イゼルローンの話   作:シロン茶

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舞台版も何も観てないので、ほんとのヒンターフェザーン事件を知らないです。全部妄想です。



序章 とある殺人事件の話

ファイルは保存形式が帝国様式のままの、七年前の記録だった。

 

帝国軍保安部イゼルローン支局・特別事案第七三四号。

キャゼルヌは背もたれに体重を預けたまま、ゆっくりと読み進めた。端末の青白い光が、彼の疲れた顔を照らす。

 

被害者
フーゴー・ベルナー 年齢五十八歳

歓楽街第四区画において酒場三軒、劇場一棟、簡易宿泊施設を経営。
軍需物資の下請け納入実績あり。商業組合複数で役員を務める。

死因:複数刺創による失血死。
発見場所:自宅兼事務所(劇場街裏手)

 

ルイーズ(仮)年齢二十五歳前後

士官用酒場ヒンターフェザーンで歌手。

本名不明。

死因;頸部を切られ失血死。

発見場所;店の所有するアパルトマンのバスルーム

 

「ただの殺人事件か……」

キャゼルヌは小さく鼻で笑った。

有力者だ。軍人相手の商売人でありながら、歓楽街の顔役。こういう人間が死ねば、必ず「軍紀への影響」「要塞の名誉」が優先される。上層部からの指示は予想通りだった。

迅速解決。軍紀への悪影響を最小限に。要塞司令部の名誉を損なうな。報道統制を実施せよ。

どこの組織も同じだ、とキャゼルヌは思った。真実など二の次。管理こそがすべて。

だが、やがてキャゼルヌの指が止まった。

 

担当捜査官
ウォルフガング・ミッターマイヤー 中尉

 

キャゼルヌはわずかに眉を上げた。当時の階級で言えば、まだ「双璧」と呼ばれる前の、ただの優秀な青年士官。

 

 

---

 

七年前――帝国暦四八〇年。

 

歓楽街の顔役ベルナーが殺害された。それが三日前である。

新任のウォルフガング・ミッターマイヤー中尉は、着任早々「治安維持」という名の捜査を押し付けられ、部下たちと奔走していた。

 

そして先ほど、ベルナーの店に所属していた歌手ルイーズが、店の所有するアパルトマンの一室で遺体となって発見された。死亡推定時刻はわずか二〜三時間前。ミッターマイヤーは関連を疑い、部下に調査を命じた。

 

そこへ、憲兵に伴われてオスカー・フォン・ロイエンタール中尉が現れた。

 

「……ロイエンタール中尉、昨夜はどちらに?」

 

憲兵の詰問に、オスカー・フォン・ロイエンタールは片眉を上げた。

 

「どこに、とは?」

 

「歌手ルイーズが遺体で発見されました。店の者たちの証言では、あなたが彼女を伴って店を出たと」

 

「ああ。昨夜ならその女のところに泊まっていたが?」

 

あまりに平然とした返答に、憲兵たちは一瞬言葉を失った。

 

ミッターマイヤーが思わず振り返る。

 

「おい、ロイエンタール中尉……」

 

「何だ、ミッターマイヤー中尉。私は昨夜、彼女の部屋で寝ていた。それは事実だ」

 

ダークブラウンの髪の貴公子は肩をすくめ、淡々と続けた。

 

「だが、彼女が殺されたのは私が出た後だ。まだそんなところを調査しているのか。無能だな。だいたい俺が犯人なら、こんな雑な仕事はしない」

 

冗談とも本気ともつかない冷たさが、その声音にはあった。

 

憲兵たちは端末を操作し、データを確認する。

ロイエンタールが言うとおり、死亡推定時刻にはすでに司令部周辺をうろついていたことが記録されていた。

 

アリバイは完璧に成立していた。

 

疑いが晴れた男はふふんと笑い、当然のように捜査に加わってくる。

 

「……お前、完全に好き勝手やってるだろ」

 

ミッターマイヤーが小声で言うと、異色の瞳が細められた。

 

「私は“容疑者”だぞ。協力するのは当然だろう?」

 

「協力って顔じゃないだろ、どう見ても……」

 

そのまま捜査に着いてきた男を、蜜色の髪の中尉はため息一つで許してしまった。

 

通称「第四」と呼ばれる歓楽街で、ベルナーは顔役として君臨していた。

ここは一般兵士向けの娯楽地帯であり、きらびやかで猥雑な一帯だった。

 

イゼルローンの住宅エリアは人工的に昼夜を作っているが、この区画はいつも夜であり昼だった。

 

「本当に要塞か、ここは」

 

ミッターマイヤーは眉をひそめた。

 

「最前線の緊張感など欠片もない」

 

路地には酔った兵士が溢れ、女たちが笑い、客引きの声が飛び交う。

どこかの店から安っぽい楽団の演奏が流れてくる。

帝国と同盟の命運を左右する最重要拠点とは思えなかった。

 

「お前は今ごろ気付いたのか」

 

隣を歩くロイエンタールが片方の口角を上げた。

 

「私は赴任初日に悟ったぞ」

 

異色の瞳が歓楽街の灯を映す。

 

「人間が集まれば泥が溜まる。内地も辺境も変わらん」

 

二人は劇場街の裏手にある事務所へ向かった。

すでに憲兵たちが現場を封鎖している。

 

彼らは二人の姿を見て一瞬戸惑い、背の高いロイエンタールへ敬礼した。

 

ミッターマイヤーは顔をしかめる。

 

「担当は俺だ」

 

慌てて敬礼し直す憲兵を横目に、ロイエンタールは小さく笑った。

 

「現場保存はまだ続いているのか?」

 

「鑑識作業は完了しております。ご指示があれば継続します」

 

「被害者のデータをもう一度くれ。フーゴー・ベルナー。五十八歳。くらいしか聞いてない」

 

憲兵の一人が資料を差し出した。

 

「酒場三軒、劇場一棟、宿泊施設を経営しております」

 

「歓楽街の顔役というやつか」

 

「それだけではありません」

 

憲兵は言葉を選ぶように続けた。

 

「これがベルナーの帳簿です。パスワードは解除できています」

 

単独メモリー式の帳簿だった。見ていくミッターマイヤーの手が止まった。

 

「孤児院?」

 

蜜色の髪をかいて、若い中尉は理解しようとする。

 

「診療所」

 

次の頁。

 

「配給融通?」

 

また次。

 

「葬式と見舞い?」

 

また次。

 

「学校?」

 

思わず顔を上げた。

 

「何だこれは」

 

憲兵が肩をすくめた。

 

「この辺りの住民はベルナーを『市長』と呼んでいました」

 

「市長だと?」

 

ミッターマイヤーは吐き捨てた。

 

「ここは軍事要塞だぞ」

 

「公式にはな」

 

ロイエンタールが静かに言った。

 

「だが現実には街があり、人が生きている。行政システムが存在しないなら誰かがその代わりになるしかあるまい。……だが、この『市長』のもう半分の顔を見ろ、光が強ければ、影もまた深い」

 

ミッターマイヤーは頁を進めた。

そこに並んでいたのは別の数字だった。

 

高利貸し。

 

軍需物資の横流し。

 

賄賂。

 

用心棒への支払い。

 

身内への制裁金。

 

「……」

 

黙り込んだ男に、ロイエンタールは淡々と言った。

 

「民にパンを配る者は、同時に首輪も握るということだな。それよりも、この子どもたちに戸籍がないとしたら、問題になるのは……」

 

「……徴兵逃れか」

 

「建造当時から住み着いた住民の子どもなら、もう二十歳を越える」

 

ミッターマイヤーは唸る。

 

「この要塞には本当はいったい何人住んでいるんだ?」

 

憲兵は、各店からの届け出は毎年監査がある、とだけ答える。

 

「それだけ?」

 

ミッターマイヤーは目を剥いた。

 

「そんなバカな。軍事要塞だぞ。貴族の私有地ならいざ知らず」

 

「首都オーディンの奴らには同じようなものさ」

 

ロイエンタールが皮肉げに口を曲げた。

 

 

 

 

その日の午後。

二人はベルナーの店を訪れた。

店は営業していたが、客は少ない。

誰もが様子を窺っている。

カウンターの奥で年配の女が酒を飲んでいた。

 

「ベルナーの代わりは決まったのか」

 

ロイエンタールが尋ねる。

 

女は鼻で笑った。

 

「決まるわけないだろ。あの人が死んで三日だよ」

 

「随分慕われていたようだな」

 

視線が店内を横切る。

皆、黙って耳を傾けている

 

「慕われてたさ」

 

女は即答した。

 

「搾取もされたけどね」

 

「どっちなんだ」

 

「両方だよ、軍人さん」

 

女は肩をすくめた。

 

「あの人がいなきゃ食えない奴が大勢いた。今年は子どもがたくさん死ぬかもねえ」

 

ミッターマイヤーは言葉を失った。ロイエンタールが聞いた。

 

「この辺りに何人住んでいる」

 

「知らないね」

 

「おおよそでいい」

 

「さあ。聞いてるのは昼間の人数かい?夜の人数かい?登録済みかい?住み込みかい?」

 

ミッターマイヤーは眉を寄せた。

 

 

 

事件の真相は、若いミッターマイヤーの正義感を打ち砕くに十分だった。

ベルナーは、ある上級貴族による軍需物資の巨額横領の証拠を握り、それを盾に歓楽街の自律権を拡大しようとしたために「口封じ」された。

犯人はプロの暗殺者ではない。貴族に命じられた軍の保安部――つまり彼ら自身の身内だった。

 

歌手ルイーズの部屋からは、本来あるはずのない、内地の名門貴族の私的刻印が入った貴金属が見つかった。

 

「これ以上の捜査は不要である。事案は強盗殺人として処理せよ」

 

上層部から届いた理不尽な命令書を前に、ミッターマイヤーは拳を血がにじむほど握りしめた。

激昂しようとする彼の肩を、ロイエンタールが静かに、しかし抗いがたい力で押さえた。

 

「やめろ、ミッターマイヤー中尉。これ以上踏み込めば、消されるのは我々の方だ」

 

こうして二人の若き中尉は、深い泥をかぶる形で捜査を終結させられた。

正義は沈黙し、ベルナーの帳簿も事件も綺麗に消え去った。――あのヤン・ウェンリーが要塞の全システムを書き換えるその日まで。

 

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