ようこそ理想の遺伝子を求める教室へ   作:さんぱうろ

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孤高の種Ⅲ

 

「君からどうぞ」

 

 フードの男は、挑発的に俺を手招いている。

 

 オレの頭には、先程の男の動きがまだ残っていた。

 極めて理性的でかつ、全く無駄がない。根本的に動物として格が違う動き。

 

 しかし──負けるとは微塵も思わない。

 

「何者か知らないが、手を引いてもらえるか?」

「そんな悠長なことを言ってると、彼女を攫って逃げちゃいますよ」

 

 言って、男が堀北の肩に手を伸ばす。

 

「この……離しなさい!」

「綺麗な指ですね。このしなやかな筋繊維の感触……たまらないな……。ちょっと爪の先を食べてみてもいいですか?」

「ひっ……」

「怖がらないでください。爪切りと一緒です」

 

 交渉の余地なしか。

 この異常者と相対して、流石に堀北を見捨てるわけにはいかない。

 

 オレには長年積み上げてきた戦闘技術がある。どんな相手でも、間合いを読んで、対応できる自信があった。

 一歩、踏み出す。

 

「おや」

 

 俺に応じて、男も動いた。

 

 最初の接触は一瞬だった。オレが踏み込んだ瞬間、男がわずかに体の軸をずらした。しかしそのわずかなずれが、オレの重心をを狂わせる。

 拳を突き出すも、力が空を切る感覚だけが残った。

 オレが次の手を出そうとした瞬間には、すでに男の位置が変わっている。

 

「?」

 

 不思議な身のこなしだ。

 陽炎のように揺蕩い、オレに定型を察知させない。

 

 オレの動きは、その全てが技術と経験で裏打ちされたものだ。

 長年の訓練が身体に染み込んでいるため、相手の型を見れば次の動きが分かる。しかしこの男には、型がない。型がない人間の動きは、本来なら読みやすいはずだ。次に何が来るか予測できないのは、型があるからこそ先読みされるのであって、型がなければ逆に対応しやすい。

 

 しかしこの男は違った。

 

「いくつか、武術の心得があるようですね」

「……お前はないみたいだな」

 

 型がないのは、この男に技術が搭載されていないからだ。

 

 これは存外、恐ろしい事実でもある。恐らく戦闘訓練など微塵も詰んでいないであろうこの男は、本能と直感、あるいはそれに等しい速度の思考でその強さを演出しているのだ。

 

 続けて、二度目の接触。

 オレが間合いを詰めた瞬間、男の腕がオレの軌道に割り込んだ。力は籠っていない。ただ、最適な位置に、最適なタイミングで、腕があった。それだけでオレの攻撃は死んでしまう。

 

 今度はオレが間合いを外した。

 距離を取って、仕切り直す。男は追ってこない。ただ何事も無かったかのように立っている。息も乱れていない。

 

 そのとき、男の背後で気配が動いた。

 

 堀北だ。

 合気道の心得がある、と言っていたな。確かに、踏み込みの角度が素人ではない。しかし──。

 

「君の出番ではありませんよ、鈴音」

 

 男が振り返りもせずに右手を動かした。

 堀北の手首が軽く捌かれた。それだけで、堀北の体勢が崩れてその場にしゃがみ込む。

 

「……っ」

 

 堀北が声を飲んだ。

 背後からの攻撃を、見ることなく対応した。

 

 絡め手が必要だ。

 オレは環境を使うことにした。

 

 体育倉庫の壁に向かって動くと、男がついてくる。

 壁を背にした瞬間、オレは壁を蹴って跳んだ。上から角度を変えて──男の首の裏をめがけて、蹴りを回し入れる。

 

 だが、男がわずかに肩を動かすだけで、オレの軌道がまた死んだ。

 

 環境変数も織り込んで対応してくるか。予想通りだ。

 

 着地した瞬間、オレは右の関節を意図的に外した。これによって通常よりも可動域が広がる。人間の関節が動くはずのない角度から、攻撃を繰り出した。

 

「おっと」

 

 入った。

 拳を通じて、確かな感触が伝わってくる。

 男はこれまでのように力を流すような動作ではなく、真正面から攻撃を受け止める体勢を取っている。

 男の動きが、一瞬だけ止まった。

 オレはその隙に追撃をしかける──のではなく、更に距離を取ることにした。

 

 関節を外した攻撃は、一度は通じた。しかし二度目は通じないだろう。あくまで一時の目くらましだ。

 この男は、一度見た動きを次には対応してくる。型がないからこそ、見たものをその場で吸収して、最適解を更新していく。

 

「──強すぎますね、君」

 

 呟いたのは、男の方だった。

 正直、俺も同様の感想を抱いている。

 しかしこの先に続く言葉は、俺の胸中とかなり離れているものだった。

 

「その過分な戦闘能力は、環境に適していない」

 

 オレは男を見据えた。

 

「何が言いたい?」

 

 男が悲しげに微笑んだ気がした。

 

「真の傑物が、愚者に育てられた末路だ」

 

 オレの鼓動が、一瞬止まった。

 愚者に育てられた。

 その言葉が、オレの中の何かに触れた。触れてはいけない部分に。

 

「……お前は何を知っている」

 

 声が低くなった。自分でも分かるほど、温度が下がった。

 男はオレを見た。フードの奥の目が、何かを警告するようにこちらを向いている。

 

「特殊な環境で育てられた人間だということは、分かりますよ」

 

 オレは黙った。

 

「どんな才能もない人間でさえ、等しく高みに引き上げることを目的とした場所。しかしそこで育てた者たちが、本当に才能のある人間を同じ方法で育てたとしたら──」

 

 男は続けた。

 

「才能は開花するでしょう。しかし歪む。本来あるべき形とは、全く違う方向に」

 

 こいつは何を知っている。どこまで知っている。

 

「……その施設の名前を言ってみろ」

「知りません」

 

 男は即座に答えた。

 

「本当に知らない。存在すら、今日まで眼中になかった。ただし、君を見れば分かる」

「……」

「君の戦闘能力は本物です。しかしそれは、君自身が望んで身につけたものではないのでしょう」

 

 もう、十分だった。

 気づいたときには、動いていた。

 久しく味わっていない、思考が後ろに置いていかれる感覚。

 

 ──この男は、危険だ。早急に排除する必要がある。

 

 長年積み上げてきた理性の層を、何かが一枚一枚剥いでいって、その下にあった何かが、表に出てしまった。

 頭の中で何かがぱちぱちとはじけ、その音に従うように全身が動く。

 

 俺の拳は、男の胴体に照準を向けて、全身全霊をかけた力を解き放つ。

 

「!」

 

 目を見開いだ男が右腕でガードしようとした。しかしオレの攻撃は、ガードの上から貫通した。

 ガードを跳ね飛ばして、一直線に進み、そして──脇腹に深々と俺の拳が突き刺さった。

 

 ぐちゃ。

 

 鈍い音がした。

 骨が折れた音だった。一本ではない。複数だ。

 肉か何かが破裂した音も伝わってくる。

 

「っっ」

 

 男の身体が、くの字に曲がり、20メートルほど後方に吹き飛んでいく。

 オレは、拳を引いた。

 一秒。

 二秒。

 静寂が落ちた。

 堀北が息を飲む音が、やけに大きく聞こえた。

 

 我に返った、のだろう。

 俺は自分自身の異変に気付く。

 

「……しまった」

 

 本気を出した。

 いや、それどころじゃない。殺傷レベルの攻撃を、出してしまった。

 きっと理由は色々あっただろう。俺はこの男に対して、人間が無意識に敷いている制約すら完全に解き放った攻撃を行使した。

 

 肉食獣と対峙した被食動物が全力を越えた死力で抵抗するように。

 

 つい、殺してしまったのだ。

 

 男は地面に倒れている。動かない。

 

 警察に捕まるのは論外だ。

 このまま逃亡すべきだろうか。

 いや、学校の外も監視社会であることは変わらない。ホワイトルームの追手に見つかることを考えると、この学校の庇護を捨てるのは惜しい。

 それに、この環境で、まだ学びたいこともある。

 

 では、目撃者をどうする。

 

 堀北が見ている。須藤たちは眠っているが、起きればこの状況を見る。

 

 一瞬だけ、考えが頭をよぎった。

 

 ……この場の全員を殺すのに、十秒あれば十分だ。

 

 死体ならいくらでも処理する方法はある。

 

 殺すか?

 堀北を。

 可能だ。

 しかし……。

 

「ヤンチャだな」

「!!」

 

 地面に倒れていた男が、跳び起きた。

 あばらが砕けているはずだ。複数本、折れた音を確かに聞いた。内臓も潰れているだろう。それなのに、立っている。

 わずかに体勢が歪んでいる。痛みは残っているらしい。

 

 オレは目を疑った。

 

「その殺意は、僕以外に向けない方が良いですよ」

 

 男が静かに言った。

 

「例え一瞬でも、気の迷いでも──『遊び』で済ませたいのならね」

 

 オレは黙った。

 言われるまでもなく、殺すのはリスクが高すぎる──もちろん、結論は出ていた。

 

「……よく立てるな」

「咄嗟に内臓の位置を少し動かしました」

 

 意味が分からなかった。しかし問い返す気にもなれなかった。

 堀北が何かを言おうとしたが、言葉が出ないようだった。

 

「はは、脇腹をスポーツカーが通過したかと思いましたよ」

 

 冗談のような声だった。あばらが砕けているはずの人間の声とは思えなかった。

 

「この僕であっても、君を真正面から倒すには……一ヶ月程度の訓練が必要でしょうね。僕に訓練を強いる時点で偉業です。誇っていい」

 

 男がゆっくりと歩きだす。

 その動きに士気は感じない。

 戦闘の意思はないと判断して、俺は反撃可能な姿勢を維持しつつも、警戒心をといた。

 

「ただし一つ言っておきます──」

 

 

 ──もしもまた、僕に殺意を向けたら、『そういう場』だと認識しますので。

 

 

「……」

 

 男がオレの隣を通過する。

 振り返ると、その姿は風に攫われたかのように掻き消えていた。

 

 ……去り際の男の声が妙に耳に残っていた。

 

 組手なら、きっとオレはアイツに完勝できる。

 だが、手段を選ばない殺し合いに発展したらどうだろうか。

 

 今はまだ、考える必要はない。

 俺はすっかり腰の抜けた堀北の元へと近づいていった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 自室に戻った理央は、まず肋骨の状態を確認した。

 

 指先で脇腹を押す。折れた骨の感触が、皮膚越しに伝わってくる。複数本だ。内臓への影響は、咄嗟に位置をずらしたことで最小限に抑えられた。痛みはある。しかし支障はない。

 

「全く、ジョーにやられた時以来だ。ここまでの負傷は」

 

 悪態をつきながら、冷蔵庫から牛肉のパックを取り出して、そのままかぶりついた。

 スーパーで安売りしていた粗悪品で味も触感も最悪だ。生だと尚更だが、栄養が摂取できればそれでよかった。

 骨がくっつくには、タンパク質と、カルシウムと、それを吸収するための栄養が必要だ。理央の異常な消化吸収能力があれば、通常の数倍の速度で回復する。一週間もあれば、完全に元に戻るだろう。

 

 食べ終えると、着替えて午後の授業に出席した。

 

 肋骨が折れている程度の痛みなら、隠すのは容易だった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 焦りすぎていたのだろう。

 

 理央は内心反省していた。

 

 わざわざ昼休憩に呼び出すのはリスクがあった。堀北と接触するなら、もっと確実で、もっとリスクの少ない場所と時間を選ぶべきだった。

 

 深夜、理央は鏡の前に立つ。

 時計は午前一時を回っていた。寮の廊下に人の気配はない。

 

 まず、顔の筋肉を動かし始めた。

 頬骨の下の筋肉を緩める。顎の角度をわずかに変える。眉間の筋肉を操作して、眉の位置を下げる。一つ一つは些細な変化だ。しかし全部が重なると、顔面の形は別人レベルに変貌する。

 

 次に声帯を調整した。

 低く、少しくぐもった声が出た。普段の理央の声とは、明らかに違う。

 

 手袋をはめた。指紋対策だ。

 

 フード付きの上着を羽織り、フードを深く被る。

 

 最後に、膝をわずかに曲げた。重心を落として、身長を低く見せる。不自然に見えないよう、筋肉の使い方を計算して自然な歩き方を作る。

 

 鏡を見た。

 理央ではない誰かが、そこに立っていた。

 

 昼間に、綾小路幸太郎──恐らく偽名だが──と戦った謎のフード男だ。

 

 窓を開けた。六月の夜風が吹き込んでくる。

 外壁を確認する。コンクリートの継ぎ目、窓枠の出っ張り、配管の位置。登るのに必要な足がかりは十分にある。

 

「今行くよ、鈴音」

 

 理央は窓枠に手をかけ、外に出た。

 外壁を伝って横に移動する。肋骨の痛みが、動くたびに走った。しかし手を止める理由にはならない。

 

 事前に調べていた、堀北鈴音の部屋の窓の前で止まった。

 カーテンが引かれている。しかし薄い生地越しに、部屋の中が暗いことは分かった。

 

 窓の鍵に指先をかけた。わずかな隙間から、金属の構造を指の感触で読む。標準的な窓ロックだ。 慣れた手際で施錠を外すと、音もなく窓が開いた。

 

 理央は部屋に入った。

 

 規則正しい呼吸音が聞こえる。眠っているようだ。

 

 理央はベッドに近づいた。薄闇の中に、堀北鈴音の顔がある。眠っている顔だ。普段の冷たい眼差しが消えて、年相応の表情をしていた。

 

 理央はしばらく、その顔を見た。

 

 顔の左右対称性。骨格のバランス。近距離で見ると、さらに明確になる。

 坂柳有栖ほどではないが、やはり優れている。一之瀬帆波や櫛田桔梗より一段上だ。『堀北鈴音』という一個体としての能力値は大差ないだろうが、遺伝子の有用性はこちらの方が遥かに上だ。

 

 理央は椅子を引いて、ベッドの傍に座った。

 

 そのとき──。

 

「……っ」

 

 堀北の呼吸が変わった。

 眠りが浅くなっている。

 理央は動かなかった。

 

 堀北の目が、ゆっくりと開いた。天井を見ている。次に、視線が横に動いた。

 

 薄闇の中に、人が座っている。

 

 それが何を意味するか、理解した瞬間──

 

「っっっ──!」

 

 堀北が声を上げようとした。

 

「お昼ぶりの再開ですね」

 

 理央は静かに言った。変装した、くぐもった声で。

 

「叫んでも構いませんが、その場合は話す時間がなくなります」

 

 堀北が固まった。

 恐怖と、状況を理解しようとする目が、薄闇の中でこちらを見ていた。

 弱弱しい瞳がたまらなく愛おしくて、つい壊してみたくなる。

 理央がその感情の名を知るのは、更に先の話だ。

 

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