両利きだけど、それって武器になるの? ~気づいたら俺、テニスでプロを目指してた~ 作:二刀
試合が終わってコートの外に出ると、藤崎が待っていた。
「お疲れさま。とりあえず――初勝利、おめでとう」
藤崎がいつもの落ち着いた声で、そう言った。ほんの少しだけ、口元がゆるんでる気がした。たぶん、気のせいじゃない。
「っ、おう! ありがとな、藤崎!」
俺はベンチにどさっと座り込んだ。足がもう、ガクガクで膝が盛大に笑っていた。汗だくだった。母さんの作ってくれた弁当、まだ食べてないけど、今はそれどころじゃない。
勝った――。初めての公式戦で、初めての一勝。
……でも。
「なんつーか……ぜんぜん、余裕じゃなかったわ」
俺は正直に言った。
「田中君、別にめちゃくちゃ格上ってわけじゃなかったと思うんだ。左右のフラットショットで、なんとかポイントは取れてた。でも、途中から、セカンドサーブを狙い撃ちされてた。そんでコートの前に詰められて、リターン強打されたら、もう、どうしようもなくて」
「そうね」
藤崎は、頷いた。
「途中から完全にサーブを狙われてたわね。アンダーサーブは確実に入るけど、それだけじゃただのカモになる。前に言ったことね。深く入れて相手を前に出させないこと。そこに気づけたのはよかった」
「ああ。確率は低いけど、上から打つしかない、って。途中で腹くくった」
「うん」
藤崎は俺の正面に立って、少し改まった感じで言った。
「ねえ、千両君。おさらいするわ。――あなたはなぜ今回、田中君に勝てたか、分かる?」
なぜ勝てたか。
「……えーと。セカンドサーブと、トップスピン、だよな」
「具体的には?」
「セカンドは、相手を前に出させないように……基本に忠実に、深くコートに入れることを意識した。それで、田中君が前に詰められなくなった」
「そう。もう一つは?」
「ストロークで……トップスピンのかけ方が分かった。っていうか、実感できた」
「ええ。それは私も見ていて分かったわ」
藤崎は、そこで少し身を乗り出した。なんかこういう話になると、目の色が変わるんだよな、この人。
「スライスに対抗するためのトップスピン、急に回転かかるようになったってことでしょう」
「ああ。なんか、思い切り振ったら、今までにないような手応えだった」
「それよ」
藤崎は、人差し指を立てた。
「トップスピンはね、実は、五十パーセントの力でおそるおそる打つより、百パーセントの力で振り切ったほうが、ボールの回転速度が上がるの。回転がしっかりかかれば、ボールは山なりに飛んで、コートの中にちゃんと収まる」
「……へえ」
「いろいろ理屈はあるけど、大事なのは、スイングスピード。速く振り切ること。あなたは追い込まれて、それを自分の身体で実感したのよ」
……あー、そうか。
そういうことだったのか。
「それ……前に、なっちゃん部長が言ってたんだ」
俺は、思い出しながら、言った。
「練習のとき、ちょっと相談したら、『トップスピンはビビって当てにいったらダメ、思いっきりブンって振り切れ』って。でも、そのときは、『ブンって言われても……』って感じで、ぜんぜん、ピンときてなくて」
「ふふ。なっちゃん部長らしい教え方ね」
藤崎が、ちょっと笑った。
「でも、言ってることは、正しいの。感覚的だけど、本質を突いてる。あなたは今日、それを頭じゃなくて身体で理解したのよ」
頭じゃなくて、身体で。
まさに、それだ。
部長に言われたときは、言葉として知ってた。でも分かってはいなかったんだ。今日追い込まれて、思い切り振って、初めて「あ、これか」って腑に落ちた。
「藤崎」
「何」
「練習って、大事だな」
俺は、しみじみ言った。
「俺さ、正直基礎練とか、ちょっと地味で退屈だなって思ってたんだ。素振りとか、フットワークとか。でも今日の試合で、ぜんぶ大事だってことがわかったんだ。教わったこと、練習したこと。それが本番で重要な事だったんだ」
「……いいこと言うじゃない」
藤崎は、ちょっと意外そうにしていた。でもそれ以上に満足そうに頷いた。
「そう。練習はただやればいいわけじゃないの。すべて本番の試合で勝つため。その目的意識を持つか持たないかで、効率が全然変わるのよ。なんのためにこの練習をしているのか、それを分かってやると伸びが違うの」
「だな。俺、これから、もっと考えて練習するわ」
「ええ。あなたは、まだ初心者。できないことも、たくさんある。でも一つずつ潰していきましょう。目的意識を持って、ね」
「おう!」
なんか、いいな、これ。
「ふふ、いいわね。練習の大切さって言うのは初心者のときが一番身に染みるのよ。成長を実感できるから。私の時もそうだった、でも練習に慣れてくると次第になぁなぁになっちゃうの。そして無茶しちゃうの」
「え……」
「今はもう踏ん切りついたけどね。千両君を見てるとつい練習をがんばってた時を思い出しちゃうの。あ、怪我する前の話ね」
そっか、藤崎、怪我したって言ってたもんな……。
「試合に勝つために、何度も試行錯誤して少しずつでも前に進む。あなたは今日勝ったのよ。そしてを次に繋げていきましょう」
そうだ、負けたわけじゃない。勝ったんだ。でも、ただ喜ぶだけじゃなくてなんで勝てたのかを、ちゃんと振り返る。次につなげよう。
……俺、ちょっとずつテニス選手になってきてるのかもしれない。
「ちなみに」
藤崎が付け加えた。
「今日の試合、ほかにも対処の方法は、いろいろあったのよ。相手がネットに出てきたとき、足元に沈めるとか、ロブで頭の上を抜くとか」
「ほぅ……それは、聞き捨てならないこと聞いた……」
俺は、わざとらしく、腕を組んだ。
「さぁ、藤崎先生。この非才なる我に、ひとつ、レクチャーを――」
「ちょっとは自分で考えてみなさい」
「ええー!?」
ばっさり、切られた。藤崎先生容赦ない。でもなんか楽しそうな顔してる。
*
そんな軽口を叩いてたら。
「あれ? 藤崎さん?」
不意に向こうから声がした。
振り向くと、男子の選手が、立っていた。
知らない顔だ。たぶん、同い年くらい。背は、俺と同じくらいか、ちょっと高い。すらっとしてて、よく日に焼けてて、いかにも「テニスやってます」って感じのこなれた雰囲気。
誰だ?
「……二ノ宮君」
藤崎がその選手の名前を口にした。知り合いなのか。
「久しぶり。やっぱり藤崎さんだ。男子の大会で藤崎さんがいるの、珍しいなと思って。声かけちゃった」
その選手――二ノ宮はにこやかに笑った。
で、俺のほうを見て、ちょっと、首をかしげた。
「あれ。藤崎さんって、聖蹊だよね。聖蹊って、女子校じゃなかったっけ。なのに、男子と一緒にいるから……あ、もしかして彼氏?」
「違うわよ。うちの、初めての男子部員。千両利士君」
「へえ! そうなんだ。そっか、聖蹊、共学になったのか。知らなかった」
二ノ宮は納得したように頷いて、それから、俺ににっと笑いかけた。
「こんにちは。千両君、だよね。二ノ宮優斗です。噂になってたよ。両手とも、フォアハンドで打つ選手がいるって。さっきの試合、ちょっとだけ見てた。すごいね、あれ」
「あ……どうも、っす」
なんか爽やかなやつだな。感じは悪くない。
「あ、敬語じゃなくていいよ。同い年だし」
「お、おう。じゃあ……二ノ宮君な」
「うん。よろしく」
二ノ宮君は、にこにこ笑ってる。
……でも、なんか、変だ。
口元は、確かに笑ってる。でも――目が笑ってない。
いや、笑ってないっていうか。俺を、見てるんだけど。なんか、こう。値踏みされてる感じ。どのくらい強いか、どこが穴か、測られてる。そんな、目だ。
野球やってたとき、たまにいた。にこにこしてるのに、バッターボックスに立つと、急に、刺すような目になるピッチャー。あの感じに近い。
……なんか、ぞくっとした。
「じゃあ、またあとでね」
「?」
二ノ宮はひらひら手を振って、去っていった。
*
「……なあ、藤崎」
二ノ宮の背中を見送りながら、俺は、聞いた。
「今の二ノ宮って、誰?」
「あなたの二回戦の相手よ」
……は?
「えっ!?」
「そして」
藤崎は少し、間を置いて言った。
「今日の大会の、優勝候補」
「ええっ!?」
優勝候補。あいつが。
「私も、ジュニア時代から知ってる。何度か顔を合わせたことがあるわ。――どうする? 彼の情報、いる? それとも、なしで行く?」
「いる! いります、藤崎先生!」
俺は即答した。情報は多いほうがいい。
「よろしい。その勝利への貪欲さは、認めましょう」
藤崎は、ちょっとふっと笑って、それから真顔に戻った。
「二ノ宮優斗。一言で言うと――オールラウンダーよ」
「おーるらうんだー」
「ストローク、ネットプレー、サーブ、持久力。すべてが、全国ジュニアのレベル。穴が、ほとんどない」
……なん、だと。
「全部、できるってこと?」
「そう。全部できる、その上高レベル」
……なん……だと……。
「逆に言うと」
藤崎は続ける。
「平均が高い分、突出したものがない。例えばすごいパワーテニスだとか、ビックサーバーだとかそういうのね。それが、強いて言えば、弱点かもしれない。決定的な必殺技みたいなものは、彼にはない」
……でも、それって。
「全部、平均以上に強いってことだよな。穴がないって……」
俺は、頭を抱えた。
「俺、穴だらけなのに……」
「ええ。そして」
藤崎は、容赦なく、続けた。
「おそらく彼はもう、あなたの弱点を把握している。さっきの試合を見ていたのが見えたから。セカンドサーブ、低い球への対応。ほかにもあるかもしれない。そこを確実に突いてくるでしょうね。間違いなく」
「……」
俺は、しばらく、黙った。
全部できる相手。穴がない相手。そいつが、俺の弱点を全部分かってる。
……どうやって、勝つんだ、これ。
「……あの、藤崎」
「何」
「俺、そんな人に、どうやって勝てばいいんですか」
藤崎は俺を見て、ちょっと目を見開いた。それからふっと笑った。
「あら。勝とうと、思ってるのね」
「え?」
「全国レベルが相手でも。あなた、勝つ気でいるんだ。――さすがね、千両君」
……いや。
いや、まあ。そりゃ、勝ちたいけど。
「正直に言うわ」
藤崎は、まっすぐ、俺を見た。
「今のあなたじゃ、手も足も出ない。それくらい二ノ宮君は強いテニスプレーヤーよ」
「……グスン」
「でも」
藤崎の声が、少し、変わった。
「だからこそ。今のあなたにできることを、思い切りぶつけてきなさい」
……思い切り。
「全国レベルの選手と、本気で戦える機会なんて、そうそうないのよ。負けるのは、たぶん決まってる。でもその負けから、何を持ち帰るか。それは、あなた次第」
藤崎は、フェンスの向こうの、コートのほうを、見た。
「稲葉コーチも言ってたでしょ、あなたは強くなるって。そのうえで自分に、何が足りないのか。全国のトップは、どのくらいすごいのか。それを、肌で確かめてきたらどう? 今日の、田中君との試合が、あなたを一つ成長させたみたいに。――二ノ宮君との試合も、きっとあなたを変える」
……。
俺は、深く、息を吸った――。
負けるのは、決まってる。藤崎が、そう言うんだから、たぶん、本当だ。
でも、逃げる理由にはならない。
むしろ――全国レベルって、どんなんだ。俺の、両フォアは、フラットは、覚えたばっかのトップスピンは。どこまで通用するんだ。
……ちょっと、見てやろうじゃないか。
「……っし。うっしや」
俺は、立ち上がった。足の震えは、まだちょっと残ってたけど。
「行ってきます、藤崎先生!」
「ええ。行ってらっしゃい」
*
そうして、俺は、二回戦に向かった。
相手は、二ノ宮優斗。今大会の、優勝候補。全国ジュニアレベルの、オールラウンダー。
結果は――。
<0-6>、<1-6>。
完敗だった。
【作者あとがき】
この度はお読み頂きありがとうございました。
実はトップスピンやスライスというのは、スイングスピードに大きく依存しているという話でした。ここに気づいた千両君はどう成長するのか…。
それでは引き続きよろしくお願いします。