兵器皇子は、贖罪の果てに名を呼ばれる〜End of the Atonement〜   作:久野 龍

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第八話 廃墟の朱雀族長

 陽が傾き、辺りを血のような紅に染め上げた頃。

 ケセナはようやく、フェルナリアの入口である朽ちた門を遠くに見つけ、深く安堵の息を吐いた。

 

 道標の通り、昼巡りの終わり頃には到着したが、道中は過酷だった。

 青々とした緑はほとんどなく、ひび割れた大地と枯れ木ばかりが続く荒野。折々に吹く強風が乾いた土を舞い上げ、容赦なく視界を土煙で塗り潰す。息を吸い込めば、刺すような暑さがじりじりと喉を焼いた。

 

 それでもケセナは、決して腕捲りをしようとはしなかった。

 誰かに、両腕の消えない古傷を見られることだけは嫌だったのだ。

 

 何度目かの強風で、土埃に癇癪を起こしたプラークルウは、封玉へ逃げ込んでしまった。

 封玉は、あの大きな荷物を収納するためにプラークルウが作った便利な道具だ。今では刀も収まり、彼女の逃げ込み先にもなっている。

 

 一人だけ安全な場所に退避した相棒を恨めしく思いながらも、なんとか歩き抜いた自分は褒めてやりたい。

 しかし、辿り着いた巨大な門は、少なからずケセナを不安にさせた。かつての威容は見る影もなく朽ち果て、見上げれば石材がぱらぱらとこぼれ落ちてきて、今にも崩れそうだった。ケセナは思わず足早に門を通り抜ける。

 

「酷いな……」

 

 街へ目を向け、ケセナは素直な感想を漏らした。

 本当に、酷いありさまだった。建物のほとんどは崩れた瓦礫の山と化し、人の気配は一切ない。かつて城下町だった面影はほとんど残っておらず、夕陽で不気味に紅く染まった光景は、まさに廃墟そのものだった。

 

「人、いるのかな……」

 

 一抹の不安に駆られ、ケセナは立ち止まる。

 この不気味な廃墟で一人きりの夜を明かすのかと思うと、背筋に冷たいものが走った。ケセナは腰袋から小さな封玉を取り出し、手のひらでくるりと転がしてぽつりと呟く。

 

「プラウ、出ておいで」

 

 瞬間、封玉から眩い光が現れ、その上に銀髪の幼女が姿を現した。閉じられていた瞼がゆっくりと開かれ、金色の瞳が光る。ケセナが手を引くと、プラークルウはふわりと地に足をつけた。

 

 平然と見上げてくる相棒に、ケセナは思わず苦笑する。

 

「ずるいじゃないか。自分だけ退避して」

「あんな土煙、お肌に悪くて耐えられませんもん」

 

 口を尖らせてぴょこぴょこと飛び跳ねていたプラークルウだったが、周囲を見回した途端、その顔から表情が抜け落ちた。

 

「うわぁ……ここ、もしかしてフェルナリアですか? また随分と変わりましたねぇ……」

 

 廃墟となる前のこの街を知っているのか、彼女の声音には深い悲哀が滲んでいた。そんなプラークルウの隣に立ち、ケセナは封玉を腰袋へ仕舞いながら核心を突く。

 

「人、いると思う?」

 

 プラークルウは無言で俯いた。瞳を閉じ、しばらくそのまま集中すると、ひとつ深呼吸をして顔を上げる。

 

「います」

 

 力強く言い切り、一歩前に出て振り返った。

 

「少ないですが、確かに、あちらから人の生命を感じます」

 

 あんな性格だが、彼女は最上位の精霊である『剣精』だ。その感覚は信じていいだろう。

 ケセナはこくりと頷き、前を見据える。夜巡りの訪れを告げる陽に沈む廃墟の景色は先ほどと変わらないが、人がいるのなら、温かい食事と寝台にありつけるかもしれない。

 

「取りあえず、人を探し――」

「お前、どこのもんだ?」

 

 ふいに、頭上から声が降ってきた。

 この廃墟で最も聞きたくない、警戒を孕んだ低い声だった。

 

 無視するわけにもいかず、ケセナは声のした方へゆっくりと顔を向けた。

 

 視線の先。崩れかけた石積みの塀の上に、沈む陽のように燃える赤い髪の青年が仁王立ちしていた。逆光で顔立ちまでは見えないが、背格好からして自分より少し年上だろうか。ケセナは警戒を悟られぬよう、短く答える。

 

「ただの旅人です」

「旅人が、なんだってこんな酔狂な場所に来るんだ? 普通は来ねぇだろうが」

「そう、ですよね……」

 

 分かれ道で小枝を投げて決めた、などと馬鹿正直に言えるはずもなく、ケセナは目を泳がせる。

 ふと気がつけば、隣にいたはずのプラークルウが再び姿を消していた。相変わらず逃げ足の速い奴だと内心で嘆息し、ケセナは青年へ身体を向ける。

 

「分かってはいたんですが、引き返すよりこちらの方が近かったので」

 

 ケセナの苦しい言い訳を聞いた青年は、ふっと身体の力を抜き、身軽な動作で塀から飛び降りた。

 近づいてきた青年の顔が沈む陽の光に照らされる。背は当然ながら小柄なケセナより高く、見上げる形になった。

 袖を乱暴に引きちぎった朱色の小袖を、汗に濡れた胸板が覗くほど大胆にはだけさせ、腰には太い注連縄のような帯に短剣を無造作に差し込んでいる。

 瞳は、ケセナの元の瞳とは違う、烈火のごとき赤。悪戯っ子のように爛々と輝き、野性味のある容貌によく似合っていた。

 

「ふぅん? お前、変わってんなぁ。こんなとこ、お前みたいな善良そうな奴が来る場所じゃねぇよ?」

「そうでしょうね……心底、反省はしてますよ……」

「ははははっ! 面白い奴だな!」

 

 ケセナが心の底からの本音をこぼすと、青年は腹を抱えて大声で笑った。笑われても仕方がない。できることなら、三夜前の平和な西方地区に戻りたいくらいなのだから。

 

「とっとと帰れと言いたいところだが、追い返すのも酷だなぁ。ここでの野宿は危険過ぎる。俺ん家、来るか?」

 

 ケセナはぱっと顔を上げた。

 言葉遣いは乱暴だが、どうやら面倒見はいいらしい。

 

「あの……いいんですか?」

「おう」

 

 軽く返事をした直後、青年は怪訝そうに眉を寄せた。

 

「……お前、荷物とかねぇのかよ?」

 

 素朴な疑問に、ケセナは戸惑う。普通の旅人が手ぶらなはずがない。

 キリエが用意した巨大な荷物も、プラークルウの本体である刀も、すべてプラークルウが作った小さな封玉の中に収納されている。「軽い方がいいです!」という彼女の気遣いは非常に有難かったが、そんな魔術のような話を一般人が信じるとは思えなかった。

 

 どう言い訳したものかと言葉を濁していると、青年があっさりと口を開いた。

 

「さっきの、あのちっせぇガキが収納してんだろ? あいつ、便利だよな」

「っ!」

 

 ぴしゃりと言い当てられ、ケセナは驚愕に目を見開いた。

 どうして知っているのか。無言で青年を凝視すると、彼は「あー」と後頭部を掻きながら言葉を続けた。

 

「悪い。昔な、あのちっせぇのを連れてた奴を知ってたからよ」

「……え?」

「応龍の皇帝様が連れてたんだけどな? あのガキ、皇帝の剣精だろ。……ってことは、お前は『応龍族』となんか関係あんのか?」

 

 どくん、と心臓が跳ねた。

 

『応龍』という単語に、ケセナの身体が強張る。

 この一星霜、旅をしてきて痛いほど実感している。評議会が流布した『四星霜前の内乱は応龍族が引き起こした』という濡れ衣は、人々の心に深く根付いていた。今や皇帝直系のみならず、無関係の応龍族すら憎悪の対象となっている。

 

 ケセナも何度か、凄惨な『応龍狩り』の現場を目撃してきた。あの狂気を見た刻は、恐怖で震えが止まらなかった。キリエに髪と瞳の色を偽装してもらっていなければ、自分も間違いなく狩られる側にいたはずだ。

 

 正体が割れれば、殺されるかもしれない。

 ケセナは手にじっとりと汗を滲ませながら、必死に平静を装って言葉を紡いだ。

 

「……いいえ。あれは、人伝に預かっただけ、です。俺は無関係です」

「ふぅん? まぁ、いいや。行こうぜ、俺ん家、こっちだから」

 

 全身で警戒心を露わにするケセナに対し、青年はそれ以上追及することなく、あっけらかんと背を向けて歩き出した。

 一体、この青年は何者なのだろう。あのプラークルウの正体を知る人間など、そうそういるはずがない。疑問の渦に呑まれて立ち尽くすケセナを、青年がくるりと振り返って呼ぶ。

 

「何してんだ、行くぞ!」

「え、ああ、はい」

 

 慌てて駆け寄ると、青年はひとつ頷き、親指で自分を指差した。

 

「俺はガイア。ガイア・ゾルディクス。……どうせバレるから言っとくが、一応、『朱雀の長』だ」

「……え?」

 

 プラークルウを知っていた理由は分かった。

 しかし、途方もない事実を突きつけられ、ケセナは呆然と立ち尽くす。朱雀の長。この、口が悪くて赤い髪をした飄々とした青年が。

 

「……嘘、でしょう?」

「嘘じゃねぇよ!」

 

 全力で否定してくるガイアを見て、ケセナは血の気が引くのを感じた。相手は族長――つまり、自分たち応龍族を憎んでいるであろう『評議会』の一人なのだ。

 

「も、申し訳ありません! 朱雀族長だなんて知らなかったとはいえ、数々の無礼をどうかお許しください!」

 

 直角に身体を折り曲げ、必死に許しを請う。

 しかし、ガイアは不快だと言わんばかりに顔をしかめ、ケセナの肩を乱暴に掴んだ。

 

「やめろ、やめろ! 族長なんて呼ぶな。気色悪ぃ!」

「で、ですが……」

「だーかーら! やめろって言ってんだろ。俺は族長も、評議会も、大嫌いなんだよ」

 

 吐き捨てるような声だった。

 ケセナは思わず顔を上げる。

 赤い瞳には、冗談では済まされない激しい嫌悪が浮かんでいた。

 

「まともに機能してる評議会の一員なんて、俺含めてごく僅かだから、仕方ねぇのかもしれねぇけどよ。……つーか、統治する地がこんな有様で、日々の犯罪行為も蔓延ってるってのに、族長も評議会の一人もねぇだろうが」

 

 大嫌い宣言と共に、ガイアは自嘲するように顔を歪めた。

 知ってはいけない内部事情を聞かされたような気がして、ケセナは言葉に詰まる。

 

「俺は、この南方を復興させるために戻ってきて、族長やってんだ。ま、上手くいかねぇことばっかりだけどな。……おい、そんな硬くなんなよ、お客人」

 

 お客人、と呼ばれて、ケセナはようやく自分がまだ名乗っていないことに気づいた。

 

「あ、あの、俺は、ケセナ・レフィードと言います。見ての通り、ただの物好きな旅人です」

「そっか。よろしく、ケセナ」

 

 ガイアが右手を差し出してきたので、ケセナも恐る恐るその手を握り返す。

 

 ――固い。

 

 ガイアの手は大きく、無数の血豆が潰れた痕があり、ごつごつと固かった。温室育ちの権力者ではない。自らの手で瓦礫を退かし、民と共に汗を流してきたのだと、その手が物語っていた。

 

「よろしく、お願いします、ガイア族長」

「だから族長はいいって。なんもねぇぼろぼろの街だけど、歓迎するぜ。ようこそ、朱雀族の地、主都フェルナリアへ」

 

 ガイアはそう言って手を離すと、前を向いて歩き出した。ケセナもその後ろについていく。

 

 ふと西の空を見れば、夕陽はすでに半分以上が地平線に呑まれ、辺りを暗闇が包み込もうとしていた。廃墟に落ちる深い影に、ケセナの足が思わず止まる。

 前を歩いていたガイアが、それに気づいて振り返った。

 

「すぐ着くから安心しろ。この街で唯一、人がいる生活区域ってとこだ。明かりもあるし、こっちの廃墟よりはずっとマシだぜ」

 

 不安な心を見透かされたようなその言葉に、ケセナは安心したように苦笑いを浮かべた。

 そうして、闇の中に確かな光を灯すようにずんずん歩いていくガイアの大きな背中を追って、ケセナは小走りで駆け出した。

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