兵器皇子は、贖罪の果てに名を呼ばれる〜End of the Atonement〜 作:久野 龍
第十六話 心裸眼
グレンはゆっくりと腰を下ろし、手にしていた布を脇へ置いた。
ラルとキョウを自分の前へ座らせると、渋い顔で小さく頷く。
ケセナはグレンの横に立ち、二人の取り乱した主張を、ただ黙って聞いていた。だが、なぜグレンが頷いたのかは分からない。二人とも「この子はファルだ」「この女がファルを庇う」と繰り返すばかりだった。
それでもグレンは頷き、まずキョウへ冷徹な視線を向けた。
「……キョウ。お前がこいつを“ファルイーア”だと思う根拠はなんだ?」
鋭い眼差しに射抜かれ、キョウは怯みながらもぽつりと答える。
「それは……顔立ちが似ているし、なにより私が……っ」
「お前の『勘』や『感情』は、何の証拠にもならない」
「……っ」
冷たく遮られ、キョウは悔しそうに俯いた。
その様子を見て、ラルが勝ち誇ったように鼻で笑う。だがグレンは、すかさず彼女にも視線を向けた。
「ラル。お前もだ」
ラルは驚いて目を瞬かせる。
グレンはそのまま、凄みを帯びた声で言った。
「確信もないのに、なぜ殺そうとした」
「確信ならある! こいつ、皇帝の『宝刀』を持ってたから!」
「……宝刀か」
深い溜息を吐き、グレンがケセナへ向き直る。
右手に黒い刀を握ったままのケセナの左側には、小さなプラークルウがぴたりと張り付き、グレンに向かって獣のような低い威嚇声を上げていた。ケセナが「大丈夫だから」と銀髪の頭を撫でても、彼女はやめない。
「ケセナ。なぜお前が、応龍皇帝の宝刀であるプラークルウを持ち、そのうえ『主』となっているんだ?」
「……それは……」
「言えないのか?」
「……えっと」
ケセナは返答に窮した。
気がつけば主だった、などと言っても信じてもらえるはずがない。記憶を失って目覚めたあの鬱蒼とした森で、初めて彼女から「あなたが主だ」と告げられたのだ。答えようがなかった。
「私が選んだ。ただそれだけです!」
ケセナが言葉に詰まっていると、プラークルウが声を張り上げた。ケセナの手をすり抜け、一歩前へ出てグレンを真っ直ぐに見据える。
「ケセナ様を主としたのは私自身! ケセナ様を責めるのはお門違いですよ、グレン・ラティア『元』騎士団長!」
「ならば答えろ、プラークルウ。お前の元の主である皇帝陛下を殺したのは、ファルイーアか?」
「存じ上げません」
ぷいっと横を向いたプラークルウに、グレンは目を細めた。
「なぜ庇う」
「庇ってなんかいません。だって私、リュウショウ皇帝陛下がご存命の折には、すでにケセナ様を主としていましたもの」
「……なっ」
「陛下がお亡くなりになったのだって、今、初めて知ったくらい!」
明らかに白を切っていた。
ケセナは必死に嘘をつく小さな相棒を庇うように抱き寄せた。プラークルウはケセナの服を掴み、口を尖らせたままグレンを睨む。
「それに、貴方ならご存じでしょう? 私が大の“ファルイーア嫌い”なのを。そんな私が、あんな感情の死んだ木偶を主にするはずがないじゃないですか」
「……え?」
ケセナは意外な言葉に目を丸くしたが、グレンは「ああ……」と何かに納得したように唸った。
「……そうだったな。お前は昔から、あいつを毛嫌いして辛く当たっていたな」
グレンは瞳を閉じ、大きく息を吐いた。
それから不安そうなケセナと、目を吊り上げるプラークルウを見つめた後、ゆっくりとラルとキョウに向き直る。
「という訳だ。ラル、キョウ。こいつは“ファルイーア”ではない。別人だ。いいな」
「先生! 私は!」
キョウが納得できずに叫ぶ。
だがグレンは、落ち着いた声で諭した。
「キョウ。お前が今でもファルのことを深く想っているのは知っている。だが、ケセナはケセナだ。別人だ」
「やめてよ……どうして先生まで、ガイアと同じこと言うの……!」
「キョウ」
「私は、絶対にファルを間違えたりなんかしない!!」
泣きそうな声で叫ぶと、キョウは弾かれたようにその場から走り去った。
グレンは追わなかった。
「……なんなの、あの人」
呆れたようなラルの呟き。
グレンはもう一度深呼吸してから、キョウが消えた方を見たまま言う。
「……あいつは思い込みが激しいんだよ。だがな、ラル。それはお前にも言えることだ」
「……う」
「早とちりで殺しかけたんだ。ケセナに謝れ」
「…………やだ」
痛いところを突かれたラルは顔を背けて立ち上がり、足早に洞窟の奥へ引っ込んでしまった。
ラルも姿を消し、ようやく厄介払いを終えたグレンは、盛大な溜息を吐いて立ち上がった。
「なんだって俺の弟子たちは、こうも癖が強いんだ」
「あの……謝罪とか、俺は別に気にしてないですから」
気まずい空気を和らげるように、ケセナが声をかけた。
だがその声は弱々しく、頼りなかった。
グレンは先ほどまでとはまったく違う、捕食者のような鋭い眼光で目の前の青年を見下ろした。
「ケセナ」
「はい……」
素直に返事をするところは、グレンの知るファルイーアとは決定的に違っている。
だが。
「弟子たちの手前、ああ言ったが。実を言うと、俺も……お前がファルイーアなんじゃないかと思っている」
「っ!」
ケセナはびくりと身体を震わせ、グレンを見上げた。茶色の瞳が激しく揺れ、宙を泳ぐ。
「性格はまったく正反対だが、顔立ちが似すぎているんだよ。髪を金に、瞳を紅にすれば、そのままあいつになる」
「……」
「俺の想像だが……お前、記憶喪失か何かか?」
「……そ、そんなこと……は……っ」
言葉に詰まり、後ずさろうとするケセナ。
だが、グレンの方が速かった。
立ち上がり、すっと手を伸ばす。
ほんの一瞬、ケセナの身体が硬直した。
その反応だけで、グレンは確信する。
だが、それだけでは足りない。
グレンはケセナの左手首を掴み、袖を捲り上げた。
「……っ! ……やめ……っ」
隠していた醜い古傷を晒され、ケセナの血の気が引いた。慌てて腕を引こうとするが、グレンの力は強く、逃れられない。
露わになった無数の古傷を、グレンは凝視した。
「この傷を俺は知っている」
ケセナは身体を震わせ、俯く。
グレンはその両頬を包み込み、強引に顔を上げさせ、その茶色の瞳に自分を映させた。
「知りたいことがある。『真実』を確かめさせてもらうぞ」
「……え?」
「見せてくれ。お前の、『過去』を」
そう言って、グレンは自分の額をケセナの額へぴたりと押し当てた。
間近に迫る漆黒の瞳。
ケセナの顔が恐怖に引き攣った、その瞬間――プラークルウがグレンの腕に噛みついた。
「いっ」
「やめてください!! ケセナ様に触らないで!!」
小さな身体を必死に揺らし、グレンの腕を引き剥がそうとするプラークルウ。
「ケセナ様、今のうちに逃げて!!」
だが、ケセナは動けなかった。
蛇に睨まれた蛙のように、絶対的な強者の前で恐怖が全身を縛りつけ、声すら出ない。
グレンは鬱陶しそうに眉をひそめ、片手でプラークルウの頭を鷲掴みにした。
「ひゃっ!」
「プラークルウ。忘れたか? 俺が、『何族』か」
グレンが玄武族特有の呪を込めた言葉を低く呟いた途端、プラークルウの小さな身体から一瞬で力が抜け、その場に崩れ落ちた。
「……ケセナ、さ……ま……っ」
主へ手を伸ばしながら、逃げて、と口を動かして意識を失う。
小刻みに震えるケセナへ視線を戻し、グレンは溜息混じりに言った。
「精霊にも効くとは思わなかったな。ああ、少し眠ってもらっただけだ。殺してはいない。……俺は魔術は使えないが、この手の『呪術』は使える。一応、玄武族なんでな」
「げ……玄武……」
「さて」
「……い、や……だ」
本能が極限の危険を察知し、ケセナは懸命に後ずさろうとする。
だが、強靭な腕に逃げ道を塞がれ、再び両頬を固定されて額を合わせられた。
「いや……だッ!」
悲鳴を無視し、グレンは目を閉じた。
――行使するのは、己が使える最大の呪術。
他者の心に入り込み、封じられた過去すら暴き出す禁伝の秘術――『心裸眼』。
対象に触れ、強く意志するだけで発動するその術は、相手の生き方そのものを踏みにじりかねない。だからこそ、玄武王族にのみ習得が義務づけられながらも、他者への使用は禁忌とされてきた。
グレンにとっても、これを実戦で使うのは、この昼夜が初めてだった。
息を整え、ケセナの心淵へと潜る。
強固な抵抗を予想していたが、意外なほどあっさりと深層へ入り込めた。
目を開ける。
辺り一面は、果てしない暗闇だった。
(……なんだここは。人の心は、真っ白な世界から始まるんじゃなかったのか?)
呪術を教えた祖母の言葉を思い出し、心の中で毒づく。
だがしばらくすると、暗闇の奥に、ぼんやりと光を帯びた『鬱蒼とした森』の景色が楕円状に浮かび上がっているのを見つけた。
グレンはそちらへ向かおうとして――ふと、立ち止まる。
おかしい。
精神世界には、必ず『本人の自我』があるはずだ。
だが、周囲を見回しても、茶色い髪のケセナの姿が見当たらない。
「……ケセナ?」
呼びかけても、返事はない。
しかしグレンは見つけた。
自分が向かおうとしていた光の森とは真逆。
果てしない暗闇の深淵に、ぽつんと立つ『小さな人影』を。
遠くの光に照らされ、輪郭だけが浮かび上がっている。
だが直感的に、それがこの心の持ち主なのだと分かった。
グレンは踵を返し、その人影へ近づいていく。
距離が縮まるにつれ、人影もまた、ゆらりとこちらへ歩み寄ってきた。
そして、互いの顔が認識できる距離まで迫った刻。
「……お前……っ」
グレンは思わず息を呑み、足を止めた。
暗闇の中に立っていたのは、茶髪のケセナではなかった。
腰まで届く長い金髪を縛りもせず、細く小さな身体を自分で抱きしめるようにして立つ少年。
身体中に生々しい傷痕を残したその少年は、一切の感情が抜け落ちた虚ろな真紅の瞳を、静かにグレンへと向けていた。