誰かを守ることさえできれば……(鬼滅の刃:互いの決意)   作:つねお あきら

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第1話 プロローグ-後悔と反省、そして最後の機会 第2編(完)

その玉は、先ほど縁壱の記憶を収めていた小さな丸い玉ではなかった。巌勝の六つの眼に収まり切らぬほど巨大で荘厳な、まるで宇宙そのものを球体へ封じ込めたかのような玉だった。

 

 

 

「まだ終わりではありません。この玉に収められているのは、一個人であった縁壱の人生だけではなく、その後、数百年を超える長い歳月の中で生きた無数の鬼殺隊士と柱、

 

そして産屋敷家の歴代当主たちの、血に塗れながら絡み合ってきた人生です。この玉の中には、あなたと無惨が最後に滅びた、もっとも近い時代に至るまでの、数え切れぬ人間たちの凄絶な人生が収められています。

 

それを見たあなたが、飾らぬままに何を感じるのか、私は聞いてみたい。やり方は同じです。心の中で『始め』と唱えた瞬間、同じようにそれぞれの鬼殺隊士たちが生きた鮮烈な人生を見ることができますから───

 

彼らが、あなたのように、ただ死を恐れて安易に鬼へなったり、強さだけを追い求めたりした人生とは異なり、

 

この巨大な組織と、その構成員たちがいったいどれほど凄絶な人生を歩んできたのかを……その二つの眼ではなく、六つの眼で、しかと見届けてください」

 

 

 

その言葉に、巌勝は静かに頷いた。男は巨大な玉の前に立ち、低く、それでいて重みのある声で告げた。

 

 

 

『始め』

 

 

 

その一念が落ちた瞬間、彼の肉体は煙のように力を失って床へ崩れ落ち、精神は底知れぬ巨大な記憶の海の奥深くへ、際限なく吸い込まれていった。

 

 

 

まるで深海へ沈んだかのように、彼の周囲には数十、数百、数千、数万、数十万もの、澄み切っていながら哀しげな水滴が隙間なく浮かび上がった。

 

 

 

やがて、その無数の水滴が巌勝の全身へゆっくりと染み込み始め、

 

 

 

そこへ剥製のように封じられていた人々の恨(ハン)に満ちた記憶が、滝のように巌勝の脳裏へ強制的に流し込まれ始めた。男の魂へ科される、苦痛に満ちた刑罰がついに始まったのだ。

 

 

 

「……う、ううう……ッ!!」

 

 

 

過剰な記憶の量が脳髄を溶かし尽くすかのような激痛の中、人間と鬼が歩んできた遥かな長い歴史に刻まれた、凄絶で悲痛な叫びが男の耳を引き裂いた。

 

 

 

『母さん! 駄目だ……駄目だって言ってるだろ、母さん!! 鬼ども、俺の母さんを返せ!!』

 

 

 

『ああ……妻が……俺の、可哀想な妻が……うあああああっ!!』

 

 

 

『友が……死ぬな! 神よ!! どうして私に、このような試練をお与えになるのですか!!!!!!!』

 

 

 

その後、縁壱から伝えられた日の呼吸を、それぞれ自らの体質へ合わせて変化させた、初代の呼吸を継ぐ家々の祖たちが放つ激しい剣撃が次々と駆け抜け、

 

 

 

代々受け継がれる短命の呪いの中で血を吐きながら、それでもただ鬼殺隊の支柱であり続けた産屋敷家歴代当主たちの凄絶な物語が、彼の脳裏へ深く刻み込まれていった。

 

 

 

『この糞ったれな鬼どもを、この手で一匹残らず斬り殺してやる!! 貴様ら、覚悟しろ!!!!』

 

 

 

『私の大切な家族を殺した貴様を、決して許さぬ! 鬼舞辻無惨!!!!』

 

 

 

『我ら産屋敷家は、身体が砕け死に果てようとも、何度でも立ち上がる! 鬼をこの地から完全に根絶やしにするその日まで、我らの気概は決して折れぬ!!

 

 

 

今を生きる我らが死のうとも、いつの日か、何年……何十年……何百年かかろうとも!!!!!!! 我らの魂と、無惨、お前を滅ぼすというその『意志』は永遠に滅びぬ!! 我らの子孫が受け継ぎ、繋いでゆくのだ!!』

 

 

 

無惨が人の皮を脱ぎ捨て、鬼として暗躍し始めた千年前の平安時代から、ついに燃え上がる太陽が熱く地平線を照らした今この時に至るまで───

 

 

 

数百年にわたって続いてきた無数の隊士たちの人生は、まさに凄絶そのものだった。絶叫と怒り、そして血涙を流すほどの絶望に、あまりにも満ちていた。

 

 

 

愛する家族を失い、大切な友を失い、肌を重ねた恋人を失い、生まれ育った故郷の村が灰燼へ帰していく、その過程で、

 

 

 

段階を追って押し寄せる凄絶な悲しみを真正面から受け止めた人々の走馬灯が、巌勝の眼前を凄まじい速さで駆け抜けていった。

 

 

 

彼らはかつて、呼吸も日輪刀も存在しなかったため、部下を鬼にことごとく殺され、何もできずにいた弱き頃の自分と同じように、生まれながらに決められた圧倒的で理不尽な鬼の力を前に、何度も何度も絶望した。

 

 

 

力を蓄え、骨を削るほど努力しても、無惨へ辿り着く以前に、彼が自らの不老不死を実現するために作り上げた十二鬼月……その中でも『上弦』という巨大な壁の前で、無力に押し潰され続けた。

 

 

 

それでも圧倒的な力を前にしても……そして上弦から嘲笑われようとも、彼らは自らの命を躊躇なく捨てる覚悟をしてまで、決して膝を屈しなかった。

 

 

 

自分が死んでも、次の世代の鬼殺隊士たちが前へ進めるように。そして、この地で何の罪もなく暮らす人々を守るために、

 

 

 

彼らは腕や脚を無惨に折られ、頭蓋が砕けようとも、ただ無意識のまま刀を振り続けた。

 

 

 

目の前で仲間たちが凄惨に皆殺しにされてもなお、明日の夜明けを見据えて刀を握り続けた柱と隊士たち。その途方もない覚悟を宿した熱情は、

 

 

 

巌勝の六つの眼から、熱い涙を乾く間もなく流れ続けさせた。

 

 

 

そして遥かな歳月の波を越え、ついには、直近の最終局面で自らと直接刃を交えた者、あるいは別の戦場で命を投げ出した者たち――『黄金世代』の人生もまた、先人たちと何一つ違わぬことが映し出された。

 

 

 

後天的に痣を発現し、二十五歳という短命を迎えることになろうとも、それが自らの命を奪う悲しい前奏曲であろうとも、鬼殺隊士はただの一人として、そんな寿命など気にも留めなかった。

 

 

 

ただこの地で平凡な人生を生きる人々を守るため。そして、罪もない者たちの幸福を容赦なく叩き壊す『鬼舞辻無惨』という忌まわしい名を、この世から完全に消し去るためならば、

 

 

 

自らの命など喜んで投げ捨てる、強固な節義と尊い勇気。

 

 

 

生涯を利己的な欲望と恐怖に囚われ、鬼の身体へしがみついて生き永らえた巌勝は、人間たちのその偉大な気概を前に、ただ言葉を失うしかなかった。

 

 

 

数百年分の血に塗れた記憶が、リアルタイムで脳へ食い込み、魂をすり潰していく激痛の中でも、巌勝は悲鳴を上げる代わりに、自らの手を胸へ置いた。

 

 

 

そして、この地の罪なき人々がこれ以上犠牲にならぬことを心から願い続けた彼らの高潔な使命感へ、全身全霊で敬意を捧げながら、黙ってその苦痛を甘んじて受け入れた。

 

 

 

ついに、無惨が陽光の下で醜く絶叫しながら、一握りの灰へ変わって死んでいく姿を見た、その時。

 

 

 

互いを抱き締めて喜びながら、先に逝った仲間たちの名を呼び、声を上げて泣き崩れる隊士たちの姿が見えた。

 

 

 

そして、息が絶える最後の瞬間まで人々のために戦い、ようやく役目を果たし終えたというような穏やかな微笑み……幸福そうな微笑み……

 

 

 

自分の死を生涯悲しみ続けるであろう、残される誰かを案じる哀しい微笑みを…………誰かを守れたことへの安堵の微笑みを浮かべたまま倒れていった、黄金世代の柱たちを見た時───

 

 

 

理性を司る巌勝の脳と、感情を司る心臓…………担う領域が違うはずの二つが同時に、誰かを失った時に襲いかかる、裂けるように痛む凄絶な苦しみへ呑み込まれた。

 

 

 

巌勝は震える脚で、彼らの魂へ向かってゆっくりと歩み寄った。

 

 

 

そして数百年もの間、誰に対しても腰を折ることなどなかった傲慢な『上弦の壱』は、

 

 

 

ついに、その哀れでありながら高潔な人間たちの記憶へ向かい、額を床へ打ちつけるほど深く、侍として最大の敬意と尊敬を示す大礼を捧げた。

 

 

 

「……あなた方を、心から尊敬する。考えてみれば、あの凄絶でありながら尊い姿こそ……私が生涯を懸けて辿り着こうとしていた姿であり……

 

弟の縁壱が、兄である私へ、あれほど望んでいたのかもしれぬ……真の『侍』の姿とは、あれだったのではないか……」

 

 

 

止め処なく流れる血涙の中、巌勝は侍としての面目も、最強の鬼として長い歳月を生きた自尊心も、すべて投げ捨て、

 

 

 

その後も長い長い時間、全身へ流れ込んでくる人間たちの人生と物語を一つ残らず受け止めながら、声を上げて泣き続けた。

 

 

 

それは数百年ぶりに初めて溢れ出した、怪物ではない、一人の人間『継国巌勝』の純粋な慟哭だった。

 

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やがて玉の光が静まると、地蔵菩薩の穏やかな声が再び響き渡った。

 

 

 

「いかがです? 彼らの凄絶な人生を見たあなたが、何を感じたのか。私は実に興味がありますよ」

 

 

 

巌勝は、玉の中で味わったあの切実な号泣の余韻を深く残した、沈んだ悲しい声で答えた。

 

 

 

「確かに……彼ら一人一人の力は、弟の縁壱や私と比べれば、限りなく小さなものでした。

 

だからこそ彼らは、自らの弱さを認め、互いに力を合わせた。そして鬼どもの力があまりにも理不尽だったからこそ、彼らは絶えず次代の者たちを育て、数によって苦しめ、最後まで食らいつき続けた。

 

小さな力が一つ、また一つと集まり、最後にはあまりにも大きな犠牲を払いながらも……鬼の始祖である鬼舞辻無惨をついに斃した、あの偉大な人々の功績は───

 

『尊敬』という言葉よりも価値の高い言葉を口にしたいところですが、私の浅い知識ではそれに相応しい言葉を知らぬ。そのことが、ただ残念でなりません」

 

 

 

心から隊士たちへ頭を垂れ、骨身へ染みる敬意を示す巌勝の懺悔を聞いた地蔵菩薩は、満足そうに微笑むと、ついに心の内へ抱いていた神の配剤を彼へ提示した。

 

 

 

「さて! こうして長い道を巡り巡って、あなたへ弟の悲劇と、無惨を殺すため惜しみなく命を捧げた隊士、柱、そして歴代当主たちの記憶をすべて見せた本当の理由は───

 

あなたへ、新たな機会を差し上げるためです」

 

 

 

地獄の闇の中、なお跪いたまま、想像すらしていなかった『機会』という神秘的な言葉を聞いた巌勝は、大きく動揺しながらも、やがて再び諦念に満ちた哀しい表情で菩薩を見上げた。

 

 

 

「……それがどういう意味なのか、どうかはっきりとお聞かせ願いたい」

 

 

 

困惑に満ちた沈黙を破って巌勝が問うと、地蔵菩薩はついに、この深淵まで降りてきた真の目的を静かに語り始めた。

 

 

 

「私がわざわざ大切な時を割き、あなたへ弟の人生と鬼殺隊の血に塗れた歴史を見せた理由は簡単です。

 

 

 

『神々の恩寵を独り占めした縁壱が、あれほど多くの人々を救ったのなら、武の極みに届くため生涯を足掻き、努力し続けたあなたのような男は、果たしてどれほど多くの人々を救えるのだろうか?』――そういう

 

霊妙な考えから、あなたへ一つ提案したいことがあります。もし、もう一度だけ、生(せい)の機会を千金にも代え難いものとして与えられるとしたら……あなたは、どうなさいますか?」

 

 

 

菩薩から突然投げかけられた重い問いを真正面から受けながらも、人々を守るために生きた弟と、多くの人々の人生を見届けた

 

 

 

巌勝の六つの眼には、欠片ほどの迷いもなかった。男の声はただ、揺るぎない決意だけに満ちていた。

 

 

 

「弟の天賦の才など、今となっては何の意味もありません……。思えば、太陽の影を盲目的に追いかけようとした、己の分も知らぬ愚かな行いでした。

 

もし本当に最後の機会を得られるのなら───弟の背を追って劣等感に焼かれるのではなく、

 

前世で弟が心の底から救おうとした、あの数え切れぬ罪なき人々を、今度は私も、自分自身の剣で救いたい。

 

……私だけの道を……切り拓く人生も歩んでみたい。この重い罪は地獄で償ったとはいえ……だからこそ、魂へ刻まれたこの大きな傷痕を、決して消さずに抱えて生きたいのです。

 

そして、哀れな弟の人生が、二度とあれほどの悲劇で終わらぬよう……今度は私の手で、別の道を歩ませたい。

 

強さへ執着する、速い道ではあったが、その果てに虚無と死しかなかった覇道(はどう)を越えて…………

 

強さを求めることは変わらずとも、遠く険しい道であり、その果てにすべてを守ろうとする王道(おうどう)を歩みたい。

 

ただ太陽の光を追う道は選びません。その光を胸へ抱き、皆を守る月の光になりたいのです」

 

 

 

その心からの率直な告白に、地蔵菩薩はようやく満足したように穏やかに笑った。

 

 

 

「そこまで率直に話してくださり、私も心から感謝します。それならば喜んで機会を差し上げましょう。歪められた歴史の中で、数多くの命を救ってみてください」

 

 

 

「……ですが、どうすればよいのか分かりません。私という存在が支払わねばならぬ、地獄の凄惨な代価は、まだ遥か先まで残っているのではありませんか?」

 

 

 

自らの大罪を知るがゆえ、かえって意気消沈する巌勝を見て、地蔵菩薩は一瞬、不思議そうな顔を浮かべた。だがすぐに、大切な事実をまだ伝えていなかったことへ気づいたように「あっ」とした表情を見せ、何気なく告げた。

 

 

 

「ああ、これはいけません……。私もあまりに長く生きているものですから、大事なことを忘れる時がありましてね。実は、あなたの罪は……すでに課された苛烈な年月をすべて満たしたため、あの炎は自然に消えたのです」

 

 

 

「それは……いったい、どういう意味なのです……?」

 

 

 

呆然とする巌勝へ、地蔵菩薩は地獄の明確な法と、簡潔な因果を説明した。

 

 

 

「あなたと私がこうして二人きりで向き合っていること自体、あなたが支払うべき地獄の凄まじい劫火の刑期を、億劫の歳月の中ですでにすべて満たしたという意味です。

 

つまり、おめでとうございます、巌勝殿! あなたはこの焦熱地獄の強烈な劫火に対する罪の代価を、すでにその全身で残らず支払い終えました。

 

本来、厳格な因果と法に従うなら……あなたには、下等な動物や植物として何度も転生してもらい、

 

魂へこびりついた悪業の残滓を、そのような小さな生命として生きる中で浄化してもらうのが筋なのですが……

 

今回は私の権限で、先ほど巨大な玉を通じて精神世界で懺悔している間に、私の霊力を使い、あなたに最後まで残っていた悪業の残滓を綺麗に焼き尽くしておきました。

 

まあ~今ごろ業務中の閻魔大王殿は、相当にお怒りになるでしょうが~そこは巌勝殿が気にすることではありませんよ~」

 

 

 

菩薩の法衣が、かすかに揺れた。

 

 

 

「ですから、今のあなたなら、平凡な人間として転生することも完全に可能です。

 

ですが、もともと悲惨だった前世の結末を、自らの手で変えてみたいという高潔な思いを私へ告白した以上、曲がりなりにも菩薩である私としても、ただ黙って見過ごすわけにはいきませんでした」

 

 

 

「……まずは、あなたへ深く頭を下げて感謝しなければなりません。私のような罪人へ、もう一度このような千金にも代え難い機会を与えてくださること……ただ、心から感謝するばかりです」

 

 

 

なお六つの眼を持つ鬼の姿のままであったが、残っていた罪業までも完全に洗い流された巌勝の全身からは、前世にあった嫌悪感を催すほどの凶暴な気配は、欠片一つ残っていなかった。

 

 

 

ただ、澄み切って清廉な武人の気迫だけが漂っていた。

 

 

 

「う~ん、ですが! その前に、これからあなたが歩む荊の道には、最低限の恩恵くらいあってもよいでしょう? ですから~! 私があなたへ、少しばかり良い体質を差し上げます」

 

 

 

「それは、どういう……」

 

 

 

言葉を言い終えるより早く、瞬く間に眼前へ迫った地蔵菩薩は、巌勝が反応する間すら与えず、指先で彼の額の中央を容赦なく貫いた。

 

 

 

ズブッ!

 

 

 

「……ッ!! 何を……? だが、なぜ痛くない……?」

 

 

 

地蔵菩薩の突然の行動に驚きはしたものの、本能的に、この尊い存在が自分を害そうとしているわけではないと悟ったのか、

 

 

 

巌勝は静かに息を整え、平静を保ったまま、彼の説明が返ってくるまで黙って待った。

 

 

 

プシュッ!

 

 

 

やがて短い静寂の後、巌勝の額から指を抜いた地蔵菩薩は、法衣を整えながら口を開いた。

 

 

 

「まずは簡単に説明しましょう。少し後で、あなたへ『回帰丸(かいきがん)』という神秘的な霊薬をお渡しします。

 

もしその薬を飲まず、転生の門へ進めば、生前のすべての記憶を完全に失い、白紙の状態から人生を歩むことになります。

 

ですが、あなたには特別な例外として、人々を救うという尊い使命を果たしてもらわねばなりません。そのため、今あるすべての記憶は、そのまま残っている必要があると私は考えました。

 

ですから回帰丸には、私が手を加えてあります。要するに、その薬を服用すれば、すべての記憶と心得を保ったまま、あなたが生きていた幼少期――わずか『七歳』から、もう一度人生を始めることになるのです」

 

 

 

「ま、待ってください……一つ、伺いたいことがあります。あなたのお話を遮る無礼については、先に頭を下げてお詫びいたします」

 

 

 

巌勝の切迫した声に、地蔵菩薩は、つい急いでしまった自分を責めるように申し訳なさそうな表情を浮かべて答えた。

 

 

 

「ああ、これは私の気が急いて、十分な説明もせず行動で先に示してしまいました。申し訳ありません。ええ、武人として、何がそれほど気になるのですか?」

 

 

 

気兼ねなく尋ねるよう促す慈愛に満ちた声音に、巌勝は、前世で積み上げたあらゆる努力が関わる回帰丸の本質について、問わずにはいられなかった。

 

 

 

「その回帰丸を飲むということは……私が人間として、そして鬼として、数百年に近い長い歳月を生きる中で得た戦闘経験と……剣術の心得……

 

 

 

さらには『透き通る世界』と『痣』を発現した、あの境地の記憶まで、すべて持っていけるという意味でしょうか?」

 

 

 

「実に良い質問ですね~!」

 

 

 

地蔵菩薩は興味深そうに、巌勝の六つの眼を見つめながら問い返した。

 

 

 

「では逆に、その質問をした本当の意図を、私へ率直に話していただけますか?」

 

 

 

答えを与える前に、まるで内面を試すかのように投げかけられた菩薩の問いへ、巌勝は十分に理解しているという表情で胸襟を開き、答え始めた。

 

 

 

「あなたがそのような問いを投げかける理由は、私があの輝かしい経験を持っていこうとすることが、もしや強さへの執着や、苦労して得た武の心得に対する些細な欲からなのか、

 

その有無を確かめるためなのだと、私は考えています。ですが……今の私は、前世の私とは完全に違います。

 

私は……あの数百年分の心得と凄絶な戦闘経験を、ただこれから救うべき人々のために、『守護(しゅご)の意志』を貫くための手段としてのみ得たいのです。

 

かつて、その強さゆえに、逆説的にも私自身の手で無惨に犠牲となった無数の亡魂を、もう二度と一人たりとも生み出したくはありませんし、そのような考えを抱くつもりも微塵もありません。

 

もし、その心得と経験を再び完全に手にできるのなら、それを基盤として前世の自分より遥かに早く強くなったとしても……私はただ、人を守るためにのみ、この剣を使います。

 

もし私を信じられないのであれば、むしろ、それらは一切得られないとはっきり答えてくださって構いません。無礼な答えだったかもしれませんが、それほどまでに、私の意志は固いのです……」

 

 

 

言い終えた巌勝は、静かに地蔵菩薩へ向かい、床へ深く身を伏せて礼をした。

 

 

 

菩薩から答えを得るまでは、決して立ち上がらないという、頑なで無言の意志だった。それから長い間、巌勝は揺るぎない決意のまま、微動だにしなかった。

 

 

 

その厳粛な姿を静かに、そして注意深く見つめていた地蔵菩薩は、ついに男の折れぬ高潔な意志へ降参したかのように、

 

 

 

虚空へ軽く手を振り、礼を続けていた巌勝の身体を、柔らかな力で半ば強制的に立たせた。そして、低く息を吐きながら答えた。

 

 

 

「はは……焦熱地獄の苛烈な劫火が、いったいどれほどあなたの魂を改心させたのかは分かりませんが……少なくとも、菩薩である私の眼には、

 

あなたのその揺るぎない意志が、一片の偽りもない、澄み切って透明な真実だけを語っているという証が、実に鮮明に見えています」

 

 

 

「……そこまで信じてくださるとは、かえって面目ない限りです」

 

 

 

「では、はっきり申し上げましょう。はい。少し後でお渡しする回帰丸を飲んだ瞬間、前世の人間時代と鬼時代に、全身でぶつかりながら得た、あらゆる剣術の心得と───

 

さらに、痣と透き通る世界という、鬼へ対抗する偉大な力を得た、その経験までも、魂へそのまま刻んで持っていくことになります。

 

その境地は…………本来、前世のあなたであれば幼い年齢では到達できないのが当然なのですが……今回の現世では……かなり早く、その道へ辿り着くでしょう。

 

結果として、あなたは前世の自分とは比べものにならぬほど早く強くなる、と考えてよいでしょう。ほんの少しとはいえ、あなたの純粋さを試そうとした私自身が、かえって少々恥ずかしく思えるほどです。

 

それほどまでに、多くの人々と縁壱の人生を守りたいという、あなたの強い意志を、私は心から認めましょう」

 

 

 

菩薩から認められ、巌勝は安堵の息を漏らすと、低く答えた。

 

 

 

「……はい、分かりました。では次に……先ほど、私の額を指で貫かれた行為には、いったいどのような配剤があるのですか……?」

 

 

 

地蔵菩薩は温かな笑みを浮かべたが、すぐに、巌勝が向き合わねばならない苛烈な因果の運命について、真剣に説明し始めた。

 

 

 

「ああ、分かりました。その答えも、今からお話しするつもりでした。まず結論から、残酷にはっきり申し上げるなら───

 

残念ながら、あなたはあの時代へ再び回帰したとしても、歴史の因果によって、無惨の手で『鬼』になる運命だけは、前世と同じです」

 

 

 

「…………再び鬼という怪物になる運命を、こうして直接告げられると……武人として、何と答えればよいのか分かりません」

 

 

 

確定した運命について、心のどこかでは覚悟していた。それでも再び鬼として生きねばならないという現実に、巌勝の顔へ落胆が浮かぶと、地蔵菩薩は、彼のために用意した神の特例を本格的に説明し始めた。

 

 

 

「ただし! 今の魂を持つあなたならば、あの人生では無惨へ自ら協力するのではなく、大切な者たちを守るために戦い、敗れ、その血を強制的に注ぎ込まれることになるでしょう?

 

無惨の凄まじい権能は、あなたなら玉を通じてすでに骨身へ染みるほどご覧になったでしょうが───前世の縁壱殿を除けば、どのような人間であれ、純粋な呼吸を極めようと、痣や透き通る世界を発現しようと、

 

一対一で無惨と真正面から衝突することは、事実上、無謀な自殺行為とほとんど変わりません。

 

さらに無惨という男は、『生存』という自己の安寧に関しては、卑怯としか言いようがないほど徹底した人物で、縁壱殿が老いて死ぬまで、ほとんど完璧に身を隠して生きました。

 

あなたがあの回帰丸を飲み、途方もない歳月の心得を得たとしても、純粋な鬼の始祖である無惨を、一人で倒すことは、残念ながらほとんど不可能に近いのです」

 

 

 

菩薩の袈裟の裾が、静かに揺れた。

 

 

 

「一度、鬼として生きたあなたなら、誰よりよくご存じでしょうが……知っての通り、無惨によって鬼へ変えられた者たちは、

 

基本的には人間の血と肉を食べなければ血鬼術も強くならず、鬼そのものも成長できない、哀しい怪物です。

 

とりわけ、呼吸を学んだ剣士は、普通の人間よりも鬼へ変わるまでに時間がかかる、とも聞いています。

 

前世のあなたは十二鬼月……しかも最初に彼らの頂点となる『上弦の壱』という象徴性を持ち、さらに無惨の性格を考えれば、あれが『提案』という形だったからこそ、

 

比べものにならぬほど莫大な量の無惨の血を受けたのでしょう? 三日……ほどかかったと記憶していますが…………

 

ですが、人間を守る使命を帯びたあなたが鬼となり、そこで人を食べてしまえば、前世とまったく同じことを繰り返すことになる。これほど矛盾し、不合理な悲劇があるでしょうか?

 

そこで、あなたには例外として───人を一切食べることなく、この地で暮らす普通の人間と同じように、ささやかな量の食事と水……そして

 

『同族殺害(どうぞくさつがい)』によって得る力、あるいは、ただ自らを鍛えることで得る力だけでも、永い生を維持できるよう、その体質を完全に改めておきました」

 

 

 

「同族殺害、とは……」

 

 

 

「はい。無惨の血を引く鬼たちのことだと、よくお分かりでしょう。今のあなたなら、人の血と肉を食らった鬼そのものを食べたいなど、死んでも思いたくはないでしょうから……

 

ですから! もし食べることなく、その力だけを得たいのであれば、前世であなたが『入れ替わりの血戦』に勝った代償として、自分へ挑んできた鬼たちを『吸収』するような形だと考えればよいでしょう。

 

とはいえ……彼らの力は、結局、罪のない人間を食べることで得た汚れた理不尽な力です。今のあなたなら、無惨の鬼たちをわざわざ吸収しようという気持ちなど、ほんの欠片もないでしょうけれどね」

 

 

 

少し話が長くなったのか、地蔵菩薩は、自分の言葉を一言たりとも聞き逃すまいと真剣に耳を傾ける巌勝の姿勢を確認すると、再び言葉を続けた。

 

 

 

「ですが、その同族殺害から得る能力の中には、あなた自身の意志によって、特定の鬼の権能を『捕食』し、『吸収』して、自分のものとして扱えるものもあります。相手は一般の鬼であろうと、十二鬼月であろうと構いません。

 

ただ高潔な剣術の道だけへ固執するのではなく、いつか無惨を確実に相手取るためにも、あなた自身の剣術とは別に、いくつかの強力な鬼の権能を賢く手に入れておく必要があります。

 

まあ……もちろん、その『月の呼吸』ですか? それを貶す意図など、私にはまったくありませんよ。日の呼吸さえ存在しなければ、まさに最強と呼んでも差し支えないほど、精密で強力な呼吸なのですから。

 

前世の、あの凶悪だったあなたの血鬼術も、もちろん見事なものです。ですが……無惨の不死性を考えれば、冷静に言って、あれを相手にする武器は多様であるべきです。

 

血鬼術についても、同じ考えで特例を与えたのです。剣士としての道へ拘ること自体を悪いとは思いませんが…………前世のあなたとは違い、今のあなたは、

 

誰かを守る『守護者』の道を歩むと誓った身です。守護者には…………手段と方法を選び過ぎてほしくはありません……少なくとも、敵とどう戦うべきかという点についての、私からの助言だと思ってください~」

 

 

 

菩薩の声が、ずしりと重く沈んだ。

 

 

 

「これから先、あなたは一生を……いや、億劫の時を……違いますね、無限に近い時を、人間ではなく『鬼』として生きていくことになります。

 

無惨を完全に滅ぼすまで無限の歳月がかかろうとも、その偉大な使命を果たし終えるまでは、あなたはあの苛烈な運命によって、鬼という存在へ縛られ続けるでしょう。

 

祝福であり、同時に栄誉ある呪いだと考えればよいでしょう。お分かりですか?」

 

 

 

その重い覚悟を問うような菩薩の言葉に、巌勝は再び、心臓の奥へ刃を刻み込むように覚悟を固め、答えた。

 

 

 

「分かりました……人間として一生穏やかに暮らさせてほしいなどという、虚しい泣き言が通らぬことくらい、よく分かっています。

 

私の悪業をすべて洗い流したとしても、私にとって再び鬼という怪物になることは、ある意味、消すことのできない業報でもあるのでしょう。

 

ですが、いつか涙を流して後悔する日が来ようとも……あの哀れな人々を守ることができるのなら───私は喜んで、足元を血に染める荊の道と、血の臭いに満ちた修羅(しゅら)の道を歩みます」

 

 

 

言い終えた巌勝は、菩薩の裁きを待った。その泰山のような心と超然とした姿を見て満足した地蔵菩薩は、さらに真剣な表情となり、巌勝へ厳かな警告と予言を告げた。

 

 

 

「そして……あなたは、この長い鬼の道を歩む中で、必ず乗り越えなければならない『二つの巨大な難関』へ直面することになります。

 

ですが、その二つの難関を完全に成し遂げることができたなら───鬼の肉体を持ちながら、ついには無惨さえ到達できなかった『完全生物』という高潔な境地を得ることになるでしょう。

 

 

 

「完全生物……? それはいったい、何を意味するのですか?」

 

 

 

「巌勝殿。あなたは数百年もの間、最上位の鬼として君臨していたのですから、鬼が生まれながらに抱える致命的な弱点を、誰よりよくご存じでしょう?」

 

 

 

地蔵菩薩が脳裏へ植え付けた、鬼に関する膨大な情報を静かに整理した巌勝は、やがて六つの眼を鋭く光らせて答えた。

 

 

 

「……よく知っています。空に昇る『太陽』。そして、自らの頸を斬られる斬首(ざんしゅ)です」

 

 

 

「はい。今、あなたは鬼が持つ二つの絶対的弱点を正確に挙げました。では、簡単に言うと……」

 

 

 

「待ってください。まさか、あなたがおっしゃった二つの難関というのは……!」

 

 

 

巌勝が悟った瞬間、地蔵菩薩は頷いた。

 

 

 

「はい、その通りです。あなたには、その二つの弱点――すなわち『斬首克服』と『太陽克服』の権能を、自らの意志で打ち破り、手に入れる機会が与えられるという意味です。

 

第一の領域である『斬首克服』へ到達すれば、鬼の状態にあるあなたは、日光を除く人間のいかなる武器によっても、殺されることはなくなるでしょう。

 

そして第二の領域である『太陽克服』へ到達すれば、真昼の熱い太陽の下を堂々と歩き、さらに多くの罪なき命を救いに行けるようになります。

 

そして、完全生物の領域へ完全に入ることができれば、ささやかな食事や水すら、さらには鬼たちから得る力さえ必要とせず、完全な自給自足とも呼ぶべき神性を得ることができます。

 

まあ……分かりやすく言えば、人類すべて……正確には権力者たちと、あなたがもっとも憎むであろう無惨が追い求めた……不老不死(ふろうふし)の価値に加え、普通の人間が持つ空腹や睡眠といった基本的欲求からさえ、

 

超越した境地だと思えばよいでしょう。長々と説明して申し訳ありませんが……要するに、神(かみ)です。その境地へ至ったあなたが望むなら…………現世を離れ、この世界へ来ることさえできるでしょうが……」

 

ともあれ、無惨はあれほど渇望していた太陽を最後まで克服できなかったからこそ、前世ではあのように虚しく、惨めに死んだのです」

 

 

 

「はい……そして前世の私も一度は、死への恐怖を前にして、無理やり頸という弱点を克服しました……しかし、その時に現れた私の姿は……」

 

 

 

「はいはい~よく知っていますよ。ただ生き延びることだけに目が眩み、怪物の中でももっとも醜悪な本性を曝け出した、まさしく鬼そのものの惨めな姿でしたね」

 

 

 

死の直前、鏡へ映った自分がどれほど醜く、おぞましい怪物だったのかを思い出した巌勝は、口元へ苦い笑みを浮かべながら言った。

 

 

 

「その二つの弱点を克服するということは、決してあの時のように容易く得られるものではないのでしょう。いつ、どのような形で訪れるのか……誰にも分からないのでしょうな……」

 

 

 

「その具体的な達成条件は、私があなたの脳裏へ送り込んだ情報を見ながら、過去へ回帰する途中で落ち着いて反芻してみてください」

 

 

 

言い終えるや否や、地蔵菩薩は再び、巌勝の額を指先で軽く貫いた。

 

 

 

押し寄せる膨大な知識の量に苦痛を感じる暇さえなく、巌勝は頭の中へ滝のように流れ込む、弱点克服の絶対条件を見つめながら、低い呻きを漏らした。

 

 

 

彼は水が染み込むように自然に、その内容を魂へ受け入れた。やがて地蔵菩薩が指を抜くと、男は言われた通り眼を閉じ、その条件を一つずつ静かに反芻していった。

 

 

 

しばらく時が流れ、ついに眼を開き、地蔵菩薩へ深い感謝を示す巌勝に向かって、

 

 

 

菩薩はついに懐から、白い霜をまとったかのように澄んだ光を放つ、一粒の丸薬を取り出して差し出した。

 

 

 

「よく覚えておきなさい。この回帰丸を口へ入れ、呑み込んだ瞬間、あなたは聖なる炎へ包まれ、前世の記憶を保ったまま、わずか『七歳』だった幼い頃の肉体で再び眼を覚ますことになります。

 

私は巌勝殿へ、とても~大きな期待を寄せています。その期待がこれほど大きいのですから、過去へ戻ったら、決して私を失望させないでくださいね~」

 

 

 

慈愛に満ちた笑みを浮かべる菩薩の手から、白い丸薬を受け取った巌勝の全身には、どこか悲壮で決然とした武人の気迫が漂っていた。

 

 

 

続いて地蔵菩薩は、片手へすっぽり収まるほどの大きさで、不可思議な神性を帯びた六つの小さな紫色の玉が入った袋を巌勝へ渡し、付け加えた。

 

 

 

「この六つの玉に秘められた神秘的な機能についても、先ほどあなたが頭の中で反芻した内容へすべて入っています。後々、必要な時に……存分に役立ててください」

 

 

 

袋を受け取り、頭を下げていた巌勝は、やがて蜃気楼のようにゆっくり消え始める地蔵菩薩を慌てて呼び止め、地へ膝をついて懇願した。

 

 

 

「その前に……この薬を飲み、ここを去る前に、最後にどうしても一つだけお願いしたいことがあります」

 

 

 

「どのようなお願いです? すでに、あなたには分不相応と言ってよいほど多くの特例を与えた気がするのですが?

 

これ以上まだ欲しいと駄々をこねられると、地獄の恐ろしい十王(じゅうおう)たちだけでなく、あの高い天におられる、少々気難しい方々まで不快になさるかもしれませんよ?

 

今この瞬間にも、その方々は私とあなたがこうして話している様子をご覧になっているでしょうしね~?」

 

 

 

巌勝がまた、楽で容易い近道を望むのではないかと、内心わずかな不安を宿した眼差しで見る地蔵菩薩に対し、巌勝が震える声で口にした願いは、実に衝撃的なものだった。

 

 

 

「…………時透家……前世において、『継国巌勝』という愚かな祖先のせいで、世へ独り置き去りにされ、

 

最後には貧しくなり、惨めに没落してしまった私の大切な家族と末裔たちが、あのような運命へ至ったのは、紛れもなく私の責任です。

 

彼らの血は、たとえ私から遥か遠く離れた末裔のものだとしても……再び鬼となり、ただ人々を守る剣として生きなければならない今の私にとって、

 

『末裔』という言葉は、洗い流すことのできない罪悪感と、骨身へ染みる後悔だけを呼び起こす、胸の痛む言葉でしかありません。だからこそ、こうして菩薩様へ跪き、どうかとお願い申し上げます」

 

 

 

男の眼から、堪え続けていた熱い涙が、ぽたり、ぽたりと床へ落ちた。

 

 

 

「新たな世界へ戻れたなら、私は何としてでも、弟・縁壱の家族を全力で救います。

 

そして、弟の子がいつの日か無事に成長し、さらに子孫を残すことができたなら、私は決して彼らを見捨てず、闇の中から静かに、命を懸けて守り続けます。

 

ですから……この回帰した世界では、前世の傲慢な私が自らの手で無惨に殺してしまった、哀れな無一郎……そして鬼によって惨たらしく殺された、あの子の兄である有一郎のような哀れな子供たちが、

 

私の血筋ではなく、『縁壱の大切な末裔』として繋がり、この世へ生まれてこられるように……どうか、心からお願い申し上げます」

 

 

 

ぽたり……ぽたり……。

 

 

 

末裔。

 

 

 

醜悪な鬼として生きた彼にとって、それは口にすることさえ贅沢に思える言葉だった。

 

 

 

無惨を完全に殺し、消し去るその日まで、ただ人間を守る盾として生きなければならない巌勝にとって、家を興し、末裔を残すことは、あまりにも残酷で苛烈な枷だった。

 

 

 

前世では、あれほど憎んでいた縁壱が自ら家を去ったことで心が安らぐという、あまりにも『醜い』状態の中で誰かと結婚し、子をもうけ、

 

 

 

『退屈で、つまらない』と独白していた自分にとって、愛してもいない女と結ばれ、武家の発展のためだけに婚姻し、子を生ませて家業を継がせるという生き方は…………

 

 

 

今の巌勝には贅沢であり、同時に前世の妻であった彼女と、その子供へも、言葉では表せぬほどの罪を犯したのだと思えていた。

 

 

 

そのような逆説的な人生をもう一度繰り返すことは、自らへ嫌悪を強いることに等しかった。

 

 

 

だからこそ彼は、自分に繋がるすべての血縁の縁を弟へ完全に譲り、自らは生涯、孤独な影として生きると宣言したのである。

 

 

 

男の胸の奥底から響く、心からの懺悔と兄弟愛を悟った地蔵菩薩は、遥かな天を仰ぐように上を見つめ、感嘆を込めた長い息を吐いた。

 

 

 

「そこまで大きな覚悟と悲しみを込めて言われてしまっては……曲がりなりにも救済者である私が、それを知らぬ顔で無視したなら、むしろ恥をかくのは私のほうになりそうですね。

 

上の神々も、あなたの覚悟に少々戸惑っておられるようですし…………ふう、分かりました。その切なる願いについては、私が責任を持って天界の神々へ話を通し、確実に取り計らいましょう」

 

 

 

菩薩から明確な約束を得ると、巌勝はもう一度、心から彼へ深く頭を下げた。

 

 

 

やがて男が、ついに決然とした表情で回帰丸を口へ運ぼうとした、その刹那。地蔵菩薩は一度だけ彼の手を止め、唐突に柔らかな言葉をかけた。

 

 

 

「あなたのその尊い意志と、折れぬ勇気に感動しました。ですから私も最後に、もう一つだけ、美しい贈り物を加えて差し上げましょう。

 

おそらく、あなたが七歳の子供として回帰したその日から、歴史は前世とはまるで違う形で、激しく渦巻きながら流れていくでしょう。

 

その長い数百年の歳月の中で、あなたが一人で背負わねばならない苛烈な苦難と孤独を……独り悲しく味わわせぬよう、私が特別に、あなたへ『運命の伴侶』との縁を贈りましょう」

 

 

 

「伴侶……? いったい、それはどういう意味ですか……。私にとって『伴侶』という存在は、人生では……いや、鬼としての生においても、存在しないものだと思っていますが……」

 

 

 

男が言い終えるより先に、地蔵菩薩は指を弾き、白い丸薬をそのまま巌勝の口の中へ押し込み、呑み込ませた。

 

 

 

驚きながら何かを言おうとした巌勝の全身は、一瞬で眩い純白の炎へ包まれ、ゆっくりと消え始めた。それでも彼は、意図がまるで理解できないというような疑問に満ちた表情で菩薩を見つめた。

 

 

 

地蔵菩薩は、消えゆく男の六つの眼へ、優しく励ますような眼差しを送りながら、最後の答えを告げた。

 

 

 

「運命の伴侶……その人をどう見つけ、どのように美しい縁へ育てていくのかは、これから生きるあなた自身の意志にかかっています。

 

過去へ戻り、あなたへ与えられたその偉大な使命を、必ずや成し遂げることを、私は心から期待しています」

 

 

 

ゴオオオッ─!

 

 

 

最後の瞬間まで不可思議な疑問を拭えぬまま、巌勝の魂が完全に消滅するかのように、過去の時間軸へ消えていった後の、空虚な場所。

 

 

 

人が生きるうえでもっとも根源的で本質的なものの一つであり、生きる理由の一つともなり得る『末裔』という巨大な目標を放棄したまま回帰した巌勝の姿へ向け、地蔵菩薩は予言するように呟いた。

 

 

 

「…………そして、あなたがあれほど拒んだ『末裔』という言葉ですが…………いつの日か、その言葉を拒んだことを、あなたはきっと後悔すると私は断言しましょう……

 

彼女と出会えば…………引き裂かれた魂が癒やされていく、その瞬間を…………末裔など考えぬと決めた、あの泰山のような心が崩れていく様を、あなた自身が見ることになるでしょう……

 

運命の伴侶である彼女は、見方によっては、あなたにとって『縁壱』以上の救いとなるはずですから。

 

もちろん、あなたも彼女を見つめる中で、別の意味の救いを得ることになるでしょうけれど……自分の意志が崩れたからといって、あまり自分を責めたり…………『罪悪感』という海へ沈んだりしないでほしいものです。

 

ただでさえ、海の向こうの地にいる十三柱の神々から散々小言を言われながら、ようやく許可をいただいたのですから…………ともかく、あなたの武運を祈っています。そして、彼女をどうか……大切に守ってください」

 

 

 

その言葉を最後に、巨大な静寂だけが残った焦熱地獄の深淵で、地蔵菩薩は慈愛に満ちた笑みを浮かべたまま、また別の誰かがここへ現れるのを静かに待ち始めた。

 

.

 

 

 

.

 

 

 

.

 

 

 

.

 

ギギギィィ───

 

 

 

重く冷たい鉄扉が開くかのような不吉な裂音と共に、巌勝が消えた空虚な場所へ、圧倒的な殺気が覆い被さった。

 

 

 

玉色の正装を荘厳に纏い、地獄の権力を握るこの地の主宰者───閻魔大王が、霧の中から姿を現した。

 

 

 

彼は不満を隠そうともしない表情で、業鏡(ごうきょう)を象った巨大な冥府の杖を、ドン、と地面へ突き立て、消え去った白い炎の残滓を睨みつけた。

 

 

 

「あの醜悪な怪物が、本当に改心し、この世の人々を救うと……あなたは心の底からそう思っているのですか、地蔵菩薩よ」

 

 

 

紫の闇の中、地蔵菩薩は静かに袈裟を整えながら、穏やかに微笑んだ。

 

 

 

「少なくとも、彼が地獄の劫火の中で数百年を黙って耐え抜き、流した血涙と、魂の底からの痛恨が真実であると感じた私には……あの男には、十分どころか有り余るほど、立ち直る余地があるように見えます」

 

 

 

「ふん! そう言う割には、永遠に近い時間、再び鬼として生きる運命まで与えたとは……菩薩よ、あなたはいつも、その慈悲が過ぎるから困るのです。

 

その無分別な慈悲は、後々、罪人どもが天界と冥府の法を軽んじる口実になるだけだ!

 

それに、すでに惨めに死に、天へ昇った罪なき鬼殺隊の魂たちは、いったいどうするおつもりなのです?

 

これほど巨大な独断を犯して、その責任を、いったいどう取るつもりですか!」

 

 

 

閻魔大王の眼が、青白い眼光を放った。冥府の王として地獄の秩序を守ろうとするその論理は、研ぎ澄まされた刃のように鋭かった。

 

 

 

「あなたが、あの一人を過去の時間軸へ回帰させた瞬間、この巨大な因果の法は歪みます!

 

歴史が変わるということが何を意味するのか、分からぬわけではあるまい! たとえ奴が前世の記憶を持ち、既存の犠牲者たちを悲劇から救えたとしても、

 

捻じ曲がった因果の波の中で、『本来なら無惨によって死ぬはずではなかった、新たな罪なき命』が必ず生まれ、惨めに死んでいくことになる!

 

前世の被害者を救うために、予定になかった現世の新たな被害者を生み出す───それが、あなたの言う正当な救済なのですか?

 

あの男は、生前、数百、数千の血を啜った大罪人です。

 

そのような者へ『救いの機会』という名目で、さらに別の因果の悲劇を孕ませる道を開くとは。衆生を救うという、あなたの尊い誓願と正面から衝突する矛盾ではありませんか!」

 

 

 

時間を捻じ曲げることで生まれる新たな悲劇を突きつける閻魔大王の鋭い論理は、まさに地獄の王に相応しい、完璧な反論だった。

 

 

 

冥府の天秤は一寸の誤差も許さない。ゆえに過去を変えることで生まれる新たな業は、そのまま地蔵菩薩自身の業として返ってくるはずだった。

 

 

 

しかし地蔵菩薩は、閻魔大王の理に満ちた怒りを、まるで澄んだ茶を一杯飲むかのように穏やかに受け止め、冥府の王でさえ容易には反駁できない、菩薩の逆説を差し出した。

 

 

 

「閻魔大王殿。人間とは本来、生まれた時から完全ではない、『転ぶ存在』です。

 

転ぶことが、死すべき者たちに避けられぬ業であるのなら、もう一度立ち上がる機会を与えることこそ、神性が行うべき真の救いではありませんか。

 

もちろん、閻魔大王殿が指摘された因果の変動と、新たな犠牲への懸念は、至極もっともです。ですが、どうか私の考えを聞いてください」

 

 

 

菩薩の眼が金色に輝いた。冥府の法へ向き合うだけの道理が、その唇から静かに紡がれていった。

 

 

 

「閻魔大王殿は因果の波紋を案じておられますが、そもそも無惨という巨大な腫瘍を放置したまま進んでいく、前世の決められた軌道こそ、

 

数百年もの間、数千、数万の人間が機械のように死に続けなければならないという、因果律そのものが抱えた巨大な矛盾であり、『閉ざされた地獄』でした。

 

巌勝殿が回帰し、歴史へ波紋が生じれば、予想外の新たな揺らぎが、一時的に生まれるかもしれません。

 

ですが、巌勝殿という『縁壱に比肩し得る武力』と『鬼の性質』を同時に持つ巨大な変数が歴史へ介入した瞬間、

 

千年もの間、終わらせることのできなかった無惨という悪の根は、数百年は早く断ち切られることになるでしょう。

 

千年の間、毎年数百人ずつ死んでいった、合計数十万にも及ぶ未来の犠牲者を計算してみてください。

 

無惨が早期に滅ぼされることで救われる『数万の未来の命』と比べれば、因果律の一時的な混乱によって生じる傷痕は、むしろもっとも慈悲深い配剤ではありませんか?

 

これは、大のために小を犠牲にしようという、ありきたりな論理ではありません。永遠に繰り返される悲劇の鎖を断ち切るため、もっとも強力な浄化の楔を過去へ打ち込んだのです。

 

冥府の天秤をもってしても、この巨大な生命の総量を、否定することはできないはずです」

 

 

 

閻魔大王は、その菩薩の言葉を前にして、一瞬、重い沈黙へ沈んだ。

 

 

 

無惨を早期に滅ぼし、未来の数十万の命を救うという圧倒的な大前提の前では、因果律の一時的混乱という自らの論理が、力を失っていた。

 

 

 

しかし、それだけで地蔵菩薩がすべての論争へ勝利したと断じるには、閻魔大王が最初に投げかけた問いの中へ、なお一本の鋭い棘が残っていた。

 

 

 

数十万の人々を救えるという理由だけで、回帰後の歴史で新たに死ぬことになる、たった一人の悲劇を、どう正当化するのか。

 

 

 

数多の命を裁いてきた冥府の王にとって、たとえ十人、百人、千人、万人を救うことができたとしても、その過程で本来死ぬはずではなかった一人の人間が理不尽に死ぬならば、その一つの亡魂を数の差だけで黙殺することもまた、決して正義とは呼べないことだった。

 

 

 

だからこそだろう。閻魔大王はしばらく沈黙した後、先ほどよりもさらに冷たく沈んだ声で、菩薩へ問いかけた。

 

 

 

「……ですが、結局あなたの論理を最後まで押し通せば、大のために小を受け入れることと、何が違うのです?

 

千人を救うために一人が死に、万人を救うために十人が死んだとしましょう。では、その死んだ者たちの親や子、その人を愛していた家族へ、あなたは何と説明するつもりですか?

 

『あなたの子は本来の歴史では生きていたが、より多くの人を救うための新たな歴史の中で偶然死んだ。どうか理解してほしい』とでも言うおつもりですか?

 

冥府の天秤は、命の数だけを数える算盤ではない。一人の人生には、その者が出会い、愛し、生きていけたはずの、無数の可能性が結びついているのです。

 

それを知りながら、あの男を送り出したのであれば、結局、菩薩であるあなた自身も、誰かの命が犠牲になる可能性を承知したうえで、盤上へ一つの駒を投げ込んだのではありませんか!」

 

 

 

先ほど以上に核心を突く閻魔大王の反論を受けても、地蔵菩薩は動揺しなかった。

 

 

 

むしろ、その問いを待っていたかのように、ゆっくりと笑みを消し、今度は冗談めいた色を一欠片も残さぬ真剣な顔で、冥府の王と向き合った。

 

 

 

「ですから先ほど申し上げた通り、私もまた、新しい歴史の中で生まれるかもしれない、たった一人の犠牲さえ軽く考えてはいません。

 

そして、まさにその点で、閻魔大王殿と私の考えは分かれているように思います。

 

閻魔大王殿は、『歴史を変えると決めた選択』によって生じる結果だけへ責任を問うておられる。ですが私は、逆に伺いたいのです。

 

これから起こる悲劇を何も知らないのであれば、何もしないことは、選択とは呼べないでしょう。

 

ですが、私たちはすでに知っています。

 

無惨が生きている限り、数百年の間にどれほど多くの人間が死ぬのか。鬼殺隊がどれほど多くの子供や若者を戦場へ送り出さねばならないのか。

 

縁壱がどのような悲劇を味わうのか。数多の柱がどのような死を迎えるのか。そして最後の勝利のため、いったいどれほどの血が流れねばならないのか……私たちはもう、すべて見てしまいました。

 

しかも、それを防げる可能性まで、今、私たちの手の中にあります。

 

その状態で、『因果律へ手を出すのが怖いから、何もしない』と選ぶのであれば───

 

そうして何もしなかった結果、再び死ぬことになる数万の命について、本当に何の責任もないと言い切れるのでしょうか?」

 

 

 

「……」

 

 

 

「手を伸ばした結果だけが『選択』であり、手を伸ばせたのに背を向けた結果は、ただ自然の摂理だと言うのなら、それこそむしろ、冥府の天秤が持つ公平さへ反してはいませんか?

 

私たち神々が、すべての人間の悲劇へ介入すべきだと言っているのではありません。それは人間の自由意志を無視する傲慢であり、私も決して望んではいません。

 

ですが、今回の件は少し違います。

 

あの男はすでに一度、あの時代を人間として生き、自らの選択で鬼となり、自らの選択で数多の人間を殺しました。

 

そして、その罪の代価を地獄ですべて払い終えた後、自分の手で壊した歴史を、今度は自分の手で直したいと選んだのです。

 

私が地上へ直接降り、無惨の頸を折ったわけではありません。

 

天界の軍勢を送り、人間の代わりに戦わせたわけでもない。

 

あの時代に本来存在していた一人の人間へ……自分がかつて行った選択を、もう一度選び直す機会を与えただけです。

 

あの男がこれからどの道を歩むのかは、なお、人間であった彼自身の自由意志に委ねられています」

 

 

 

地蔵菩薩はしばらく言葉を止め、少し前まで巌勝がいた場所を見つめながら、さらに静かな声で続けた。

 

 

 

「そして何より、私は巌勝殿へ、『前世の犠牲者だけ救って終わりなさい』という使命を与えたわけではありません。

 

彼が歴史を変えたことで、前世にはなかった新たな危険が生じるなら、その危険の中へ置かれた人々もまた、守らなければなりません。

 

前世で死んだ人々だけではなく、自分の選択によって新たに生まれた人、新たに危険へ巻き込まれた人までも、すべて自らの責任の下へ置く必要があるのです。

 

一つの選択によって因果の流れを変えるのなら、その流れに沿って新たに生まれる波紋までも、目を背けず抱え込まなければならない。

 

そこまでを含めて、私が彼へ与えた『守護者』という使命なのです。

 

ですから彼は、未来の正解をすべて知ったうえで、安穏と人生をやり直す者ではありません。

 

むしろ、自分が正解を一つ変えるたびに新たな問題が現れる試験を、いつ終わるとも知れぬ歳月の中で、何度も何度も解き続けなければならない者なのです」

 

 

 

閻魔大王の眼差しが、僅かに揺れた。

 

 

 

地蔵菩薩の主張は、単純に『より多くの人間を救えばよい』という功利主義的な論ではなかった。

 

 

 

回帰によって生まれる新たな因果への責任までも、巌勝本人へ背負わせる。

 

 

 

すなわち、過去を変える権利を与えたのと同じだけ、その変化によって生まれる、あらゆる命の重みまで背へ負わせるということだった。

 

 

 

「しかし……!」

 

 

 

閻魔大王は、なお自らの主張を捨ててはいなかった。

 

 

 

「それにしても、あの男へ与えたものは、あまりにも特例が過ぎる!

 

回帰に前世の記憶、数百年分の剣術の心得、人を食わずとも生きられる特殊な鬼の体質、さらには他の鬼の血鬼術を捕食できる可能性に加え、斬首と太陽を克服し、完全生物へ至る機会まで!

 

地獄の刑罰をすべて終えた魂だというのなら、普通の人間として新しく生まれ、何も知らぬところからやり直させればよい。それを、なぜあれほどの力を抱えさせたまま、過去へ送り返すのですか?

 

いくら贖罪のためとはいえ、罪人へ与える褒美としては、あまりにも過分ではありませんか?」

 

 

 

「……その点については、むしろ私のほうから、閻魔大王殿へ一つ伺いたいですね」

 

 

 

地蔵菩薩の表情へ、ごく淡い苦笑が浮かんだ。

 

 

 

「果たして、巌勝殿へ私が与えたものは、本当に『褒美』だけだと思われますか?」

 

 

 

「何ですと?」

 

 

 

「先ほど彼へ説明した通り、巌勝殿はすでに焦熱地獄で、自分へ科された刑期をすべて終えています。

 

ですから、何の記憶も持たぬ普通の人間として転生し、新しい両親の腕に抱かれ、新しい誰かを愛し、子をもうけ、老いて家族に囲まれながら世を去る人生を選ぶこともできました。

 

自分が黒死牟だったことも、数多の人間を食ったことも、縁壱を妬んだことも、当主の頸を斬った罪も、地獄で味わったあの永劫の苦痛も、すべて忘れたままです。

 

そのほうが、遥かに楽ではありませんか?」

 

 

 

閻魔大王は、何も答えなかった。

 

 

 

「ですが、あの人はそれを捨てました。

 

自分がもっとも嫌悪するようになった鬼の肉体を、再び纏うと知りながら、それでも過去へ戻ると言いました。

 

かつて自分が食らった者たちと同じ人間を守るため、二度と普通の人間のように老いて死ぬことのできない身体で、無限とも思える歳月を生きる道を選びました。

 

自ら殺した者たちの顔と悲鳴、無一郎と玄弥の最期、縁壱へ抱いた醜い劣等感、鬼殺隊を裏切った記憶――その何一つとして消してほしいとは願わず、すべて抱えていくと言ったのです。

 

さらには、自ら末裔を残す権利までも捨て、自分の血筋を弟の末裔へ繋いでほしいと、私の前へ跪きました。

 

無惨がいつ死ぬのかさえ、分かりません。

 

歴史が変わり始めた瞬間、彼が知っている未来の情報さえ、少しずつ役に立たなくなるでしょう。

 

それでも、自分が生きている限り、人々を守り続けると言いました。

 

……閻魔大王殿」

 

 

 

菩薩は、ゆっくりと両手を合わせた。

 

 

 

「これらすべての条件を一度に見てもなお、それをただ、罪人へ与えられた甘い褒美とだけ呼べますか?

 

私が巌勝殿へ強い力を与えたのは、その力で安穏と君臨させるためではありません。

 

より多くを守れる力を持つのなら、その分だけ、より多くのものへ責任を負いなさい――そのために与えたものです。

 

そして私はこれを……彼が地獄で受けた刑罰とは異なる種類の、『第二の贖罪』だと考えています。

 

地獄の炎が過去に犯した罪の代価を支払う刑であったなら、これから彼が歩く修羅の道は、その罪を記憶したまま、過去とは正反対の選択を果てしなく繰り返さねばならない、刑罰であり、同時に救いなのです」

 

 

 

「罪をすべて償った者へ、さらに贖罪を……」

 

 

 

閻魔大王が、重く呟いた。

 

 

 

「その通りです。ただし、強いられた刑罰ではありません。

 

彼が自ら選んだ刑なのです」

 

 

 

地蔵菩薩は、再び閻魔大王を正面から見つめた。

 

 

 

「そして、一つだけ誤解していただきたくないことがあります。

 

私は、巌勝殿が地獄で刑期をすべて終えたから、彼の罪が無かったことになったなどとは言っていません。

 

彼に殺された者たちが、彼を赦さねばならないとも言っていません。

 

時透無一郎が、自分を殺した祖先を赦す理由などありませんし、頸を斬られた当主の魂と、その家族が、『罪を償ったのだから、もうよい』と笑ってやる義務もありません。

 

赦しは被害者の権利であり、加害者が刑期を終えたという理由で要求できる報酬ではありません。

 

巌勝殿が今後、たとえ数万人の人間を救ったとしても、過去に自ら奪った一つの命を、その功徳で帳消しにすることはできません。

 

すでに起きた死は、永遠に、起きた死として残ります」

 

 

 

その言葉に、閻魔大王の表情が初めて僅かに和らいだ。

 

 

 

それは、冥府を治める自分自身も、もっとも重んじている法だったからである。

 

 

 

「ですが……罪を犯したという事実と、その後に善い選択をする可能性は、互いに矛盾するものではありません。

 

過去の罪を消せないという理由だけで、その者は未来永劫、悪人であり続けねばならないと決めてしまうのなら、地獄で罪の代価を払わせ、魂を浄化することに、いったい何の意味があるのですか?

 

罪人は永遠に罪人でしかないというのなら、更生も、懺悔も、救済も、存在する理由がありません。

 

それなら地獄は、刑罰を終えた後に新たな道を開く場所ではなく、一度罪を犯した魂を永遠に拷問する処刑場と、何が違うのでしょう?

 

私は、罪を無かったことにしようとしているのではありません。

 

むしろ、その罪を最後まで記憶しながら、それでも別の選択ができると証明させようとしているのです。

 

人を殺した剣で人を守る。自らの永生のために人の肉を食った鬼が、その永生を使って人々を守る。

 

弟を越えるために強さを追った男が、今度はその強さで、弟と他の人々の幸福を守る。

 

それこそが、巌勝殿が過去を決して消すことなく、それでも過去とは違う人間になれる、もっとも確かな方法だと私は思っています」

 

 

 

しばらくの間、地獄の深淵には、何の言葉も流れなかった。

 

 

 

しかし少し後、閻魔大王は杖を一度床へ転がし、なおも不満げな顔のまま、新たな疑問を投げかけた。

 

 

 

「よろしい。百歩譲って、それがあの男の贖罪だとしましょう。

 

ですが、私はまだ理解できません。

 

なぜ、よりによって巌勝なのです?

 

地上の歴史には、あの男より遥かに高潔で善良な剣士たちも数多くいたはずです。

 

何の罪も犯していない人間の中から、才ある者を一人選び、回帰丸とその力を与え、無惨を討たせればよいではありませんか?

 

なぜわざわざ、数え切れぬほど人を食った殺鬼を選び、あれほど莫大な力を再び握らせる必要があるのです!」

 

 

 

その問いに、地蔵菩薩はむしろ静かに笑った。

 

 

 

「それならば、今度は私から逆に伺いましょう。

 

何の罪も犯していない高潔な人間へ……無惨の血を強制的に受け、鬼になれとおっしゃるのですか?」

 

 

 

「……」

 

 

 

「人間の肉を食べたいという本能と毎日戦い、太陽の下を歩くこともできず、

 

家族たちが自分の目の前で老いて死んでいく姿を数百年見続けながら、自分だけは老いもせず、死ぬこともできないまま、闇の中で無惨を追えと?

 

斬首を克服するため、自分の命を賭け、太陽を克服するため、文字通り焼けて消滅する危険まで負いながら、

 

いつ終わるとも知れぬ使命のために、人間としての人生すべてを犠牲にせよと……何の罪も犯していない人間へ、そのような重荷を無理やり背負わせることのほうが、本当に正義なのですか?」

 

 

 

「それは……」

 

 

 

閻魔大王の言葉が、しばし途切れた。

 

 

 

「誰かが、その苛烈な道を歩かねばなりません。

 

それなら、何の罪もない魂へ新たな悲劇を作り、それを無理やり背負わせるよりも、すでに鬼となった経験があり、その罪を犯し、

 

自分が生んだ悲劇を、自分の手で直したいと自ら名乗り出た者が、その重荷を背負うほうが、より筋が通っていると私は判断しました。

 

しかも、巌勝殿が持つものは、単なる強さだけではありません。

 

彼は人間の剣士として痣と透き通る世界を経験し、月の呼吸を自らの力で創り上げ、鬼となった後は、実に数百年もの間、十二鬼月の頂点である上弦の壱として生きました。

 

無惨のすぐ傍らで、あの男の性格と思考、生存への執着と卑劣さ、鬼を扱う方法、十二鬼月の生態まで、すべて自ら経験しています。

 

同時に、鬼殺隊の剣士として生きた経験もあります。

 

縁壱という人間が、いったいどのような人なのかを、個人的にもっともよく知る血縁でもあります。

 

そして何より……」

 

 

 

地蔵菩薩の眼差しが、僅かに沈んだ。

 

 

 

「自分が、どこで間違えたのかを知っています。

 

一度堕ちたことのある者は、人が堕ちる瞬間の甘美さが、どれほど危険なのかを知っています。

 

最初から悪を知らぬ者ではなく、自ら悪を選び、その果てに何が待っているのかを、自分の魂で経験した者です。

 

人間としての強さと、鬼としての強さ。

 

鬼殺隊の側から見た世界と、十二鬼月の側から見た世界。

 

縁壱という太陽の傍らで生きた人間の記憶と、無惨という悪の傍らで生きた鬼の記憶。

 

そして、地獄まで。

 

このすべてを同時に経験した存在が、この世に他にいますか?」

 

 

 

閻魔大王は、容易には答えられなかった。

 

 

 

数千、数万もの魂を裁いてきた彼であっても、これほど奇妙な条件をすべて備えた者を、他に探し出すのは難しかったからである。

 

 

 

「私が巌勝殿を選んだのは、彼が哀れだったからだけではありません。

 

強いからだけでもありません。

 

彼が背負った罪、彼が持つ経験、彼にできること、そして今後果たすべき贖罪の方向が、奇妙なほど一つの道の上へ重なっていたからです。

 

罪人を地獄の炎で焼き尽くすことだけが正義ならば、それはもう終わりました。

 

今度は、その罪人が持っていたもっとも鋭い刃をもう一度研ぎ直し、かつて自ら加担した、さらに大きな悪の根を、その手で斬らせる。それが、私の選んだ次の段階です。

 

だからこそ、私は巌勝殿へ機会を与えたのです」

 

 

 

閻魔大王は、しばらく何も言わず、地蔵菩薩を睨みつけていた。

 

 

 

論理だけを見れば、先ほどより遥かに反論しづらくなっていたのは事実だった。

 

 

 

しかし、地獄の王が最後まで手放せない最大の疑問は、別のところにあった。

 

 

 

結局、この計画すべては、巌勝という一人の人間の心が、本当に変わったという前提の上へ築かれている。

 

 

 

どれほど地獄の劫火へ耐え、懺悔の涙を流したところで、人の心とはいつでも揺らぎ得る。

 

 

 

そして、そのような者が数百年分の心得に加え、完全生物へ発展する潜在力まで持つのなら、もし再び堕落した瞬間、前世の黒死牟より遥かに危険な怪物が生まれる可能性も、無視することはできなかった。

 

 

 

それでも地獄の格を守るため、閻魔大王は杖を強く握り締め、もう一度声を荒らげた。

 

 

 

「地蔵菩薩よ。あなたがどれほど巨大な功徳を掲げ、盤上を動かそうとも、人の本性は本来、悪です!! 人間とは生まれながらに貪欲な存在なのです!

 

あの男も、前世の傲慢な記憶をすべて持ったまま生まれたとして、再び弟の圧倒的な姿を目にすれば、また劣等感へ囚われ、同じ裏切りの道を歩くかもしれない!

 

救いだと? もしあの男が神々の配剤を裏切り、再び堕ちたら? また人間を狩る、前世の黒死牟のような怪物へ戻ったなら、その時はあなたが天界のすべての責任を負うことになります!

 

あの男が欲望へ負け、さらに多くの人間を食うようになれば、理不尽に死んだ者たちの亡魂は、今の地獄より遥かに多く溢れ返ることになるでしょう!

 

そうなれば、あなたは天界の最高権威である天之御中主神様をはじめ、あなたの偉大な師である釈迦様にまで、拭うことのできないほど大きな迷惑をかけることになるのです!!

 

それだけではない! この列島を越え、朝鮮半島の神々にまで小言を言われながら許しを請うたというではありませんか!! あのような罪人一人を救うため、他国の神々にまで頼み込み、

 

『運命の伴侶』という贈り物まで与えた、その真意が私には分かりません!!」

 

 

 

閻魔大王が激しく怒鳴っても、地蔵菩薩はただ笑うばかりだった。

 

 

 

「ははははっ!!」

 

 

 

「笑い事ではありません! あなたが目をつけた十三柱の神々の中に、私自身も入っていることを、あなたは初めから知っていたでしょう!!!

 

運命の伴侶…………あの子は、私たち神々にとって、娘であり孫にも等しい大切な子です。そんな大切な子を、ようやく罪を洗い流したばかりの、あのようなろくでなしへ与えるなど、

 

私は反対です! ふん!」

 

 

 

自分を含む十三柱の神々が地蔵菩薩へ怒りを向ける中、ただ一人静かに黙り、菩薩のしたことを覚えていた閻魔大王は、ずきずきする頭を押さえた。

 

 

 

「はは! ある意味、閻魔大王殿が黙っていてくださったおかげで、あの方々を説得する労力が少し減ったのですから、私としては実にありがたい限りですよ」

 

 

 

そう怒る閻魔大王へ、地蔵菩薩は笑い過ぎて滲んだ涙を法衣で拭いながら、むしろ澄んだ笑い声を響かせ、平然と答えた。

 

 

 

「あなたが見た黒死牟……いえ、巌勝殿の可能性を、あまりにも軽く見過ぎてはいませんか? 人は誰しも間違い、滑るものです。巌勝殿も同じでした。

 

ですが彼は少し前、魂が溶け落ちるような苦痛の中でも、鬼殺隊の歴史を前に侍として膝をつき、懺悔の血涙を流し、十分な可能性を見せました。

 

万に一つ、閻魔大王殿の懸念通り、彼がまた堕落しようとするなら……地獄の劫火を骨へ刻んだ彼自身が、誰より残酷に自分を裁くでしょう。

 

彼はすでに地獄を経験しました。千年など笑い話に思えるほど……いえ、宇宙そのものが変わり得る、それ以上の長い暗黒の歳月を過ごした彼にとって───

 

次の世界で眼を覚ました瞬間から、その地獄の記憶は、自分自身を絶えず鍛え続ける、研ぎ澄まされた刃となるでしょう。

 

もちろん、前世のように他人を斬り、惨めに食い尽くす破滅の刃ではなく、自分を徹底して鍛えながら、他者を守り抜く、高潔な『守護の刃』のことです。

 

そして、先ほど巌勝殿へ話したように、『運命の伴侶』との縁を与えたのも、その使命を果たすうえで大きな助けとなる存在を傍らへ繋いだからです。だから私はむしろ、二人が築く夢と、それを繋いでいく物語を信じたいと思っています。

 

もちろん、その縁を得るため、他国の神々や閻魔大王殿へお願いしたわけですが…………どうせ傷つく威信は私だけです。

 

そんな余計な心配までなさるとは…………閻魔大王殿が、内心では私を気遣ってくださるとは思いませんでした」

 

 

 

しかし、そこまで言った地蔵菩薩は一度笑みを消した。先ほど閻魔大王が提起した『再び堕落する可能性』だけは、決して冗談で流してはならない重要な問題だと考えたのか、先ほどより遥かに真剣な表情で言葉を加えた。

 

 

 

「ただし、閻魔大王殿。一つだけ、はっきりさせておきましょう。

 

私も、巌勝殿が地獄で懺悔したからといって、これから一度も揺らがないと盲目的に信じているわけではありません。

 

そのような信じ方は、慈悲ではなく傲慢です。

 

人の心は、生きている限り、絶えず揺れます。

 

再び縁壱の力を見て、ほんの一瞬でも嫉妬する時があるかもしれない。自らの力が圧倒的になった時、過去の傲慢な感覚が僅かに蘇ることもあるでしょう。

 

鬼として数百年を生きる間、自分が守ろうとした人間たちが次々と老い、死んでいく姿を見続け、心が疲れ切る瞬間だって、必ず訪れるはずです。

 

もちろん…………私も分かっています。

 

だから私は、彼へ完成された力をそのまま渡したわけではありません」

 

 

 

地蔵菩薩は、自らの指先へ視線を落とした。

 

 

 

少し前、巌勝の額を二度貫き、その魂へ刻み込んだ二つの絶対的難関。

 

 

 

斬首克服。

 

 

 

太陽克服。

 

 

 

「閻魔大王殿も、冥府の書を通じて、私があの男の魂へ刻んだ具体的条件を、すでにご覧になっているでしょう。

 

あの二つの難関は、単純に鬼がより強大な生命体へ進化するためだけの、肉体的条件ではありません。

 

前世の巌勝殿は、『死にたくない』という恐怖と執着だけで、頸という弱点を無理やり克服しました。

 

その果てに現れたものは、いったい何でしたか?

 

本人でさえ、鏡に映った姿を見て嫌悪したほど、醜く、おぞましい怪物でした。

 

肉体の上では斬首を越えていたとしても、精神の上では、むしろ鬼の本性へ完全に呑み込まれていた。

 

今度は、その逆です。

 

自分が死にたくないから生き残るのではなく、自分がここで死ねば、背後にいる人々まで死ぬから、生き残ろうとする心。

 

強くなりたいから太陽を克服するのではなく、夜にしか動けない限界のせいで救えない人々を、真昼であっても救うために太陽を越えようとする心。

 

自らの命を守るためではなく、他者の命を守るためだという理由が、彼の魂の中で完成しない限り……あの二つの難関の真の門は、最後まで開かないでしょう」

 

 

 

閻魔大王の顔から、怒りがほんの僅かに消え、代わりに鋭い関心が浮かんだ。

 

 

 

「つまり……あなたは、その二つの難関を、単なる力の褒美ではなく……」

 

 

 

「彼が本当に、前世の巌勝を越えたのか。それを検証するための、最後の試験にもしてあるのです。

 

言葉だけなら、いくらでも『善く生きる』と言えるでしょう。

 

地獄で膝をつき、涙を流すことだってできます。

 

ですが、本当の変化というものは、これから数百年にわたる人生の中で、自らの選択によって証明しなければなりません。

 

彼が本当に守護者となったなら、その力は完成するでしょう。逆に、再び自らの生存と欲望のためだけに力を追うなら……たとえ数百年分の剣術の心得を持っていたとしても、結局、もっとも重要な門の前で足を止めることになります。

 

私が彼へ与えたのは、正解そのものではありません。

 

正解が存在するという事実と、その正解を自ら探し当てられる可能性だけです」

 

 

 

「……」

 

 

 

「ですから、閻魔大王殿の懸念も間違ってはいません。

 

彼は失敗するかもしれません。

 

再び揺らぐこともあるでしょうし、最後まで自分自身を越えられない可能性だってあります。

 

ですが私は、その可能性があるという理由だけで最初から機会を奪うことと、失敗する危険を承知のうえで、それでも自ら証明できる道を開くこと。その二つのうち、後者を選びました。

 

そして、その選択に対する責任は、当然、私も負います」

 

 

 

しばらく何も言わず地蔵菩薩を見つめていた閻魔大王は、目の前の菩薩もまた、慈悲を施すという理由だけで、

 

 

 

巌勝の成功を盲目的に確信しているのではなく、失敗する可能性と、その責任まで認めたうえで、それでも一人の魂の更生可能性を試す価値はあると判断したのだと、ようやく理解した。

 

 

 

そして『運命の伴侶』もまた、単純に、罪を洗い流した巌勝へ愛する女を褒美として与える、というだけの話ではなかった。

 

 

 

地蔵菩薩は少し後、その点についても、先ほどより真剣な口調で説明した。

 

 

 

「そして、あの子もまた、巌勝殿へ投げ与える商品などではありません。

 

私がどれほど菩薩であろうと、一人の人間の心を、無理やり別の誰かを愛するように変える権利などありません。

 

私が繋いだのは、あくまで二人が互いに出会うことのできる縁だけです。

 

その出会いの後、互いに愛するようになるのか、親しい友として残るのか、共に戦う仲間となるのか、あるいは別々の道を歩くのか。それはあくまで、二人自身の自由意志に委ねられています。

 

ただ、巌勝殿は自分の罪への反動から、今はあまりにも極端な方向へ傾いています。

 

前世では自らの欲望のために家族と末裔を捨てた。だから今度は、その罪ゆえに、自分自身へどのような幸福も許そうとしない。

 

自分は永遠に独りで生きなければならず、愛も、家庭も、末裔も持ってはならないと、自らへ判決を下してしまったのです。

 

ですが、それもまた、完全な更生と呼ぶには少々危うい。

 

罪を記憶することと、自分自身を永遠に憎み続けることは、別の問題だからです。

 

自分を憎むことだけでは、他者を長く愛し続けることはできません。

 

いつの日か、人を守る行為そのものまで、自分へ科した刑罰だとしか思えなくなれば、数百年後には、その守護の心さえ枯れてしまうかもしれない。

 

だから私は、彼が人と共に生きる温もりを忘れぬよう、一つの縁を繋いでおきました。

 

巌勝殿があの子を救うこともあるでしょう。逆に、あの子が巌勝殿を救うこともある。あるいは、二人が互いを救うことになるかもしれません。

 

その結末が愛なのか、そうではないのかは……二人に委ねるべきことです」

 

 

 

閻魔大王はしばらく地蔵菩薩をじっと睨んだ後、長い溜息を吐いた。

 

 

 

冥府の王として、心から懺悔した者と、刑罰が恐ろしくて一時だけ涙を流した罪人の両方を数え切れぬほど見てきただけに、なお巌勝を容易く信じることはできなかった。

 

 

 

それでも少なくとも、地蔵菩薩が何の策もなく、ただ哀れな罪人を解き放ったわけではないということだけは、認めざるを得なかった。

 

 

 

「……論理だけを見るなら」

 

 

 

閻魔大王が、ついに低い声で口を開いた。

 

 

 

「あなたの言葉がすべて間違っていると断じることはできませんね。歴史をそのまま放置することも、未来を知る私たちにとっては一つの選択であり、

 

あの男の回帰が単なる褒美ではなく、自ら選んだ贖罪の道だという主張までは……認める余地があるでしょう」

 

 

 

地蔵菩薩の顔へ、僅かな笑みが浮かんだ。

 

 

 

「ですが!!」

 

 

 

ドォン───!

 

 

 

閻魔大王の杖が、再び地面を激しく打ち鳴らした。

 

 

 

「だからといって、この閻魔大王があの男を信じたという意味では、断じてありません!

 

あなたの論理は認めましょう。ですが、その論理を、あの男が実際の人生で最後まで守り通せるかどうかは、まったく別の話です!

 

口で語る懺悔と、実際に数百年もの間、一度も揺るがず人々を守り続けることには、天と地ほどの違いがあります。

 

私は、数え切れぬほど多くの罪人の涙を見てきた!

 

だからこそ、あの巌勝という男が、本当にあなたの言う宝剣へ変われるのか……私はまだ認められません!」

 

 

 

その断固たる宣言を聞き、地蔵菩薩はむしろ愉快そうに笑った。

 

 

 

「信じてくださいと、お願いした覚えはありませんよ」

 

 

 

「……何ですと?」

 

 

 

「私も、ここで言葉だけを重ねて、巌勝殿は必ず成功すると閻魔大王殿を無理やり説得するつもりはありません。

 

結局、その答えを示すのは、私の説明でも、閻魔大王殿の反論でもないでしょう。

 

あの男がこれから生きる、新しい数百年の人生そのものが、直接証明するべきなのです」

 

 

 

「な……何ですと! 私と喧嘩を――」

 

 

 

「それなら、いっそ私と賭けをしてはいかがです?」

 

 

 

熱くなって反論を続けようとした閻魔大王の言葉を遮り、地蔵菩薩は彼へ一つの提案を差し出した。

 

 

 

「……何ですと? はは!! なるほど、冥府の法を巡って菩薩が私へ賭けを持ちかけるとは、面白い。いったい、どんな賭けをしようというのです?」

 

 

 

呆れながらも、地蔵菩薩の強硬な言葉へ内心感心していたうえ、『賭け』まで持ち出したその態度に興味を覚えた閻魔大王が尋ねると、菩薩は澄んだ笑みを浮かべた。

 

 

 

「先ほど、私があの男の額へ触れ、その魂へ直接注ぎ込んだ天界の秘記(ひき)───

 

すなわち、斬首克服と太陽克服という二つの絶対的難関。その条件を、閻魔大王殿も冥府の天秤を通じて、すでに見抜いておられるでしょう。

 

賭けは簡単です。彼が過去の時間軸で、強制的に鬼へ変えられた時点から、

 

魂へ刻まれた、あの苛烈な二つの試練を自らの意志で完全に打ち破り、『完全生物』へ到達し、人類を救う───

 

あるいは、その圧倒的な重みに耐えられず崩れ落ち、前世と変わらぬ破滅を迎える。いかがです?」

 

 

 

閻魔大王は杖を弄びながら、乾いた笑いを漏らした。

 

 

 

菩薩が男の脳裏へ刻んだ克服条件が、鬼にとってどれほど苛烈で恐ろしい荊の道なのか、冥府の書を通じてよく知っていたからである。

 

 

 

「ふむ。あなたがあの男の魂へ植えつけた難関の鋭さを見るに、慈悲深いと思っていた地蔵菩薩殿のほうが、私より遥かに苛烈ではありませんか。

 

自ら正解を見つけて殻を破れなければ、永遠に焼け死ぬか、頸を落とされる試練ではないか。

 

その条件がどれほど苛烈か知っている以上、私はますます、巌勝の奴があなたの夢物語のような目標へ届かず、再び堕ちると確信しましたよ」

 

 

 

「それなら閻魔大王殿は『失敗する』へ賭けたわけですから、私は当然、一人の人間の可能性を信じて、『必ず成功する』へ賭けましょう。では、この賭けの代価を新しく決めてみませんか?」

 

 

 

「よろしい。冥府と天界を揺らす盤上なのです。願いを叶える権利が数枚程度では、あまりにもつまらない。私の提案を聞きなさい」

 

 

 

閻魔大王は黒い眼光を輝かせ、先に巨大な賭け金を提示した。

 

 

 

「もし私の予想通り、巌勝が試練を越えられず、再び怪物へ堕ちたなら、地蔵菩薩よ。あなたが天界で持つ『冥府の魂救済権、その全権』を、今後百年間凍結します。

 

あなたのその過剰な慈悲で、罪人を天国へ抜け道のように送り込む遊びを、しばらく止めてもらうという意味です。

 

ですが……もし、あの鬼の剣士が、ついにあの馬鹿げた二つの難関を打ち破り、『完全生物』となって……そうだ! 俗に言う神となり、人間たちを救いきったなら───

 

私も冥府の王として公私を明確に分け、地獄へ落ちる運命にある人間の魂の中から、あなたが指名した者については、

 

いかなる裁きも経ず、そのまま極楽世界へ導くことのできる『無条件免罪の印』を、冥府の法として保証しましょう。

 

どうせ不可能に近いことなのです。この程度の賭け金はあって然るべきでしょう?」

 

 

 

閻魔大王は、地蔵菩薩のあまりにも堂々とした自信に満ちた提案へ、少しばかり気分を害したものの、

 

 

 

やがて、断固とした菩薩の覚悟を認め、自分の許される権限の範囲で出された破格の条件へ、地蔵菩薩もまた喜んで肩をすくめ、応じた。

 

 

 

「さすが地獄の主宰者。実に壮大な賭け金ですね。とても気に入りました。その賭け、喜んでお受けしましょう。巌勝――あの鬼の剣士が織り成す、血に塗れた第二幕が、本当に楽しみですね……」

 

 

 

この巨大な冥府の取り決めが成立する直前、地蔵菩薩の慧眼は、すでに地獄の深淵を越え、天界の最高権威すら超える全知全能の存在、天之御中主神へ届いていた。

 

 

 

地蔵菩薩の眼前にいた神は、天之御中主神だけではない。高御産巣日神と神産巣日神が左右へ侍立していた。実に『三清(さんせい)』と呼ばれる、最高位の神々であった。

 

 

 

そのような場で、地蔵菩薩による破格の独断と因果律への操作を察した天之御中主神が、宇宙の根源を震わせるほど威厳に満ちた太初の声を降ろし、地蔵菩薩へ問いかけたのである。

 

 

 

「───地蔵よ。大罪を犯した一介の殺鬼の魂のため、天界の禁忌を破ってまで、あの男を再び過去へ回帰させることで、私たち天界が得る利益と、因果の功徳とは、いったい何なのだ?」

 

 

 

その峻厳な天之御中主神の問いへ、地蔵菩薩は虚空へ向かって静かに頭を下げ、天界の支配者へ、落ち着いて自らの主張を述べた。

 

 

 

「天之御中主神様。天界が得る真の実益は、罪人一人を救うことなどではありません。

 

前世の歴史は、無惨という悪魔を滅ぼすため、数多の高潔な人間たちの意志と命が、消耗品のように燃やされなければならなかった『傷だらけの勝利』でした。

 

鬼殺隊の数多の星々が地上で虚しく散る間、天界もまた、義人を失うという巨大な損失を受け入れなければなりませんでした。

 

ですが、懺悔し、宝剣(ほうけん)として生まれ変わった巌勝を過去の盤上へ置くことができれば、天界は数百年の間に流されるはずだった罪なき人々の血涙と、その魂を、丸ごと守ることができます。

 

罪人を地獄へ閉じ込め、罰するだけなら、それは消極的な正義に過ぎません。しかし、罪人をもっとも鋭い武器へ変え、地上の地獄そのものを早期に消滅させることは、

 

天界が行える、もっとも積極的で完全な功徳です。悪の根を早く引き抜き、地上を平穏にすること。そして義人たちが、人としての人生を十分に送り、その後こちらの世界へ来られるようにすること。

 

───これ以上に大きな天界の実益が、他にあるでしょうか」

 

 

 

しばし言葉を止めた地蔵菩薩は、先ほど閻魔大王と交わした論争を思い返すように、三清の最高神たちへも、自らが巌勝へ与えた機会が、決して大罪人への無条件の免罪でも、安価な慈悲でもないことを、改めて明確に説明した。

 

 

 

「そして、あの男へ与えた回帰は、単に哀れだからという理由で過去の罪を消し、新たな出発を許す恩寵ではありません。

 

彼の罪は、すでに起きました。そして彼に殺された亡魂たちには、彼を赦す義務などありません。

 

だから私は、彼の記憶を消しませんでした。

 

むしろ、自ら殺したすべての者の顔と悲鳴、弟へ抱いた劣等感、鬼となって犯した罪悪、そして地獄で受けた刑罰まで、すべて抱えたまま、もう一度生きるようにしました。

 

そして、かつて人を殺すために使った力を、これからは人を生かすためだけに使わせ、自らの永生のため他の命を食った鬼の肉体を、今度は罪なき命を果てしなく守るために使わせるのです。

 

彼が過去を変えることで、新たに生じる因果の波紋も、自分の責任として背負わなければなりません。

 

私は、それこそが彼へ許し得る、もっとも困難でありながら、同時にもっとも意味のある贖罪だと判断しました」

 

 

 

天之御中主神の眼差しが、さらに深くなった。

 

 

 

「そして、あの男が持つ力もまた、最初から完成した状態で許したわけではありません。

 

彼が斬首と太陽という鬼の二つの限界を越え、完全生物へ到達しようとするなら、単なる生存欲や力への貪欲さではなく、他者を守るための意志を、自ら完成させなければなりません。

 

それができなければ、たとえ前世の心得をすべて持っていったとしても、その門は開かないでしょう。

 

言い換えれば、彼へ許した莫大な力それ自体が、彼が本当に変わったのかを検証する試験でもあるのです。

 

もし彼が再び欲望へ沈むなら、自らその力の最後の領域へ辿り着くことはできず、私が彼へ託した期待も、失敗に終わるでしょう。

 

私は、その可能性まで受け入れたうえで、この決断をしました」

 

 

 

罪人を破壊する天罰より、その罪人の力を逆に利用し、さらに巨大な悪の根を抜くことこそ真に神々の利益となる――地蔵菩薩の緻密で高潔な逆説を前に、

 

 

 

天界を司る高御産巣日神と神産巣日神は、狂気とさえ思えるほど強固な地蔵菩薩の主張を聞きながら、中央に座す天之御中主神の様子を窺っていた。

 

 

 

短い沈黙の後、天之御中主神でさえ溜息を吐いたものの、内心では地蔵菩薩の主張を認め、黙って男の回帰を允許したのである。

 

 

 

すでに巌勝の魂は、菩薩によるこの論理的な説得と、三清の尊い配剤の下、固い因果の枷を嵌めたまま、一足先に過去の時間軸へ密かに送り下ろされていた。

 

 

 

すべての調整を終えた地蔵菩薩と閻魔大王は、巌勝という鬼の剣士が捻じ曲げることになる、新たな歴史と運命の重みを静かに反芻した。

 

 

 

果たして彼は、自分がもっとも愛しながら、同時にもっとも憎んだ縁壱が、幼い頃から見せる圧倒的な才を目にしても、今度こそ兄として心から笑うことができるのか。

 

 

 

前世では、自分より弱いという理由だけで、まともに眼を向けることさえなかった数多の人々の命を、今度は自分の命より先へ置くことができるのか。

 

 

 

再び鬼となり、人間の時間から遠ざかり、自ら愛した者たちが一人、また一人と老いていく歳月の中でも、自分が守ると宣言した人間たちを、最後まで愛し続けることができるのか。

 

 

 

そしていつの日か、地蔵菩薩が繋いだ運命の縁と巡り会い、『自分は幸福になってはならない』と固く閉ざした心が揺らぐ、その瞬間でさえ、それをまた新たな罪だと決めつけて自らを壊すのではなく、過去の罪を記憶したまま、新しい幸福と共に生きる方法まで学べるのか。

 

 

 

その答えは、神々にすら、まだ完全には定められていなかった。

 

 

 

だからこそ、それは初めて『機会』と呼ぶことができるのだ。

 

 

 

最初から成功が確定した道なら、それは試験ではなく、神々の筋書き通りに動く傀儡に過ぎない。

 

 

 

巌勝自身が、自らの自由意志によって前世とは異なる選択を一つずつ積み重ねてこそ、初めて、その回帰の意味は完成するのだった。

 

 

 

話を終えるつもりなのか、閻魔大王は立ち上がり、わざと大きな声で叫んだ。

 

 

 

「ふん! まあ、私は卑怯に妨害などしません! あの巌勝という剣士が歩く道は、この地獄より遥かに険しいでしょう!

 

そして、あなたの長い理屈も、大体何を言いたいのかは理解しました!

 

ですが、よく覚えておきなさい! この閻魔大王は、まだあの男を認めたわけではありません!

 

あなたの言う通り、人の真の本性というものが、口先の数言ではなく、これから生きる人生そのものへ現れるのなら、あの男もまた、自らの人生で直接証明せねばならない!

 

本当に人々を救い、縁壱への劣等感を乗り越え、過去に自ら捨てたあらゆる責任を今度こそ最後まで背負い、さらにあなたの言う二つの難関まで自力で越えきったなら───

 

その時は、この閻魔大王も、冥府の王として公私を明確に分け、認めるべきものは認めましょう!」

 

 

 

地蔵菩薩が口元を覆って笑うと、閻魔大王は顔をしかめた。

 

 

 

「なぜ笑うのです!」

 

 

 

「いえ。最初は、あの巌勝殿には絶対に可能性などないとおっしゃっていた方が、

 

もう『成功したら認める』という条件まで付けてくださるのを見ると……それでも私の話を少しは受け入れてくださったようで、つい嬉しくなりまして」

 

 

 

「ふん!! あくまで万に一つという意味です! 万に一つ!」

 

 

 

「はいはい~そういうことにしておきましょう」

 

 

 

「それと……」

 

 

 

閻魔大王は何かを続けようとして、しばし咳払いをした。

 

 

 

「もちろん! あのような男と共に歩む私たちの娘……いや、孫のことを考えるなら! 私もある程度は助ける用意があります!

 

ただし、直接手を貸すのは、神が人の世へ介入してはならぬという規律へ反しますから…………

 

あの男が助言を必要とするなら、間接的にであれば、力を貸すつもりはあります!

 

あくまで、あの子があんな男のせいで酷い目に遭うのを防ぐためだけです。誤解しないでください!」

 

 

 

地蔵菩薩は、これ以上笑わぬよう努めたが、口元がほんの僅かに持ち上がることまでは止められなかった。

 

 

 

「承知しました。閻魔大王殿の温かなご配慮へ、感謝いたします」

 

 

 

「感謝など不要です!!」

 

 

 

閻魔大王は即座に言い返し、杖を手に取った。

 

 

 

「ともかく、私は残っている地獄の仕事へ戻ります!

 

それから、賭けのことを忘れぬように、地蔵菩薩!

 

私は今でも、あの巌勝という男が、あなたの考えるように完璧な成功を収めるのは、そう容易くないと見ています。

 

ですから、もしあの男が本当に完全生物へまで昇り、あなたの言う通り数多の人間を救ったなら……その時は私が自ら、敗北を認めましょう!

 

ですが失敗すれば、あなたの『冥府の魂救済権』百年間凍結には、一切の例外を認めません!」

 

 

 

「もちろんです。私も、賭けの結果から逃げるつもりはありません」

 

 

 

「ふん!」

 

 

 

ゴオオオオ───!!

 

 

 

凄まじい炎と共に地獄の業務へ戻ろうとした閻魔大王は、身体の半分がすでに炎の中へ消えた瞬間、ふと何かを思い出したのか、顔だけを地蔵菩薩へ向け、最後に叫んだ。

 

 

 

「それから、もう一つ!」

 

 

 

「はい?」

 

 

 

「あの巌勝という男が……」

 

 

 

閻魔大王は言いかけて一瞬躊躇した後、結局、心底気に入らないという表情のまま、大声を張り上げた。

 

 

 

「私たちの子を泣かせたら、賭けだの天界の規律だの知ったことではありません。その時は本当に、私が直接あの男の胸倉を掴みに行きます!! 分かりましたか!」

 

 

 

その言葉を最後に、閻魔大王の姿は炎と共に完全に消えた。

 

 

 

しばらく誰もいなくなった場所を見つめていた地蔵菩薩は、ついに堪え切れず、小さく笑いを漏らした。

 

 

 

「ふふ……」

 

 

 

あれほど反対しながら、誰よりも二人の未来を案じている地獄の王の背を思いながら、地蔵菩薩は静かに天を仰いだ。

 

 

 

「あなたがそこまで嫌がったところで…………すでに説得された他の神々が、娘を助けると言っているのです。果たして拒めるでしょうか?

 

口ではそうおっしゃっても、彼女を思うあなたのお気持ち…………よく分かりましたよ」

 

 

 

そして少し後、地蔵菩薩の眼差しは、もはや閻魔大王が消えた方角ではなく、つい先ほど過去の時間へ送り返した、一人の男の魂が向かった遥かな先を見つめ始めた。

 

 

 

「さあ~巌勝殿! あなたが育てていく、新しく変わる歴史を、地蔵菩薩である私がしっかり見守っていますよ…………

 

あなたは、これからもきっと揺らぐでしょう。

 

どれほど地獄の刑罰へ耐え、罪を悔いたとしても、人が生きるということは、終わりのない選択の連続です。その中で、もう二度と一度も滑らないなどということは、あり得ないでしょう。

 

ですが大切なのは、一度も転ばないことではありません。

 

転んだ時、前世のあなたのように自らさらに深い闇へ歩いていくのか。それとも今度は、その傷を抱えたままでも再び立ち上がり、別の方向へ歩いていくのか。それこそが大切なのです。

 

過去のあなたは、強さを得るために、すべてを捨てました。

 

ですが今度は、どれほど強さを得ても、何を守るべきなのかを忘れぬことを願います。

 

過去のあなたは、弟の太陽を憎むあまり、自らの月光まで、自分自身で汚しました。

 

ですが今度は、太陽とは違うという事実を受け入れながら、それでもあなた自身の月光で、誰にも見えない暗い夜を照らしてほしい。

 

そして何より……」

 

 

 

地蔵菩薩は、遠く離れた朝鮮半島の地を見るように、眼を細めた。

 

 

 

まだ巌勝は、その名さえ知らぬ一人の少女。

 

 

 

未来に、彼の長い人生を共に歩むことになるかもしれない縁。

 

 

 

「彼女と出会った時には、あなた自身にも、誰かと共に笑う資格があるのだということを、いつか悟ってほしい。

 

罪を忘れないことと、罪へ沈み込み、生涯自分を憎み続けることは、別のことですから。

 

あなたが彼女を守り、彼女があなたを守り、互いが互いへ、なぜ生きるのかを教え合えるようになったなら……

 

その時こそ、今日、私がこれほど多くの神々から小言を言われながらも、二人の縁を繋いだ甲斐があったというものです」

 

 

 

やがて地蔵菩薩も、自らが管轄する冥府の御所へ向かい、音もなく歩み去った。

 

 

 

炎の消えた焦熱地獄の深淵には、今度こそ本当に、誰も残っていなかった。

 

 

 

少し前まで、人間と鬼として数百年を生き、さらに人の言葉では数えることすら難しい歳月、地獄の劫火へ耐え続けた一人の罪人の痕跡も、

 

 

 

その罪人へもう一度の人生を許した菩薩の気配も、

 

 

 

その選択が正しいのかを最後まで疑いながらも、もし成功したなら認めると賭けを交わした冥府の王の姿も、すべて消えていた。

 

 

 

しかし、すべてが終わったその静寂とは裏腹に、過去の人の世では、今まさに一つの巨大な変化が始まろうとしていた。

 

 

 

前世では、ただ弟の太陽だけを見つめ、自分自身が持つ月光を憎み、

 

 

 

最後には、強さというただ一つの欲望のため、家族も、家も、人としての誇りも、数多の命さえ投げ捨てた、一人の男。

 

 

 

その男が今度は、すべての罪と後悔、数百年の剣術の心得、そして魂の奥深くへ刻まれた地獄の記憶を、一つたりとも忘れぬまま、

 

 

 

まだ何一つ罪を犯していなかった、七歳の幼い子供として、再び眼を覚まそうとしていた。

 

 

 

その傍らには、まだ幼い弟・縁壱がいた。

 

 

 

病に苦しみながらも、なお生きている母がいた。

 

 

 

そして前世では、彼が知ることすらないまま死んだ者、悲劇へ堕ちた者たちも、今はまだ何も知らず、それぞれの平凡な一日を生きていた。

 

 

 

そして、そう遠くない未来。

 

 

 

遥か海の向こうの半島から日本へ渡ってくる、一つの家の娘もまた、彼と出会うことになる。

 

 

 

その出会いが互いの人生へどのような変化を残し、本当に二人が、地蔵菩薩の言った通り、互いにとって救いとなれるのか。それはまだ、誰にも分からなかった。

 

 

 

やがて月の呼吸を宿す男が、今度は世界を呑み込む闇ではなく、

 

 

 

太陽が沈んだ後、誰も見向きもしない夜の闇の中でさえ、人々を照らす高潔な月光となって再び眼を開く、七歳の夜明けへ向かい、

 

 

 

遥かな因果の歯車が、巨大な音を立てて回り始めた。

 






───

【後書き】

本当に……プロローグを2回に分けて投稿するのも大変でしたが、やはり翻訳が何よりも大変ですね。神のような存在たちは、あえて一人称を「私(わたし)」に統一しました。それから、日本の説話についても少しずつ勉強しているのですが……日本の神様も本当に種類が豊富だなと実感しました。韓国のウェブ小説サイトに比べるて、どうしても翻訳に要する期間が含まれる分、こちらでの投稿は遅くならざるを得ません。翻訳のミスが生じて、お読みになる読者の皆様にご不便をおかけすることだけは……私としても耐え難いことですので。

あ、それから、後々登場する予定の、今回のエピソードにおける「彼女」の心法について、神々の何柱かを変更いたしました。属性や説明はそのままで、神としての格を上げるための変更ですので、そこまで深く気にされなくても大丈夫です!

この長く長い二次創作の物語を読んでくださるすべての読者の皆様に、心より感謝申し上げます。作品を投稿するペースとしては、どうしてもこちらは遅くなってしまう点、何卒ご了承いただけますと幸いです。今日も健康で、幸せな一日を過ごせますように。

もしコメントを残すのに気後れされている方がいらっしゃいましたら、どうぞお気軽にフィードバックでも何でも書き込んでくださいね。それでは、今回はこれにて失礼いたします。

翻訳を施した部分に不備がございましたため、再度修正したものを投稿いたしました。突如として削除してしまいましたこと、読者の皆様には深くお詫び申し上げます。今後はこのようなことがなきよう、より一層細心の注意を払って確認に努めてまいります。

【ご意見募集】 『鬼滅の刃』二次創作についてご相談です。「設定が複雑」とのご指摘を受け、1〜17の設定を無くして本文のみで進行するか迷っています。 【期間:1週間】 期日までに多かった方の意見に合わせて決めたいと思います。読者の皆様のご意見をお聞かせください!

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