両利きだけど、それって武器になるの? ~気づいたら俺、テニスでプロを目指してた~ 作:二刀
「いくよー、千両君」
ネットの向こうで、なっちゃん部長がラケットを構えていた。ポケットからボールを取り出しているのが見えた。
来る。
俺は右手でラケットを握り直して、腰を落とした。これって野球の守備の構えとちょっと似てるんだよな。ボールが飛んで来るところに流れるように入る。基本はそれだけ、同じ動きだ。
部長の手から、ボールがふわっと上がって——打った。
パコーン。
まっすぐ、素直な球が飛んでくる。お、これならいける。
足を動かしてすぐに俺は落下点に入った。昨日教えてもらったのは、打点を意識して近づくこと。
んで、素早くラケットを後ろに構えて振る。
パコーン。
おお、返った。抜けるような音と一緒に、ボールはちゃんと向こうのコートに飛んでいった。これだよ、これ。いい音でるよな。
「お、いいね」
部長が軽くステップを踏んで返してくる。
パコーン。
右手側に飛んできたボールは遅くもなく、速くもない。ちょうどいい打ちごろの球だった。こんなの外しようがない。
すばやくラケットを引き、俺も打ち返す。
パコーン。
……あ。これだ。
昨日、球出しで一人で打ってたのとは全然違う。向こうから球が返ってくる。
生きた球ってやつ? 俺が打った球を、誰かが打ち返してくる。で、それをまた俺が打つ。ラケットで会話してるみたいだ。
めちゃくちゃ、楽しい。
パコーン。パコーン。パコーン。
部長の球は真っ直ぐだった。変な回転もかかってなくて、俺が打ちやすいところに飛んでくる。だから俺も、まっすぐ打ち返せる。いいね、これ。クセになっちゃいそう。
ラリーが、続く。
途中、何回かだけ左側にちょっと逸れる球が来た。
だから俺は考えるより先に、左手に持ち替えて打った。
左手のフォアハンドだ。
パコーン。
うん、こっちも問題なし。右と同じだ。左に来たら左で打つ。当たり前だよこんなの。
なっちゃん部長の眉が、一瞬ぴくっと動いた気がしたけど、ラリーは止まらなかった。
「千両君、いいよ、いいよー」
部長の球がだんだん速くなってきた。
パコン。パコン。
さっきより、打ってから帰って間隔が短い。部長の返球が速いからだと思う。
でも——いける。
球が速くなっても、来るところは見える。なんでだろ、速いほうがむしろ、集中できる。野球でショートやってたときもそうだった。難しい打球のほうが、取りやすい。なんか、ゾーンに入る感じ。
パコン。パコン。パコン。
速いけど、問題なく返せる。その分早く移動して、構えればいいだけだ。めちゃくちゃ楽しい。
*
どれくらい続けただろう。
部長が、ふっとラリーを止めて、ボールをキャッチした。
気づいたら他の部員たちも俺となっちゃん部長のラリーを見ていた。藤崎さんもこちらを見ている。おいおい、みんな自分の練習があったんじゃなかったの。
なっちゃん部長がネット越しに声をかけてきた。
「……キミ、ほんとに昨日始めたの?」
「はい、そうですよ」
「うそでしょ」
「ほんとです」
部長は、なんか呆れたような、でも嬉しそうな、変な顔をしてた。うんうん、美人は変な顔でも美人だなぁ。
息はちょっと上がってるみたいだ。俺も上がってる。でも、全然まだ余裕だ。炎天下で動いてた野球少年なめんな。もっとやりたい。
「あのさ、千両君」
部長がラケットをくるっと回した。
「今のスピード、全然平気そうだよね」
「はい、楽しいです」
「うん。じゃあさ」
部長がにやっと笑った。
あ、この顔。なんか考えてる。さっきの「好戦的な顔」だ。
「もうちょっと難しいことしてもいい? キミならいけるかなって思う」
「難しいこと?」
「うん」
「えっと……どういう、ことっすか?」
部長は答えなかった。代わりに、ボールを軽く上げてラケットを構えた。
さっきまでとちょっとフォーム、っていうか打ち方が違う。なんか、下から上に、こすり上げるみたいな。
「こういうこと!」
パッコン。
球が来た。
来た、んだけど。……あれ? 球がなんか変だ。
いつもの「まっすぐ」じゃない。山なりに膨らんで、ぐん、と伸びてきて急に沈んだ——そして、俺の前で、急に跳ねた。
ぼよん、って。えぇっ。
俺のラケットは、さっきまでの「まっすぐ」のつもりで振り出してた。だから、跳ねた球の、下をすかっと通った。
ボールは、ラケットの上を越えて、後ろに飛んでいった。
……は?
「あはは! いい反応!」
なっちゃん部長が、めっちゃ笑ってる。俺は、自分のラケットと、後ろに転がったボールを、交互に見た。
なんだ、今の。
今の、なに。
さっきまで、あんなに気持ちよく打ててたのに。一球で、ぜんぜん打てなくなった。ラケットにかすりもしなかった。
「もう一球、いくよー」
パッコン。
また来る。さっきと同じ、こすり上げる打ち方。
今度こそ、と思って構える。
球がぐん、と伸びて——また、跳ねた。さっきより、高い!
跳ねて飛び上がるスピードが、尋常じゃなくて。思わず振ったラケットは空を切った。
くそっ、さっきより速い。
……もう一球。
言われる前に、俺は構えていた。
今度は、と思った。あの跳ねるタイミング。ぐん、と伸びて沈む、それから急激に弾む。そこに合わせるんだ。
「お、まだやる気だ。いいねぇ」
なっちゃん部長が、嬉しそうにまたあのフォームで打ってくる。
パッコン。
来た。さっき2回見た。3回目なら、もう少し見えるはずだ。
ぐん、と伸びる。沈む。来る、来る——今だ。
俺は、跳ね上がる球側に、ラケットを合わせにいった。
ガッ。
当たった。当たったけど、変な音だった。球は、ふわっと高く浮いて、コートのちょっと手前にぽとんと落ちた。
パコーンじゃなかった。でも――当たった。さっきは、かすりもしなかったのに。
「お——」
部長がちょっとだけ驚いていた。
*
ふと気づくと、コートが、静かだった。
いつのまにか、他のコートの音が止まっている。一年も、二年も、みんな手を止めて、こっちを見ていた。
「ねえ、今の……」
「三球目、当てたよね……?」
「うっそ、なっちゃん部長のあれ、超強烈なのに……」
「初心者だよね、あの子……」
ひそひそ声が、聞こえる。
え、なに。俺、また、なんかやった? いや、むしろ2回も空振りした側なんだけど。なんでそんな顔されてんの。
「どう? 今の、わかんないでしょ」
「……わかんないです」
「だよねー」
さっきまで、あんなにパコーンって鳴ってた音が、急に出なくなった。
すかっ、とか、ぼてっ、とかそんなのばっかりだ。
同じ人が同じラケットで打ってるだけなのに。なんで、急にこんなわけのわからない球になるんだ。
胸の真ん中が、さっきの「わくわく」とは、別の感じになってた。なんだろうこれ。
……悔しいのか。これ。
ネットの向こうで、なっちゃん部長が、ラケットを肩に担いで、にこにこ笑ってた。
部長は楽しそうに言った。
「それがさ、テニスなんだよ」
俺は、後ろに転がったボールを拾いに行きながら考えてた。今の、なんだったんだ。あの、跳ねるやつ。
悔しくて、絶対打ち返したくて、……もう1回、やりたい。今度は返す。
拾ったボールを握って、ふと顔を上げたら——バックネットの裏で、藤崎さんがこっちを見てた。
なんか――ちょっとだけ笑ってた気がした。
【作者あとがき】
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