雪結(ユキネ)   作:旧作

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第三十二話 骨格の調律、白ウサギのモデリング

 

 

 

「さあ、説明はここまで! リスナーという選択肢が消えた以上、フルダイブ機を持つ君たちが選ぶべきは【ライバー】か【プロデューサー】の二択だ! 二人の最初の役割を、今ここで選択してちょうだい!」

 

 

 

 ドルクトの甲高い宣告と共に、純白の空間がさらに眩い光を放ち、二人の眼前に二つの巨大なホログラム・ポートレートが浮かび上がった。

 

 

 

 

 一つは、少年の影を色濃く残す、中性的な少年型素体──【アバター1】。

 

 

 

 

 もう一つは、しなやかな曲線美を予感させる、大人の女性型素体──【アバター2】。

 

 

 

 

「……やっぱり、性別そのものは完全にロックされているんだね。現実の肉体ベースとリンクしている以上、骨格の根本的なジェンダー設定は変更不可か……」

 

 

 

 

 まつりは自身の目の前に浮かぶ【アバター1】のベースモデルを、電子の指先でくるくると回しながら呟いた。

 

 

 

 そこに映し出されているのは、現実の自分そのものだ。黒縁眼鏡をかけ、やや猫背気味で、華奢で頼りない少年の身体。

 

 

 

 今この瞬間も、彼はデフォルト衣装である薄手のトレーニングジャージを纏い、下は膝上まで露出したハーフパンツに運動靴という、何の変哲もない姿で立っている。

 

 

 

 

「……でも、背丈や、全体の骨格のバランスなら……かなり細部まで微調整ができるみたいね。これなら、私の理想とするカッティングを再現する余地はあるわ」

 

 

 

 

 隣で【アバター2】のベースモデルを操作していた恵が、静かに頷いた。

 

 

 

 彼女の眼前に浮かぶ女性型素体は、恵の現実の肉体よりもわずかに背が高く設定されており、そこに彼女自身の「理想の美学」を流し込む準備を整えているようだった。

 

 

 

「自分の姿を客観的に見るのは、なんだか……妙な気分だね。鏡を見ているのとは訳が違うというか、自分の魂が外側から自分を観察しているような……」

 

 

 

 まつりは、自分のアバターの手を握ったり開いたりしながら、VR特有の奇妙な乖離感に眉をひそめた。

 

 

 

 

「なんとなく、理解は出来るわ。自分の身体が『素材』としてそこに転がっているような違和感ね。でも、デザイナーというものは常に、人間を『美しい服を纏うための立体的なキャンバス』として捉える訓練をしているのよ。だからこそ、ここからが本番よ、まつり。そのキャンバスを、最高の一着を纏わせるための黄金比へと調律。チューニングするの」

 

 

 

 

 恵の瞳には、すでにデザイナーとしての狂気が宿っていた。

 

 

 

 

 ふと、まつりは何気ない疑問をドルクトに向けた。

 

 

 

 

「そう言えば、一つ聞きたかったんだけど。……なんで、アバターに眼鏡なんてデフォルトのアクセサリーを付けているの? 僕、現実ではかなり目が悪いから眼鏡をかけてるけど、ここ、フルダイブは視力を直接脳に投影しているんだよね? なら、視力矯正のためのレンズなんて必要ないはずだし、そもそもアバターにこんな余計な干渉物なんて……」

 

 

 

「あはは! 鋭いねぇ、少年!」

 

 

 

 ドルクトが空中をぴょんぴょん跳ねながら、まつりの顔に浮かぶ黒縁眼鏡を短い指でトントンと叩いた。

 

 

 

 

「言った通り、フルダイブ中なんだから視力の度は関係ないよ! でもね、これには二つの理由があるんだ。一つは、ユーザーが『眼鏡をかけていないと自分らしくない』という強い自己認識を持っている場合、それを強制的に外すと脳が『自分ではない』という拒絶反応を起こすから! 二つ目は……単純に、眼鏡というパーツがオシャレなファッションアイテムとして、アイコネの世界で大人気だからさ! 大丈夫、視界には何の影響もないし、ここだけのオシャレとして適応されるだけだよ!」

 

 

 

 

 

「なるほど……アイデンティティの保護と、ファッション性か。よくできてる」

 

 

 

 

 まつりは納得して、眼鏡をかけたままアバターの設定を続行した。

 

 

 

 彼が目指すのは、ただの美少年アバターではない。クローゼットの奥に隠された、あの至高のビスチェを纏うための「究極の容れ物」だ。

 

 

 

 

 まつりはホログラムのスライダーを、細心の注意を払って操作し始めた。

 

 

 

 

 彼は、自分自身の内向的な体躯という特徴をあえて活かすことに決めた。

 

 

 

 肩幅のスライダーを限界まで左へ。

 

 

 

 華奢で繊細な骨格へとモデリングを施していく。

 

 

 関節の太さを削り、手首を細くし、首筋から鎖骨にかけてのラインを、より滑らかで女性的な曲線へと変換していく。

 

 

 

 

(……そうだ。このラインなら、あのビスチェのレースが最も美しく映える。この鎖骨の角度なら、純白の布地が肌に吸い付くように馴染むはずだ)

 

 

 

 

 彼の脳裏には、インディーズブランド『スノー・ラビット』が世に放った『クラシカルバニートップス』のデータが、まるで設計図のように展開されていた。

 

 

 

 

 あの純白のビスチェは、少女の身体を最も美しく、儚く引き立てるために設計された、まさに魔法の一着だ。

 

 

 

 本来は女性型(アバター2)のために作られたシルエットだが、この細部まで計算し尽くした骨格調律を行えば、アバター1の躯体であっても、その衣服の持つ「脆さと美しさ」を完全に引き出すことができる。

 

 

 

 

 まつりは髪の色をパレットから純粋な【白。ホワイト】へと変更した。画面上の少年が、雪のように真っ白な髪へと染まる。

 

 

 

 続いて瞳の色彩を、鮮烈で攻撃的な【赤。レッド】へとスライドさせる。

 

 

 

 

 その瞬間、ホログラムの中に浮かんでいた少年は、現実のただの暗い少年とは似ても似つかない、どこか異界の気配を纏った、透き通るような白ウサギのような容貌へと変貌を遂げた。

 

 

 

 

「──雪兎ね」

 

 

 

 

 横で自分のアバターを調整していた恵が、ふと手を止めてまつりのアバターを眺め、静かな声で呟いた。

 

 

 

 

 それは、彼女がかつてまつりのクローゼットでその名を見た、あのブランドの呼称そのものだった。

 

 

 

 

 まつりは、完成した自分の新しい姿を、ホログラム越しにじっと見つめ返し、小さく微笑んだ。

 

 

 

 

「……正解。お母さん」

 

 

 

 

 彼は確信していた。

 

 

 

 この姿であれば、この世界で誰にも見つけられず、誰にも邪魔されることなく、ただ自分だけの表現を追求できる。自分を自分たらしめる、完璧な「雪兎」という名の記号。

 

 

 

 まつりの心の中で、現実世界の重圧や、カードが買えないという焦燥感、そして周囲の視線から常に逃げ惑っていたあの弱気な自分は、この純白のモデリングの向こう側へと切り離された。

 

 

 

 

 

 ここにいるのは、もう現実の白雪まつりではない。

 

 

 

 

 ただの美少年でもなければ、ただの少年でもない。

 

 

 

 

 ──この電脳世界における、最初の『ラビ』の萌芽が、今ここに誕生しようとしていた。

 

 

 

 

「さて……」

 

 

 

 

 まつりは、アバターの仕上げとして、初期装備のジャージの袖を少しだけ捲り上げた。

 

 

 

 

 白く細い手首が露出する。

 

 

 

 

 その肌の質感すら、システムは驚くほど精巧に生成している。

 

 

 

 

 彼は、これから自分が纏うこととなる『クラシカルバニートップス』の純白のビスチェを、この新しい身体で着こなすイメージを脳内で何度も反復した。

 

 

 

(お母さんの隣で、僕はこの姿で、一番輝く歌を歌うんだ。誰にも汚されない、僕だけの雪の場所で)

 

 

 

 恵もまた、自分のアバターの調整を終えようとしていた。

 

 

 

 

 彼女の手つきは、まるで彫刻家のように迷いがなく、それでいて情熱的だった。

 

 

 

 

 彼女が選んだのは、大人びた女性のシルエットに、冷徹なまでの気品を漂わせる黒いロングヘアの設定。

 

 

 

 

 彼女はすでに、自分のアバターを『シャドー・ペトリ』という黒の鎧を纏わせる準備が整っているようだった。

 

 

 

 

「ねえ、まつり」

 

 

 

 

 恵が、少しだけ声を柔らかくして言った。

 

 

 

 

 

「その骨格のライン、本当に素晴らしいわ。……まるで、神様が作ったような、無駄のないシルエットよ。……その姿に、私の選んだ衣装と、アンタの選んだそのビスチェが揃えば、きっと、このアイコネのトレンドなんて簡単に塗り替えられるはずよ」

 

 

 

 

「……ありがとう、お母さん」

 

 

 

 

 二人は顔を見合わせ、そして同時に、ホログラムパネルの『設定完了』ボタンへと指をかけた。

 

 

 

 

 白き空間の中に、まつりの雪のような髪が、ホログラムの光を反射して輝いている。

 

 

 

 

 それは、これから始まる熾烈で美しい戦いの、まさに序章に過ぎなかった。

 

 

 

 

 この時、二人はまだ知る由もなかった。

 

 

 

 

 この「骨格の調律」という行為が、将来的にこの電脳世界における「神のドレスコード」のあり方そのものを、根底から覆すことになるとは。

 

 

 

 そして、まつりがこだわり抜いたその細やかな調律こそが、伝説の始まりだったのだということを。

 

 

 

 

 システムのカウントダウンが、静かに進んでいく。

 

 

 

 

 まつりは、この新しい身体で、大きく一度だけ息を吸い込んだ。

 

 

 

 

 肺の中に空気がないにもかかわらず、自分の身体が、今までのどの身体よりも軽く、自由であることを感じていた。

 

 

 

 

「準備はいい、お母さん?」

 

 

 

 

「ええ、もちろん。いざ参りましょう、私たちのランウェイへ」

 

 

 

 純白の空間が、次のステージへと誘う光の扉を開き始める。

 

 

 

 雪兎の赤く輝く瞳が、その光の先にある無限の可能性を、まっすぐに見据えていた。

 

 

 

 

 

 

 







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