兵器皇子は、贖罪の果てに名を呼ばれる〜End of the Atonement〜 作:久野 龍
「頼んだ」
とん、と。
すれ違いざまに、グレンがガイアの肩を力強く叩く。
師から託された絶対の信頼を受け、ガイアは前を見据えた。
「……へっ。炎が凍るねぇ。さすがは魔人様の走狗だ。厄介な芸を持ってやがる」
焦りはなかった。
猛吹雪の中にあってなお、ガイアは不敵に笑っていた。
凍りつきかけた短剣へ、己の内に眠る『朱雀の長』としての膨大な魔力を、刃の一点へ極限まで圧縮していく。
「魔術の撃ち合いなら、確かにお前の方が上かもな。……だが」
ガイアの短剣に宿る炎が、赤から白へ、そして光すら呑み込むような黒へと変わっていく。
熱を外へ逃がさず、極限まで内へ閉じ込めた、異様な高熱の刃。
「俺は、行儀よく撃ち合うつもりなんざ、最初からねぇんだよ!」
ガイアが地を蹴った。
シュゲルトが巨大な氷壁を幾重にも展開する。
だが、ガイアは避けない。
真正面から踏み込み、黒き熱刃を氷の防壁へ深々と突き立てた。
「……愚かな。その程度の熱で――」
「黙って見てろ!!」
絶対零度の氷へ、極限まで圧縮された超高熱が叩き込まれる。
広場を揺るがす轟音とともに、凄まじい水蒸気爆発が巻き起こった。
分厚い氷壁が内側から粉々に吹き飛び、爆発的な白煙と熱水が視界を一気に覆い尽くす。
「な……!?」
感情を持たぬはずのシュゲルトの顔へ、初めて明確な驚愕が走った。
絶対零度の理を、圧倒的な熱量と単純な爆発で、力ずくに破られたのだ。
「もらった!」
白煙を突き抜け、気配を殺しきったガイアが死角へ潜り込む。
黒き熱刃が、シュゲルトの首筋へと振り下ろされた。
だが――
「……浅はかです」
無機質な声とともに、ガイアの短剣が空中で硬いものに弾かれた。
白煙が薄れていく。
ガイアは目を見開いた。
シュゲルトは、自ら左腕を裂き、そこから流れた血をその場で凍結させ、巨大で鋭利な氷刃へ変じさせていた。
「自分の血を武器にしやがった……!」
「私の血も肉も、例外ではありません。熱暴走ごときで、私の氷霜を崩せるとでも?」
右腕からも同じように氷刃が伸びる。
相打ち覚悟で、ガイアの心臓へ向けて冷酷に突き出された。
圧倒的な冷気が、再びガイアの身体を縛りつけようとする。
その刹那。
(焦るな。呼吸を合わせろ。相手の殺意に乗れ)
脳裏へ、泥にまみれて叩き込まれたグレンの教えが蘇った。
ガイアは退かない。
迫り来る氷刃に対して、自ら前へ踏み込んだ。
「っ!?」
シュゲルトの目が、僅かに見開かれる。
紙一重。
ガイアは身体を捻って氷刃を躱し、短剣を素早く逆手に持ち替えた。
滑り込ませる先は、防御の死角、左脇腹。
泥臭く、しかし確実に命を刈るための殺法。
「魔人の理だろうが何だろうが……懐へ入られりゃ、ただの的だ」
「……!」
シュゲルトが氷を編み直すより早く、ガイアの黒き熱刃が、純白の長衣ごと、その胸へ深々と突き立てられた。
「が……ぁ……。フィサ、ルーア、様……」
圧縮されていた極限の熱が、絶対零度の肉体の内側で爆発的に解放される。
シュゲルトの身体が内側から燃え上がり、やがて、砕ける玻璃のような音とともに、無数の氷片となって広場へ散った。
圧倒的な冷気が晴れたあと。
そこに立っていたのは、短剣の炎を振り払い、小さく息を吐くガイアだけだった。
「……ま、こんなもんだろ」
朱雀の精鋭たちへ向けて振り返り、ガイアはこれ以上ないほど不敵な笑みを浮かべる。
散った氷片が光を反射し、広場へきらきらと舞い落ちる。
死地を覆っていた圧迫感が、ようやく霧散していった。
「族長ぉぉぉ!! さすがだぜ!!」
「最高に決まってるっす!!」
後方で見守っていた朱雀の精鋭たちから、割れんばかりの歓声が上がる。
ガイアは短剣を鞘へ納めると、肩を回しながら得意げに鼻を鳴らした。
「へっ。当然の仕事だろ」
そのもとへ、キョウが静かな足取りで近づく。
ガイアが少しだけ身構えたように彼女を見下ろすと、キョウはふっと表情を和らげ、小さく微笑んだ。
「……お疲れ様、ガイア」
「お、おうっ……! 俺、かなり決まってただろ?」
滅多に見せぬキョウの素直な労いに、ガイアの気分は一気に跳ね上がった。
「うるさいわね。はいはい、そうですね」
「もっと労え!!!」
理不尽な落差に叫ぶガイア。
そこへ、壁際で休んでいたケセナと、それに付き添っていたグレン、ラルが歩み寄ってきた。
ラルが冷ややかな目で口を開く。
「うるさい」
「ラル、ガイアは嬉しかっただけだから許してあげて」
「うるさいから、うるさいって言ってる」
「奇遇ね。私も同意見よ」
ケセナの援護も、女性陣にはまるで効かなかった。
彼は「ごめん」というように、ガイアへそっと視線を送ってくる。
(扱い酷くね!?)
泣きたくなる気持ちを堪え、ガイアは天を仰いだ。
そんな惨状を前に、グレンは苦笑しつつラルの頭へぽん、と手を置いた。
「見事だ、ガイア。俺の叩き込んだ殺法を、あの土壇場でよく応用したな」
グレンの率直な称賛に、ガイアは空を見たまま、照れくさそうに鼻の頭を掻いた。そうして顔を下ろす。
「先生の鍛え方が厳しすぎたおかげだよ。……にしても、ああいうのが魔人の手先か。いよいよ洒落にならねぇ領域だな」
その言葉に、全員の視線が広場の奥にある、巨大な第三城門へ向けられた。
「……あの内乱の最中も、あんな化け物がいくらでもいたんだろうが」
「そうだな。ほぼすべてを、ファルイーアが……」
グレンは目を伏せ、そこで言葉を切った。
ケセナを見れば、彼もまた静かに顔を伏せている。兵器として生かされていた頃、彼がたった一人で背負わされていた地獄の片鱗だった。
「先生?」
「……いや。なんでもない。それよりもだ」
グレンは気を取り直すように前を向いた。
漆黒の鋼と、見たこともない鉱石で組み上げられた巨大な両開きの扉。
その表面には幾重にも複雑な術式が刻まれ、血のような赤い光を脈打たせている。
対軍用殲滅機構。
シュゲルトは、あくまでこの扉の前に立つ番人に過ぎなかった。
この扉そのものが、五千星霜前のオウセイが組み上げた、皇都最大級の防衛兵器だった。
「この馬鹿でかい扉、どうする? 力ずくで砕くか?」
ガイアが再び短剣の柄へ手をかけながら問う。
それまで沈黙していたケセナが、ラルに支えられながら前へ出た。
「駄目だ。少しでも攻撃の魔力をぶつけたら、刻まれた防衛術式が起動する。……広場ごと灰になる」
「はぁ!? なんだそれ! どこの阿呆だ、こんな悪趣味なもん作ったのは!」
ガイアの叫びに、ケセナはすっと遠い目になってあらぬ方向を向いた。
「……またお前か」
グレンが、実に的確な言葉を落とす。
「ふざけんなファル! お前、本当にどうかしてるだろ!」
「いや、俺っていうか、五千星霜前の俺っていうか……防衛重視だったというか……」
ぶつぶつと言い訳をしながら、ケセナは重い足を引きずり、巨大な扉の真正面まで歩み寄った。
「ラル、ありがとう」
「うん」
寄り添っていたラルの手を離れ、ケセナは扉へ右手を置く。
「ファル、大丈夫なの?」
キョウが案じるように声をかける。
ケセナは「平気」と短く返し、扉の表面へ刻まれた複雑な術式のひとつへ触れた。
五千星霜前。
この巨大な兵器を組み上げ、冷然と見上げていた己自身の姿が脳裏に浮かぶ。
どこに魔力の結節があり、どの順に解けば安全装置が働くのか。
すべてが、呼吸をするように自然と浮かび上がってきた。
迷路では散々だった。
けれど、術式だけは違う。
これは、五千星霜前の自分が組み上げた仕掛けだ。
「……底辺術式、迂回。裏路へ流す。
表層と中枢を接続。上辺術式、巡回。下部術式へ最終接続」
右腕から流れ込んだごく微弱な魔力が、巨大な扉の術式を次々と青へ書き換えていく。
「円を描き、中央術式と裏術式を接続。すべての回路の点灯確認。逆流――開錠」
赤い脈動が静まり、殲滅機構の恐るべき殺気が嘘のように消えていった。
やがて、地響きのような重低音とともに、五千星霜ものあいだ何者にも破られなかった第三城門が、創造主の帰還を迎えるかのようにゆっくりと扉を開き始める。
「開いた……」
ラルが呆然と呟く。
ガイアもグレンも、その規格外の設計と、それをあっさり解除してみせたケセナの姿を前に、ただ息を呑むしかなかった。
開いた扉の向こうには、これまでとは比べものにならぬほど濃密な瘴気と、重苦しい静寂に包まれた皇都の中枢が広がっていた。
「行こう」
ケセナが少しだけ誇らしげに振り返り、仲間たちを見た。
そして、自らの足で一歩を踏み出したのだが、かくん、と膝から崩れ、身体が前のめりに落ちる。
「っと! ファル!!」
咄嗟にガイアが身を翻し、その身体を間一髪で受け止めた。
「あはは……まだ駄目だったみたい」
ガイアの腕の中で、ケセナは力なく笑う。
どうやら扉の解除で、残っていた体力も魔力も、きれいさっぱり底をついてしまったらしい。
そんなケセナの前へ、グレンが無言で背を向けてしゃがみ込む。
「乗れ」
「うん、ごめん……」
ケセナが大人しくその背へ凭れかかる。
すると、グレンは小さく鼻を鳴らした。
「お前のそれは、もう癖だな」
「え?」
あれほど謝るのはお前ではないと言ったはずなのに、息をするように詫びを口にする。
そのことを刺されたケセナは、何のことか分からないようにきょとんとした。
「……なんでもない。ここから先は俺の方がまだ分かる。お前は少しでも戻せ」
「うん。じゃあ、着いたら起こして……」
すう、と。
言い終えるより早く、ケセナはグレンの背中で目を閉じ、あっという間に寝息を立て始めた。
「よくこの状況で寝られるな、この……!」
ガイアが呆れたように声を上げかける。
だが、それより早くキョウが冷ややかな視線を向けた。
「それだけ削ってるってことでしょ? 威張る前に、少しは見習いなさいよ」
「かっこよかっただろ! 俺!」
「あーはいはい。そうね。立派だったわ」
明らかに雑な相槌。
それでもガイアは無駄に満足げに胸を張る。
そのやり取りを横で聞かされ、ラルが心底うんざりした顔で呟いた。
「うるさい……」
「騒ぐな。ここから先は潜入だ。見つかれば終わる。朱雀の精鋭は、同盟軍の展開地点まで戻れ。ガイアとキョウだけ残れ」
グレンが鋭く一瞥すると、騒いでいた二人はぴたりと口を閉ざした。
「やっべ」
「……ごめんなさい」
ガイアが慌てて口を塞ぎ、キョウも小さく頷いて表情を引き締める。朱雀の精鋭たちは無言で頷くと、負傷者を支えながら来た道へと駆け戻っていった。
「行くぞ。ベラリティル邸は、この区画の最奥だ」
グレンは背中のケセナを負い直し、昼巡りの終わりの紅に染まった瘴気の漂う皇都中枢へ、音もなく足を踏み入れた。