兵器皇子は、贖罪の果てに名を呼ばれる〜End of the Atonement〜   作:久野 龍

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第二十一話 帰る場所

「プラ……っ」

 

 呼びかけようとした指先は何も掴めず、空を切った。

 プラークルウは音もなく消え、ケセナは一人、荒野の風の中に取り残された。ざわめく木々を見つめたまま、その場に立ち尽くす。

 

 もし、自分が記憶など求めなければ。

 彼女の望むまま『何も知らないケセナ』であり続けられたなら、彼女の哀しみも静まるのだろう。

 

 けれど、それはできない。

 どうしても、無知なままの自分を肯定しきれない。

 たとえ平穏を捨てることになっても。

 彼女の言う通り、耐え難い苦痛で生きることができなくなるのだとしても。

 

 家族を奪われたラルのこと。

 不当な狩りに怯える応龍の民のこと。

 そして何より、自分自身の過去という空白。

 

「俺は、知らなくちゃいけないんだ……。すべてを知って、自分を取り戻さないと」

 

 恐怖と不安は消えない。

 凄惨な過去の断片を思い出すだけで身体が震える。

 それでも、これ以上、無知という名の殻へ逃げ込んではいけない。そう自分に言い聞かせるしかなかった。

 

 大きく息を吸い込み、ケセナはゆっくりと振り返る。

 背後には、夜巡りの闇に沈みかけた洞窟がぽっかりと口を開けていた。

 それは、すべてを飲み込む深淵のようにも見えた。

 グレンはラルと何を話しているのだろうか。

 あの『心裸眼』で見せられた、あまりに現実離れした光景は質の悪い悪夢のようで、ケセナは思わず頭を振った。

 だからこそ、自分の目で確かめなければならないとも思う。

 

「……プラウ、ごめん」

 

 呟きは風に攫われ、誰の耳にも届かない。

 この一星霜、共に旅をしてきた彼女。

 旅立ちのあの刻、オウセイから手渡された刀に宿る彼女と初めて出会い、あまりのけたたましさに、いらないと本気で突き返した。

 けれど。

 

「君がいてくれて良かったよ」

 

 ここにはいない剣精に向け、ケセナは自嘲気味に笑う。

 旅を始めてから一度も孤独を感じなかったのは、間違いなく、騒がしくも献身的な彼女が隣にいてくれたからだ。

 

「オウセイ……キリエさん、元気かな」

 

 ふと、始まりの地へ思いが飛ぶ。

 

『記憶の封印を解きたくなったら、ここに来い』

『理由次第で、解いてやる』

 

 救世主と謳われる男が紡いだ、真剣な眼差しと言葉。

 ケセナはそれを何度も、あのぶっきらぼうな表情と共に思い返した。

 

「帰ろう」

 

 口から出たのは、行くでも戻るでもなく、帰るという言葉だった。

 ケセナは、その響きに自分で驚く。

 

 なぜ、自分はあそこを帰る場所だと思ったのだろうか。

 考えを巡らせ、何度か瞬きをしてから、ケセナは空を仰いだ。

 

「……帰る? そうか、俺は……俺を『変えに』行くんだ」

 

 すとんと腑に落ちた。

 記憶を取り戻し、本来の自分へと還る。だから帰るのだ。

 すべてを還す刻が来た。自分に自分を、そして世界に真実を。

 

「なんて、格好つけすぎかな」

 

 自嘲して肩を落とすのと同刻。

 洞窟から、グレンが姿を現した。

 その後ろには、ラルが寄り添っている。

 

 ケセナの姿を見つけた途端、ラルはびくりとしてグレンの大きな背後へ隠れてしまった。

 

「ん?」

 

 怪訝に思い、首を傾げて様子を窺うが、ラルは一向に出てくる気配がない。

 

「ラルの両親を殺した本当の犯人を、正しく伝えた結果だ」

「え?」

 

 ぽかんと口を開けるケセナに、グレンは「あー……」ときまりが悪そうに後頭部を掻いた。

 

「あの頃の俺は新任の団長でな。……まあ、リュウショウから『もう始末は済んだから気にしなくていい』って、ひどくあっさりと聞かされて、その後、書類上で名前を見かけたんだが、それがまさかラルの両親のことだとは、今の今まで結びつかなかった」

 

 ケセナは半眼で、この適当すぎる元騎士団長を見つめた。

 

「グレンさん。とりあえず、言い訳が長いです」

「いいから聞け」

「もっと簡潔にお願いします」

「……少しは俺の心情を察してくれ」

「善処します」

 

 突き放すようなケセナの態度に、グレンは肩を落として言葉を続ける。

 

「……とにかく、気づかなかった俺が悪い。申し訳ない、二人とも。俺がもっと早く思い出していれば、ラルがファルを親の仇だと思い込むことも、復讐の旅をすることもなかったはずなのにな」

「質問」

 

 しゅんとしたグレンの背中から、ラルがおずおずと声を上げた。

 

「なんだ?」

「どうして気づかなかったの? 先生のくせに」

「くせにって……。お前、当初はエルアベルグ姓で名乗っていただろう。ましてや麒麟族だなんて知らなかったんだぞ」

「仕方ない……養子先の名前。先生に拾われてからクレート姓に戻すって、あたし言ったよ。それに、麒麟だって大っぴらには言えない」

 

 ケセナは深々と溜息をつき、星が出始めた空を仰ぎながら、長ったらしいグレンの言い訳を要約した。

 

「要するに、グレンさんが適当すぎて、気づかなかったってことですよね?」

「話が早くて助かる!」

「褒めてません! 全く、貴方は昔からそうやって……」

 

 言いかけて、ケセナは咄嗟に口を押さえた。

 

「……ケセナ?」

 

 今、自分は何を言おうとしたのか。

 グレンが見せた過去の残像が、無意識に言葉を突き動かしたのだろうか。

 だが、記憶のない自分が、グレンの昔など知るはずがない。

 

 まるで、自分の奥底に眠るもう一人の自分が、勝手に口を開いたようだった。

 

「……ケセナ?」

「っ……あ、いや。なんでもないんです」

「少し休んだ方がいい。俺が術を見せた影響で疲れているんだろう」

「……そうします」

 

 気がつけば、荒野を燃やすような陽は完全に沈み、辺りは闇に包まれ始めている。

 それでも南方地区の『繁茂の季』の暑い風は涼むことを知らず、ケセナの身体に纏わりつく。熱気を振り払うように、洞窟へ足を進めようとした、その刻。

 

「あの、ケセナ」

 

 ラルの小さな声が彼を止めた。

 グレンの陰からそっと顔を出した彼女の紫の瞳には、困惑と、深い後悔が滲んでいた。

 

「ごめんなさい。酷いことばっかり言って。態度も……その……」

「いいよ。犯人だと思ってたんだし、もし俺がラルさんの立場だったら、同じことをしてたと思う。……まあ、俺には親がいないから、本当の気持ちはわからないんだけど」

「……っ!」

 

 寂しげに微笑んだケセナの言葉が、ラルの胸に刺さった棘を抜いた。

 彼女はほんの一瞬、はにかむような笑みを見せ、すぐに気恥ずかしさから俯く。

 ケセナは静かに歩み寄り、俯く彼女の目の前で立ち止まった。

 足音に気づいて顔を上げたラルへ、ケセナはふわりと柔らかな笑みを浮かべた。

 

「ありがとう、ラルさん」

「え……? どうして、お礼なんて……」

「変かな? 感謝しなきゃって思ったから。ラルさんが謝ってくれたのが、嬉しかったんだ」

「……そこは、普通『気にしてない』とか言うところ」

「え、そうなの?」

「そう。変なの。ふふっ」

 

 ラルは肩を揺らして、小さく笑った。

 

「貴方は変。……それと、やっぱり、うるさい」

「……う」

「じゃあ、あたしも言わせて。ありがとう。これからよろしく、ケセナ」

 

 差し出された小さな右手に、ケセナは一瞬戸惑い、それからそっと自分の手を重ねた。

 細いけれど、確かな体温がある温かい手。

 

「よろしく、ラル」

 

 二人のやり取りを、グレンは珍しく口を挟まず、微笑ましそうに眺めていた。

 化け物として誰からも忌み嫌われ、孤独だった彼が、こうして誰かと手を繋ぎ、笑い合っている。その光景が、グレンには眩しく、嬉しかったのだ。

 

 だが。

 

「あ……っ」

 

 安堵が心を占め、これまで無理に繋ぎ止めていた気力が限界を迎えたのか、ケセナの身体がぐらりと大きく傾いた。

 

「……限界だな。すぐに中に入るぞ」

 

 倒れかけたケセナの腕をグレンが担ぎ上げ、置かれたままになっていた布を持つ。

 そしてグレンとケセナは、闇に包まれた洞窟の中へ入っていった。

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