兵器皇子は、贖罪の果てに名を呼ばれる〜End of the Atonement〜   作:久野 龍

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第六話 行って来ます

物はケセナの身体の半分を覆うほど大きい。初めて見た刻、目の前が暗くなったのを思い出し、肩に食い込む重みに顔をしかめる。

 

「重い……」

「旅に必要な物がいっぱい入っているんだから、我慢して」

「う……動けそうに……」

「頑張りなさい」

「……」

 

 反論の余地はなかった。

 

『野宿もするかも』などと口走らなければよかったと、ケセナは激しく後悔した。袋の中には鍋やら何やらがぎっしり詰め込まれている。下手に開けたら、二度と元に戻せない気がした。

 

「オウセイは?」

 

 ふと尋ねると、キリエは寂しげに目を伏せ、無理に笑顔を作った。

 

「体調が少し良くないの。ごめんなさいね。少し熱があるだけだから」

 

 一夜前に会ったオウセイは、確かに顔色が悪かった。早々に寝室へ引き上げてしまい、きちんと挨拶できなかったことだけが、ケセナの心残りだった。

 よく見れば、キリエの牡丹色の瞳の縁にも、徹夜で看病したらしいうっすらとした隈がある。

 

「キリエさんも、無理しないでくださいね。オウセイによ――」

「ケセナ」

 

 よろしく伝えてください、と言いかけた言葉を遮るように、家の奥から低く掠れた声が響いた。

 玄関の扉に凭れかかるようにして、毛布にくるまったオウセイが立っている。今にも倒れそうなほど蒼白な顔に、キリエが慌てて駆け寄った。

 

「オウセイ様、無茶をなさらないでください!」

 

 オウセイは片手を上げて彼女を制した。

 その手には、一本の刀が握られている。

 キリエに支えられながら歩み寄ってきたオウセイは、ケセナの前でふっと力を抜き、その刀を差し出した。

 

「これを持って行け」

 

 漆塗りの見事な鞘を前に、ケセナは戸惑う。

 だが、オウセイが琥珀色の瞳で力なく、それでも真っ直ぐに見下ろしてくるものだから、断ることもできず、そっと受け取った。

 

 軽い。

 

 それが第一印象だった。

 鉄の塊のような重さを想像していたケセナは、少し拍子抜けする。長さは平均的だが、柄は金糸で編み込まれ、目を見張るほど豪奢だった。二匹の龍が対称に彫り込まれた鍔には紅玉や宝玉が散りばめられ、淡い光を弾いている。

 

 これが、応龍というものなのだろうか。

 

「こいつの名は『応龍宝刀・プラークルウ』。皇帝が代々継承する“皇帝の剣”だ。必ずお前の力になる」

「……なんで、今なんです?」

「……すまない。完全に忘れていた」

 

 オウセイはあっけなく謝罪した。

 寝台で眠っている最中、唐突に蔵の片隅にあるこれを思い出し、鉛のように重い身体を引きずってきた結果がこれらしい。

 

「こ、皇帝の!? いや、でも俺、直系の血筋かもしれないですけど、貰っていいものなんでしょうか」

「誰がお前を皇帝だと言った。その刀がお前を『主』だと認めただけだ」

「……え? 主って……?」

 

 理屈が通らない、と首を捻るケセナに、オウセイは疲労混じりの深い嘆息をこぼし、その場にへたり込んだ。

 

「御託はいいから、抜刀しろ。抜けば分かる」

 

 オウセイが低く呻く。

 ケセナはおずおずと右手で柄を握り、左手で鞘を持った。

 かち、と小気味よい音がして、するりと美しい刀身が滑り出る。

 切先まで綺麗に抜刀し終えた、その瞬間。

 

「うわぁっ!?」

 

 正面からどんっと押され、荷物の重みも手伝って、危うく転びそうになった。

 視線を落とすと、見知らぬ五、六星霜齢ほどの銀髪の幼女が、ケセナの腰を力いっぱい抱き締めている。

 ふわふわとした貴族の姫君のような装いの幼女に縋りつかれ、ケセナの思考は完全に停止した。

 

「ファル様!! お会いしたかったですぅぅ!!」

 

 泣き叫ぶ幼女を引き剥がそうとするが、信じられないほどの力でしがみついて離れない。

 両手が塞がっているケセナには、どうすることもできなかった。

 

「プラウ」

 

 オウセイが優しく声をかける。

 すると、プラウと呼ばれた幼女は感動の涙を一瞬で引っ込め、オウセイを睨みつけて口を尖らせた。

 

「うわぁ、まだ生きてたとは。案外しぶとい生物ですねぇ? その顔なら、そろそろ死ねそうですけど」

「それは褒め言葉かな、お姫様」

「心からの本音です、おじいちゃん。私の最初の主だったからって、偉そうにしないでください!」

 

 凄まじく辛辣だった。

 

 オウセイはにこやかな笑みを湛えているが、こめかみが引き攣っているのが分かる。

 体調が最悪なオウセイに無理をさせたくないケセナがおろおろしていると、幼女ははたと何かに気づき、抱きついていたケセナから離れて居住まいを正した。

 

「……忘れていたです。突然の無礼、お許しください。私はファル様の剣であり、剣の精霊。“プラークルウ”です。愛称は『プラウ』。そう呼んでくれないと怒鳴ります。私はいつでも、ファル様の力となりましょう!」

 

 一息に捲し立てられ、ケセナは口をぱくぱくさせるしかない。

 

「プラウ。もうファルではないわ、『ケセナ』よ」

 

 固まるケセナを見かねて、キリエが助け舟を出す。

 プラークルウは上目遣いでケセナを見上げ、金色の大きな瞳をうるうると潤ませた。

 

「申し訳ありません……ケセナ様、ケセナ様! はい! 覚えました! ケセナ様ぁ!!」

 

 なんだかもう、無茶苦茶だった。

 ずきずきと痛み出したこめかみを押さえ、ケセナは右手がまだ刀の柄を握りしめていることに気づく。

 

 そうだ。

 仕舞えばいいんだ――。

 

「駄目です! 仕舞わないで! ああああっ!」

 

 悲痛な叫びが響いた。

 だがケセナは完全に心を無にし、一切の慈悲もなく、かちん、と刀を仕舞い終える。

 

 ――あたりは、静寂に包まれた。

 

 その中で、ケセナの素直な感情がぽつりとこぼれ落ちる。

 

「……いらない……」

 

 分かったのは、最高に厄介な幼女が出てくるという絶望的な事実だけだった。

 無意識に右手を突き出していたが、オウセイは真顔で首を振り、無言で刀を押し返してくる。

 ケセナは諦めの嘆息を漏らし、左手で刀を掴んだ。

 

「すまないな。あいつはいつもああなんだ。……できれば慣れてやってくれ」

 

 オウセイは苦労人の顔でそう言うと、気力を振り絞るように立ち上がった。

 

「オウセイ、もう部屋に戻ってください。見送りなんていりませんから」

 

 今にも倒れそうなオウセイに、ケセナは慌てて促す。

 不安げなキリエにも、安心させるように力強く頷いて笑顔を返した。

 

「すまない。お言葉に甘えるよ。ケセナ、あまり無茶はしないように」

 

 貴方にだけは言われたくない。

 胸中で毒づきながら、ケセナは頷く。

 

 オウセイはキリエに支えられながら家の中へ戻り、玄関の木扉を開けたところで、二人揃って振り返った。

 

「行ってらっしゃい」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 二人の声は、優しく温かかった。

 ケセナは破顔し、大きく答える。

 

「行って来ます!」

 

 満足そうに目を細めた二人が家の中へ消え、ばたん、と静かに木扉が閉まる。

 

 ふぅ、と息を吐き、ケセナは向き直った。

 胸を張り、意気揚々と一歩を踏み出そうとした瞬間。

 背負った巨大な荷物の重みで後ろへひっくり返りそうになり、慌てて体勢を戻す。

 

「格好がつかないなぁ……」

 

 情けない文句を垂れ、ケセナはここから本当に『一人』になってしまったことを実感した。

 

(……いや、一人よりは二人の方がいいのか?)

 

 そんな考えが頭をよぎり、左手の刀に目を落とす。

 だが、先ほどのけたたましい金切り声が脳内で再生され、即座に抜刀を諦めて首を左右に振った。

 

 深呼吸をひとつ。

 ケセナは、力強く一歩を踏み出した。

 

 十息ほど進んだところで、オウセイに決定的な言葉を伝えていなかったことを思い出し、足を止めて振り返る。

 

 木々の向こう。随分と小さくなった家を目に焼きつけるように見つめ、腹の底から大きく息を吸い込んだ。

 

 心を込めて。

 一文字一文字を、噛み締めるように。

 

「ありがとうございました」

 

 距離が離れすぎている。

 きっと、家の中の二人には聞こえていないだろう。

 

 それでも、ケセナの胸には爽やかな満足感が広がっていた。

 次にここへ戻ってくるのは、きっと自分の記憶の封印を解く刻だ。

 それまで、どうかお元気で。

 ケセナは前を向き、鬱蒼と緑が茂る一本道を、確かな足取りで歩き出した。

 

 世界を巡る四つの季、その『繁茂の季』。

 彼が背負うすべてのものの運命の巡りが、静かに廻り始めた。




※挿絵はAI生成画像を使用しています。
※キャラクターは作者オリジナルです。
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