兵器皇子は、贖罪の果てに名を呼ばれる〜End of the Atonement〜   作:久野 龍

68 / 77
第六十六話 泥底へ沈む玄武

 オウセイの放った黒金に濁った魔法光が弾け、凄まじい衝撃波とともにビャクレンの身体が壁際まで吹き飛ばされた。

 鈍く重い音を立てて崩れ落ちる玄武の将。

 その足元へ、オウセイが音もなく歩み寄る。

 

「さて。末っ子がわざわざ俺を呼び起こしたんだ。聞けることは聞くぞ、玄武」

「……貴様は、何者だ」

 

 壁に寄りかかり、血まみれの顔を上げたビャクレンは、まだ理解しきれていなかった。

 目の前に立つ、ケセナの姿をした存在の正体を。

 オウセイは冷たい瞳で見下ろし、呆れたように鼻で嗤った。

 

「ルーロエが悲しむぞ?」

「……っ!」

 

 その一言に、ビャクレンの漆黒の瞳が見開かれた。

 

 ルーロエ。

 それは五千星霜前、初代玄武族長の名。最古の記録にしか記されぬ、一族の始祖の真名だ。それを、まるで旧知の友を呼ぶような調子で口にした。

 点と点が繋がり、ビャクレンの脳裏に戦慄が走る。

 

「貴様……オウセイ・カイラーヌか……!」

「ようやく気づいたか。落ちたな、玄武」

 

 冷酷な言葉とともに、オウセイはしゃがみ込み、ビャクレンの髪を乱暴に掴み上げた。

 無理やり顔を仰向かせ、至近距離から致死の魔力を宿した眼差しを突きつける。

 

「答えろ。皇都を乗っ取ったフィサルーアの内に巣食う魔人の残滓は、どこまで侵食を進めている。評議会の連中を、どう動かすつもりだ」

 

 ビャクレンは血の混じった唾を吐き捨て、口元を歪めた。

 

「……答える義理はない。ノヴェリアの悲願は、成る寸前だ。ここで私を倒そうと、盤面は覆らん」

「強情な亀だな。なら、その首を落とし、残った部下から順に聞くまでだ――」

「……待て、オウセイ」

 

 低い声が割って入った。

 血に濡れた剣を提げたグレンが、ゆっくりと歩み寄ってくる。

 オウセイが不快そうに眉を顰めた。

 

「なんだ、末っ子。この出来損ないの兄に情でも移ったか?」

「……まさか」

 

 グレンはオウセイの隣に並び、足元で血を流す実の兄を、暗い瞳で見下ろした。

 

「そいつへの問いは、俺がやる。……三十星霜ほど、置き去りにしてきた話だ」

「勝手にしろ。ただし、情報を吐かせる前に殺すなよ」

 

 オウセイはつまらなそうに髪を放し、数歩後ろへ退いた。

 

 崩壊の振動が続く最上層。

 里を捨てた末弟と、玄武の頂点に立った長兄。

 グレンは剣の切っ先を下げたまま、静かに口を開いた。

 

「……なあ、ビャクレン。ひとつだけ聞かせてくれ」

「なんだ、落ちこぼれ。勝者の説教でも始める気か」

「そんなつもりはない」

 

 グレンは短く息を吐いた。

 

「姉上が狂ったのは、魔人に唆されたからだと思っていた。……だが、兄上は違う。誰より一族の誇りと、皇都への忠誠を重んじていたはずだ」

 

 その声には、責める響きよりも、確かめたいという切実さが滲んでいた。

 

「なぜです。なぜ、貴方まで魔人に与した。なぜ……リュウショウを裏切った」

 

 ビャクレンはしばらく無言でいた。やがて、喉の奥から血の塊を吐き出すような、空虚に乾いた笑い声を漏らした。

 

「……魔力を持たぬ落ちこぼれに、正論で断罪される刻が来るとはな」

 

 血に濡れた唇をわずかに歪め、黒い瞳が虚空を見た。

 

「語るほど、綺麗なものではないぞ」

「それでも聞きたい。兄上の口から」

 

 グレンの声は静かだった。

 だからこそ、ビャクレンは逃げるように目を伏せた。

 

「お前は魔力を持たず、一族から疎まれ、泥を這うようにして武を磨いていた。……だがな、グレン。私から見れば、リュウショウという光に見出され、里の外へ出ていけたお前の方が……よほど眩しかった」

「……兄上……?」

「私は長男として、玄武という泥の底に縛りつけられていた。ノヴェリアは、その濁りに言葉を流し込んだだけだ」

 

 大きく咳き込み、ビャクレンは続ける。

 

「『玄武を皇都の鎖から解き放つ。我らこそが地を統べるべきだ』と。……愚かな私は、その声に縋った。お前に向けていたものが何だったのか、もはや自分でも分からん。妬みだったのか、恨みだったのか……ただ、あの刻の私は、腐っていた」

 

 ガイアとラルが、息を詰める。

 グレンはしばし黙っていた。

 そして、殺すためではなく聞くために、静かに剣を鞘へ納めた。

 

「……そんなちっぽけな感情だけで、貴方がここまで来るとは思えない」

「何?」

「貴方は長兄だ。里を背負っていた。……姉上の狂気を止められず、それでも里ごと割れるのを防ぐために、自分から泥を被った。違いますか」

 

 ビャクレンは目を見開いた。

 やがて、ふっと、力の抜けたような笑みを漏らす。

 

「成長したな、グレン。昔は私の後ろを泣きながらついてくるだけの、手のかかる弟だったというのに」

「昔の話です」

 

 グレンの声は、どこか微かに震えていた。

 

「……フィサルーアの内に巣食う魔人の残滓は、すでに皇都をどこまで侵しているのです?」

「もう深い」

 

 ビャクレンの表情が、再び指揮官のものに戻る。

 

「評議会の過半数は、すでに掌中だ。貴様らがこの門を抜いたと知れれば、リュウショウに近しかった旧体制の騎士や貴族は、真っ先に粛清されるだろう」

 

 オウセイが舌打ちを漏らす。

 

「……ちっ。やはり、そこまで進んでいたか」

 

 その声を聞き届けると、ビャクレンは静かに目を閉じた。

 

「行け、グレン。……そして、正統皇位後継者ファルイーアよ。真なる王の玉座は、すでに血の海へ沈みつつある」

 

 それを最後に、ビャクレンは自らの足元へ最後の土魔術を走らせた。

 それは逃亡ではなかった。

 捕虜にもならず、弟の刃にも倒れず、自らの敗北だけは自分で閉じる。玄武の長として残された、最後の意地だった。

 

「なっ……!?」

 

 床の岩盤が円形に砕け、暗い奈落が口を開く。

 限界を迎えていた最上層が、自壊を始めたのだ。

 足場を失ったビャクレンの身体が、ゆっくりと落ちていく。

 

「兄上!!」

 

 グレンが咄嗟に手を伸ばしかける。

 だが、落ちていくビャクレンは、記憶の中にある『兄』の顔で弟を見た。

 

「……さらばだ、我が愚かで、誇り高き弟よ」

 

 瓦礫とともに、玄武の黒き将は暗い泥底へ消えていった。

 伸ばしかけた手を、グレンは止めた。

 ただ黙って、崩れゆく奈落を見下ろす。

 

「……湿っぽいのは嫌いでしょう、兄上」

 

 その呟きは、崩壊音に紛れて消えた。

 隣で、オウセイが面倒くさそうに首を鳴らす。

 

「末っ子、あとはお前たちで始末をつけろ。……対魔人以外で、二度と俺を呼び起こすな」

「寝てろ、睡眠狂」

 

 吐き捨てるような返答とともに、オウセイの覇気が霧散していく。

 がくり、と身体を揺らしたケセナを、グレンが咄嗟に片腕で抱き留めた。

 

「……ん? グレンさん……」

 

 ゆっくりと開いた琥珀色の瞳には、もう絶対者の傲慢な光はない。

 戸惑うように瞬きをする、いつもの青年の眼差しが戻っていた。

 

「目を覚ましたか、ケセナ。……もう済んだぞ」

 

 グレンは、金髪を軽く撫でた。

 

「お二人さん!! 今度は感傷に沈んでる場合じゃねぇぞ!!」

 

 背後で結界を維持していたラルとガイアが、悲鳴混じりに叫ぶ。

 五千星霜の歴史を誇った絶対防衛拠点『鉄火の門』は、まさに完全に崩壊し、海へ沈もうとしていた。

 

「走るぞ! 海に飛び込め!!」

「海は嫌だ!」

 

 ケセナが全力で拒絶するより早く、グレンは有無を言わせず彼を小脇に抱えた。

 暴れるケセナを無視して円窓を蹴り破り、荒れ狂う外海へと身を躍らせる。ラルとガイアも続いた。

 

 背後で、漆黒の要塞が凄まじい轟音とともに蒼黒の海へ呑み込まれていく。

 

「痛いーーーーー!!」

 

 全身の傷へ容赦なく塩水が染み込み、ケセナが情けない悲鳴を上げた。

 グレンに抱えられたまま海面へ浮上したその耳へ飛び込んできたのは、嵐の音を掻き消すほどの歓声だった。

 同盟軍が、完全に砕け散った防壁を越えて進軍を始めている。

 

「……抜けたな」

 

 海水を被りながら、グレンが皇都の方角――暗雲の立ち込める海の彼方を睨み据える。

 

 最大の難所であった鉄火の門は陥落した。

 

 だが、その先に待つのは、魔人に侵され、血の海に沈みつつある皇都オーレルディア。

 『王の剣』の戦いは、ここから先こそが本当の地獄だった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。