兵器皇子は、贖罪の果てに名を呼ばれる〜End of the Atonement〜   作:久野 龍

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第四十三話 自分だけ飯食ってるとか

 呼吸ひとつ分、完全に固まったあと。

 

 グレンはガイアへ向けていた剣を、そっと下ろした。

 それから、かちゃり……と、この上なく気まずい音を立てて、剣を鞘へ納めた。

 

「ぶっ……くくっ、あはははははっ!」

 

 たまらず吹き出したのはガイアだった。腹を抱え、岩肌をばんばん叩きながら爆笑する。

 

「ひーっ、腹痛てぇ! 先生、マジで俺がこいつ殺しに来たと思ってたろ!」

「う、うるさい! 状況が状況だろうが!」

 

 グレンが顔を真っ赤にして怒鳴り返す。だが、完全に形無しだった。

 ケセナも毒気を抜かれたようにへたり込み、大きく息を吐いた。

 

「もう……本当に心臓に悪いよ、グレンさん」

「悪かった……」

 

 ばつが悪そうに視線を逸らし、グレンは咳払いを挟んで、無理やり威厳を立て直そうとする。

 

「と、とにかく。ガイアが敵ではないと分かったのなら、それでいい」

「それより、先生。その怪我」

 

 呆れ顔のラルが、グレンの胸元、エンジから拝借してきた深緑の長衣の隙間から覗く真新しい包帯を指差した。

 その一言で、全員の顔から笑みが消える。

 洞窟の空気は、また静かに引き締まった。

 グレンは岩場へどかりと腰を下ろし、傷口を軽く押さえながら、街で起きたツェヴァンとの死闘について語り始めた。

 

 圧倒的な魔術と剣技の前に、まるで歯が立たなかったこと。

 けれど、ツェヴァンは途中で刃を収め、激痛を伴う特効薬を塗りたくったうえで見逃してくれたこと。

 そして最後に、『青龍はこれ以上、貴様らを追わん』と告げたこと。

 

「――というわけだ。師匠は、もう敵じゃない」

 

 その言葉に、洞窟の中へ安堵の空気が広がった。

 

「よかった……本当に、無事でよかった」

 

 ケセナが心の底から安堵したように胸を撫で下ろす。

 あの刻、自分を逃がすために一人で死地へ残った男が、こうして生きて戻ってきてくれた。

 それだけで、今は十分だった。

 ガイアも「あー、焦ったぜ」と首の後ろを掻く。

 張り詰めていた空気が解けた、その直後だった。

 

 ぐぅぅー……。

 誰かの腹の虫が、盛大に鳴った。

 

 音の主は、プラークルウだった。

「はうっ」と顔を赤くして蹲る剣精を見て、ケセナも苦笑しながら自分の腹を押さえる。

 

「そういえば、何も食べてなかったね。ちょっと待ってて、すぐ何か作るから」

 

 ケセナが腰を上げ、封玉から鍋を取り出そうとした、その刻。

 ラルがすっと右手を挙げ、岩へ腰掛けるグレンをびしりと指差した。

 

「先生」

「ん? どうした、ラル」

 

 グレンが目を丸くする。

 ラルは半眼のまま、淡々と告げた。

 

「一人でご飯、食べてた」

 

 爆弾発言だった。

 

 荒波の砕ける音が、洞窟にやけに大きく響いた。

 

 おかしい。ついさっきまでは、波の音など気になりもしなかったはずなのに。

 ケセナは洞窟の外へ一度視線を逃がし、それからそっと中を見た。

 

 そして、誰が言い出すまでもなく、グレンは岩肌の上へ正座させられていた。

 

 目の前には、妙に奇抜な深緑の長衣を着込んだ屈強な黒髪の男が、涙目で正座している。

 その巨体を冷ややかに見下ろしているのは、赤みがかった金髪に紫の瞳をした少女ラルと、燃えるような赤髪赤瞳の青年ガイア。ついでに銀髪金瞳の幼女、プラークルウまでいる。

 グレンは、まるでこれから判決を言い渡される罪人のように、三人からひたすら無言で睨みつけられていた。

 

 その異様な光景を前に、ケセナは呆れ顔で立ち尽くす。

 

「ええと……」

 

 いたたまれず、恐る恐る口を挟もうとした瞬間。

 

「黙ってろ」

「えー……」

「黙って」

「黙っててください!」

 

 ガイア、ラル、プラークルウの順で、容赦なく押し返された。

 

(助けられなくてごめん、グレンさん……!)

 

 ケセナは胸の内でひっそりと手を合わせ、すごすごと引き下がって調理の準備をし始めた。

 

 そして。

 波音すら遠のいたような沈黙の後。

 

「「「自分だけ飯食ってるとか!!!」」」

 

 三人の怒号が、ぴたりと揃って洞窟へ響き渡った。

 

 まぁ、無理もない。

 こちらは昼巡りの始めから、まともに水すら飲んでいない。あんな死闘と逃走劇のあとで、保護者だけが温かい食事にありついていたなど、許せるはずがなかった。

 

「はぁ……。今、作ってるのに」

 

 ケセナは温かな湯気を立てる鍋をひと混ぜしながら、長い溜息をついた。

 

「こっちはろくに食ってねぇんだぞ」

「知るか、そんなもの……」

 

 正座させられたままのグレンが、顔を背けて言い返す。

 

「人攫いに遭ってるって言うから。危険を冒して助けに行ったのに。呑気に、ご飯を食べてるなんて」

「人攫いには遭っていない。それに、人の好意は無下にできん」

「深緑の変な服を着てても、やっぱり黒馬鹿男です!」

「お前は一番関係ない話をしている気がするが?」

 

 一人一人の怒りへ律儀に言い返していくグレン。

 その大の大人の意地っ張りな姿を見ていたケセナの口から、ふと、自分のものではない感情が零れ落ちた。

 

「売り言葉に買い言葉だ。……本当に、成長してないな」

 

 それは完全に、オウセイの呆れだった。

 グレンの肩がぴくりと揺れる。鋭い視線で睨まれた気もしたが、ケセナは構わず木べらを置き、出来上がった汁物を木椀へ注ぎ始めた。

 

 背後ではまだ三人がグレンに詰め寄っている。

 ケセナはそんな腹ぺこ三人衆に向けて、明るく声を張る。

 

「ご飯、できたよー」

 

 顔へ強烈な風が当たり、ケセナは思わず目を閉じた。

 洞窟なのに突風が吹いたのかと思い、恐る恐る目を開けると。

 

 さっきまでグレンを取り囲んでいた三人が、文字通り突風の速度で目の前に整列していた。

 

「怖っ」

 

 空腹で身体能力を限界突破させた三人の執念に、ケセナは本気で引いた。

 

 ------

 

 斯くして、人心地ついた洞窟内。

 温かい汁物と麦餅で胃袋を満たし、少し落ち着きを取り戻した三人衆の話題は、もっぱら『ツェヴァンの虫嫌い』についてだった。

 

「問題はだ」

 

 ガイアが麦餅を齧りながら、大げさに息を呑む。

 

「どうやってあの爺さんの胸ぐらに虫を放り込むか、だよ!」

(握らせるんじゃなかったっけ……)

 

 ケセナは汁物を啜りながら、胸の内でひっそりと言葉を返していた。

 いつの間にか、恐るべき剣士への対策とは思えない話になっている。

 

「あのお爺さん、常に雷を纏ってる。近づけない」

 

 ラルも真剣な顔で頷きながら、しれっと汁物をおかわりする。

 

「しかも、速いです。虫を握らせる前に、こちらが細切れです」

「そこなんだよなぁ。何か良い方法ねぇかぁ?」

 

 どうやって虫を服の中へ滑り込ませるかという、不毛極まりない会議が盛り上がっていく中、少し離れた岩場で休んでいたグレンが、呆れた声を投げた。

 

「ツェヴァン様なら、もう襲ってこないぞ? さっき話しただろう」

 

 ぴたり、と三人の動きが止まる。

 空の椀を持ったまま、ガイアとラルが顔を見合わせた。

 

(あ……)

 

 全員の脳裏に、つい先ほどの会話が蘇った。

 そうだ。ちゃんと聞いていたはずだった。

 だが直後に、空腹の怒りによって、その重要な記憶は見事に消し飛んでいた。

 

 洞窟には、再び波音だけが虚しく響く。

 

「あんなに真面目に虫の入れ方を話し合ってたのに……全員、バカ確定です」

 

 プラークルウが顔を覆って呻き、ケセナは苦笑いしかできなかった。

 

 こほん、と。

 気まずい空気を切るように、ケセナはわざとらしく咳払いをする。

 

「ジェグヌの先は、オーレルディアまで一本道だ。問題は、その中間にある関所――『鉄火の門』だ」

 

 一斉に視線が集まる。

 

「両側は荒海で、ぱっと見は中央突破しか道がないように思える。でも……別の突破方法がある」

「別の道?」

 

 グレンが目を細めた。

 

「ああ。昔、俺が……いや、オウセイが使った手だ。ただ、もしかしたら、ここの穴より酷い状態かもしれない」

 

 ガイアは呆れ半分、感心半分で黙っていたが、隣でプラークルウが唐突にぶるぶる震え出した。

 

「あそこ!? いやですぅ――――っ!」

「そんなに酷いの?」

 

 ラルが首を傾げる。

 

「酷いも何も、常に荒波を被りまくって全身塩漬けになるんですよ! オウセイ様だって、青褪めて『二度と使わない!』って断言してたじゃないですか!」

「うん、まぁ、言ったね。でも、そうも言ってられないでしょ、プラウ!」

「あんなの、道じゃありません!」

「それは、認めるよ!!」

 

 道じゃない。

 

 一体どんな道なんだ。

 グレンもガイアもラルも、最悪の想像をしかけてやめた。自分たちの予感が、そのまま当たりそうだったからだ。

 

 無言の圧力を受け、ケセナは観念したように息を吐いた。

 

「『鉄火の門』の真下。潮飛沫が常に岩肌を削る、海沿いの断崖を行く」

 

 やはり、予感は当たってしまった。

 波の砕ける音だけが響く中、グレンとガイアとラルは、示し合わせたようにげんなりと深く項垂れたのだった。

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