雪結(ユキネ)   作:旧作

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第十八話 ビターな足元、二人の視線(カードの品評)

 

 

 

 温かいお味噌汁と大粒の納豆、そして炊きたての白いご飯を口に運び、お腹ペコペコだった胃袋が心地よく満たされていくのを感じながら、白雪まつりはふと、先ほどリビングを襲った「バニー化の衝撃」のドタバタの中で、一つの重要なプロセスが抜け落ちていたことに気がついた。

 

 

 

 

 あの時、恵の「せーの」というハイテンションな掛け声に合わせて、二人は同時に『アイコネ・チップス(うすしお味)』の裏面に貼られた銀色の遮光アルミパックを破り裂いたはずだった。

 

 

 

 

 まつり自身は、インディーズブランド『スノー・ラビット』のノーマル(N)ヘッドパーツである『アクティブ・ライブイヤー』という純白のウサ耳を引き当て、そのあまりにも出来すぎた運命の悪戯に顔面を極限まで赤面させ、母親からの怒涛のツッコミに防戦一方になっていた。

 

 

 

 

 

 そのため、すぐ隣で同時にパックを開けていたはずの恵が、一体どんな衣服の断片を引き当てていたのか、その手元を全く確認できていなかったのだ。

 

 

 

 

 まつりはお箸を一度箸置きへと戻し、お茶を一口啜って喉を潤してから、キッチンカウンターで食器洗いの仕上げをしている恵の背中に向けて、素朴な疑問を投げかけた。

 

 

 

 

 「……そういえば、お母さんは何引いたの? 僕のウサ耳のグラフィックに全部意識を持っていかれちゃって、お母さんのカードをまだちゃんと見てなかったよ」

 

 

 

 

 その息子の言葉を聞いた恵は、待ってましたと言わんばかりに、シンクの水道をキュッと締め、濡れた手を素早くキッチンペーパーで拭き取った。

 

 

 

 

 そして、ダイニングテーブルへと優雅な足取りで戻ってくると、ジーンズのポケットにそっと忍ばせていた一枚のプラスチックカードを指先で挟み、まつりの目の前へと突き出した。

 

 

 

 

 「ふふ、よくぞ聞いてくれたわ、まつり。私の引き当てた、素晴らしくシックな一枚の全貌を見せてあげるわ。──じゃん!」

 

 

 

 

 恵が少し大袈裟な効果音と共にテーブルの上に提示したカード。そこには、まつりが引き当てた『スノー・ラビット』の純白のホログラムやウサギの意匠とは対照的な、非常に落ち着いた、気品溢れるモダンなグラフィックが描かれていた。

 

 

 

 

 まつりは前髪のカーテンの隙間から目を凝らし、そのカードの表面に刻まれた微細なステータスとテキストを、自らの脳内データベースと照らし合わせながら瞬時に読み取っていった。

 

 

 

 

 カード名:『ビター・ハイカットスニーカー』

 

 レアリティ:C(コモン)

 

 ブランド:ノーブランド(汎用モデル)

 

 スタイル:セレブ系

 

 部位:【シューズ(足元アタッチメント)】

 

 タイプ:アバター2専用

 

 

 

 

 「アバター2専用の、シューズカード……」

 

 

 

 

 まつりはそのスペックを確認し、納得したように小さく呟いた。

 

 

 

『アイコネ』のシステムにおいて、男性型のベース素体である「アバター1」に対し、「アバター2」は女性型のアバターを指す。

 

 

 

 

 

 そして、このカードは明確に「アバター2専用」のドレスコードが指定されたコーデカードだった。

 

 

 

 

 それは同時に、昨日の土曜日の夜、あの地獄の大混雑の特設会場から命からがら持ち帰った『アイコネ・ウエハース』の開封劇を想起させるものでもあった。

 

 

 

 

 

 昨日のウエハースで、まつりが自らの神懸かり的な引きによって獲得し、その場で「お母さんにぴったりだから」と恵に手渡した、あのゴシック系漆黒ブランドのレア(R)アクセサリ──『シャドー・ペトリのイヤーカフ』。

 

 

 

 

 あのカードもまた、全く同じ「アバター2(女性型)専用」の属性を持つコーデカードだったのだ。

 

 

 

 

 「またアバター2専用が出たんだね。昨日僕が渡したシャドー・ペトリのイヤーカフといい、お母さんの手元には、完全に女性アバター用のスタイリッシュなパーツが集まるようになっているんだね」

 

 

 

 

 「ええ、そうね。これも一種のファッショナブルなバイオリズムだわ。でも、まつり。重要なのはその属性やステータスだけじゃないのよ。このカードの表面に描かれている、グラフィックとしての『圧倒的な仕立ての美しさ』を見なさいな」

 

 

 

 

 恵が細い指先でカードのイラストをトントンと叩く。

 

 

 

 

 まつりは促されるようにして、カードの表面のグラフィックをじっくりと観察した。

 

 

 

 そこに描かれていたのは、一見するとシンプルなキャンバス生地のスニーカーのようでありながら、その実、信じられないほどのこだわりが詰め込まれた一足のフットウェアだった。

 

 

 

 スニーカーの表面を覆うカラーリングは、深みのある、どこか上品で大人びた「ビターチョコレート」のような、極めて濃厚で落ち着いたダークブラウン。

 

 

 

 光の当たり方によって、微細な革のシボ感や、高級感のあるマットなテクスチャーがリアルに表現されている。

 

 

 

 そしてそのシルエットは、足首を覆うホールド感の強いフォルム──すなわち「ハイカットのスニーカー」だった。

 

 

 

 ハイカットとは、スニーカーの履き口の高さが、人間のくるぶしよりもさらに上の位置にまでくる丈のフットウェアを指す言葉だ。

 

 

 

 足首を完全に包み込むその構造は、ストリートファッションやカジュアルスタイルの定番でありながら、デザイン次第で全体のシルエットを大きく変える力を持っている。

 

 

 

 まつりは、そのカードのグラフィックの隅々にまで張り巡らされたステッチの正確さ、シューレース。

 

 

 

 靴紐の質感、そしてソール。

 

 

 靴底の絶妙な厚みのバランス感を見つめているうちに、背筋にピリッとした電撃が走るような感覚を覚えた。

 

 

 

 「……これ、すごいよ、お母さん。これがノーブランドのC(コモン)なんて信じられないよ……!?」

 

 

 

 まつりは思わず手に持っていたお箸を完全に置き去りにして、カードを両手でそっと持ち上げ、ビックリした表情で声を上ずらせた。

 

 

 

 カードゲームのオタクとして、そしてアパレル知識の収集家として、このカードの持つ潜在的なポテンシャル。

 

 

 可能性に、彼は強烈な衝撃を受けていた。

 

 

 

 「コモンカードっていうのは、ゲームの中では一番レアリティが低くて、誰でも簡単に手に入る、いわば『ハズレ枠』のはずなんだ。それなのに、このビター・ハイカットスニーカーのモデリングデータは、そんな安易な量産品の手抜き感が一ミクロンも感じられないよ。見てよ、この足首を包み込むハイカットのボリューム感と、アッパーのビターチョコレート色の色調の調和……。これをアバター2の女性キャラクターの細い足元に装着したら、全体のシルエットに絶妙な()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 例えば、上にあえてタイトなシルエットのボトムスや、ドレープ感のあるロングスカートを合わせることで、足元のスニーカーのボリュームが全体のコーディネートを完璧に引き締める、最高のアントニーム。対比として機能するはずだよ……!」

 

 

 

 

 まつりは、先ほどまでの恥ずかしがり屋なウサギのような姿から一転して、自らの内に眠るファッションとデータへの情熱を解放し、驚くほどの早口。

 

 

 

 マシンガントークになりながら、その一足のスニーカーが持つ美学を熱っぽく語り尽くした。

 

 

 

 

 その息子の、前髪のカーテンの奥で輝く真剣な瞳と、淀みなく紡ぎ出される完璧なコーディネートのロジック。

 

 

 

 

 それを目の当たりにした恵は、我が意を得たりとばかりに、パッと顔を輝かせて、我が息子の肩を激しく揺さぶりながら賛同の声をあげた。

 

 

 

 

 「まつり! やっぱり、アンタはわかっているじゃないの!! 最高の感性よ、その通りだわ!!」

 

 

 

 

 恵はリビングに響き渡る声で、早口になりながら語る息子に対して、それ以上の熱量とスピードで言葉を重ねていく。

 

 

 

 

 「これだからアンタとのお洋服の品評は辞められないのよ! そう、これはただのスニーカーじゃない、ストリートのドレスコードを根底から覆す『コモンの皮を被ったモンスターアイテム』よ! このビターな重厚感があるからこそ、トップスにどんなに軽いシフォン生地や、あるいは昨日アンタが引き当てたスノー・ラビットのような繊細なアイテムを持ってきても、全体の重心が地面へと美しくアンカリングされるの。ノーブランドだからこそ、どんなハイエンドなブランドとも喧嘩をせずに調和する……。これはね、ゲームをデザインした人間の、衣服に対する歪みない『敬意』。リスペクトの表れよ!」

 

 

 

 

 「うん、本当にお母さんの言う通りだよ。アイコネの開発チームには、絶対に凄腕の、現実の世界で本気で服を作っていたデザイナーが混ざっているに違いないよ……!」

 

 

 

 

 キッチンカウンターの向こうで、熱狂的にカードのグラフィックとコーディネートの可能性について早口で語り合う、白雪家の母と息子。

 

 

 

 

 五月の爽やかな日曜日の朝の光の中で、二人のアパレル脳は完全に共鳴し、電子のコーデカードという新しい玩具を介して、血の通った濃密なコミュニケーションの火花を散らしていた。

 

 

 

 

 ダイニングテーブルの特等席で、淹れたてのコーヒーの最後の一口を飲み干した父親の暦は、新聞を静かに畳みながら、その光景を眺めていた。

 

 

 

 

 手先が不器用で、物理的な食器洗いになると途端にポンコツになってしまう息子と、そんな息子の才能を誰よりも厳しく、そして誰よりも深く愛し、肯定している妻。

 

 

 

 

 二人のやり取りは、時に暴走気味で、時に辛辣で、けれどこれ以上ないほどに美しく、温かい家族の絆で結ばれていた。

 

 

 

 

 暦は、二人の熱い品評会のキリが良いところを見計らうように、穏やかで、けれど一家の(あるじ)としての確かな重みを持った優しい微笑みを浮かべ、二人の会話の輪へと滑り込むようにして、この日曜日の朝のルーティンを締めくくる言葉を口にした。

 

 

 

 「ふふ、二人とも、朝から本当に賑やかでいいな。カードの品評に熱が入りすぎるのは大いに結構だが、まつり、せっかくの納豆ご飯とお味噌汁が、完全に冷めてしまう前にちゃんと食べ終わりなさい。恵も、そんなにまつりの肩を揺さぶったら、彼がせっかくお箸で掴んだご飯をまたシンクの中に落としてしまうぞ」

 

 

 

 「あ……、そうだった。ごめんなさい、お父さん。僕、また夢中になっちゃって……」

 

 

 

 

「あら、あなた。お父さんらしい冷静なツッコミね。でも、この子のこの素晴らしいアパレル脳を刺激されたら、母親として黙っていられないのは当然の義務でしょう?」

 

 

 

 恵はそう言って悪戯っぽく笑うと、ようやくまつりの肩から手を離し、カードをそっとまつりの手のひらの上へと戻した。

 

 

 

 「さあ、まつり。ご飯を食べ終えたら、次は今日の洗濯物を干すのを手伝って頂戴。もちろん、今度はその不器用な手先を少しはマシに動かして、お洋服のシワを完璧に伸ばしてからピンチハンガーにかけるのよ?」

 

 

 

 

 「うん、わかったよ、お母さん。今度はシワの摩擦係数をしっかり計算して、丁寧にやるからね」

 

 

 

 

 まつりは前髪のカーテンの奥で、小さく、けれど本当に幸せそうな微笑みを浮かべながら、再びお箸を手に取って白いご飯を口へと運んだ。

 

 

 

 

 昨日の地獄のような行列の疲労も、ウエハースから飛び出した『スノー・ラビット』の衝撃も、そしてチップスから現れた『アクティブ・ライブイヤー』という純白のウサ耳がもたらしたバニー化への恐るべき運命のカウントダウンも。

 

 

 

 それらすべては、この白雪家という温かい家庭の、いつもの笑い声と、美味しい朝食の匂いの中に、ごく自然な「日常のドレスコード」として優しく溶け込んでいく。

 

 

 

 明けて日曜日。

 

 

 

 新緑の五月の風がアパートの窓から心地よく吹き抜ける中、白雪家の新しい一日は、電子の未来へのささやかな期待と、変わることのない家族の深い愛をその足元にしっかりと湛えながら、最高にスタイリッシュに、そして穏やかに、その幕を閉じるのだった。

 

 

 







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