兵器皇子は、贖罪の果てに名を呼ばれる〜End of the Atonement〜   作:久野 龍

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第四十二話 黒馬鹿、あほー

 街の西端。

 夜巡りが訪れ、月が昇り始めている。

 荒れ狂う灰色の海を見下ろす断崖へ辿り着いたグレンは、岩陰にぽっかりと開いた小さな穴を見下ろし、思わず絶句した。

 

「おい、本気か……」

「大丈夫。ちょっと狭いだけ」

 

 先に穴へ入ろうとしたラルが、あらぬ方向を見ながら歯切れ悪く答える。

 

「あたしは、通れる」

「おい、不穏な言い方をするな!」

 

 思わず言い返したものの、ラルは振り返ることもなく暗い土の穴へ潜り込んでしまった。

 

 あとに残されたグレンは、重い溜息をつき、穴と自分の身体を交互に見比べる。鍛え上げた体躯にとって、もはや嫌がらせに近い大きさだ。

 

「っ、くそ、狭っ!」

 

 四つん這いになってなお、身を屈めなければ通れない。這って進むたび、ツェヴァンに斬られた胸の傷が容赦なく痛み、グレンは何度も顔を顰めた。

 

「ラル、少し風で土を削れないか!?」

「散々掘ったから、嫌」

 

 エンジから拝借してきたばかりの深緑の長衣が、土の壁に引っかかって無惨に擦れていく。傷の痛みと息苦しさに文句を垂れながら、グレンは泥だらけになって先へ進んだ。

 途中、ラルが妙に楽しそうにしていた気がしたが、たぶん気のせいだろう。

 やがて、長い土の通路を抜ける。

 

「っ……ようやく、着いたか……」

 

 泥まみれのまま洞窟の内部へ転がり出たグレンの頬を、ひやりとした潮風が撫でた。

 ケセナはどんな張り詰めた空気の中で身を潜めているのか。

 そう身構えて顔を上げた、その視界へ飛び込んできたのは。

 

「え、何それ。本当にそんなこと言ったの?」

「おうよ。そしたらあの婆さん、顔真っ赤にして怒り出しやがってよ」

 

 波の音が響く洞窟の奥で、肩の力を抜いて笑い合うケセナと――いるはずのない朱雀族長、ガイアの姿だった。

 

「ガイアッ!?」

 

 ありえない人物を見て、グレンは思わず声を上げた。

 その声に弾かれたように、談笑していた二人が振り返る。

 

「先生!」

「グレンさん!」

 

 ガイアはすぐに立ち上がり、気安くこちらへ駆け寄ってくる。

 一方、ケセナも立ち上がろうとして腰を浮かせたが、途中で動きを止め、再びすとんと岩肌へ腰を下ろした。

 

 そのわずかな動きを見て、グレンは胸の奥を鷲掴みにされたような痛みを覚えた。

 

 自分がガイアと共に駆け寄れば、触れてしまうかもしれない。そう思ったのだろう。発作を警戒し、自ら距離を取ることを選んだ。その姿が痛ましかった。

 

「怪我、大丈夫か? 先生」

 

 駆け寄ってきたガイアが、深緑の長衣の隙間から覗く真新しい包帯を見て、真顔で尋ねる。

 

「なんでお前が、俺の怪我を知っているんだ」

 

 グレンが鋭く目を細めると、ガイアは「あー……なんでかなぁ」と白々しく視線を逸らした。

 

「見ていたのは、お前か?」

「青龍族長の監視者なら、別だぜ」

「だろうな。お前、鐘楼の上で見ていただろう」

 

 街中での死闘のあと、失血で意識が飛びかけた中でも感じた特異な気配。あれがこの男なら、辻褄が合う。

 

「まぁ、探してたら見ちまったというか……」

 

 ガイアはぽりぽりと頭を掻き、少しばつが悪そうな顔をした。

 

「それで? お前はどうしてここにいる」

「おうよ。この方向知らずが俺的にも心配で心配で……」

「ガイア。俺は今、真面目に話している」

 

 グレンの低い一言に、洞窟を満たしていた和やかな気配が、一瞬で凍りついた。

 ガイアはしばらく無言で見返していたが、やがて、先ほどまでの気安い表情をすっと消した。代わりに現れたのは、四獣の一角を担う朱雀族長の顔だった。

 

「評議会で勅令が出た。『潜伏している最大凶悪戦犯を、抹殺しろ』」

「!」

「俺のところにも伝令が来た。ただ、今はファルイーアが単独行動してると認識されてる。先生が連れてるってことは、まだ気づかれてねぇ。……が、刻の問題だな」

 

 その報告に、グレンは奥歯を噛み締める。

 

「ついでに、従わなければ『一族皆殺し』だとよ」

「なんだと!」

「えっ……!?」

 

 あまりにも非道な条件に、背後で話を聞いていたケセナも思わず声を上げた。

 

「そんなこんなで、各族長が動いてる。ツェヴァン爺さんが直々に来たのもそのためだ」

「族長級でなければ、『兵器』は殺せないと判断したか……」

「そうかもな」

 

 重い沈黙が落ちる。

 一族の命運を人質に取られているのなら、ガイアがここでケセナを見逃す理由はない。

 

「それで」

 

 グレンは静かに腰の剣へ手をかけた。

 

「お前はどっちだ、ガイア」

 

 鋼が鞘を擦る音が響き、グレンは剣を半ばまで引き抜く。

 

「先生。俺は確かに朱雀の族長だ。けど、その前にこいつの兄貴分でもある」

「そう言って油断させてから殺すか。ケセナを」

 

 冷え切った声とともに、グレンが切っ先を向ける。

 ガイアは深く、重い溜息を吐いた。

 

「俺は、あんたの弟子だぜ?」

「その前に、お前は朱雀の族長だ。背負ってるものが違う」

 

 一族の命運を背負う重さを、グレンは知っている。だからこそ、ガイアが情だけで動ける男ではないことも分かっていた。

 

「ああ。そうだ。俺には護らなきゃならねぇ民がいるさ。だがな、先生――」

「ケセナは殺させない」

 

 ガイアの言葉を遮り、グレンが地を這うような声で唸る。

 

「随分と血ぃ、上ってんな」

 

 ガイアが呆れたように呟き、腰の短剣に手を置いた。

 それは、かつてグレンが叩き込んだ近接用の構えだった。

 

「ちっと冷えてもらわねぇと、話もできねぇじゃねぇか」

 

 二人の男が、互いに致命的な距離で武器を構える。

 つい先ほどまで穏やかだった洞窟は、一瞬にして凄まじい殺気で満ちた。岩陰で見ていたラルとプラークルウは、あまりの急展開に固まっている。

 

 一触即発の、その刻。

 

「待って、グレンさん! ガイアは味方だ!!」

 

 ケセナが咄嗟に立ち上がり、二人の間へ滑り込んだ。

 今のケセナにとって、大柄な男二人の間へ割って入ることは、それだけで危うかった。

 ほんの少し腕や肩が掠めただけで、あの発作が蘇るかもしれない。

 それでも、今は自分の恐怖より、ガイアを庇うことを優先した。

 

「退け、ケセナ」

「嫌だ!」

 

 それでも、グレンの切っ先は下がらない。

 

「師だから分かることはある。こいつは一筋縄じゃ……」

「先生、馬鹿ーーーーーッ!!」

 

 鼓膜を劈くような少女の怒声が、洞窟へ響き渡った。

 

「ラル?」

 

 グレンが振り返ると、そこには肩をわなわなと震わせ、ずんずんと足音を立てて近づいてくるラルの姿があった。

 彼女はグレンの前へ立つなり、びしっとガイアを指差し、師への呆れと怒りで、涙目で吠えた。

 

「敵が! あんな顔で! 穏やかに談笑、する!?」

 

 ラルも、完全にガイアの味方だった。

 命を狙いに来たかもしれない危険な族長を前に、愛弟子が全力で相手を庇い、ついでに自分を馬鹿呼ばわりしてくる。

 

 予想外すぎる展開に、グレンは完全に毒気を抜かれ、剣の行き場を失って固まった。

 その一部始終を少し離れた岩の上から眺めていたプラークルウが、呆れたように肩を竦める。

 

「黒馬鹿、あほー」

 

 最高位の剣精からの辛辣すぎる追撃が、波の音に混じって洞窟へ虚しく木霊した。

 

「え?」

 

 己の早とちりに気づいたグレンの、情けない声が落ちたのは、そのすぐ後だった。

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