ガンダムSEED 幕間:1人のエクステンデッドが救われるまで   作:フェネ

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第三話:強襲

 夜明けだった。

 

 スコールは既に通り過ぎ、島には重たい湿気だけが残っている。

 

 雨に洗われた木々は朝日に濡れ、葉先から雫が落ちていた。

 

 海は静かだった。

 

 昨日、自分たちを飲み込んだとは思えないほどに。

 

 穏やかな波が砂浜を撫でては引いていく。

 

 洞窟の外。

 

 ジャスティスのコクピット内。

 

 シンは通信機を耳から離し、深く息を吐いた。

 

「……よし」

 

 繋がった。

 

 オーブ軍。

 

 そして《アークエンジェル》。

 

 Nジャマーの影響が薄れ、断続的ながら通信が回復したのだ。

 

 現在位置は送信済み。

 

 状況も伝えた。

 

 救助隊も既に出ている。

 

 あとは待てばいい。

 

 本来なら。

 

「助かった……」

 

 シンは座席にもたれながら、小さく呟く。

 

 イモータルジャスティスは満身創痍だった。

 

 大気圏突入時の負荷が深刻すぎる。

 

 右側メインスラスターは完全に沈黙。

 

 推進器は焼損。

 

 武装系統にも複数のエラー表示。

 

 飛行はほぼ不可能。

 

 戦闘どころか、まともな機動さえ難しい。

 

 無理をさせすぎた。

 

 それはシン自身が一番理解していた。

 

 もし敵が来れば、かなり危ない。

 

 だが、救助が来るのなら問題ない。

 

 あと少しだ。

 

 シンはようやく肩の力を抜いた。

 

 その後ろで。

 

 エトワールは洞窟の入口に座り込み、ぼんやり海を見ていた。

 

 両手首はもう自由だった。

 

 拘束は解かれている。

 

 逃げようと思えば、いつでも逃げられる。

 

 それでも。

 

 エトワールは逃げなかった。

 

 逃げた先に何も無いと、もう分かってしまったからだ。

 

「……」

 

 視線を落とす。

 

 自分の手。

 

 細くて、頼りなくて。

 

 けれど。

 

 その手は今まで、何度も操縦桿を握ってきた。

 

 ビームを撃った。

 

 ミサイルを撃った。

 

 街を焼いた。

 

 人を殺した。

 

 昨日から、その事実が頭から離れない。

 

 今までは平気だった。

 

 考えなかった。

 

 感じなかった。

 

 薬があった。

 

 教育があった。

 

 命令があった。

 

 だから考えなくて済んだ。

 

 でも。

 

 シンと話した。

 

 食事をした。

 

 名前を呼ばれた。

 

 ただ、それだけだったのに。

 

 殺してきた人たちも、自分たちと同じだったのだと理解してしまった。

 

 普通に生きていた。

 

 笑っていた。

 

 怒ったり、泣いたりしていた。

 

 誰かを愛していた。

 

 シンみたいに。

 

 そんな人たちを、自分は殺してきた。

 

 胸の奥が重くなる。

 

 呼吸が苦しい。

 

 その時だった。

 

 低い駆動音が響く。

 

 エトワールが顔を上げる。

 

 シンも同時に反応した。

 

「……!」

 

 救助にしては早すぎる。

 

 通信が繋がってから、まだ数分しか経っていない。

 

 オーブ本土から飛んできたとしても間に合うはずがない。

 

 嫌な予感が走る。

 

 海上。

 

 接近するMS部隊。

 

 ウィンダムが三機。

 

 先頭機が砂浜に横たわるデストロイを確認する。

 

『目標確認。《デストロイ》を回収する』

 

 目標はデストロイ。

 

 領空侵犯をしてでも回収したいほどに、ブルーコスモスはその力を欲しているのだろう。

 

 きっと、エトワールのことも。

 

「くそっ……!」

 

 

 シンはコクピットへ滑り込む。

 

 だが。

 

 起動したモニターに並ぶのは警告ばかりだった。

 

『推進器損傷』

 

『エネルギー系統不安定』

 

「分かってる……!」

 

 怒鳴るように返す。

 

 救援は来る。

 

 だが早くても数分。

 

 この状況では、遅すぎる。

 

 敵はデストロイ回収が目的。

 

 だが回収だけで終わる保証などない。

 

 コンパスのパイロット。

 

 デストロイの生体CPU。

 

 見逃す理由がどこにも無かった。

 

 最悪だった。

 

『コンパス所属機確認!』

 

『排除する!』

 

 敵機が一斉にジャスティスへ照準を向ける。

 

「っ!」

 

 シンは機体を動かす。

 

 だが遅い。

 

 飛べない。

 

 避けきれない。

 

 ビームが砂浜を抉る。

 

 爆炎。

 

 衝撃。

 

 機体が激しく揺れた。

 

「ぐっ……!」

 

 警告音が鳴り響く。

 

 損傷箇所が増えていく。

 

 このままでは押し切られる。

 

 シンは歯を食いしばった。

 

 ここで自分がやられれば。

 

 エトワールは連れ戻される。

 

 また薬を打たれて。

 

 またデストロイに乗せられて。

 

 使えなくなるまで戦わされる。

 

 そんな未来は見たくなかった。

 

 一方。

 

 洞窟の陰から戦闘を見ていたエトワールは、動けずにいた。

 

 シンが撃たれている。

 

 自分を助けてくれた人。

 

 自分の話を聞いてくれた人。

 

 名前を呼んでくれた人。

 

 敵なのに。

 

 コーディネーターなのに。

 

 どうしてそんな風にできるのか、まだ分からない。

 

 でも。

 

 胸の奥で目覚め始めた感情だけは、はっきりしていた。

 

 シンが死ぬのは嫌だ。

 

 それだけは確かだった。

 

 視線が向く。

 

 砂浜に横たわる巨大な黒い機体。

 

 《デストロイ》。

 

 考えただけで呼吸が乱れる。

 

 怖い。

 

 また乗れば、また人を殺す。

 

 また、あの頃の自分に戻ってしまう。

 

 命令だけを聞いて。

 

 何も感じないまま。

 

 街を焼き続ける怪物に。

 

「っ……ぁ……」

 

 足が竦む。

 

 近付きたくない。

 

 もう二度と。

 

 乗りたくない。

 

 なのに。

 

 視界の先で。

 

 ジャスティスが爆炎に飲まれた。

 

「シン……!」

 

 気付けば、走っていた。

 

 

***

 

 

 砂浜。

 

 倒れ込んだデストロイの足元で、エトワールは立ち止まる。

 

 見上げる。

 

 破壊の神。

 

 人を殺すためだけに生まれた怪物。

 

 自分を縛り付けてきた檻。

 

 怖かった。

 

 近付くだけで吐き気がする。

 

 心臓が痛いほど鳴る。

 

 手が震える。

 

 それでも。

 

 エトワールはコクピットへ飛び込んだ。

 

 シートへ身体を沈めた瞬間。

 

 嫌な記憶が押し寄せる。

 

 薬。

 

 命令。

 

 悲鳴。

 

 炎。

 

 泣き叫ぶ人々。

 

 崩れる建物。

 

 逃げ惑う子供。

 

 全部、自分が見てきた光景だった。

 

「っ……」

 

 呼吸が乱れる。

 

 怖い。

 

 怖い。

 

 怖い。

 

 身体の震えが止まらない。

 

 それでも。

 

 モニターの向こうには。

 

 今も戦っているシンがいる。

 

「……お願い」

 

 声が漏れる。

 

「少しだけでいいから……」

 

 デストロイに。

 

 そして怯えている自分自身に。

 

 一言ずつ言い聞かせる。

 

「今だけでいい……」

 

 唇が震える。

 

「あの人を守る力を……貸して……!」

 

 破壊のためじゃない。

 

 守るために。

 

「起動……!」

 

 震える声。

 

 モニターが点灯する。

 

 赤い警告表示が次々と流れる。

 

『機体各部損傷』

 

『冷却系統異常』

 

『兵装システム一部使用不能』

 

 それでも。

 

 巨体は応えた。

 

 デストロイの無機質な瞳に光が宿る。

 

 ゆっくりと。

 

 巨大な身体が立ち上がった。

 

 

***

 

 

『なっ……!?』

 

 ウィンダム隊が動揺する。

 

 砂浜に沈黙していた巨体が、ゆっくりと立ち上がった。

 

 朝日を背負った巨大な影。

 

 その姿だけで、周囲の空気が変わる。

 

 《デストロイ》。

 

 その圧倒的な存在感に、ウィンダム隊の動きが止まった。

 

『生体CPUが勝手に起動したのか!?』

 

 混乱した通信が飛び交う。

 

 エトワールは操縦桿を握り締める。

 

 手が震えていた。

 

 恐怖は消えていない。

 

 むしろ、さっきより強い。

 

 モニターの向こうに映る照準。

 

 敵機を捕捉する赤い枠。

 

 発射可能を示す表示。

 

 全部知っている。

 

 ここから先に何が起きるのかも。

 

 トリガーを引けば。

 

 ビームが飛ぶ。

 

 人が死ぬ。

 

 それだけだ。

 

 今までなら迷わなかった。

 

 命令されれば撃った。

 

 考える必要なんてなかった。

 

 でも。

 

 今は違う。

 

 目の前にいるウィンダムのパイロットたちも、生きている。

 

 シンみたいに。

 

 笑うことがあって。

 

 怒ることがあって。

 

 帰る場所がある。

 

 そんな当たり前のことが、頭から離れない。

 

「っ……」

 

 呼吸が浅くなる。

 

 撃てない。

 

 撃ちたくない。

 

 でも。

 

 シンを守りたい。

 

 その気持ちだけが、辛うじてエトワールを立たせていた。

 

 デストロイの全火器が展開される。

 

 胸部砲門。

 

 指部ビーム砲。

 

 複数のミサイルポッド。

 

 巨大な火器群が、一斉に敵機を捕捉する。

 

 

 ウィンダム隊が止まった。

 誰も前へ出られない。

 

 

 発射されれば終わる。

 

 それを全員が知っていた。

 

『撃て!』

 

『撃たれる前にやれ!』

 

 指揮官機らしきウィンダムが叫ぶ。

 

 だが。

 

 誰も撃たない。

 

 恐怖があった。

 

 デストロイという存在そのものへの恐怖が。

 

 エトワールは照準を合わせる。

 

 指が震える。

 

 怖い。

 

 撃ちたくない。

 

 でも──。

 

***

 

 その少し前。

 

 キラ・ヤマトはライジングフリーダムのコクピットで前方モニターを睨んでいた。

 

 オーブ軍ムラサメ隊と共に、シンから送られた座標へ向かっている。

 

 嫌な予感がしていた。

 

 通信が途絶えた。

 

 ほんの数分前まで繋がっていた回線が、急に沈黙した。

 

 偶然とは思えない。

 

 シンは通信の最後で「敵かもしれない」と言っていた。

 

 だからキラは決断した。

 

 アークエンジェルを待たず、MS隊だけを先行させる。

 

 一秒でも早く。

 

 少しでも早く。

 

『熱源反応確認!』

 

『前方海域でMS戦闘!』

 

 オーブ軍から報告。

 

 見えてきた。

 

 島周辺。

 

 爆炎。

 

 ビーム。

 

 立ち上る黒煙。

 

「シン……!」

 

 キラはスロットルを押し込む。

 

 ライジングフリーダムが加速した。

 

 海面を掠めるように飛翔する。

 

 間に合え。

 

 その想いだけだった。

 

 シンは要救助者がいると言っていた。

 

 大気圏で遭遇した敵パイロット。

 

 デストロイの生体CPU。

 

 彼女を守ろうとしていることも、キラには分かっていた。

 

『前方に大型MSが!』

 

 オーブ軍の通信。

 

 直後。

 

 キラの視界に映る。

 

 巨大な黒い影。

 

 立ち上がった《デストロイ》。

 

「っ……!」

 

 一瞬、息を呑む。

 

 脳裏をよぎるのはベルリン。

 

 炎上する市街地。

 

 逃げ惑う人々。

 

 巨大な砲撃。

 

 悪夢のような記憶。

 

 だが。

 

 次の瞬間。

 

 キラは違和感に気付いた。

 

 デストロイの砲門が向いている方向。

 

 それは。

 

 傷付いたジャスティスを庇うように。

 

 ウィンダム隊へ向けられていた。

 

「……あの子が」

 

 キラは理解する。

 

 彼女は今。

 

 シンを守るために。

 

 あの機体へ乗っている。

 

 破壊するためではなく。

 

 守るために。

 

 その事実だけで十分だった。

 

『シン!』

 

 通信回線を開く。

 

 同時に。

 

 ライジングフリーダムが戦場へ飛び込んだ。

 

 蒼い閃光。

 

 海面を蹴るような速度で接近する。

 

『なっ!?』

 

『フリーダムだと!?』

 

 ウィンダム隊が慌てて振り返る。

 

 遅い。

 

 ライジングフリーダムのビームライフルが閃く。

 

 だが。

 

 狙うのはコクピットではない。

 

 ライフル。

 

 スラスター。

 

 センサー。

 

 戦闘能力だけを奪う正確な射撃。

 

 一機。

 

 二機。

 

 三機。

 

 次々と武装が破壊される。

 

『ぐっ!?』

 

『武装が!』

 

『何だこの精度は……!』

 

 さらに後方。

 

 ムラサメ隊が到着する。

 

 敵は数で劣勢となった。

 

『撤退だ!』

 

『これ以上は無理だ!』

 

『目標回収を断念する!』

 

 ウィンダム隊が反転する。

 

 海上へ向かって離脱。

 

 数秒後には水平線の彼方へ消えていった。

 

 

***

 

 

 デストロイのコクピットの中で。

 

 エトワールは、ただ呆然としていた。

 

 耳鳴りがする。

 

 呼吸は浅い。

 

 操縦桿を握っていた手はまだ震えていた。

 

 自分は撃っていない。

 

 誰も殺していない。

 

 その事実が信じられなかった。

 

 震える指先を見る。

 

 白くなるほど力が入っている。

 

 今までなら撃っていた。

 

 命令が下れば。

 

 敵が現れれば。

 

 それが当たり前だった。

 

 考える必要など無かった。

 

 けれど今回は違う。

 

 怖かった。

 

 撃てば、また元の自分に戻ってしまう気がした。

 

 何も感じず、人を殺せていた頃の自分に。

 

 だから撃てなかった。

 

 そして。

 

 そんな自分を助けるように、フリーダムが現れた。

 

『エトワール!』

 

 通信。

 

 シンの声だった。

 

『もう大丈夫だ! ハッチ開けられるか!?』

 

 大丈夫。

 

 その言葉が、ひどく遠く聞こえる。

 

 エトワールはゆっくりと視線を動かした。

 

 モニターの向こう。

 

 海岸線にはオーブ軍のムラサメ部隊。

 

 上空にはフリーダム。

 

 全員、自分を見ている。

 

 当然だった。

 

 デストロイ。

 

 大量虐殺兵器。

 

 街を焼き、人を踏み潰し、数え切れない命を奪った怪物。

 

 その操縦者が、自分だ。

 

「っ……」

 

 息が詰まる。

 

 今更になって。

 

 自分が何者なのかを思い出してしまう。

 

 殺人者。

 

 どれだけ言葉を並べても変わらない事実。

 

 シンは知っているのだろうか。

 

 自分が何人殺したのか。

 

 どれだけの街を壊したのか。

 

 知ればきっと。

 

 今までのようには接してくれない。

 

 怖かった。

 

 だからハッチを開けられない。

 

 そんなエトワールの沈黙を感じ取ったのか。

 

 別の通信回線が開く。

 

『聞こえるかな』

 

 穏やかな声だった。

 

 初めて聞く声。

 

『僕はキラ・ヤマト。君を撃つつもりはない』

 

 フリーダムからの通信。

 

 その声には敵意がなかった。

 

『君の身柄はコンパスとオーブが保護する』

 

 エトワールは理解できず、瞬きを繰り返した。

 

「……え?」

 

 思わず声が漏れる。

 

 保護。

 

 その言葉の意味が分からなかった。

 

 捕虜ではなく。

 

 処分でもなく。

 

 保護?

 

『安心して』

 

 キラは静かに続ける。

 

『君を傷付ける人は、ここにはいない』

 

 エトワールは唇を震わせた。

 

 そんな言葉を向けられた記憶がない。

 

 生まれてからずっと。

 

 誰かに必要とされたことはあった。

 

 兵器として。

 

 部品として。

 

 消耗品として。

 

 だが。

 

 一人の人間として扱われたことは無かった。

 

『降りてくるだけでいい』

 

 キラの声は変わらない。

 

『……もう戦わなくていい』

 

 その言葉に。

 

 胸の奥で何かが揺れた。

 

 戦わなくていい。

 

 そんな未来を、一度も想像したことがなかった。

 

 自分は戦うために作られた。

 

 そう思っていた。

 

 戦わなければ価値がない。

 

 そう教えられてきた。

 

 だから。

 

 その言葉が理解できない。

 

 理解できないのに。

 

 どうしようもなく涙が出そうになった。

 

 その時。

 

 砂浜を走る人影が見えた。

 

 シンだった。

 

 ジャスティスを降りて。

 

 砂を蹴り上げながら真っ直ぐこちらへ向かってくる。

 

「エトワール!」

 

 見上げながら叫ぶ。

 

「もう終わった!」

 

 その声は必死だった。

 

「降りてこい!」

 

 まるで。

 

 自分が降りてくることを信じているみたいに。

 

 エトワールの喉が震えた。

 

 張り詰めていたものが、少しだけ緩む。

 

 震える指で解除操作を行う。

 

 そして。

 

 デストロイのハッチがゆっくりと開いた。

 

 

***

 

 

 数分後。

 

 エトワールは砂浜に座り込んでいた。

 

 肩には毛布が掛けられている。

 

 温かい。

 

 それなのに身体の震えは止まらなかった。

 

 周囲にはオーブ兵たち。

 

 警戒はされている。

 

 当然だ。

 

 自分はデストロイのパイロットなのだから。

 

 だが。

 

 誰も銃を向けていない。

 

 怒鳴り声も飛んでこない。

 

 それが逆に落ち着かなかった。

 

 少し離れた場所ではキラがオーブ軍と話している。

 

「彼女はコンパス預かりにしてください」

 

「しかし危険性が……」

 

「分かっています」

 

 キラは静かに答える。

 

「それでも、彼女はシンを助けた」

 

 エトワールは俯いた。

 

 助けた。

 

 そんな言葉を向けられる資格が自分にあるのだろうか。

 

 今まで殺してきた人たちは消えない。

 

 壊した街も戻らない。

 

 焼いた命も。

 

 奪った未来も。

 

 何一つ無かったことにはならない。

 

 なのに。

 

 どうして。

 

 こんな風に扱われるのだろう。

 

「……なあ」

 

 隣にシンが座る。

 

 エトワールは顔を上げられない。

 

「わたし……」

 

 声が震える。

 

「いっぱい、人を殺した」

 

 言葉にした瞬間。

 

 胸の奥が痛んだ。

 

「街も壊した……」

 

 呼吸が浅くなる。

 

「なのに、なんで……」

 

 なんで助けるのか。

 

 なんで見捨てないのか。

 

 なんで怒らないのか。

 

 その続きを。

 

 シンは察したらしい。

 

 少しだけ黙って。

 

 それから口を開く。

 

「……罪は消えないと思う」

 

 エトワールの肩が震えた。

 

 否定しない。

 

 許されるとも言わない。

 

 それが逆に救いだった。

 

「死んだ人は戻らないし」

 

 シンは海を見る。

 

「壊れたものも戻らない」

 

 波の音が聞こえる。

 

「だから多分、一生忘れられない」

 

 エトワールは唇を噛んだ。

 

 そうだ。

 

 きっと忘れられない。

 

 死んでいった人たちは戻らない。

 

 それでも。

 

「でもさ」

 

 シンは続ける。

 

「だからお前も死ねって話には、ならないだろ」

 

 エトワールは目を見開いた。

 

「……え」

 

 思わず顔を上げる。

 

 シンは少しだけ困ったように笑っていた。

 

「少なくとも俺は、そう思わない」

 

 穏やかな朝の海を見ながら言う。

 

「生きて、悩めばいい」

 

 その言葉に。

 

 エトワールの呼吸が止まった。

 

「苦しくても」

 

「辛くても」

 

「逃げずに考え続ければいい」

 

 罪は消えない。

 

 それでも。

 

 

 それを抱えながら生きることはできる。

 

 そう言われた気がした。

 

 生きていいのだと。

 

 エトワールという一人の命を。

 

 肯定された気がした。

 

 その瞬間。

 

 視界が滲む。

 

 ぽろり、と涙が落ちた。

 

 止めようとしても止まらない。

 

 次から次へと溢れてくる。

 

 嬉しいのか。

 

 悲しいのか。

 

 自分でも分からない。

 

 ただ。

 

 初めてだった。

 

 こんな風に生きていていいと言われたのは。

 

 シンは何も言わない。

 

 慰めもしない。

 

 無理に励ましもしない。

 

 ただ。

 

 エトワールが泣き止むまで、隣に座り続けていた。

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