「ああ、いい。いいぞ太田」
津本は言った。悪びれず、ただそう言った。
「お前は、最高に。普通の弁護士だ」
太田は一瞬、それを褒め言葉として受け取りかけた。一瞬だけ。
「普通だと?」
少し癪に障った。弁護士として十年やってきて、普通、という言葉はさすがに引っかかる。
「ああ、普通さ」津本は続けた。「いや、引っかけのようにしたのは悪い悪い。だがな、お前には足りないのさ」
「何がだ」太田は少し不機嫌そうにいう。
「想像力と…欲だな」
太田は黙った。
返せなかった。それが一番、癪だった。
「1つ目から行く」と津本は言った。「確認訴訟は分が悪いと、お前は言った。それはそのとおりだ。俺も同じ懸念を持ってた」
「だから確認訴訟は、使わない」
太田は黙った。
「三三九度ができない神前式の挙式。これは、実際に実施される」
「実施される?」
「ああ。式は挙げる。だが三三九度は、宮司が法律を根拠に止める。未成年者飲酒禁止法を根拠として、正式にお神酒での実施は認められない、と回答するんだ。新郎新婦は、人生に一度の晴れ舞台で、婚姻儀礼の核心を欠いたまま式を終える」
太田は津本の言葉を追いながら、その先が見え始めていた。
「この時点で」と津本は続けた。「新郎新婦側は、人生に一度の晴れの舞台を台無しにされた。神事として厳格に行われるべき挙式を、宮司の誤った法解釈により実施できなかった。精神的苦痛に対する、損害賠償を請求する」
太田は少し天井を見た。
「不法行為に基づく損害賠償、か」
「そう。確認訴訟より、遥かに足場が固い」津本が、続けた。
「原告適格も、訴えの利益も、問題ない」太田は独り言のように言った。「既発の損害が実在する。被告は宮司か、式場か」
「宮司だ。神事の判断は宮司にある」
「宮司が誤った法解釈に基づいて神事を妨げた、という主張か」太田はグラスを置いた。
「となると、法解釈が正しいかどうかが争点になる。つまり裁判所は、二十歳未満飲酒禁止法の三三九度への適用が適法かどうかを、判断せざるを得ない」
「そこまで持ち込めば、憲法論が入ってくる」
「なるほど」太田は静かに言った。「確認じゃなく、損害賠償か。想像力が足りなかった」
津本は何も言わなかった。ただ少し口の端が上がった。
「2つ目だが」と津本は続けた。
「地裁は嫌がるだろうな、この争点は。だがそれが狙いだ。地裁が憲法判断を回避しようとすればするほど、論点が上に上がっていく。この争点にした時点で、最高裁行きがほぼ確定になると思うが、どうだ」
津本はそういって、わずかに笑みを浮かべる。
太田は少し考えた。
「地裁が損害賠償を認めるためには、法解釈の誤りを認定しなければならない。法解釈の誤りを認定するためには、憲法論に踏み込まざるを得ない場面が来る。」
「回避しようとすれば、原告側が控訴して争点を維持し続ける。……確かに、最高裁への道が自然に開いていく構造だな」
「3つ目、高裁が動きにくいのはそうだ。だがこれも同じさ」津本は、太田の言葉が終わるのを待っていたように。いった。
「上に投げやすい構造になってる、ということか」
「そして4つ目だ」
津本はそこで少し間を置いた。
「不受理で終わるリスクに対して、爆弾を仕込む」
「爆弾だと?」
「まぁ落ち着け」津本は静かに言った。「そうだ。爆弾だ」
太田は落ち着けない気持ちを抑えながら、黙って続きを待った。
「原告夫婦は、高裁控訴の時点で、国を相手取り、国家賠償請求を起こす」
太田の頭の中で、何かが音を立てて組み合わさった。
「……嫌でも憲法判断事件として、関係性を深めようってことか」
思わず頭を抱えた。
「国家賠償と絡めることで、国が当事者になる。国が当事者になった憲法問題を、最高裁が不受理で逃げるのは、政治的にも法的にも、筋が悪いな」
太田はそのまま、頭を抱えた姿勢で続けた。
「世論醸成や国会の意向、意見書、それが最高裁への圧力となるってわけか。なるほど、一定の合理性はあるな」
段階的な戦線の構築が、頭の中で立体的に見えてきた。損害賠償で足場を固め、国賠で国を引き込み、世論と立法圧力を並走させながら、最高裁を逃げられない場所に追い込んでいく。
逐次新兵器投入、と津本は言っていた。その意味が、今になって腹に落ちてきた。
「ただな、太田」
津本の声が、また変わった。
「お前が気づいていない、最大の敵がまだいる」
「敵?」
太田は眉を動かした。
「これを最高裁になんぞ持っていかせるか、そう思うやつが、いると思わないか?」と津本は言った。
太田はしばらく黙った。
法務省、という言葉が最初に浮かんだ。それから内閣法制局。それは——
「待て」と太田は言った。
「津本」と太田はゆっくり言った。「それは」
「誰だと思う?」津本はグラスを傾けながら、静かに言った。
「国だ」
太田は静かに言った。
津本を見た。津本は何も言わなかった。それが答えだった。
「そう言いたいんだな、津本」
「ああ」と津本は言った。「これが地裁で勝とうものなら当然、そうして原告敗訴で高裁に上がったとしたらなおさら、だ。国は出ざるを得ないだろう」
太田はグラスを置いた。
両手をカウンターの上に置いて、少し前を向いた。
「違わない」
そこから先は、弁護士として考えるというより、全体の絵を眺めるような作業だった。国が出てくる、という事態が何を意味するか。その重さを、順番に並べていく。
「まず規模が変わる」と太田は言った。「地裁段階では宮司対新郎新婦、あるいは式場対新郎新婦という私人間の争いだ。だが国が出てきた瞬間に、これは国家対個人の憲法訴訟になる」
津本は黙って聞いている。
「国が出てくるということは、法務省訟務局が入ってくる、ということだ。あそこは違う。民間の弁護士とは、根本的にリソースが違う。判例の蓄積、専門の訟務検事、過去の憲法訴訟の全データ、それが全部向こうについてくる」
太田は続けた。
「しかも国は負けることに慣れていない組織だ。正確に言えば、負けないための方法論を組織として持っている。訴訟指揮への働きかけとは言わないが、争点の絞り方、反論の組み方、憲法判断を回避させるための訴訟技術、その蓄積が膨大にある」
グラスを手に取った。飲まずに、ただ持った。
「勝ち筋を考えると」太田はゆっくり言った。「絶望的だ」
言葉にしてみると、改めてその重さが来た。
「地裁で原告が勝った場合、国は控訴する。高裁での陣容は更に厚くなる。高裁で原告が勝った場合、国は上告する。最高裁では、過去に国が憲法訴訟で正面から敗れた案件の数を考えれば分かる。尊属殺、婚外子相続、再婚禁止期間。いずれも、何十年もかかっている。何十年も、原告側が粘り続けて、ようやく時代が追いついた案件ばかりだ」
太田は額に手を当てた。
「今回は時間軸が違う。原告は18歳か19歳の新婚夫婦だ。彼らの婚姻の瞬間は、もう終わっている。損害賠償という形で争い続けることはできるが、三三九度が挙げられなかった、というその事実は変わらない。時間が経てば経つほど、原告の切実さは薄れていく。国側はそれを知っている。引き延ばすことが、国にとっての戦略になり得る」
太田は頭を抱えた。
文字通り、両手で頭を抱えた。
「国賠を絡めることで国を引き込む、という戦術は確かに理解した。だが国を引き込んだ結果、向こうのリソースと時間戦略が全部こちらに向いてくる。相手が巨大になればなるほど、こちらの弁護士への負荷は指数関数的に増える。原告の精神的・経済的負担も、訴訟が長期化するほど増す」
太田はそのまま、頭を抱えた姿勢で続けた。
「しかも最高裁が大法廷で違憲判決を出す、というのは、最高裁自身にとっても相当な決断だ。行政府、立法府への影響が大きすぎる。最高裁はそれを理解した上で、できれば回避したいと思っている。国が全力で引き延ばし、最高裁が回避を望み、原告側は時間とリソースが削られていく」
太田は顔を上げた。
「これは、どこをどう計算しても」
言葉を探した。
「正攻法では、勝てないぞ」
沈黙があった。
ジャズが一曲終わった。次の曲が始まるまでの、わずかな間があった。
太田はそこで気づいた。
津本が、静かすぎる。
頭を抱えている太田を前に、津本は反論もしていないし、慰めもしていないし、しかしうなだれてもいない。
太田は津本を見た。
笑っている。
正確には、笑いを抑えている。口の端を真一文字に結んで、しかし目のあたりが、明らかに笑っている。
「お前」と太田は言った。「今、笑ってるか」
津本は少し間を置いてから、「さあ」と言った。
「さあじゃない、笑ってる。なんで笑ってる」
「お前が絶望的な勝ち筋のなさを、ちゃんと全部説明してくれたからだよ」津本が、淡々と答えた。
「何がおかしい」
「おかしくはない」津本は言った。「むしろ正確だ。お前の言った通り、正攻法では勝てない」
「じゃあ——」
「太田」
津本は少し身を乗り出した。
「お前、ゲームをやるか?」
太田は一瞬、話の飛躍についていけなかった。
「……ゲーム?」
「ゲームだ。昔、よくやってたじゃないか」
太田は津本を見た。津本の目が、さっきとは違う光を持っていた。
「お前」と津本は言った。「タワーディフェンスって知ってるか?」
そう言いながら、スマホをカウンターに滑らせた。
太田はそれを見た。
画面には、見覚えのある独特の画風のキャラクターたちが並んでいた。
*アークナイツか。*
そう言えば好きだと言っていたな、と思った。LinkedInではろくに投稿しない男が、どこかでそれを言っていた。
「これはな」と津本は言った。「次から次へと来る敵ユニットに対し、適宜その動きに対処するユニットを配置し、撃破し、拠点を防衛する。そういうゲームだ。まぁノベルとしても単純に面白いんだが、それはいい」
太田はスマホを手に取って、少し眺めた。
「戦略の基礎はゲームも軍事も、そして訴訟も同じだ。違うか?」
太田はスマホを置いた。
「まぁ、違わないな」
「なら」と津本は言った。「絶対に来てほしくない強力な敵ユニット、お前はどう対処する?」
太田はすぐに理解した。
タワーディフェンスの話をしているようで、していない。国というユニットにどう対処するか、そう問われているのだろう、と。
太田はグラスを置いて、腕を組んだ。
「まず」と太田は言った。「国が出てくる前に、できるだけ論点を固める。地裁の段階で争点を絞り込んで、憲法論の骨格を判決文に刻ませる。国が入ってきてから争点を広げるのは難しい。入ってくる前に、戦場の形を決めておく」
「続けてくれ」
「次に、国が入ってきたときのコストを上げる。国賠を絡めることで国を当事者にする、というのはそういう意味も持つ。国が本格参戦するためには、それなりの政治的判断が要る。訟務局が動くということは、それが公式の国の訴訟になるということだ。そのコストを意識させる」
太田は続けた。
「それから、世論を先に動かす。国が正面から入ってきにくい空気を作る。18歳で結婚できるのに三三九度ができない、という矛盾は、説明すれば一般人にも分かりやすい。メディアと、SNSと、あるいは国会議員への働きかけ。訴訟の外側で、国が強引に出てくることへの政治的コストを積み上げておく」
津本はじっと聞いていた。
「最後に」太田は言った。「長期戦を想定した原告の保護だ。国が引き延ばし戦術に出たとき、原告の経済的・精神的負担を訴訟構造として軽減できるかどうかを、最初から設計しておく。訴訟支援の枠組みを作っておく」
太田はそこで止まった。
「以上だ。思いつく限りでは」
津本はしばらく黙っていた。
それから言った。
「ああ、そうだな」
一拍置いた。
「お前が真面目で、安心したよ」
太田は少し眉を動かした。
「真面目って」
その言い方が、また引っかかった。褒め言葉として使われていない、そういう手触りがあった。
「じゃあ不真面目なお前は、どうするっていうんだ」
津本はグラスを置いた。
カウンターの上で、少し指を滑らせた。それから太田を見た。
「門前払い」と津本は言った。
「門前払い?」
「強制場外退場さ」津本が、続けた。
太田はしばらく津本を見た。
タワーディフェンスの文脈で言っている。強力な敵ユニットへの対処として。国というユニットへの対処として。
「待て」と太田は言った。「門前払いというのは、国を訴訟に参加させない、ということか」
「そう」
「そんなことが——」
「できるかどうか、考えてみろ」と津本は静かに言った。
「タワーディフェンスでな、絶対に来てほしくないボスユニットがいたとする。そいつをマップに入れないための方法が、もし存在したとしたら?」
太田は黙った。
訴訟の構造の中で、国を当事者として引き込まずに、しかし憲法判断を最高裁から引き出す。その二つを同時に実現する方法が、あるとしたら。
「お前」と太田はゆっくり言った。
「まだ言えないよ」と津本は言った。穏やかに、しかし確信を持って。「乗ると言ってから、な」
「はぁ…あぁもう、わかったよ」
太田は言った。
グラスをカウンターに置いて、津本を正面から見た。
「全部をやり切る、とは言わんが、少なくとも提訴までは付き合ってやる。聞かせろ」
ここまで言われたら聞かざるを得なかった。それが正直なところだった。弁護士としての判断というより、もっと手前の、人間としての好奇心が、とっくに臨界を超えていた。
津本は少し頷いた。
それから、静かに話し始めた。
「高裁で、訟務局が補助参加申請を申し込む」
「ああ、それは想定の範囲だ。国賠を絡めた時点で——」
「そのタイミングと、同時にだ」
太田は口を閉じた。
「神社側が、国家賠償請求を起こす」
しばらく、その言葉が宙に浮いていた。
「神社側が」と太田はゆっくり繰り返した。「国を、訴える?」
「そう」
「神社が、原告になって?」
「そう」
太田はグラスを持ち上げかけて、止めた。
「神社の戦略はな」と津本は続けた。「徹底してこうだ」
指をカウンターの上で一本立てた。
「うちは法律に従っているだけで、法律が絶対なのである」
また一本。
「それにもかかわらず、憲法に対する齟齬や、民法改正において、国が運営上の瑕疵を放置したのは単純な怠慢である」
また一本。
「その怠慢により当社は提訴を受けることで、社会からの反発を受け、名誉毀損ならびに挙式実施数の減少といった実害が生じている」
最後の一本。
「これらは全て国の怠慢に起因しているのであり、国に国家賠償請求を求める、とな」
太田は固まった。
固まった、というのは比喩ではなかった。文字通り、体が動かなくなった。グラスを持ちかけたまま、手がそこで止まっていた。
頭の中で、構造が展開していった。
新郎新婦が宮司を訴える。宮司は法律に従っただけだと主張する。高裁で訟務局が補助参加を申請してくる。国が宮司側についた、その瞬間に
——神社が国を訴える。
宮司の主張と神社の国賠請求は、完全に整合している。
我々は法律に従った。その法律に問題があるなら、それは国の責任だ。我々は被害者だ、と。
国は、補助参加で宮司側についた直後に、別の戦線で被告になる。
「待て」と太田は言った。ようやく口が動いた。「待ってくれ」
「どうした」
「国が、補助参加で宮司側についた場合」太田は言葉を整理しながら言った。
「国の立場は、この法律の適用は適法だ、という主張になる」
「そう」
「だが同時に、神社からの国賠請求では、国は被告になる。神社の主張は、この法律に問題があったから我々は損害を受けた、だ」
「そう」
「つまり国は、同じ法律について、一方では適法だと主張しながら、もう一方では瑕疵があったと認定されうる立場に立たされる」
「わかっているじゃないか」と津本は静かに言った。
太田はしばらく黙っていた。
「国が」と太田はゆっくり言った。「自分の主張で、自分の足を踏む」
「場外乱闘さ」と津本は言った。「強力な敵ユニットを、マップの外で戦わせる。こっちは関係ない」
太田はそこで、ようやくグラスを置いた。置いた、というより、力が抜けて降りた、という感じだった。
「お前」と太田は言った。
「本当に化学屋か」
「素材開発だよ」と津本は言った。「層を重ねて、界面で何が起きるかを考える仕事だ。そんなに違わない」
太田は少し笑った。笑うしかなかった。
層を重ねて、界面で何が起きるか。
確かに、そんなに違わないかもしれない。
「神社側は」と太田は言った。頭が動き始めていた。「本当に乗るのか、これに」
「宮司と話した、と言っただろ。本来やるべき神事を自分たちが止めさせられている、という怒りは本物だ。しかも今回の構造なら、神社は終始、法律に従っただけという立場を崩さなくていい。攻撃的な印象を与えずに、被害者として国を追い詰められる」
「神社にとっても、筋が通ってる」
「筋しか通ってない」
太田はカウンターに肘をついた。
頭の中で、全体の構造が立体的に回り始めていた。
新郎新婦の損害賠償。神社の国家賠償。訟務局の補助参加。国の自己矛盾。世論の圧力。立法府への波及。そして最高裁への道。
それぞれの戦線が、それぞれのタイミングで動く。逐次投入される新兵器たちが、互いに連動しながら、国という巨大なユニットを、じわじわと包囲していく。
「ブチ切れ、爆笑し、最高にやりたくなる」と津本は言っていた。
ブチ切れはしなかったが、呆れ、感心した。爆笑はまだだ。だがやりたくなっていた。
それは太田にも、分かった。
「津本」と太田は言った。
「もう一杯、頼んでいいか」
津本はマスターに向かって、無言で指を二本立てた。
「なるほど、これを聞いて、確かに一瞬思ったよ。お前、訴訟を何だと思ってるんだ」
太田はそう言って、グラスを受け取った。飲んでから、津本を見た。
「そうか」
「お前な」
言葉にしてみると、怒りというより呆れに近い。こいつに訴訟を何だと思っているか、などと言っても意味がない。この男は訴訟が何かを分かった上で、これを設計している。
だから笑いが堪えられなかった。
爆笑とは行かない。バーのカウンターで、深夜に、二人でそれをやるには、この話は少し重すぎた。だが笑いを完全に抑えることもできなかった。
「お前こそ本当に大真面目なクソ野郎だよ」
太田はそう言って、口元を片手で押さえた。
津本は笑わなかった。ただ少し目が細くなった。それがこの男の照れ方だ、と太田は思った。
しばらく、二人は黙っていた。
悪くない沈黙だった。
ジャズが曲を変えた。今度はピアノが少し速い。
太田はグラスを置いて、今夜聞いた話の全体を、もう一度頭の中で展開した。損害賠償から始まり、国賠で国を引き込み、神社が国を逆に訴える。国が補助参加した瞬間に自己矛盾に陥る構造。
悪くない。悪くないどころか、よく出来ている。
だが。
太田は何かが引っかかっているのを感じていた。
虫が、どこかにいる。
「だがな、太田」
津本が口を開いた。
「これだけで、補助参加、弾けるかな?」
太田は津本を見た。
その顔が、おかしかった。
不安を確認する顔じゃない。答えを知っていて、こちらが気づくかどうかを見ている顔だ。
さっきから何度かそういう顔をしている。中学のときも、そういう顔をしていた。
教師が間違えたことを知っていて、クラスメートが気づくかどうかを測っているときの顔だ。
*お前、気づいたか?*
そう言っている顔だ。
太田は少し姿勢を直した。
補助参加を弾く。
神社が国賠を起こした時点で、国は利害関係人として新郎新婦の訴訟への補助参加を申請してくる。その補助参加を弾けるか。
民事訴訟法第42条。
補助参加の要件は、訴訟の結果について利害関係を有する者、だ。
国賠を絡めた時点で、国の利害関係は明白になる。
補助参加の申請を却下するのは、難しい。
だが。
待て。
太田は視線をカウンターに落とした。
補助参加を弾く、という問いの立て方が、既に何かを示唆している。
弾けるかな、と津本は言った。
できないことを前提に聞いているのではない。何か方法があると思って聞いている。
補助参加の申請に対して、相手方は異議を申し立てることができる。
民事訴訟法第44条。補助参加に異議がある場合、裁判所が補助参加の許否を決定する。
補助参加を許さない理由を、作れるか。
太田は頭の中で条文を展開した。
補助参加の許否の判断基準は、利害関係の有無だ。国の利害関係は明白だから、そこでは弾けない。
では別の角度から。
補助参加が認められた場合、補助参加人は被参加人の訴訟行為と抵触する行為はできない。
国が宮司側に補助参加した場合、国の主張は宮司の主張と整合していなければならない。
そして神社が国を訴えた訴訟が並走しているとき——
「待て」と太田は言った。
津本が少し動いた。
「補助参加を申請してきた時点で」太田はゆっくり言った。「国は宮司側の当事者として、この法律の適用は適法だという立場を公式に取ることになる」
「そうだな」
「だが神社からの国賠訴訟では、国は被告だ。そこで国が法律に瑕疵があったと認定されれば、補助参加での主張と矛盾する」
「それは前に言ったな」
「違う」太田は言った。「そっちじゃない」
津本が少し眉を動かした。
「補助参加の申請に対して異議を申し立てる根拠として」太田は言った。
「国が神社からの国賠訴訟の被告である事実を使う。補助参加人が、並走する別訴訟において利益相反の立場にある。この訴訟への参加が、訴訟秩序を混乱させる可能性がある、という異議だ」
太田はそこで止まった。
「……だが、これだけでは弱い」
「弱いな」と津本は静かに言った。
「もう一枚、ある」
それは質問ではなかった。
確認だった。
津本の顔が、また変わった。
「気づいたか」と津本は言った。