NARUTO 甲蟲伝   作:ヘビトンボ

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第六章『蟲と根』

001

 

カツン、カツン、と湿った石の床を叩く足音が、不気味なほど重く響く。

 

そこは木ノ葉の光が一切届かぬ『根』の最奥に位置する、闇に塗り潰された拷問部屋だった。壁の松明がパチパチと爆ぜるたび、冷たい石壁に不気味な影が伸びては縮む。部屋の中央に鎮座する頑丈な金属製の拘束台の上に、マユは四肢を大蛇丸の時とは比べ物にならないほど太い鉄枷で縛り付けられていた。

 

さらにその白い肌には、チャクラの流れを強制的に遮断し、わずかな指先の自由すら奪うための『拘束用の呪印』が、禍々しい墨のようにびっしりと刻み込まれている。首筋の大蛇丸の呪印を抑え込むようにして這うその術式は、マユが呼吸をするたびに鋭い激痛を体内に走らせていた。

 

その拘束台を見下ろすようにして、杖を突き、顔に包帯を巻いた男──志村ダンゾウが立っていた。昏い部屋の中で、彼の唯一剥き出しになった左眼が、冷酷に、そして獲物を値踏みする冷徹な光を宿してマユを射抜く。

 

「油女マユ。……貴様が今、どうしてこのような場所に転がされているか、その意味がわかるか」

 

低く、地を這うような威圧的な声が室内の空気を一瞬で凍らせる。

マユはすでにガスマスクを剥ぎ取られており、その素顔を苦痛に歪めながら、呪印によるチャクラの拒絶反応と戦っていた。体内に残る内臓が焼けるような激痛に耐え、脂汗を流しながら、どうにか声を絞り出す。

 

「ダンゾウ……様……」

 

「お前は大蛇丸の後を追い、木ノ葉の里を裏切って共に里抜けしようとした嫌疑をかけられている。……否、嫌疑などという生ぬるいものではないな。あの場で里の精鋭たる暗部たちに牙を剥き、惨殺しようとしたその凶行。すでに弁明の余地なき、明白なる反逆行為と言ってもいい」

 

ダンゾウの言葉は、まるで冷たい刃のようにマユの胸を突き刺した。

その冷徹な断罪の言葉に、マユは縛られた手首の鉄枷をガタガタと激しく鳴らし、血の気の引いた顔で必死に首を振った。

 

「それは……違います……っ! 私は、里を裏切ろうなんて、そんなこと考えていません……! 私はただ、大蛇丸先生を……あの人を、連れ戻そうとしただけで……っ!!」

 

掠れた声で、喉を血で滲ませながら必死に訴えるマユ。

しかし、その純粋すぎる大蛇丸への執着、盲目的なまでの依存心こそが、目の前の老人にとって最大の「付け入る隙」であり、都合の良い「弱み」であることに、今のマユはまだ気づいていなかった。

 

「知っていたか、思っていたかなど、些細な問題だ。この期に及んで真実がどうであるかなど、我が『根』にとっては、そしてこの里にとっては、毛ほどの価値もない」

 

ダンゾウは冷徹な一言で、マユの必死の弁明を容赦なく切って捨てた。その声には感情の起伏がなく、まるで最初から決まっていた判決をただ読み上げる裁判官のような冷酷さがあった。

 

「重要なのは、お前があの時、大蛇丸を追う任務に就いていた里の精鋭たる暗部たちを、自らの意志で激しく攻撃し、交戦した──その動かしがたい事実、ただ一点に尽きる」

 

ダンゾウはそこで言葉を区切ると、わざとらしく深くため息をつき、包帯の巻かれていない側の手で自身の額を押さえた。それは、里の未来を憂う指導者としてのポーズであり、同時にマユの罪がいかに重いかを視覚的に植え付けるための、老獪な演技でもあった。

 

「大蛇丸が里に与えた傷は深い。そのさなかに、大蛇丸の呪印という忌むべき力を振るい、木ノ葉の忍を次々と血祭りにあげたのだ。これを由々しき問題と言わずして何と言う。お前のその手についた暗部たちの血は、どれほど言葉を尽くそうとも、決して洗い流せるものではないぞ」

 

「それ……は……」

 

マユは青ざめた唇を震わせ、反論の言葉を探そうとゴクリと喉を鳴らした。暗部たちを傷つけたのは、彼らが彼女たちを止めようとしたからだ。自分はただ、あの人を見つけて連れ戻したかっただけ──。しかし、その弁明がこの暗い部屋において、いかに無力で、いかに子供じみたものであるかを、ダンゾウの冷徹な眼光が物語っていた。

 

「普通であれば、即座に極刑に処されても文句は言えぬ大罪である」

 

ダンゾウは、マユがそれ以上言葉を紡ぐ前に、遮るようにして冷たく言い放った。その低く重い声が、拷問部屋の湿った空気をさらに重く圧し潰す。マユの身体が、絶望と恐怖でわずかに強張った。死刑──その二文字が、冷酷な現実味を帯びて彼女の脳裏に突き刺さる。

 

「だが──」

 

ダンゾウはそこで言葉を区切り、拘束台の周りをゆっくりと歩き始めた。杖が床を叩く規則的な音が、まるでマユの寿命を刻む秒針のように響く。

 

「先の戦いにおいて、お前は『赤砂のサソリ』と交戦し、それから生還した。さらに、先ほどの森では、複数人の暗部の精鋭をもってしても止められぬほどの異質な力を示してみせた。……大蛇丸が里から消え去り、最高戦力の一角である『三忍』の内、一人が出奔した今、この木ノ葉の戦力がこれ以上削がれる事態は、何としても避けねばならん。お前のその力は、良くも悪くも、今の里にとって最早不可欠なものになっているのも、また確かな事実なのだ」

 

ダンゾウはマユの枕元で足を止め、その剥き出しの左眼で、拘束され身動きの取れない少女をじっと見下ろした。その瞳の奥には、罪人を憐れむ光など微塵もなく、ただ「極上の兵器」を手に入れたことへの、昏い充足感だけが渦巻いていた。

 

「……私に、何をさせたいのですか」

 

ここまで語られれば、いくら呪印の激痛で混濁しているマユの頭でも、流石にその意図を理解せざるを得なかった。

 

ダンゾウはマユを純粋に罪人として裁くつもりなど毛頭ない。死刑という最悪の結末を突きつけ、里の危機を並べ立て、その上でマユの持つ破格の力を「不可欠」だと評価してみせた。それはつまり、自らの直属──『根』の飼い犬となり、その影の力として忠誠を誓うのであれば、この大罪を帳消しにし、命を助けてやると暗に脅迫しているのだ。

 

拘束台の上で、マユは脂汗に塗れた顔をゆっくりとダンゾウへ向けた。

 

すべてを見透かしたような、けれど拒絶することも許されない絶望的な状況。マユの問いかけに対し、ダンゾウはただ静かに、その冷徹な左眼の奥の闇をいっそう深く沈み込ませた。

「──忍界大戦」

 

ダンゾウの口から、掠れた、けれど酷く重みのあるその単語が呟かれた瞬間、マユの身体がびくりと大きく跳ね上がった。

鉄枷がガチャリと冷たい音を立てる。かつて何万人もの忍の命を呑み込み、世界を血で染め上げたという、歴史の教科書でしか知らない凄惨な過去。その不穏な言葉の響きに、マユの脳裏にある最悪の結びつきが浮かび上がった。

 

「まさか……最近偵察任務が多かったのは……っ」

 

「察しが良いのは嫌いではない。そうだ……ワシは、近くそれが起こるとみている」

 

ダンゾウは表情ひとつ変えず、淡々と、しかし確信に満ちた声で肯定した。

大蛇丸が出奔し、国境を接する岩の隠れ里に不穏な動きがある。マユが先んじて命じられていた岩への隠密任務──それは単なる小競り合いの調査などではなく、来たるべき「大戦」の足音を事前に掴むための、極めて重要な引き金だったのだ。

 

「三忍という巨頭を失い、木ノ葉の抑止力は著しく低下した。岩の連中がこの好機を逃すはずがない。世界は再び、血で血を洗う混沌へと突き落とされる。……商売道具を奪われ、一番に動くのは奴らだ。その濁流を生き残るために、ワシはあらゆる『力』を、この根の底に蓄えておかねばならんのだ」

 

ダンゾウは杖を突き直し、マユの顔のすぐ近くまでその老顔を近づけた。彼の唯一の左眼が、マユの瞳の奥にある恐怖と、大蛇丸への未練をじっと見つめ、絡め取っていく。

 

「お前には、大戦が始まった際の戦線の『防波堤』として役立ってもらいたいと考えている」

 

ダンゾウの口から吐き出された冷酷な言葉の意味を、マユは即座に理解した。

防波堤──それは、敵の怒涛の進撃を単騎で食い止め、戦線を維持し、あるいは崩壊しかけている最悪の激戦区へと文字通り「生け贄」として投入される、戦略級の忍のことを意味していた。

 

先の大戦において、まさにその過酷な役割を担ったのが、かつての大蛇丸たち『伝説の三忍』だった。彼らが雨隠れの里の最高権力者「サンショウウオのハンゾウ」という規格外の化け物を戦線で長く足止めし、その猛攻を凌ぎきったからこそ、戦況は最終的に木ノ葉へと大きく傾いたのだ。ダンゾウは、あの三忍の役割を、まだ下忍に過ぎないマユに、その呪印の力と油女の技をもって代わりにやらせようとしている。

 

生還の可能性など限りなく低い、極限の死地への赴任。半ば脅迫に近い形でそのような過酷な任務を押し付けようとする老人に対し、マユは拘束台の上で痛みに歪んだ唇の端を吊り上げ、乾いた皮肉を零した。

 

「……随分と、私の力を買っていただいているようで……。でも、そんな風に無理やり縛り付けて死地に送っても、戦う私の『士気』が保たなければ、防波堤なんてすぐに決壊してしまいますよ……?」

 

せめてもの抵抗として放ったマユの言葉。だが、百戦錬磨の老獪な政治家であるダンゾウは、動じるどころかその薄い唇を不気味に歪めて笑った。

 

「……士気なら、何も問題はあるまい」

 

「え……?」

 

「お前がもし戦場で不覚を取るか、あるいはワシを裏切って大蛇丸の元へ逃げ出そうなどと考えたその瞬間、お前が大好きな姉弟子──御手洗アンコの命は、この里から消えてなくなるのだからな」

 

その瞬間、マユの思考が完全に凍りついた。

ガタガタと、先ほどよりも激しく鉄枷が鳴る。

 

「アンコ……先輩を……? 関係ない、あの人は、何も……っ!」

 

「関係なら大いにある。大罪人たる大蛇丸の弟子であり、その大蛇丸を追って暴走したお前を庇おうとした女だ。ワシの一言で、いつでも反逆の連座として処刑できる。……油女マユ、お前が戦場で敵を一人屠るごとに、あの女の寿命は伸びる。お前が防波堤として完璧に機能する限り、あの女は里で安全に暮らせる。これ以上の『士気』が、果たして必要か?」

 

ダンゾウの剥き出しの左眼が、マユの絶望を愉悦するように見つめていた。大蛇丸に捨てられ、今度は最も大切なアンコの命を人質に取られたマユ。彼女から選択の自由は、完全に剥奪されたのだった。

 

「……虫唾が、走りますね」

 

マユは縛り付けられた全身を小刻みに震わせ、激しい憎悪の籠もった眼差しでダンゾウを鋭く睨みつけた。その瞳には、大切な人を人質に取られた怒りと、己の無力さに対する凄絶なまでの怨嗟が渦巻いている。

 

だが、ダンゾウはそんなマユの視線を受け流すどころか、鼻で笑うことすらしなかった。これまでの長い生涯の中で、自分を憎み、呪いながら死んでいった者、あるいは軍門に降った者の目など、それこそ見飽きるほどに見てきたのだ。

 

「フン……睨んだところで、現実が覆るわけではないぞ」

 

ダンゾウは興味を失ったかのように、冷淡に踵を返して出口へと歩き出そうとする。

 

「従わないのであれば仕方ない。残念だが……大蛇丸の残党として、お前共々、あの女もろとも即座に死刑にするしかないようだな。死体となれば、油女の蟲も呪印のサンプルも、解剖して好きに利用させてもらうまでのこと」

 

「ま、待ってください……っ!」

 

コツ、とダンゾウの杖が止まる。

マユは鉄枷が肉に食い込むのも構わず、必死に身をよじりながら、屈辱と恐怖に声を引き裂いて叫んだ。

 

「わかりました……! わかりましたから……っ!! だから、アンコ先輩には……あの人には絶対に手を出すな……ッ! 何でも言う通りにする、防波堤にでも何にでもなってやるから……ッ!!」

 

暗い拷問部屋に、少女のプライドを全て踏みにじられた、悲痛な絶叫が木霊する。

 

その背中を向けたまま、ダンゾウの唇の端が、冷酷な勝利の形に歪んだ。これで、大蛇丸の残していった最高級の「爆弾」は、完全に自分を縛る鎖を手に入れたのだ。

 

「……賢明な判断だ、油女マユ」

 

ダンゾウは振り返ることなく、再びゆっくりと歩き出し、闇の奥へと消えていった。残されたのは、拘束台の上で、ただ一人悔しさと恐怖に震えながら涙を流すマユと、皮肉にも彼女の「生きる理由」となってしまった、呪わしき忠誠の誓いだけだった。

 

002

 

「──解」

 

ダンゾウの冷徹な鶴の一声により、マユの全身にびっしりと刻まれていた拘束の呪印が、じわじわと肌の奥へ退いていく。チャクラの枷が外れた瞬間、堰を切ったように襲ってきたのは、数日間にわたる激しい拷問と呪印の拒絶反応による、凄まじい肉体疲労だった。

 

「別命あるまで自宅にて待機していろ。……お前の動向は、常に『根』が監視していることを忘れるな」

 

冷たく言い放たれた命令を、マユはただ、ぼんやりとした意識の中で聞いた。

 

拷問部屋から解放され、地下の暗い通路を抜けて外へ出ると、数日ぶりに浴びる木ノ葉の太陽の光が、網膜を痛烈に灼いた。壁を伝い、ふらつく足取りで歩く。一歩進むごとに、泥のように重い身体が悲鳴をあげたが、マユの心を引き動かしていたのは、ただ一つ。

 

(アンコ先輩……無事、なんだよね……)

 

ボロボロの身体を引きずりながら、どうにか辿り着いた懐かしい我が家。

鍵の開いた扉を押し開けると、そこには、居間の床に座り込んで手持ち無沙汰にしているアンコの姿があった。

 

実は、マユが暗部に拘束されていたこの数日間、アンコは気が気ではなかったのだ。いつ、どんな処分が下されるかもわからない、最悪の場合は大蛇丸の連座として極刑もあり得る──。募る不安と焦燥に駆られたアンコは、この数日間、三代目火影の執務室へ何度も何度も直談判に訪れ、「マユを信じてくれ」「あいつは里を裏切るような奴じゃない」と必死に訴え続けていたのだった。

 

「あ……」

 

扉が開く音に、アンコが弾かれたように顔を上げる。ガスマスクの奥の瞳が、限界まで見開かれた。

 

「マ、ユ……ッ!?」

 

その声は、安堵と、ボロボロになった妹弟子への痛々しさに激しく震えていた。

立ち上がったアンコは、考えるよりも先に、ふらつくマユの身体へと弾かれたように飛びついた。

 

「うわっ……!?」

 

衝撃でマユの小さな身体が小さくよろめく。アンコはその細い肩を、壊れ物を扱うかのように、けれど二度と離さないと言わんばかりに力いっぱい抱きしめた。その身体は、マユがどれほど過酷な目に遭ってきたかを物語るように、冷え切り、生傷の匂いが染みついていた。

 

「バカ野郎……ッ! どんだけ心配したと思ってんだ……ッ!!」

 

耳元で、アンコの震える声が響く。抱きしめる腕の強さと、その背中から伝わってくる確かな体温。

マユはその突然の、けれど温かい仕草に目を丸くして驚きつつも、そっとアンコの背中に手を回した。

 

「……心配、し過ぎですよ。アンコ先輩」

 

そう言って、マユはいつものように呆れたような、小さな苦笑を浮かべてみせる。

けれど、その胸の奥底では、これまでにないほどの深い安堵が広がっていた。

 

(良かった……。アンコ先輩、無事だった……)

 

ダンゾウの言っていたことは、脅しではなかったはずだ。もし自分があの部屋で少しでも首を縦に振るのが遅れていたら、あるいは、今も意地を張り続けていたら──この温もりは、とうに冷たい骸に変わっていたかもしれない。

 

自分の選択は間違っていなかった。この人を守るためなら、自分の魂を根の闇に売り渡すことなど、安いものだ。マユはアンコの肩口にそっと顔を埋め、自らの決意をさらに深く、心の奥底へと刻み込んでいった。

 

003

 

数日の時が流れた。

 

あの拷問部屋での出来事が嘘のように、木ノ葉の里には平穏な時間が流れていた。しかし、マユの心境には決定的な変化が生じていた。

 

「おいマユ、お前……ちょっと過保護すぎやしねーか?」

 

呆れたようなアンコの声が響く。ここ数日、マユは任務以外の時間のほとんどをアンコの傍らで過ごすようになっていた。買い物に行くにも、ただの散歩に行くにも、まるでアンコの影にでもなったかのようにぴったりと後ろを歩く。それも、どこか周囲を警戒するような、油断のない鋭い視線を隠そうともせずに、だ。

 

大蛇丸という心の拠り所を失った反動なのか、あるいは自分を助けるために火影へ直談判までしてくれたアンコへの情愛なのか──アンコはそう好意的に解釈しようとしていたが、実際の理由はもっと切実で、もっと狂気じみていた。

 

(私が目を離した隙に、根の忍が先輩に手をかけるかもしれない。私がちゃんと言う通りに動いているか試すために、人質を突き動かすかもしれない……)

 

ダンゾウの脅しが頭から離れないマユにとって、アンコの安全をこの目で確認し続けることだけが、唯一の精神安定剤だったのだ。

 

あまりの密着ぶりに、アンコは頭を掻きながら、半ば冗談めかして笑いかけた。

 

「そんなにアタシの傍にいたいならさ、もういっそ、アタシの家に引っ越してきて一緒に住むか? お前が毎日飯でも作ってくれるなら、大歓迎だけどよ!」

 

ゲラゲラと笑うアンコ。だが、マユはその言葉を聞いた瞬間、ピタリと動きを止め、大真面目な顔でブツブツと呟き始めた。

 

「……アンコ先輩の家。確かに、別々に暮らしているよりも、同じ屋根の下にいた方が24時間体制で不審者の侵入を警戒できますね。先輩の部屋のセキュリティを強化して、私の蟲たちを常に巡回させておけば、いざという時の迎撃速度も跳ね上がりますし……。うん、それも悪くないですね。すぐに荷物をまとめてきます」

 

「え、ちょ、待て待て待て!?」

 

冗談のつもりで放った一言に対し、あまりにもガチなトーンで、しかも何故か防衛拠点を構築するような物騒な思案を始めた妹弟子に、アンコは引きつった笑いを浮かべたまま、盛大にドン引きしていた。

 

「マユ、お前……目がマジなんだよ! 怖いよ! 冗談だって、冗談!!」

 

ドン引きして一歩引くアンコを見て、マユは「ちぇ」と小さく唇を尖らせる。その過剰なまでの執着の裏にある、あまりにも重い『理由』を、アンコが知る由はなかった。

 

004

 

来るべき日に備えて、そして何よりも、大好きな姉弟子・アンコの命を守り抜き、自身も生き残るために──。

マユは、大蛇丸の研究室にいた時以上に、狂気じみた執念で蟲の品種改良と研究に取り組むようになった。

 

任務がないときの彼女は、寄壊蟲にアンコの警備を任せつつ(流石に鬱陶しいと言われて一日警備は諦めた)大半を家に引きこもって過ごす様になった。大蛇丸の研究所から自身の手で、あるいは『根』の資料からかき集めて自宅へと引っ越しさせた膨大な研究資料や巻物。それらに囲まれながら、マユは寝食も忘れて資料を片手に、相棒であるコガネの強化や、戦場を支配するための新たな蟲の調整に没頭する日々を送っていた。

 

部屋の中には絶えず蟲たちの蠢く不気味な音が満ち、お世辞にも健全とは言えない空間がそこには出来上がっていた。

 

「よおマユ、団子持ってきたぞー……って、うわっ、また引きこもってやがんな」

 

そんな妹弟子の常軌を逸した様子を見かねて、ある日、アンコが串団子の包みを手に部屋の扉を開けて入ってきた。部屋を埋め尽くす資料と蟲の気配に一瞬顔をしかめるものの、アンコは慣れた足取りでマユのすぐ横にドカリと腰を下ろす。

 

「ほら、お前どうせまた何も食ってねーんだろ。ほれ、口開けろ」

 

「……ん」

 

マユは視線を資料から一切外さないまま、差し出された手を拒むこともせず、されるがままに口を開けた。アンコは苦笑しながら、その口に甘いみたらし団子をひょいと放り込んでやる。

 

「もぐ……もぐ……。ありがとうございます、アンコ先輩……」

 

「ったく、お礼を言うならこっちを見やがれってんだ。先生がいなくなってから、お前ますます研究馬鹿に拍車がかかってんぞ? 少しは外の空気でも吸いに行かねーか?」

 

口の周りにタレを少しつけながら、マユはなおも「今はそれどころじゃ……」と次の資料をあさり、蟲の適合率を計算していく。

 

アンコが届けてくれる団子の甘さと、その呆れたような温かい声。それだけが、闇に染まりゆくマユの心を辛うじて人間の側に繋ぎ止める、唯一の救いだった。

 

(……このまま、この平穏がずっと続いてくれればいいのだけれど)

 

アンコが口元に運んでくれる甘いみたらし団子を咀嚼しながら、マユは視線を資料へと戻し、胸の内でそっと小さく呟いた。

 

自分のすぐ隣で「ほら、次のも食え」と笑っているアンコの日常。それを守るためなら、自分はどんな闇にでも染まれる。呪印の激痛に耐えることも、蟲たちの品種改良という狂気に身を浸すことも、すべてはこの愛おしい時間を引き延ばすための代償に過ぎない。

 

カサリ、と大蛇丸の残した古い巻物をめくるマユの指先に、かすかな力がこもる。

 

しかし、少女のささやかな願いを嘲笑うかのように、現実は残酷な速度で動き出していた。

 

──五大国を巡る情勢は、決して甘くはなかった。

木ノ葉の最高戦力の一角であった『三忍』の大蛇丸が出奔したというニュースは、瞬く間に他里の知るところとなり、里の抑止力低下を如実に世界へ露呈させていた。特に、国境を接する『岩の隠れ里』の動向は、日を追うごとに目に見えてキナ臭さを増していく。国境付近での小競り合いの多発、不自然な物資の集積、そして暗部たちの慌ただしい出入り──。

 

ダンゾウの予言した通り、刻一刻と、しかし確実に、世界は再び「忍界大戦」という名の巨大な泥沼へと引きずり込まれようとしていた。

 

マユのめくる資料の文字が、まるでこれから流される無数の忍たちの血のように、昏い部屋の中で不気味に浮かび上がっていた。

 

 

005

........第三次忍会大戦勃発

 

 

 

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