雪結(ユキネ)   作:旧作

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第八話 重複するコンボ、重なる「色々(カラー)」

 

 

 

 

 五月の朝の凍てつくようなビル風は、相変わらず赤レンガの広場を容赦なく吹き抜けていた。

 

 

 

 白雪まつりの手の中で、五・五インチのスマートフォンの画面だけが、冷たい現実の色彩から切り離されたように鮮やかな電子の光を放ち続けている。

 

 

 

 

 一画面をゼロ距離で覗き込む母・恵との距離は、もう数センチメートルもなかった。トレンチコートのハニーベージュと、カーディガンの純白が、境界線を無くすようにぴったりと密着している。

 

 

 

 恵の髪から漂う、凛とした、けれどどこか甘い柑橘系の香水が、冷えた空気の中でいっそう鮮烈にまつりの鼻腔を満たしていた。

 

 

 

 学校の教室では机の上の消しゴムが落ちただけでパニックになるほどのコミュ症であるまつりだったが、画面の向こうで繰り広げられる『アイコネ』の深淵なシステムを前にして、もはやその気恥ずかしさすらも忘れて、ただただ電子の光に目を奪われていた。

 

 

 

 画面の中の公式マスコット、二頭身のウサギ型ロボット『ドルクト』が、短い手足で大げさに宙を転がりながら、いよいよチュートリアル動画のクライマックスへと突入する。

 

 

 

『さあさあ! ここからが本番だよ、未来のトップアイドル諸君! カードを集めるのが大変そうって思ったそこの君、諦めるのはまだ早い! アイコネのステージはね、ただ単に高いカードを並べれば勝てるっていう単純な世界じゃないんだ! 5つのコーデパーツを! 限られた衣装でどう組み合わせるか──それによって、爆発的なシナジーを生み出す【3つのコンボ条件】が存在するんだよ!』

 

 

 

 

 ドルクトの声が一段と甲高く響き、画面の背景に巨大な三つのスロットマシンのような光の輪が出現した。

 

 

 ドクン、ドクンと、重低音のシステム音がスマートフォンの小さなスピーカーから響き渡る。

 

 

 隣で覗き込む恵の身体が、その音に合わせるように微かに緊張したのが、密着した肩を通じてまつりにも生々しく伝わってきた。

 

 

 

『まず一つ目! 【同系統コンボ】! その名もカテゴリー・シンクロ』

 

 

 

 画面上に、先ほど説明された5大系統のアイコンが並ぶ。

 

 

 

『ヘッド』『トップス』『ボトムス』『シューズ』『アクセサリ』の5つの部位。そのすべてを、同じ系統の属性だけで完璧に統一した際、画面いっぱいに『SYSTEM SYNC!!』というド派手なエフェクトが炸裂した。

 

 

 

『例えばね、全身を最高級の【セレブ系】のアイテムだけで5箇所すべて固めると、基本ステージパワーに強烈な倍率ボーナスが付くんだ! 王道のラブリーで揃えれば可愛さの暴力、スタイリッシュなクールで揃えれば冷徹な支配力が、ベース値を超えて跳ね上がるよ!』

 

 

 

「ふむ……まずは全体のテイスト。まつりにも、わかりやすく言うなら統一感ね。

 

 アパレルでも、ストリート系に一本だけクラシックなハイヒールを混ぜるような上級者テクはあるけれど、基本はテーマを絞った方が全体のメッセージ性は強くなる。ゲームのルールとしても極めてスマートだわ」

 

 

 

 恵が納得したように小さく呟く。その言葉は完全に「服を評価するプロ」のトーンだった。

 

 

 まつりは「うん」と頷きながら、画面の次なる展開を促すように画面を見つめる。

 

 

 

『続いて二つ目! さらにディープな美学の証明、──【同ブランドコンボ】! その名もレーベル・ソリッド!』

 

 

 ガシャン、と二つ目の光の輪が固定される。画面に映し出されたのは、昨日恵の目の色を一瞬で変えさせた、あの歴史ある老舗モードメゾン『シャドー・ペトリ』の格式高いロゴマークだった。

 

 

 

『アイコネに参入している現実の有名ブランドたちは、それぞれ独自の『デザイナーの魂』を持っているんだ。だから、ヘッドからシューズ、アクセサリに至るまで、すべてを同じブランド……例えば全身を【シャドー・ペトリ】という一つのレーベルだけで固めると、系統コンボとは全く別の『ブランド固有ボーナス』が発動するんだよ! 特別な光のエフェクトがステージに顕現したり、観客のペンライトを強制的にそのブランドのイメージカラーに変えてしまうような、圧倒的な演出権が手に入るんだ!』

 

 

 

 

「……ブランドの統一。フルルックね。モードのランウェイにおける絶対の正装ね」

 

 

 

 恵の呟きが、先ほどよりも一段と低く、重いものに変わっていく。

 

 

 

「デザイナーがそのシーズンのために作り上げた完璧な世界観を、頭の先から足の先まで一切の妥協なく身に纏う。それはファッションにおける最高の贅沢であり、最も強力な意思表示だわ。ゲームの開発陣に、本物のアパレル人間の思想が混ざっているのは間違いないわね。データだからって、適当な着せ替え人形で終わらせる気がないのがよく伝わってくる」

 

 

 

『そして最後! 三つ目は誰にでもチャンスがある、ビジュアルの魔法! ──【同色・対照色コンボ】! カラー・ハーモニーだよ!』

 

 

 バババババン、と画面が目まぐるしく色彩を変え、最終的に鮮やかな原色と補色のカラーチャートへと変化した。

 

 

 

『これはとっても直感的! 衣装の『色』の組み合わせによって発生する特別なボーナスなんだ! 例えば、5箇所すべてのパーツを【白】っていう一つの色だけで完璧に染め上げる単色、『モノクロームボーナス』! これを発動させると、純白の無垢な輝きがステージの視線を独占しちゃうんだ! それだけじゃないよ。同系色のグラデーションでまとめたり、あるいは赤と緑、青とオレンジみたいに、色彩学における『対照的な色(補色)』を2:3や1:4の比率で美しく組み合わせると、クリエイティブな表現として二色、『バイカラーボーナス』が加算されるんだ!』

 

 

 

 カラーチャートの円がぐるぐると回転し、色の組み合わせが美しく調和するたびに、画面の中でデジタルな花火が打ち上がっていく。

 

 

 

 その時だった。

 

 

 

 画面の中のドルクトが、短い手を腰に当て、カメラ目線でフンスと鼻を鳴らすような仕草を見せた。

 

 

 

『どうだい? 色の組み合わせは無限大! ──()()()()、これは色々(色色)あるよ! ()()()にね!』

 

 

 

 静寂が、白雪親子の間に流れた。

 

 

 

 五月の朝のリアルな寒さとは、全く質の異なる「極低温の寒気」が、スマートフォンの画面から染み出してきたかのような錯覚さえ覚える。

 

 

 

 ドルクトは画面の中でドヤ顔を決めたまま、エフェクトのキラキラした星を散りばめているが、それが余計にシュールさを際立たせていた。

 

 

 

「……親父ギャグ」

 

 

 

 恵の口から、氷点下の呟きが漏れた。

 

 

 

 彼女の美しい横顔から、先ほどまでのクリエイティブな熱気が一瞬で綺麗さっぱり消え失せ、完全な「無」の表情へと変わっている。

 

 

 

 アパレルの美学や世界の配慮に対してはあんなに深い知性を見せていたのに、このあまりにも古典的で安直な言葉遊びに対しては、一ミリの慈悲も与える気がないようだった。完全に引いている。

 

 

 

 

 その様子を横目で見ていたまつりは、心の中で、どこか遠い記憶の引き出しをそっと開けていた。

 

 

 

(……◯ずやと同じく、二回目言った……)

 

 

 

 まつりは思った。

 

 

 

 有名な健康食品のテレビCMで、全く同じフレーズを二度繰り返して念押しするあの演出。

 

 

 

 画面の中のドルクトが「色だけにね」とわざわざ二回目を口にした瞬間、まつりの脳裏にはあのサプリメントのCMのテンポが完璧にフラッシュバックしていたのだ。

 

 

 

 大真面目な顔で二度言うことによって、滑った空気のダメージが倍加していることに、あの公式マスコットは気づいているのだろうか。

 

 

 

 しかし、そんな底冷えするような駄洒落の直後、スマートフォンの画面に表示された一行のテキストと、ドルクトの次の一言によって、白雪恵の瞳の奥の「色」が、再び劇的に跳ね上がった。

 

 

 

 

『──でも、ここからが本当の超超超・重要ポイント! この3つのボーナスは、すべてスタック! それ即ち、『()()』するんだよー!』

 

 

 

「なっ……!?」

 

 

 

 恵の身体が、ドクンと大きく跳ねた。密着していた肩から、彼女の心臓の鼓動が高鳴るのを感じるほどだった。

 

 

 

 彼女の目は、文字通り「ガチのアパレル人間の、獲物を仕留めるハンターの目」へと完全に変貌していた。トレンチコートの襟を握る指先に、微かに力がこもる。

 

 

 

『そう! 条件さえ満たせば、3つのコンボは同時に全部発動しちゃうんだ! 例えば……【セレブ系】の属性を持ち、最高峰ブランドである【シャドー・ペトリ】がデザインした、全身漆黒の【黒いアイテム】で5箇所すべてのスロットを完璧に固めたとするよね? そうすると……『系統』『ブランド』『単色』の3つの最強ボーナスが、数式のように掛け算で重なり合って、とんでもない破壊的なステージパワーを叩き出すことができるんだ! これこそが、アイコネの戦場を釘付けにするための、勝利の調和! 究極の『ドレス・コード』だよ!』

 

 

 

 画面の中のドルクトが熱弁を振るい、三つのコンボが重なり合った瞬間の、桁外れの数値がシミュレーションとして画面上に跳ね上がっていく。

 

 

 

「……重複、する……。すべてが、同時に……!」

 

 

 

 恵はスマートフォンの画面を凝視したまま、もはや呼吸を忘れたかのように固まっていた。

 

 

 

 彼女の脳内では今、長年アパレルの最前線で培ってきた、膨大な「衣服の知識」と「コーディネートの計算式」が、もの凄い速度で回転を始めていた。

 

 

 

(もし、手持ちのカードが少なくて、バラバラの底辺だったとしても……。同じブランドのコンプリートセットなんていう、お金持ちしかできない贅沢な揃え方ができなかったとしても、このルールの隙間を突けば……!)

 

 

 

 アパレル人間の思考は、ゲームの仕様を、全く別の角度から理解し始めていた。

 

 

 

 普通のプレイヤーは、「同じブランドを5枚揃える」か、「同じ系統を5枚揃える」という、分かりやすい一面的なコンボを目指すだろう。しかし、本物のコーディネーターである彼女の目には、その組み合わせの「網の目」が見えていた。

 

 

 

(あえてブランドの統一を崩しても、色相環(カラーチャート)の補色関係を利用して『二色ボーナス』を最大値で発生させ、そこに異なるブランドの『クール系』を絶妙なバランスで配置すれば、ブランドコンボを犠牲にしてでも、系統ボーナスと色彩ボーナスを極限まで尖らせることができる……! 衣服の持つ『色』の視覚効果と『形』の調和を知り尽くしていれば、カードのレアリティという資本の暴力を、純粋な『着こなし』の技術だけで、MIXスタイルを叩き潰すことができるんじゃないかしら……!?)

 

 

 

 恵の脳内で、バラバラだったパズルのピースが、破壊的なチート能力の計算式へと美しく組み上がっていく。 

 

 

 

 彼女の頬は興奮で微かに上気し、その美しく洗練された横顔には、現実の退屈なパート主婦としての顔ではなく、流行という名の戦場を支配してきた一人の「表現者」としての、不敵で、最高に魅力的な笑みが浮かんでいた。

 

 

 

『それじゃあ、今回のアイコネ講座・コーデ編はここまで! みんな、自分だけの最強の調和! シンフォニーを見つけてね! またねー!』

 

 

 

 ドルクトが画面の向こうで軽快に手を振ると、パッと光が消えるように、スマートフォンの画面は暗転した。

 

 

 

 黒い液晶画面には、前髪を長く伸ばした猫背の少年と、その隣で信じられないほどギラギラとした目をしている美しい母親の、対照的な二人の顔が映し出されていた。

 

 

 まつりは、小さく息を吐いてスマートフォンをポケットに仕舞い、それからゆっくりと周囲を見渡した。

 

 

 ──列は、依然として、本当にただの一ミリも、進んでいなかった。

 

 

 五月の冷たい朝の空気は相変わらずで、周りの群衆も凍えたまま微動だにしない。

 

 

 動画を見終えて、自分たちの頭の中には新世界の概念がこれでもかと叩き込まれたというのに、現実の世界の時間だけは、まるで接着剤で固定されたかのように、遅鈍で、退屈なままそこに取り残されていた。

 

 

 

 けれど、まつりは知っていた。

 

 

 

 自分のすぐ隣にいる母親の胸の中で、今、世界を揺るがすほどの巨大な導火線に、完全に火が点いてしまったということを。

 

 

 

 液晶画面が暗転した現実の寒さの中で、恵の瞳だけは、まだ見ぬ電子のステージの熱狂を捉えたまま、爛々と輝き続けていた。

 

 

 





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