兵器皇子は、贖罪の果てに名を呼ばれる〜End of the Atonement〜 作:久野 龍
第九十一話 酒場仕掛けの隠し道
重い地鳴りを響かせ、壁が左右へ完全に開いた。
その光景を前に、グレンとガイアは石像のように立ち尽くしていた。
壁を撫で回し、「燃やすぞ」「斬る」とまで騒いだ自分たちは何だったのか。あまりにもあっさり正解が出てしまい、頭が追いつかない。
そんな二人の脇を、キョウが呆れたように息を吐きながらすり抜け、真っ先に開いた薄暗い通路へ足を踏み入れた。ラルも何事もなかったような顔で、それに続く。
「……ねえ、ラル。なんであそこだって分かったの?」
キョウが小声で尋ねる。
「一番下の石だけ、少し光ってた」
ラルは淡々と答えた。
「光ってたって……本当に? それに、なんであんな床すれすれの場所が仕掛けなのよ」
「たぶん、オウセイはあれを蹴って開けてた」
「……は?」
「しゃがむの、面倒だったんだと思う」
あまりにも的確な推測だった。
二人がそんな会話を交わしながら後ろを振り返ると、開いた入口の前で男二人はまだ動いていなかった。
「ちょっと! 先生、自分で『猶予はない』って言ってたくせに、何してるの!! ガイアもさっさと歩いて!」
キョウの容赦ない怒声に、そこでようやくグレンとガイアが我に返る。二人は肩を揺らし、のろのろと歩き出した。
「あ、ああ……」
「……いや、だってよぉ! あんな下にあるなんて、普通誰が思うかよっ!」
ガイアが負け惜しみのように吠える。
「陰気隠居め……」
グレンも、腕の中で眠るケセナを見下ろしながら、忌々しげに低く吐き捨てた。
だが、歩きながら冷静に考えれば考えるほど、あの男がわざわざ身を屈め、手で丁寧に仕掛けを押す姿など想像がつかない。
「…………蹴ってたか」
結局、グレンもラルと同じ結論に辿り着き、重い足取りのまま通路の奥へ進んでいった。
先頭を行くキョウの足音が、硬い石床に小さく反響する。ラルはその少し後ろを黙って歩き、壁の魔力灯に紫の瞳を向けていた。ガイアは落ち着きなく周囲を見回し、最後尾のグレンは眠るケセナを抱き直しながら、慎重に歩幅を合わせて進む。
しばらく進んでも、薄暗い通路の先はまだ見えない。
「……で」
いかにもガイアらしい、不機嫌さを前面に押し出した切り出し方だった。
その声を背中で聞いたキョウは、また始まったとでも言いたげに目を細める。次に何が来るか、おおよそ予想はついていた。
「おい、これ一体どこまで続くんだよ!」
案の定だった。
キョウは深々と溜息を吐いた。
「まだ着くわけないでしょ、馬鹿ガイア」
「あぁん!?」
「……うるさい。声、響く」
ラルが振り返りもせず、低く切り捨てる。
隠し扉をくぐってまだ十息にも満たない。地上のベラリティル本宅から皇宮までの距離を考えれば、急いだところで簡単に着ける道のりではない。皇都の広さを思えば当然だった。
騒がしい一行の最後尾で、グレンは腕の中のケセナを抱いたまま、周囲の石壁を見回し、感嘆と呆れの入り混じった息を漏らした。
「……変なところにばかり拘りやがって」
ライネルに“手伝わされただけ”とケセナは言っていた。
だが、この地下道はどう見ても、ついでに掘った程度の代物ではなかった。
人が歩けば、その気配に反応して壁際の魔力灯がぽつ、ぽつと灯り、足元を照らす。地盤が緩そうな箇所には完璧な補強が施され、崩落の気配もない。
ただ街の酒場で麦酒を飲むためだけに。
初代応龍皇帝とオウセイが、惜しみなく知識と魔力を注ぎ込んだ無駄の結晶が、ここにあった。
「……ねえ。ここ、誰かが通ってたみたい」
壁を眺めながら歩いていたラルが、ふと呟いた。
「そうね」
前を行くキョウも同意する。
「古い地下道なのに、蜘蛛の巣ひとつないなんて、不自然なくらい綺麗だわ」
誰かが通っているのか。
それとも、何らかの自浄作用でも働いているのか。
ラルが眉を寄せた、その折だった。
思い出したくもない情景が脳裏を過り、ぽつりと零す。
「それに比べて、オウセイが掘った『もう一つの穴』は酷かった」
「あー! あのくそ狭ぇジェグヌの穴のことか!」
背後からガイアが、思い出し笑い混じりに口を挟んだ途端、ラルのこめかみに青筋が浮いた。
「あの昼夜、あたしばっかり掘らされたんだけど!!」
積年の恨みが爆発し、ラルはくるりと振り返るなり、容赦なく風の魔術を放った。
「うおっ!?」
鋭い風がガイアの頬先を掠める。
だがガイアは笑いながら、それを軽々と躱してみせた。
「悪かったって! つーか、ファルだって同罪だろーが!」
そのやり取りに、ケセナを抱えたグレンも、あの刻の異様な狭さと苦労を思い出して苦笑を漏らす。
ただ一人、その場にいなかったキョウだけが首を傾げた。少し歩調を落としてグレンの側へ並ぶと、師を見上げて問う。
「ねえ、先生。さっきから何の話?」
「ああ。ジェグヌの断崖にある洞窟へ向かった折の話だ。……子供一人が通れるかどうかというくらい狭い穴を進まされてな」
「へえ。あの街に洞窟なんてあったのね」
「そこかよ!」
ガイアの呆れた叫びが地下道に響いた。
キョウは青銅色の髪を揺らし、肩を竦める。
「先生たちの苦労話より、ファルが無事だったかの方が大事なだけよ」
そう言って、彼女はグレンの腕の中で眠るケセナの頬をそっと撫でた。
穏やかな寝息を立てている。
それだけで十分だった。
ふわりと微笑み、少し前を歩くラルの方へ戻ろうと身を翻した。
――その刻。
彼女の顔から、穏やかな表情がすっと消えた。
(……気配がない。なのに『誰か』がいる)
「ラル! 伏せなさい!!」
鋭い怒声が地下道を裂く。
言葉より先に、キョウは背負っていた長弓を抜き放っていた。矢を番え、暗い通路の奥へ向けて、迷いなく弦を引き絞る。
必殺の一矢が闇を穿った。
「わっ、あぶなっ!? ちょっと!!」
返ってきたのは低い唸り声ではなく、慌てふためく少年の悲鳴だった。
かきん、と矢が石壁を削る音が響く。
「待って待って待って! 敵じゃない! 敵じゃないから!!」
「信じられるか!」
キョウはひりつくほど冷たく言い放ち、二の矢を放つ。
躊躇はなかった。
「ひぃっ! だから待ってってば! キョウ・チャーシング!!」
ぴたり、と。
三の矢を番えようとしていた彼女の指先が止まった。
(……なんで、私の名を)
こんな五千星霜前の地下道に潜む何者かが、自分の名を正確に知っている。
その名を聞いた途端、誰も軽口を叩かなくなった。それぞれが己の武器を握り締め、闇の奥を見据える。
そして。
ぱっ、ぱっ、ぱっ、と。
侵入者の気配に反応して、地下道の奥の魔力灯が次々と灯っていく。
淡い光の中に、その姿が浮かび上がった。
茶色い髪。茶色い瞳。
暗闇の向こうから現れたのは、記憶と力を封じていた頃のケセナを、そのまま幼くしたような少年だった。
「あははは……あっぶないなぁ、もう」
矢を避けたらしい少年は、呑気に後頭部を掻きながら近づいてくる。
その仕草まで、妙に見覚えがあった。
『王の剣』の面々は、誰一人すぐには口を開かなかった。
グレンの腕の中には、本物のケセナが眠っている。
なのに、その面影を持つ存在が、自分たちの前に立っている。
「ケセナ……?」
小さく誰も拾えぬ声でラルが呟く。
紫の瞳が大きく見開かれ、ありえないと否定するように揺れていた。
グレンとガイア、そしてキョウの背筋に嫌な汗が伝った。
けれど少年は、彼らの張り詰めた空気など意に介した様子もなく、作り物めいた優雅さで一礼した。
「はじめまして。僕はケセナ・レフィード」
にこり、と愛想よく笑う。
「そこで眠ってるファルイーアから名前を貰った、この地下道の管理人だよ」
「管理人……?」
ガイアが訝しげに眉を寄せる。
「うん。まあ、管理人っていうより、お掃除人形って言った方が近いかな」
朗らかにそう名乗られても、不気味さは増すばかりだった。
「掃除……? ファルから名前を貰った、とはどういう意味だ?」
グレンが、腕の中のケセナを庇うように抱き直し、低く詰める。
「忘れたの? グレンさん」
ぞくり、と。
グレンの背筋を悪寒が走った。
その声色、その抑揚、その呼び方。
目の前の少年は、ケセナの声を真似ているのではない。あまりにも自然に、そのまま喋っていた。
腕の中のケセナは、眠ったままだ。
なのに――。
だがグレンの思考を、目の前の“ケセナ”が遮った。
「ファルイーアは一度、逃げたことがあったでしょ」
少年は、楽しげですらある調子で続ける。
「皇宮に来てすぐの頃。訓練が嫌で檻を抜け出して、結局オウセイに連れ戻された」
グレンの漆黒の瞳が細められた。
そんなことを知っている者は限られている。
それなのに、この得体の知れない“人形”は、何でもないことのように口にした。