兵器皇子は、贖罪の果てに名を呼ばれる〜End of the Atonement〜   作:久野 龍

58 / 76
【閑話】後編 完璧すぎる戦術的偽装 ≪作戦制御不能≫

 絢爛豪華な枝燭台が照らす、白虎の夜会会場。

 

 そこへ足を踏み入れた瞬間、見慣れぬ金髪の『美女』は、あっという間に好奇と熱狂の渦へ呑み込まれていた。

 

「どこの御令嬢ですかな?」

「お美しい。その憂いを帯びた瞳……ぜひ、我が妻にお迎えしたい!」

 

 鼻息の荒い白虎の若き子息たちが、我先にと群がってくる。男であるケセナへ向けられる、かつてない熱烈な求婚の嵐。

 

(妻!? 会ったその場で!? 白虎の人たち、怖い!)

 

 ケセナが内心で絶叫していると、今度は華やかに着飾った子女たちが、扇で口元を隠しながらわらわらと取り囲んできた。

 

「騎士団長様の御息女様なの? 皇帝陛下は美しく気高いお姿なのですって。一度お目にかかりたいですわ」

「ねえ見て、この首飾り。オーレルディアの宝石商から、この蒼玉を買いましたのよ。貴女のその美しい金髪と青の夜会着にも、きっと似合いましてよ」

「普段はどちらの領地にいらっしゃるの?」

 

 次々に飛び交う宝石の銘柄や流行り話、どこの貴族の出かという社交界特有の探り合い。

 

(全然話がわからない……っ!)

 

 ケセナの頭は、完全に限界を迎えて停止した。

 結果として、顔を引き攣らせたまま、ただひたすら無言で立ち尽くすしかない。

 

 その一言も発さない静かな佇まいが、周囲の貴族たちには『神秘的で気高く、奥ゆかしい深窓の令嬢』という極めて都合の良い誤解を与え、さらなる熱狂を呼んでしまっていた。

 

 空気が張り詰めるような、圧倒的な気配を纏った二人の男が現れた。

 人垣が自然と道を譲るように割れる。その姿を認めた瞬間、ケセナの隣に立っていたグレンは、驚きに目を見張った。

 

 一人は、薄い青色の髪に金色の瞳をした、涼やかな美貌の青年。

 そしてもう一人は――普段の小柄な老人の『擬態』を解き、六十五星霜齢の本来の姿で現れた青龍族長、ツェヴァンだった。白髪混じりの薄い青色の髪を肩口で切り揃え、優雅に靡かせながら歩み寄ってくる。

 

「師匠……なぜ、白虎の西方地区に?」

 

 グレンが思わず問いかけると、ツェヴァンは「くかっ」と喉を鳴らした。

 

「なに、愚息の嫁候補を探しておってな。我が青龍の東方地区の女子たちは、どうにも気が強い者が多い。この朴念仁の好みではないと言うのでなぁ」

「お久し振りです、グレン騎士団長」

 

 ツェヴァンの言葉を引き継ぎ、薄青の髪の青年が優雅に一礼した。

 ツェヴァンの次男、アイフェン・ロン。二十三星霜齢になる青龍の貴公子である。

 

 挨拶を終えたアイフェンは、視線を動かし――グレンの隣で固まっている絶世の美女をちらりと見た。その金色の瞳が、微かに見開かれる。

 

「して……玄武の坊やは、いつの間にあのような大きな子を成しておったのだ?」

 

 ツェヴァンに面白がるように問われ、グレンは苦笑を漏らした。

 ここで正体をばらせば、周囲の貴族たちにまで騒ぎが波及し、この夜巡りの偽装訓練が台無しになる。何より、青龍の族長と次男の目すら欺けるのなら、この変装は完璧という証明だ。

 

 グレンは一度口を閉じ、再び開いて、涼しい顔でこう言い放った。

 

「――この子は、俺の従妹ですよ」

(グレンさん!? なに勝手に作り話をでっち上げてるの!?)

「この子の母親が応龍族でしてね。長年『応龍狩り』から逃がすため辺境に隠れさせていたのですが、ここ西方地区の方が安全と踏み、呼び寄せたのです」

(何言ってるの、グレンさん!?)

 

 ケセナの胸中の叫びとは裏腹に、周囲からは「おお……」「なんと可哀想に……」と同情の吐息まで漏れ始めた。

 

「なるほどのぅ。それは苦労をかけたな」

 

 すっかり騙されたツェヴァンが深く頷き、隣に立つ息子へと促す。

 

「さぁ、アイフェン。御令嬢に挨拶をせよ。……アイフェン?」

「あ、はい!」

 

 先ほどまでの涼やかな振る舞いはどこへやら。アイフェンは手足が一緒に出るのではないかというほどぎこちない動きで、ケセナの正面へ進み出た。

 

 熱に浮かされたような金色の瞳でケセナを見上げ、床に片膝をつく。まるで女神に祈りを捧げる騎士のように恭しく跪く。

 

 ケセナの背筋を、恐ろしい悪寒が駆け抜けた。

 アイフェンがその細く白い手を握ろうと、手を伸ばしてきたのだ。

 息を忘れ、身体ががたがたと震え出す。

 きつく目を瞑ったその刻。

 

「アイフェン様。不用意に触れぬよう、お願いします」

 

 凄みすら帯びた声とともに、アイフェンの手がケセナから強引に引き剥がされた。

 次の瞬間、ケセナの身体は、分厚く温かな胸の中へすっぽりと抱き寄せられる。

 

「この子の心の傷は、まだ癒えてはおりません」

 

 グレンだった。

 大きく温かな手が、震えるケセナの背を、ぽん、ぽん、と一定の速度で優しく叩く。それだけで、乱れていた呼吸が少しずつ落ち着いていった。

 

 怯え切ったケセナの様子を見て、アイフェンの美しい顔に「しまった」という後悔の色が浮かぶ。

 

「そうですね……震えていらっしゃる。ご無礼を致しました。よく知らぬ男に、いきなり手など触れられたくもありませんよね」

 

 どうやら『純真な令嬢ゆえの男性不信』だと解釈してしまったらしい。アイフェンはそれでも諦めず、さらに一歩踏み込んだ。

 

「どうか、せめて、貴女の美しいお名前をお教えいただけますか?」

「申し訳ありません、アイフェン様。……この子は、口が利けません」

「えっ……」

「長きに渡る逃亡生活の恐怖で、声を失ってしまったのです。名は……ファ……」

(あ。今、『ファルイーア』って言いかけた……)

 

 ケセナの心臓が縮み上がる。

 だが、百戦錬磨の騎士は、その僅かな淀みすら完璧な『悲痛な間』へ昇華してみせた。

 

「……ファイナ、です」

「ファイナ……」

 

 アイフェンが、その名を確かめるように大切に呟く。

 そして、同情と、さらに燃え上がった使命感に満ちた瞳でケセナを見つめ直した。

 

「美しい名です、ファイナ嬢。貴女は過酷な運命を耐え抜いてこられたのですね。どうか、私に貴女のその傷を癒す手伝いをさせていただけないだろうか」

「くかっ。どうやら、すっかり気に入ったようじゃの、アイフェン」

「はい。……この、怯える小鳥のように儚く美しいファイナ嬢を、私が護りたい。そう思っております」

 

 青龍次男からの重すぎる愛の誓い。

 ケセナは頭痛を覚え、顔を顰めた。

 

 ------

 

 夜会会場の入口の物陰では、ケセナ最大の悲劇を特等席で見守る二つの影があった。

 

「っふ、く、ひーっ! やべぇ、面白過ぎる!」

 

 ガイアは壁に手をつき、声を上げて笑いそうになるのを必死に堪えて肩を震わせていた。

 

「あいつ、本気で求婚されてるぞ。止めに入らなくていいのか、ラル」

「いいよ。今のケセナ、完璧に女の子だし。……悔しいけど、あたしより美人だから」

「そりゃ、言い過ぎ……でもねぇか。確かに今のあいつは反則だわ」

「は?」

「えっ」

「でもねぇってどういう意味? ガイアの目は節穴なの?」

「お、お前が自分で言ったんだろ!?」

「うるさい、黙って」

「理不尽!!」

 

 ――だが、そんな二人の平和な小競り合いは、背後から降り注いだ『絶対零度』の気配によって強制終了させられた。

 

「何を騒いでいる……」

 

 振り返った先には、白虎族長レイアが、腕を組み、冷ややかな瞳で二人を見下ろしていた。

 

「レイア! いいところに!」

「なんだ朱雀。お前たちがそこに居座っていると、中へ入れぬのだが」

「まあ待て、その前に聞けよ! ファルの奴が、あの青龍の爺さんの息子から求婚されそうになってんだよ!」

「ほぉ?」

 

 白虎族長は扉の隙間から、夜会会場の中心へと視線を向けた。

 舞踏場の中央でケセナの前に片膝をつく男を確認し、白虎の女傑の瞳が細められる。その形の良い唇に、薄く嗜虐的な笑みが浮かんだ。

 

「ふむ……」

 

 そう言うと、レイアは舞踏場内へ足を踏み入れる。

 

「待たれよ」

 

 凛とした声が響き渡り、ざわめいていた舞踏場が静まり返った。

 現れた白虎族長レイアの姿に、ツェヴァンが面白そうに目を細める。

 

「レイアよ、ようやくお出ましか」

「珍しいな、ツェヴァン。お前のその姿を見るのは、一体幾星霜振りか」

「ふぉふぉふぉ。何、愚息のためじゃ」

「……喋り方は、すっかりその爺の擬態が染み付いているようだな」

「これは元々よ。して……『待たれよ』というのは、如何様かな?」

 

 その問いに、レイアは悪びれもせず、とんでもない爆弾を投下した。

 

「その令嬢だ。彼女は、そこに居る朱雀の側室となることが、つい先ほど決まった」

「あ!?」

 

 会場入口から、ガイアの素っ頓狂で情けない声が響いた。

 だがレイアはまったく気に留めない。

 

「朱雀が、彼女の美貌を気に入ったそうだ」

「なっ……」

 

 あまりの展開に、アイフェンの美しい顔が蒼白になり、金色の瞳が激しく泳ぎ始めた。

 一方、グレンの腕の中にいるケセナは――。

 

(あーーーーもう、どんどん設定が増えてく……)

 

 諦めの境地に達し、悪ふざけを続ける大人たちを半眼で見つめていた。

 

「そうだな、朱雀」

「へ!? あ、いや、えーーーーーっ、痛ぇ!」

 

 横からラルの容赦ない肘打ちが脇腹へ打ち込まれ、ガイアは悲鳴を上げ、誤魔化すように赤い髪を掻きむしる。

 

「……ファ、……ファイナ嬢は、まぁ、なんだ……その……」

「ガイア族長!!!」

「へ?」

 

 しどろもどろになるガイアのもとへ、アイフェンが血相を変えて詰め寄ってきた。

 

「側室ということは、すでに正室様がいらっしゃるのですよね!? もしかして、そちらの御令嬢が御正室様ですか!?」

「は? 違う。あたしはこんなうるさい奴、大嫌い」

「おまっ、それは酷くないか!?」

 

 躊躇なくラルに切り捨てられたガイアが抗議すると、アイフェンはそれを前向きに解釈したらしい。

 悲壮な決意を顔へ張り付け、再びガイアへ縋りついた。

 

「では、朱雀族長様! 伏してお願い申し上げます! どうか、どうかファイナ嬢を自分に!!」

 

 ガイアは困惑したように視線を向けた。

 グレンの分厚い胸の中にすっぽりと収まり、呆然としているケセナの姿がある。

 

「んーーー……まぁ、それはそれで面白そうなんだけどよぉ」

 

 ガイアは少し意地悪な笑みを浮かべると、ケセナのもとへ歩き出した。

 そして、グレンからそっとケセナを受け取る。

 

「ガ……! むぐっ!?」

 

 突然腕を移され、男の声で抗議しそうになったケセナの口を、ガイアの大きな手がぴたりと塞いだ。

 そのまま細い腰をしっかりと抱き寄せ、アイフェンへ向き直る。

 

「見ての通り、俺はこいつに触れるんで……」

 

 それは、男性不信の令嬢が唯一接触を許しているのは自分だけだという、残酷なまでの勝利宣言だった。

 

「そうですか……」

 

 アイフェンは一度は絶望に顔を伏せた。だが次の瞬間、謎の決意に満ちた熱い瞳で二人を指差した。

 

「ですが! 私は決して諦めません!! お相手が朱雀族長であり、ファイナ嬢が心を許しておられようとも! 『婚姻の儀』はまだなのですから!!」

「「は?」」

 

 飛躍しすぎた解釈に、ガイアとケセナは思わず素に戻り、まったく同じ声色で呆れた声を重ねてしまった。

 

「お父上! 私は必ずや、あの美しき小鳥を射止めてみせます!」

 

 ツェヴァンへ向かって高らかに宣言すると、アイフェンは一筋の美しい涙を零し、そのまま劇的な足取りで走り去ってしまった。

 

「つーか、諦めろよ……」

 

 残されたガイアの乾いた呟きが響く。

 直後、張り詰めていた空気が弾け、夜会会場は大きな笑いの渦に包まれた。

 

 だが、一人だけ笑えない者がいる。

 ついに我慢の限界を突破した『絶世の令嬢』だ。

 

「ふざけるな! 貴様ら、ぜんい……むがっ!!」

「お前は喋るな!!」

「むー! むうぅうーーっ!!」

 

 怒鳴り散らそうとしたケセナの口を、ガイアが慌てて背後から両手で塞ぐ。

 腕の中で「放せ!」と暴れ回る金髪の令嬢と、それを必死に押さえ込む赤い髪の族長。

 

 その、あまりにも男勝りで遠慮のないじゃれ合いを見て、ツェヴァンの脳内で点と点が繋がった。

 

「レイアよ……」

 

 青龍族長は、半眼で隣の白虎族長を見据えた。

 

「この御令嬢は、もしや……」

「気づいたか、ツェヴァン」

 

 隠す素振りすら見せず、レイアは悪びれもせずに口角を上げる。

 

「応龍の御子が、なぜこのような姿をしておるのじゃ……」

「遺児はか細いからな。女物の夜会着も見事に似合っているだろう?」

 

 愉快そうに笑うレイア。

 その隣で、ツェヴァンは「……はぁ」と、我が息子の報われない初恋を憂うように果てしない溜息を吐いた。

 

「して、尋ねたいことがあっての……」

 

 ツェヴァンはレイアに向き直り、そう話し出した、その刻だった。

 

「俺、もう二度とこんな格好、しないから!!」

 

 そんな悲痛な宣言が夜会会場いっぱいに響き渡り、集まった子息子女たちからは、

 

「男ですの?」

「いや、男でもいい、妻に!」

 

 などという、見境のない会話が次々と繰り広げられ続けたのだった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。