兵器皇子は、贖罪の果てに名を呼ばれる〜End of the Atonement〜   作:久野 龍

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第五十二話 眠れる遺児

 西方地区、白虎の領地。

 その中心に位置する城下町『アイランバ』への道程は、拍子抜けするほど平和なものだった。

 

 ジェグヌの屋敷を発ってから、およそ十五夜が過ぎていた。

 一行は馬車で白虎の領地を進んでいた。

 

 馬車での移動を真っ先に提案したのはグレンだ。半眼を向けるラルの「馬好き過ぎてキモイ」と、ガイアの「またか」という呆れ声は完全に聞こえなかったことにし、手に入れた馬車の御者台を頑として譲らなかった。

 その馬車を護衛しているのは、あろうことか白虎族長レイア本人である。

 誰がどう見ても『高貴な身分のお方を護衛中』と分かる、異様な道中だった。

 もし評議会に気づかれでもしたら、ただでは済まない。

 だが、御者台で手綱を握りながら、グレンは密かに思う。

 

(むしろ、堂々としすぎているこれが、最高の隠れ蓑になったのかもしれないな)

 

 追う側の最高責任者が直々に護衛している馬車の中に、まさか血眼で探している指名手配犯が乗っているなど、誰が想像するだろう。

 

 けれど、外の道中がどれほど平穏でも、馬車の中の空気は重いままだった。

 この十五夜の間、ラルは魔力の続く限り、何度も光魔術でケセナの治療を試みていた。

 だが、そのたびに魔術は弾かれる。

 まるでケセナの身体そのものが、外からの癒しを拒んでいるかのようだった。

 

 そして何より重いのは――ケセナが、一向に目を覚まさないことだった。

 

「このまま、起きなかったら、どうしよう……」

 

 揺れる馬車の中で、ケセナの冷たい手を握りながら、ラルがぽつりと零したその言葉。

 誰一人として口にはしないだけで、それはグレンも、ガイアも、そしてレイアでさえも、胸の奥に抱えている不安だった。

 

 そうして辿り着いた白虎の城下町『アイランバ』は、豊かな緑と清らかな風に包まれた、美しい森林の街だった。

 もっとも、収奪の季に入れば、風さえ奪う側へ回る。折々に吹きつける風は鋭く、人の肌を刺した。

 それでも空は高く、風は澄んでいる。

 それが西方地区の収奪の季だった。

 

「マジで、ぜんっぜん違うのな……」

 

 馬車の小窓から身を乗り出すようにして、ガイアが物珍しそうに周囲を見回しながら呟く。

 彼の脳裏にあるのは、内乱によって砕かれた家々と、一面を赤黒く焼かれた荒廃した南方地区の景色だ。朱雀の一族が決死の思いで守り抜いたその焦土は、誇り高き勲章であり、決して癒えない傷痕でもある。

 あまりに平和な森林の街並みに、ガイアはどこか自嘲気味な息を吐いて窓枠に肘をついた。

 すると、並走していたレイアからすかさず鋭い声が飛ぶ。

 

「朱雀。見苦しいから窓から身を乗り出すのはやめよ」

「……あんたは俺の母ちゃんか?」

 

 ガイアが心底うんざりしたように悪態をつく。

 無理もない。この長旅のあいだ、食事の行儀から野営の姿勢まで細かく口を出してきたレイアは、今や一行の完全な『お母さん役』になっていた。

 

(エンジ、負けそうだぞ……)

 

 御者台で手綱を握るグレンは、かつて『騎士団のお母さん』とまで呼ばれ、自分の世話を焼いていた元副団長の顔を思い浮かべ、一人静かに溜息を漏らした。

 

「さあ、到着だ」

 

 馬車を停めたのは、街の中心に聳える壮麗な白虎の城門前だった。

 白馬を降りたレイアが、躊躇なく馬車の扉へ手を伸ばす。それを見たグレンは、慌てて声を上げた。

 

「レイア様! 族長自ら、そんな下働きのようなことを……!」

「よい。気にするな」

「気にするでしょうが!」

 

 城門の周囲には、無事に帰還した美しき族長の姿を一目見ようと、すでに人々の視線が集まっている。

 

「造作ないことだ」

 

 グレンの悲鳴めいた制止も虚しく、レイアはさっさと扉を開けてしまった。

 周囲のざわめきに困惑しつつ、グレンも渋々御者台から飛び降りる。

 馬車の中へ身を乗り出したレイアは、未だ目を覚まさないケセナの身体を大きな毛布で包み込む。

 一部始終を見守っていたガイアが呟く。

 

「なんか、本気で母ちゃんだな――ってぇ!」

 

 そんなガイアの脇腹へ、間髪入れずにラルの強烈な肘打ちが入った。

 

「なっ……俺は素直な感想言っただけだろ!」

「刻と場合を考えて」

 

 氷のように冷たい声に、ガイアはたちまちしゅんとして口を噤む。

 その様子に、レイアは呆れながらも思わず苦笑し、言った。

 

「朱雀、今後のために敢えて教えておこう。口は災いの元だ」

「……肝に銘じとく」

 

 やけに素直なガイアを一瞥し、レイアは姿を周囲から完全に隠したケセナを抱き上げて降りていく。

 それに続き、ラルも降りた。

 二人が城内へ向かって歩き出す。

 

 一人、足りない。

 

 グレンが馬車の中を怪訝に覗く。

 気づいたガイアは縮こまったまま、のそのそ降りてきた。

 

「?」

 

 何があったのか聞けぬまま、グレンはその背を追いかけるように歩き出した。

 

 城内へ足を踏み入れると、レイアの無事の帰還を待っていた従者たちが次々と現れ、広間から続く廊下の両脇へ整然と並んだ。

 

「お帰りなさいませ」

 

 列の先頭で、一人の初老の男が深々と優雅に一礼する。

 隙なく燕尾服を着こなし、白髪交じりの茶髪を綺麗に撫でつけたその姿は、どこからどう見ても絵に描いたような有能な執事だった。

 

「ああ、ただいま。留守の間、大事はなかったか」

「はい。すべて滞りなく」

「ふむ。この者たちは私の客人だ。決して失礼のないように」

「御意に」

 

 毛布に包まれたケセナを抱いたまま、レイアは淀みなく指示を出す。

 

「至急、部屋を用意せよ。この者の治療をしたい」

「仰せつかりました。……お客人方は、どうぞそちらの客間でお待ちを。すぐに部屋を用意して参ります」

 

 恭しく微笑み、男は足音ひとつ立てずに長い廊下の奥へ去っていった。

 その洗練された身のこなしを見送りながら、ガイアが感心したように口を開く。

 

「すげぇな。絵に描いたような『執事』っているんだな」

 

 その率直すぎる感想を聞いて、レイアがくすりと笑った。

 

「執事? ……何を言うか。あれは私の伴侶、マジョルドだ」

「「「……へ?」」」

 

 ガイアだけでなく、グレンも、ラルも。

 三人の間の抜けた声が、白虎の壮麗な城内に綺麗に響き渡る。

 

(((執事じゃ、なかったのか……!)))

 

 見事な燕尾服。完璧な敬語。従順な態度。

 どう見ても執事だったあの男が、まさか白虎族長の伴侶であったという衝撃に、この旅で初めて、三人の心が完全に一致した瞬間だった。

 白虎族長の伴侶を『執事』呼ばわりしてしまった気まずさに、一行が包まれていた、その刻だった。

 

「――お待たせいたしました、レイア様。お客人方」

 

 廊下の奥から、完璧な燕尾服を着こなしたマジョルドが、足音ひとつ立てずに戻ってきた。

 あまりにも洗練された所作と、一切の隙もない穏やかな微笑み。

 

(いや、どう見ても執事だろ……!)

 

 ガイアは内心で思わず叫びながらも、引きつった愛想笑いを浮かべることしかできない。

 

「ご案内いたします」

 

 恭しく一礼したマジョルドに導かれ、一行は城の奥にある広々とした豪奢な客室へ通された。

 部屋の中央には、ふかふかの寝具が整えられた天蓋付きの巨大な寝台が用意されている。

 レイアは迷うことなくそこへ歩み寄り、毛布に包まれたケセナの軽い身体を、そっと敷布の上へ横たえた。

 血と泥に汚れた毛布が剥がされる。

 

 その瞬間、部屋に満ちていた微かな安堵の空気が凍りついた。

 

「……っ」

 

 常に完璧な笑みを浮かべていたマジョルドの顔が、初めて驚愕に引き攣る。

 純白の敷布の上に横たわる青年の身体は、あまりにも凄惨だった。

 両手首、両足首の肉が削げ落ち、赤黒く焼け焦げている。胸と背中には十文字の深い裂傷。全身には消えない古傷が幾重にも走っている。

 何より、その肌は死人のように青白く、呼吸が浅い。

 

「ひどい、傷ですね……」

 

 マジョルドが痛ましげに目を伏せ、静かに呟く。

 

「ああ。私が、この遺児をここまで追い詰めた」

「遺児、と申しますと?」

「リュウショウ元陛下の御子だ」

 

 レイアの声音には、先ほどまでの余裕も冗談の色もなかった。

 己の過ちを深く悔いるような、重く苦しい響きだけがある。

 彼女は寝台の傍らへ膝をつき、ケセナの胸元にそっと両手を翳した。

 

「治癒の術を行う。少しでも彼が安らげるよう、痛みを散らし、失われた血と肉を補う」

 

 レイアの両手から、淡く温かな光が溢れ出す。

 大気中から光精霊と闇精霊が呼び寄せられ、ケセナの身体を優しく包み込んでいく。

 それは『無慈悲の慈愛』という二つ名の本質でもあった。光と闇、相反する二つの精霊を同刻に従え、均衡を保つことで初めて成り立つ、白虎族長だけの治癒術だった。

 

「そんな術があるなら……どうして、すぐ使わなかったの!」

 

 その光景を見たラルが、責めるように叫ぶ。

 あの刻、血の海に沈むケセナを前に、彼女はたった一人で絶望と戦っていたのだ。

 

 だが、その問いの答えはすぐに分かった。

 マジョルドが、ゆっくりとレイアの両手へ自らの手を重ねたのだ。

 この二人の複合魔術は、絶大な力を持つレイアであっても、伴侶である彼と二人でなければ成立しない術式だった。

 魔術が発動し、ケセナの身体へ注ぎ込まれようとする。

 しかし、ほどなくしてレイアとマジョルドの額に玉のような汗が滲み始めた。

 

「駄目だ……」

 

 レイアが、苦渋に満ちた声を漏らす。

 

「弾かれている」

「っ、ケセナ……」

 

 寝台の足元で、ラルが祈るように両手を握り締める。

 グレンは無言のまま、ラルの小さな肩にそっと手を置いた。

 ガイアもまた壁際で腕を組み、ただ唇を噛み締めて弟分の姿を見つめている。

 

「もう一度やるぞ、マジョルド」

「仰せのままに」

 

 豪奢な白虎の城の一室で。

 ケセナだけが、まだ冷たい死の淵に取り残されていた。

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