両利きのテニス初心者だけど、気づいたら美少女参謀とプロを目指してた 作:二刀流れ
=== 千両利士 ===
優勝が決まってまだ心臓がうるさく鳴っていた。
源さんがネット際まで歩いてきた。俺もラケットを持って歩み寄る。
ネット越しに手を差し出された。汗で濡れた大きな手だ。
「千両。おめでとう」
「……ありがとう、源さん」
握り返すと源さんはにっと笑った。あの初めて会った時と同じ屈託のない笑顔だ。
「楽しかったぜ。これからも頑張れよ」
それだけ言って源さんは背中を向けた。
堂々とした大きな背中がコートを離れていく。
負けたのにまるで悔しさを感じさせない。むしろ清々しく強い人だと思った。
*
俺は荷物をまとめてコートを出た。
選手用のゲートへ向かった。長いような短いような通路を歩く。
……勝ったんだ。
まだ実感がなく少しふわふわしていた。足が地面についてる気がしない。
二時間の長期戦、打ち合った疲れも今はどこか遠い。
頭の中でさっきの最後の一球が何度も再生される。源さんのフラットがベースラインを割ったあの瞬間を。
通路の先に光が見えた。
その光の中に見慣れた顔が何人も待っていた。
「きっしーん!」
「利士ーっ!」
「千両君!」
「千両君……」
みんなが口々に名前を呼ぶ。
市川さんがタブレットを胸に抱えて、ぴょんぴょん跳ねている。
軽部が両手を振り回している。
栗原さんが満面の笑みで拍手している。
稲葉コーチが腕を組んでうんうんとうなずいていた。
「利士、お前、マジですげえよ! 俺、テニス、よく分かんねえけど鳥肌立ったぞ!」
軽部が興奮してまくし立てる。
「かっこよかったっす、千両君。あんな熱い試合、初めて見たっす」
栗原さんも目をきらきらさせている。
「きっしん、優勝だね〜。ばっちりデータ取れたよ。次の分析が楽しみ」
市川さんは相変わらずの調子だ。
「よくやった、千両君」
稲葉コーチが短くそう言った。多くを語らない。でもその一言に全部が詰まっている気がした。
そして――その真ん中で、藤崎が一歩前に出た。
*
「おめでとう、千両君」
藤崎の声がいつもと違った。
「本当に……本当に、優勝、おめでとう」
繰り返すその声がかすかに震えている。いつもクールで冷静な藤崎。その目が今は赤く潤んでいた。
俺は——、藤崎の前に立った。
「藤崎。優勝したぞ」
言葉が勝手にあふれてきた。
「俺、優勝したんだ。やった。やったぞ」
「……なあ、藤崎。俺、藤崎に、答えることができたかな」
「この二か月無茶苦茶頑張ったんだ。少しでも……、お前に……、何か、何か返せるように、って」
藤崎がテニスができなくなったこと。
夢を諦めたこと。
それでも俺にテニスを教えてくれたこと。
データで支えてくれたこと。
全部知ってる。だから勝ちたかった。藤崎のためにも。
藤崎は少しの間黙っていた。それからゆっくり首を横に振った。
「……何を言ってるのよ」
その頬を一筋涙が伝った。
「十分、答えてくれたじゃない。千両君が、あなたが、本当に頑張ってたのは……私が、一番よく分かってる」
藤崎が手を差し出してきた。
俺はその手を握った。細くて少し冷たい手。でもしっかりと握り返してくれる。
この手が俺をここまで導いてくれた。二か月前何もできなかった俺を。この人がいなかったら俺はこの場所に立っていない。
二人で掴んだ優勝だ。
*
『これより表彰式を始めます。優勝、千両利士くん、準優勝、源烈くん、三位の選手はセンターコートにお集まりください』
アナウンスが、響いた。
俺はもう一度あの大きなコートに戻った。
表彰台の一番高いところに立つ。
トロフィーを手渡される。こじんまりとしてはいるけれどずしりと重い。銀色に光るその重さが、優勝の証だった。
観客の拍手が降り注ぐ。写真のシャッター音。
晴れがましくて、むず痒くて、恥ずかしい。こんなの初めてだった。どこを見ればいいのか分からない。
でもそれ以上に――自分が誇らしかった。
表彰台から観客席を見渡す。軽部が、栗原さんが、市川さんが、稲葉コーチが、拍手を送ってくれている。そして、藤崎が。
涙を拭っていつもの穏やかな笑顔でこっちを見ていた。
藤ヶ谷オープンでは味わえなかった景色だ。あのときは二回戦で負けてうつむいて帰った。
それが今俺は一番高い場所からこの景色を見ている。
*
表彰式の後。片づけをしていると源さんがまた声をかけてきた。
「なあ千両。ひとつ聞いていいか」
「はい、なんですか」
「お前、なんで野球辞めたんだ?」
……その質問に俺は一瞬言葉に詰まった。
「うーん……野球に不満とかこれといった辞めた理由はないんですけど。ただ新しいことに挑戦してみたかったんです」
本当のところはまだうまく言葉にできない。でも嘘はついていない。
「そうか」
源さんはそれ以上踏み込んでこなかった。
「テニスはどうだ?」
「めっちゃ楽しいですよ」
これは即答できた。
「今回の大会ではいろんな人にお世話になったんです。藤崎に、コーチに、仲間に。たくさんの力をもらいました。それをすごく実感しました。俺一人じゃここまで来れなかった」
源さんが少し目を見開いた。何か思うところがあるような顔だった。
「……ああ。そうみたいだな」
源さんはふっと笑った。決勝のときとは少し違う静かな笑い方だった。
「ありがとう、千両。本当に今日はおめでとう。……また、試合やろうぜ」
「はいっ! でわ、また!」
源さんの大きな背中を見送る。
いつかまたこの人とコートで戦いたい。今度はもっと強くなって。そう思った。
*
家に帰って、トロフィーを親に見せた。
「え……あんた、これ、どうしたの」
母さんが目を丸くした。
「大会で優勝した」
「優勝!?」
母さんの声がひっくり返った。
「ちょっと! あんた、そんなすごい試合してたの!? なんで呼ばないのよ! 見に行ったのに!」
「いや、そんなタイミングなかったんだって」
「タイミングって、あんたねえ……」
母さんは、しばらく、ぶつぶつ、文句を言っていた。でもその手はトロフィーを大事そうに撫でている。
「……まったく。世話の焼ける子ね」
そう言って、母さんはふっと笑った。
「でも……まあ、すごいじゃない。よく頑張ったね」
ぶっきらぼうなその一言がなんだかじんわりと胸に染みた。
*
初めての優勝。
トロフィーを部屋に飾って、俺はベッドに寝転がった。天井を見上げる。
二か月前、俺はテニスを始めたばかりの素人だった。
両手フォアしか武器がなくて。二ノ宮君に完敗して。それでも藤崎と出会って、必死に走ってきた。
その先にこの優勝があった。
でもこれはゴールじゃない。
二ノ宮君。東堂。源さん。まだ見ぬ強敵たち。もっと上の景色。俺の戦いはまだ始まったばかりだ。
……もっと先に行きたい。
いろんな人と出会って。いろんな思いを背負って。テニスを通じて俺は、もっと遠くまで行ってみたい。
俺はぎゅっと拳を握った。窓の外はもう夜だった。明日もまた練習だ。
【作者あとがき】
相模テニストーナメント、結果は優勝でした!
ここまで読んで下さった方、ありがとうございます。