兵器皇子は、贖罪の果てに名を呼ばれる〜End of the Atonement〜   作:久野 龍

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第四章 五千星霜が終わる刻
第二十五話 黄金龍の残光


 フェルナリアを発って二十夜。中央地区と西方地区の境にある村、ヘルセヌクを越え、季は収奪の季へ移っていた。

 陽が昇る頃と夜巡りには風へ冷たさが混じり始め、街道脇の木々は赤く染まりつつある。

 

 夜巡りはすでに訪れていたが、目的地まであと僅かということもあり、ケセナたち一行は、険しい山々に囲まれた平坦な街道を、オウセイの住む深い森へと馬を進めていた。

 

 ケセナは、ガイアから借り受けた南方地区流の装束――首元まで覆う漆黒の陣羽織と、使い込まれた紅色の小袖に身を包み、四肢の傷を隠す手甲や脛当を鎧のように纏って、芦毛の馬の背に揺られている。

 

 胸の内には、静かな不安があった。

 

 あれから、プラークルウが一切姿を見せていないのだ。

 宝刀そのものは抜ける。だが、いつも傍で響いていた、あの甲高く騒がしい声だけが聞こえない。

 

 それに加え、ここ数昼夜、右腕に妙な違和感を覚えていた。

 ケセナは無意識に、微かな熱を帯びて痛む箇所を擦る。

 

 乗っている馬は、十四夜前、道中で立ち寄った村でグレンが調達したものだ。

「あの森まで歩くなんて信じられない」などと文句を言いながら馬を買い揃えるグレンの背中を、自分はずっと歩いて旅をしてきたんだけどなと、ケセナは胸中でぼやきながら見ていた。

 

 芦毛、青毛、栗毛の三頭を手に入れたグレンの顔は、驚くほど嬉々としており、ラルが呆れたように小声で教えてくれた。

 

「先生、無類の馬好き」

 

 途端に納得した。

 図体の大きな歴戦の騎士が、「可愛い瞳だ」「見ろ、この立派な佇まいを」などと馬を愛でて語る姿は、新しい玩具を与えられた少年のようだった。

 

「……っ」

 

 そんな穏やかな記憶を、脈打つ右腕の痛みが遮った。

 内側から何かが皮膚を押し破り、出てこようとしているような感覚に、背筋が冷える。

 

「ケセナ、顔色が悪いぞ。少し休むか?」

 

 異変に気づいたグレンが、青毛馬を寄せてきた。

 馬は一瞬反抗しかけたが、グレンは見事な手綱捌きで抑え込む。

 

「大丈夫です。ちょっと、馬に慣れていないだけですよ……」

 

 ケセナは無意識に右腕の痛みを隠し、笑ってみせた。

 

(どうして、隠したんだろう……)

 

 疑問は、新たな痛みで霧散する。

 いつもなら、この黒い男には何でも言えるのに。

 けれど、痛みを訴えるという行為そのものを、身体のどこかが拒んでいた。

 

 だが、馬に慣れていないというのも事実だった。

 ケセナは乗馬などしたことがない。唐突に差し出された芦毛馬の背に慣れることもできず、ここまでの十四夜、数回の落馬を経験したのち、振り落とされないよう必死に揺られてきたのだ。

 そのたびにできた傷はラルが治してくれたが、落ちる恐怖まで消えるわけではない。

 

「お前、もう少し鍛えた方がいいな」

「善処します……」

 

 ケセナの言葉が終わるより早く、先行していたラルの栗毛馬が、何かに怯えたように激しく嘶き、前脚を高く上げた。

 

「――そこまでだ、逃亡者諸君」

 

 街道の先。

 立ち込める白く淀んだ霧の向こうから響いた声に、グレンが瞬時に抜刀し、ケセナを庇うように前へ出た。

 

「誰だ」

 

 霧を割って現れたのは、漆黒の甲冑に身を包んだ五人の兵士。

 そして、その中心に立つ、黒髪に青い瞳を持つ細身の男だった。

 

「久し振りだな、グレン・ラティア。いや、『元』騎士団長殿と言うべきか」

「お前は……フェイカーか。魔術団の副団長が、何の用だ」

 

 フェイカー・ゴルデニア。

 応龍族を魔術の面から支えてきた『魔術団』の副団長であり、武を重んじるグレンとは、常に対立していた男だ。

 

 フェイカーは今、フィサルーアの腹心として暗躍していると聞く。

 皇都へ戻る途中で、この街道を通っていたとしても不思議ではない。

 だが、よりにもよってこの男と出くわすとは。

 

 グレンは胸中の悪態を呑み込み、剣を握り直した。

 

「皇都へ帰還する途中で、行方不明の元騎士団長を見かけたのでな。声をかけただけだ。それにしても、その後ろにいる小僧……。大罪人の、あの泥人形か?」

 

(存在を知られた……!)

 

 ケセナの心臓が跳ね上がる。

 

「俺は、泥人形じゃない……!」

 

 恐怖を押し殺し、ケセナは馬上から叫んだ。

 隣にはグレンがいる。ラルもいる。彼らが自分を人として見てくれている。

 それだけで、否定する理由としては十分だった。

 

「ほほう。随分とよく吠える人形になったな」

 

 フェイカーが手を上げた瞬間、漆黒の甲冑の兵たちが、音もなく殺到してきた。

 

「ケセナ、下がっていろ! ラル、こいつを守れ!」

 

 グレンは咆哮とともに馬から飛び降り、己の青毛馬の尻を力強く叩いた。危険を察した馬は嘶き、街道脇の木々の中へ逃げ込んでいく。

 グレンはそのまま、たった一人で漆黒の兵たちの懐へ飛び込んだ。

 

 鈍い鋼の音が響く。

 グレンの剣が振るわれるたびに甲冑が砕け、一人、また一人と地面に伏していく。

 

 しかし、フェイカーの笑みは消えない。

 手駒の命など、路傍の小石程度にしか感じていないのだ。

 

「相変わらず、剣しか取り柄がない。だから貴様は、玄武に捨てられたのだ」

 

 グレンの眉が、僅かに動く。

 だが、言葉を返すより早く、フェイカーが左腕を上げた。周囲の空気が異常な熱を帯びる。

 

「燃えろ。その薄汚い人形とともに!」

 

 大気を焼き焦がすほどの巨大な火炎の渦が、ケセナへ向けて放たれた。

 

「させないっ!」

 

 ラルが栗毛馬から身を躍らせ、ケセナの前に立ちはだかる。

 巻き起こした風の防壁と巨大な炎がぶつかり合い、激しく弾け飛んだ。

 

 だが、フェイカーの魔術は凄まじかった。

 ラルの風の防壁は徐々に押され、限界を迎えようとしている。

 

「ラル、危ない!」

 

 このままでは、彼女が焼き尽くされてしまう。

 ケセナは叫び、ラルに向けて、思わず右手を強く突き出した。

 

「な、に……?」

 

 右腕で脈打っていた痛みが爆発し、ケセナの視界が圧倒的な黄金色に塗り潰される。

 

 周囲の街道と木々を真昼のように照らす、強烈な眩光。

 グレンもラルも、フェイカーたち追手すらも、その人ならざる光の圧力に息を呑み、立ち竦んだ。

 

「――退け」

 

 意識を失いかけたケセナの口を借りて響いたのは、彼の声であって彼のものではない、何千星霜も生き抜いてきたかのような荘厳な声だった。

 

 突き出した右手から、眩い黄金の障壁が扇状に展開される。

 フェイカーの放った火炎は、その黄金の壁に触れた途端、最初から存在しなかったかのように霧散した。

 

「な、何だ、あの光は……!?」

 

 馬上で右手を突き出すケセナ。

 その背後には、天を衝くほど巨大な『龍』の幻影が、陽炎のように揺らめいている。

 

 フェイカーがその光景に気を取られた、ほんの一瞬。

 兵の群れへ潜り込んでいたグレンは、逡巡することなく、隙だらけになったフェイカーの腹を力任せに蹴り飛ばした。

 

「がはっ……!?」

 

 吹き飛ぶフェイカーを尻目に、グレンは鋭い口笛を鳴らす。

 街道脇の木々に身を潜めていた青毛馬が、応えるように駆け出してきた。グレンは合流した馬へ、軽業師のように飛び乗る。

 

「ラル! 全力で離脱するぞ!」

 

 炎と光に怯えきっている栗毛馬の手綱を強引に引き寄せ、首筋を叩いてからラルへ手渡す。

 そしてケセナを振り返り――朦朧としている青年の顔色を見て、さっと血の気を引かせた。

 

 だが、ケセナを乗せた芦毛馬は、気丈にもその場に留まり、主の指示を待つようにグレンを見つめている。

 

「来られるな?」

 

 馬に問いかけ、グレンは開けた街道を捨て、視界の悪い木々の中へ一気に駆け込んだ。

 

 残されたフェイカーは、蹴られた腹を押さえながら、夜の木々の間へ消えていく三人の背中――去りゆく黄金の残光を、忌々しげに睨みつけていた。

 

「あれが、フィサルーア様が泥人形に奪われたと仰っていた『祖』の力か。持ち帰れば、お喜びになるな」

 

 周囲を見回すと、五人いた兵は、すべて地に伏している。

 

「使えぬ護衛だな……。相手が悪かったとしても、所詮は寄せ集めの駒か」

 

 そう言い捨て、フェイカーは三人の痕跡を追い、ゆっくりと街道脇の木々の中へ足を踏み入れた。

 

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 追手の気配が遠のき、夜の闇に覆われた木々の奥で、一行はようやく馬の足を止めた。

 

 自ら降りようとしたケセナだったが、身体の芯から力が抜け落ち、そのまま崩れるように馬から落ちる。

 

「ケセナっ!」

 

 真っ先に駆け寄ったのは、ラルだった。

 必死に支えようとしたケセナの身体は、驚くほど熱く、それでいて激しく痙攣している。

 

「あ……つ、い……。腕、が……」

 

 ケセナは右腕を抱え込み、荒い呼吸を繰り返す。

 馬から飛び降りたグレンは、険しい表情でケセナの右袖を強引に捲り上げた。

 

「っ、これは……!」

 

 そこには、肌を焼き焦がしたかのような赤黒い痣が、生々しく浮き出していた。

 古傷の下を這う何かが、皮膚を押し破って外へ出ようとしているかのようだった。

 

 先ほどの力を引き出した代償が、ケセナの脆い肉体を内側から侵食しているのだ。

 

「先生、これ、どういうこと……? 呪い……!?」

 

 ラルの悲鳴に近い問いに、グレンは答えられず、ただ奥歯を噛み締めた。

 

「ケセナ、しっかりしろ……。今、痛みを和らげてやる」

 

 グレンは懐から古びた小瓶を取り出し、中に入っていた強い香りの鎮痛薬を、ケセナの唇に含ませる。

 だが、ケセナの意識はすでに混濁していた。

 

「オウ、セイ……。プラ、ウ……どこ……?」

 

 譫言のように大切な者たちの名を呼び、ケセナはラルの腕の中で、ぐったりと力を抜いた。

 

「先生、熱がどんどん上がってる。このままだと……」

「分かっている。森の家までは、あと半夜巡りの距離だ。そこまで辿り着けば……」

 

 グレンは周囲の闇を警戒しながら、自らの外套を脱いでケセナに掛けた。

 

 ファルイーアだった頃。

 彼はどれほどの苦痛に耐えながら、戦わされてきたのか。

 誰に甘えることも、痛みを口にすることすら許されず、冷徹な兵器として扱われ続けていた昼夜。

 

 今、ケセナとして苦痛に顔を歪める青年の姿は、人間としては『正しい』反応だった。

 けれど、かつての彼は、痛みを一切表に出さない無機質な人形で――。

 

 グレンは頭を振り、思考を断ち切った。

 過去を思い出している場合ではない。

 

「ラル。俺がこいつを抱えて馬に乗る。お前は残りの二頭を連れて、俺の後に続け。いいな」

「分かった……」

「行くぞ」

 

 リュウショウ。

 俺はまた、お前の息子にこんな無理をさせている。

 

 グレンは心の中で亡き親友へ詫びながら、ぐったりとしたケセナを抱き上げた。

 手に伝わる鼓動は速く、ひどく不安定だった。

 

「夜巡りが明ける前に、オウセイのもとへ叩き込む」

 

 この先にいる、気に食わない蒼い髪の男。

 オウセイ・カイラーヌ。

 

 騎士団長にすら、『あの男が存在する意味』は明かされていない。

 グレン自身も、オウセイについては『救世主』という、ありきたりな伝承しか知らなかった。

 

 だが、正体などどうでもいい。

 この熱を放って苦しむケセナを助けてくれるのなら。

 

(あいつが素直に助けてくれるかどうかは分からん……。だが、今はあいつの力を頼るしかない)

 

 もし、無理だと突き返されたら。

 

 はたと動きを止めたグレンに、ラルが近づき、見上げる。

 

「先生?」

 

 唐突に視界へ入った愛弟子の顔を見て、グレンは我に返った。

 

「あ、ああ……。いや、願うしかないか」

「?」

 

 訳が分からず首を傾げるラルをよそに、グレンは肩に力を入れ直した。

 

 背後の闇には、フェイカーの気配が残っている。

 こちらを監視しているのか、ケセナの力に怯んだのか、すぐには手を出してこない。

 

(好都合だ。フィサルーアに報告するつもりだな)

 

 グレンはケセナを抱えたまま器用に馬へ飛び乗り、手綱を鋭く操って、いまだ暗い木々の奥へと駆け出した。

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