兵器皇子は、贖罪の果てに名を呼ばれる〜End of the Atonement〜   作:久野 龍

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第十二話 漆黒、来たる

 恐怖に駆られたケセナは、暗闇の廃墟を一人、足早に歩いていた。

 縛っていない茶色の長髪が、じっとりと肌に纏わりつく。南方地区の『繁茂の季』の夜巡りは、恐ろしいほど蒸し暑い。

 それでもケセナは、いつ襲われても対応できるように身体を屈め、神経を限界まで張り詰めていた。暗闇の中に目を凝らし、瞬きも忘れて周囲を警戒する。目の乾きが痛みに変わってきても、決してその両目を閉じようとはしなかった。

 

 あてもなく歩き続けていると、襲撃への恐怖とは別の不安が、冷水のように足元から這い上がってきた。

 なにしろ、自分の現在地がまったく分からない。

 

「ここ、どこだろう……」

 

 方角すらあやふやになり、完全に迷子になっていた。

 ふと、護身のためにプラークルウを呼び出そうと腰袋に手を入れたケセナは、さっと血の気を引かせた。

 

「……ない?」

 

 腰袋の中は空だった。

 封玉に最後に触れたのは、いつだ?

 確か、寝台の上でだ。きらきらと光る封玉を眺めて――。

 

「あ……あの刻っ」

 

 ケセナは自分の行動を思い返し、小さく呻いた。

 何かが転がり落ちる鈍い音がした気がする。ケセナは立ち止まり、額に手を当てる。

 

「落ちたのって、あれだったんだ……!」

 

 振り返るが、背後は濃密な闇に包まれており、来た道すら分からない。ケセナは完全に途方に暮れた。

 あの封玉がなければ、文字通り『丸腰』だ。今、身につけているのは生乾きの衣服と、護身用の短剣だけ。

 取りに戻るのが最も賢明なのは明白だが、どうやってここまで歩いてきたのか記憶がない。もはや、お手上げだった。

 

 恐怖に慄き、混乱のまま突発的な行動に出てしまった自分を激しく責める。

 なぜあんなに焦ってしまったのか、冷静になった今では自分でも不思議だった。だがそれでも、「応龍狩りの獲物になりたくない」という本能的な恐怖だけは、胸の奥底にどろどろと残っている。ケセナは強く頭を振った。

 

「とにかく、どこか安全な場所……って、あるのかな」

 

 フェルナリアの安全な場所は、恐らくガイアの家がある生活区域だけだろう。そこから離れれば、夕暮れに見た、人っ子一人いない廃墟だ。そしてケセナの現在地は、間違いなくその廃墟のど真ん中だった。

 

「とりあえず、建物の中に隠れた方が……」

 

 ぽつりと呟き、原型が残っている家を探すことにした。暗闇に目が慣れてきたおかげで周囲の輪郭は掴めるが、どの家も滅茶苦茶に壊れており、身を隠せそうな手頃な廃屋は見当たらない。

 

 孤独と不安に押し潰されそうになっていた、その刻。

 突如、瓦礫の陰から複数の人影が音もなく飛び出してきた。

 

「誰だ!?」

 

 ケセナは咄嗟に身構えて叫ぶ。

 人影は四、五人。あっという間に退路を断たれ、完全に包囲されていることに気づく。思わず「プラウ!」と叫びそうになり、下唇を噛んで堪えた。

 彼女は、ここにはいない。刀を取り出すことは不可能なのだ。

 

 ケセナは冷や汗を流しながら、腰の短剣に手を置いた。武器は、これしかない。

 

「……おいおい、なんだよ。男かよ」

「ったく、誰だ? 極上の女が歩いてるって言ったのはよぉ?」

 

 人影の一人が舌打ち混じりにそう言うと、他の男たちも下品な笑い声を上げる。女に間違われていたことに驚きつつ、ケセナは警戒をさらに強めた。

 

「しゃあねぇな。男には用はねぇが、頂くモンは頂こうか。おい兄ちゃん、金目のもん、全部置いてきな」

「そうすりゃ、命だけは助けてやるぜ?」

 

 金目の物と言われても、今のケセナは短剣くらいしか持っていない。

 男たちは気味の悪い笑い声を上げ、じりじりと距離を詰めてくる。ケセナは短剣の柄を強く握り込み、どう打開するかを必死に考えた。

 

 男たちの顔が認識できる距離まで迫った刻、ケセナは目を見開いた。

 見覚えのある顔が二人、混ざっていたのだ。一人は痩せ型、もう一人は威圧感のある巨漢。見間違うはずがない。数刻前、ガイアの家の前で追い払った二人組だ。

 

「あ、お前っ!」

「てめぇは! さっきの!」

 

 二人もケセナに気づき、復讐心に燃えた声を上げる。ケセナは顔を顰め、ちっと舌打ちした。

 

「……何だ?」

 

 二人の叫び声を聞き、集団の奥から一段と低い声が響いた。

 背筋が凍るような威圧感を覚え、ケセナはそちらを見やる。

 

 背の高い男が、ゆっくりと歩み出てきた。暗くて顔立ちは分からないが、獲物を狙う獣のようにぎらぎらと光る双眸だけが闇に浮かんでいる。

 

「お前が、この二人をコケにしたって奴か」

 

 倒してはいない、と心の中で訂正しつつ、ケセナは一呼吸置いて答えた。

 

「……だとしたら?」

 

 虚勢を張ったせいで、若干挑発的な響きになってしまった。「しまった」と後悔するが、もう遅い。背の高い男は、鼻でせせら笑った。

 

「面白い。おいお前ら、こいつは身内の仇だ。嬲り殺しにしろ!」

「!!」

 

 男の号令と共に、荒くれ者たちが一斉にケセナへ飛び掛かってきた。

 

 ケセナは短剣を引き抜いて応戦するが、絶望的なまでに分が悪かった。相手が手にしているのは、長剣や槍、鉄の長棍といった間合いの遠い武器ばかり。それが四方八方から容赦なく襲いかかってくる。短い刃では、防ぐことすらままならない。

 

「く……っ!」

 

 防ぎきれず、生乾きの服が裂け、肌に浅い切り傷が刻まれる。

 鮮血が滲むが、ケセナは動きを止めるわけにはいかなかった。槍の突きを紙一重で躱し、大剣の薙ぎ払いを短剣の腹で強引にいなす。だが防戦一方で、反撃の糸口など全く見えない。躱しきれなかった刃が次々と身体を掠め、傷が増えていく。

 

 永遠とも思える、血みどろの攻防。

 息が上がり、足が縺れ始めたその隙を狙われ、背中から強烈な蹴りを受けた。

 

「がっ……!」

 

 地面に転がったケセナへ、容赦ない刃が降り注ぐ。致命傷だけは避けようと必死に身体を捩り、泥まみれになりながら応戦し続ける。

 朦朧とする意識の中で、ケセナは自分がまだ生きていること自体が奇跡のように思えていた。

 

「やるなぁ、兄ちゃん」

 

 ふいに、先ほどの背の高い男が感嘆の声を上げると、雨あられのような攻撃がぴたりと止んだ。

 肩で激しく息をし、全身血まみれの満身創痍となったケセナは、男をぎろりと睨み上げる。

 

「いいねぇ、その目。最高にわくわくするぜ」

 

 にやりと歪んだ笑みを浮かべ、男は背中に背負っていた長剣を、ゆっくりと左手で鞘から抜いた。その異様な長さに、ケセナは絶望的な目で見張る。

 このぼろぼろの身体と短い短剣で、あの長剣を防ぎ切れる自信は微塵もなかった。

 

「俺の愛剣の錆にしてやる。光栄に思え」

「……」

 

 無言で、男の出方を待つ。

 一か八かの賭けに出るしかない。男があの長剣を大上段に振りかぶる瞬間、必ず隙ができるはずだ。その一瞬に男の懐へ飛び込み、急所を突く。勝機はそれしかなかった。

 

(今だ……!)

 

 ケセナは残った力を振り絞り、地を蹴って男の懐へ飛び込んだ。

 

 だが。

 

「甘えな」

 

 男は左手で振りかぶると見せかけ、空中ですぐに右手へ持ち替えた。そして、真横に向かって凄まじい速度で長剣を薙ぎ払ったのだ。

 ケセナは驚愕して半身を引くが、避けきれない。冷たい剣先がケセナの右頬を深く、鋭く切り裂いた。

 

「っ……!」

 

 鮮血が吹き出し、ケセナは倒れまいと必死に足を踏ん張った。

 ぽたぽたと、自分の血が土を黒く染めていくのを俯きながら眺め、荒い呼吸を繰り返す。

 

「判断力は褒めてやるよ」

 

 男は不敵な笑みを浮かべた。頬を伝う血を拭い、ケセナは男を睨みつけるが、身体はとうに限界を迎えていた。無数に刻まれた切り傷が熱を持ち、脈打つたびにじくじくと痛む。出血のせいか、視界の端が白く明滅し始めていた。

 

「ったく、こんなガキにコケにされるなんてな……もう少し遊べるかと思ったんだが」

 

 男はつまらなそうにぼやくと、右手で薙ぎ払った長剣を、くるりと回して左手に持ち替えた。

 

「……なぜ、左手に……?」

「はん。俺は『両利き』だ」

 

 その事実が、ケセナのわずかな希望すらも完全に打ち砕いた。

 絶望するケセナを見下ろし、男は今度こそ、止めの一撃を振りかぶった。

 飛び込む好機も、躱す体力も失ったケセナは、きつく目を瞑り、最期の瞬間を覚悟した。

 

 …………。

 

 しかし。

 いつまで経っても、身体を両断するはずの強烈な痛みは訪れなかった。

 

 不思議に思い、ケセナは恐る恐る目を開ける。

 そこには、長剣を振りかぶった姿勢のまま、まるで石像のようにがちがちに固まっている男の姿があった。

 

「……え?」

 

 男は、ケセナ越しに『ケセナの背後』を凝視し、戦慄していた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 ケセナがゆっくりと肩越しに後ろを振り返る。

 そこには、暗闇よりもなお深い、真っ黒な衣服を着込んだ大柄な男が、音もなく悠然と立っていた。

 ケセナを取り囲んでいた荒くれ者たちは、その『漆黒の男』の姿を見た瞬間、ひっ、と短い悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。

 

「……?」

 

 怪訝にその様子を眺め、ケセナは呆然と立ち尽くす。

 長剣を構えたままの男が、わなわなと震える唇を開いた。

 

「お前……グレン・ラティア……? なぜ、こんな所に……!?」

 

 グレンと呼ばれた漆黒の男は、面倒くさそうにぽりぽりと頭を掻いた。

 

「なぜ、と言われてもなぁ。なんか小さいのが集団でいたぶられていたから、つい、昔の癖でな」

「癖……?」

 

 ケセナが思わず呟く。どんな癖だと思考を巡らせていると、長剣の男は、力なく剣を下ろした。

 

「久しぶり、と言うべきなのかな? マティス」

 

 グレンが静かな声で問いかけると、マティスと呼ばれた男はばつが悪い表情を浮かべた。

 

「ったく、四星霜振りの感動の再会がこれかよ。最悪だな」

「お前が野盗の真似事なんてしてるからだろ? 食うに困ったからって、野盗は駄目だろ」

「うるせーな、小言末弟が。仕方ねぇだろ、ここじゃ俺ら玄武族はまともな仕事にありつけねぇんだよ。……つーか、お節介な裏切り者の『元騎士団長様』が、なんでこんな南方地区にいんだよ」

 

(裏切り者。元騎士団長……?)

 

 その言葉を聞いてケセナは眉を寄せ、グレンを凝視する。あの分厚い歴史書で読んだ知識が、うっすらと蘇る。『ファミラス』において騎士団を保有するのは、応龍のみだ。

 

「訳あってな。詳しくは言えないが」

「あー……そうかよ。そうだろうよ。お前は昔からそうだもんな」

「随分と嫌われたものだなぁ。同じ裏切り者同士だと言うのに」

 

 グレンが肩を竦めて半ば呆れたように笑うと、ちらりとケセナを見た。

 ケセナは驚いて目を逸らし、無意識に左手で右頬の傷に触れる。まだ血が流れている傷口がずきりと痛み、ケセナは顔をしかめた。

 

 その瞬間、全身の生傷が一斉に悲鳴を上げ始めた。

 

「……っ!」

 

 耐えきれない激痛に視界が揺らぐ。ケセナの身体がぐらりと傾く。

 

「おっと」

 

 倒れる寸前、強靭な腕がケセナの身体を支えた。

 見上げれば、グレンの整った顔がある。だが、もう瞼が鉛のように重かった。

 気力を振り絞って意識を繋ぎ止めようとするが、限界を超えた身体はまるで言うことを聞かない。泥のような疲労感に包まれ、ケセナはそのまま深い闇の中へ意識を手放した。

 

 腕の中で完全に気を失った青年を見下ろし、グレンは小さく溜息を吐く。

 

「今日のところは俺に免じて、見逃してやってくれないかな」

 

 にこやかに、だが一切の反論を許さない圧を込めてグレンが言うと、マティスは忌々しそうに長剣を鞘に納めた。

 

「免じるもなにも、すっかり気が削がれたわ。じゃあな!」

 

 マティスは自嘲気味に笑って背を向け、暗闇へと消えていく。

 

 グレンは黙ってそれを見送ると、腕の中の青年を軽々と抱き上げた。平均的な男よりも遥かに軽いその体重に少しだけ眉をひそめつつ、気を失った顔を覗き込む。

 泥と血に塗れ、憔悴しきった顔は青白い。致命傷こそないが、無数の切り傷からの出血が酷い。特に右頬の傷は深く、一刻も早く手当が必要な状態だった。

 刃で裂かれた生乾きの衣服の隙間。そこから覗く真新しい傷の下や、腕に残っている『多数の消えない古傷群』を確認し、グレンはケセナの寝顔をまじまじと観察した。

 

「……似ている、というよりも」

 

 誰に言うともなく、呟く。

 グレンは血塗れの青年を抱え直し、音もなく暗闇の奥へと消えていった。




※挿絵はAI生成画像を使用しています。
※キャラクターは作者オリジナルです。
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