機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
セラとNo.2が医務室へ入ってから、数日が経っていた。
薬が切れた後に続いていた悪寒や眩暈も治まり、2人の顔色は普段とほとんど変わらないところまで戻っている。
セラは朝の診察で退室を許可された。
一方、No.2はまだベッドの上にいた。
上半身を起こしたまま、医療班の女医から渡された検査結果を面倒そうに見ている。
「自覚症状はない」
「それは何度も聞きました」
女医は取り合わず、No.2の背後へ表示された検査画像を指した。
神経接続部を中心に、背中の炎症がまだ残っている。
「セラは神経接続補助ユニット4号を使っていたから、この部分への負担がかなり軽減されています。でもあなたは何も着けていなかった。状態が違います」
「歩行に支障はない」
「歩けるかどうかで退院を決めているわけではありません」
No.2の眉が僅かに動く。
隣では着替えを終えたセラが、そのやり取りを黙って見ていた。
No.2がそちらを見る。
「L-31。俺も問題ないと思わないか」
「炎症反応が残っています」
「……」
助けを求める相手を間違えたらしい。
女医が小さく息を吐いた。
「それに、艦長から直接言われています。炎症が治まるまで退室は許可しない、と」
「艦長命令か」
「そうです」
「面倒だな」
No.2はそれ以上何も言わず、再びベッドへ背中を預けた。
納得したというより、覆せないと判断しただけなのだろう。
「No.2」
「何だ」
「休息を推奨します」
「お前に言われるとは思わなかった」
セラは少しだけ首を傾ける。
「私は退室を許可されました」
「知っている」
そこで会話は終わった。
セラが医務室を出ていく。
廊下ではシンたちが待っていた。
「お、出てきた」
「セラ、大丈夫?」
「問題ありません」
ルナマリアがすぐに顔を覗き込む。
その横からメイリンも近づき、顔色を確かめるようにセラを見る。
「本当に?」
「診察結果に異常はありません」
「じゃあ今度は信じてもいいのね」
「はい」
メイリンはようやく表情を緩めた。
レイだけは少し離れた場所に立ち、医務室の扉を見る。
「No.2は?」
「炎症反応が残っています。休息継続です」
「やっぱり出られなかったのね」
ルナマリアが苦笑する。
シンも扉を見てから肩をすくめた。
「あいつ、絶対『問題ない』って言っただろ」
「言いました」
「やっぱりな」
「シンもよく言うけどね」
「俺はあそこまでじゃないだろ」
「似たようなものよ」
言い返そうとしたシンより先に、艦内放送が昼休憩の時間を告げた。
ルナマリアが時計を確認する。
「ちょうどいいじゃない。セラ、食堂行きましょ」
「了解しました」
「今日は金曜日だしな」
「カレーね」
メイリンの声が少し弾む。
レイも何も言わず、その後へ続いた。
*****
昼時の食堂は、いつもより賑わっていた。
戦闘後の修理作業も一段落し、普段の勤務に戻った者が多い。整備班の制服やザフトの赤服、緑服が入り混じり、厨房の前には長い列ができていた。
金曜日の定番となっているカレーの匂いが食堂いっぱいに広がっている。
シンたちもトレーを手に列へ並んだ。
「今日は何にしようかな」
ルナマリアがトッピングの表示を見上げる。
チーズ、ほうれん草、揚げた鶏肉、温泉卵、豆類。普段より種類が多い。
「俺、肉」
「早いわね」
「悩む必要ないだろ」
「だからって毎回一番重いの選ばなくてもいいじゃない」
シンとルナマリアが言い合う横で、メイリンは真剣に表示を眺めていた。
「チーズもいいけど、卵も……」
「両方にしたら?」
「お姉ちゃん、それやると後で重いって言うでしょ」
「今日は大丈夫」
「この間も言ってた」
レイは何も言わずに順番を待っている。
その隣で、セラも表示を見上げていた。
やがて列が進み、5人が厨房の前まで来る。
料理長がシンの皿へカレーをよそい、その次のルナマリアへ移る。
メイリン、レイと続き、セラの姿を見ると手が止まった。
「嬢ちゃんは、いつものやつでいいんだよな」
「はい」
迷いのない返事だった。
シンが横を見る。
ルナマリアもメイリンも、ほとんど同時にセラへ顔を向けた。
「……いつもの?」
「セラ、いつものなんてあるの?」
「あります」
料理長は何でもないことのように、セラのカレーへほうれん草を乗せる。その上へチーズを足し、トレーへ置いた。
「この子、毎回これだからな。さすがに覚えたよ」
「毎回?」
メイリンが皿を見る。
濃いカレーの上に緑のほうれん草が乗り、熱で少しずつチーズが溶け始めている。
セラは当然のようにそれを受け取った。
「なんでそれなの?」
ルナマリアが聞く。
セラは自分の皿を一度見た。
「カレー単体ではビタミンCとカルシウムが不足します」
「……うん?」
「不足分を補う場合、ほうれん草とチーズの組み合わせが効率的です。味の相性にも問題ありません」
「栄養で決めてたのかよ」
シンが思わず笑う。
セラは頷いた。
「はい」
「セラらしいわねえ」
ルナマリアも笑い、メイリンは納得したように皿を覗き込む。
「でも毎回同じって、飽きない?」
「栄養価は変化しません」
「そういう意味じゃなくて」
「味にも問題ありません」
「ならいいけど」
メイリンが苦笑する。
その横でレイが料理長を見る。
「俺も同じものを」
「レイまで?」
シンが振り返る。
レイはセラの皿を見た。
「合理的だ」
「お前、本当にそういうところセラに似てきたな」
「別にいいだろう」
料理長がレイの皿にもほうれん草とチーズを乗せる。
それを見ていたルナマリアが少し迷い、自分のトレーを見る。
「……私もそれにしようかな」
「お姉ちゃんまで?」
「だって味も悪くなさそうだし」
「じゃあ私も」
「え、メイリンも?」
「シンは肉でしょ」
「……俺もそれで」
ルナマリアが吹き出した。
「さっき悩む必要ないって言ってたじゃない」
「いや、なんか俺だけ違うのも嫌だろ」
「何よそれ」
結局、5人の皿には同じほうれん草とチーズが乗った。
料理長が呆れたように笑いながら最後の皿を渡す。
「嬢ちゃん、流行らせたな」
「意図していません」
「分かってるよ」
空いている席を探し、5人は食堂の中央付近へ座った。
セラはスプーンで溶けたチーズをカレーへ混ぜていく。
シンも同じようにして一口食べた。
「……普通にうまいな」
「だから味にも問題ないと言いました」
「セラに料理の味を保証される日が来るとは思わなかったわ」
「味覚は正常です」
「それはどうかな」
ルナマリアが笑う。
レイは何も言わずに食べていたが、少ししてもう一口運ぶ。
「悪くない」
「でしょ?」
「なんでお前が得意そうなんだよ、ルナ」
「私も選んだから」
メイリンも一口食べて頷いた。
「次からこれにしようかな」
「毎回同じになります」
「セラほど徹底はしないよ」
久しぶりに、戦闘の話が出ない昼食だった。
誰かが負傷した話も、敵の数も、次の作戦もない。
セラが何を食べるかというだけのことで笑い、それを真似して同じものを頼む。
ほんの数日前まで医務室のベッドで青白い顔をしていた少女が、今は皆と同じテーブルでカレーを食べている。
メイリンはその姿を見て、もう一度自分の皿へ視線を戻した。
その時だった。
食堂の奥で、急に声が上がった。
「おい、音上げろ!」
「議長だぞ!」
テレビの前へ人が集まり始める。
それまで別々に響いていた会話が少しずつ小さくなり、代わりに放送の音声が食堂へ広がった。
シンたちもスプーンを止める。
大型モニターには、演壇に立つデュランダルが映っていた。
背後にはプラント最高評議会の紋章が掲げられている。
「何かあったの?」
ルナマリアが席から画面を見る。
前の方にいたヨウランが振り返った。
「さっき始まった。今後の方針についての声明だって」
「今後の?」
「オーブとスカンジナビアに宣戦布告するらしい」
シンの手が止まった。
「……オーブに?」
ヨウランも表情から軽さを消して頷く。
「そう聞こえる。黙って聞いてみろよ」
食堂の喧騒がさらに小さくなる。
デュランダルの声は穏やかだった。
怒鳴っているわけでも、感情を露わにしているわけでもない。
それだけに、1つ1つの言葉が明確に聞こえた。
『先の戦いにおいて、我々は取り返しのつかない犠牲を払った』
画面の中で、デュランダルが正面を見る。
『ロード・ジブリール。世界を混沌へ導き、多くの命を奪ったその人物を、オーブ連合首長国は自国に匿った。そして我々からの引き渡し要求にも応じず、結果として彼を再び宇宙へ逃がした』
食堂の何人かが顔をしかめる。
ジブリールの名を聞くだけで、空気が変わった。
レクイエム。
あの光を知らないプラントの人間はいない。
『その結果が何をもたらしたか、改めて語る必要はないだろう。失われたプラント。失われた都市。そして、数十万に及ぶ我々の同胞の命である』
誰も声を出さない。
シンは画面を見たまま動かなかった。
あの日の光景は、自分も見ている。
宇宙を走った巨大な光が、一瞬で全てを奪った。
それを引き起こしたジブリールへの怒りは、シンの中にもある。
『それでもなお、オーブ政府は自らの行いを省みようとはしない。あまつさえ、我々が提示したデスティニープランを拒絶し、再び世界に混乱の種を残そうとしている』
デュランダルは一度言葉を切った。
『デスティニープランは、争いを生み続ける現在の社会を変えるためのものである。生まれや財産、他者との競争によって人の価値が決められる世界ではなく、すべての者が自らに適した役割を知り、その能力を正しく生かすための新たな秩序だ』
レイは黙って画面を見ている。
その表情に迷いは見えなかった。
隣のセラも静かに放送を聞いている。
『すべての国が直ちにこれを理解するとは考えていない。理解には時間も必要であろう。だが、明確な敵対行動を取りながら、なお世界に混乱をもたらそうとする者まで看過することはできない』
シンの眉が僅かに寄る。
『よって本日、プラント最高評議会議長として宣言する。オーブ連合首長国を、プラントおよびザフトに対する明確な敵対国家と認定する』
食堂がざわめいた。
予想していた者もいたのだろう。それでも、議長本人の口から聞けば重さが違う。
『また、現在もなおオーブ政府を支持し、その行動に追随するスカンジナビア王国についても同様である。我々は両国を、プラントのみならず、世界に新たな混乱をもたらす敵対国家と判断する』
「スカンジナビアまで……」
メイリンが小さく呟く。
ルナマリアは返さない。
テレビの音声だけが続いている。
『我々は長い間、守るために戦ってきた。撃たれれば撃ち返し、侵略されればそれを退ける。それこそが、平和を望む者のあるべき姿だと信じてきた』
デュランダルの声が僅かに強くなる。
『だが、その結果として何が残った。ユニウスセブンが落ち、地上は戦火に包まれ、そしてついにはレクイエムによってプラントそのものが焼かれた。我々はいつまで、次の攻撃を待ち続けなければならないのか』
誰も答えるはずのない問いだった。
しかし食堂にいる兵士たちの中には、小さく頷く者もいた。
『私は、もはやそれを許容しない』
デュランダルは正面を見据える。
『今後ザフトは、ただ攻撃を受けるまで待つ軍ではない。明確な敵対意思を持ち、我々と世界の平和を脅かす者に対しては、必要であれば先んじてその力を排除する』
シンの表情が変わった。
スプーンを持つ指に少し力が入る。
『オーブ連合首長国、そしてスカンジナビア王国に告げる。デスティニープランを受け入れ、武装を解除し、速やかに降伏せよ』
食堂の誰かが息を呑んだ。
『これを拒絶するのであれば、我々もまた相応の手段を取る』
デュランダルは声を荒らげない。
ただ、すでに決定された事実を告げるように続けた。
『その時は、レクイエムによる攻撃も辞さない』
一瞬、食堂から音が消えた。
皿に落ちたスプーンの小さな金属音だけが、妙に大きく響く。
「……レクイエムを?」
シンの声だった。
誰に聞いたわけでもない。
画面の中ではデュランダルがまだ何かを話している。
だが、その先はほとんど耳に入らなかった。
レクイエムをオーブへ向ける。
その意味は分かる。
軍事施設だけを撃つ兵器ではない。
あの光が国土へ落ちれば、基地も都市も、その間にある何もかもを巻き込む。
シンは皿を見る。
さっきまで普通に食べていたカレーは、まだ半分近く残っている。
チーズがすっかり溶け、表面に薄い膜を作っていた。
「シン?」
ルナマリアが顔を見る。
シンは少し遅れて気づいた。
「……何でもない」
「でも」
「ちょっと、部屋戻る」
席を立つ。
メイリンが何か言おうとしたが、レイが僅かに視線を動かしただけで止めた。
「シン」
ルナマリアがもう一度呼ぶ。
シンは立ち止まらず、片手だけ上げた。
「悪い。後で」
そのまま食堂を出ていった。
扉が閉じる。
残された4人の前で、デュランダルの演説はまだ続いていた。
セラは一度、シンが出ていった扉を見る。
ルナマリアも同じ方向を見たまま、しばらくスプーンを動かさなかった。
レイだけが画面へ視線を戻した。
*****
自室へ戻ったシンは、制服の上着も脱がずにベッドへ倒れ込んだ。
天井を見上げる。
議長の言っていることが全部間違っているとは思わない。
ジブリールを匿った結果、プラントが撃たれた。数十万の命が失われた。それは事実だ。
また同じことを起こさないために、敵が動く前に止める。その理屈も分かる。
それでも、レクイエムをオーブへ撃つという言葉だけが胸に残った。
一度は見限った故郷だった。
家族を失った場所であり、守ると掲げた理念も自分たちを救ってはくれなかった。
今でもオーブを好きだとは思えない。
だが、そこに暮らしている人間まで憎んでいるわけではなかった。
自分と同じように家族を持つ者もいる。
何も知らない子供もいる。
レクイエムが撃たれれば、その区別などなく消える。
「……だからって」
腕で目元を覆う。
自分はザフトの軍人だ。
オーブへ進攻しろと命令されれば、デスティニーで戦わなければならない。
命令を好き嫌いで選ぶ軍人など、軍人とは呼べない。
そう考えた時、ふとアスランの顔が浮かんだ。
「……アスランさん」
ザフトにいながらカガリを気にし、オーブを気にし、アークエンジェルを気にして、何度も迷っていた。
当時のシンには、その態度が腹立たしかった。
軍人なら軍人として戦えばいい。
個人的な事情で迷い、最後には軍を抜けるなど勝手だと思った。
だが今、自分も命令と自分の気持ちの間で立ち止まっている。
「……簡単じゃなかったんだな」
アスランの選択を正しかったと思ったわけではない。
今でも納得できないことはある。
ただ、その迷いまで勝手な理屈と決めつけたことだけは、少し違ったのかもしれない。
部屋の扉が開いた。
シンは体を起こさない。
足音だけで誰なのか分かった。
「帰ってたのか、レイ」
「ああ」
レイが室内へ入り、扉を閉める。
しばらくして、ベッドに横になったシンを見る。
「オーブのことか」
「……そんな分かりやすい?」
「ああ」
シンは苦笑した。
「レイはどう思う?」
「俺は議長に従う」
「やっぱりそうか」
予想していた答えだった。
「レクイエムを使うことになっても?」
「必要だと議長が判断したならな」
迷いのない返事に、シンは天井を見る。
「お前はいいよな。そうやって決められて」
「何も考えず、与えられた役割を果たせばいい。それがお前にとっても一番いい」
シンがレイを見る。
レイは少しだけ間を置いた。
「……そう思えば楽なのにな」
「レイ?」
「だが、お前には無理だろう」
言い切られて、シンは眉を寄せる。
「なんだよ、それ」
「何も考えずにいられるなら、こんな顔はしていない」
シンは返せなかった。
「俺は議長を信じている。だから迷わない。だが、お前は違う」
「俺だって議長を信じてる」
「分かっている」
レイは静かに続けた。
「信じていても迷う。それがお前なんだろう」
シンは少し黙る。
「だったらどうすればいいんだよ」
「悩め」
「簡単に言うなよ」
「簡単ではないから悩むんだ」
思わずシンは顔をしかめた。
だが、レイは構わず続ける。
「自分が何をしたいのか考えろ。そして必要になった時に、自分で決めろ」
「もし間違ってたら?」
「後悔しないように選べ」
「それが分かれば苦労しないって」
「なら、分かるまで悩め」
シンはしばらくレイを見たあと、小さく笑った。
「お前、結構無責任だな」
「俺が決めれば、それはお前の答えではない」
笑いが止まる。
確かにその通りだった。
「……俺、ずっと揺れてるな」
「そうだな」
「否定しろよ」
「事実だ」
また少しだけ笑う。
それからシンは視線を落とした。
「もし俺が、議長と違う答えを出したら?」
レイは僅かに黙った。
「その時は、その内容で判断する」
「敵対したら?」
「止める」
「だよな」
シンは苦笑する。
だが、レイの言葉はそこで終わらなかった。
「だが、お前が何を選んでも、俺がお前の親友であることとは別の話だ」
シンが顔を上げる。
「……レイ」
「この間、お前が言っただろう」
プラントを守る戦いの最中、自分が言った言葉が蘇る。
俺たちは親友だからな。
あの時はシンが言った。
今度はレイから返ってきた。
「俺は議長に従う。お前はお前で決めればいい」
「……うん」
「だから今は、好きに悩め」
レイが立ち上がる。
「どこ行くんだ?」
「ブリッジに用がある」
扉の前で一度だけ振り返った。
「まだ命令は出ていない。答えを出すのは、それからでも遅くない」
扉が開く。
「レイ」
「何だ」
「ありがとな」
レイは僅かに目を細めた。
「何のことだ」
そのまま部屋を出ていった。
再び静かな空調音だけが残る。
答えはまだ出ていない。
オーブへの思いも、軍人としての責任も、議長への信頼も消えてはいなかった。
それでも、今すぐどれか1つに決めなくてもいい。
決める時が来たなら、その時は自分で選ぶ。
そう考えながら天井を見上げていると、ふと食堂に置いてきたカレーを思い出した。
「……冷めてるだろうな」
少しだけ笑い、シンも部屋を後にした。