兵器皇子は、贖罪の果てに名を呼ばれる〜End of the Atonement〜 作:久野 龍
真っ二つにへし折られた分厚い木扉の残骸に縋りつき、「ああっ、特注の無垢材が……っ」と半泣きになっている家主のエンジをよそに、グレンは砕けた扉の向こうを凝視していた。
部屋へ押し入ってきた小柄な暴風は、哀れな家主など視界にも入っていないのか、一直線にグレンのもとへ歩み寄る。
赤みがかった金髪を風に煽らせたラルは、寝台の上で木匙を持ったまま固まるグレンに向かって、怒りを露わにして捲し立てた。
「あたしたちが、どれだけ! 心配したと思ってっ! っていうか、何その服! 似合わない! キモイ!!」
「お前最近、プラウに感化されてないか?」
エンジに着せられた黄色の長衣への辛辣すぎる評価に、グレンは傷とは別の意味で胸を押さえたくなり、低く呻いた。
だが、ラルはそんな反応すら無視して、さらに一歩距離を詰める。
「一人で街中を駆け回って……っ。『黒い服の男が胸から血を流して倒れてた』とか!」
「ラル、俺は……」
「『路地裏で人攫いに引きずられていった』とかっ!!」
「は? 人攫い!?」
グレンは思わず素っ頓狂な声を上げた。
その途端、ラルの中で張り詰めていた糸が、ぷつりと切れた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁんっ!!」
その場へへたり込み、両手で顔を覆ったまま、子供のように声を上げて泣き出す。
「ラル……」
指の隙間から零れた大粒の涙が、次々と床へ落ちていく。
いつもは大人びていて、冷静で、少し言葉足らずで、生意気な口ばかり叩く弟子。
その彼女が、ここまでなりふり構わず泣きじゃくっている。
自分を囮にして逃がされたのち、この見知らぬ要塞都市で、いくつもの最悪の噂を耳にしながら、血眼になって探し回ってくれていたのだろう。
グレンは胸の奥が締めつけられるのを感じ、寝台からゆっくりと立ち上がった。
その背後で、
「自分、人攫い扱いされてる……」
木扉の残骸を『よしよし』と撫でながら、エンジが暗い声でぽつりと呟いたが、グレンは完全に聞こえない振りをした。
傷を庇いながらラルの前へ片膝をつき、その小さな身体を、ただ無言で抱き締める。
「ごめんなさい、先生。あたしたちが、弱いからっ」
「馬鹿を言え。お前たちが無事でよかった」
グレンの大きな手に背を撫でられ、ラルは黄色の長衣へ顔を押しつけたまま、さらにしゃくり上げた。
そんな師弟の再会を、扉の残骸の傍らから眺めていたエンジが、鼻をすんっと鳴らして尋ねる。
「それで? その子は?」
「ああ。俺の弟子の一人だ。お前、会ったことなかったか?」
「ガイア様とキョウ様には戦場で会いましたが……この子は初めて見ます」
「ああ、そうだったか」
グレンは小さく息を漏らした。
ラルを弟子にした頃には、エンジはもう騎士団を離れ、この街で武器屋を始めていた。知らなくても無理はない。
「駄目だな。どうも最近、耄碌したらしい」
「いえ。興味のないことへの団長の記憶力のなさは、昔からです」
「…………」
グレンは、かつての右腕から返された容赦のない正論に、ぐうの音も出なかった。
やがて、胸元で泣いていたラルの身体から力が抜け、静かな寝息が聞こえ始める。よほど気を張っていたのだろう。グレンの無事を確かめ、張り詰めていた心がほどけたらしい。
「まったく……」
グレンは口元に微かな苦笑を浮かべると、ラルの小さな身体をそっと抱き上げ、先ほどまで自分が座っていた寝台へ寝かせた。
それから、まだ十分に温かい粥の椀を手に取り、何事もなかったかのように食事を再開する。
その一連の流れを呆然と見ていたエンジが、椅子を引き寄せて腰を下ろした。
「そういう図太さ、本気で見習いたいですよ」
「図太くはない。騎士として教え続けている事柄の一つだ」
「食える刻に食え、でしたね」
「そうだ」
エンジは大きな溜息を吐き、椅子に凭れた。
そして――
「ぶち破られた木扉二枚の修理ですが、業者に見積もりを出させるので、きっちり全額払ってくださいね」
にっこりと笑って請求してくる元部下に、グレンは半眼になった。
「どっちが図太いんだか……」
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グレンが食事を平らげ、一刻ほど休息を取った。
寝台で丸くなるラルを起こさぬよう、小声で二、三の他愛ない街の噂を交わしたのち、エンジは立ち上がった。
「大工のところへ行って、見積もりを出させてきます。店の風通しが良すぎるんで、留守番を頼みますよ」
そう言い残し、蝶番から外れた木扉の残骸を跨いで外へ出ていった。
静かになった部屋で、グレンは寝台の傍らへ立ち、眠るラルの赤みがかった金髪をそっと撫でた。
「怖い思いをさせたな、ラル」
ぽつりと、本音が零れる。
皮肉にも、ラル自身がぶち壊した店の入り口と私室、二枚の扉があった場所から、大通りの風が真っ直ぐ吹き込んできた。
その風が頬を撫でたせいか、ラルが「ん……」と小さく呻き、ゆっくりと目を開ける。
「先生……」
「起こしたか。まだ寝てろ」
「そんな訳には、いかない。ケセナも、心配してる」
ラルは目を擦りながら起き上がった。
その言葉に、グレンの表情が引き締まる。
「ケセナは無事なのか?」
「無事。今は、街の西側の岸壁にある洞窟に避難してる」
「洞窟?」
この要塞都市にそんな場所があっただろうか、とグレンが眉を顰めると、ラルは思い出したように付け加えた。
「ケセナが、昔、隠れてた場所だって」
「なるほどな……」
その一言で、グレンは納得した。
今のケセナの奥底に眠る『オウセイ』の記憶。五千星霜前、世界中から追われていた殺人鬼が身を潜めていた場所なら、見つからないのも道理だ。
「行こう」
早く合流しなければ。
エンジから押しつけられた『武器屋の店番』という役目など脳内から消し去り、グレンはラルを連れて部屋を出ようとして、ぴたりと足を止めた。
「先生?」
「とりあえず、この気持ち悪い色の長衣はどうにかするか」
くるりと踵を返し、グレンは躊躇なくエンジの衣装棚を開け放つ。
しかし、中に入っていたのは、黄色のほかにも紫や、目がちかちかするような謎の模様が描かれた服ばかりだった。
「あいつが女にモテない最大の理由、絶対これだろ……」
「窃盗犯」
弟子の冷たい一言に苦笑しながら、グレンは衣装棚の奥底から、比較的まともな色合いの深緑の長衣を引っ張り出した。
それに着替え、ラルと共に武器屋をあとにする。
それから半刻後。
誰もいなくなった、風通しの良すぎる武器屋の店内へ、大工に急いで書かせた修理の見積書を手に、エンジが上機嫌で帰還した。
「団長! 見積もり出ましたよ! きっちり払って……」
だが、私室には誰もいない。
代わりに、お気に入りの深緑の長衣が消え、あの『最高に団長に似合っていたはずの黄色の長衣』だけが、寝台の上へ無造作に脱ぎ捨てられていた。
木扉の破壊。
留守番の放棄。
そして、窃盗。
その事実を理解した瞬間、エンジの額に青筋が浮かぶ。
手の中にあった高額な修理代の見積書は、怒りに任せて握り締められ、無惨にも真っ二つへ引き裂かれた。
「だーーーんーーーちょおおおおおおおっっ!!!!」
哀れな元副団長の魂の絶叫が、陽が傾ききった大通りへ虚しく響き渡った。