兵器皇子は、贖罪の果てに名を呼ばれる〜End of the Atonement〜   作:久野 龍

7 / 12
第二章 追憶に追われる者
第七話 南方地区へ


 旅立ちから、三つの季が巡っていた。

 いくつもの街を渡り、何度も夜巡りを野で明かし、それなりに旅らしい旅はしてきた。

 

 だが、ケセナはいまだ旅慣れたとは言い難い。

 

 その証拠に、彼は今も南方地区へ続く分かれ道の道標の前で腕を組み、うんうん唸っていた。茶色の瞳でじっと道標を睨みつけて、かれこれ半刻は経つだろうか。

 

 白い短衣も黒い脚衣も、紺色の帽子付き外套も、すっかり土埃と煤にまみれている。旅立った頃の清潔な面影など、とうに土埃の下へ埋もれていた。

 

 次に立ち寄る街で服を新調し、ふかふかの寝台で眠り、まともな食事にありつきたい。

 そう切実に願っていたのだが、道標に刻まれた文字を見て、彼は盛大に頭を抱えることになった。

 

 右が示すのは、朱雀族長のお膝元である城下町『フェルナリア』。

 左が示すのは、デフス鉱山の麓にあり、良質な鉄鉱石が採れる鍛冶屋の街『アウテリス』。

 

 ここから先は『南方地区』――朱雀族が統治する地である。

 

 問題は、この二つの街というより、南方地区全域が、四星霜前の内乱によって壊滅的に荒廃したという噂だった。

 

(じゃあ何故、こんな地に来てしまったんだ……)

 

 答えは明白だった。

 分かれ道にぶつかるたび、小枝を放り投げて進む道を適当に決めてきたからだ。

 己の優柔不断と適当さを今さら猛烈に後悔し、ケセナは歩いてきた方角を振り返る。

 

 引き返せば、丸二度の夜巡りを野で明かすことが確定する。それでも荒廃した街よりはましかもしれない。西方地区の末端とはいえ、白虎族の統制はしっかりしていて、住民たちも気さくでいい人ばかりだった。

 

 未練たらたらで道標を見直す。

 

 どちらを選んでも、昼巡りの終わり頃には到着するはずだ。そして悲しいかな、どちらを選んでも、荒れ果てた街並みが待っている気がする。

 

 せめて風雨を凌げる屋根と、温かい食事があればいい。

 

 そう腹を括り、ケセナはようやく決断を下した。

 かつての城下町『フェルナリア』へ行こう。

 決め手は、「城下町なら、まだまともな建物が残っていそうだ」という根拠のない思い込みだった。

 

「よし」

 

 気合を入れて周囲を見回し、ケセナはぽかんと口を開けた。

 

「あれ……? プラウ……?」

 

 真横にいるはずの、騒がしい相棒の姿が見えない。

 

「プーーーラーーーウーーー!?」

 

 大声で呼んでみるが、返事はない。

 首を傾げ、道標の裏手にある沢を覗き込もうと歩き出した、その折だった。

 

「ケセナさまあああぁぁぁ!!」

 

 甲高い悲鳴と共に、銀髪金目の幼女が沢から這い上がり、そのままの勢いでケセナの腰にどんっと抱きついてきた。

 

 いや、抱きついているのは右腕だけで、彼女は号泣しながら左手をこれでもかとぶんぶん振り回している。何かを必死に振り払いたいらしい。

 

「プ……プラウ?」

 

 怪訝に思い、顔を覗き込む。

 金色の瞳からは滝のように涙が溢れていた。彼女は一瞬、何かを訴えかけるような表情をしたものの、すぐに「うぇぇん」と泣き顔へ戻り、やはり左手を振り回しながら悲鳴を上げた。

 

「取ってくださいぃぃぃいいいぃっ」

「取る?」

「左手にぃぃぃっ!」

 

 泣きじゃくっていて聞き取りづらい。

 ケセナはプラークルウが振り回し続ける左手を見やった。激しく振られる人差し指の先に、何かががっちりとくっ付いている。だが、速すぎて正体までは分からない。

 

「ちょっと待って。何してたの?」

 

 むんず、とケセナはプラークルウの左手首を掴み、その動きを強制的に止めた。

 そして、人差し指にしがみついている『それ』を見て、半眼になる。

 

「だって、ケセナ様が決めるの遅いんですもん……っ」

「……ごめん」

 

 優柔不断っぷりを遺憾なく発揮して待たせていたのは、確かにケセナ自身だ。暇を持て余したプラークルウが、ふらふらと沢辺へ遊びに行ってしまったのも無理はない。

 

 だが、だからといって、こんな凶悪な生物とじゃれ合っていい理由にはならない。

 

 生物――それは、蟹だった。

 

 小ぶりではあるが、その凶悪な鋏でプラークルウの人差し指をがっちり挟み込み、微動だにしない。あれだけ激しく振り回されたにもかかわらず、離れる気配すらない。大した根性である。

 

(そういえば……)

 

 ケセナの脳裏に、あの分厚い歴史書で読んだ知識が蘇る。

 この小さな蟹は南方地区の名産物で、『一度その鋏で獲物を挟んだら、何をされても絶対に離さない』という、厄介極まりない習性を持っているらしい。

 

「俺が遅すぎて、蟹を突っついて遊んでたの?」

「……最初は見てるだけだったんですけど。ちょっと突っついたらどうなるのかなぁって……」

 

 プラークルウは素直に白状した。

 指を挟んでぶら下がる蟹は、ご立腹なのか、心なしか目が吊り上がっているように見える。

 

「ケセナ様ぁ、痛いんですぅ。なんとかしてください」

 

 涙目で助けを求めるプラークルウの声に、ケセナは深く悩んだ。

 この状況を招いた一端は自分にある。

 だが、この執念深い蟹を引き剥がすために思いつく手段は、たった一つしかない。

 

 意を決し、ケセナは無言でプラークルウの左手を地面へ置かせ、自分もその前にしゃがみ込んだ。

 

 手を引っ張られて座らされたプラークルウは、目を白黒させながら、じんじんと痛む人差し指と、その先でふんぞり返る憎き蟹を凝視する。

 

「えいっ」

 

 気の抜けた掛け声と共に。

 ケセナは無表情のまま腰の短剣を引き抜き、蟹の甲羅の隙間へ正確に切先を入れた。

 

 ぱきん、と硬いものが割れる音がして、蟹はぽろりとプラークルウの指から剥がれ落ちる。

 

「きゃあああっ!? 指っ! 私の指があああぁ!!」

 

 短剣の勢いで指ごと切断されたと勘違いしたプラークルウが、鼓膜を劈くような悲鳴を上げた。

 しかし、慌てて持ち上げた左手を確認し、今度はぽかんと目を丸くする。

 

「……あ、ある」

 

 ほっと胸を撫で下ろし、左手の甲と平をひっくり返して傷の具合を確かめるプラークルウ。

 挟まれていた部分は赤く腫れているが、流血はしていない。精霊であるプラークルウなら、放っておいても大丈夫だろう。

 

「ごめん。待たせてしまって。やっと行く先が決まったよ」

 

 ケセナが申し訳なさそうに立ち上がりながら謝罪した、その直後だった。

 無事を確認したプラークルウが、砲弾のような勢いで突進し、ケセナの顎へ強烈な頭突きをお見舞いした。

 

 ごつっ、という鈍く小気味よい音が、静かな街道に響き渡る。

 

「いっ……たぁっ!?」

 

 何事もなかったかのように着地したプラークルウは、顎を押さえて蹲るケセナを見下ろし、地団駄を踏んで言い放った。

 

「すっっっごく、遅いです!!」

「……ごもっともです……っ」

 

 言い訳も反論も許されない完璧な一撃だった。

 ケセナは痛む顎を擦りながら、「この石頭め……」と胸中で毒づき、ゆっくりと立ち上がる。

 見れば、プラークルウはまだ怒りが収まらないのか、ぷくぅっと両頬を限界まで膨らませていた。

 

 ケセナは無言でその頬へ右手を伸ばし、膨らんだ頬を両側から容赦なく押し潰す。

 ぶすぅっ、という間抜けな音と共に萎んだ頬は、一気に真っ赤に染まった。

 

「ケセナ様!! 何をなさるんですか!!」

 

 猛抗議して突進してくるプラークルウを、ケセナは笑いながらひらりと躱した。

 何度か子供のような追い駆けっこを繰り返した後、ケセナは足を止め、これから向かうべき道を指差す。

 

「フェルナリアに行こう」

 

 その真っ直ぐな言葉に、プラークルウはぴたりと動きを止め、ケセナの指差す先を見つめた。

 

「……ケセナ様、そっちは戻る道です」

「……え? あ、うん、こっち、だね」

 

 相変わらず正確な指摘に、ケセナは俯き、顔を赤くしながら歩き出した。

 

 昼巡りの終わり頃には到着するであろう、かつての城下町フェルナリア。

 荒廃しているとは聞いているが、果たしてどんな街並みが待っているのか。

 不安よりも、未知の場所へ向かう期待に胸が高鳴る。

 

 再び巡って来た『繁茂の季』。

 ケセナは、朱雀族が統治する未知なる大地――南方地区へと、確かな一歩を踏み入れた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。