両利きのテニス初心者だけど、気づいたら美少女参謀とプロを目指してた   作:二刀

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第30球 緩急の罠

 

=== 千両利士 ===

 

 四回戦。相手は内田海斗君。

 

 神宮寺君が言っていた、緩急の使い手だ。地元のクラブのエースで、神奈川では名の知れた選手だという。

 

 コートで向かい合った内田君は、身長百七十くらい。頭一つぶん、こちらより小さい。

 

 穏やかな顔つきで、闘志をぎらつかせる気配はない。ただ、その落ち着きが、かえって不気味だった。値踏みするような視線が、こちらの全身を、すっと撫でていく。

 

「お願いします」

 

 軽く頭を下げ合って、試合が始まった。

 

 *

 

 内田君のサービスゲーム。最初の一球で嫌な予感がした。

 

 俺の右手フォアからのクロス側へのリターン、追いついた相手は速いトップスピンをセンター気味に放った。深く鋭く、ベースラインに突き刺さる。

 

 慌てて返すと次に来た球は、まるで別物だった。

 

 ふわり、と浮いた、遅いスライス。

 

 タイミングが合わない。打点が前のめりになって、返球が浮く形になってしまった。そして、その甘い球を内田君は涼しい顔で、コートの隅へ流した。

 

 ポイント。

 

 ……速い球と、遅い球。この落差がこんなにやりにくいのか。

 

 体がペースを覚えようとした瞬間、内田君はそれを裏切ってくる。

 

 速い、と思えば遅い。遅い、と構えれば速い。リズムがまるで作れないことを肌で感じた。一定のテンポで打たせてもらえないと、こんなに調子が狂うものなのか。

 

 次のポイントも、深いトップスピンで押し込まれ、最後は短いスライスで、前へ誘い出された。

 

 慌てて走り込むと、もう体勢が崩れている。苦し紛れの返球は、ネットにかかった。

 

 藤崎と立てた作戦、自分のリズムを守ること。トップスピンで押し通す。

 

 頭では分かっていた、けれども体がついてこない。緩急の波に、少しずつ飲み込まれていくような気がした。

 

 *

 

 リズムに乗れない自分を隠しながら、自分のサービスゲームはなんとかキープした。

 

 サーブの威力で押し切る形だ。サーブフォームを仕上げ、スイングスピードを上げてきた成果が、こういう場面で効いている。

 

 けれど内田君のチェンジオブペースはまるで崩せない。

 

 得意のショートクロスを狙っても決まらない。

 

 リズムを乱されているせいで、打点へのフットワークが甘くなる。目指す角度と打点がずれてしまい、いつもなら切れ込む球が、狙いのライン際、その外側に収まってしまっていた。

 

 さらに悪いことは重なった。

 

 緩急に惑わされたことで、スイングスピードが上がらない。自分のリズムをまもるためにトップスピンは必須だ。

 

 そしてそのトップスピンの要になるのはスイングスピードである。

 

 スピンのかからないトップスピンは沈まず、コートアウトになる……。

 

 サーブゲームはいい。キープはできる。けれどもどこかでブレイクしないと——。

 

 プレーに集中できていない。そのせいでトップスピンなのかフラットなのかなんとも抜けた球を打ってしまった。

 

 甘い。今のは完全に甘い球だ。

 

 内田君はそれを丁寧に強打で、こちらのオープンコートへ沈めた。

 

 緩急で崩し、決定打を待つ。決して無理をしない。こちらのミスをじっと待つような戦い方だ。

 

 ゲームカウントは進んでいく。お互いキープし合って互角に見える。けれど主導権は完全に内田君が握っている。

 

 向こうの手のひらの上で、転がされているように思えた。

 

 ちらりとスタンドの藤崎を見た。

 

 タブレットを片手にじっとコートを見つめている。何かを伝えたそうな目だ。でも試合中にアドバイスはもらえない。ここから先は自分で答えを出すしかなかった。

 

 ……落ち着け。崩されなければ相手が焦る。藤崎はそう言っていた。ならまだ負けてない。

 

 言い聞かせても、内田君の緩急は止まらなかった。

 

 

=== 内田海斗 ===

 

 いい感じだ。あの新人、完全に俺のペースに飲まれている。

 

 千両利士。両利きの、変わった選手だと聞いていた。実際、サーブもストロークも力がある。

 

 あのリーチとカバーリングは確かに脅威だ。生まれ持ったフィジカルのギフト。何もしなくても手にしている武器を、持っている男だった。

 

 ……羨ましい話だよ、まったく。

 

 テニスを始めたのは、小学生の頃。二人の兄を追いかけてのことだった。兄たちは背が高く、フィジカルに恵まれていた。自分も、当然そうなるものと思っていた。

 

 でも、身長は百七十で止まった。

 

 最近のテニス界は、フィジカルがものを言う。

 

 長身から打ち下ろすサーブ、力でねじ伏せるストローク。そのどれも手に入らなかった。コートに立つたび、自分の小ささを思い知らされた。

 

 一時は、テニスが嫌いになりかけた。

 

 こんな体で、何ができる。どこまで行っても、兄たちの背中は遠かった。

 

 そんなとき、一人のプロを知った。

 

 チェンジオブペースを操る、小柄な選手だった。

 

 緩急、変化、駆け引き。力ではなく、技術で、名だたる強豪を打ち破っていく。

 

 その姿に震えた。フィジカルがなくても戦える。テクニックで、上を喰える。あの試合を見た日、テニスをやめなくてよかったと、心から思った。

 

 それから、緩急に懸けた。速い球と遅い球の差を、研ぎ澄ます。

 

 打点を隠し、コースを読ませない。地道な反復を何年も続けた。気づけば神奈川ではそこそこ名の知れた選手になっていた。

 

 決定打なんて俺にはない。一発で終わらせる力はない。

 

 だから、崩して、崩して、崩し続ける。相手のリズムを奪い続ければ、必ずどこかでボロが出る。そこを丁寧に突く。それが俺の積み上げてきたテニスだ。

 

 今回こそ入賞する。そのためにここまで来た。

 

 あの両手フォアは、確かに厄介だ。

 

 左右どちらもフォアで叩ける選手なんて見たことがない。リーチも長い。まともに打ち合えばこちらが押し負ける。

 

 けれどもそれもリズムがあってこそだ。自分のテンポを奪われた選手は、どれだけ武器を持っていても、うまく活用できない。

 

 力で勝てないなら、土俵を変えればいい。俺の土俵に引きずり込む。

 

 ……悪いな、千両君。

 

 お前がどれだけギフトを持っていようと、緩急の前では関係ない。崩して、崩して、お前を、俺が喰う。

 

 トスを上げ、また一球、緩急の罠を仕掛けた。

 

 

=== 千両利士 ===

 

 第一セット中盤。

 

 ゲームカウント<4-4>

 

 ゲームカウントは競っている。けれど内容では押されていた。

 

 内田君の表情は変わらない。淡々と速い球と遅い球を織り交ぜてくる。

 

 こちらが慣れようとするたび、その裏をかいてくる。先回りされている。打つ前から、コースを読まれているような感覚すらあった。

 

 ……このままじゃまずい。

 

 頭では作戦が分かっている。自分のリズムを守る。トップスピンで押し通す。

 

 でも、その「リズム」を、まだ掴めていない。掴む前に崩されてしまう。

 

 深いスライスにまた踏み込みが遅れた。返球が甘く浮く。内田君はそれを確実に沈めてくる。

 

 ポイント。

 

 悔しさで奥歯を噛んだ。

 

 でも――まだだ。崩されてはいるけれど、心まで折れたわけじゃない。

 

 内田君の緩急は本物だった。

 

 一球ごとに、緻密に計算されている。相当に磨き込まれた技術だ。これに人生を懸けてきた、そんな重みすら感じる。

 

 決定打を持たない選手がここまでの武器を作り上げた。生半可な努力じゃこんなことはできない。

 

 だからこそここで気圧されたら終わりだ。

 

 ……掴んでやる。このリズムを。

 

 ラケットを握り直し次の一球に意識を集中させた。

 

 

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