兵器皇子は、贖罪の果てに名を呼ばれる〜End of the Atonement〜   作:久野 龍

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第四十六話 探す者たち

 誰もいない、冷たい階段の下。

 

 置き去りにされたという絶望に苛まれながらも、ケセナはどうにか痛む身体を奮い立たせ、冷たい石壁に手をついて歩く。

 

 探さなければ。

 別れが言いたい。けれど。

 叶わないなら、遠目でもいい。せめて、もう一度だけ姿が見たかった。

 

 足は自然と、街の喧騒がする方へ向いていた。

 

 そうして彼がふらふらと歩き出してから、わずか後のことだった。

 

「おーい、起きてるかぁ?」

 

 両手に麦餅や果物の入った麻袋を抱え、ガイアが階段の下へ戻ってきた。

 水と食料を調達し、グレンたちより一足先に野営地へ帰ってきたのだ。

 だが、そこにいるはずのケセナの姿はない。

 あるのは、彼を寝かせていたわずかな痕跡だけだった。

 

「は? おい、嘘だろ……」

 

 ガイアの手から麻袋が滑り落ち、乾いた音を立てて転がる。

 

「待てよ、あの馬鹿っ! どこ行った!?」

 

 ただでさえ『人に触れられると激しい混乱を起こす』という傷を抱えている。

 そのうえ、今のケセナはまともに歩ける状態ではない。そんな身体で一人、街をうろつくなど、自殺行為に等しかった。

 焦燥に駆られたガイアは、放り投げた荷物にも目もくれず、血相を変えてジェグヌの街へ駆け出した。

 

 ------

 

 一方その頃。

 ジェグヌの街にある武器屋の奥では、呆れ果てた店主と図太い元上司のやり取りが繰り広げられていた。

 

「ほら、請求書! 薬代、服の修繕費、あなたが持って行った深緑の長衣代! それから極めつけに、あなたの弟子がぶち破った『特注の無垢材木扉二枚』の修理代! きっちり払ってもらいますからね、元団長!」

「ああ、分かってる。払える身になったら、きっちり払う約束だろ」

 

 エンジから突きつけられた、目玉が飛び出るような金額の請求書を適当にあしらいながら、グレンは己の『応龍騎士団の制服』に袖を通していた。

 

 一夜前、ツェヴァンとの死闘で切り裂かれ、血に染まっていたはずの漆黒の制服。

 それが一夜のうちに、見事に縫い合わされ、綺麗に修繕されている。

 

「しかし、驚いたな。あそこまで切り刻まれた制服をここまで直せるとは……」

「夜巡りを丸々潰しましたよ! 剣の修繕より気を遣いましたよ! というか、一夜前は半死半生だったくせに、傷一つなく完治してるんですか!? 化け物ですか、あなたは!」

「俺の治癒力じゃない。……ちょっと、規格外がいてな」

 

 ケセナの顔を思い浮かべ、グレンは少しだけ目を伏せた。

 だがすぐに元の調子へ戻り、エンジの肩を軽く叩く。

 

「さすがは騎士団のお母さんだ。手縫いの腕も一級品だな」

「全然嬉しくないですよ、その二つ名!」

 

 文句を言いながらも、どこか誇らしげなエンジを笑い飛ばし、グレンは剣を腰へ帯びた。

 

(さて。戻るか)

 

 そう思って立ち去ろうと、仮留めされた店の扉へ手を伸ばした、その刻。

 

 扉が、熱波を伴って乱暴に開け放たれた。

 

 エンジが「ああっ、また木扉が!」と短い悲鳴を上げる。

 だがグレンは、ぷすぷすと燻る扉の先を凝視した。

 息を切らしたガイアが、血相を変えて飛び込んできたのだ。

 

「ガイア? どうした」

 

 普段の飄々としたガイアらしからぬ剣幕に、グレンの顔から笑みが消える。

 

「ファルが……ファルが、いなくなった……!」

 

 その報告が最後まで終わるか終わらないかのうちに。

 請求書の金額に目を丸くしていたラルの顔から、さっと血の気が引いた。

 

「ケセナっ……!」

 

 悲鳴のような声を上げ、ラルは疾風のように武器屋を飛び出していく。

 

「ラル! 待て!」

 

 グレンの制止にも一切振り向かず、小柄な背中は迷路のようなジェグヌの街並みへ瞬く間に消えた。

 無理もない。

 ケセナがあの身体で人混みの中へ紛れ込めば、混乱を起こして自滅しかねない。

 短く舌打ちをし、グレンは即座に頭を切り替える。

 

「ガイア、上から見られるか?」

「あったりめーだ!」

 

 短く応じるなり、ガイアは風を纏うような身軽さでジェグヌの高い石壁を駆け上がり、上空からの広域索敵へ移った。

 グレンもすぐさま後を追おうと地を蹴り――その直前で振り返り、店主へ鋭く言い放つ。

 

「エンジ! 金髪の青年――いや、『ファルイーア』を見かけたら、どうにかして確保しろ! いいな!」

 

 エンジの表情が、一瞬だけ強張った。

 その名が意味するものを、知らないはずがない。

 だがグレンは、説明している暇などなかった。

 

 彼が今、『ケセナ』として彷徨っているのか、それとも『ファルイーア』として動いているのか分からない。

 その危険性を含んだ警告だけを残し、グレンは漆黒の制服を翻して街の喧騒へ駆けていった。

 

 嵐のように現れ、嵐のように去っていった三人の背中を見送り。

 誰もいなくなった風通しの良すぎる店舗の中で、エンジは顔を顰め、まるでこの世の終わりのような深い溜息をついた。

 

「確保しろって言われても、俺じゃあの人形には勝てませんよ……」

 

 ぼやきながらも、その口元にはどこか呆れたような、それでいて、かつての上官を懐かしむような微かな笑みが浮かんでいる。

 

「まったく……やっぱり団長は、『保護者』ですねぇ」

 

 誰に聞かせるでもなくそう呟くと、エンジは床に落ちていた請求書を拾い上げ、やれやれと肩を竦めたのだった。

 

 ------

 

 その少し後。

 

「いない! ここにもっ……!」

 

 迷路のように入り組んだジェグヌの路地裏を、ラルは息を切らして駆け回っていた。

 人の多い大通りには、絶対に行かないだろう。

 ケセナの状態を考えれば、身を隠せる暗い裏道を選ぶはずだ。

 そう踏んで薄暗い路地を虱潰しに探す。だが、一向に見つからない。

 そのうち、自分が今どこにいるのかすら見失いそうになっていた。

 それでも、ラルは足を止めない。

 

(どの折からだろう……)

 

 走りながら、ふと思う。

 ケセナのことが、こんなにも大切だと思うようになったのは。

 最初は、自分の両親を殺した憎い犯人だと思っていた。

 殺してやりたいとすら思っていた。

 けれど、それは濡れ衣だった。

 彼はずっと、一人で罪を被っていた。

 疑ってしまったことを謝りたくて。

 彼が「したい」と願うことに協力してきた。

 

 フェルナリアの崖の洞窟で出会った『繁茂の季』から、『収奪の季』を迎えようとしている。

 一緒に旅をして、一緒に笑って、一緒に死線を潜り抜けてきた。

 

 気づけば、ケセナのいない旅など考えられなくなっていた。

 

「ケセナ……っ!」

 

 どうか、無事でいて。

 祈るような悲痛な叫びを上げ、ラルはさらに奥の路地へ駆け込んでいった。

 

 ------

 

 同じ刻、別の路地では、修繕されたばかりの漆黒の応龍騎士団の制服を翻し、グレンは街中を疾走していた。

 

 先に飛び出したラルの背中は、この迷路のような街ではすぐに見失った。

 だが、焦りはあっても迷いはない。

 目印は上空。

 家々の屋根の上を、一直線に跳び抜けていくガイアの姿だ。

 ガイアが向かう先にラルがいる。

 そして、ラルがいるその先に、必ずケセナがいる。

 

「ファルイーア……!」

 

 名を呼ぶと、暗く、感情を忘れ去った『ファルイーア』の瞳が脳裏に浮かぶ。

 だが、今のあいつは違う。

 ケセナは、泥臭く、必死に生きようとしている。

 

 これは贖罪なのだと、グレンは強く噛み締める。

 過去の彼に対して、自分がしてしまった取り返しのつかない過ち。

 それに気づけず、傷つけてしまった昼夜。

 

(だから今度こそ、俺が――)

 

 強い決意を胸に、グレンは入り組んだ街路を猛然と駆け抜けた。

 

 ------

 

 そして屋根の上では、瓦屋根を蹴る音が響く。

 

 朱雀族に与えられた『自身の重力を操作する』異能。

 それを行使し、ガイアは鳥のような身軽さで、ジェグヌの高く連なる屋根と屋根の間を飛び越えていた。

 朱雀族に翼はない。

 かつて先祖には空を裂く翼があったという伝承もあるが、今の彼らに残されたのは、自らの重さを操る力だけだ。

 それでもガイアは、屋根の端を蹴った。

 飛べぬ鳥の末裔としてではなく、弟を追う兄として。

 眼下を見下ろせば、入り組んだ路地を必死に走るラルの姿が見える。

 そしてその後方、ラルの姿など到底見えないはずの地上の死角を、自分を目印にしてグレンが猛追してきている。

 

 皆が、血眼になって探している。

『ファルイーア』という名の、小さくて、手のかかる弟を。

 幼い頃のファルイーアは、感情も言葉も知らなかった。

 当たり前のことを教えるだけでも難しくて、つい苛立って当たってしまったこともあった。

 

 それでも、あれは確かに、自分にとってたった一人の可愛い弟だったのだ。

 

 四星霜前の戦争中。

 絶対的な力の渦へ呑まれていく弟に、近づくことすらできなかった。

 何もしてやれなかった。

 その結果が今の彼だ。

 触れられることすら拒絶するほどに心が壊れ、己の命を削ってまで他人のために力を振るう、あの痛々しい姿だ。

 

(この先は、何がなんでも助けてやる……!)

 

 強い風が、燃えるような赤髪を後ろへ流す。

 もう二度と、あんな思いはさせない。

 

 ガイアは屋根の端を強く蹴り、重力を置き去りにするように、大きく空へ跳んだ。

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