雪結(ユキネ)   作:旧作

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第二十三話 「10円の檻」から覗く、三片目と四片目の運命

 

 

 

 

 大手の総合ホビーショップの最奥。薄暗い蛍光灯の光に照らされたその場所は、華やかな最新のトレーディングカードゲームが並ぶガラスケースの陰で、まるで時代の潮流から取り残されたかのような、独特の寂寥感を漂わせていた。

 

 

 

 

 

「コモン・ノーマルカード一律10円・詰め合わせ」

 

 

 

 

 手書きのマジック文字でそう乱雑に書かれた青いプラスチック製のストレージボックスは、まさにカードたちの終着駅、電子の繊維が打ち捨てられた「墓場」そのものだった。

 

 

 

 

 世間では、新進気鋭の次世代電脳アイドルゲーム『アイドル・コネクト(通称:アイコネ)』の第一弾食玩がどこもかしこも売り切れだと大騒ぎし、ネット通販では数万円のプレミア価格で大炎上している。

 

 

 

 

 だが、その狂乱の裏側で、目的の最高レアリティ(SSR)や現実ブランド提携のレア(R)だけを剥ぎ取り、不要となったブランドロゴのないハズレ枠を大量に処分していったプレイヤーたちの残滓が、この木製棚の上の檻の中に、何千枚、何万枚と地層のように積み重なっていた。

 

 

 

 

 白雪まつりは、周囲の喧騒から逃れるように深く下ろした漆黒の前髪のカーテンの奥で、そのプラスチックの檻を静かに見つめていた。

 

 

 

 パサ、パサ、パサ……。

 

 

 

 まつりの細く、繊細な指先が、ストレージボックスの中に隙間なく詰め込まれたカードの束を、一枚ずつ丁寧に、けれど流れるような手際でめくっていく。

 

 

 

 

 カードの表面に付着したウエハースの甘いココアの粉の匂いや、チップスのうすしお味の油分の気配が、微かに指先に伝わってくる。

 

 

 

 

 

 普通のプレイヤーであれば「またノーブランドのコモンか」「データ容量の無駄遣いだ」と吐き捨てて見向きもしないようなカードの羅列。

 

 

 

 

 しかし、データオタクであり、真に衣服の「形」とそのロジックを愛するまつりにとって、この場所はただのゴミ箱ではなかった。

 

 

 

 

(……みんな、高レアリティのステータス補正や、派手なホロ加工の美しさにばかり目を奪われている。でも、衣服の本質はそこじゃない。どんなに安い布地であっても、全体のシルエット、質感、そしてコーディネートの調和さえ完璧なら、それは最高級のモードへと昇華するんだ。だから……C(コモン)やN(ノーマル)でも良い……!)

 

 

 

 

 

 まつりは胸の中でそう強く呟き、指先のピッチを上げた。

 

 

 

 

 

 彼にとって、このストレージボックスの中に眠るカードたちは、決して価値のないハズレなどではなかった。

 

 

 

 

 

 それどころか、この膨大な電子の繊維の海の中には、一つも不要な物など、今のまつりには存在しなかったのだ。

 

 

 

 

 なぜなら彼には、すでに自宅のクローゼットに仕舞ってあるカードファイルに、あの幸運か悪夢か分からない引きによって獲得してしまった、インディーズブランド『スノー・ラビット』の『クラシカルバニートップス(SR)』という、圧倒的な存在感を放つ「純白のビスチェ」が存在しているからだ。

 

 

 

 

 

 あの最高級の、けれどあまりにも恥ずかしすぎる露出度を誇るトップスの魔力を完全に中和し、自らの内向的な精神を守るための「完璧な防御壁」となるパーツが、この10円の檻の中に必ず眠っているはずだ──。

 

 

 

 

 その確信が、一つの奇跡的な邂逅を引き寄せた。

 

 

 

 

「──っ、これは……」

 

 

 

 

 まつりの指先が、ある一枚のカードのフチに触れた瞬間、ピリッとした静電気のような直感が背筋を駆け抜けた。

 

 

 

 

 

 彼が慎重に引き抜いたそのカードは、紛れもなく、市場で「大ハズレのゴミ」として投げ捨てられていたノーマル(N)カードだった。

 

 

 

 カード名:『スタートダッシュ・ファーショートブーツ』

 

 

 レア度:N(ノーマル)

 

 スロット:【シューズ(足元フットウェア)】

 

 スタイル:【ラブリー系】

 

 タイプ:兼用コーデ(アバター1 / アバター2 共通)

 

 ブランド:ノーブランド(初期汎用モデル)

 

 

 

 

 

(……『スタートダッシュ・ファーショートブーツ』……!

 

 確か、『アイコネ』のサービス開始時の選べるログインボーナスの一つとして、公式から告知されている。

 

 

 だから、食玩のハズレ枠として大量にバラ撒かれた初期靴だ。だから誰も見向きもしないで、ここに山積みにされている……。でも、このデザイン……!)

 

 

 

 

 まつりは前髪の奥で目を凝らし、カードの表面に描かれたグラフィックの細部を凝視した。

 

 

 

 

 それは、バニーガールの定番であるエナメルのハイヒール。パンプスと呼ばれる物とは対照的な、ヒール。

 

 

 

 

 つまり、かかとの高さがほぼフラットに近い「2().()5()()()()」の白いショートブーツだった。

 

 

 

 

 足首のホールド感が強く、実用性を最優先した設計。そして何よりも、履き口の周囲。足首部分に、まるで本物のウサギの尻尾や冬の綿雪を思わせる、モコモコとした「白いフェイクファー」が贅沢にあしらわれていた。

 

 

 

 

 

(この足首のファーのボリューム感……! 僕が持っているスノー・ラビットのヘッドパーツ『アクティブ・ライブイヤー(純白のウサ耳)』のモデリングデータと、視覚的なシルエットが完璧にシンメトリーを描く。エナメルパンプスが持つ生々しい大人の色気を完全に中和して、小動物のような愛らしさとカジュアルさに変換できる、最高のフットウェアじゃないか……!)

 

 

 

 

 

 しかし、まつりは同時に、現実の男子高校生としての身体的な戸惑いも感じていた。スニーカーやローファーしか履いたことがない自分が、アバターを介してとはいえ、このような足首までふわりと包み込まれるフェイクファーのブーツを履くのだ。

 

 

 

 

 

 

(……歩いたことがないから、最初は絶対に戸惑うだろうな。足首が固定されて、なんだか内股になって歩き方に妙なクセがついてしまうかもしれない……)

 

 

 

 

 

 

 そんな一抹の羞恥心と不安が過ったが、まつりの指先は止まらなかった。このブーツが「アバター1・2兼用タイプ」であるという事実が、彼の背中を強く押した。

 

 

 

 

 

 

 だが、驚くべきパズルの連鎖は、これだけでは終わらなかった。

 

 

 

 

 

 

 まつりがそのブーツのカードを左手に保持したまま、さらにその奥の束へと指先を滑り込ませた、僅か数秒後のことだ。

 

 

 

 

 まるで最初からそこにあることが運命づけられていたかのように、今度は信じられない「ロゴ」を冠したコモンカードが、まつりの指先に滑り込んできた。

 

 

 

「嘘、だろ……? なんで、こんなところに……っ」

 

 

 

 

 まつりは思わず小さな声を漏らし、慌てて口元を袖で押さえた。

 

 

 

 

 ストレージボックスの泥泥とした底から引き抜かれたそのカードには、地味なグレーの枠線の中に、しかし明確に、あの新進気鋭のインディーズブランドの紋章が刻まれていたのだ。

 

 

 

 

 カード名:『ピュアホワイト・マットタイツ』

 

 

 レア度:C(コモン)

 

 

 スロット:【ボトムス(下半身タイツ)】

 

 スタイル:【ラブリー系】

 

 

 

 タイプ:兼用コーデ(アバター1 / アバター2 共通)

 

 

 ブランド:『スノー・ラビット』

 

 

 

(スノー・ラビットの、ボトムスカード……! レア度はC(コモン)。第一弾ウエハースの完全な『ハズレ枠』として、一部のガチ勢から『コンボの倍率が低くなるゴミカード』って言われて、ショップに大量に出回っていたやつだ……!)

 

 

 

 

 まつりの両手が、微かに震えた。

 

 

 

 

 

 カードのグラフィックに描かれていたのは、バニーガール特有の、あの肉感的で生々しい「黒の網タイツ」では断じてなかった。

 

 

 

 

 そこにあったのは、一切の肌の透け感を許さない、極めて高密度で厚手の「純白のタイツ」だった。

 

 

 

 

 光を完全に吸収する特殊なマット加工が施されており、バーチャル空間特有のギラついたエフェクトや、アバターの肌の輪郭を完全にシャットアウトする、絶対的な非透過性を誇るテクスチャ。

 

 

 

 

(これだ……! これなら、あの恥ずかしすぎるクラシカルバニートップスの、()()()()構造がもたらす下半身の過酷な露出を、物理的に、そして視覚的に完璧に相殺できる! バニーガール特有の網タイツを履くなんて、僕の羞恥心が絶対に拒絶していた。でも、この透け感のない厚手の純白タイツなら……露出度がゼロになるどころか、アバター全体のシルエットが、まるで冬の森に佇む『雪の精霊』のような、冷徹で神秘的な雰囲気へと昇華する……!)

 

 

 

 

 どちらもブランドなし、あるいは最低レアリティのコモンとノーマル。市場価値は、合わせてたったの「20円」。

 

 

 

 

 しかし、この10円の檻から覗く二枚のカードを手に入れた瞬間、まつりは自らの脳内で、恐るべきパズルが音を立てて、完璧に組み上がってしまったことを理解した。

 

 

 

 

【ヘッド】アクティブ・ライブイヤー(N) ⇒ 純白のウサ耳(感情によって動く)

 

 

 

【トップス】クラシカルバニートップス(SR) ⇒ 純白のビスチェ

 

 

【ボトムス】ピュアホワイト・マットタイツ(C) ⇒ 透けない白タイツ

 

 

 

【シューズ】スタートダッシュ・ファーショートブーツ(N) ⇒ 足首ファーの白ブーツ

 

 

 

(あ……。ああ、何てことだ……。揃って、しまった……。これで、4つの部位が、すべて『白(ファー)』と『スノー・ラビット(バニー・マットタイツ・ウサ耳) 』のドレスコードで統一されてしまったんだ……)

 

 

 

 

 それは、トップスの「純白のビスチェ」に対して、頭、脚、足元がすべて圧倒的な白さで埋め尽くされるという、奇跡的な『()()()()()()()()()()()』。

 

 

 

()()()()()()()()()』の完成を意味していた。

 

 

 

 

 

 ブランドロゴのないコモンやノーマルはコンボが繋がらないはずだ、と世間のプレイヤーは嘲笑う。

 

 

 

 

 だが、この『ピュアホワイト・マットタイツ』には最低レアリティでありながら『スノー・ラビット』のブランドロゴが刻まれている。

 

 

 

 

 そしてブーツはノーブランドだが、全体のラブリー系のスタイルと色彩が完璧に調和している。

 

 

 

 

 つまり、低予算でありながら、最も強力な【同色・対照色コンボ】(カラー・ハーモニー)の【モノクロームボーナス】のドレスコードを、実質的に成立させるだけの潜在能力が、この4枚のモザイク構造によって完成してしまったのだ。

 

 

 

 

(……結局、お母さんの言う通りになったんだ……)

 

 

 

 

 まつりは、手に持った2枚のカードを見つめながら、額から一筋の冷や汗が流れ落ちるのを感じていた。

 

 

 

 数日前、リビングで「未完成のドレスコードは精神的苦悶だ」「完璧な純白のコレクションのビジョンが見える」と絶叫し、リビングに雷鳴を轟かせていた母親の恵。

 

 

 

 

 

 彼女がスタイリストとしての本能で予言した通りの姿──完璧なトータルコーディネートとしての『バニーガール』の全貌が、今、まつりの手の中で具現化しようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 結局、自分は母の描いたファッショナブルな手のひらの上で、踊らされていたに過ぎないのではないか。

 

 

 

 

 

 

 いや、それ以上に恐ろしいのは、このカードたちをアバターに装着した瞬間、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だった。

 

 

 

 

 

 いくら露出をマットタイツで防ぎ、雪の精霊のようだと自己暗示をかけたところで、頭にウサ耳を乗せ、体にビスチェを纏った『アイドルアバター』の構造は、どこからどう見てもバニーガールそのものなのだから。

 

 

 

 

「……お母さんには、絶対に秘密にしないと……」

 

 

 

 

 まつりは、喉の奥から絞り出すような声で小さく呟いた。

 

 

 

 

 もし、この2枚のカードを10円ストレージから発掘したことが恵に知られたらどうなるか。

 

 

 

 恵はきっと、カードを汚物のように見つめながら、こう言い放つはずだ。

 

 

 

『私の傑作に、妥協の「お古」は一ミリも許さないわ。私は使わない。でも、まつりにそれを強要したりはしない。だから、使ってもいいけどさ』

 

 

 

 

 デザイナーとしてのプライドから、誰かが手放した10円のハズレ枠を混ぜることを拒絶する一方で、そのパーツがもたらす完璧なシルエットの調和に、スタイリストとして悶絶し、悔しがり、そして最終的には「アンタ、なんて悪魔的な低予算コーディネートを組むのよ!」と激しくまつりの肩を揺さぶって喜ぶに違いないのだ。

 

 

 

 

 そんな騒動に巻き込まれるのは、内向的なまつりにとって御免被る話だった。

 

 

 

 

 このカードは、あくまで自分だけの「秘密の防御壁」として、母の知らないところで静かに運用しなければならない。

 

 

 

 まつりは、10円玉二枚を財布から取り出し、震える手でセルフレジのカウンターへと向かった。

 

 

 

 チーン、という無機質な電子音が響き、2枚のカードがまつりの私物となった瞬間。

 

 

 

 バーチャルバニーガール『ラビ』誕生のための最後のパズルは、飢餓に喘ぐ電脳都市の片隅で、そして誰よりもそれを熱望していた母親の全く知らないところで、皮肉にも完璧に、そして最高にスタイリッシュに組み上がっていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 







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