兵器皇子は、贖罪の果てに名を呼ばれる〜End of the Atonement〜 作:久野 龍
「ノヴェリアと麒麟族のリーギスト・クレートが実施した禁呪『生物創造』によって産み出されたのは、フィア。お前だ」
「……っ!?」
言葉を失い、グレンの喉が凍りつく。
無理もない。麒麟族に伝わる禁呪で創られた泥人形は、ファルイーアの方だと言い伝えられてきたからだ。だからこそ彼は、物心ついた頃から凄惨な虐待を受け続けてきた。
だが、リュウショウははっきりと告げた。創られた人形は、フィサルーアの方だと。
俄かには信じ難く、グレンは傍らで蹲る現在のファルイーアへ目を向ける。
当事者である彼は、両耳を塞ぎ、身を縮めて小刻みに震えていた。その痛ましい姿に思わず声をかけそうになったが、グレンはぐっと踏み止まる。
(……これが、世界を敵に回す嘘偽と真実か)
頭を振り、グレンは再び目の前で再生される記憶へと向き直った。
「お前とファルイーアは、産まれてすぐに入れ替えられたんだよ」
リュウショウの決定的な言葉に、俯いていたフィサルーアが、笑いを堪えるように肩を揺らし始めた。
「いつ、知ったのです? 父上」
「二夜前。オウセイからの調査報告でだ」
フィサルーアの肩が揺れる。
それは次第に大きくなり、やがて抑えきれない哄笑となって爆発する。
「……くくく……あははははははっ!!」
「フィサルーア……?」
「だから貴方は、ノヴェリア様……いや、母上に見限られたんだよ!!」
大きく仰け反り、フィサルーアが狂ったように叫ぶ。
「私は昔から知っていましたよ! 自分が作り出された泥人形だってことも、この化け物と入れ替えられていたってこともね!! なにしろ、母上が全部教えてくださいましたから!」
「な……!?」
記憶の中のリュウショウも、それを見ているグレンも目を見開いた。フィサルーアは畳み掛けるように叫び続ける。
「私と母上の目的はただ一つ! 私が皇帝の玉座に座ること! そのために邪魔なものは全部消す。それだけですよ!」
「フィサルーア……!」
「今さら気づいても遅いですよ、父上。内乱も、魔人が侵入できるように結界を綻ばせたのも、他の誰でもない私と母上だ」
口端を歪め、フィサルーアは腰に提げていた愛刀をすらりと引き抜いた。
「少しだけ予定は狂いましたが、構わない。ここで死にぞこないの皇帝陛下に死んでもらえればいいだけです」
「……!」
フィサルーアが剣を振り上げた瞬間、ファルイーアが咄嗟に踏み込んだ。
リュウショウとフィサルーアの間へ飛び込み、身を挺して立ち塞がる。
その行動にフィサルーアは一瞬だけ顔を引き攣らせたが、すぐに冷えきった声で言い放った。
「邪魔だ」
ファルイーアはいつものように防護壁を張ろうと手を翳す。
しかし、魔力によって構築されるはずの壁は一向に出現しなかった。
「!?」
何度も、何度も試す。
だが、発動しない。
焦りが浮かぶファルイーアの顔を見て、フィサルーアは冷笑を漏らした。
「ふん。無駄ですよ。この部屋にはあらかじめ精霊捕縛を施してある。いくら膨大な魔力があろうと、体力すら十分に残っていない満身創痍のお前など、私の敵ではない」
言い終えるが早いか。
フィサルーアの愛剣が、ファルイーアの左肩へ容赦なく突き立てられた。
肉を裂き、骨を砕き、刃が背中まで貫通する嫌な音が響く。
それでも、ファルイーアは悲鳴を上げなかった。
フィサルーアは「つまらない」と呟き、突き立てた剣をさらに横へと捻る。傷口の肉を乱暴に抉られる凄まじい激痛に、ファルイーアの口からようやく小さな嗚咽が漏れた。
「……う……あぁっ……」
「お前には悲鳴がよく似合うんだよ。母上もいつも言っていただろう?」
歪んだ笑い声を上げながら、フィサルーアは剣を引き抜く。
その刻でさえ、ファルイーアは大声を上げなかった。幼い頃から刷り込まれた凄惨な虐待の記憶が、彼に助けを呼ぶことすら許さなかった。
剣を引き抜かれたファルイーアは、その場に崩れ落ち、右手で左肩の傷口を押さえた。指の隙間から溢れ出す熱い血が、衣服を赤黒く染めていく。遠のきそうになる意識を、必死に繋ぎ止める。
そんな彼の耳に、フィサルーアの冷酷な声が響いた。
「さぁ、父上。潔く斬られてください」
ファルイーアが血まみれの顔を上げると、リュウショウが腰の宝刀の柄を固く握りしめていた。
「プラウ……」
リュウショウが小声で剣精を呼ぶが、やはり無駄だった。精霊捕縛の張られたこの部屋では、精霊を喚び出すことはできない。剣精が実体化しなければ、宝刀は鞘から抜くことすらできないのだ。
リュウショウは諦めたように、柄を握る手をゆっくりと緩める。
「言ったでしょう? 精霊捕縛を施してあると」
「……フィア。お前の本当の目的は何だ」
「目的? そんなもの、先ほど言いましたが?」
リュウショウはそれ以上、何も問わなかった。
血の繋がりはなくとも、愛していた愚かな我が子を、ただ深く憐れむ。
そして、ちらりと本当の我が子へ視線を向けた。
左肩から溢れる鮮血に染まり、激痛に耐えながらも、彼は自分を真っ直ぐに見つめ返していた。
どうすることもできない絶望の中で。
今さら、本当に今さらだが、リュウショウは彼に謝罪をしたかった。
禁呪で誕生した忌まわしき命だと信じ込み、激しい嫌悪感を抱いて彼を虐げた。他者と同じように化け物と罵った。
リュウショウは静かに目を閉じ、声にならない口の動きだけで紡いだ。
(――すまなかった)
それが、皇帝としてではなく、一人の父親として彼に向けた最初で最後の言葉だった。
「さぁ、その生命を終える刻です。“父上”」
フィサルーアの無慈悲な声と共に、白刃が振り下ろされる。
リュウショウの首を狙った一撃が、その喉笛を深く掻き切った。勢いよく噴き出した血が宙を舞い、祈りの間の控え室は瞬く間に凄惨な血の海と化した。
事切れた父が倒れ込むのを、フィサルーアは無言で見下ろす。
顔や衣服に生温かい返り血を浴びても、その表情は微動だにしない。ただ目を閉じ、一つだけ深呼吸をする。歓喜も悲哀も湧いてはこない。あるのは、目的を遂げたという底知れない虚無感だけだった。
ゆっくりと目を開くと、左肩を押さえたファルイーアが、血の海を這いずるようにしてリュウショウの遺体へ近づいていくのが見えた。フィサルーアは意地悪く目を細める。
「そうだ。良いことを思いついたよ、“兄上”」
「……っ」
「“兄上”が、“父上”を暗殺したってことにしよう。もちろん、そんな“兄上”には、ここから逃げる猶予を少しだけあげるから安心して」
フィサルーアは愉悦に満ちた声で語る。
「……“兄上”が逃げおおせたら、私は世界に向けて『応龍族の炙り出し』を提案し、世界中に散らばる応龍族を根絶やしにする」
楽しげに笑いながら、フィサルーアは踊るように回る。
「ねぇ、最高に楽しそうでしょう? 応龍族を滅亡させる原因も、内乱を引き起こした原因も、“父上”を殺したのも、全部、“兄上”のせいだ。“兄上”という存在そのものが、全ての元凶なんだ。だってそうだろう? お前は、世界の敵なんだから」
ぴたりとフィサルーアが止まり、扉を一瞥する。ニヤリと口角を上げ、告げた。
「……ああ、良かったですね、あの道化の使いが、そこに来ています。逃げられますね。あははははは」
高らかな笑い声を残し、フィサルーアは血塗られた部屋から立ち去っていった。
狂気を滲ませた足音が遠のいていくのを聞きながら、ファルイーアは必死にリュウショウの元へ辿り着き、事切れた父の身体へ右手を伸ばした。
そして触れた、その瞬間。
「!?」
ファルイーアの右腕に、爆発的な痛みが走った。
肌を直接焼かれ、肉を内側から捲り上げられるような尋常ではない激痛に、顔を歪めて耐える。
見れば、リュウショウの右腕から、眩い光に包まれた『羽を持つ黄金龍』が幻影のように出現し、ファルイーアの右腕へ絡みついてきた。
「……っ!」
右腕を食い破られるような激痛に加え、左肩の傷口も焼け付くように痛む。気を失いそうになりながらも、ファルイーアはその黄金龍を見つめ返した。
龍は大きく首を持ち上げ、ファルイーアの脳内に直接声を響かせる。
『我が宿木となりし種よ。仮初の姿を真実とすることを望む、愚かなる者よ。我は汝の過去と現在を認識する。……宿木よ、受け入れよ。我と、己の全てを』
黄金龍はそれだけを告げると、ファルイーアの右腕の中へ喰い込むようにして吸い込まれていった。
振り払いたくても、貫かれた左肩は動かず、肝心の右腕もまるで自分のものではないように感覚が麻痺している。
ただ黄金龍が己の内へ溶け込んでいく暴力的な感覚に耐え忍ぶことしかできず、ファルイーアは激しく身体を震わせた。
「……受け入れましたね」
ふいに、静謐な幼女の声が血生臭い部屋に響く。
ファルイーアが顔を上げると、そこには、いつもリュウショウの傍に控えていた銀髪の幼女が立っていた。瞬きを繰り返し、霞む意識の中で彼女の名を思い出す。
プラークルウ。
彼女の表情は暗く、特徴的な金色の瞳は深い哀愁を帯びていた。
「今のは『応龍の祖』です。ファルイーア様」
プラークルウはファルイーアの前に進み出ると、厳かな儀式のように言葉を紡いだ。
「今後、私のことは『プラウ』とお呼びください。貴方は『応龍の祖』を受け入れた正統なる継承者。だからこそ、私は自らの意志で、貴方の剣となることを選びました」
「……うっ……」
そこでファルイーアは、左肩の激痛が限界を超え、そのまま意識を失って倒れ伏した。
プラークルウは表情を変えず、倒れた彼の背にそっと手を触れる。
「……こんなにも精霊たちに慕われているのに。どうして貴方は、誰にも愛されないの」
プラークルウは悲しげに呟き、口を噤んだ。
「私も……リュウショウ様も。皆も、本当の貴方を知らない」
記憶が消え、再び暗闇に包まれた。
「……そうだ。誰も知らないんだ、本当のお前のことを。ファルイーア」
グレンの掠れた声が、精神世界の闇に溶けた。
彼は、耳を塞いで蹲ったままの現在のファルイーアへ近づき、その後ろから、強く、それでいて壊れ物を扱うように抱きしめた。
「……っ!」
ファルイーアはびくりと身体を揺らし、グレンの腕から逃れようと微かに抵抗する。何かを小声で呟いたが、グレンには聞き取れない。
グレンは、ファルイーアの耳を塞いでいる両手を優しく掴み、耳から離れさせた。
その手は冷たく、折れそうなほど細かった。
「ファル」
耳元で優しく名を呼ぶ。
握りしめたファルイーアの細い手は、恐怖で震えていた。
「ファル?」
するとファルイーアは、緩んだグレンの腕からすっと抜け出し、立ち上がった。
その瞬間、彼の金髪と真紅の瞳が、今の彼である『ケセナ』の茶色へと反転するように変化する。
そして、真っ直ぐにグレンを見据えた。
まだ手は震えていたが、彼はその震えを抑え込むように、自らの両手を強く握りしめた。
「これが、俺の背負う嘘偽と真実。そして、知れば世界が敵となる事実です。……グレンさん。本当に、良かったんですか」
「構わない」
迷いなく即答した。
「世界だろうがなんだろうが、敵になりたければなればいい。俺は真実を知り、本当のお前を知ることができた。……それだけで十分だ」
グレンは、静かに微笑んだ。