最近、どうも物を失くす。定位置においていたはずのボールペンが消えているのを見て、頁食雄はため息をついた。ガサゴソと引き出しを探るも、目当てのものはない。それどころか、引き出しに入れておいたキーホルダーまで無くなっているのに気づき、思わず舌を打った。
それに、偶然通りかかった後輩の小宮がびくりと肩を揺らす。
「…なんか用か」
「い、いえ!何も!
小走りに去っていた小宮から視線を切り、はぁと天井を仰いだ。黒い染みが見え、あそこに染みなんかあったかと首を傾げる。そこに、不機嫌な女の声が割り込んだ。
「ねえ、後輩怖がらせてんじゃないわよ」
「…
「あら、やっと私の名前覚えたの?」
「同期だから名前くらいとっくに覚えてんに決まってんだろ」
「へぇ、それにしてはずっと「おい」だの「お前」だのと呼ばれたことしかなかったのは私の気のせい?」
悪かったよ、と特段悪くも思ってなさそうにそっぽを向く。その様子に
「次の取材場所。目通しといて」
「いい、当日に見る」
「…あのねぇ、いつになったらそのスタンス直るわけ?良い加減プロ意識を持ちなさいよ」
「プロっつったってただの平社員だろ」
我関せずとでも言いたげにスマホをいじり出す頁食に愛想をつかし、
その名に違わず、人より縦に伸びた瞳孔が彼を見ていた。
「今度の取材先、渓谷よ」
「だから?」
「自殺の名所」
ぴく、と頁食は動きを止めた。机の端に追いやられた資料へと手を伸ばす。その姿に、
飴色の木のドアが、乱暴に開けられた。
…おや、お客さんはいつぞやの!また来てくれたのかい、嬉しいねェ。ま、お座りよ。
促され、糸端が飛び出している座布団に腰掛ける。
んで?あたしの店に寄ったってことは、話が面白かったってことで良いのかい?いやァお客さん、嬉しいことを言ってくれるじゃねぇかい。…まだ何も言ってない?そんな、照れなくたってあたしにはちゃんと聞こえてんだよ、お客さんの心の声ってヤツがさァ。
今日はそうだねェ、前回よりももっと強いのを仕入れたんだよォ。お客さんが怖くないって言うもんだから。…ところでお客さん、なんかこう、ペンとか持ってないかい?あたしゃ出不精でね、この店に籠ってるもんで。買い物もろくに行かないせいで、小物を持っていないんだよ。
…え?持ってない?お客さんリーマンじゃなかったのかい?
とぼけたような聞き方に、強めの舌打ちで返せば、いかにも愉快だと良いたげにカカと哄笑した。
悪い悪い、全部のリーマンがペン持ち歩いてるわけないもんなァ。…何、無くした?あれま、お客さん見た目に似合わないことを言うね。てっきりモノの定位置とかしっかり決めてそうなのに。…マァ人を見た目で判断するのも良くないか。
さて、じゃあ今日は「モノ」の話でもしようかね。
どっこらしょ、と立ち上がり、老人は部屋の隅から一体の日本人形を引っ張り出した。
綺麗だろう?ウチに昔っからあるもんでね、今じゃ家族の一人さ。…「家族の一人」なんて偉そうに言えるほど沢山はいないけど。ほうら、このガラス玉みたいな目がいいだろう?髪なんか綺麗に切りそろえられちゃってさァ。ツヤツヤしてるよねェ、一昔前はみーんな、ボッサボサの手入れされてない髪だったのに。今じゃ人形ですらこうさ。
愛おしむように日本人形を撫でて、老人はようやく本題に入った。
昔々、良いところのお嬢さんがいた。その子は頭が良くて、美人で、才気に溢れていて。できないことは無いんだと、いつも鼻高々に暮らしていた。いわゆる箱入り娘ってヤツさァ。そうさな、名前は麗華とでもしよう。気に入らない女中はクビ、野暮な服は破り捨て、嫌いな食べ物は屑入れにポイ。
…随分と嫌味ったらしく聞こえるかい?だがこれが事実なもんで、そりゃあお仕えしてる人間には大層嫌われていた。が、腐ってもお屋敷のご主人が蝶よ花よと育てている一人娘だ。大っぴらに悪口なんぞ言えやしない。
だがなァ、とうとう一人の女中がその仕打ちに耐えかねた。名前は和子、素朴だが優しい娘でね、屋敷の人間全員に好かれていた。だがなァ、ある日麗華に墨汁をぶっかけられたんだ。その時麗華は学校の課題を間違えたとか何とかで、マア機嫌が悪かった。そこに和子がちょいと余計なことをいっちまったんだ。
そこで、おほんと咳払い。しなを作るように、鼻にかけたようなわざとらしい女声を出す。
あー、「お嬢様。少々機嫌が悪いのでは?お茶でも飲んで、気分を紛らわせましょう!」ってね。
よほど出しづらい声だったのか、ゲホゲホと咳き込んだ。
…女声って難しいねェ、慣れないことはするもんじゃない。…ん?あそうそう、麗華だったね。麗華は自分の気分を指摘されるのがこの世で二番目くらいに嫌だったのさァ。その上、機嫌は元から最悪。火に油を注ぐどころじゃなかったってのは、誰の目にも明らかだろう?
そんで、ぶちりとキレちまって、手に持ってた墨を、ぜーんぶぶちまけたのさ。
和子はそれをモロに浴びちまって、全身真っ黒。来ていた服はもう大惨事さ、黒く無いとこなんてありゃしない。可哀に、和子はショックで固まっちまってね、麗華に蹴り出されるようにして部屋から出た。
変なのはその後さァ、麗華に追い出された後、和子はわんわん泣いていた。涙なんて流したことのない、あの和子が!屋敷の人間はみんな吃驚、何があったんだろうってひそひそ囁いた。
…何で和子はそんなに悲しかったのかって?簡単だよ、着ていたのが母親の形見だったからさァ。泣き疲れて、和子はふと姿見に映る自分を見た。髪はカピカピ、着物は黒で染まり、顔は涙と墨でぐっちゃぐちゃ。とても見れたもんじゃないそれに、和子は麗華への憎しみがパン!って弾けたのを感じたんだよォ。
和子は一日の休暇を願い出て、自分の村へ帰った。そこで、先祖代々大事にされてきた日本人形を引っ張り出したのさァ。そして、人形に願った。どうかあの性悪女に、罰を与えてくださいって。こう、人形の額と自分の額を合わせてねェ。
抱えていた日本人形と、己の額をピタリとくっつけた。電球がカチカチと明滅し、人形の空っぽのガラス玉がそれを写す。
屋敷に帰った後、和子は何食わぬ顔で人形を麗華に差し出した。お嬢様にぴったりだと思ったので実家から持ってきましたって、そりゃあ良い笑顔でねェ。麗華は大喜び、奪い取るようにして人形を受け取った。
…え?バカだって?そんな顔するんじゃないよ、昔話の人間ってのは大体バカだと相場が決まってるじゃないかァ。
人形を日当たりの良い窓辺に置いて、麗華は毎日それを愛でた。勉強もそっちのけで遊ぶ娘に、最初は苦笑していたご主人も段々と不安になってきて、それとなァく麗華に伝えた。そろそろ遊ぶのをやめたらどうだいって。
当然のように麗華はそれを無視したが、心中ではマァそろそろ勉強してやるかって思ってた。なぜかって?飽きてきたからだよォ。お嬢様ってもんは、一度気に入ったら冷めるまでが早いから。
一週間くらい経つと、麗華はもう人形には見向きもしなくなった。適当にその辺にほっぽり出して、イヤイヤながら出された課題をやってたわけだ。そこから三日ぐらいは平和だったんだが、ある日麗華は人形がなくなっていることに気づくんだよォ。例え飽きちまったとしても、それなりに気に入っていた人形だったからねェ、麗華は部屋中をひっくり返して探した。
それでも無かったから渋々諦めたんだが、ある時ひょっこり戻ってきたんだ。麗華はそりゃあ驚いて、あれだけ探したのにって不思議がった。マア一週間経つとそんなことも忘れてたんだがね。
ところが、三週間かなァ、それくらい経った時に、また人形が消えたんだ。今度はすぐに戻ってきたが、麗華は気づいちまったんだよ、人形の異変に。…髪やら何やらに、土が大量に引っ付いてたんだよ。
ふと、語り口を止める。何ともなしに部屋の隅に目をやって、またすぐに戻した。
…ああ、なんか虫がいたみたいでねェ。ったく、古いからか最近はよく湧くんだよ。そこまで大きいやつじゃないから、気にしなくてもいいか。じゃあ続き、語らせてもらうよ。
麗華は気味が悪いって思ってねェ、和子に人形を押し付けた。その時の和子の顔を麗華は見ちゃいなかったが、マア見なくて正解だったね。
人形は、やっぱり麗華の元に戻ってきた。いっつもおんなじ場所さァ、気がついたら日当たりの良い窓辺にいる。勉強してて、ふと顔を上げたら人形と目が合うんだよ。こう、綺麗で吸い込まれちまうようなガラス玉とねェ。
それが何回も、何回も続いて、麗華は我慢の限界だった。とうとう窓辺から人形を突き落としたんだ。四肢はバキバキに折れ、真っ白い肌が土に塗れて…原型なんざ無くなっちまったその姿と、グシャっていう音に妙に胸がすいてね。麗華はその日、久しぶりによく寝れた。
…だがなァ、話はここで終わりじゃない。それから数年後、麗華は金持ちの男と結婚した。器量良しの麗華はそれはそれは男に好かれたが、屋敷の主人の意向でね、家同士の付き合いが良かった男を選んだんだ。んで、一人の娘を授かったんだよォ。
母親に似たのか可ぁ愛い子でね、赤ん坊の頃から整った顔立ちをしてたもんだ。麗華は外面の良い旦那と綺麗な娘を手に入れて、そりゃあホクホクさァ。ああ幸せだって、思ったもんだよ。
けれども、麗華にはたった一つだけ、悩みがあった。娘が成長していくと同時に、ふらってどっかに行くことが多くなったんだ。初めていなくなった時は大騒ぎでねェ、屋敷中を探し回ったもんだ。だが二回目、五回目と回数を重ねていくうちに、だァれも気に留めなくなった。…不思議だよねェ、大事なお嬢様だってのに。
ある夜、昼に消えた娘が帰ってきた。が、いつもと違って、土遊びでもしてきたみたいに、全身に土をつけていてねェ、母親譲りの綺麗な黒髪も、根元まで汚れちまっていた。麗華は仰天、娘を叱りに叱った。
そうして、布団に入った時、何故だか脳裏にあの、そう自分が壊した日本人形が浮かんだのさァ。そういやあの人形も、一回土まみれで戻ってきたなってね。
そこで、ちょいと窓辺に目をやった。まるで、そこにあの人形がいるみたいに。マアいるはずも無い、だって麗華本人が…壊しちまったんだから。
でもね、不思議なことに、いつもは真っ直ぐ差し込んでくるはずの月光が、半端に遮られてたんだ。ちょうど等身大のナニカがあるみたいにねェ。それが不快だったもんで、麗華は窓辺に寄った。だが、そこには何にもない。
悪戯かって思って窓から身を乗り出してみても、結構高いところにあった部屋の近くに、誰かがいるわけないだろう?当然、何も見つからなかった。気のせいだろうってことで、麗華は布団に戻ろうとした。
…ドン!!
次の瞬間、麗華の体は宙に投げ出されていたのさァ。何が起こったか分からず、麗華は助けを求める暇もなく、地面に叩きつけられた。痛いなんて、思う余裕もなかった。ただひたすら、四肢が裂けるように熱くて、肌が土に塗れるのにも構わず、地面を転げ回った。
苦しくて、つらくて、助けて欲しくて、喉が枯れるまで叫んだ。でもなぜだか、いつもはすぐに駆けつける使用人が、みーんな来ない。流す涙も無くなって、死にたい、早く解放されたいって願った時、ざりって足音がした。
藁にも縋る思いで、そっちを見ると…。
老人は息を吸い、少しだけ溜めた。
小さな人形が、月明かりの中で立っていたのさァ。人形は麗華に近づいて、一言囁く。
ー「代わりばんこだよ」ってねェ。そこから、麗華の姿も、もちろん人形を見たやつは、だーれもいない。
さて、一体どこに消えちまったのやら。案外、自分のすぐそばかもねェ。
ことり、と茶で喉を温める。そして、身を乗り出すようにして聞いていた頁食に、ゆるりと口角を上げた。
「そんなに喜んでもらえるとはねェ。強い話を選んで良かったよ。気に入ったのなら、またおいで」
「…まあ、時間があればな」
スーツを整えて、立ち上がった頁食はドアへと向かう。その背中に、老人が声を掛けた。
「ああ、忘れるところだった。お客さん、「犬」には気ィつけるこった」
ギィ、とドアが閉まる。真意を問う前に締め出されて、頁食は首を傾げる。それでも、まあいいかと歩み出した。自分には、次の取材場所が待っているのだ。
やっとホラーの雰囲気掴めてきた気がします。さあ、次は渓谷。深淵を覗き込む時、深淵もまたこちらを覗いている、というのは有名な一節ですが。この場合の深淵は、一体誰のこと、何のことなんでしょうかね。
不定期更新、と前話では言いましたが、思いついた時に書いて投稿する感じです。多分月に一、二回かな?頑張ります。
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