きました。出来次第の不定期投稿です。


第2話『みんなでご飯を食べるよ!』

 鎮守府の台所からは、ほどなくしてトントンと小気味よい包丁の音が響き始めた。

 

 それと同時に、長らくまともな食料が運び込まれていなかったはずの建物から、バターと出汁が混ざり合った、暴力的とも言えるほどに香ばしい匂いが漂い始める。

 金剛が持ち込んだ最高級の配給資材と彼女自身の規格外の主計能力が錆びついた厨房を瞬く間に一流ホテルの調理場へと変貌させていた。

 

 その間、着任したばかりの海軍中将、丹花イブキ提督は退屈することを知らない妖精のように、すっかり荒れ果てた鎮守府の中庭を一人でトコトコと歩き回っていた。

 

 白い軍服のダボついた裾を揺らし、大きすぎる提督帽がズレないように時折小さな手で押さえながら、彼女は地面に積もった枯れ葉の山を見つけて目を輝かせる。

 

「あ、大きい葉っぱ! ……えいっ!」

 

 小さな黄色いブーツが乾いた落ち葉を踏み締めると、サクッ、クシャッと心地よい音が響く。

 ただそれだけのことが、11歳のイブキにとっては最高に楽しい遊びだった。

 

「サクサク、クシャクシャ……あはは、おもしろーい! こっちにもいっぱいあるよ!」

 

 彼女のヘイローが、その無邪気な感情に同期するようにピコピコと優しく明滅する。

 前任者が残していったドス黒い怨念や、この場所に漂う絶望の重さなど、彼女の圧倒的な天真爛漫さの前には、まるでないも同然だった。

 

 そんなイブキの後ろ姿を、庁舎の影からじっと見つめる6人の影があった。

 

「……信じられないわね」

 

 最初に口を開いたのは加賀だった。普段は感情を表に出さない彼女だが、その美しい横顔には隠しきれない困惑が滲んでいる。

 

「あの大英雄、金剛があんな幼い子供を肩車して、あまつさえ母親のように振る舞うなんて……私の知る海軍の常識が、根底から覆りそうだわ」

 

「そう、ですよ……ね。私、同じ金剛型の三女として、ずっと『あの方』への憧れを抱いていましたが……」

 

 榛名が、自分の胸元に巻かれた薄汚れたさらしを握り締めながら、消え入りそうな声で呟いた。

 

 彼女の瞳には、深い劣等感の色が混ざっている。

 

「でも、私は数ある金剛型の中でも戦果を挙げられなかった、ただの落ちこぼれ。本物の金剛お姉様に、お会いしたことすらありませんでした。あんなに神々しくて、圧倒的な強さを持つ方が、なぜ……」

 

「ブツブツ言ってても始まらねぇだろ」

 

 摩耶が忌々しそうに頭を掻いた。

 

「問題は、あのガキが本当に『中将』だってことだ。あんなおままごとみたいな格好した幼女が、海軍のトップに近い階級を持ってるなんて、裏に何か巨大な陰謀があるに決まってるぜ」

 

「ああ、間違いないね」

 

 時雨が、冷たい風に身を縮めながら同意する。

 

「僕たちの前任者だって相当な悪党だったけど、今回の件はもっと根が深そうだ。あの子供は、何か恐ろしい実験の被検体か、あるいはどこかの最高権力者の血縁……。どちらにせよ、あの金剛が直属の護衛に就いている時点で、僕たちが口を挟める領域じゃないよ」

 

「だったら、直接本人から聞き出せばいいじゃねぇか」

 

 天龍が刀の柄を小突きながら、隣に立つ陸奥へ視線を送った。

 

「おい、陸奥。お前のその『お姉さんスキル』で、あのガキをちょっと転がしてきな。子供なんて、優しく甘やかしてやりゃあ、何でもベラベラ喋るもんだろ?」

 

 陸奥は、ふっと妖艶な、しかしどこか自嘲気味な笑みを唇に浮かべた。

 

「あら、私にスパイの真似事をしろっていうの? ……いいわ、面白そうじゃない。あの子がどんな秘密を抱えているのか、お姉さんが優しく暴いてあげる」

 

 陸奥は仲間たちにパチン、とウインクをすると、ゆっくりと中庭へ向かって歩き出した。

 他の5人は、彼女の背中を見守りながら、庁舎の柱の陰に身を潜める。

 

 サクサク、とイブキが楽しそうに落ち葉を踏み鳴らしているところへ、陸奥は極めて自然に、そして最大限の優しさを声音に込めて近づいていった。

 

「ねぇ、イブキちゃん?」

 

 陸奥はイブキのすぐ後ろで立ち止まると、大人の背丈のまま見下ろすのではなく、自身の膝を地面に突き、イブキの128センチという小さな目線と全く同じ高さまで上体を下げた。

 

 活動的なショートヘアから、大人の女性特有の甘い香りがふわりと漂う。

 かつて多くの提督や軍官たちをその色香で翻弄してきた陸奥の、本気の「お姉さんモード」だった。

 

 イブキは名前を呼ばれてピクッと肩を揺らし、振り返った。

 

 目の前にいる綺麗な大人の女の人の顔を見て、少しだけ不思議そうな顔をしたが、すぐに恐怖心など忘れて満面の笑みを浮かべた。

 

「なぁに、お姉ちゃん? イブキとお葉っぱ踏み踏みする?」

 

 その、あまりにも邪気のない『お姉ちゃん』という響きに、陸奥の胸の奥がドクンと跳ねた。

 だが、彼女は百戦錬磨の戦艦としての理性を保ち、さらに声をワントーン落として、囁くように問いかける。

 

「ふふ、お葉っぱ踏み踏みも楽しそうね。でもね、お姉さん、ちょっとイブキちゃんに聞きたいことがあるの」

 

 ポカンとするイブキの瞳を陸奥が見据える。

 

「……あなた、本当は『何者』なのかしら? どうして、あの世界で一番強い金剛さんがあなたの言うことを何でも聞いてあなたに従っているの?」

 

 イブキは小首を傾げ、黄金の瞳をぱちくりとさせた。

 

「それにね」と陸奥はさらに顔を近づけ、イブキの白い軍服の襟元にある立派な中将の階級章を優しく指先でなぞった。

 

「どうしてこんなに小さくて可愛いのに、そんなに偉い階級を持っているのかしら。……誰も見ていないからお姉さんにだけ、こっそり教えてくれない?」

 

 完璧な誘導尋問だった。子供特有の自己顕示欲を刺激し、秘密を共有することで距離を縮める、大人の高度な交渉術。

 

 イブキは、陸奥の整った顔をじっと見つめ、

 

「えーっとね、それはねー……」

 

 と、素直に言葉を紡ぎかけ――。

 

 

「ハッ!」

 

 

 突然、イブキは何かを思い出したように、両手で自分の小さな口をぎゅっと塞いだ。

 

 ダボついた白い袖が、彼女の顔の半分を覆い隠す。イブキは周囲をキョロキョロと見回し、誰もいないことを確認すると陸奥に向かって「ちょっと耳を貸して」というように手をちょいちょいと動かした。

 

 陸奥は「かかったわ」と内心で確信しながら、耳をイブキの小さな唇へと近づける。

 

 すると、イブキは陸奥の耳元にその小さな顔を限界まで寄せ、かすれるような、けれど一生懸命なヒソヒソ声で話し始めた。

 

「あのね……内緒だよ? コンちゃんがね、イブキのまわりのこと、『誰にも言っちゃダメ』だって言ってたの。言ったら、『わるい人にイブキが連れていかれちゃうから』って。……だから、ごめんね、お姉ちゃん。イブキ、コンちゃんとの約束、まもりたいの」

 

 言い終えると、イブキは少し申し訳なさそうに、けれど決意に満ちた目で陸奥をじっと見つめてきた。

 

 

 その瞬間。

 

 

 陸奥の脳内に、言葉では表現できないほどの、とてつもない衝撃が走った。

 

「(な、何……この、胸の奥から湧き上がってくる感情は……!?)」

 

 それは、これまでに経験したことのない、狂おしいほどの母性本能の揺さぶりだった。

 

 ただ単に「秘密を守る健気な子供」というだけではない。自分を全面的に信頼し、同時に大好きな保護者との約束を一生懸命に守ろうとするその純真無垢な魂の輝き。

 

 ダボダボの軍服に身を包みながら、必死に「良い子」であろうとするイブキの姿が、陸奥の心の中にあった「絶望」や「猜疑心」といった澱みを、一瞬で綺麗に消し去っていくのを感じた。

 

 ……守りたい、この子を。何があっても…自分の手で守り抜きたい。

 

 気付けば陸奥はスパイの任務など完全に忘れ去り、ただただ目の前の幼女を抱きしめたいという衝動に駆られて固まっていた。

 

「ヘーイ! イブキ、ご飯ができましたよー! ユーたちの分も用意したから、みんなで一緒にカモンデース!」

 

 鎮守府の庁舎から、拡声器でも使っているかのような金剛の元気な声が響き渡った。

 

「あ、コンちゃんが呼んでる! はーい! 今行くねー!」

 

 イブキは陸奥にパタパタと手を振ると、短い足を一生懸命に動かして萌え袖を左右に揺らしながら一目散に金剛のいる食堂へと走っていってしまった。

 

 中庭には、膝をついたまま完全に魂が抜けたような顔で放心している陸奥だけが取り残された。

 

「おい、陸奥! しっかりしろ!」

 

 柱の陰から、摩耶たちが血相を変えて飛び出してきた。天龍が陸奥の肩を激しく揺さぶる。

 

「おい、何か聞けたのか!? あのガキ、なんて言ってたんだ?」

 

 陸奥は数回パチパチと瞬きをし、ようやく現世に意識を戻した。彼女の顔は、先ほどまでの冷徹な大人の余裕を失い、どこか紅潮している。

 

「あ……、あえなく撃沈、よ……」

 

「はぁ!? お前が丸め込まれたってのかよ!?」

 

 摩耶が驚愕の声を上げる。

 

「ダメよ……。金剛が、あの子に完璧な口止めをしているわ。……でも、一つだけ確信が持てたわ。金剛が『裏ですべてをコントロール』しているのは間違いない。あの子を守るために、あの最強の戦艦がすべての糸を引いているのよ。だけど……今の段階でこれ以上あの子から話を聞き出すのは無理ね。私の心がもたないわ……」

 

 陸奥は胸元を押さえ、トロンとした目でイブキが去っていった方向を見つめた。

 

「何がコントロールだ、わけが分からねぇ……」と天龍が不気味がり、加賀は静かに腕を組んだ。

 

「……どちらにせよ、あの金剛の手料理を断るわけにはいかないわね。下手に不興を買えば、この鎮守府ごと海の藻屑よ。行きましょう」

 

 6人の艦娘たちは、ますます深まるイブキの正体への謎を胸に抱えながら、吸い寄せられるように食堂へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 食堂の扉を開けた瞬間、彼女たちは再び言葉を失った。

 

 そこは、前任者の時代にはカビと埃の臭いが充満していた薄暗い部屋だったはずだ。

 しかし今や、テーブルの上はチリ一つなく磨き上げられ、そこにはおよそこの世のものとは思えないほどの、豪華で温かい料理が並べられていた。

 

 メインは、じっくりと煮込まれた肉じゃが。大ぶりのジャガイモと人参、そして柔らかそうな牛肉から、甘辛い極上の出汁の香りが湯気となって立ち上っている。

 その横には、ふっくらと炊き上げられた純白の白米と、信じられないほど濃厚な色をしたワカメと豆腐の味噌汁。

 さらに、英国風の味付けが施された、黄金色に輝くスコッチエッグと新鮮なサラダまで添えられていた。

 

「オーウ、遅いデース! 早く席に着いてくだサイ!」

 

 金剛はエプロン姿でイブキの隣の席に座り、すでに満足げに微笑んでいる。

 

 イブキはテーブルの高さに合わせるように、椅子の上にクッションを敷いてもらい、ちょこんと座って目を輝かせていた。

 

 6人は、ごくりと唾を飲み込みながら促されるままに席に着いた。

 

「それじゃあ、みんなでご飯を食べるよ! おててを合わせて……」

 

 イブキが小さな両手を胸の前で合わせ、満面の笑みで声を張り上げた。

 

「いただきます!」

 

 金剛が「さあ、ユーたちも!」と目配せをする。楽しげながらもその鋭い視線に圧され、加賀も、陸奥も、他の面々も、一斉に手を合わせた。

 

「「「「「「……いただきます」」」」」」

 

 最初に箸をつけたのは、極限の空腹状態にあった摩耶だった。彼女は乱暴に肉じゃがのジャガイモを口に放り込む。

 

 

 次の瞬間、摩耶の動きが完全に止まった。

 

 

「な……、これ……」

 

 ホクホクとしたジャガイモから、芯まで染み込んだ優しくて深い出汁の味が、口いっぱいに広がっていく。

 それは、ただ美味しいというだけでなく、作った者の「食べる者を慈しむ心」がそのまま形になったような、圧倒的な温かさを持っていた。

 

 続いて、加賀が静かに味噌汁を口に運んだ。

 

「……っ」

 

 加賀の喉が、小さく震えた。口の中に広がるのは、かつて一航戦として栄華を誇っていた頃にも味わったことのない信じられないほど、ホッとする家庭的な味。

 

 気付けば、6人の目から、ボロボロと大粒の涙が溢れ出していた。

 

「おいしい……、おいしいよぉ……っ」

 

 天龍が、刀を握るはずの手で顔を覆い、子供のように泣きじゃくり始めた。

 

「私たち、ずっと…冷たい缶詰や、腐りかけた配給しか食べてなくて……。誰も…私たちのためにご飯なんて作ってくれなくて……」

 

 榛名も、涙で視界を滲ませながら、夢中で白米を口に運ぶ。

 

「本当に……温かいです。何年振りでしょう、こんなに心があったまる料理……」

 

 時雨は無言で、しかし涙をボロボロと机にこぼしながらスコッチエッグを噛み締めていた。

 

 絶望という深い虚無の中にいた6人の心が、金剛の作った温かい料理によって、急速に解きほぐされていく。

 それは肉体の飢えだけでなく、長い間放置されていた「魂の飢え」を完全に満たすものだった。

 

 6人は、プライドも警戒心もすべて投げ打ち、ただひたすらに、夢中になって料理を食べ進めた。

 

 金剛は、そんな彼女たちの様子をまるですべてを見通しているかのような、深く優しい微笑みを浮かべて見つめていた。

 

「コンちゃんの料理、やっぱり世界一おいしー!」

 

 イブキは口の周りに少しお醤油をつけながら、最高の笑顔で肉じゃがを頬張っている。

 

「オーウ、たくさん食べるのデース、イブキ。私はいつでも、イブキのために最高のご飯を作りますからネ」

 

 金剛はそう言うと、イブキの小さな頭を、愛おしそうに何度も何度も優しく撫でた。

 その光景は滅びかけた鎮守府の中に灯った、あまりにも眩しく、そして温かい小さな太陽のようだった。

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