AIや検索して、初動が大切だと知りました。そのため、連続で投稿します。
キィ、と気の抜けた音を立てて、黒板に白いチョークの線が引かれていく。
現代文の教師の眠気を誘うダミ声と、窓の外から聞こえてくるどっかのクラスがやっている体育のテニスの気だるげな打球音。
それらが混ざり合い、五月の生温かい空気となって教室の淀んだ天井へと昇っていく。
その教室の中で、白雪まつりは自分の席に座り、限界まで背中を丸めていた。
彼の席は、教卓から向かって最前列、廊下側のドアから数えて二番目という、最悪きわまる位置にあった。
最前列。それは教員の視線を真っ向から浴びる場所であり、同時に、廊下側のドアから吹き込んでくるクラスメイトたちの「視線の動線」の真上に位置する場所でもある。
およそ、ライトノベルの主人公たちが陣取るような「窓際の一番後ろの席」という、物語の特等席からは程遠い。真逆と言ってもよい席だった。
(全く、作者は何を考えているんだか……。こんな所じゃ、演出しにくくて、作画の手間ばかりかかる。シナリオ面、その他諸々、色んな所でコストも掛かるじゃないか……)
まつりは、誰にも聞こえない心の中で、そんな妙に冷めたメタ的な愚痴を溢していた。
もし、この現実が一編のアニメや小説の世界なのだとしたら、自分の配置は完全に「アニメ制作者泣かせ」のバグのようなものだ。
画面の構成上、これほど動かしにくく、地味で、おまけに見栄えの悪い配置はない。
最前列の、それも真ん中ではなく微妙に廊下側にズレた位置に主人公を置いてしまえば、彼をカメラのフレームに収めるだけで、その後ろに広がるその他大勢のクラスメイトたちの「作画コスト」にリソースが割かれてしまう。
周囲のクラスメイトたちにいちいち細かな動きをつけなければならず、演出上の構図としても全く美しくないのだ。
もっとも、まつり自身が「主人公」などではなく、「画面映えのしないモブ以下」のスペックなのだから、配置の美しさを論じること自体がナンセンスなのかもしれない。
まつりは、机の上に広げたノートの端に、細々と小さな文字で現代文の板書を書き写していた。
しかし、その文字すらもどこか歪んでいる。彼は自他共に認める、決定的な「不器用」だった。
手先が絶望的に悪く、文字を書けば線が震え、美術の時間のデッサンでは鉛筆の粉で画用紙を真っ黒に汚し、技術の時間の木工工作では、図面通りに切ったはずの板がなぜか数センチメートルも狂って、最終的にガタガタと激しく揺れる謎の物体を錬成してしまった。
要領が悪く、手先が悪い。
それは肉体的な運動能力全般にも及んでおり、先週の体育のサッカーでは、ただ転がってきたボールを蹴ろうとしただけなのに、ボールのトップを空振りして自分の足のもつれに躓き、そのまま顔面からグラウンドの砂利に突っ込んだ。
当然、クラスの男子たちからは失笑が漏れ、まつりはその場で耳まで真っ赤に染め上げながら、オドオドと謝ることしかできなかった。
自信のなさ。それこそが、現在の白雪まつりを構成する最大のシェルターであり、同時に彼を社会から隔絶する檻でもあった。
自信がないから、いつも周囲の目を怯えるようにして視線を低く落とす。自信がないから、肩をすぼめて猫背になる。
彼の前髪は、目元が完全に隠れるほどに長く伸びていた。散髪に行くタイミングを完全に逃しているのも理由の一つだが、それ以上に、この長い前髪が、周囲の鋭い視線から自分の冴えない顔を隠してくれる「カーテン」の役割を果たしていたからだ。
カーテンの隙間から覗く世界は、いつも灰色で、冷たい。
人付き合いが苦手。引っ込み思案。独りぼっち。
自分から誰かに話しかけるなんて、まつりにとっては富士山に手ぶらで登頂するよりも不可能なミッションだった。
クラスのグループ分けの時間が来ると、彼の心臓はドラムの早打ちのように激しく鳴り響き、結局誰の輪にも入れないまま、担任の教師から「じゃあ、白雪はあっちの余ったところに入れ」と、憐れみの混じった指示を受けるのが常だった。
完全に、クラスの中では浮いていた。いや、浮いているというよりは、そこに存在していない「透明人間」として扱われていると言った方が正しい。
そんな中、チャイムが鳴り響き、4時限目の現代文の授業が終了を告げた。
教師が教室を出て行った瞬間、それまで死んでいた空間が、一気に騒がしい熱を帯びて爆発する。
「ねぇ、今日の放課後カラオケ行かない? 新しく駅前にできたお店」
「行く行く! あ、その前にコンビニで新作のスイーツ買おうよ。SNSでバズってたやつ」
後ろの席の女子たちが、他愛のない世間話を大声で、机をくっつけ始める。
まつりは、その盛り上がりの中心から物理的にも精神的にも完全に遮断された最前列で、ただじっと、亀のように首を縮めて教科書を引き出しに片付けていた。
ただのコミュ症。それが、現実世界における彼の記号だった。
そんなまつりの背中に向けて、通りすがりの男子生徒が、わざとらしいほどに芝居がかった声で言葉を投げかけてきた。
「おい、そこの『白雪姫』。ちょっとそこ退いてくんね? 廊下出たいんだけど」
白雪姫。
その言葉が教室の空気に混ざった瞬間、周囲の数人がクスクスと小さな笑い声を漏らした。
前髪が長く、オドオドとして誰とも喋らず、最前列の隅でお城の奥深くに引きこもるようにして縮こまっている男。
名字が「白雪」だからという安直な発想と、そのあまりにも陰気で情けない佇まいへの当てつけとして、クラスの連中がいつの間にか定着させた、明確な皮肉とからかいの混じったあだ名だった。
普通の男子高校生であれば、「男に向かって姫ってなんだよ」と怒り狂うか、あるいは自尊心をズタズタに引き裂かれて不登校になってもおかしくない仕打ちだ。
しかし、まつりは違った。
彼は、長い前髪の奥で、誰にも気づかれないようにそっと、小さな、けれどどこか満足げな笑みを唇の端に浮かべていた。
「あ……ご、ごめん。今、退くね……っ」
オドオドとした、いつもの頼りない声を作って椅子を引く。
男子生徒は「チッ、相変わらずノリの悪い奴」と吐き捨てるようにして廊下へ出て行ったが、まつりの胸の中には、不思議な高揚感が静かに満ちていた。
(白雪姫、か……うん。やっぱり、いい響きだな)
まつりは、そのあだ名を、心の底から気に入っていた。
クラスの連中がどんなに冷笑を込めて呼ぼうとも、まつりにとって「白雪姫」という言葉は、現実のドブ底のような日常から自分を切り離してくれる、唯一の美しい魔法の呪文だった。
お姫様。いつか、眩いばかりのドレスを身に纏い、世界中の視線を一身に集めて、華やかなスポットライトの真ん中で微笑む存在。
それは、彼が幼い日に夢見た、あの「VRアイドル」の姿そのものだった。
現実の自分は、要領が悪くて不器用で、誰からも顧みられない透明人間だけど、このあだ名で呼ばれている限り、自分の中に眠るあの「ドレスを着て歌いたい」という、密かな、けれど絶対に譲れない純粋な願望が、世界と微かにつながっているような気がしたのだ。
芯は強く、勇気がある。しかし、その勇気と行動力の発揮されるベクトルが、常人とは決定的にズレているのが、白雪まつりという少年だった。
学校が終われば、そこは彼にとっての「本当の戦場」へのカウントダウンが始まる場所だった。
終礼のチャイムが鳴り響くとクラスメイトたちが部活や放課後の遊びの計画に花を咲かせる。
「なぁ、お前昨日の深夜アニメ観た? アレのマジでヒロインの露出ヤバかったんだけど! マジでシコれるわー」
男子たちが、隠そうともしない露骨な性的な欲望。
まつりは、その盛り上がりの中心から物理的にも精神的にも完全に遮断された最前列で、ただじっと、亀のように首を縮めて教科書を鞄に片付けていた。
彼らと同じように、下品な冗談に声を上げて笑うことがどうしてもできない。
性的な話題を大っぴらに口にして盛り上がる男子たちのノリが、根が真面目で潔癖なまつりにとっては、どうしても生理的な恐怖に似た違和感を抱かせてしまうのだ。
だからこそ、彼は関わらない。関われない。
同時に、まつりは誰よりも素早く鞄を掴み、教室のドアをすり抜けた。
彼は一度も後ろを振り返ることなく、駅へと向かう下校路を早足で歩いていく。
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