兵器皇子は、贖罪の果てに名を呼ばれる〜End of the Atonement〜   作:久野 龍

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第十四話 元騎士団長の素浪人

「嫌い」と高らかに宣言されて以降、ケセナとラルの間に会話はなかった。

 衣服も髪も何もかも黒に包まれた男は、無言で戻ってきた二人を眺め、怪訝な顔をしたが、すぐに笑顔を作った。その顔に、ケセナは少しだけ救われた気がした。

 

 ラルが眉を吊り上げたまま彼の右側に腰を下ろすと、彼はラルの顔を横から覗き込む。

 

「すっきりしたか?」

「……いいえ」

 

 不貞腐れた表情でそう答え、ラルは置かれていた木椀を手に取ると、自分で鍋の中身を注ぎ始めた。ケセナはその様子を見ながら、ラルの座った場所からは自分が見えにくいであろう彼の左側に、こっそりと腰を下ろした。

 

 不自然な横一列の並びに彼は戸惑いつつも、もう一つの木椀を取り、鍋の中身を注いでケセナに差し出した。中身は魚と野菜の水炊きだ。良い香りが漂ってくる。ケセナはそっと木椀を受け取り、まじまじとそれを見つめた。

 

「あまりいい食材はないから、味の保証はしないぞ」

 

 彼が声を上げて笑う。つられて笑みを浮かべたケセナは、手の中の木椀の温かさで、冷え切っていた心が少しずつ解けていくのを感じ、戸惑いながら会釈をした。

 

「ありがとうござい――」

 

 ――ぐるるるる……。

 

 言いかけた途端、ケセナの腹から大きな音が響き渡った。

 思わず顔を真っ赤にして俯いてしまったケセナを見て、彼は肩を揺らして笑う。

 そして隣のラルが眉をひそめ、わざとらしく特大の溜息をついて言い放った。

 

「下品なお腹」

 

 ケセナはさらに深く俯いた。

 ラルにとっては、ケセナのすることすべてが気に障るのかもしれない。「嫌い」と明言されているのだから想像はつくが、腹が鳴るのはどうしようもない。三夜も眠り続けていたのだから、なおさらだ。

 そもそも初対面の相手を嘘つき呼ばわりするラルはどうなのか、と反撃したくもなったが、ケセナはぐっと堪えた。

 

「まぁ、まぁ。ゆっくり食べるといい」

 

 間にいてくれる人がいて良かったと、ケセナは本気でそう思う。ゆっくりと顔を上げれば、彼がふわりと優しい笑顔を作っていた。

 しかし、彼が食事をする様子はない。

 

 首を傾げて周囲を見回せば、どうやら木椀は二つしかないらしく、ケセナは慌てて手の中の木椀を彼に差し出した。

 

「あの、俺、後でいいので、先に――」

 

 彼は受け取らず、首を左右に振った。ケセナは木椀を押し出し、受け取るよう促すが、彼はそれを優しく押し戻して言う。

 

「俺は先に済ませたから大丈夫だ。それに、それはケセナ君の分だ」

「……え?」

 

 名前を呼ばれ、ケセナは目を丸くした。

 この男に名乗った覚えはない。どう考えても、ない。

 しかし彼は、確かに名前を呼んだ。

 

「ケセナ君だろう? ガイアから聞いている」

「族長からですか?」

 

 ケセナはさらに驚いた。ガイアが知り合いだったこともそうだが、“ガイアがこの人と話をしている”ということにも驚いた。

 

「たまたま会いに行ったら、あいつが珍しく慌てていてな。事情を聞いたら教えてくれた。お前のこと、なのだろう?」

「はい、そうです。あの……あなたは……えっと」

 

 おずおずと彼の顔を覗き込む。優しい表情は崩していないのに、瞳にはどこか深い影が落ちていて、ケセナは思わず視線を逸らした。

 

「ああ、俺か。俺はグレン・ラティア。名乗るのが遅くなってすまないな」

「いえ、いいんですけど……あの、グレンさん。族長が慌てていたって、どういうことですか?」

「ん? 『ファルが居なくなった』って、大騒ぎしていてな」

 

 ファル、と聞き、ケセナは身体を強張らせる。

 自分は知らない。全身がそう拒否していることに気づきながらも、どうすることもできず、ケセナは背中を丸めて目を瞑った。

 そして、ゆっくりと口を開く。

 

「……俺、誰かに間違えられてて。怖くなって、逃げたんです」

 

 震える身体を、グレンは見ている。視線は感じるけれど、ケセナは顔を上げることができなかった。グレンの口から出たファルという響きは、あまりに自然だった。恐らく、グレンも“ファルイーアを深く知っている”。

 

 今、顔を見られたら、自分が“ファルイーア”だと言われるかもしれない。

 恐怖が全身を駆け巡り、応龍狩りの凄惨な風景が瞼の裏に浮かび上がってくる。

 

「そうだったのか。まぁ、キョウのあの切羽詰まった様子じゃ、逃げたくなる理由もわかる。だがキョウはどうして、ケセナ君を見てファルイーアだと思ったんだろうな? 似ても似つかないというのに」

「え?」

 

 グレンの口から出たのは、ケセナの不安とは真逆の言葉だった。

 ケセナは弾かれたように顔を上げ、グレンの様子を探る。

 

(……気づいていないのかな?)

 

 そんなケセナをよそに、グレンは話し続ける。

 

「君をこんな所に連れてきて申し訳ないな。あのまま戻っても、あの剣幕だとな……戻ったら、ただ散歩に出かけて道に迷って帰れなかっただけ、ということにしておこうか?」

「え、あ、はい。概ね間違ってないですし」

 

 グレンは笑って、「ほら、冷めるから食え」と付け加えた。

 

 ケセナは促され、食事を始めた。少し冷めてはいるけれど、水炊きは思った以上に美味しくて、強張った身体をじんわりと解していく。

 三夜振りの食事が、空っぽだった身体にゆっくりと染みていく。

 

 けれど、多くは食べられない。

 ケセナにとって、それはいつものことだった。彼の身体はごく少量の食事しか受けつけず、少しでも許容量を超えれば、すぐに酷い吐き気を催してしまう。

 

 木椀に入っていた量は、身体が受けつける量より少し多い。だが、厚意を無下にはできない。それをなんとか腹に流し込み、ケセナは無言で木椀を下ろす。

 

(吐きそう……)

 

 迫り上がる吐き気を堪えて俯く。

 それを見たグレンが横から「おかわり、あるぞ」と声をかけてきた。

 その優しさが胸が痛くなるほど嬉しかったが、ケセナは小さく首を振り、ゆっくりと告げた。

 

「ご馳走様でした」

 

 吐き気を抑え、ふぅ、と息を吐きながら木椀を置いたケセナを、グレンはどこか痛ましげな目で見つめていた。その少なすぎる食事の量が、彼の中で“ある疑念”を確信に変えたかのように、短く眉を寄せる。

 

「……お粗末様」

 

 少しだけ掠れた声でそう言うと、グレンは鍋と木椀二つを持って立ち上がった。

 

「あの、俺も!」

 

 このままではラルと二人きりにされると思い、ケセナも慌てて立ち上がる。ちらりとラルを見れば、ラルは真横を向いて座ったまま、布巾を無言で差し出してきた。受け取れ、と何度か腕を上下させる。

 

「……ありがとう」

 

 ケセナは布巾を受け取り、小走りにグレンを追いかけ、左隣まで来ると歩調を合わせる。けれど、足の長さの違いか、ケセナは小走りのままだった。

 グレンは背が高い。ガイアよりも、そしてオウセイよりも。

 

 オウセイの身長を思い出しながら、ケセナはグレンを見上げる。黒い衣服は制服のようで、威厳を漂わせていた。そして、その左肩に紋章が刻まれていることに気づく。

 ケセナはその紋章をどこかで見た記憶があった。翼を持つ龍が描かれた意匠。黒い生地に目立たぬ灰色の糸で刺繍されたそれは、間違いようもなく『応龍』だった。

 

 どこで見たのかと思えば、プラークルウ――応龍宝刀の鍔だった。鍔には二匹の翼を持つ龍が彫られている。世界中から憎まれている応龍の紋章が付いた制服を、隠しもせず誇らしげに着続けるグレンに、ケセナは少し興味を持った。

 

「応龍……?」

 

 ケセナが紋章を見つめたままぽつりと呟けば、グレンは自分の左肩を見て苦笑し、肩を竦める。

 

「この制服、気に入っていてな。捨てられないから未だに着ているんだ」

「あの……元騎士団長って……?」

 

 あの夜の、野盗とグレンとの会話が脳裏を掠め、ケセナは恐る恐る尋ねた。

 すると途端に、グレンは顔を曇らせる。

 

「……覚えてたか」

 

 グレンはばつが悪そうな表情を浮かべる。触れてはならない事柄だったのかもしれない、とケセナは反省し、謝罪する。

 

「す、すみません……」

「謝ることじゃない。そう、俺は応龍騎士団の元団長だ。今は人探しで旅をしている、しがない素浪人だけどな」

「人探し?」

「……ちょっと訳ありでね」

 

 そう言い切った瞬間、グレンの顔ががらりと変わった。

 

(怖い……)

 

 ケセナは素直にそう思った。人探しの相手に対し、グレンは深い憎しみを抱いているのだと、ひしひしと伝わってくる。

 ケセナは話題を変えようと必死に考えた。とはいえ、初対面の相手に触れられる話題はそう多くない。苦肉の策として、別の問いを口にする。

 

「グレンさんと、ガイア族長やキョウさんとは、どういうご関係なんですか?」

「あの二人は俺の弟子だ。もちろん、ラルもな」

 

 するとグレンは、表情をいつもの優しいものへ一変させた。

 内心で安心しつつ、ケセナは質問を続ける。

 

「弟子?」

「ああ、武術を教えている」

「武術、ですか?」

 

 きょとんと首を傾げる。武術と言われても、種類はいろいろある。騎士団長なのだから、偏見ではあるけれど、剣術に長けているのは理解できる。だが、武術と広く表現する理由が分からなかった。

 

「そう。剣術とか槍術とか、体術とか、その他諸々、武術と呼ばれるもの全般」

「ぜ、全般!?」

 

 ケセナが思わず叫ぶと、グレンは笑う。

 

「どうしてそんなに驚くかな」

「え、だって、普通、剣術だけとか、何か一つに特化して極めるものでしょう?」

「いや、でしょう? って聞かれても。俺がたまたま子供の頃から色んな武術に手を出してて、それがそれなりに出来るようになったってだけなんだけどな。それぞれ、あいつらが使いたい武器を聞いて、俺が教えていたんだ」

「『達人』って、貴方みたいな人のことを言うんですね……」

 

 ケセナは深い感嘆の息を漏らす。自分も何か教わってみたかった。

 抜群に剣の扱いが下手で、よくプラークルウに怒鳴られている。あのけたたましい怒号は忘れていたかった、と左右に首を振って深呼吸をし、ふと、置いてきてしまったプラークルウが心配になった。どうしているだろうか。

 

「違う。両親から『魔力がないなら、武術だけでもできるようになれ』って言われて、そうなっただけだ」

「それはまた……凄いご両親ですね」

 

 魔力がないなら武術をすべて修めろと言う、グレンの複雑そうな家庭環境を思い浮かべる。

 

「まぁ、俺は末っ子だったからな」

 

 笑いながらグレンはそう言うと、鍋を持ち直す。そうして、ケセナがラルと顔を洗った小さな泉が見えてくると、嬉しそうに「見えた見えた」と早歩きをして行ってしまう。

 そんな無邪気な後ろ姿に、ケセナはグレンが末っ子であることに妙に納得した。醸す空気が、どこか末っ子らしく見えたからだ。

 けれど、どこか抜けていて憎めない。

 

 星霜齢は四十ほどだろうかと思い、ケセナは鍋や木椀を口笛交じりに洗うグレンに質問をした。

 

「あの、グレンさんって、お幾つなんです?」

「ん? 俺? あー?」

 

 何やら困惑しているグレンに、ケセナは眉をひそめる。何度か首を傾げた後、グレンは頷きながら確認するように言う。

 

「ああ、そうだそうだ。五十……いや、四十七星霜齢?……だったかな、確か」

「ちょ、確かって……」

 

 半分呆れながら、その実星霜齢に驚く。

 とても、あと三星霜で五十星霜齢になる男には見えなかった。

 

 そこでふと、ケセナは嫌な予感を覚え、おずおずと質問を続ける。

 

「ちなみに……ラルさんは……?」

「ラルは十九星霜齢だ」

「ガイア族長と、キョウさんは……?」

「ガイアとキョウは同星霜齢で、二十六星霜齢だったはずだぞ」

 

 ケセナは自分の星霜齢を再確認する。

 確かオウセイが二十星霜齢だと言っていた。旅を始めて一星霜が過ぎている。つまり自分は二十一星霜齢か。

 ラルが二つ下で、あの二人が五星霜も上だったという事実。

 ケセナは過去の自分の無礼な態度を思い返し、盛大に反省する。とはいえ、三人とも星霜齢は近い。

 人は見た目じゃない、と自分に言い聞かせながら、ケセナは息を吐く。

 

「なんで急に星霜齢なんか聞くんだ?」

「……ただ、気になっただけです」

 

 くぐもった声でそう答え、ケセナはグレンが洗った鍋を受け取ると、ラルから預かってきた布巾で、大人しく乾拭きを始めた

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