両利きだけど、それって武器になるの? ~気づいたら俺、テニスでプロを目指してた~ 作:二刀
コート横のベンチテーブルで女の人、藤崎、俺が並んで座っている。
「千両君、こちら、稲葉あいコーチ」
藤崎が紹介してくれた、その大人の女の人。稲葉コーチは、軽く頷いて口を開いた。
「稲葉あいです。週に二、三回、外部コーチとしてこの部を見てる。普段は、市内のクラブのほうにいるけどね」
市内のクラブ。へえ、そういう人がコーチに来てるのか。
「九条さん――なっちゃん部長を、全国レベルまで育てたのもこの人なのよ」
藤崎が補足してくれた。
……えっ。なっちゃん部長を? あの全国出てる人を育てた。
つまり、めちゃくちゃすごい人ってことだ。なんか急に背筋が伸びたわ。
「はじめまして。千両利士です。よろしくお願いします」
とりあえず、ちゃんと頭を下げた。こういうときの礼儀は、野球部で叩き込まれてる。
稲葉コーチは、そんな俺の様子を見てふっと笑った。それから、まっすぐ俺を見て聞いてきた。
「千両君。君は、これからテニスで、どうしていきたい?」
ん。どうしていきたい。
どうって。
「えっと……まずは、なっちゃん部長と、ガンガン打ち合いたいです! あの跳ねる球、絶対返せるようになりたくて」
俺がそう答えると、稲葉コーチは、ちょっと面食らった顔をして、それから笑った。
「うん、それはいいことだけど。そうじゃなくて」
藤崎が、横でため息をついた。
「目標の話よ。大会とかそういう。どこを目指すかっていう」
あー。そういうことか。
目標。先のこと。うーん、考えてなかったな。テニス始めてまだ一週間ちょいだぞ。先のことって言われても。
*
「じゃあ、私から提案するけど」
藤崎が指を一本立てた。
「まずは、大会に出て、一勝。ここを目標にするのがいいと思う」
一勝。
なるほど。一勝か。
……いや。
「一勝?」
俺は、思わず聞き返した。
「ノンノン。藤崎くん、それはちょっと弱気じゃないか?」
「は?」
「男なら、優勝でしょ!」
言い切った。
だって、目標って、どうせ立てるならでかいほうがいいだろ。一勝で満足してどうする。出るなら、てっぺん取りにいく。それくらいの気持ちでやりたいです。
藤崎が、はぁーってため息ついて額に手を当てた。
「……あのね。あなた、まだトップスピンも打てないのよ。優勝って、相手は何年もやってる子たちなんだから」
「分かってる。今は無理だってのは。でも、目標は優勝。やるからにはそこ目指す」
言ってから、自分でちょっと驚いた。
昔の俺ならこんなこと言わなかった気がする。野球のときも、「とりあえず楽しめればいいや」くらいだった。優勝とか本気で口に出したことなかった。
なんでだろ。テニスだと言える。本気で上に行きたいって思ってるんだな、これが。
稲葉コーチが俺の顔を見て、ちょっと面白そうに目を細めた。
「いい目標だ」
お。
「現実的には、まず一勝。真白の言う通りだ。でも心に置く目標は高くていい。むしろそのくらいでちょうどいいと思うよ」
でしょ。コーチ、分かってるー。
「で、千両君」
稲葉コーチが、続けた。
「これから練習を進めるうえで、もちろん私もできる限りサポートをするが毎日ここにいるわけではない。必要なことは基本的に真白と、その都度相談してくれ。」
ん。真白と?
「……なんで、藤崎と?」
俺は、首をかしげた。
いや、藤崎がテニスに詳しいのは知ってる。めちゃくちゃよく知ってる。教えるのも上手い。でも同じ一年生だ。なんでコーチが、わざわざ「真白と相談しろ」って言うんだろう。
稲葉コーチは少し間を置いてから言った。
「真白はな。怪我で長い時間のプレーができないんだ」
……え。
俺は藤崎のほうを見た。
藤崎はいつもの真顔で、何も言わずに話を聞いていた。表情は変わらない。でもなんていうかいつもよりちょっとだけ静かに見えた。
「だから今は選手としてじゃなく、部全体のサポートのほうに回ってもらってる。練習管理したり、戦略を組んだり、相手を分析したり。そういうことを、誰よりうまくやれる子だ」
あー……。
そうだったのか。
藤崎が着替えないでコートにいたの。いつもバックネットの裏から見てたの。教えるのが異常に上手いの。全部そういうことだったのか。
なんかいろいろ繋がった気がした。
「で、その分析力を君のサポートにも使ってもらう。君が強くなるために」
「俺の?」
「そう」
稲葉コーチは頷いた。
*
「それともう一つ伝えることがある。――正直に言うとね、千両君」
コーチの口調が少し変わった。なんかちゃんと聞かなきゃいけないやつだ、と思った。
「まだはっきりとは分からない。でも君は強くなる。たぶん私が思ってるよりずっと――」
えっ。
「君の練習映像は見せてもらった。初心者が、手加減ありとはいえなっちゃんと打ち合えた。あれだけでもう証拠としては十分だ」
そんな、買いかぶりすぎじゃ……いや、でも嬉しい。元プロの人に言われると、なんか、本物っぽく聞こえる。
「そしてね。その両手のフォアハンド――」
コーチが俺のラケットを指した。
「あれは紛れもなく、君だけの武器だ。私も長いことテニスをやってきたが、君みたいな子は初めて見た」
初めて。プロのコーチが、初めて。
……マジか。俺、そんなに珍しいのか。藤崎にもなっちゃん部長にも「意味分かんない」って言われたけど、コーチにまで言われると、なんかちょっと誇らしいような、怖いような。
「ただ」
コーチの声が、すっと少し低くなった。
「前例が、ほとんどない。だから――その打ち方を続けると、身体にどんな負担がかかるのか、正直私にも分からないんだ」
身体に、負担。
「両手とも使う、っていうのは、普通の選手が絶対にやらないことだ。その誰も通ったことのない道を、君は行こうとしてる。それはすごいことだけど、同時に何が起きるか分からないってことでもある」
……。
なるほど。確かに。考えたこともなかった。
俺、ただ「楽だから」「楽しいから」で左右両方使ってたけど。そっか、誰もやってないってことは、何が起きるか分かんないってことか。
「だから」
コーチが、まっすぐ俺を見た。
「才能に、胡座をかかないでほしい。強くなるからこそ、無理をしないで、しっかり身体をケアしながら、練習を積んでくれ。長く、テニスを続けるために――」
その言葉のあと、コーチはちらっと藤崎のほうを見た。
一瞬だけ。
なんだろうあの目。なっちゃん部長が俺を見る目とも違う。コーチがさっきまで俺を見てた目とも違う。なんか――痛そうな、悔しそうな、そういう目だった。
藤崎は、その視線に気づいてるのか、いないのか。やっぱり何も言わずにただコーチが話すことを聞いていた。
俺にはよく分かんなかった。でも、なんか二人の間に俺の知らない時間があるんだろうな、ってことだけは、なんとなく感じた。
*
コーチが、また俺に目を戻した。
そしてふっと表情を緩めた。
「とはいえ、だ。縮こまって練習しろ、って言ってるわけじゃないぞ」
お。
「私はね、現役のころわりと変わった選手だったんだ。普通じゃないやり方で、戦ってた」
へえ。コーチが。
「だから君みたいな、人と違う武器を持った子を見ると――応援したくなる。思いっきり伸ばしてやりたくなるんだ」
コーチはにっと笑った。
その笑い方、なっちゃん部長の好戦的なやつとは違って、もっとこう、優しい感じだった。でも芯はめちゃくちゃ強そうな。
「君は有望だ。だから存分に練習に励んでくれ。けれども身体だけは、大事にしてな」
「……はい!」
俺は思いっきり頷いた。
なんか胸が熱くなってた。
*
コーチとの話が終わって、俺は一人、今の話を思い出していた。うん、コーチめちゃくちゃいい人だったわ。
すごい人で、俺のことちゃんと見てくれて、褒めてくれて、でも怪我には気をつけろって本気で言ってくれる。プロのコーチってこういう人なんだな。
うーん申し訳ないけど野球部時代と全然違うな。環境変わるとこんなに違うのか。ちょっと感動。
よし。やるぞ。優勝目指すぞ。まずは一勝、その先に優勝。
……あれ。
でも。
「藤崎。さっきコーチ、大会って言ってたけど。そんなのあるの? いつ?」
近くで道具を片付けてた藤崎に、聞いてみた。
そしたら手を止めずに、さらっと答えてくれた。
「次は、六月の藤ヶ谷オープンジュニア。フリーエントリーだから、まだ登録が間に合うわ。ギリギリだけど」
六月の大会!?
もうすぐじゃん。
「出る。出たい。間に合わせて」
「……気が早いわね、ほんと」
藤崎が、ちょっとだけ呆れたように言った。でも、止めはしなかった。
おっしゃ。
初めての大会。
トップスピンもまだろくに打てない。サーブも知らない。体力だって戻りきってない。
でも――やるしかない。やりたい。
二日前まで、いや一週間ちょい前まで、なんもなかった俺の毎日にちゃんと目標ができた。
六月の大会で一勝。そして、できれば優勝。
なんだろう、これ――燃えてきた。
【作者あとがき】
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