兵器皇子は、贖罪の果てに名を呼ばれる〜End of the Atonement〜 作:久野 龍
街の西端。
夜巡りが訪れ、月が昇り始めている。
荒れ狂う灰色の海を見下ろす断崖へ辿り着いたグレンは、岩陰にぽっかりと開いた小さな穴を見下ろし、思わず絶句した。
「おい、本気か……」
「大丈夫。ちょっと狭いだけ」
先に穴へ入ろうとしたラルが、あらぬ方向を見ながら歯切れ悪く答える。
「あたしは、通れる」
「おい、不穏な言い方をするな!」
思わず言い返したものの、ラルは振り返ることもなく暗い土の穴へ潜り込んでしまった。
あとに残されたグレンは、重い溜息をつき、穴と自分の身体を交互に見比べる。鍛え上げた体躯にとって、もはや嫌がらせに近い大きさだ。
「っ、くそ、狭っ!」
四つん這いになってなお、身を屈めなければ通れない。這って進むたび、ツェヴァンに斬られた胸の傷が容赦なく痛み、グレンは何度も顔を顰めた。
「ラル、少し風で土を削れないか!?」
「散々掘ったから、嫌」
エンジから拝借してきたばかりの深緑の長衣が、土の壁に引っかかって無惨に擦れていく。傷の痛みと息苦しさに文句を垂れながら、グレンは泥だらけになって先へ進んだ。
途中、ラルが妙に楽しそうにしていた気がしたが、たぶん気のせいだろう。
やがて、長い土の通路を抜ける。
「っ……ようやく、着いたか……」
泥まみれのまま洞窟の内部へ転がり出たグレンの頬を、ひやりとした潮風が撫でた。
ケセナはどんな張り詰めた空気の中で身を潜めているのか。
そう身構えて顔を上げた、その視界へ飛び込んできたのは。
「え、何それ。本当にそんなこと言ったの?」
「おうよ。そしたらあの婆さん、顔真っ赤にして怒り出しやがってよ」
波の音が響く洞窟の奥で、肩の力を抜いて笑い合うケセナと――いるはずのない朱雀族長、ガイアの姿だった。
「ガイアッ!?」
ありえない人物を見て、グレンは思わず声を上げた。
その声に弾かれたように、談笑していた二人が振り返る。
「先生!」
「グレンさん!」
ガイアはすぐに立ち上がり、気安くこちらへ駆け寄ってくる。
一方、ケセナも立ち上がろうとして腰を浮かせたが、途中で動きを止め、再びすとんと岩肌へ腰を下ろした。
そのわずかな動きを見て、グレンは胸の奥を鷲掴みにされたような痛みを覚えた。
自分がガイアと共に駆け寄れば、触れてしまうかもしれない。そう思ったのだろう。発作を警戒し、自ら距離を取ることを選んだ。その姿が痛ましかった。
「怪我、大丈夫か? 先生」
駆け寄ってきたガイアが、深緑の長衣の隙間から覗く真新しい包帯を見て、真顔で尋ねる。
「なんでお前が、俺の怪我を知っているんだ」
グレンが鋭く目を細めると、ガイアは「あー……なんでかなぁ」と白々しく視線を逸らした。
「見ていたのは、お前か?」
「青龍族長の監視者なら、別だぜ」
「だろうな。お前、鐘楼の上で見ていただろう」
街中での死闘のあと、失血で意識が飛びかけた中でも感じた特異な気配。あれがこの男なら、辻褄が合う。
「まぁ、探してたら見ちまったというか……」
ガイアはぽりぽりと頭を掻き、少しばつが悪そうな顔をした。
「それで? お前はどうしてここにいる」
「おうよ。この方向知らずが俺的にも心配で心配で……」
「ガイア。俺は今、真面目に話している」
グレンの低い一言に、洞窟を満たしていた和やかな気配が、一瞬で凍りついた。
ガイアはしばらく無言で見返していたが、やがて、先ほどまでの気安い表情をすっと消した。代わりに現れたのは、四獣の一角を担う朱雀族長の顔だった。
「評議会で勅令が出た。『潜伏している最大凶悪戦犯を、抹殺しろ』」
「!」
「俺のところにも伝令が来た。ただ、今はファルイーアが単独行動してると認識されてる。先生が連れてるってことは、まだ気づかれてねぇ。……が、刻の問題だな」
その報告に、グレンは奥歯を噛み締める。
「ついでに、従わなければ『一族皆殺し』だとよ」
「なんだと!」
「えっ……!?」
あまりにも非道な条件に、背後で話を聞いていたケセナも思わず声を上げた。
「そんなこんなで、各族長が動いてる。ツェヴァン爺さんが直々に来たのもそのためだ」
「族長級でなければ、『兵器』は殺せないと判断したか……」
「そうかもな」
重い沈黙が落ちる。
一族の命運を人質に取られているのなら、ガイアがここでケセナを見逃す理由はない。
「それで」
グレンは静かに腰の剣へ手をかけた。
「お前はどっちだ、ガイア」
鋼が鞘を擦る音が響き、グレンは剣を半ばまで引き抜く。
「先生。俺は確かに朱雀の族長だ。けど、その前にこいつの兄貴分でもある」
「そう言って油断させてから殺すか。ケセナを」
冷え切った声とともに、グレンが切っ先を向ける。
ガイアは深く、重い溜息を吐いた。
「俺は、あんたの弟子だぜ?」
「その前に、お前は朱雀の族長だ。背負ってるものが違う」
一族の命運を背負う重さを、グレンは知っている。だからこそ、ガイアが情だけで動ける男ではないことも分かっていた。
「ああ。そうだ。俺には護らなきゃならねぇ民がいるさ。だがな、先生――」
「ケセナは殺させない」
ガイアの言葉を遮り、グレンが地を這うような声で唸る。
「随分と血ぃ、上ってんな」
ガイアが呆れたように呟き、腰の短剣に手を置いた。
それは、かつてグレンが叩き込んだ近接用の構えだった。
「ちっと冷えてもらわねぇと、話もできねぇじゃねぇか」
二人の男が、互いに致命的な距離で武器を構える。
つい先ほどまで穏やかだった洞窟は、一瞬にして凄まじい殺気で満ちた。岩陰で見ていたラルとプラークルウは、あまりの急展開に固まっている。
一触即発の、その刻。
「待って、グレンさん! ガイアは味方だ!!」
ケセナが咄嗟に立ち上がり、二人の間へ滑り込んだ。
今のケセナにとって、大柄な男二人の間へ割って入ることは、それだけで危うかった。
ほんの少し腕や肩が掠めただけで、あの発作が蘇るかもしれない。
それでも、今は自分の恐怖より、ガイアを庇うことを優先した。
「退け、ケセナ」
「嫌だ!」
それでも、グレンの切っ先は下がらない。
「師だから分かることはある。こいつは一筋縄じゃ……」
「先生、馬鹿ーーーーーッ!!」
鼓膜を劈くような少女の怒声が、洞窟へ響き渡った。
「ラル?」
グレンが振り返ると、そこには肩をわなわなと震わせ、ずんずんと足音を立てて近づいてくるラルの姿があった。
彼女はグレンの前へ立つなり、びしっとガイアを指差し、師への呆れと怒りで、涙目で吠えた。
「敵が! あんな顔で! 穏やかに談笑、する!?」
ラルも、完全にガイアの味方だった。
命を狙いに来たかもしれない危険な族長を前に、愛弟子が全力で相手を庇い、ついでに自分を馬鹿呼ばわりしてくる。
予想外すぎる展開に、グレンは完全に毒気を抜かれ、剣の行き場を失って固まった。
その一部始終を少し離れた岩の上から眺めていたプラークルウが、呆れたように肩を竦める。
「黒馬鹿、あほー」
最高位の剣精からの辛辣すぎる追撃が、波の音に混じって洞窟へ虚しく木霊した。
「え?」
己の早とちりに気づいたグレンの、情けない声が落ちたのは、そのすぐ後だった。