兵器皇子は、贖罪の果てに名を呼ばれる〜End of the Atonement〜   作:久野 龍

44 / 47
第四十四話 冒涜の力

 一夜後の昼巡り半ば、洞窟から地上へと抜けるため、あの細い穴を這い登る。

 

 背後では、狭さへの文句と、これから挑む『鉄火の門』下の絶壁を想像しているのだろう、ガイアとプラークルウの情けない呻きが響いていた。だが、ケセナは完全に無視を決め込んだ。どうやらラルも同じ方針らしく、無言のまま淡々と歩を進めている。

 

「『鉄火の門』の下を行くなら、私は籠もってます!」

 

 地上へ出るなり、プラークルウは力強くそう宣言し、早々に仮の住処である封玉の中へ姿を消してしまった。

 それを見送り、ケセナは深々と溜息をつく。

 

「俺も、入りたい……」

 

 ぽつりと零れたその本音は、冗談ではなかった。

 それほどまでに、『鉄火の門』の真下を抜ける道は過酷なのだ。

 常に荒波が打ちつける絶壁にへばりつきながら進むその道は、一度でも足を踏み外せば、それで終わる。まして、極限の接触恐怖を抱えたケセナは、万が一体勢を崩しても、誰かに手を掴んで引き上げてもらうことができない。触れられた瞬間に混乱を起こし、そのまま海へ落ちるだけだ。

 

 五千星霜も経っていれば、波に削られて足場が消えていてもおかしくはない。

 唯一の望みは、街道の修復に使われていた作業用の通路が、まだ僅かでも残っていることだった。

 

「よし……行くぞ!」

 

 ケセナは自分を奮い立たせるように両頬をぱん、と叩き、決意に満ちた足取りで先頭に立った。

 しかし、数歩進んだところで、背後からラルの呆れた声が飛んでくる。

 

「方向、逆。それ、崖」

「…………っ」

 

 ぴたりと動きを止めたケセナの顔が、一瞬で赤くなる。

 必死に何事もなかった顔を作りながら、無言でくるりと踵を返し、今度こそ正しい方向へ歩き出した。

 

 ------

 

 ジェグヌの街の脇には、背の高い草が揺れる草原が広がっていた。

 草原を抜け、街を迂回し、直接街道へ向かう。

 

 街へ入る者への検問は厳しいが、街から出る側には見張りがない。今はそれが、何よりありがたかった。

 ご丁寧にも、街道へ上がるための石造りの階段まで用意されている。

 階段を上りきり、広く舗装された街道へ足を踏み入れた。

 道の両側には、人を呑み込まんとするような荒れ狂う海が広がっている。だが、どれほど激しく波が砕けても、街道には一滴の海水すら届かない。

 

 届かないように、造られたのだ。

 

 海に浮かぶ要塞都市オーレルディア。

 その守護のため、かつて玄武族の術者たちは土の魔術で海底から岩盤を押し上げ、この道を築いた。さらに麒麟族が波を弾く秘術を編み込み、荒海の上に一本の街道を通した。

 打ちつける波を見つめながら、ケセナはオウセイとしての遠い記憶を呼び起こしていた。

 

「ファル」

 

 ガイアの声が耳に届く。

 振り返ると、それまで険しかったケセナの表情が、ふっと柔らかく変わった。

 

「なに?」

「先生が……な。休ませてやりたい」

 

 ガイアの視線の先には、顔を赤くしているグレンの姿があった。

 ツェヴァンとの死闘で負った傷が、今になって熱を持ち始めているのだろう。疲労と失血が重なり、足取りもわずかに乱れていた。

 

「そうだね……」

 

 ケセナは小さく頷いた。

 このまま進むのは危険だと判断し、一行は上ってきた階段を再び降りることにした。街道を行き交う者の目につかない、階段の下の陰へ身を寄せる。

 冷たい石壁へ背を預け、グレンが絞り出すように弱音を零した。

 

「こんな刻に、悪いな」

 

 申し訳なさそうに顔を歪めるその姿に、ケセナはいつもの柔らかな表情で微笑みかける。

 

「急がないし、気にしないで」

 

 短い言葉だった。

 だが、その温度だけで、グレンの強張っていた肩からわずかに力が抜ける。

 その横で、ラルが光魔術による治療を試み続けていた。

 覗き見た傷跡に、ケセナは思わず息を呑む。

 

 確かに急所だけは外してある。

 けれど、それは『死なないように斬った』というだけのことだった。どの傷も深く、肉が抉れ、生々しい。ツェヴァンがどれほど凄まじい剣を振るい、グレンがどれほど死に物狂いでそれを凌いだのかが、嫌というほど伝わってきた。

 ラルは、自分の治癒魔術では気休め程度にしか塞がらないと悟ると、黙って傷薬を持ち出した。

 清潔な包帯を巻き終えたあと、ぽつりと呟く。

 

「塩、危険かも……」

 

 短すぎるその一言が持つ意味を、その場にいる全員が即座に理解した。

 これから向かう『鉄火の門』の絶壁の道は、容赦なく荒波を被る。

 この深い傷へ大量の海水が入り込めば、尋常ではない痛みで身動きが取れなくなるどころか、命に関わる。

 かといって、ここにグレン一人を置いていくという選択肢は、誰の頭にもなかった。

 

 進むことも、戻ることもできない。

 完全に行き場を失ったまま、一行は波音だけが響く階段の下で、一夜を明かすことになった。

 

 ------

 

 夜巡りが訪れてから一刻ほど経った頃のことだ。

 陽が沈む頃には、グレンの呼吸は明らかに浅くなっていた。やがて額に汗が滲み、唇から血の気が引き、ついには高熱に浮かされ始めた。

 

「先生っ。しっかり……!」

 

 苦しげに荒い息を吐くグレンを、ラルとガイアが必死に看病している。額の汗を拭い、わずかな水を口に含ませる二人の姿を前にして、ケセナは離れた場所で立ち尽くすことしかできなかった。

 

(触れない……)

 

 手を伸ばせば届くところにいるのに。

 看病を代わることすらできない。触れれば、自分が混乱を起こし、余計に足手まといになるだけだと分かっているからだ。

 何もできない。

 それどころか、自分が近づけば、ラルたちの邪魔になる。

 その事実が、喉を締めつけた。

 ケセナは爪が食い込むほど強く両拳を握り締めると、逃げるようにその場を離れた。

 

 夜巡りの風が吹き抜ける暗い草原で、背の高い草に埋もれるようにして座り込む。

 いつだってそうだ。助けられてばかりで、大切な人が苦しんでいるのに、自分は何もできない。

 

「なんで、俺はっ!」

 

 空へ向かって吐き出した叫びは、風に攫われて消えた。

 

『――我の糧となれば、そのような感情、忘却できるぞ』

 

 脳の奥底へ重々しい声が響く。

 

「っ!」

 

 右腕の中で、強大な力がどくんと蠢いた。

 黄金龍だ。

 主の負の感情へ、ぬらりと忍び寄るように、その声は囁きを重ねる。

 

『宿木よ。我になれ。さすれば、あの男を焼く熱も、お前を苛むその惨めな心ごと――』

「うるさい。黙れ。貴様は眠っていろ」

 

 静かな声だった。

 だが、その拒絶は絶対だった。

 次の瞬間、ケセナの瞳から『弱々しい青年』の色が消えた。

 透明だったはずの琥珀色は、五千星霜の血と狂気を吸い込んだような、底知れぬ深淵へと濁り切る。

 右手を地面へ突き立てる。

 夜巡りの草原に、甲高い、身の毛のよだつような音が走った。淡く発光していた光の粒が、彼の意志に絡め取られた瞬間、黒く濁り、砕け散っていく。

 

 それは、周囲に漂う精霊たちの悲鳴だった。

 

 意志を捩じ曲げられ、力ずくで縛り上げられ、蹂躙される。

 ケセナを中心に、色を失った草が円を描くように枯れていく。

 

 祈りではない。

 共存でもない。

 

 精霊を搾り取り、使い潰し、ただ従わせるだけの業。

 それは、オウセイの振るう、冒涜そのものの力だった。

 

『貴様は……っ! まさか……!』

 

 精神を侵そうとしていたはずの黄金龍が、明確な驚愕と戦慄を露わにする。

 単なる器、脆い宿木だと思っていた。だが違う。

 この肉体の奥底にいるのは、人間の苦悩などという生易しいものではない。

 もっと古く、もっと深く、もっと恐ろしい『ナニカ』だった。

 

「お前は少し、自我を持ちすぎだ」

 

 精霊たちの悲鳴を編み上げながら、ケセナは右腕へ向かって淡々と言い放つ。

 黄金龍は、怯えるように、そのまま右腕の奥底へ沈んでいった。

 

 自らの内に巣食う龍すら力で捩じ伏せたあと。

 草の中に座り込んだまま、ケセナはどこか自分自身を嘲るように、短く笑った。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。