兵器皇子は、贖罪の果てに名を呼ばれる〜End of the Atonement〜   作:久野 龍

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第七十六話 第三城門、開く

「頼んだ」

 

 とん、と。

 すれ違いざまに、グレンがガイアの肩を力強く叩く。

 師から託された絶対の信頼を受け、ガイアは前を見据えた。

 

「……へっ。炎が凍るねぇ。さすがは魔人様の走狗だ。厄介な芸を持ってやがる」

 

 焦りはなかった。

 猛吹雪の中にあってなお、ガイアは不敵に笑っていた。

 

 凍りつきかけた短剣へ、己の内に眠る『朱雀の長』としての膨大な魔力を、刃の一点へ極限まで圧縮していく。

 

「魔術の撃ち合いなら、確かにお前の方が上かもな。……だが」

 

 ガイアの短剣に宿る炎が、赤から白へ、そして光すら呑み込むような黒へと変わっていく。

 熱を外へ逃がさず、極限まで内へ閉じ込めた、異様な高熱の刃。

 

「俺は、行儀よく撃ち合うつもりなんざ、最初からねぇんだよ!」

 

 ガイアが地を蹴った。

 

 シュゲルトが巨大な氷壁を幾重にも展開する。

 だが、ガイアは避けない。

 真正面から踏み込み、黒き熱刃を氷の防壁へ深々と突き立てた。

 

「……愚かな。その程度の熱で――」

「黙って見てろ!!」

 

 絶対零度の氷へ、極限まで圧縮された超高熱が叩き込まれる。

 広場を揺るがす轟音とともに、凄まじい水蒸気爆発が巻き起こった。

 

 分厚い氷壁が内側から粉々に吹き飛び、爆発的な白煙と熱水が視界を一気に覆い尽くす。

 

「な……!?」

 

 感情を持たぬはずのシュゲルトの顔へ、初めて明確な驚愕が走った。

 絶対零度の理を、圧倒的な熱量と単純な爆発で、力ずくに破られたのだ。

 

「もらった!」

 

 白煙を突き抜け、気配を殺しきったガイアが死角へ潜り込む。

 黒き熱刃が、シュゲルトの首筋へと振り下ろされた。

 

 だが――

 

「……浅はかです」

 

 無機質な声とともに、ガイアの短剣が空中で硬いものに弾かれた。

 

 白煙が薄れていく。

 ガイアは目を見開いた。

 

 シュゲルトは、自ら左腕を裂き、そこから流れた血をその場で凍結させ、巨大で鋭利な氷刃へ変じさせていた。

 

「自分の血を武器にしやがった……!」

「私の血も肉も、例外ではありません。熱暴走ごときで、私の氷霜を崩せるとでも?」

 

 右腕からも同じように氷刃が伸びる。

 相打ち覚悟で、ガイアの心臓へ向けて冷酷に突き出された。

 圧倒的な冷気が、再びガイアの身体を縛りつけようとする。

 

 その刹那。

 

(焦るな。呼吸を合わせろ。相手の殺意に乗れ)

 

 脳裏へ、泥にまみれて叩き込まれたグレンの教えが蘇った。

 ガイアは退かない。

 迫り来る氷刃に対して、自ら前へ踏み込んだ。

 

「っ!?」

 

 シュゲルトの目が、僅かに見開かれる。

 

 紙一重。

 ガイアは身体を捻って氷刃を躱し、短剣を素早く逆手に持ち替えた。

 滑り込ませる先は、防御の死角、左脇腹。

 

 泥臭く、しかし確実に命を刈るための殺法。

 

「魔人の理だろうが何だろうが……懐へ入られりゃ、ただの的だ」

「……!」

 

 シュゲルトが氷を編み直すより早く、ガイアの黒き熱刃が、純白の長衣ごと、その胸へ深々と突き立てられた。

 

「が……ぁ……。フィサ、ルーア、様……」

 

 圧縮されていた極限の熱が、絶対零度の肉体の内側で爆発的に解放される。

 シュゲルトの身体が内側から燃え上がり、やがて、砕ける玻璃のような音とともに、無数の氷片となって広場へ散った。

 

 圧倒的な冷気が晴れたあと。

 そこに立っていたのは、短剣の炎を振り払い、小さく息を吐くガイアだけだった。

 

「……ま、こんなもんだろ」

 

 朱雀の精鋭たちへ向けて振り返り、ガイアはこれ以上ないほど不敵な笑みを浮かべる。

 

 散った氷片が光を反射し、広場へきらきらと舞い落ちる。

 死地を覆っていた圧迫感が、ようやく霧散していった。

 

「族長ぉぉぉ!! さすがだぜ!!」

「最高に決まってるっす!!」

 

 後方で見守っていた朱雀の精鋭たちから、割れんばかりの歓声が上がる。

 ガイアは短剣を鞘へ納めると、肩を回しながら得意げに鼻を鳴らした。

 

「へっ。当然の仕事だろ」

 

 そのもとへ、キョウが静かな足取りで近づく。

 ガイアが少しだけ身構えたように彼女を見下ろすと、キョウはふっと表情を和らげ、小さく微笑んだ。

 

「……お疲れ様、ガイア」

「お、おうっ……! 俺、かなり決まってただろ?」

 

 滅多に見せぬキョウの素直な労いに、ガイアの気分は一気に跳ね上がった。

 

「うるさいわね。はいはい、そうですね」

「もっと労え!!!」

 

 理不尽な落差に叫ぶガイア。

 そこへ、壁際で休んでいたケセナと、それに付き添っていたグレン、ラルが歩み寄ってきた。

 ラルが冷ややかな目で口を開く。

 

「うるさい」

「ラル、ガイアは嬉しかっただけだから許してあげて」

「うるさいから、うるさいって言ってる」

「奇遇ね。私も同意見よ」

 

 ケセナの援護も、女性陣にはまるで効かなかった。

 彼は「ごめん」というように、ガイアへそっと視線を送ってくる。

 

(扱い酷くね!?)

 

 泣きたくなる気持ちを堪え、ガイアは天を仰いだ。

 そんな惨状を前に、グレンは苦笑しつつラルの頭へぽん、と手を置いた。

 

「見事だ、ガイア。俺の叩き込んだ殺法を、あの土壇場でよく応用したな」

 

 グレンの率直な称賛に、ガイアは空を見たまま、照れくさそうに鼻の頭を掻いた。そうして顔を下ろす。

 

「先生の鍛え方が厳しすぎたおかげだよ。……にしても、ああいうのが魔人の手先か。いよいよ洒落にならねぇ領域だな」

 

 その言葉に、全員の視線が広場の奥にある、巨大な第三城門へ向けられた。

 

「……あの内乱の最中も、あんな化け物がいくらでもいたんだろうが」

「そうだな。ほぼすべてを、ファルイーアが……」

 

 グレンは目を伏せ、そこで言葉を切った。

 ケセナを見れば、彼もまた静かに顔を伏せている。兵器として生かされていた頃、彼がたった一人で背負わされていた地獄の片鱗だった。

 

「先生?」

「……いや。なんでもない。それよりもだ」

 

 グレンは気を取り直すように前を向いた。

 

 漆黒の鋼と、見たこともない鉱石で組み上げられた巨大な両開きの扉。

 その表面には幾重にも複雑な術式が刻まれ、血のような赤い光を脈打たせている。

 

 対軍用殲滅機構。

 

 シュゲルトは、あくまでこの扉の前に立つ番人に過ぎなかった。

 この扉そのものが、五千星霜前のオウセイが組み上げた、皇都最大級の防衛兵器だった。

 

「この馬鹿でかい扉、どうする? 力ずくで砕くか?」

 

 ガイアが再び短剣の柄へ手をかけながら問う。

 それまで沈黙していたケセナが、ラルに支えられながら前へ出た。

 

「駄目だ。少しでも攻撃の魔力をぶつけたら、刻まれた防衛術式が起動する。……広場ごと灰になる」

「はぁ!? なんだそれ! どこの阿呆だ、こんな悪趣味なもん作ったのは!」

 

 ガイアの叫びに、ケセナはすっと遠い目になってあらぬ方向を向いた。

 

「……またお前か」

 

 グレンが、実に的確な言葉を落とす。

 

「ふざけんなファル! お前、本当にどうかしてるだろ!」

「いや、俺っていうか、五千星霜前の俺っていうか……防衛重視だったというか……」

 

 ぶつぶつと言い訳をしながら、ケセナは重い足を引きずり、巨大な扉の真正面まで歩み寄った。

 

「ラル、ありがとう」

「うん」

 

 寄り添っていたラルの手を離れ、ケセナは扉へ右手を置く。

 

「ファル、大丈夫なの?」

 

 キョウが案じるように声をかける。

 ケセナは「平気」と短く返し、扉の表面へ刻まれた複雑な術式のひとつへ触れた。

 

 五千星霜前。

 この巨大な兵器を組み上げ、冷然と見上げていた己自身の姿が脳裏に浮かぶ。

 

 どこに魔力の結節があり、どの順に解けば安全装置が働くのか。

 すべてが、呼吸をするように自然と浮かび上がってきた。

 迷路では散々だった。

 けれど、術式だけは違う。

 これは、五千星霜前の自分が組み上げた仕掛けだ。

 

「……底辺術式、迂回。裏路へ流す。

 表層と中枢を接続。上辺術式、巡回。下部術式へ最終接続」

 

 右腕から流れ込んだごく微弱な魔力が、巨大な扉の術式を次々と青へ書き換えていく。

 

「円を描き、中央術式と裏術式を接続。すべての回路の点灯確認。逆流――開錠」

 

 赤い脈動が静まり、殲滅機構の恐るべき殺気が嘘のように消えていった。

 

 やがて、地響きのような重低音とともに、五千星霜ものあいだ何者にも破られなかった第三城門が、創造主の帰還を迎えるかのようにゆっくりと扉を開き始める。

 

「開いた……」

 

 ラルが呆然と呟く。

 ガイアもグレンも、その規格外の設計と、それをあっさり解除してみせたケセナの姿を前に、ただ息を呑むしかなかった。

 

 開いた扉の向こうには、これまでとは比べものにならぬほど濃密な瘴気と、重苦しい静寂に包まれた皇都の中枢が広がっていた。

 

「行こう」

 

 ケセナが少しだけ誇らしげに振り返り、仲間たちを見た。

 そして、自らの足で一歩を踏み出したのだが、かくん、と膝から崩れ、身体が前のめりに落ちる。

 

「っと! ファル!!」

 

 咄嗟にガイアが身を翻し、その身体を間一髪で受け止めた。

 

「あはは……まだ駄目だったみたい」

 

 ガイアの腕の中で、ケセナは力なく笑う。

 どうやら扉の解除で、残っていた体力も魔力も、きれいさっぱり底をついてしまったらしい。

 

 そんなケセナの前へ、グレンが無言で背を向けてしゃがみ込む。

 

「乗れ」

「うん、ごめん……」

 

 ケセナが大人しくその背へ凭れかかる。

 すると、グレンは小さく鼻を鳴らした。

 

「お前のそれは、もう癖だな」

「え?」

 

 あれほど謝るのはお前ではないと言ったはずなのに、息をするように詫びを口にする。

 そのことを刺されたケセナは、何のことか分からないようにきょとんとした。

 

「……なんでもない。ここから先は俺の方がまだ分かる。お前は少しでも戻せ」

「うん。じゃあ、着いたら起こして……」

 

 すう、と。

 言い終えるより早く、ケセナはグレンの背中で目を閉じ、あっという間に寝息を立て始めた。

 

「よくこの状況で寝られるな、この……!」

 

 ガイアが呆れたように声を上げかける。

 だが、それより早くキョウが冷ややかな視線を向けた。

 

「それだけ削ってるってことでしょ? 威張る前に、少しは見習いなさいよ」

「かっこよかっただろ! 俺!」

「あーはいはい。そうね。立派だったわ」

 

 明らかに雑な相槌。

 それでもガイアは無駄に満足げに胸を張る。

 そのやり取りを横で聞かされ、ラルが心底うんざりした顔で呟いた。

 

「うるさい……」

「騒ぐな。ここから先は潜入だ。見つかれば終わる。朱雀の精鋭は、同盟軍の展開地点まで戻れ。ガイアとキョウだけ残れ」

 

 グレンが鋭く一瞥すると、騒いでいた二人はぴたりと口を閉ざした。

 

「やっべ」

「……ごめんなさい」

 

 ガイアが慌てて口を塞ぎ、キョウも小さく頷いて表情を引き締める。朱雀の精鋭たちは無言で頷くと、負傷者を支えながら来た道へと駆け戻っていった。

 

「行くぞ。ベラリティル邸は、この区画の最奥だ」

 

 グレンは背中のケセナを負い直し、昼巡りの終わりの紅に染まった瘴気の漂う皇都中枢へ、音もなく足を踏み入れた。

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