機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
デュランダルがオーブ連合首長国とスカンジナビア王国を敵対国家と認定した声明は、地球各国へ瞬く間に広がった。
反応は早かった。
これまで両国と一定の関係を保っていた国々の多くが、次々と距離を取り始める。プラントとザフトを正面から敵に回すことを恐れ、予定されていた会談を延期し、物資の輸出を見直し、外交上の立場を曖昧にする国も現れた。
その一方で、別の動きもあった。
ブルーコスモスの思想が今なお強く残る国々からは、水面下でオーブとスカンジナビアへ支援の申し出が届いていた。兵器、弾薬、艦艇。名目を変えれば、いくらでも送り込めるものはある。
デスティニープランへ反対する2国は、皮肉にもブルーコスモスによって戦力を補える状況に置かれていた。
だが、オーブはその申し出を受けなかった。
カガリ・ユラ・アスハは、なお和平への道を捨てていない。
ザフトへ送り込まれた使節団も、敵国と名指しされた後でなお交渉の席を離れず、攻撃を思い留まらせようと働き続けていた。
同時に、オーブ本島では民間人の避難も始まっている。
港には避難船が集められ、地下施設が開放され、軍は戦闘に備えて配置を変えていた。
和平を求めながら、戦争にも備える。
矛盾しているように見えて、それ以外に選べる道はなかった。
戦争へのカウントダウンは、すでに始まっていた。
*****
ミネルバでも、次の命令に備えた準備が進んでいた。
その中でシン、レイ、セラの3人には、別の命令が下されている。
機動要塞メサイアへの出頭命令だった。
広い議長室へ通されたシンは、普段よりも背筋を伸ばして立っていた。
戦闘前の緊張とは違う。目の前にいるのは敵ではなく、プラント最高評議会議長ギルバート・デュランダル本人である。
その横ではレイが静かに立ち、セラもいつもと変わらない表情で正面を向いていた。
「そう固くならなくてもいい、シン」
デュランダルが僅かに笑う。
見抜かれたことに、シンの肩が少し動いた。
「す、すみません」
「謝る必要はない。今日は叱責のために呼んだわけではないのだからね」
デュランダルは3人を見渡した。
「むしろ逆だ。まず君たちには、改めて礼を言っておきたかった」
シンが顔を上げる。
「シン。君にデスティニーを託した私の判断は間違っていなかった。君はあの機体の力を引き出し、幾度もザフトの勝利に貢献してくれた」
「はい!」
「レイも同じだ。レジェンドを失った後も、自分にできる役割を選び続けている。ダイダロス以降の戦いも含め、君の働きには十分感謝している」
「ありがとうございます、議長」
レイは静かに答える。
デュランダルの視線が最後にセラへ移った。
「そしてセラ。君もだ」
「はい」
「君は本来、ザフトの軍人ですらない。それでもミネルバと共に戦い、自らの身を顧みず多くの戦果を上げてくれた。シンやレイに劣らぬ働きだったと私は思っている」
「了解しました」
褒められたことへの喜びも、謙遜もない。
ただ評価を受け取っただけの返事だった。
デュランダルはそれを咎めず、再び3人へ視線を戻す。
「本来ならルナマリア・ホークにも直接礼を言いたかったのだが、さすがにミネルバのMSパイロットを全員ここへ集めるわけにもいかない。彼女には申し訳ないが、今回は艦に残ってもらった」
その言葉に、シンの緊張が少しだけ解けた。
だが、続いた話題で空気はすぐに変わった。
「さて。君たちもすでに知っている通り、我々の次の敵はオーブだ」
シンの表情が僅かに硬くなる。
デュランダルは気づいていた。
それでも、そこで言葉を止めることはなかった。
「現在もオーブの使節団は和平交渉を続けている。彼らの努力そのものを否定するつもりはない。だが、残念ながら交渉がまとまる可能性は極めて低いと私は見ている」
「……」
「すでにオーブ軍は戦力を順次宇宙へ上げている。もちろん、自国を守るための備えだと説明することもできるだろう。だが、戦争を想定していない国家が、これほど急速に戦力を動かすだろうか」
シンの手が僅かに握られる。
「使節団が言葉を尽くしている間にも、軍は戦争の準備を進めている。ならば我々もまた、それを前提として考えなければならない。彼らの交渉が時間を得るためのものではないと、誰が保証できる?」
デュランダルの声に怒りはない。
事実を1つずつ並べ、その先にある結論だけを示していく。
「我々は一度、相手へ先手を譲った。その結果がレクイエムだ。同じ失敗をもう一度犯すわけにはいかない」
シンが顔を上げた。
「すでにレクイエムは再使用に向けた準備へ入っている。同時に、地球圏各地のザフト駐屯部隊にも、必要と判断された場合には先制して敵戦力を無力化できるよう準備を命じた」
言葉が喉まで出かかった。
オーブは違う。
あの国は中立を掲げてきた。
ナチュラルもコーディネーターも共に生きられる国を作ろうとしてきた。
自分から他国を侵略するような国ではない。
まして、先に撃つような真似など――。
そこまで考えて、シンの口が止まる。
本当にそうなのか。
オーブの理念を、シン自身は信じ切れていなかった。
あの国が掲げた理想の下で、自分の家族は死んだ。守ると言われた国で守られず、何もかも失って宇宙へ上がった。
オーブなら絶対にそんなことはしない。
そう言い切るだけのものを、シンはまだ持っていなかった。
僅かに開いた口を閉じる。
デュランダルはその様子を見ていた。
「辛いかね、シン」
突然向けられた言葉に、シンが目を上げる。
「え……」
「君がオーブ出身であることは知っている。あそこには、君にとって忘れられないものも多いだろう」
シンは返事ができなかった。
「故郷と戦うというのは、簡単に割り切れることではない。無理に忘れろとも言わない」
デュランダルの声は静かだった。
だが、そこで甘い言葉へ逃げることもなかった。
「それでも君は今、ザフトの軍人だ。多くの仲間と共に戦い、その力で彼らを守ってきた。だからこそ、次の戦いでも自分が何を守るべきなのかを見失わず、軍務を果たしてほしい」
ふと、レイに言われた言葉がシンの中を過った。
決める時が来たなら、自分で決める。
まだ、その時ではないと思っていた。
だが確実に近づいている。
シンは一度だけ息を吸った。
「……はい」
強い返事にはならなかった。
だがデュランダルも、それ以上求めなかった。
「頼りにしているよ」
そして視線を移す。
「それから、セラ」
「はい」
「君については、もう1つ話しておきたいことがある」
セラは正面を向いたままだった。
シンも何の話かと横を見る。
レイだけが僅かに視線を動かした。
デュランダルは椅子へ深く腰掛け直した。
「私は独身でね。今後も結婚を考えるほどの時間があるとは思っていない」
あまりに急な話題に、シンが瞬きをする。
「ですが、プラントの将来を考えるなら、私自身の後を誰に託すのかという問題も避けては通れない」
シンの眉が少し上がった。
デュランダルはそのままセラを見る。
「そこで考えている。セラ、私は君を養子に迎えたい」
「えっ!?」
声を上げたのはシンだった。
その横で、レイの顔から表情が消えた。
いや、消えたように見えたのは一瞬だけだった。
次の瞬間、青い瞳が大きく見開かれる。
「……」
呼吸まで止まったようだった。
シンはそこまで気づかず、デュランダルとセラを交互に見る。
「ちょ、ちょっと待ってください! 養子って……なんでセラなんですか?」
セラ本人は何も言わない。
突然自分の将来を変える話をされたにもかかわらず、その顔には驚きも困惑も浮かんでいなかった。
デュランダルはシンの問いを受け、静かに答える。
「この戦争が終われば、次に我々が作るのは、もう争う必要のない世界だ」
シンが黙る。
「それは同時に、これまで戦うことでしか生きる道を与えられなかった者たちにとって、新しい生き方を探さなければならない時代でもある」
デュランダルはセラを見る。
「彼女は14歳だ。それでいて、これまでの人生の多くを戦いの中で過ごしている。戦う力を求められ、その力によって価値を認められてきた。ならば戦争が終わった後、そんな彼女にただ『自由に生きろ』と言うだけでよいのだろうか」
シンの顔から驚きが少しずつ消えていく。
「同じような子供は、これから先も大勢見つかるかもしれない。すべてを私個人が引き受けることはできない。だがセラは偶然にもミネルバと出会い、ザフトと共に戦い、我々のために多くのものを背負ってくれた」
デュランダルはそこで一度言葉を切った。
「ならばせめて、その働きには報いたい。戦う必要がなくなった後も、居場所と未来を持てるように」
シンはしばらく黙っていた。
考えてもみなかった。
戦争が終わった後のセラ。ミネルバに乗り続ける必要もなくなり、レギナントで戦う必要もなくなった時、セラが何をするのか。シン自身、一度も答えを持っていなかった。
それを、デュランダルはもう考えている。
「……そこまで考えてたんですね」
シンの声から、さっきまでの警戒が抜けていた。
「俺、セラが戦わなくなった後のことなんて……全然考えてませんでした」
デュランダルは小さく笑う。
「今はそれでいい。君たちは目の前の戦いだけでも十分に背負っているからね」
「はい」
シンは素直に頷いた。
その隣で、レイだけが動かなかった。
デュランダルがセラを養子にする。
その言葉が、頭の中から離れない。
視線を上げる。
デュランダルはいつもと変わらない。
自分を見てくれた人。
自分に役割を与え、存在する意味を示してくれた人。
その人が今、自分ではなくセラを見ている。
胸の奥が冷たく沈んだ。
自分にはもう時間がない。
それは知っている。
だからなのか。
もう、自分ではないのか。
レイの指先が僅かに震えた。
握り込んで止める。
「了解しました」
セラが答えた。
それだけだった。
喜びも、戸惑いもない。命令を確認した時とほとんど変わらない声だった。
その短い返事が、レイの胸へさらに深く落ちた。
デュランダルの目がレイへ向く。
ほんの数秒だった。
だが、普段のレイを知る者なら、それで十分だった。
「シン、セラ。すまないが、先に戻っていてくれないか」
シンが振り返る。
「え?」
「レイと少し話がある」
「……分かりました」
何か引っかかったようにレイを見る。
先ほどまでと顔が違う。
そう思ったが、ここで聞くことでもない。
「行こう、セラ」
「はい」
2人が議長室を出る。
扉が閉じる直前、シンはもう一度だけ振り返った。
レイはデュランダルを見たまま、一度もこちらを見なかった。
*****
扉が閉じる。
広い議長室に残ったのは、デュランダルとレイだけだった。
しばらく、どちらも口を開かなかった。
だが、最初に沈黙を破ったのはレイだった。
「……議長」
「何だね」
「何故、セラを養子にするのです」
声は普段と変わらないように聞こえた。
だが、少しだけ低い。
デュランダルはすぐには答えなかった。
「その前に、1つ伝えておこう。レジェンドの修理が終わった」
レイの目が僅かに動く。
「右腕部を含め、交換部分の調整も完了している。最終確認が済めば、再び君へ戻せる」
「ありがとうございます」
「礼を言うのはこちらだよ」
デュランダルは椅子から立ち上がった。
「レジェンドを失っている間も、君は自分にできることを続けてくれた。機体が変わっても、命令が変わっても、一度として役目を投げ出さなかった」
「当然のことです」
「君なら、そう言うと思った」
デュランダルはレイの前まで来る。
「だが、私はそれを当然だとは思っていない」
レイが目を上げた。
デュランダルの視線が、僅かにレイの顔へ留まる。
血色は以前より悪い。
本人は隠しているつもりなのだろう。立ち方も、声も、軍人としては何も崩れていない。
それでも分かる。
「最近、眠れているかね」
「問題ありません」
「そうか」
短く答えたあと、デュランダルは少しだけ目を細めた。
「だが、薬も以前ほど君を楽にはしてくれていないのではないか」
レイの表情が止まった。
「……」
「隠さなくていい。責めているわけではない」
デュランダルの声には非難がなかった。
「私は同じ経過を、一度見ている」
その一言で、誰を指しているのかレイにも分かった。
ラウ・ル・クルーゼ。
レイは視線を僅かに落とす。
「まだ動けます」
「分かっている。君が明日どうにかなると言っているわけではない」
デュランダルは静かに続けた。
「だが、無理はしないでほしい。君は自分の身体を軽く扱いすぎる」
「議長のためなら――」
「レイ」
珍しく、言葉を途中で止められた。
「私のためだからこそ、だ」
レイが黙る。
その声には命令とは違うものがあった。
レイにも、それくらいは分かる。
デュランダルは本当に自分を案じている。
だからこそ、余計に先ほどの言葉が分からなかった。
「なら、何故です」
デュランダルが見る。
「何故、セラなのです」
今度は先ほどより強かった。
デュランダルは僅かに息を吐く。
「君の先が長くないことを、私は考えないわけにはいかない」
レイの指が動く。
「……はい」
知っている。
誰よりも自分が知っている。
「だから、せめて君に近い存在を残しておきたいと思った」
「近い……存在?」
「セラを私の家族として迎えれば、君にとっても妹のような存在になるだろう。君がいなくなった後も、君のことを知り、理解できる者としてね」
レイは何も言わなかった。
先ほど感じた冷たさが、少しだけ形を変える。
自分を捨てるつもりではなかった。
むしろ逆で、自分がいなくなった後のことまで、デュランダルは考えている。
レイ自身が考えようともしなかった、その先まで。
「……何故、セラなのです」
それでも、同じ問いをもう一度口にした。
デュランダルが微かに笑う。
「似ているからだよ。君に」
レイの瞳が揺れた。
「セラは君ではない。もちろん、そんなことは分かっている。だが彼女の物事の捉え方や、自分に与えられた役割に対する姿勢は、君によく似ている」
レイの口元が僅かに固くなる。
「自分のためではなく、必要とされた役割を果たそうとする。何をすべきかを理解すれば、迷わずそこへ向かう。君と彼女には、よく似たところがある」
違う。
言葉が浮かんだ。
だが、口には出なかった。
「彼女なら、君が何を考え、何を信じてきたのかも理解できるだろう。そしていつか、君が私と共に目指してきたものを継いでくれるかもしれない」
レイはデュランダルを見ていた。
胸の奥に、さっきとは違う痛みが残る。
議長は自分を案じている。それは分かった。
自分を捨て、セラを選んだわけではないと。
分かったはずなのに、納得できなかった。
自分は、自分で決めた。
デュランダルを信じることを。
そのために戦うことを。
残された時間をここで使うことを。
誰かに与えられたからではない。
だが、セラはセラだ。
あいつには、あいつが決めるものがある。
シンが言った言葉が、不意に浮かんだ。
俺たちは親友だからな。
クローンであると知っても、シンは何も変えなかった。
同情もせず、自分を誰かの代わりとしても扱わなかった。
セラにも同じことをさせればいい。
自分の後を継がせる必要などない。
自分が信じたものを、セラにまで信じさせる必要もない。
「……」
レイは口を開きかけた。
だが、言葉は出なかった。
目の前にいる人を否定したくなかった。
デュランダルが自分を思って言っていることも分かっている。
だからこそ言えない。
デュランダルはその沈黙を、別の意味に受け取ったのかもしれない。
「急に受け入れろとは言わない。まだ時間はある」
穏やかな声だった。
レイは僅かに目を伏せる。
その言葉にも答えられなかった。
その時だった。
鋭い警報音が議長室へ響き、2人が同時に顔を上げる。
壁面モニターが切り替わり、赤い警告表示が走った。
『緊急通報。ダイダロス基地周辺全軍へ。警戒態勢を発令』
デュランダルの表情から私的な色が消える。
『宇宙へ展開していたオーブ軍艦隊が進路を変更。現在、本基地方面へ向けて進軍中』
レイが振り返る。
「オーブ軍……」
先ほどまで議長室で語られていた言葉が、一瞬で現実へ変わった。
使節団は和平を求めている。
その一方で、オーブ軍は宇宙へ戦力を上げていた。
そして今、その艦隊がダイダロスへ向かっている。
『敵艦隊との接触までおよそ1時間。各部隊は直ちに第一種戦闘配備へ移行せよ。繰り返す――』
デュランダルはモニターを見据えた。
驚きはあった。
だが、迷いはない。
「どうやら、彼らも決断したようだな」
レイは何も答えなかった。
胸の中には、まだ先ほどの言葉が残っている。
それでも警報が鳴れば、身体はいつものように動いた。
「レイはレジェンドに搭乗。最終調整は実戦の中で行うことになる」
「了解しました」
レイは踵を返す。
扉が開いた。
その向こうでは、すでにメサイア全体が慌ただしく動き始めていた。
兵士たちが走り、各所から発進準備の報告が重なる。
レイもその流れへ入っていく。
振り返らなかった。
言えなかった言葉だけを、議長室に残したまま。