1:ニューヨーク上空・黄昏の境界線
ニューヨーク上空を夕暮れが赤く染める中、イージス本社ビルの最上階テラスには、スパイダーマン編(別世界のヴィランたち、そして二人のピーター先輩たちのサルベージと救済)という、かつてない規模の時空デバッグを完了させた二人の天才の姿があった。
トニーはいつものように最高級のドーナツが入った箱を片手に、気怠げに手すりに背を預けていた。彼が着ているのはアイアンマンスーツではなく、少し着崩したカジュアルなスリーピースのスーツだ。その視線の先には、白い研究衣の袖をまくり、タブレットPCに指を滑らせているカケル・レイメイの姿があった。
「――で、結局『シャザム』だっけ、あれ何なんだ?」
トニーはドーナツを一口かじり、ニヤリと笑いながら問いかけた。ヘブンズ・ゲート・ドックで、アベンジャーズ全員を素手で文字通り圧倒し、キャプテン・マーベルの光子エネルギーすら強制リブートしてみせた、あの理不尽極まる数理的な神の力。その記憶は、今でもトニーの脳裏に焼き付いている。
カケルはタブレットから目を離すことなく、冷淡な声でトニーの質問を切り捨てた。
「お前のその貧弱な言語野に配慮して表現するなら、『世界のOSが隠蔽していた開発者用のルート権限(チートコード)』だ。……あるいは、ただの代替不可能な機能(スペア)とでも呼ぶべきか」
「まーた始まった。相変わらず君の口から出る説明はロジックでコーティングされすぎていて、情緒というものがないね、サイトウ」
「私の本名はカケル・レイメイだ、スターク。いい加減、ダークウェブで使っていた古い記号で呼ぶのをやめろ」
「そいつは無理だ。僕の脳内データベースに『タカシ・サイトウ=僕の数式をハッキングしてパラジウムの毒から命を救ってくれた、最高に生意気な匿名ストーカー』としてインデックスされちゃっているからね」
2:不確定要素(エラーログ)の残した街
トニーはふっと視線を眼下に広がるマンハッタンの街並みへと向けた。
街は相変わらず騒がしく、混沌としていた。カケルがあの日、ピーター・パーカーという不確定要素(エラーログ)の言葉を受け入れて「ファイアウォール計画」を破棄したため、イージス重工業による完全な絶対管理(ロックダウン)は行われていない。クラクションの音、人々の笑い声、時折発生する軽微な交通渋滞――カケルがかつて「バグ」と断じた人間の不完全な営みが、そこにはそのまま残されていた。
「……しかし、驚いたよ」
トニーは自嘲気味に笑り、ポケットに手を突っ込んだ。
「あの日、ヘブンズ・ゲート・ドックで、君が本当に起動レバーから手を離すとは思わなかった。君のあの冷徹極まる『ジェイルオルタナティブ』だっけ? すべては代替可能で、物語は同じ場所に収束するという、あの陰気臭い人生哲学からすれば、僕たちの感情なんてただのノイズだったはずだ。なぜ、仕様変更なんてした?」
カケルは、ようやくタブレットをデスクに置き、トニーの瞳を真っ直ぐに見つめ返した。その瞳の奥には、神の雷のような超越的な色ではなく、一人の若き科学者としての、ギラギラとした純粋な知的好奇心が宿っていた。
「言ったはずだ。バグが出ると分かっているシステムを強制適用(デプロイ)するのは、エンジニアとして美意識に反する。それに……」
カケルはフッと、最高に人間らしい、傲慢な笑みを唇に浮かべた。
「ピーター・パーカーという『不確定要素』が放ったログを解析した結果、一つの面白い仮説が導き出されたのだ」
「仮説?」
「ああ。世界がどれほど冷酷な決定論(バックノズル)によって収束しようとも、その過程(プロセス)で人間というバグが起こす『感情のバースト』は、時に物理法則の計算式を狂わせる。サノスの指パッチンから生命を100%復元できたのも、元を正せばお前たちのその『不完全な執念』が因果律をハッキングした結果だ。……ならば、その不確定要素を完全に排除してしまうのは、実験の観測者(科学者)として退屈すぎる。現に、先の別世界から迷い込んだヴィラン共や二人のピーター・パーカーのサルベージ実験は、実に興味深いデータをもたらしてくれた」
3: 乱入する「叫ぶバグ」
「――そうそう! まさにそれだよ、レイメイさん!」
背後の自動ドアがけたたましく開き、息を切らせたピーター・パーカー(ピーター1)がテラスに飛び込んできた。その手には、何やらぐしゃぐしゃに書き殴られたノートが握られている。
「別世界の僕たち――いや、ピーター2先輩とピーター3先輩を元の世界に戻すときの時空座標の歪み、あれってやっぱり一種の反跳作用(バックラッシュ)ですよね!? 僕、あの瞬間、頭の中でずうううっとレイメイさんのあの呪文がリフレインしてたんです。ほら、あの、『シャザム!』ってやつ!」
「大声を出すな、パーカー。鼓膜の無駄な振動は不愉快だ」
カケルはピシャリと言い放ったが、ピーターは全く怯む様子もなく、トニーの手元からドーナツを一個引っ掴んで口に放り込みながら言葉をまくし立てた。
「だって本当に凄かったんですよ!? レイメイさんが『シャザム!』って叫ぶたびに、空間の因果律の壁がパチパチって弾けて、僕たちの親愛なる隣人としてのアイデンティティ(ログ)が強制補正されるのが肌で分かったっていうか! 僕、思わず叫びそうになりましたもん。『僕もシャザムって言ったらスパイダーセンスが量子ブーストされますか!?』って!」
「言っておくが、あれはただの音声認識トリガー(文字列)ではない。魂の位相幾何学(トポロジー)をトップダウンで書き換えるルート権限の行使だ」
カケルは眉間を揉みながら冷淡に補足した。
「お前のような一般市民が真似したところで、音声データの無駄な消費にしかならん。二度とその安直な文字列を私の前で口にするな」
「ほら見ろ、ピーター」
トニーが楽しげに笑いながら、ピーターの肩を組んだ。
「この若造は世界一可愛げがない上に、僕たちのしぶとさに『興味が湧いた』という事実を、わざわざ難解な論文みたいに喋る悪癖がある。エンジニアとしては最高だが、チャットの相手としては最低だろ?」
「確かにちょっとロジックが詰まりすぎてて、スパイダーセンスが知恵熱を起こしそうです……」
ピーターはノートを広げ、カケルのタブレットの前に突き出した。
「でも、このマルチバースのパッチコードの歪み、僕なりに計算してみたんです。どうですか?」
カケルは一瞬だけ、その不格好な数式が並ぶノートに目を落とした。そして、フッと鼻で笑う。
「……12箇所、変数に致命的なノイズが混入している。だが、お前のその貧弱な脳細胞にしては、バグの検出精度としては悪くない」
「やった! レイメイさんに合格点(?)をもらった!」
ピーターがテラスで無邪気にガッツポーズを決める。その不完全で、しかし真っ直ぐな生命の輝きを、カケルはどこか冷ややかに、しかし確実に「観測」していた。
4:アベンジャーズの反応:合理と混沌の狭間で
世界規模の、いや、全宇宙規模の時空デバッグを裏で完了させていたイージス重工業とカケル・レイメイの存在は、アベンジャーズの他の面々にも計り知れない衝撃を与え続けていた。
アベンジャーズ・タワーの作戦室では、戻ってきたトニーの報告とイージスから共有されたデータログを前に、メンバーたちの思惑が交錯していた。
「……生存率、および時空の修復率、共に100%」
キャプテン・アメリカ(スティブ・ロジャース)は、ホログラムに表示された完璧な数式と、ニューヨークの街が何一つ損なわれずに維持されたという結果を静かに見つめていた。
「彼のやり方は相変わらず冷徹で、私たちの良心や選択を『ノイズ』だと切り捨てる。だが、認めざるを得ないな。彼がその『傲慢な合理性』の網を広げていなければ、私たちは別世界から来たヴィランたちを救うどころか、この世界ごとマルチバースの藻屑になっていた。彼は彼なりの方法で、ピーターの、そして私たちの守ろうとした未来を守っているんだ」
「私はあの男のロジックを支持します、キャップ」
部屋の隅から、音もなくヴィジョンが浮上した。
「レイメイ・メディカルのシステムは、混沌(カオス)から常に最善の調停(プログラム)を導き出す。彼の『絶対理性の玉座(ポディウム)』から送信される演算データは、宇宙のあらゆるインフィニティ・ストーンの暴走すら予測可能なリスクとして処理している。アベンジャーズの持つ『個の感情』という不確定要素を、世界を回すための頑強なインフラ(パーツ)として組み込む彼の設計思想は、最も生存率の高い解答です」
「ハッ、相変わらずあの白衣の若造は堅苦しいねえ」
地中海海底ドックから通信を繋いだジョンが、愛機である全高5メートルの戦術汎用重機『ブレイク・スルー(タイタン)』のハッチに腰掛けながら、無線越しに笑い声をあげた。
「だがな、キャップ。あのボスは口じゃ『お前らはただのスペアだ』なんて冷たいことを言うが、俺たちが戦場で掠り傷一つ負うのすら許さない男だ。このタイタンの装甲の裏には、過剰なまでのナノ医療システムがギチギチに詰まってる。世界システムを上書きするってのは、要するに『誰も死なせない完璧な檻』を造るってことさ。俺はあの傲慢なロジックに、どこまでも付き合うぜ」
5:新たなる盤面へ
イージス本社のテラスでは、トニーが満足そうにドーナツの箱をカケルのデスクに放り投げ、ピーターの首を小脇に抱えながら歩き去ろうとしていた。
「いいだろう。お望みのナノアーマーのOS仕様書(コード)は今夜中に送る。……マルチバースのデバッグなんて、最高のエンジニア二人がかりじゃなきゃ退屈で死んじまうからな。行くぞ、ピーター。サイトウ先生の知恵熱が移る前に退散だ」
「あ、ちょっと待ってくださいトニーさん! レイメイさん、次のアップデートの時、僕のウェブ・シューターの量子同期もお願いしますねー!」
騒がしい二人の背中が自動ドアの向こうへと消え、テラスには再び静寂が戻ってきた。
一人残されたカケル・レイメイは、紫色の夕日の中で、投げ出されたドーナツを一つつまみ、口へと運んだ。甘すぎるその味に僅かに眉をひそめながら、彼はタブレットの画面に、広大なマルチバースの海で明滅する無数の「混沌(バグ)」の座標を映し出した。
「世界がどれほど醜い混沌(バグ)に塗れようとも、私のシステムがそれをすべて上書き(アップデート)する。……せいぜい私を楽しませてくれよ、人間ども」
黎明駆――カケル・レイメイの、冷徹で、虚無的で、しかし誰よりも世界を愛した『ハッキング』は、新たなる宇宙の盤面へと、今まさにその駒を進めるのだった。