兵器皇子は、贖罪の果てに名を呼ばれる〜End of the Atonement〜   作:久野 龍

88 / 95
【幕間】小さすぎる手と、大きな剣

 裏庭から聞こえてくる木剣の打ち合う音を、七星霜齢のファルイーアは縁側にちょこんと座って見つめていた。

 

 十二星霜齢のガイアの動きは、素早く力強い。

 その背中を、キョウが弓で援護している。

 二人の息はぴったりで、木剣の音も、風を切る矢の音も、ファルイーアには眩しいほど格好よく見えた。

 

 強いって、いいなと思う。

 守れるって、すごいなと思う。

 

 自分も、あんな風になれないのだろうか。

 

(僕も、剣のおけいこしたい……)

 

 そう思ってグレンに頼み込んだのは、つい先ほどのことだ。

 だが、三十三星霜齢の騎士団長は、ファルイーアの細すぎる腕に目を落とし、静かに首を振った。

 

『お前は食が細すぎる。体力も腕力も足りない今の状態では、まだ教えられない』

 

 正論だった。

 三星霜齢までに受けた凄惨な虐待のせいで、七星霜齢になっても体つきは四星霜齢ほどの子供と大差ない。そんなファルイーアにとって、木剣ですら重すぎる。

 

 頭では分かっていた。

 けれど、納得はできなかった。

 

「僕にだって、できるもん……っ!」

 

 庭の隅で一人ふくれっ面になりながら、舌足らずな声でそう言い切り、ファルイーアは「えいっ」と両腕を天へ突き上げた。

 

 細い腕に、目いっぱい力を込める。

 けれど、その拍子に袖が大きく捲れ上がり、真っ白な肌に刻まれた無数の傷跡が露わになった。

 

「あっ……!」

 

 ファルイーアは弾かれたように腕を引っ込め、慌てて袖を引き下ろした。

 誰にも見られたくない。

 この傷を見ると、暗くて冷たい地下室の空気まで蘇ってきてしまうから。

 

 ぎゅっと自分の腕を抱き締めて俯いていると、足音が近づいてきた。

 

「ファル、ご飯だよー」

 

 キョウだった。

 それでもファルイーアは、悲しそうに唇を尖らせたまま、ぽつりと零す。

 

「僕にだって、できるもん……」

「ん? 何ができるの?」

「剣のおけいこ!」

 

 キョウは少しだけ困ったように笑い、ファルイーアの金色の髪を優しく撫でた。

 

「そっかー、ファルもやりたいもんね」

「うん!」

「じゃあ、ご飯いっぱい食べなきゃね。先生も言ってたでしょ?」

「うん! たべる!」

 

 そう意気込んで食卓についたものの、現実は甘くなかった。

 どうしても、半分以上が腹に入らない。

 無理に飲み込もうとすると、すぐに吐き気が込み上げてくる。

 

「うぅ……たべるもん……たべて、おけいこするんだもん……」

 

 涙目で無理やり匙を口へ運ぼうとするファルイーアを見て、グレンが苦い息を吐いた。

 

「無理をするな。まだお前には早い。もう少し大きくなったら、そのうち教えるから」

「今がいいの! 今、おけいこしたい!」

 

 普段は大人しいファルイーアが、珍しく声を張り上げた。

 ぽろぽろ涙を零しながら、また匙を口に運ぶ。

 

「げほっ、げ……うぐ……」

「ファル!」

 

 とうとうファルイーアが吐き出してしまい、キョウが慌てて駆け寄る。

 

「無理しないで、ファル」

「……おけいこ……するの……っ」

 

 それでも頑固に言い続けるファルイーアの様子を見かね、ガイアがふいに立ち上がった。

 

「んじゃ、俺が教えてやる!」

「えっ」

「ほら、来いファル!」

 

 ガイアはファルイーアの細い腕を掴み、そのままずんずん庭へ連れ出していく。

 グレンが「おい、ガイア!」と止める間もなかった。

 

 昼巡りの終わりの庭。

 空は赤く染まり始めている。

 ガイアは自分が昔使っていた中で一番軽い木剣を、ファルイーアへ持たせて立たせた。

 

 けれど、十二星霜齢のガイアにとっての「一番軽い」は、ファルイーアにとって鉄の塊も同然だった。

 

「く、うぅぅ……っ」

 

 両手で必死に握り締めても、切っ先は地面すれすれまで落ち、細い腕がぷるぷると震えている。

 

「なんだよそれ! そんなんじゃ何もできねーぞ!」

 

 ガイアは喝を入れるつもりで、自分の木剣を軽く、こん、とファルイーアの木剣へ当てた。

 ガイアにとっては、本当にただのじゃれ合いのつもりだった。

 

 だが、その衝撃は今のファルイーアには強すぎた。

 

「あっ――」

 

 ばんっ、と木剣が弾き飛ばされる。

 反動で手首を不自然に捻ったファルイーアは、その場に崩れ落ちた。

 

「…………っ!!」

 

 声が出なかった。

 あまりの痛みに、ただ蹲る。

 

 泣けばいい。

 痛いと言えばいい。

 けれど、そうすればもっと酷い目に遭う。

 幼い頃に刷り込まれた恐怖が、身体を先に強張らせた。

 

 額にびっしりと冷や汗を浮かべ、小さな身体ががたがたと震える。

 

「悪ぃ! ファル、大丈夫か!?」

 

 事態の深刻さに気づいたガイアが、血相を変えて駆け寄る。

 

「だいじょう、ぶ……」

 

 脂汗を流しながら、それでもファルイーアは必死に笑おうとした。

 その痛ましい姿に、駆けつけてきたキョウが悲鳴のような声を上げる。

 

「ガイアの馬鹿! だから早いって先生も言ってたじゃん! さ、ファル、家に入ろ?」

 

 キョウはファルイーアの肩を抱き、急いで家の中へ連れていく。

 一部始終を厳しい目で見ていたグレンは、青ざめて立ち尽くすガイアの前に立ち、低く怒りを滲ませた声で告げた。

 

「金輪際、ファルイーアに剣を持たせるな。いいな?」

「……わかった」

 

 ガイアは唇を強く噛み締め、深く項垂れた。

 

 ------

 

「……手首の捻挫だ。骨に異常はない。だが、しばらくは痛むぞ」

 

 部屋の寝台に座るファルイーアの手首へ薬布を巻きながら、グレンが静かに告げる。

 キョウは心配そうに見守っていたが、グレンに「手当てをするから」と促され、後ろ髪を引かれるように部屋を出ていった。

 

 身体に残る傷跡を見られるのを、ファルイーアがひどく嫌うからだ。

 

 二人きりになった部屋で、ファルイーアは布で巻かれた右手首を見つめたまま、静かに涙を零していた。

 

「……ごめんなさい……」

「なぜお前が謝る。痛いなら泣いていい。痛いと声に出していいんだ」

 

 グレンは大きな手で、ファルイーアの涙をそっと拭った。

 痛い時に声を出せない。

 その痛ましい後遺症に、グレンは奥歯を強く噛み締めた。

 

「ファルイーア。なぜ、あんなに剣を持ちたがったんだ?」

 

 普段は聞き分けのいい彼が、あそこまで頑固になった理由。

 グレンの問いかけに、ファルイーアはしゃくり上げながら、震える声で本音を零した。

 

「だって……僕、弱いから……っ」

「……」

「弱いままだと、ガイアやキョウみたいに、グレンの役に立てない。だから、つよくなって、剣をもてるようになって、みんなをまもりたかったの……!」

「……馬鹿者」

 

 グレンの声が、微かに震えた。

 彼は大きな両腕で、小さなファルイーアの身体をすっぽりと抱きしめる。

 

「お前は、俺の役に立つためにここにいるんじゃない。俺たちが、お前を守りたいからここにいるんだ」

「グレン……」

「剣なんて持たなくていい。お前は俺の後ろで笑って、美味いものを食って、本を読んでいればそれでいい。お前が大きくなるまで……いや、大人になっても、俺がずっとお前の『盾』でいてやる」

 

 その力強くて温かな言葉に、ファルイーアはたまらずグレンの黒い制服をぎゅっと掴み、今度こそ、子供らしくわあわあと泣き出した。

 

「――っ、ファル、ごめんな!!!」

 

 突然、部屋の扉が勢いよく開き、目を真っ赤に腫らしたガイアが飛び込んできた。

 

「俺……俺の剣は、ファルを傷つけるためじゃなくて、ファルを守るためにあるんだからな! 痛い思いさせてごめん!」

 

 大声で謝りながら鼻をすするガイアの後ろから、キョウももらい泣きしながら飛びついてくる。

 

「そうよ、ファルは私たちが守るの!」

 

 三人にぎゅっと抱きしめられながら、ファルイーアは涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、少しだけ嬉しそうに笑った。

 

「ガイアの剣……おもかった……」

「だ、だろ!? あれでも一番軽いんだぞ!」

「……ガイアは、すごいね」

 

 尊敬の眼差しを向けられ、ガイアは照れくさそうに「へへっ」と笑う。

 グレンはそんな騒がしい弟子たちを、呆れたように、それでもどこまでも優しい目で見守っていた。

 

 泣いて腫れた目元のまま、ファルイーアは小さな手を伸ばした。

 痛めた右手ではなく、まだ動かせる左手で。

 グレンの制服を、ガイアの袖を、キョウの服を、順番にそっと掴む。

 

 剣は、まだ持てない。

 持ち上げることすらできない。

 それでも、その小さすぎる手は、自分を守ってくれるものへ確かに伸びていた。

 

 今はまだ、この優しくて大きすぎる盾と剣たちに守られて、ゆっくり大きくなればいい。

 

 ――けれど、その願いが守られる時間は、あまりにも短かった。

 

 この一星霜後。

 その小さな手は、守るためではなく、奪うためのものとして扱われることになる。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。