【短編バッドエンド】虚無男子高校生は女体化神刀と出会っても主人公になれない 作:生徒会副長
オリジナル:現代/ノンジャンル
タグ:アンチ・ヘイト 現代ファンタジー 擬人化 男子高校生 退魔モノ バッドエンド
普通の男子高校生であり続けようとするだけで疲れ果てている少年・浪川蹴斗は、ある日触手の化け物に襲われる。そこへ颯爽と黒髪の巫女服姿の美少女が現れ、蹴斗を救ってくれた。この美少女は自らを戦国時代に打たれた神刀・暁だと名乗る。
男子高校生の蹴斗と、刀の女体化と言って差し支えない美少女の暁。ここから異能バトルやラブコメが始まるかと思いきや、蹴斗にはそんな素質はなく……。
複数のサイトで並行掲載予定です。
神奈川県の某所。金曜日の夕方。
男子高校生の浪川蹴斗は、いつものように学校からの帰り道を歩いていた。
特に急ぐ理由もない。
高校の部活にも入っていない。
友達との約束もない。
家に帰れば、適当に夕飯を食べて、最低限の勉強を済ませて、スマホでショート動画を眺めて、気が付いたら一日が終わっている。
明日が土曜日だというのに、楽しみな予定もなかった。
だからこそ、蹴斗はわざわざ裏道を選んだ。住宅街の隙間を縫うような細い道だ。
人通りも少ない。遠回りでも近道でもない。
ただ何となく。いつも通り。
「……」
スマホを取り出し、何となく動画アプリを開く。
犬が踊っている動画。
誰かが大食いしている動画。
知らない誰かの失敗動画。
面白いような、面白くないような。何も頭に残らない。
それでも指は勝手に画面を上へ弾く。
次。次。次。
そうして歩いていた時。
ぐちゃりと……妙な音がした。
「……ん?」
顔を上げる。
道の先。電柱の陰。
そこに何かいた。
最初はゴミ袋かと思った。
黒くて。濡れていて。形が定まらなくて。
だが、それはゆっくりと動いた。
「は……?」
蹴斗の口から間抜けな声が漏れる。
それは生き物だった。
巨大な肉塊。表面はタコのようにぬめりを帯びている。
何本もの触手が地面を這い回り、中心には赤黒い目玉のようなものが無数についていた。
生理的嫌悪感が一気に込み上げる。
「なんだよ……あれ……」
映画の特殊メイクか。
誰かの悪ふざけか。
そんな考えが浮かんだのは一瞬だった。
次の瞬間──。
化け物の触手が蹴斗へ向かって伸びた。
「っ!?」
蹴斗は反射的に飛び退く。
触手がアスファルトを叩き、砕けた破片が飛び散った。
あり得ない。あり得るはずがない。
だが目の前で起きている。
「う、うわっ!?」
逃げる。
逃げようとする。
しかし足がもつれる。
運動神経は普通。中学までサッカー部に所属していたというだけの凡人。こういう時だけ急に主人公みたいな動きができるわけでもない。
転んで尻餅をつくと、スマホが手から離れて地面を滑る。
「くそっ……!」
触手が迫る。
一本。二本。三本。
獲物を絡め取ろうとする蛇の群れのようだった。
(終わった……)
そう思った──次の瞬間。
風が吹いた。
いや、違う。
誰かが走り抜けたのだ。
白い袖が視界を横切る。
ひらりと、赤い袴が夕陽を受けて揺れた。
「え?」
少女だった。
黒髪を腰まで伸ばした美しい少女。
清らかな巫女服姿。
だが、その手には異様なほど美しい刀が握られていた。
「まったく」
少女は呆れたように息を吐く。
「せっかく肉体を得て自由になったというのに、最初に見るのがこんな醜い妖魔とはのう」
その声には妙な古風さがあった。
少女は一歩踏み出す。
ただそれだけ。
それだけなのに──。
蹴斗の目には消えたように見えた。
銀色の軌跡が閃く。
キィン――――
澄んだ音。
一拍遅れて……巨大な妖魔がずるりと崩れた。
触手が落ち、肉塊が裂け、目玉が弾ける。
断末魔の悲鳴すら上げる暇もなく、化け物は黒い煙となって消え去った。
裏道に静寂が戻る。
「……」
蹴斗は呆然と少女を見上げた。
少女は刀を肩に担ぎ、満足そうに頷く。
「うむ。やはり刀は振るうに限る」
そして、くるりとこちらを向いた。
夕陽が黒髪を照らす。
整った顔立ち。
吸い込まれそうな瞳。
思わず息を呑むほど綺麗だった。
少女は蹴斗を見て首を傾げる。
「で、おぬしは大丈夫か?」
その瞬間。
浪川蹴斗は人生で初めて、本気の一目惚れというものを経験した。
浪川蹴斗は人生で初めて、本気の一目惚れというものを経験した。
頭がおかしくなったのかと思った。
ついさっきまで化け物に殺されかけていたのだ。
普通なら恐怖や混乱が先に来るはずだった。
だが目の前の少女がそれらを全部押し流してしまっていた。
綺麗だった。
テレビのアイドルやモデルなんかよりずっと……現実感がないほどに。
「おぬし、本当に大丈夫か?」
少女が顔を覗き込んでくる。
近い。近すぎる。
「だ、大丈夫……。ありがとう……」
「そうか」
少女はあっさり頷いた。
そして周囲を見回した後、何かを期待するような顔で蹴斗を見た。
「ところで」
「え?」
「何か面白いものはないか?」
「は?」
意味が分からなかった。
「面白いものじゃ。祭りでもよいし、芝居でもよいし、変な建物でもよい。ワシは今まで神社におったからな。せっかく外に出られたのじゃ。面白いものを見たい」
少女は楽しそうに笑う。
その笑顔は無邪気で、子供のようだった。
蹴斗は戸惑う。
(面白いもの……)
そんなものを聞かれても困る。
自分の生活にそんなものは存在しない。
「いや……特に思いつかないけど」
「なんじゃそれ」
少女は露骨に肩を落とした。
「では飯じゃ」
「飯?」
「助けてやったんじゃから礼くらいしてもらわんとな」
少女は当然のように言う。
「腹が減った。飯を食わせろ」
「えぇ……」
蹴斗は思わず声を漏らした。
知らない女の子を家に連れて行く。それも、今日初めて会った相手を……である。
普通に考えればあり得ない難題だが、少女は気にした様子もない。
「安心せい。金は持っとらん」
「安心できる要素が一つもないんだけど」
「大丈夫じゃ。ワシは悪い刀ではない」
「刀?」
「あっ」
少女は口を押さえた。
そして誤魔化すように咳払いをする。
「とにかくじゃ。飯」
ぐぅ。
まるで見計らったような音が鳴った。
少女の腹だった。
「……」
「……」
数秒の沈黙。
「聞かなかったことにしてくれ」
「無理だろっ」
思わず笑ってしまった。少女は不満そうに頬を膨らませる。
その仕草すら、妙に可愛かった。
蹴斗は頭を抱えたくなった。
家に連れて行くべきではない。どう考えても面倒事だ。
親になんて説明する。幸いにして蹴斗の両親は今日不在だが、明後日や明明後日は厄介なことになる。
警察沙汰になったらどうする。
そもそもさっき化け物を真っ二つにしていた。絶対に普通の人間ではない。
危険かもしれない。関わらない方がいい。
そのはずだった。
(だけど……)
同時に思う。
もし断ったら。ここで別れたら。
この少女はどこかへ行ってしまうだろう。二度と会えなくなるかもしれない。
そう考えるだけで胸が妙に苦しくなった。
そしてもう一つ。
ほんの少しだけ。
本当にほんの少しだけだったが。
こんな少女と一緒にいたら、何か変わるのではないかと思ってしまった。
毎日同じことの繰り返しだった人生が、何も起きないまま過ぎていく日々が。
少しだけ。
本当に少しだけ……変わるかもしれないと。
「……」
蹴斗はため息を吐いた。
「まぁ命の恩人だもんな。飯ぐらいお安い御用さ」
少女の目が輝く。
「おおっ!」
「あと変なことするなよ」
「せぬせぬ」
「信用できないんだけど」
「大丈夫じゃ!」
少女は胸を張る。
「ワシは神刀・暁じゃからな!」
「神刀?」
「うむ!」
「……」
蹴斗は聞き返そうとしたがやめた。
聞いたところで理解できる気がしない。
少女――暁は満面の笑みで歩き始める。
「さあ行くぞ!」
「いや俺の家なんだけど」
「案内せい!」
「分かったから引っ張るなって」
暁は蹴斗の腕を掴んだ。
柔らかい感触に心臓が跳ねる。
そのまま二人は夕暮れの住宅街を歩き始めた。
平凡な日常が終わるかもしれない。
そんな予感と。
平凡な日常が壊れるかもしれない。
そんな不安を抱えながら。
浪川蹴斗は、神刀・暁を自宅へ連れて帰った。
蹴斗が幸いだったと思う点は、今日家に誰もいなかったことだ。
両親は遠方の親戚の法事で不在だ。
玄関の扉を開けながら、蹴斗は胸を撫で下ろした。
「お邪魔するぞ!」
「いや、お前が言うのかよ」
暁は勝手知ったる我が家のように草履を脱ぎ、きょろきょろと周囲を見回している。
両親が帰ってくるのは明日の夜。
もし今ここに母親がいたら、「誰その子!?」から始まって大騒ぎになっていただろう。そう考えると少し気が楽だった。
「適当に座ってて」
「うむ!」
暁はリビングへ駆け込む。
その様子を見ながら、蹴斗は冷蔵庫を開いた。
母親が作り置きしていった夕食が入っている。クリームシチューとマカロニサラダだ。
ラップの上には『温めて食べてね』と書かれた付箋が貼られていた。
蹴斗は少し迷った。
だが結局、シチューとサラダを皿へ移して電子レンジへ入れる。
自分の分は戸棚から醤油味のカップ麺を取り出した。
「なにしとるじゃ、それ?」
暁から聞かれ、蹴斗は平然と答えた。
「お前の分の料理を電子レンジで温めて、俺はカップ麺作るつもりだけど」
「むぅ! 電子レンジ!?」
暁は橙色に輝く電子レンジの中を覗き込む。電車の窓から景色を眺める子供のようにキラキラした目であった。
「これが噂の電子レンジとやらか! いやー、戦国の世から四百年ぐらい経つと、料理も進化するもんじゃなぁ!!」
「戦国って?」
「うむ!」
元気よく頷く。
どうにも嘘や冗談の類ではなさそうだ。
かつて教育実習生が教室に来たときも、質問責めなどせず友達と雑談したりショート動画を観たりしているだけだった蹴斗。だが今日ばかりは訊ねずにはいられなかった。
「暁、お前どっから来たんだ? あと俺を襲った化け物は?」
「うーむ。おぬし、北沼神社って知っとるか?」
「……一応」
小学生の頃、サッカーの試合で勝利を願って賽銭を入れた程度の記憶なら蹴斗にもある。寂れた地味な神社である。
「ワシ、戦国の世に打たれて以降、あそこに納められていた御神刀なんじゃけど……もー暇で暇で仕方なくてのう! 長い時間をかけて霊力を蓄え、今日ついに! 肉体を得て脱走してきたのじゃー! どうじゃ! すごいじゃろすごいじゃろ!」
「おいおいおい……。そりゃ凄いけど、まさか俺を食ったり俺から霊力とかいうもんを奪ったりしないだろうな?」
蹴斗の脳裏に触手の化け物に殺されそうになったときの記憶が蘇るが、それは杞憂だったようだ。
「命の恩人を疑うとはひどい奴じゃな! 確かにおぬしを襲った妖魔のように、人間に仇なす者もおる! しかしワシは……アレじゃ、アレ。そう! 燃費がいいのじゃ! だから人間の食い物と空気中の霊力程度で、生きるには十分足りるのじゃ!」
妖魔について蹴斗が聞くより早く、電子レンジが小気味良い音を鳴らして止まった。
その後……。
テーブルの上には湯気を立てるクリームシチューとマカロニサラダ、そしてカップ麺が並んでいた。
「おおおおおっ!」
暁の目が輝く。
「なんじゃこれは!」
「クリームシチューとマカロニサラダ」
「もしや洋食というヤツか!?」
「まあ、そうだな」
「すごいのう!」
暁は身を乗り出した。
「ワシが生まれた戦国の世にはほぼほぼ無かったぞ! 金平糖ですらめちゃくちゃ高くてのう!」
「なぁ暁」
「んー?」
蹴斗は先ほど聞きそびれたことを聞くことにした。
「戦国の頃から妖魔っていたのか?」
「いたのぅ。時代が進むにつれて減っていったようじゃが……いかんせん神社にずっといたから噂話程度しか知らん。退魔師って今もおるんかのう……。妖魔がおる以上はどっかにいそうじゃが……」
「俺に聞かれても知らねぇな……」
どこか遠い目をする暁。彼女の脳裏では、妖魔と退魔師の何百年にも及ぶ戦いの歴史が繰り広げられているのかもしれない。そんなことを、蹴斗は想像した。
(……ま、俺には関係ないな)
普通の男子高校生の蹴斗にとって、平和や命は惜しいものだ。退魔師と妖魔の戦いに首を突っ込む趣味はない。
暁も蹴斗も、目の前の料理に集中することにした。
「いただきます!」
スプーンを手に取り、シチューを口へ運ぶ。すると、
「うまいっ!!」
歓声が上がった。
「なんじゃこれは! 白いのに甘い! いや甘いだけではなく塩っぱさもある! それに柔らかい!」
「シチューだからな」
「この黄色い塊は?」
「じゃがいも」
「ほう! ホクホクじゃ!」
また一口。
「にんじん! 絶妙な甘み!」
また一口。
「鶏肉! いい脂が乗っておる!」
また一口。
「文明はすごいのぅ!」
「大げさだろ」
蹴斗はカップ麺をすすった。
だが暁は本気で感動しているようだった。
マカロニサラダにも興味津々で、フォークを動かしながら次々に口へ運んでいく。
「うむうむ!」
「そんなに美味いか」
「美味い!」
即答だった。
「それに楽しい!」
「楽しい?」
「食べたことのないものを食べるのは楽しいじゃろ!」
暁は満面の笑みを浮かべた。
「そいつは良かったな」
蹴斗にはあまり分からなかった。
美味いか不味いかなら分かる。だが楽しいという感覚はよく分からない。
毎日食べるものなど、ただの栄養補給だった。
そんな蹴斗の前で、暁は空になった皿を見つめていた。
「……」
「どうした? 足りなかったか?」
「いや、そんなことはない。馳走になった。しかし……」
言い淀んでいた暁だが、ついに意を決して言った。
「出来立てが食べたいっ!」
「は?」
「今作ったばかりのヤツじゃ!」
「無理だろ」
「なんでじゃ! 腹なら別腹で限界を超えてやるわ!」
「超えんなー。今のシチュー、母さんが作り置きしたやつ。俺は作れない」
2割ほどは嘘だった。家庭科の成績も『普通』な蹴斗なら、簡単な料理ぐらいは作れるかもしれない。
だが8割本当な部分がある。美味しい料理を手際良く作れる自信などなかった。
しかし──。
「ならワシが作る!」
「もっと無理だろ」
何の根拠も持たない暁は、それでも立ち上がった。
「台所はどこじゃ!」
「座れ」
「冷蔵庫も見たい!」
「座れ」
「食材があれば何とかなるかもしれん!」
「ならないから座れ」
蹴斗は即座に却下した。暁は不満そうな顔になる。
「なぜじゃ」
「勝手に台所とか冷蔵庫とか弄ったら母さん怒るし」
「おぬしの母上はそんなに怖いのか?」
「怒らせると面倒」
実際のところは分からない。「せっかく家で一人きりだったから料理に挑戦してみた」と言えば、褒めてくれたかもしれない。
それでも蹴斗は、危ない橋は渡りたくないし、迷惑がかかる道は選びたくなかった。
暁は「ふーむ」と唸りつつ腕を組んだ。
「しかし料理というのは面白そうじゃな」
「そうか?」
「うむ!」
力強く頷く。
「童が大人になるように、鉄鉱が刀になるように、食材が姿を変え、美味い料理となり、舌を歓ばせる! 面白そうではないか!」
「別に」
「おぬし、本当に何に対しても反応が薄いのう」
「普通だろ」
「そうか?」
暁は首を傾げる。
「ワシには、おぬしが普通というより何も見ておらんように見えるぞ」
「……」
蹴斗は答えなかった。
答えられなかったと言うべきかもしれない。
暁はそれ以上追及せず、再び空になった皿を見つめる。
「残念じゃ」
「何が」
「せっかくなら作ってみたかった……。まぁワシ、命の恩人とはいえ客人じゃし? 家主に迷惑はかけんようにするかのう……」
そう呟く声には、本当に心残りを秘めたような響きがあった。
蹴斗はカップ麺のスープを飲みながら、少しだけ居心地の悪さを覚えた。
なぜだか分からない。
ただ、暁の「やってみたかった」という言葉だけが妙に耳に残った。
夕食を終えると、暁はリモコンを手に取った。
「これは確か映像が出る箱じゃったな」
「テレビな」
「うむ」
ぽちりと彼女がボタンを押せば、電源が入る。
大画面に映し出されたのは、熱狂する大勢の人々だった。
『日本代表、悲願のワールドカップ優勝です!』
『試合終了の瞬間、渋谷では――』
『決勝戦の決勝ゴールを決めたのは――』
あちこちで上がる歓声。
国旗がはためき、紙吹雪が舞う。
泣きながら抱き合う選手達に、スタジアムを埋め尽くす観客──。
「おおおおぉっ────!?」
暁の目が輝いた。
「なんじゃこれは!」
「サッカー」
「さっかー?」
「ボールを蹴って、味方に渡したり、相手チームのゴールにボールを蹴り入れたりする遊び」
その言い方で通じるか蹴斗は不安だったが、問題なかったらしい。暁の目はキラキラ輝いてテレビを見つめていた。
「サッカー……。サッカーかぁ……。このような遊びがあるんじゃなぁ……」
「他のテレビ番組も観るか?」
「む! よし、観てみるとしよう!」
しかし、どの局へ変えても同じだった。
ワールドカップの特番。ワールドカップの優勝特集。
街頭インタビューに、過去の名場面集。
日本中が祭り状態らしい。
「ほほう!」
暁はテレビにかじりついた。
「結局サッカー以外の遊びはよく分からんが、つまりそれだけサッカーが面白い遊びということかのう!」
「……」
蹴斗は返事をしなかった。
代わりに立ち上がり、リビングの端へ移動する。
「ん?」
「好きに見てろ」
ソファの隅へ腰を下ろした。
そしてスマホを取り出す。
画面を点けて、動画アプリを開く。
指が慣れた動きでスクロールを始めた。
犬。料理。ダンス。
ゲーム実況。失敗動画。
次。次。次。
テレビからは歓声が響いている。
『日本代表キャプテンの荒川選手は――』
蹴斗の指が一瞬止まった。
すぐにまた動き出す。
次。次。次。
「なあ蹴斗」
暁が振り返る。
「サッカーとやら、面白そうじゃ!」
満面の笑みだった。
「面白そうって……」
「だってそうじゃろ!」
暁はテレビを指差した。
「あーんな広いところで、二十二人で球を追いかけ回しとる! 北条の連中がやってた蹴鞠なんぞ、せいぜい六人程度でやる遊びだったというのに!」
「うん」
「しかも国同士で競っておる! 生まれも肌の色も違う者共が、殺し合いもせずに玉遊びに興じているのは、平和で愉快なことじゃ!」
「うん」
「皆ものすごく喜んどる!」
「そうだな」
「最高ではないか!」
蹴斗はスマホへ視線を落とした。
また動画を流す。
内容は頭に入らない。
だが見続ける。
「蹴斗、おぬしは好きではないのか? あそこの本棚に、サッカー雑誌が山程入っとるじゃろ?」
少しだけ間が空いた。
蹴斗の脳裏に過る、中学時代までの記憶。
親が勧めるまま通ったサッカースクール。親が勧めるまま観続けたサッカー番組。
昔はサッカーが好きだった。しかし今は──。
「別に」
「別に?」
「興味ない。その雑誌、親父のもんだよ。親父がサッカーファンでな。蹴斗って名前だって、親が勝手につけた名前だよ」
腕を組み、暁は「うーむ」と唸ってから言った。
「その気持ちは分からんでもないのう! ワシも暁なんて名前を与えられたが、神社に御神刀として納められたせいで、盛大に何も始まらんかったわ!」
「……そうかよ」
蹴斗としては話をもう広げたくはなかったが、暁は勝手に喋る。
「ワシには黄昏という姉妹刀……妹がいたんじゃが、妖魔との戦いや小田原の合戦でボロボロになってのう……。最期は主もろとも砕け散ったと聞いておる。ワシもなー。無駄に四百年以上長生きするぐらいなら、華々しい戦いがしたかったわ。まぁ今日は? お主を守る戦いが出来て良かったんじゃけどなぁー」
「ふん。負け戦がしたいなんて、どうかしてるぜ」
蹴斗は淡々と冷たく言い返したが、むしろそれは暁を熱くさせたらしい。
「あぁん!? おぬし小田原評定って知っとるかっ?」
「人並みには」
蹴斗は神奈川生まれの神奈川育ちだ。学校の授業で小田原家の興亡は『普通』に学ぶ。『普通』の神奈川県の高校生なら知っていて当然の語彙だ。
「動かないというのも悪い意味で道の一つなんじゃぞー!」
「へいへい」
彼女の熱を、蹴斗は面倒臭そうに受け流す。
テレビではゴールシーンのリプレイが流れている。
実況の絶叫。観客の歓声。選手達の涙。
それら全部が、蹴斗には遠い世界の出来事のように感じられた。
「おぬし、サッカーは昔やっておったのか?」
「中学まで」
「ほう」
「才能なかったからやめた」
それだけ言った。
本当はそれだけではない。
同級生達がどんどん上手くなっていくのを見るのが嫌だった。
試合に出たとしても、負けるのが嫌だった。いっそ最初から出場しなければ良かったと思うほど。
かといって補欠としてベンチに座ってみると、それも惨めで嫌気が差した。
だが、そんなことは言わない。
言う意味もない。
「なるほどのう」
暁は何かを考えるように顎へ手を当てた。
「なんだよ」
「いや」
暁は笑った。
「おぬし、本当はサッカーが嫌いなのではなく」
蹴斗の胸が嫌な音を立てた。
「サッカーで挫折した自分を見るのが嫌いなのではないか?」
沈黙。
テレビの歓声だけが響く。
「……何言ってんだよ」
「違うのか?」
「違う」
「そうか」
暁はそれ以上言わなかった。
だが蹴斗は、ショート動画の内容がますます頭に入らなくなっていた。
犬が踊る。誰かが転ぶ。誰かが変顔をする。
次。次。次。
何も残らない。
「ところで」
暁がまた声を掛けてきた。
「今おぬしが見ておるそれは何じゃ?」
「ショート動画」
「しょーと動画……?」
「短い動画が流れてくるだけ」
「面白いのか?」
「まあ……」
「どれどれ」
暁が近寄ってくる。
肩が触れそうな距離。良い匂いがした。
だが蹴斗は画面を見続ける。
動画が流れる。
十秒……二十秒……三十秒。
終わる。
次。次。次。
暁はしばらく無言で見ていたが、やがて、
「……」
妙な顔をした。
「なんじゃこれ」
「動画」
「いや、それは分かる」
さらに数本見る。
料理動画。猫動画。
筋トレ動画。ゲーム動画。
全部途中までしか見ない。
全部忘れていく。
全部同じように流れていく。
暁は眉をひそめた。
「こんな中身のない動画ばかり見ておったら頭がおかしくなりそうじゃ」
蹴斗は少しムッとした。
「サッカーよりはマシだろ」
「なんじゃと?」
「放っておいてくれ」
暁は黙った。
テレビでは日本代表の優勝特集が続いている。
スマホでは次々と動画が流れてくる。
同じリビングにいるはずなのに。
二人の間には妙な距離が生まれていた──。
夜も更けた頃。
結局、暁はテレビを観続け、蹴斗はショート動画を見続けた。
会話はほとんどなかった。
途中で暁が「この選手は何者じゃ?」「わしにもできるかのう?」「サッカーは皆こんなに熱狂するものなのか?」などと話しかけてきたが、蹴斗は適当に相槌を打つだけだった。
やがて風呂を済ませ、それぞれ寝ることになった。
両親の寝室を貸そうとしたが、暁は遠慮した。
「このソファーとかいうヤツがあれば十分じゃ。ふかふかでいいのぅ!」
そう言ってソファーで横になり、結局そのままになった。
蹴斗は自室へ戻る。
ベッドへ腰掛ける。部屋は静かだった。
スマホを手に取り、いつもの癖で動画アプリを開こうとして、指が止まった。
「……」
画面が暗いまま、自分の顔を映している。
何となく、今日は見る気になれなかった。
ベッドへ寝転ぶ。
天井を見上げる。
そして思う。
せっかく一目惚れした女の子が、一つ屋根の下にいるのに。
何もしない。何もできない。
それが妙に虚しかった。
告白しようとか、付き合いたいとか、そんなことではない。
そもそも今日会ったばかりだ。
相手は名前以外ほとんど何も知らない。
それでも……。
「何やってんだろ、俺」
小さく呟く。
今日の自分を思い返す。
助けてもらった。飯を食わせた。
それだけだ。
暁はあんなに色々なことに興味を持っていたのに。
料理、テレビ、サッカー。
この時代そのもの。
何を見ても楽しそうだった。対して自分はどうだったか。
面倒だから。
怒られるから。
興味ないから。
そんな言葉ばかり口にしていた気がする。
妖魔に退魔師。戦国時代に、暁の妹。
掘り下げて、食い下がる話題など、いくらでもあっただろうに。
「……」
別に暁が悪いわけではない。
(むしろ、俺のだ……)
せっかく興味を持ってくれたのに、せっかく家に来てくれたのに。
何一つ応えていない、応えられていない。
胸の奥が少しだけ痛んだ。
そして、不思議なことに。
少しだけ……本当に少しだけだが。
明日は何かしてみようと思った。
朝ごはんぐらいは用意してやろうか。
母親が作り置きしたものを温めるだけじゃなくて。
せめて卵を焼くぐらいなら。
いや、失敗するかもしれないけど。
「……別にいいか」
誰も怒らないだろう、少なくとも明日の朝までは。
それに……暁は料理を作りたがっていた。
食べるのも好きそうだった。
少しぐらい付き合ってやってもいいかもしれない。
(それから……)
テレビの前ではしゃいでいた暁の姿を思い出す。
サッカーのワールドカップ。優勝を祝い、響く歓声。
そして……。
『最高ではないか!』
と目を輝かせていた暁。
蹴斗は顔をしかめた。
「……ちょっとぐらいなら」
公園で。本当にちょっとだけ。
ボール遊びぐらいなら……。
別に本格的にやるわけじゃない。教えるほど上手くもない。
ただ蹴るだけなら。それぐらいなら。
(……できるかもしれない)
そう思った。思ってしまった。
もし明日になったら。
少しだけ。
ほんの少しだけ。
今日とは違う一日になるかもしれない。
そんな考えが頭をよぎる。
変わるかもしれない。
何かが。
少しだけ。
そう思いながら目を閉じる。
暁はもう眠っただろうか。
明日の朝はどんな顔をするだろうか。
料理を見たら喜ぶだろうか。
サッカーボールを見たら、また目を輝かせるだろうか。
そんなことを考えているうちに……。
浪川蹴斗は、久しぶりにショート動画を見ないまま眠りについた。
翌朝──。
蹴斗は目覚まし時計が鳴る前に目を覚ました。
普段なら休日にこんなことはない。昼近くまで寝ていることだって珍しくない。
だが今日は違った。
料理にサッカー。暁の輝く笑顔。
昨日の夜に考えていたことが頭に残っていた。
「……」
ベッドから起き上がる。
顔を洗い、寝癖を直す。
そして少しだけ緊張しながら、リビングへ向かう。
「おはよ――」
言いかけて止まった。
誰もいない。昨夜までそこにいたはずの暁の姿はどこにもない。
「……あれ?」
胸の奥が嫌な感じにざわついた。
家の中を見回す。
風呂場にもトイレにもいない。
玄関からは暁が履いていた草履が消えていた。
どこにもいない。
「おい、暁?」
返事はなく、代わりに目についたものがあった。
リビングのテーブルを改めて見遣る。
そこには母親の料理本が何冊も積まれていた。
昨夜は本棚に入っていたはずだ。ページのあちこちに折り目が付いている。
隣には父親のサッカー雑誌。こちらも何冊も広げられていた。
日本代表特集やワールドカップ名勝負集、戦術解説のページなどなど。
表紙がぐちゃぐちゃになるほど読み込まれている。
そして。
料理本と雑誌の上に一枚のメモが置かれていた。
嫌な予感がした。
蹴斗は震える指で紙を手に取る。
『蹴斗へ』
そこから先を読む。
『ワシがいたら迷惑っぽいし、ワシらが一緒にいてもお互い面白くなさそうじゃから退散させてもらう』
心臓が重くなる。
『袖振り合うも多生の縁、面白いことが起こるやもと期待はしとったんじゃが……残念じゃのう』
頭の中に昨夜の暁の姿が浮かぶ。
料理を作りたがっていた姿。サッカーに興味津々だった姿。テレビを見ながら目を輝かせていた姿。
そして。
『一宿一飯世話になった。妖魔に襲われるなどそうそうあることではないはずじゃが、くれぐれも気をつけておくことじゃ。では達者で、さらばじゃ』
それで終わりだった。
「……」
しばらく動けなかった。
静かな朝だった。
昨日までと何も変わらないはずなのに。
何かが決定的に変わってしまった気がした。
テーブルへ視線を落とす。
料理本にサッカー雑誌。
暁が読んでいたもの。
自分が見ようともしなかったもの。
「……」
胸が痛んだ。
もし昨日、料理を一緒に作っていたら。冷蔵庫ぐらい開けさせていたら。
今日の朝、一緒に朝食を作っていたかもしれない。
もし昨日、少しだけでもサッカーの話をしていたら。公園でボールを蹴る約束をしていたら。
今頃、一緒に外へ出ていたかもしれない。
もし。
もし。
もし。
そんな考えばかりが浮かぶ。
暁は言っていた。
面白いものが見たいと。新しいことを知りたいと。
そして自分は……何一つ応えなかった。
何も選ばなかった。
変わるかもしれない機会が目の前にあったのに……何もしなかった。
小田原評定。
ふと昨夜の暁の言葉を思い出した。
『動かないというのも悪い意味で道の一つなんじゃぞー!』
可愛らしく、ちょっぴり怒りながら言っていた。その時は何を言っているのかよく分からなかった。
だが今なら少し分かる。
決めないこと。動かないこと。
それも選択であり、選択には結果が伴う。
「……最悪だ」
蹴斗はソファへ座り込んだ。
スマホを取り出す。
動画アプリのアイコンが目に入る。
(……これも消そう)
何となくそう思った。
指で長押しする。
アンインストールを選ぼうとする。
だが……指先が少し滑った。
アプリが起動する。
「あ」
動画が再生される。
知らない誰かが変顔をしている。
次。
犬が踊る。
次。
料理動画。
次。
海外のサッカー選手のスーパープレー集。
次。次。次。
蹴斗は画面を見つめた。
内容は頭に入らない。
だが止められない。止める理由も見つからない。
暁はもういない。どこにもいない。
もし一緒にいたら、どれほど楽しい日々が始まっていたのだろう。多少危ない目にも遭うかもしれないが、それでも虚ろな動画よりはマシだったのではないか。
もし、昨日の自分が少しだけ違っていたら。
そんなことを考えながら……浪川蹴斗は動画を見続けた。
指は機械のように画面を弾く。
次。次。次。
やがて……ぐうぅぅ、と腹が鳴った。
それでも蹴斗は顔を上げなかった。
スマホの画面だけが、静かなリビングを照らし続けていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
「残念ではなく当然の結末」と思った方もいる一方、正直「胸糞が悪い!」という感想を抱いた方もいると思います。
しかしそういった怒りや悲しみこそ創作のエネルギーになると思います。
どんな主人公ならハッピーエンドに辿り着けるか。
或いは、どんなヒロインなら虚無主人公をハッピーエンドへ連れて行けるか。
そんな思考実験のきっかけになれば幸いです。
感想や評価などお待ちしております。