両利きだけど、それって武器になるの? ~気づいたら俺、テニスでプロを目指してた~ 作:二刀
=== 藤崎真白 ===
ありえない、と思いながら、私はずっと見ていた。
ネットを挟んで、なっちゃん部長と千両君が打ち合っている。パコーン、パコーンと、規則正しい音が続いていた。
傍目には、ただのラリーだ。経験者と、ちょっと運動のできる初心者が、軽く打ち合っているだけに見えるかもしれない。
でも、私には、その「ありえなさ」がはっきり見えてしまっている。
昨日今日でテニスを始めたばかりの人間が、なっちゃん部長の球を、十球、二十球と続けて打ち返している。それも、ただ当てているんじゃない。彼の打った球は、ちゃんと相手コートの打ちやすいところへ、まっすぐ素直に返っている。
それも両手で、どちらもフォアハンドでだ。
狙っているのかはわからないけれど、結果的にそうなっている。これは異常だ。
初心者の球は、普通はこんなに簡単に返らない。ラケットが空回りしたり、ふかしたり、ネットにかけたり、サイドに切れたり、短く落ちたり。
コントロールなんて、何ヶ月も打ち込んで、ようやく身につくものなのだ。
なのに彼の球には、それがなかった。
もちろん、部長は手加減しているってのもある。
見ていれば分かる。球のスピードも、コースも、千両君が返しやすいところへ、意図的に置いている。
回転だって、かけていない。いつものあれ――部長の代名詞になるような、全国でも通用したあの強烈なトップスピンは一球も使っていない。
当たり前だ。あんなものを初心者に打ったら、返せるわけがない。たとえ千両君でも手も足も出ないだろう。
……ただ。
手加減しているとはいえ、だ。
部長が手加減してくれる範囲の中で、千両君が一球も落とさずに打ち合えていること自体が、説明がつかないことだった。
それに。
私は、彼の足元と、ラケットの動きを目で追った。
速い。
動き出しのスピードが、とにかく速いのだ。部長がボールを打った、まさにその瞬間には、もう千両君は動き始めている。球がどこに来るか、打たれる前から分かっているみたいだ。
テニスはある程度経験を積むと相手のフォームと体の向きで、どのコースに打つか予想できることがある。
上の人たちほど、相手が打つ前にコースを読む。私もそうやって戦ってきた。
広い視野と高い動体視力で球の速度速度と回転を先読みして、リターンの精度を上げるのだ。
つまり彼は部長の球を読んでいる。動き出しが早いから打点に入るのも早い。そして基本であるが、おろそかにできないラケットを後ろに引くテイクバックも早い。
だから、どんな球が来ても、彼にはいつも「準備する時間」がある。余裕を持って振れている。
たぶんこれが両手フォアハンドで打てていることの下支えになっている。
ボールを目で追って、落ちる場所を予測して、先回りする。この感覚を、彼はもう持っている。
テニスを始めて二日目の人間が、ゼロから身につけられるものじゃない。
野球をやっていたと聞いている。ただそれだけでここまでできるものなのだろうか。
「……なんでこんなことできるんだろう」
口の中で呟いていた。
すごい、なんて言葉じゃ足りない。私はトップを本気で目指して、いろんな選手を見てきたつもりだ。同年代の天才も、年上の化け物も。
でも、両手フォアハンドなんて、聞いたことがなかった。
パコーン、と、また澄んだ音がした。
千両君は、相変わらず、心の底から楽しそうな顔で打っている。たぶん、いや絶対自分がどれだけ異常なことをしているのか、これっぽっちも分かっていないんだろう。
……ずるい、と思った。
なんでこんな顔で打てるんだろう。
私が、もう二度とできなくなった顔で。
=== 千両利士 ===
「はい、千両君、いったんここまでー」
あのめちゃくちゃ跳ねるボールを最後に、なっちゃん部長はラリーを止めた。
あー、楽しかった。けど、あの跳ねるやつが打てなかったのが悔しい。まだやりたい。次は絶対打ち返しちゃる。
っていうか久しぶりにこんなに汗かいたわ。Tシャツも背中に張りついてる。やっぱテニス、見た目通りめっちゃ動くんだな。
「キミ、ほんと面白いわ。気に入った」
部長が、ネット越しにラケットをびしっとこっちに向けてきた。
「でもまあ、さっきのスピンはまだ無理だよね」
「あれ、なんすか。マジで意味分かんなかったです」
あの、急に跳ねるやつ。三球目にやっと一回かすっただけで、結局まともに返せなかった。思い出すと、ちょっと、いやかなり、悔しい。
「それはね、私の口で説明するより――」
部長が、にやっと笑って、バックネットの方を振り向いた。
「真白ちゃん。お願いしていい? あの子に、説明してあげて」
藤崎さんが、ちょっと驚いた顔をした。けど、すぐにいつもの真顔に戻って、こっちに歩いてきた。
「……いいですけど」
「じゃあお願いねー、私ちょっと用事あるから離れるわ。じゃあ千両君、またね」
「――うっす。次は絶対あの球返して見せます」
「期待してるよー」
そういってなっちゃん部長はコートから出ていった。さて、藤崎さんが教えてくれるのか。
「なぁ藤崎さん。あれ、いったいどうなってんの。同じ人が、同じラケットで打ってるのに、急にぼよんって跳ねたんだけど」
「跳ねた、ね」
藤崎さんは、少し考えるみたいに間を置いて、指を3本立てて言った。
「テニスの打ち方には、大きく分けて三種類あるの」
三種類。へえ。
「一つ目が、フラット。回転をほとんどかけない、まっすぐな球。あなたがさっきから打ってるの、ぜんぶこれ」
「俺の?」
「スピードは出るし、まっすぐ飛ぶから打ちやすい。でも、ネットを越える高さと、コートに収まる距離の、両方を同時に満たさないといけないから、本当はすごくシビアな打ち方。あなたは……なんでか知らないけど、それが最初からできてる。普通はできないのよ」
「えっ、そうなん?」
「そう。意味分かんないけど」
また意味わかんない言われた。
「二つ目が、スピン。正確にはトップスピン。さっきなっちゃん部長が打ったやつ」
あ、あれか。あの、ぼよんってやつ。
「ラケットを、下から上にこすり上げて打つの。そうするとボールが前に回転しながら飛んで、山なりの軌道を描いて、コートに入ってから、ぐん、と前に高く跳ねる」
「あー……」
跳ねた。確かに。あれ、わざとやってたのか。すごいな、器用なことするわ。
「回転がかかってる分、ネットの上を高く通しても、ちゃんとコートの中に収まる。だから安定するし、跳ねるから相手は打ちにくい。攻撃にも守備にも使える、現代テニスの基本の打ち方」
「へえ……」
なんか思ったよりちゃんとした説明だわ。藤崎さん、説明うまいな。
「で、あなたがあれを打ち返せなかった理由」
うっ。
「あなたの打ち方、たぶん野球の名残。ボールを、上から潰すみたいに、まっすぐ叩いてる。だから、下から上にこすり上げる感覚が、たぶん全然ない。フラットしか打ててないし、跳ねる球に対して、ラケットの面を合わせる準備もできてない」
なにぃ!……図星すぎる。なるほど、そりゃだめだわ。
っていうその通りだ。俺、ボール来たら、バットみたいに「叩く」って感覚で振ってた。こすり上げるなんて発想、まったく御座いませんでした。
「すげえ。なんで分かんの、それ」
「見てれば分かる」
藤崎さん、しれっと言いますね。かっこいいなおい。
「三つ目が、スライス。これはスピンの逆。ラケットを上から下に切るように打って、逆回転をかける。球が低く滑って、あんまり跳ねない。緩急をつけたり、守ったりするときに使う」
フラット、スピン、スライス。三つ。
まっすぐなやつ、跳ねるやつ、滑るやつ。
なるほど、確かに、全部「打ち方」が違うわけだ。同じラケットでも、振り方で球が変わる。テニスは奥が深いな。
「ちなみに」
藤崎さんが、ちらっとなっちゃん部長が出ていった方を見た。
「なっちゃん部長のトップスピンは、その中でも特別。全国の上位の舞台で、あの回転を武器に勝ってきた人だから。部内でも、あのレベルのスピンを打てるのは、レギュラーの何人かくらい」
えっ。
じゃあ、俺がさっき返せなかったの、当たり前ってことか。全国レベルのやつを、初心者がいきなり食らったわけだ。
……なんだ。じゃあ三球目にちょっとでも当たったの、結構すごくね? いや、当たっただけか。返せてないし。うん。やっぱ悔しい。
「で」
藤崎さんが、こっちをまっすぐ見た。
「どうするの。入部するの?」
ん。
その質問に、俺は、一秒も迷わなかった。
「もちろん!」
即答した。
「こんな楽しいんだぞ。入らなきゃ損だろ。大損害。むしろなんで今まで入ってなかったんだってレベル」
「……そう」
藤崎さんが、ほんの少しだけ、口元をゆるめた気がした。
「ってことはさ、俺も練習したら、あのスピン打てるようになる? んで、いつかあれ、打ち返せる?」
「……」
「早くうまくなって、なっちゃん部長のあれ、返してみたいんだよなぁ。ぼよんってやつ。次は絶対、すかっじゃなくてパコーンって」
「あのね」
藤崎さんが、ため息をついた。
「気が早すぎるわよ。あなた、まだラケット握って二日目でしょ。フラットがたまたま打てるからって、調子に乗らないこと。スピンもスライスも、できるようになるまで何ヶ月もかかるんだから。もっと練習しなさい」
「うえー、何ヶ月」
「当たり前でしょ」
ぴしゃり、と言われた。
でも、不思議と、嫌な気はしなかった。むしろ、なんだろう、わくわくしてる。何ヶ月もかかる、ってことは、それだけやることがあるってことだ。打てるようになりたい球が、まだ二つもある。その先も、きっとまだまだある。
高校に入って、なんか、ずっとつまんなかった。
勉強して、それなりにいい高校入って。でも、これといってハマるものもなくて。毎日が、なんとなく過ぎてくだけで。
それが、今。
目の前に、楽しいことが、山盛りになってる。
パコーン、っていうあの音。返せなかった悔しさ。もっとうまくなりたいって気持ち。全部、二日前までの俺には、なかったものだ。
やっと、見つけた感じがする。俺の、夢中になれるやつ。
「藤崎」
「……だから、なんで呼び捨てなのよ」
「あ、すまん」
「――いいわよ、もう」
「俺、テニス、めっちゃ好きかも!」
この後、利士君は藤崎さんのことを藤崎と呼び捨てするようになります。
【作者あとがき】
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