誰かを守ることさえできれば……(鬼滅の刃:互いの決意)   作:つねお あきら

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第4話 竹林で結ばれた縁……弟を救った異国の少女

春風が竹林を撫でて通り過ぎた。つい先ほどまで罵声を浴びせながら縁壱を取り囲んでいた子供たちの足音は林の向こうへ遠ざかり、踏み荒らされた草の葉が風に細く震えていた。

 

 

 

土埃の中には、蹴られて転がった独楽と大小さまざまな石が残されていた。巌勝はその間を抜け、弟のもとへ歩み寄った。

 

 

 

誰がどこに立ち、何をしたのか問いただしたかった。だが、まだ縁壱の顔さえきちんと確かめていないことに気づき、唇を閉ざした。

 

 

 

しかし、その騒動を終わらせた張本人である名も知らぬ少女と、弟が危険だとの知らせを受けて稽古場から一気に駆けつけた巌勝との間には、つい先ほどまでの激しい争いとはまるで似つかわしくない、奇妙な沈黙が流れていた。

 

 

 

その短い沈黙の中でも、巌勝の眼は少女の後ろに立つ弟の額と、腫れた頬を見逃さなかった。先ほど自分を呼んだ声ははっきりしていたが、だからといって傷を確かめるのを後回しにするわけにはいかなかった。

 

 

 

彼は手にしていた白樫の木剣を傍らの竹へ立てかけ、縁壱の前へ腰を下ろした。少女も、巌勝が弟を診られるよう、少し横へ場所を空けた。

 

 

 

目線を合わせると、額の小さな傷より先に、衣のあちこちへついた土と、袖の下に広がる痣が目に入った。遠目には見えなかった痕の一つ一つが、彼の神経を再び張り詰めさせた。

 

 

 

昼間、自ら家の蔵から選び、着せてやった清潔で上質な武服には、何度も地面へ倒され転がったのか、土埃と草の欠片がびっしりと付着していた。

 

 

 

袖や膝には荒い地面で擦れた跡まで鮮明に残り、左の頬は誰かに拳か平手で打たれたように赤く腫れていた。額には石が掠めてできた小さな擦り傷があり、

 

 

 

巌勝が慎重に袖を捲り上げると、その下に現れた縁壱の細い腕には、何人かに掴まれたり、足で踏まれたりした時についたと思われる青黒い痣や手形まで残っていた。

 

 

 

その瞬間、巌勝の指先が震えた。

 

 

 

「縁壱、先ほど逃げていったあの子たちが、お前をこのようにしたのか。顔だけだと思っていたら、腕まで……どこを、どれほど打たれたのか、兄に見せておくれ。

 

痛むところを無理に動かす必要はない。兄が触れて痛かったら、すぐに言いなさい」

 

 

 

声は低かった。だが刃を孕んだような気迫が、一瞬で竹林の空気を重く押し沈めた。縁壱の傍らにいた少女さえ眼を見開くほど、わずか七歳の子供から放たれるとは思えぬ鋭い気配だった。

 

 

 

数百年もの歳月を剣と殺戮の中で生きた黒死牟の残滓が、幼い肉体の外へ滲み出たのだ。巌勝の手が、傍らへ立てかけた木剣の柄を探し、強く握り締めた。

 

 

 

『追いかけるべきか』

 

 

 

相手が子供だということは分かっていた。命を奪う必要も、脚や手首を折る必要もない。

 

 

 

骨一本折らずとも、身体と心へ長く残る恐怖を刻みつけ、二度と弟へ手を出せぬようにする方法くらい、彼にはよく分かっていた。

 

 

 

巌勝が木剣を握ると、縁壱の視線が兄の顔からその手へ落ちた。巌勝は、その眼差しを見て止まった。

 

 

 

自分が立ち上がれば、弟はついて来ようとするだろう。痛いと言う代わりに兄を止めようとして、あるいは兄を見失うまいとして、その小さな身体をまた動かしてしまう。

 

 

 

巌勝は木剣から手を離した。過ちを犯した子供たちへ責任を問うことは、帰って事実を確かめた後でもできる。今、手を差し伸べるべき相手は、自分の目の前に座っていた。

 

 

 

巌勝が再び手を近づけると、縁壱は袖を少し捲り上げた。その小さな動きだけで、押し込めていた心配がいっそう鮮明に胸の奥へ入り込んだ。

 

 

 

細い腕の青痣は、古い記憶まで呼び起こした。父から鞭打たれても声一つ上げぬまま、冷たい物置のような部屋へ戻っていった前世の縁壱にも、同じような痕があった。

 

 

 

最初は、その弟を哀れに思っていた。自分まで打たれる覚悟で庇い、ろくに音も出ない木の笛を削って渡し、何かあれば兄を呼べと約束した。

 

 

 

だが縁壱が初めて剣を握り、自分の師であった武士をいとも容易く打ち負かしてから、その約束は少しずつ忘れ去られていった。

 

 

 

愛すべき血を分けた弟は、跡継ぎの座を脅かす競争相手となり、ついには一生かけても越えられぬ才を持つ、嫉妬の対象になった。

 

 

 

『……今回も、傷ついたお前を見てから駆けつけたのだな』

 

 

 

地獄で、そのすべてを悔い、戻ってきた。母の前でも、弟の才能が呪いにならぬよう自分が盾になると誓った。それなのに、まだ数日も経たぬうちに、縁壱はまた誰かに傷つけられていた。

 

 

 

勉学と鍛錬のためにその場を離れていたことが、暴行の原因だったわけではない。それでも、弟が傷ついた後になって初めて気づくという事実が、古い後悔と絡み合った。

 

 

 

巌勝は、今触れている細い腕を失ってしまいそうな気がして指へ力を込めた。だが縁壱が小さく身を震わせると、はっとしてすぐに力を抜いた。

 

 

 

そんな思いに沈み、指先を震わせる巌勝へ、縁壱が心配そうに兄を呼んだ。自分の傷を診る手よりも、その手を動かす兄の表情を不安げに見つめる眼差しに、巌勝はようやく我に返った。

 

 

 

『違う』

 

 

 

今は前世ではない。そして今回は、遅れたからといって、それですべてが終わるわけでもなかった。

 

 

 

弟は生きている。自分も生きている。ならば今からでも、直していけばよい。

 

 

 

巌勝は深く息を吸い、胸の内から噴き上がる感情を抑えると、縁壱の腕をひどく慎重に下ろし、低く尋ねた。

 

 

 

「縁壱、なぜ黙って打たれてばかりいたのだ。お前から先に他人を攻撃し、傷つけろという意味ではない。

 

だが誰かが石を投げ、拳や足を振るうなら、せめて避けるくらいはしてもよいではないか」

 

 

 

巌勝は、自分でも気づかぬうちに声へ混じりそうになった切迫を押し殺し、弟が目を逸らさぬよう目線を合わせたまま続けた。

 

 

 

「争いを避けたいなら、その場を離れ、他の者へ助けを求めてもよい。本当にそれすらできぬのなら、自分の身体を守るための最低限の反撃はするべきだ。

 

この兄は今、お前の持つ才を以前より遥かによく知っている。あの子たちが投げる石や、振るう手足を、本当に避けられずに受けていたとは思っていない」

 

 

 

縁壱はしばらく黙って兄の言葉を聞いた後、自分の手を見下ろした。避けられたという事実を否定しない、その沈黙の前で巌勝がもう一度理由を尋ねようとした時、弟が先に静かに口を開いた。

 

 

 

「兄上と母上へ、ご心配をかけたくありませんでした。私があの子たちの攻撃を避け、反撃しようとして力加減を誤れば、あの子たちは大怪我をするかもしれないと思ったのです」

 

 

 

巌勝の唇が、そのまま止まった。縁壱は、自分の答えが兄へどのような表情を浮かべさせたのかきちんと見ないまま、話を続けた。

 

 

 

「そうなれば、あの子たちの親御さんが家へ来るでしょうし、父上もお怒りになるでしょう。

 

何より、兄上と母上が、私が喧嘩をしたと知れば、また私のせいで心を痛められると思いました。

 

少しだけ我慢すれば、あの子たちも、いずれ疲れてやめるだろうと思ったのです」

 

 

 

巌勝は、返す言葉を見つけられなかった。自分の傷より、周囲の者が苦しむことを嫌う、いかにも縁壱らしい答えだった。だからこそ余計に胸が痛んだ。

 

 

 

弟は、まだ七歳にすぎない。他の子供たちと走り回り、美味しいものを食べ、痛いことがあれば母と兄へ存分に泣きつき、我儘を言ってもよい年頃に、自分の苦しみを隠すことから先に覚えていた。

 

 

 

そして縁壱は、兄の胸をさらに深く抉る言葉を、あまりにも何気なく付け加えた。

 

 

 

「それに……打たれることには、慣れています」

 

 

 

巌勝は、息をすることさえ忘れた。父の鞭、冷たい小部屋、家臣たちの無関心、使用人たちの囁き、自分を人として扱わない眼差し。そのすべてに慣れてしまったせいで、暴力さえ特別なことだと思わなくなった幼い弟。

 

 

 

前世では六つの眼を持ちながら、まともに見ることのできなかったその心が、たった一言の中へ露わになっていた。巌勝は目の前の小さな顔を見つめたまま、唇だけを僅かに動かした。

 

 

 

巌勝はついに耐えきれず、縁壱の小さな身体を胸へ抱き寄せた。だが弟を包んだ指先が、捲り上げた袖の下にある痣へ触れそうになると、腕へ入っていた力を慎重に抜いた。

 

 

 

離したくないという思いのせいで、自分までこの細い身体を傷つけるわけにはいかなかった。傷ついた腕を押さえぬよう抱き直し、片手で後頭部をそっと包んだ。

 

 

 

突然兄の胸へ抱き込まれた縁壱は、一瞬身体を固くした。だがここ数日、何度も自分を抱いてくれた兄の体温を感じ、痛むところへ触れぬよう慎重に手を動かしていることに気づくと、肩の力が少しずつ抜けていった。

 

 

 

巌勝は弟の耳元へ届くほど近い距離で名を呼び、震える息をゆっくり整えながら、言葉を続けた。

 

 

 

「これからは、そのようなことを、あまりに当たり前のように言うな。父上に打たれることへ慣れているからといって、他の者に殴られてもよいということにはならぬ。

 

 

 

他の者たちがお前を白痴と呼び、呪われた存在だと罵り、無視することへ慣れたからといって、彼らにお前を好き勝手に扱う権利が生まれるわけでもない」

 

 

 

巌勝は片手で弟の後頭部を慎重に包みながら、さらに柔らかな声で言った。

 

 

 

「お前も、この世にただ一人しかいない人間だ。私にとっては何ものにも代えられぬ大切な弟で、母上にとっては命より大事な息子なのだ。

 

お前が他人を傷つけたくないと思う気持ちは、この兄にも分かる。そのような心を持つお前を、兄として誇らしく思うこともある」

 

 

 

巌勝は、縁壱の後頭部を包む手をゆっくり動かした。他人を思いやる心を叱りたいのではない。そのことだけは、弟へきちんと伝えておきたかった。

 

 

 

「だが縁壱。お前が他人を慈しみ、大切に思うのと同じくらい、お前自身のことも、少しは大切にして生きてほしい。

 

まだそれが上手くできなくても、この兄が何度でも傍で言おう。お前が打たれていることを当然だと思う者は、ここには誰もいない」

 

 

 

縁壱の澄んだ瞳が、僅かに揺れた。

 

 

 

「自分から先に相手を殴る必要はない。争いたくないのなら、無理に争わなくともよい。だが、その代わり避けなさい。

 

危険な場所から逃げることは、決して卑怯ではない。そして助けが必要なら、周りの者を呼べばよい。それすらできない状況なら……」

 

 

 

巌勝はほんの一瞬、言葉を止めた。そして遥か昔の記憶の中で、自分の手で削って作った、あの不格好な木の笛を思い出した。

 

 

 

まともな音さえ出なかったその笛を、縁壱は死ぬ瞬間まで懐へ大切に持っていた。前世の自分は、その意味に気づくのがあまりにも遅すぎた。だが今度は違う。

 

 

 

「その時は、兄を呼びなさい。私が笛を作ってやった時、何かあれば吹けと言っただろう。

 

どれほど小さな音でも、お前が私を呼べば駆けつけると約束した。その約束を、今度はお前が信じられるように守っていきたいのだ」

 

 

 

縁壱が胸の中から顔を上げた。どれほど遠くても、どのような時でも駆けつけると言った兄の言葉を、自分は一度も忘れたことがなかった。

 

 

 

ただ、その約束を覚えていることと、実際に助けを求めることとの間には、幼い自分にも説明しきれない躊躇いが、まだ残っていた。

 

 

 

「お前がどこにいようと、危険なことが起これば私が駆けつける。だから、すべてを一人で耐えようとするな。お前が痛いと言えば、母上も心配なさるだろう。

 

この兄も同じだ。だが、お前を大切に思うからこそ生まれるその心配まで、お前一人で背負う必要はない」

 

 

 

巌勝は、弟の背が縮こまらぬよう優しく支えながら続けた。

 

 

 

「痛ければ痛いと言ってよい。怖ければ、傍にいてほしいと言ってよい。母上も私も、お前が私たちへ頼ったからといって、叱ったりはしない。

 

お前はそれほど頼ってよい子なのだ。だからこれからは、他人の心を気遣う前に、まず自分の身体を守っておくれ」

 

 

 

縁壱の小さな手が、ゆっくりと巌勝の武服の裾を握った。

 

 

 

「お前の身体へ小さな傷一つできただけで大騒ぎする兄だと思っても構わぬ。だが私は……」

 

 

 

巌勝は、一瞬喉が詰まるのを感じ、言葉を止めた。

 

 

 

『二度と、お前が私の目の前で死んでいく姿を見たくない』

 

 

 

いつか説明する日が来るのかもしれない。だが今はまだ、弟へ前世の記憶を話すことはできない。その言葉を、そのまま口にすることはできなかった。

 

 

 

結局、その巨大な感情を、今の縁壱にも理解できるもっとも簡単な一言へ押し込めて伝えた。

 

 

 

「ただ私は……お前が痛い思いをするのが嫌なのだ」

 

 

 

その言葉を聞いた縁壱の目元へ、ゆっくりと涙が滲んだ。巌勝は急かさず弟を見つめた後、今話したことを、少しずつでも覚えていてくれるかと慎重に尋ねた。

 

 

 

縁壱はしばらく答えられなかった。やがてゆっくり腕を上げ、兄の背を抱き返すと、まだ自分には難しいことが何なのかを、初めて隠さず口にした。

 

 

 

「すぐに上手くできるかは分かりません。あまりにも長い間、一人で我慢することに慣れてしまっていたので……

 

兄上がおっしゃるように、すぐに変わることは少し難しいかもしれません。

 

ですが、努力してみます。ただ……私にも少し、時間が必要だと思います」

 

 

 

あまりに正直に自分の心を打ち明ける縁壱の答えに、巌勝は一瞬戸惑ったように止まった。だがすぐ、むしろ少し安心したように柔らかく微笑んだ。

 

 

 

「それで十分だ。人の心が、たった一日ですべて変わってしまう方が、むしろおかしいのだろう。ゆっくりでよい。今度は兄も、お前の傍にいる」

 

 

 

「はい……兄上」

 

 

 

それでようやく巌勝は、縁壱を胸からほんの少し離し、衣へついた土埃を手で優しく払ってやった。

 

 

 

そのすべてを少し離れた場所から見ていた少女は、最初、巌勝から殺気を孕んだ気迫を感じた時には、思わず肩を強張らせていた。

 

 

 

だが彼が木剣から手を離し、弟を抱き締める姿を見ているうちに、また剣を取らねばならないかもしれないという警戒は、少しずつ薄れていった。

 

 

 

傷へ触れぬよう手の位置まで直すその仕草には、つい先ほどの鋭さとはまるで違う慎重さが滲んでいた。

 

 

 

最初はただ、何人もの子供からいじめられている哀れな子を一人見つけただけだった。両親から教わった心を実行しようと、その子を助けた。

 

 

 

だが今、目の前で兄と弟が互いへ接する姿を見ていると、自分が思っていたよりも、この兄弟の結びつきが遥かに深いのだと分かった。

 

 

 

とりわけ、つい先ほどまで自分と視線が合うだけで顔を赤らめ、戸惑っていた少年が、弟の傷を確かめたその瞬間から、

 

 

 

自分が傍らにいることさえ完全に忘れてしまったかのように縁壱へだけ全神経を向けている姿を見て、少女は自分でも気づかぬうちに、口元へごく小さな笑みを浮かべた。

 

 

 

『……弟のことを、本当に大切に思っているんだ』

 

 

 

そしてその考えは、不思議なほど彼女の胸を少し温かくした。

 

 

 

少女は兄弟の話が終わるまで待った後、腰へ下げていた小さな水筒と、薬草袋から取り出した清潔な布を差し出した。傷へついた土を先に拭ってあげた方がよいと言って差し出す手から、巌勝はそれを慎重に受け取った。

 

 

 

「母が、薬草を採りに出る時は水と布も持っていきなさいって言ってたの。額についたものなら、少しくらい拭いてあげられると思う。でも、他にも怪我をしていないかは、家へ帰って医師に診てもらった方がいいよ」

 

 

 

巌勝は礼を言い、布の端を水で濡らした。額の小さな傷はすでに血が止まっていたが、その周囲には乾いた血の跡と土埃が残っていた。

 

 

 

彼は皮膚を乱暴に擦らぬよう、指先の力を抜きながら布を動かした。

 

 

 

縁壱はひりつく感覚に眉を僅かに動かした後、すぐ何でもないような顔をしようとした。巌勝がその変化に気づいて手を止めると、弟は今度は、自分から少し痛いと口にした。

 

 

 

「そうか。言ってくれてありがとう。兄が、もう少しゆっくりやろう。今のように、痛ければ痛いと言えばよい。

 

それを聞いて手を止めるのは兄の役目なのだから、お前が我慢しようと頑張る必要はない」

 

 

 

縁壱は兄の言葉へ小さく頷いた。つい先ほどまでは、自分でも説明しきれなかった約束が、濡れた布を持つ手が自分の返事を待ってくれる、その短い瞬間だけは、何を意味しているのか少し分かった気がした。

 

 

 

巌勝は額と手へついた土を拭い終えると、残る傷は屋敷へ戻って医師に診てもらおうと念を押した。

 

 

 

縁壱が急いで立ち上がろうとすると、木陰で少し息を整えてから動こうと言ってもう一度座らせた。少女も水筒を仕舞って傍らへ置き、縁壱が腕を楽に下ろせるよう、近くに置かれていた木剣を少し移した。

 

 

 

弟の袖をそっと下ろしてやった巌勝は、それでようやく、自分たちの傍で待っていた少女をきちんと見た。

 

 

 

自分や縁壱とそれほど年の違わぬように見えた。だが彼女が纏う衣は、この日本の武家や民が一般に着る着物とは、襟の造りから袖の形まで明らかに異なっていた。

 

 

 

純白の武服は、幼い身体の動きを妨げぬよう身体に合わせて仕立てられており、

 

 

 

頭の高い位置へ結い上げられた漆黒の長い髪は、竹林を抜ける春風を受けるたび、黒い絹が波打つように軽やかに揺れた。

 

 

 

彼女の傍へ置かれた二振りの木剣は、日本の太刀や打刀を模したものとは、外見からしてかなり異なっていた。

 

 

 

鍔はほとんどなく、柄の末端には丸い環がついている。遊びの玩具と呼ぶには長さもあり、重さも相当ありそうだった。

 

 

 

武人として巌勝がとりわけ目を留めたのは、少女が剣を下ろして座る直前まで、まるで崩れなかった姿勢だった。両足は一定の間隔を保ち、重心は片側へ偏らず、いつでも動けるよう安定していた。

 

 

 

巌勝が竹林へ到着した時、木剣を握っていた手首と肩にも余計な力は入っていなかった。相手へ剣を向けながらも、自分が使う力をどこへ乗せるべきか理解している動きだった。

 

 

 

人として、鬼として、数百年にも近い歳月を武へ狂うように生きた巌勝は、まだ透き通る世界を取り戻していない今でも、その姿勢が何を意味するのか十分に見抜くことができた。

 

 

 

『ただ木剣を持って真似をしているだけの子ではない。きちんとした武人から、それも相当に厳しいやり方で剣を学んでいる』

 

 

 

今の肉体は、まだ七歳にすぎず、前世の力をそのまま再現することはできない。だが数多の剣士と鬼を相手に積み上げてきた経験も、相手の動きを読む心得も失われたわけではなかった。

 

 

 

目の前の少女が、同年代とは比べものにならぬほど深い修練を受けていることは、傍らに置かれた木剣より、その木剣を扱っていた身体そのものから、よりはっきり伝わってきた。

 

 

 

そうして姿勢を見ていた巌勝は、少女と目が合うと、弟を気遣う間しばらく忘れていた胸の高鳴りが、再び胸の奥から頭をもたげるのを感じた。

 

 

 

『……もう息も整ったというのに、なぜまだこのようになるのだ』

 

 

 

稽古場で基本の型を整えていたところからここまで走ってきたせいだと片づけるには、すでに十分な時間が経っていた。

 

 

 

彼女に見つめられると目を逸らしたくなるのに、いざ別の方を見ると、また顔を見たくなる。その心を、巌勝はなかなか御することができなかった。

 

 

 

最初は自分まで警戒していた眼差しが、兄弟の姿を見守るうちに柔らかくほどけていることも、風に乱れた髪を耳へかけようとして、巌勝の視線に気づき手を止めたことも、妙にはっきりと目に入った。

 

 

 

前世の自分を思えば、なおさら理解し難いことだった。人だった頃の婚姻は、名門武家の跡継ぎとして血を繋ぎ、血統と勢力を保つための義務に近かった。

 

 

 

顔も声も薄れてしまった前世の妻も、深い恋に落ちて選んだ女ではなかった。

 

 

 

鬼になってからは、強さへの執着と、縁壱へ追いつこうとする狂気へ人生のすべてを差し出した。誰かを愛し、家庭を築くという平凡な幸福など、記憶の彼方へ押しやられて久しかった。

 

 

 

そんな自分が、七歳の身体へ戻ってから数日も経たぬうちに、初めて出会った少女の顔さえまともに見られなくなっている。

 

 

 

幼い身体へ戻ったせいで感情まで敏感になったのだと思おうとした。だが、その理由だけで片づけるには、胸の内の感覚があまりにも鮮明だった。

 

 

 

ふと、焦熱地獄から回帰する直前、地蔵菩薩から聞いた言葉が蘇った。

 

 

 

『運命の伴侶……』

 

 

 

地蔵菩薩は、これから続く長い人生の中で、互いを守り合う縁を用意したと言っていた。だが、共に生きるかどうかは一人で決めることではないとも言った。巌勝はその言葉を思い出すと、すぐに考えを胸の片隅へ押し込めた。

 

 

 

地蔵菩薩からそう言われたというだけで、目の前の少女をその相手だと決めつけるのは、あまりにも飛躍していた。初対面の相手へ、自分の前世や運命を勝手に重ねることは、無礼でもある。

 

 

 

二人を交互に見ていた縁壱は、先ほど気づいた感情がまだ収まっていないことを見抜いていた。

 

 

 

兄はまた少女を意識していた。そして自分を助けてくれたその人も、兄と眼が合うたびに、呼吸を僅かに乱していた。

 

 

 

市場で頬を赤くしながら並んで歩いていた若い男女や、母と侍女たちが交わしていた話を思い出した時から、縁壱は、これは人が言う一目惚れというものに似ているのだろうと思っていた。

 

 

 

けれど今、そのことをわざわざ口にしたいとは思わなかった。自分を心配するあまり固くしていた表情を少し解き、誰かを前にまた不器用に戸惑う兄の姿が、胸の片隅を不思議なほど落ち着かせたからだ。

 

 

 

巌勝は、自分がまた少女を見つめていたことに気づき、軽く咳払いした。弟の状態を確かめることを優先したせいで、まだきちんと伝えられていない言葉があった。

 

 

 

彼は姿勢を正し、少女へ礼を尽くして頭を下げた。

 

 

 

「私の弟を助けてくれて、本当にありがとう。私がもう少し遅れてここへ着いていたなら、縁壱は今より遥かにひどい怪我をしていたかもしれぬ。

 

何の関わりもない子のために真っ先に動いてくれたおかげで、弟はこの程度の傷で済んだのだと思う」

 

 

 

突然、あまりにも真剣で丁寧に礼を告げる巌勝へ、少女は一瞬驚いたように眼を少し見開いた。

 

 

 

そしてすぐ、自分も先ほどから何度も巌勝の顔を見ていたことが恥ずかしくなったのか、視線を少し横へ逸らしながら答えた。

 

 

 

「私は、当たり前のことをしただけだよ。何人もで一人の子を囲んで、石を投げて殴っているのに、それを見てどうしてそのまま通り過ぎられるの。弟さんがひどい怪我をしなくてよかった」

 

 

 

「それを当たり前だと思い、実際に行動へ移すこと自体、簡単なことではないと思う。

 

何の縁もなかった縁壱のために真っ先に動いてくれたのだ。だから私が礼を言うことくらいは、受け取ってほしい」

 

 

 

巌勝がそう言って柔らかく微笑むと、少女ももう礼を断ろうとはしなかった。

 

 

 

自分がしたこと以上に大きな気持ちを向けられたようで、少し照れくさかった。だが弟を大切に思う者からの感謝を、軽く受け流したくはなかった。

 

 

 

少女は兄の傍らに座る縁壱を見た後、つい先ほどまで弟を胸から離せずにいた巌勝の姿を思い出した。今日一日がこのように流れていくなど、朝には想像もしていなかった。

 

 

 

母から教わった薬草を袋へ集め、父に習った剣術と体術を復習した後、夕方には両親と共に継国家の屋敷へ向かう予定だっただけだ。

 

 

 

竹林から聞こえた罵声と打撃音に足を止め、見知らぬ子供を助け、今はその兄と向かい合いながら、互いの顔を意識している。そのことを自覚した瞬間、頬が赤くなり、今度は巌勝が先に気まずさを破った。

 

 

 

「そういえば、まだ互いの名も知らぬまま話していたな。弟を診ることへ気を取られ、挨拶が遅くなった。

 

礼を言いながら、お前の名すら尋ねていなかった。今からでも、きちんと名乗り合いたい」

 

 

 

少女は一度ぱちりと眼を瞬かせ、やがて小さく笑った。長く付き合ってきたわけでもないのに、名を聞く暇さえ忘れていたということが、今になってみると少し可笑しく、不思議に感じられた。

 

 

 

「名前を言う前に、一つ謝っておきたい。弟の傷を見て怒りを抑えられず、ほんの一時とはいえ、よからぬことを考えた。

 

その気配はお前にも伝わっただろう。縁壱を助けてくれた相手を不快にさせたのなら、すまなかった」

 

 

 

巌勝が謝罪の意味を込めて頭を下げると、少女は慌てたように手を振った。先ほどの気迫には驚いたが、その後の行動もすべて傍らで見ていた。

 

 

 

「私だって、家族があんなふうに傷つけられてたら怒ってたと思う。さっきは少し驚いたけど、あなたが剣から手を離して弟を抱き締めるところも見たよ。今はこうして一緒に座って話せてるんだから、謝ってくれた気持ちは受け取っておくね」

 

 

 

その答えへ巌勝は礼を言い、姿勢を正した。

 

 

 

「私は継国巌勝という。この相模国一帯に根を張る継国家の長男で、今は若当主の座にある」

 

 

 

彼はすぐ傍らにいる弟の肩を、優しく包みながら続けた。

 

 

 

「そしてこちらは、私と同じ日に生まれた双子の弟、継国縁壱だ。少し前、お前が助けてくれた子でもある」

 

 

 

縁壱もまた、自分を助けてくれた少女へ丁寧に腰を折った。

 

 

 

「助けてくださって、本当にありがとうございます。私は継国縁壱と申します」

 

 

 

少女は兄弟を交互に見た後、自分も姿勢を正し、明るい声で答えた。

 

 

 

「私は常善初華っていうの」

 

 

 

『常善……初華』

 

 

 

周囲の武家でも、父を訪ねてきた商人や他国の武士の間でも、聞いたことのない姓と名だった。なのに一度耳へ届いたその響きは簡単には消えず、まるで昔から知っていた言葉のように、心へ鮮明に残った。

 

 

 

巌勝は自分でも気づかぬうちに、その名をもう一度口にした。初華が、自分を呼んだのかと思って首を傾げると、彼は遅れて自分の行動へ気づき、視線を横へ逸らした。

 

 

 

「あ、すまない。名を聞き違えたわけではない。初めて聞く姓と名なのに、不思議と耳へ長く残って……気づかぬうちに、もう一度呼んでしまった」

 

 

 

「初めて聞くのは当然だよ。うちの家は、もともとこの土地の人じゃないから。でも難しく考えなくていいよ。普通に初華って呼んでくれればいい。私も巌勝って呼ぶから」

 

 

 

その言葉に巌勝は頷いたが、自分の名を呼ぶ彼女の声のせいで、心臓がまた一度大きく脈打った。

 

 

 

家の跡継ぎへ向ける堅苦しい礼儀が抜け落ちた場所へ、同じ年頃の相手と話す親しさが、慎重に入り込んでいた。

 

 

 

だが今度は、縁壱が二人の鼓動を改めて確かめる必要もなかった。つい先ほど、すでに十分に気づいていた。そしてむしろ初華の視線は、別のところへ留まっていた。

 

 

 

巌勝が縁壱の肩を抱きながら、ごく自然に『私と同じ日に生まれた双子の弟』と紹介した姿だった。

 

 

 

つい先ほどまで、子供たちは、ただ双子であるという理由だけで縁壱を呪われた存在だと責め立てていた。

 

 

 

それなのに、この家の長男であり若当主だという巌勝は、その事実を隠しも、恥じもしなかった。むしろ他人がどう思うかなど少しも気にしていないように、自分の弟だとはっきり紹介した。

 

 

 

『……さっき弟を庇っていた姿だけじゃなかったんだ』

 

 

 

最初は、自分と眼が合うたび頬を赤くする姿がただ珍しかった。だが今は、少し違う理由から、巌勝という子供が気になり始めていた。

 

 

 

縁壱が袖口を整える姿を見ていた巌勝は、弟の顔に最初より安らいだ色が戻っていることを確かめた。だが今日のことをきちんと解決するには、まだ聞かなければならない話が残っていた。

 

 

 

「縁壱、先ほど、なぜ黙って打たれていたのかは聞いた。だが今日は、どうしてここへ来ることになったのか、あの子たちがなぜお前へ難癖をつけたのか、まだ正確には分からぬ。

 

つらければ休んでからでもよい。覚えていることを、話してくれるか?」

 

 

 

縁壱はしばらく、自分の膝の上へ置いた手を見下ろした。身体に残る痣はまだ鈍く痛んでいたが、兄が傍らへ座って待っており、初華も自分から眼を逸らしていない。そのことが、先ほどとは違っていた。

 

 

 

やがて縁壱は、静かに頷いた。

 

 

 

「はい、兄上」

 

 

 

そして縁壱は、今日の朝からあったことを一つずつ話し始めた。

 

 

 

巌勝が家の跡継ぎとして学問と武芸を修めている間、縁壱はいつものように母・朱乃の傍にいるつもりだった。だが最近、母の身体には、僅かながら良い変化が現れ始めていた。

 

 

 

他の者には、少し血色が戻り、咳が減った程度に見えたかもしれない。しかし生まれた時から皮膚と筋肉の下にある血管や心臓まで見ていた縁壱には、その変化が遥かにはっきり分かった。

 

 

 

兄が家の権力を使って呼んだ医師たちの煎じ薬と貴重な薬材、栄養のある食事が効き始め、母の呼吸と脈は、僅かながらも安定しつつあった。

 

 

 

病魔は今なお身体の奥深くへ残っていた。だが少し傍を離れただけで呼吸が途切れてしまいそうだった頃とは違った。

 

 

 

巌勝は勉学と鍛錬で忙しい中でも、医師へ母の状態を尋ね、必要だという薬材があれば人を遣わして手に入れさせた。台所へ朱乃の身体に合う食事を用意するよう命じたのも、兄だった。

 

 

 

その日も、縁壱は母の傍を守りたかった。だが朱乃は小さな息子を胸へ引き寄せて抱くと、今日は外へ出て遊んでおいでと言った。

 

 

 

心配そうな眼で自分を見上げる息子の頭を撫でる手は、優しかった。

 

 

 

「この母は大丈夫よ。お前の兄上が良い薬を用意してくれて、医師の方々も、今日はゆっくり休めばよいと仰ったから、

 

お前が少し席を外したくらいで、大変なことにはならないわ。今日くらいは、この母のことを心配する気持ちを少し下ろしてもよいのよ」

 

 

 

それでも縁壱がなかなか立ち上がれずにいると、朱乃は背をゆっくり撫でながら続けた。

 

 

 

「お前も、まだ七歳の子供なのよ。他の子たちのように走り回って笑って、服へ土埃をつけて帰ってきてもよい年頃なの。

 

毎日、病んだ母の傍へ座っていることだけが、お前の子供時代のすべてになってはいけません。外で面白いものを見つけてきたら、この母にも話しておくれ」

 

 

 

双子だから。額に痣があるから。口をきかず、耳が聞こえぬように振る舞っているから。人々はそんな理由で、縁壱を呪われた白痴のように扱ってきた。

 

 

 

父と家の者たちの前ではほとんど許されなかった『子供であること』が、母と、最近の兄の前にはあった。

 

 

 

縁壱は母の呼吸が先ほどと同じように規則正しく続いていることをもう一度確かめてから、外へ出た。兄が買ってくれた独楽を回してみたかった。そして市場で見た子供たちのように、自分も一度くらい誰かと共に笑ってみたかった。

 

 

 

だが村の空き地へ着いた時、その期待は長く続かなかった。子供たちは縁壱が誰なのか気づくなり、身体を強張らせた。

 

 

 

一人は一歩後ずさりし、一人は近づかれるのを嫌がるように身体を背けた。そして間もなく、小さな囁き声が聞こえた。

 

 

 

継国家の双子。呪われた子。家からも捨てられた白痴。

 

 

 

縁壱は無理に彼らの輪へ入ろうとはしなかった。自分のせいで誰かが不快になることが嫌で、空き地を離れ、市場の裏手にある竹林の道へ歩いていった。

 

 

 

そこに少し平らな場所を見つけ、一人で独楽を回せば、誰の遊びも邪魔せずに済むと思った。

 

 

 

それだけでも、思ったより楽しかった。紐を巻く長さと手首の向きによって、独楽がどれほど長く回るのかを少しずつ知っていくことは、縁壱にとって新しい遊びだった。

 

 

 

だが空き地にいた子供たちのうち何人かが、竹林の道まで後をつけてきた。縁壱が遠く離れ、一人で遊んでいることさえ気に入らぬように、家へ帰れと追い立てた。自分は彼らの遊びを邪魔していないと静かに説明すると、むしろ声を荒げた。

 

 

 

そしてついに、石が飛んできた。縁壱は避けられた。飛んでくる石の軌道も、拳を振るう前に動く肩も、蹴りが始まる前に捻られる腰も、すべて見えていた。

 

 

 

だが、すでに兄へ話した通り、その時の縁壱は、反撃して事を大きくするより、自分がもう少し耐える方がよいと思った。そうすれば、やがて子供たちも疲れてやめるだろうと考えた。

 

 

 

しかし子供たちの残酷さは、予想より長く続いた。石が肩や腕へ当たり、倒れると蹴りまで加えられ、最後には一人がかなり大きな石を持ち上げ、縁壱の頭を狙った。

 

 

 

まさにその時、初華が現れた。

 

 

 

縁壱がそう話すと、巌勝の表情がまた一瞬だけ固くなった。だが今度は、湧き上がる怒りをゆっくり鎮めながら、初華を見た。

 

 

 

初華は、自分が褒められるようなことをしたとは少しも思っていないように、乱れた髪を何気なく指で整えていた。だが縁壱の話は、そこで終わらなかった。

 

 

 

「それから……初華お姉さんが、あの子たちを制圧する姿は、とても驚くべきものでした」

 

 

 

初華が意外そうに自分を指さすと、縁壱は頷いた。驚いたのは、ただ何人もの相手へ勝つほどの力ではなかった。その時見た動きを思い出しながら、彼は、初華お姉さんは人を無闇に殴ってはいなかったと説明した。

 

 

 

子供の一人が、地面へ倒れていた縁壱の頭へ向けてかなり大きな石を持ち上げた時、先に飛んできたのは、初華の木剣でも拳でもなかった。

 

 

 

竹林の土の上に落ちていた小さな石が一つ、短く風を切る音と共に飛び、その子の手の甲へ正確に当たった。

 

 

 

ぱしっ!

 

 

 

「痛っ!」

 

 

 

突然の痛みに子供が手を離すと、大きな石は地面へ落ちた。それと同時に、純白の武服を纏った初華が、縁壱と子供たちの間を遮るように前へ出た。

 

 

 

両手には、柄の末端へ丸い環がついた細長い木剣が一振りずつ握られていた。だが彼女は、最初からそれを振るうことはしなかった。

 

 

 

「あなたたち、いったい何をしてるの。この子はもう倒れてるじゃない。それなのに、そんな石で頭まで殴ろうとしたの? 何があったにせよ、まずその手を下ろして、後ろへ下がって」

 

 

 

先頭にいた子供は、突然割って入った少女を不愉快そうに睨み、余計なことをするなと怒鳴った。

 

 

 

周りの子供たちも、縁壱が継国家に生まれた双子だという話と共に、大人たちから聞いたという呪いや凶兆の話を、我先に口へした。

 

 

 

「大人たちが、双子は家を滅ぼすって言ってたんだ! 家からも捨てられた奴なんだろ。俺たちが少しくらい殴ったって、何が悪いんだよ。お前も余計なことしないで、どけ!」

 

 

 

初華は一度、地面の縁壱を見下ろした。兄が昼間、自分で選んで着せてくれたのだと大切にしていた武服は土埃まみれになり、頬は赤く腫れ、袖の下には青痣が広がっていた。

 

 

 

彼女は二振りの木剣を握る手へ力を込めた。この子が誰かを傷つけたという話は、一言も出ていない。子供たちは、双子として生まれたという事実だけで、自分たちのしていることが正しいと信じていた。

 

 

 

「この子が何を悪いことをしたのかって聞いたのに、あなたたちは、生まれた時から双子だったって話しかしてないじゃない。

 

あなたたちの物を盗ったの? 先に殴ったの? 大人から聞いた話じゃなくて、自分たちが実際にされたことを言ってみて」

 

 

 

一人が、大人たちがそう言っていたのだとまた口を開いた。初華はそれを聞きながら、縁壱の方へ回り込もうとした別の子供の前を木剣で塞いだ。剣先が身体へ触れる前に、その子の足は止まった。

 

 

 

「人は、生まれたというだけで尊重され、愛される資格があるの。自分で選ぶこともできなかった姿を理由に、何人もで囲んで殴っていいわけじゃない。

 

あなたたちより強い人が、あなたたちの父さんや母さんへ同じことをしたら、その時も、強い人がすることだから仕方ないって言うの?」

 

 

 

誰一人、自分が何をされたのかを話さなかった。一番前の子は手の甲を押さえながら彼女を睨み、後ろでは互いの身体を押し合いながら、先に行けと促す声がした。

 

 

 

初華は片方の木剣を低くし、縁壱の肩の近くへ下ろした。自分がどこに立っているかを、彼へ分からせるような動きだった。

 

 

 

「本当に責めるべきことがあるなら、まず石を下ろして話して。私は聞く。でも、この子へもう一度手を出させるつもりはないよ。やめたい人は後ろへ下がって。誰も引き止めないから」

 

 

 

子供たちの顔が怒りと羞恥で真っ赤になった。筋の通った言葉で返すものは浮かばなかったが、

 

 

 

自分たちの方が数で勝っているのに、見知らぬ少女から臆病者も同然に扱われたということだけは、耐えられなかったらしい。

 

 

 

ついに一人が初華へ罵声を浴びせながら走り出した。その声に他の子供たちもさまざまな方向から動き、つい先ほどまで縁壱を囲んでいた足音が、今度は彼女へ一斉に狭まっていった。

 

 

 

地面にいた縁壱は、思わず身体を起こそうとした。自分のせいで割って入った人が傷つくことは望んでいなかった。だが動こうとした縁壱より、初華の方が一歩早かった。

 

 

 

最初の子供が右拳を大きく振った。縁壱の眼には、拳そのものより、その前に起こる身体の変化が先に見えた。右肩が上がり、前腕の筋肉が引かれ、腰が前へ回る。

 

 

 

普通の子供には突然飛んでくる拳にしか見えなかっただろう。だが初華は、それを初めから知っていたかのように、上体を半掌ほど横へ傾けた。

 

 

 

拳が頬の前を通り過ぎる瞬間、初華は左手の木剣を腕の内側へ沿わせ、短く人差し指を伸ばした。その指先が相手の肘の内側を押し、すぐにまた柄を握った。

 

 

 

「うっ!?」

 

 

 

縁壱の視界では、指先が触れた箇所を中心に、腕の筋肉が一瞬強張った後、力を失う様子があまりにも鮮明に見えた。

 

 

 

骨が折れたわけでも、関節を極められたわけでもない。それなのに腕全体へ力が上手く通らなくなり、子供の右手は力なく下へ垂れた。

 

 

 

初華はその状態でも、相手の顔や腹を殴らなかった。半歩ほど身体をずらして通り過ぎながら、肩を軽く押し、前へ流れていた重心だけを崩した。

 

 

 

子供は自分の勢いを支えきれず、土の上を数歩よろめいた末、そのまま前へ倒れた。

 

 

 

それとほとんど同時に、二人目の子供が後ろから初華の腰へ掴みかかろうと走ってきた。今度は、初華は後ろを完全には振り返らなかった。

 

 

 

右手の木剣の柄尻についた丸い環が短い円を描くように回り、相手の太腿の内側を正確に叩いた。

 

 

 

ぱしっ!

 

 

 

「痛っ! 脚が……!」

 

 

 

太腿の内側の筋肉が瞬間的に収縮し、膝を支えていた力が抜けた。走っていた子供は二歩も進めず、そのまま片膝を地面へついた。初華はさらに打ち据えることなく、身体を横へ移して通り過ぎた。

 

 

 

『……わざと力を抜いた』

 

 

 

縁壱は、柄の末端が当たる直前に、初華の手首が僅かに緩むのを見ていた。速く伸びた腕をそのまま出し切っていれば、もっと強く当たっていたはずだ。

 

 

 

攻撃が当たった後も、彼女は膝をついた子供がすぐに立てるかどうかを確かめながら位置を変えた。

 

 

 

三人目の子供は、その光景を見ても止まらなかった。むしろ興奮した顔で、横から身体ごとぶつかろうとした。初華は後ろへ退かず、相手が触れる直前に一歩前へ入った。

 

 

 

二人の距離が急に縮まったことで、子供が身体へ乗せていた力が十分に伸びるより先に、初華の肩が相手の胸の下へ触れた。同時に彼女の足が、子供の前足の外側へ僅かに掛かった。

 

 

 

力で投げ飛ばしたようには見えなかった。ただ、すでに前へ崩れていた重心の方向を少し変えただけだった。それでも結果は明白だった。子供の身体は横へ回り、土の上へ背中から倒れた。

 

 

 

どんっ!

 

 

 

「痛っ……!」

 

 

 

倒れる瞬間にも、初華は首元の衣を一瞬掴み、後頭部が石へ強くぶつからぬよう方向を変えてやった。

 

 

 

自分へ攻撃してきた相手が傷つかぬよう、最後の瞬間まで手を添える姿へ、縁壱はほんの僅かに眼を見開いた。

 

 

 

『勝てるからこそ、力を抑えているのだ』

 

 

 

説明を聞くより先に、その考えが浮かんだ。

 

 

 

だが子供たちはまだ諦めなかった。一人が地面へ落ちていた太い枝を両手で持ち上げ、初華の頭へ振り下ろした。別の一人はその隙を狙って脇腹へ走り込んだ。

 

 

 

初華の二振りの木剣が、初めて同時に動いた。右手の木剣は、上から落ちてくる枝を正面から受け止めるのではなく、側面を斜めに打ち、軌道を外へ流した。

 

 

 

左手の木剣は、ほぼ同じ瞬間、横から走ってくる子供の手首のすぐ手前を軽く叩いた。

 

 

 

たっ! ぱしっ!

 

 

 

枝は初華の肩の横の空を切り、地面へ突き刺さった。手首を打たれた子供は指から力が抜け、握っていた小石を落とした。

 

 

 

初華はすぐに右足を軸へ身体を回し、二振りの木剣の位置を入れ替えた。たった今、防御へ使われた右手の剣は、枝を持っていた子供の脇腹へ向かったが、

 

 

 

最後の瞬間、刃に当たる広い面ではなく、柄尻でみぞおちの下を短く押した。

 

 

 

「かっ……!」

 

 

 

一瞬息が詰まった子供が、その場へしゃがみ込んだ。反対側では左手の木剣が、石を落とした子供の膝裏を軽く押さえた。その子も脚から力が抜け、そのまま尻餅をついた。

 

 

 

縁壱の眼に映る初華の身体は、腕と肩だけでなく、腰、骨盤、脚まで左右が均等に鍛えられていた。

 

 

 

必要な瞬間だけ筋肉を収縮させ、すぐに力を抜く。そのため、さまざまな方向からの攻撃へ対応しても、次の動きが遅れなかった。

 

 

 

だが、目の前で仲間が次々と倒れる姿を見た二人の子供は、今度はすぐに飛びかかることができなかった。

 

 

 

一人は太い枝を拾っても、指先が白くなるほど強く握ったまま、その場から動かなかった。その横で、もう一人が焦った声を上げた。

 

 

 

「何してるんだ! 一緒にやれよ!」

 

 

 

枝を持つ子供のつま先が前へ向いては止まった。友人から急かされるたび肩へ力が入ったが、視線は何度も横へ逸れた。

 

 

 

縁壱は、そのちぐはぐな動きを見ながら、あの子は本当に自分から飛びかかりたいわけではないのかもしれないと思った。

 

 

 

初華もその迷いに気づいたのか、木剣をその子へ向けないまま言った。

 

 

 

「戦いたくないなら、戦わなくていいよ。友達が向かってくるからって、あなたまで絶対に一緒に行く必要はないでしょう。

 

今、その枝を下ろしたいなら下ろして。私は、先に攻撃してこない人まで殴るつもりはないから」

 

 

 

横にいた子供が、顔を赤くして怒鳴った。

 

 

 

「臆病者みたいにするな!」

 

 

 

しかし枝を持っていた子供は、しばらく友人と初華を交互に見た後、ついに手から力を抜いた。太い枝が、土の上へぽとりと落ちた。

 

 

 

その子の口から、もうやめるという言葉が小さく漏れた。初華はそれを嘲ったり、さらに怯えさせたりせず、ただ頷いた。

 

 

 

「じゃあ後ろへ行ってて。友達に言われたからって、あなたの気持ちまで同じじゃなきゃいけないわけじゃないでしょ。

 

自分がしたくないことをしないって決めるのも、あなたの自由なんだから。誰が横で何を言っても、もう拾わなければいいよ」

 

 

 

それを聞いて、むしろ残った一人が腹を立てたように真正面から走り込んできた。両手で初華の右の木剣を奪おうとしたが、初華は無理に力を競おうとはしなかった。

 

 

 

相手が木剣を掴んだ瞬間、手首の力を一度抜き、予想より簡単に引かれるようにした。子供の上体が前へ流れると、左手の木剣の柄尻で脇の下を短く押した。

 

 

 

腕と脇腹を繋ぐ筋肉へ突然力が入り、すぐ抜けたことで、指が開いた。初華は木剣を取り返すと、相手の肩を軽く押し、向きだけを変えた。

 

 

 

子供の足は互いに絡み、草地の方へ滑った。縁壱はそこでようやく、初華が木剣を奪われるように動きながらも、自分の足の位置をほとんど変えていなかったことに気づいた。

 

 

 

力で押し負けていたのなら、自分が立っていた場所まで明け渡していたはずだ。だが彼女は、今も縁壱へ通じる道を塞いでいた。

 

 

 

自分の身体を守ることと、背中にいる誰かを守ることでは、動ける場所そのものから違ってくる。縁壱は土の上に残る足跡を見つめた後、また少女の背へ視線を上げた。

 

 

 

その時、土の上へ倒れていた一人が歯を食いしばって立ち上がると、今度は初華ではなく縁壱へ走り込んだ。自分のせいで仲間たちがやられたのだと、怒りの矛先を向けたのだ。

 

 

 

初華はすぐに身体を返したが、その子と縁壱の間には、すでにほとんど距離が残っていなかった。縁壱は避けることができた。

 

 

 

だが自分が動けば、また争いが長引くかもしれないという思いから、身体を完全には起こせなかった。その瞬間、初華の左手の木剣が彼の眼前を横切った。

 

 

 

木剣は子供の顔へ向かわなかった。初華は柄尻の環の部分を、相手の手首と前腕の間へ引っ掛けるように当てて、短く下へ引いた。同時に、右手の木剣の広い面で脛の前をほんの軽く押した。

 

 

 

上側の腕は下へ引かれ、下半身は前へ進む力を失ったため、子供の身体はそのまま捻れた。

 

 

 

初華は倒れていく子供の肩を受け止め、地面へ強く叩きつけられぬようゆっくり下ろすと、今度は明らかに怒った顔で彼を見下ろした。

 

 

 

「私に腹が立ったなら、私を見て。この子は最初からここで殴られていただけで、あなたたちの友達を止めたのも私でしょう。

 

なのに、どうして何度も、もう傷ついているこの子の方へ戻っていくの。もう一度手を伸ばしても、私はどかないよ」

 

 

 

子供は唇を噛んだが、何も言い返せなかった。初華は、その子が立ち上がって退けるだけの場所は残しながらも、縁壱へ向かう側だけは自分の身体で塞いだ。声をさらに荒げる代わりに、二人の間の距離を最後まで守った。

 

 

 

その言葉を聞きながら、縁壱は頼もしい初華の背を見つめた。名さえまだ知らぬ相手だったが、彼女は自分を守りながらも、襲ってきた子供たちを必要以上に傷つけなかった。

 

 

 

その選択は、素早い動きと同じくらい鮮明に、縁壱の心へ残った。

 

 

 

『兄上と似ているようで……違う』

 

 

 

巌勝もまた、武家の跡継ぎとして幼い頃から厳しい鍛錬を受けてきたため、同年代とは比べものにならぬほど鍛えられた身体を持っていた。

 

 

 

だが巌勝の剣が、正面から相手を斬り伏せる武家の剣術に近いのだとすれば、初華の動きには、相手の力を抜き、均衡を崩し、争いを終わらせる方法がとりわけ多く混じっていた。

 

 

 

まさにその時、最初に手の甲を打たれた子供が、地面の石をまた拾い上げた。縁壱には、石を握る手より先に、後ろへ引かれる肩が見えた。初華もその動きを見逃さなかった。

 

 

 

「これでも食らえ!」

 

 

 

石が手を離れるより先に、木剣が手の甲を横から打った。短い打撃音と悲鳴が重なり、落とした石が縁壱の足元まで転がってきた。

 

 

 

縁壱は両足を後ろへ引いた。眼で見えていても、石が近づく瞬間には喉がからからに乾いた。

 

 

 

初華は木剣を握ったまま、再び縁壱の前へ立ち塞がった。一人が先に背を向けると、その傍にいた子供たちも、土に汚れた衣を掴み合いながら走り始めた。

 

 

 

遅れた仲間の腕を引き、道を開けろと押し合う声の向こうに、竹林の入口へ駆けつけたばかりの兄の姿が見えた。縁壱は、そちらへ顔を上げた。

 

 

 

少女はまだ、隙を窺いながら後退する子供から眼を離さなかった。逃げる仲間たちに押されながらも、石が落ちた場所を振り返る眼差しを見て、彼女の声が竹林へ響いた。

 

 

 

「あなたたち、何人もで一人を囲んで殴るのが、そんなに楽しいの?

 

やめなさいって言っても聞かず、石まで投げておいて、今さら痛いって泣くのね! あなたたちに殴られたこの子は、どれだけ痛かったと思うの。

 

誰かが嫌いだからって、好き勝手に殴っていいわけじゃない。もう一度戻ってきて、いじめようなんて考えないで。

 

まだ言いたいことがあるなら、この子へ手を出さずに私の前で言って。それができないなら、もう行って!」

 

 

 

最後まで残っていた子供も、唇を噛んで後ずさった。少女は縁壱へ続く道を最後まで塞ぎ、その子が遠ざかるのを見守った。

 

 

 

「覚えてろよ!」

 

 

 

最後に残した叫びにも、初華は追いかけなかった。木剣を少し下ろして振り返った彼女は、そこで巌勝と眼を合わせた。縁壱は、兄が自分を見つけてくれたのを確かめて初めて、口の奥へ詰まっていた息を少し吐くことができた。

 

 

 

縁壱は、その時まで少女の動きを忘れることができなかった。相手の身体の中で力が集まり、抜ける瞬間を、彼女も見抜いているかのように正確に動いていた。

 

 

 

自分が見ているものと、何か関係があるのか気になった。だが名も知らぬ相手へ、何から尋ねればよいのか分からなかった。

 

 

 

『武術と医術が、一緒に混じっているのだろうか』

 

 

 

縁壱が、その時自分に見えていたものを可能な限りそのまま説明すると、初華は最初、少し照れくさそうに頬を掻いた。その後、本当に驚いた表情で彼を見た。

 

 

 

「そこまで細かく見てたの?」

 

 

 

「……申し訳ありません。わざと盗み見ようとしたわけではありませんでした」

 

 

 

「違うよ、怒ってない。ただ、私が戦っているところを、そんなに細かく見た人がお父さん以外ほとんどいなかったから驚いたの。私だって、自分がどっちの脚へどれくらい力を入れたかまで全部覚えてるわけじゃないよ」

 

 

 

巌勝は二人の話を聞きながら、ほんの一瞬、縁壱を見た。弟が生まれた時から透き通る世界を見ていることは、すでに知っていた。

 

 

 

だが今、それを初華へ説明する理由はなかった。何より縁壱自身、自分が見ている世界が他の者にとってどれほど特別なのか、まだ完全には理解していなかった。

 

 

 

初華は少し考えた後、自分の掌を開いて見せた。

 

 

 

「母からは、人を治すなら骨と関節、筋肉がどう繋がっているのかを知らなくちゃいけないって教わったの。

 

父はそこへ加えて、人を殺さずに取り押さえたいなら、どこまで力を使っていいのかを知らなきゃいけないって教えてくれた」

 

 

 

「どこまで力を使ってよいか……ですか?」

 

 

 

縁壱が尋ねると、初華は頷いた。

 

 

 

「うん。同じ腕を止めるにしても、どれくらい強くぶつけるかで怪我をさせるでしょう。相手が走ってくる力も違うし、身体の大きさも違うから、

 

一度教わった通りに、毎回同じ強さで打つだけじゃ駄目なんだって。だから私は、強く打つ方法より先に、どこで力を抜くのかを習ってる」

 

 

 

巌勝はしばらく、何も言えなかった。前世の自分にとって強さとは、長い間、どれほど多くのものを斬れるかということと、ほとんど同じ意味だった。

 

 

 

自分より弱い者を取るに足らぬものと見下し、自分より強い者を妬み、ついには剣が人を守る手段ではなく、自分の心を食い潰す執着へ変わってしまった人生。

 

 

 

それとは正反対に、目の前の七歳の少女は、人を殺さぬためにこそ、より多くを学び、より強くならなければならないという教えを、ごく自然なことのように語っていた。

 

 

 

初華の言葉を反芻していた巌勝は、傍らへ置かれた二振りの木剣へ視線を移した。学んだことを実際の争いで使う身体の動きを聞いた後では、その手に握られる武器そのものにも、さらに興味が湧いた。

 

 

 

「先ほどから、お前の木剣はこの土地で使われるものとは違うと思っていた。何の剣を模したものなのか、尋ねてもよいか? 形が違うのなら、使い方にも違いがあるのだろうと思ってな」

 

 

 

初華が傍らへ置いていた木剣を持ち上げると、巌勝はどこを見ていたのか、もう少し詳しく説明した。

 

 

 

「太刀や打刀を模した木剣とは、柄の形から違うだろう。鍔もほとんどなく、柄の末端には丸い環がある。

 

 

 

だからといって、お前の剣が可笑しいとか、奇妙だと言いたいわけではない。ただ、私が知っている剣と形が違うから、興味を持ったのだ」

 

 

 

相手の故郷の武器を見下す意味へ聞こえぬよう巌勝が付け加えると、初華の眼には、むしろ少し楽しそうな色が浮かんだ。

 

 

 

「一度見ただけで、そんな違いまで分かるの? お父さん以外で、うちの剣をそんなに詳しく見る人はあまりいなかったから、ちょっと驚いた。

 

私はいつもこれで習ってるから、逆に他の剣とどれくらい違うのか、あまり考えたことがなかったの」

 

 

 

巌勝は、武家に生まれ、幼い頃からさまざまな剣を見て育ったからだと答えた。まだすべての武器を知るわけではないとも付け加える彼へ、初華は二振りの木剣をそれぞれ片手へ持ち上げて見せた。

 

 

 

「これは、私の故郷でずっと昔から使われてきたと伝わる、環頭大刀っていう剣を模した木剣なの。私は二本を一緒に使うやり方を習ってる」

 

 

 

両手でそれぞれ違う剣を操る二刀流という言葉に、巌勝の眼にも純粋な好奇心が浮かんだ。

 

 

 

弟をいじめていた子供たちの間で、その二振りがどのように動いたのか。つい先ほど聞いた話を思い返しながら、剣の長さと間隔を改めて見た。

 

 

 

「両手へそれぞれ剣を持つというのは、ただ二本持てば済む話ではない。

 

左右がばらばらに動かぬようにせねばならぬし、一方で攻める時には、もう一方の位置まで計算する必要がある。

 

まだ幼いのに、そこまでの修練を積んでいるとは、大したものだ」

 

 

 

褒められた初華は、一瞬だけ誇らしそうな顔をした後、すぐに首を横へ振った。

 

 

 

「まだまだだよ。お父さんには毎回負けるから。私が十回かかっていったら、十回全部、地面へ寝転がされて空を見てる。

 

まだ世界中を見たわけじゃないけど、少なくとも私が知ってる世界では、お父さんが一番の剣士だと思ってる」

 

 

 

あまりに確信に満ちた言葉に巌勝が笑いを堪えきれないでいると、初華は、やられる自分は本当に痛いのだと眼を細めた。だが父の稽古の仕方を説明する声には、不満より、慣れ親しんだ誇らしさの方が強く滲んでいた。

 

 

 

「お父さんは、私が少しでも構えを雑にしたら絶対に見逃してくれないの。右手が良くなったら左手をもっと使わせて、

 

左手も追いついたら、今度は足を縛って上半身だけで防いでみろって言う。それにも慣れたら、目を隠して、音だけ聞いて避けなくちゃいけないの」

 

 

 

眼まで隠すという話へ、巌勝の眉が上がった。初華は、今でもよくぶつかると笑い、最近では額に痣ができると、父より先に母から自分が叱られるのだと付け加えた。

 

 

 

父に言われたからといって、本当に何でもそのままやるのか、ということだった。

 

 

 

「どれほど修練でも、自分の身体をあまり粗末に扱わぬ方がよいと思う。習ったことをやり遂げたい気持ちは分かるが、傷ついた後で悔やんでも遅い時がある。お前も少しは気をつけた方がよい」

 

 

 

「でも、それを巌勝が言っていいの? 縁壱が危ないって聞いた途端、自分の身体なんて考えもしないで、ここまで走ってきたじゃない。最初に着いた時、どれだけ息が上がってたか、私はちゃんと見てたよ」

 

 

 

巌勝が一瞬言葉を失うと、初華は笑い出した。縁壱は、兄が誰かの悪戯めいた言葉へ反論を見つけられずにいる珍しい姿を、興味深そうに見つめた。

 

 

 

「それは、縁壱が危険だと聞いたのだから仕方なかった。父上に言われたからといって、身体を傷つけながらまで稽古するのとは、同じ話ではないだろう」

 

 

 

「私も、お父さんに言われたから仕方なかったって言おうと思ったのに、先にその言い訳を塞ぐのはずるいよ。分かった。

 

次はもう少し気をつけるから、そんなに真剣な顔で違うって説明しなくても大丈夫」

 

 

 

初華が笑いを抑えながら約束すると、巌勝もそれ以上は反論できず、口元を少し上げた。自分をからかいながらも、気をつけるという言葉だけは忘れない。その答えのせいで、厳しく言おうとしていた語尾が自然と柔らかくなった。

 

 

 

そうして二人が初めて軽く意見を交わす姿を見ながら、縁壱は口元へ、ごく微かな笑みを浮かべた。

 

 

 

少し前まで、竹林の中には自分へ向けられた罵声と嘲りだけが満ちていた。それなのに今は、兄と、初めて会った少女が、あまりにも些細なことについて言葉を交わしている。

 

 

 

自分はその隣に座り、二人の話を聞いている。平凡な光景だった。だが縁壱には、その平凡さこそが、かえってひどく見慣れず、大切なものに感じられた。

 

 

 

その時、巌勝が初華の木剣を見ながら、慎重に尋ねた。

 

 

 

「もしよければ……少し持たせてもらってもよいか? 形が違うから、手にした時の感覚も気になる。お前がいつも稽古へ使っているものなのだから、勝手に振り回したりはしない」

 

 

 

初華は何の躊躇もなく、右手に持つ木剣を柄から差し出した。思ったより重いかもしれないから気をつけて、と告げる。巌勝は竹へ立てかけていた自分の木剣を傍へ移し、彼女の剣を受け取った。

 

 

 

指先へ伝わる重みに、巌勝の眼が僅かに大きくなった。見た目から想像していた以上に重い。

 

 

 

実戦用の真剣ではないが、硬い木材を厚く削って作られていた。環頭大刀特有の重量配分をある程度再現しているのか、柄の末端にある環の部分まで、ずしりとした重さが続いていた。

 

 

 

普通の七歳児なら、一振りを持って振るだけでも負担になる重さだった。だが初華は、つい先ほど、これを両手へ一振りずつ持ったまま、何人もの子供を相手に動いていた。

 

 

 

「この重さの剣を、両手へ一振りずつ持って稽古しているのか。両腕を同時に動かしても姿勢を崩さぬようにするには、肩だけではなく、腰と脚まできちんと支えなければならないだろう」

 

 

 

「お父さんが、本物の剣を握る前に、まず剣の重さを身体に覚えさせなきゃいけないって言ってた。最初は長く持ってるだけでも大変だったけど、身体を一緒に使うやり方を覚えたら、少しずつ楽になったよ」

 

 

 

巌勝は、良い教えだと頷いた。木剣に残る重みだけでも、彼女がその言葉を身体へ覚え込ませるため、どれほどの時間を費やしたか想像できた。

 

 

 

巌勝が立ち上がって木剣を縦に構え、手首と肘へ伝わる感覚を確かめると、初華の眼差しも変わった。ただ剣を持ってみる子供の動きではない。

 

 

 

大きく振るうことさえしていないのに、手首の返る角度、肘が開く程度、つま先が僅かに動く方向だけでも、長く剣を学んだ者だと分かる。

 

 

 

何より巌勝は、初めて触る形の剣であるにもかかわらず、数度手首を動かしただけで、重心がどこにあるのか掴もうとしていた。

 

 

 

初華が、随分剣を習っているみたいだねと言うと、巌勝は、家の跡継ぎなのだから幼い頃から学ばざるを得なかったのだと答えた。

 

 

 

だが初華は、それだけでは疑問が解けないように、彼が木剣を扱う手を見つめた。

 

 

 

「習わなくちゃいけないから習ったのは分かるけど、今の剣の触り方を見ると、嫌なのに無理やりやってるようには見えない。

 

少し重さが違うだけでも気にして、ちゃんと見てるでしょう。巌勝は、剣の何が好きなの?」

 

 

 

前世の自分なら、迷わず剣を愛していると答えただろう。剣は自分の価値であり、縁壱を越えられると信じた道であり、最後には人間性まで捨てさせた執着でもあった。

 

 

 

だが初華は、家の義務や、強さを求める理由を尋ねたのではない。剣を握った時、何が楽しいのか。そのあまりに単純な問いの前で、巌勝は意外にも、答えを選ぶ時間を必要とした。

 

 

 

「昨日は上手くいかなかった動きが、今日は一度でも思い通りになった時が好きだ。足を踏み出す瞬間と呼吸、

 

腕へ力を乗せる時機が正確に重なり、剣先が自分の思い描いた軌道をそのまま辿った時も……不思議なほど気分がよい」

 

 

 

口にしてみると、巌勝自身も少し意外だった。剣を好む理由を説明しながら、誰かへ勝つことや、より強くなることを先に口へしなかったのは、前世まで含めても初めてだったかもしれない。

 

 

 

初華は、むしろ嬉しそうに眼を輝かせた。

 

 

 

「私も同じ。お父さんに十回続けて負けても、昨日は一度も防げなかったものを、今日は一回でも防げたら、それだけで嬉しい。二本の剣が邪魔し合わず、本当に一つの身体みたいに動いた時は、もっと嬉しいよ」

 

 

 

それなら、十回すべて負けてもまた向かっていく理由はそれなのかと巌勝が尋ねると、初華は迷わず頷いた。

 

 

 

十一回目には、一つくらい多く防げるかもしれないのに、そこでやめたら勿体ないでしょう――という答えだった。

 

 

 

初華は、十一回目に上手くいく場面を思い描いたかのように笑った。巌勝もつられて笑い、手の中の木剣を見下ろした。柄尻の環へ人差し指を掛けてから外すと、初華がその手を指した。

 

 

 

「その輪、何度も指に引っかかる? 私も最初は剣を落とすのが怖くて、指を深く入れすぎたの。

 

そうすると握り直そうとした時、逆に抜けなくなるんだよね。お父さんは、私が手をちゃんと緩められるようになるまで、次の動きを教えてくれなかった」

 

 

 

「まだ慣れていないから、つい何度も確かめてしまう。二振りを使うのなら、一方を握り直している間も、もう一方を動かさねばならぬだろう。

 

最初から両手は思い通りに動いたのか? 私は一振りへ両手を添えることに慣れているせいか、片手が空いていることの方が先に気になる」

 

 

 

初華は左手の方へ眼を落とした。そう尋ねられると、上手くいった日より、木剣同士をぶつけていた頃のことが先に浮かんだらしい。

 

 

 

「最初は、右が上手くいくと左が遅れて、左を気にすると右の剣先が下がってた。

 

二本持ったからって二倍速くなるんじゃなくて、お互いに邪魔することもあるんだって、その時分かったの。

 

今でも焦ると、その癖が出て、お父さんに先に気づかれるよ」

 

 

 

「それなら、先ほどのようにさまざまな方向からの攻撃を防ぐには、両手を別々に鍛えるだけでは足りぬのだな。

 

両手を見ていれば足が遅れるだろうし、足だけを先に動かせば、背に守る者がいることを忘れやすい。

 

お前がどこへ立っていたのか、改めて考えさせられる」

 

 

 

初華は自分の手ではなく、地面に残った足跡へ振り返った。同年代へ稽古の話をすると、たいてい誰に勝ったのかから尋ねられる。だが巌勝は、上手くいかなかった頃の動きまで聞いていた。

 

 

 

話が長くなったかと思い、彼女は兄の傍らにいる縁壱を見た。縁壱は小さな手を膝の上へ置いたまま、同じ足跡を眺めていた。

 

 

 

巌勝は、次の稽古を楽しみにする彼女の顔をまた思い出した。これほど失敗を繰り返しても剣を好きなまま育てた父は、娘が初めて成功した時、どのような顔をするのだろう。そんなことが少し気になった。

 

 

 

『……この子の父上という人に、一度会ってみたいものだ』

 

 

 

「そういえば、私だけがお前の剣を持つのも妙な話だな。望むなら、私のものも一度持ってみるか? お前が普段使っている剣と、どこが違って感じるのか聞かせてくれれば、私も面白い」

 

 

 

初華の顔がたちまち明るくなった。巌勝は彼女の木剣を返し、自分の白樫の木剣を柄から差し出した。初華は自分の二振りを横へ置くと、受け取った木剣を両手で握り、ゆっくり持ち上げた。

 

 

 

一振りしか握っていないのに、想像していたより遥かに重い感覚が手首へ残り、彼女の眉が少し上がった。

 

 

 

「一刀流っていうけど、これも私が思ってたより、ずっと重いね」

 

 

 

「わざと少し重いものを選んだ。普段から重い木剣に慣れておけば、後で本物の剣を持った時、相対的に軽く感じられるからな」

 

 

 

「うちのお父さんと似た考え方をするね。お父さんも、剣の握り方とか重さの話になると、時間を忘れちゃうの。今日の夕方に会ったら、二人で剣の話ばかりして夜まで過ごすんじゃないかな」

 

 

 

巌勝は、『今日の夕方』という言葉を不思議に思い、聞き返そうとした。だが初華が木剣を返し、どこが手に違って感じたのか説明し始め、その話を聞いているうちに、縁壱の視線が地面の一角へ向いていることに気づいた。

 

 

 

つい先ほどまで自分が遊んでいた独楽が、土埃へ半ば埋まっていた。兄が市場で買ってくれたものだった。

 

 

 

子供たちに囲まれる途中、蹴られて遠くへ転がったのか、表面には土がびっしり付着し、漆を塗った部分の一角には小さな傷までついていた。

 

 

 

縁壱はそれを拾い上げ、袖口で丁寧に土を払った。その姿を見た巌勝の表情が、一瞬暗くなった。

 

 

 

「ひどく壊れているか? もう回せぬほどなら、無理に持っている必要はない。お前が望むなら人を遣わし、新しいものを手に入れてやろう。

 

だが、まだ使えるのなら、まずどこが傷んだのか一緒に見てみよう」

 

 

 

「少し擦れただけですから、十分回せると思います。このような玩具のことで他の方々へ手間をかけさせたくもありませんし……何より兄上が買ってくださったものですから、これからもこれで遊びたいのです」

 

 

 

巌勝は、独楽の小さな傷と、それを包む弟の手を交互に見た。自分にとってはいくらでも買い直せる品だったが、縁壱が手にしているものは、新しい物へ替えるだけでは代えられない記憶でもあった。

 

 

 

その時、初華が二人の間へ身を傾け、独楽を覗き込んだ。それも巌勝にもらったのかと尋ねると、縁壱は、数日前に市場で買ってもらったのだと頷いた。

 

 

 

「私も一回やってみていい? 剣の柄へ紐を巻くことはあるけど、独楽をちゃんと回したことは、あまりないの。どこが傷ついたのかも、一緒に見た方がいいと思うし」

 

 

 

縁壱は意外な頼みに一度眼を瞬かせた。自分の玩具を奪おうとした者はいても、先に『一緒に遊んでもいいか』と尋ねてくれた同年代の子は、ほとんどいなかった。

 

 

 

「もちろんです。私もまだ数回しかやったことはありませんが、思ったより面白かったです。紐の巻き方は兄上と一緒に覚えたので、私が知っている程度でよければ、お姉さんにもお伝えできると思います」

 

 

 

初華がありがとうと笑うと、縁壱は独楽と紐を差し出した。巌勝は、弟が腕を動かした時に顔をしかめないかもう一度確かめ、痛ければすぐ下ろすよう念を押した後、二人の傍らへ座った。

 

 

 

初華は二振りの木剣を置いた場所から少し離れて座り、独楽を受け取った。だが、いざ紐を巻こうとすると、思った以上に手つきが不器用だった。

 

 

 

剣を持ち、人の関節や急所を正確に狙っていた先ほどの姿とは、まるで違った。何度も紐が途中でほどけるため、初華は眉間へ皺を寄せた。

 

 

 

「変だな。剣の柄へ紐を巻くのは得意なのに、どうしてこれは何度もほどけるの?」

 

 

 

縁壱が近くへ寄り、静かに説明した。

 

 

 

「最初から強く引きすぎると、紐が重なってしまいます。ここから少し緩めに巻いて、最後だけ引けば大丈夫です」

 

 

 

「あ、こう?」

 

 

 

「はい。それと、投げる時に手首を下へ強く折りすぎると、横へ倒れやすくなります」

 

 

 

初華は縁壱に教えられた通り、もう一度紐を巻いた。そして慎重に独楽を投げた。こつん。独楽は地面へ触れるや、一瞬よろめき、そのまま横へ倒れた。

 

 

 

横倒しになった独楽を見つめる初華の顔から、力が抜けた。その隣で縁壱の口元が上がるのを見つけると、彼女は眼を細め、兄弟を交互に見た。

 

 

 

「縁壱、今、笑ったでしょ? 何でもない顔をしても、さっき口元が上がったの、ちゃんと見たよ。巌勝、あなたの弟って、いつもこんな静かな顔で人をからかうの?」

 

 

 

巌勝も弟の顔を見て、笑いを堪えきれなくなった。数日前には自分の不器用な手つきを見て笑っていたが、今日は初華の番らしいと答えると、

 

 

 

縁壱は兄まで自分をからかっていると気づき、少し困った顔になった。

 

 

 

「そのような意味で笑ったのではありません。お姉さんが剣を扱っている時とは、表情があまりにも違ったので、つい……兄上までそのように仰ると、私は何と言えばよいのか分かりません」

 

 

 

その答えに初華はとうとう声を上げて笑った。澄んだ笑い声が、竹林の間へ広がった。

 

 

 

そして不思議なことに、その声を聞いた瞬間、巌勝は、つい先ほどまで胸の片隅を重く押していた怒りと罪悪感が、ほんの少しだけ軽くなるのを感じた。

 

 

 

縁壱も同じだった。ほんの少し前、自分へ飛んできた石と蹴りの記憶は、今も身体のあちこちへ痛みとして残っていた。

 

 

 

それでも今、自分の独楽を真ん中に置いて、兄と初華が笑う姿を見ていると、その記憶だけで今日一日のすべてが満たされることはないように思えた。

 

 

 

初華はもう一度、独楽へ紐を巻いた。今度は縁壱に教えられた通り、力を少し抜き、ゆっくり巻いた。二度目の独楽は、最初より遥かに安定して地面を回った。

 

 

 

今度は倒れなかったため、初華の顔がぱっと明るくなった。先ほど争いで勝った時より嬉しそうだと巌勝が言うと、彼女は回る独楽から眼を離さぬまま笑った。

 

 

 

「だって、あれは争いで、これは遊びでしょう。こっちの方が楽しいに決まってるよ。さっきは誰かが怪我しないか、ずっと気にしなくちゃいけなかったけど、今は独楽が倒れても、また紐を巻いてやり直せばいいんだから」

 

 

 

巌勝はその答えを聞き、回る独楽を見つめた。軸が少し傾くたび、初華の手が地面の近くへ動き、縁壱も、まだ倒れていないと言いながら同じ方向へ顔を傾けた。

 

 

 

大した技も、勝負もなかった。それでも独楽が再び中心を取り戻すと、巌勝の口からも自然に小さな感嘆が漏れた。二人が自分を振り返ると、彼は何となく衣の裾を整え、笑いを隠した。見ているだけだと思っていたのに、いつしか自分も次の回転を待っていた。

 

 

 

独楽が倒れると、初華は今度は巌勝へ紐を差し出した。二人が遊ぶ姿を見ているだけで十分だと断ると、彼女は、もしかして上手くできないからなのかと、悪戯っぽく眼を細めた。

 

 

 

弟の前でまでそう言われると、巌勝の眉が僅かに動いた。自分とて、この遊びをまったく知らぬわけではないという考えが先に浮かび、初華はその反応を見逃さなかった。

 

 

 

「誰ができぬと言った。数日前、市場でも何度かやってみたし、つい先ほど、お前たちのやり方も十分見た。今度はきちんと回してみせよう。ただ、紐が絡んでいないか先に確かめねばならぬ」

 

 

 

巌勝は独楽と紐を受け取り、紐の張りと軸の位置を順に確かめた。掌の上で重心まで確かめる顔があまりに真剣だったため、しばらくその姿を見ていた初華は、ついに笑いを堪えられなくなった。

 

 

 

「巌勝、それは剣術の試験じゃなくて、ただの独楽だよ。遊ぶ時も、いつもそこまで真剣なの?」

 

 

 

「私も遊びだということくらい分かっている。だが何でも、一度手へ取ったのなら、きちんとやる方がよいではないか。数日前、縁壱の前で何度も倒してしまったから、今度は同じ失敗を繰り返さぬようにしているのだ」

 

 

 

本人は真剣に答えたというのに、初華は吹き出し、縁壱まで小さく笑い声を漏らした。

 

 

 

巌勝が少し不服そうに見ると、初華は、最初はひどく堅い子だと思っていたけれど、話してみると想像より面白い人だと答えた。

 

 

 

一瞬言葉に詰まった巌勝は、咳払いで気まずさを隠し、独楽を投げた。前回より安定して着地し、速く回り始めると、縁壱が、兄上の手首の動きがずっと自然になったと褒めた。

 

 

 

その言葉に巌勝が少し安心しかけた瞬間、初華は、力が入りすぎている気がすると付け加えた。巌勝の視線が再び独楽へ落ちた。

 

 

 

その言葉が終わるや否や、独楽は小石へぶつかり、大きく跳ねた。数回よろめくように回った末、横へ倒れた。短い沈黙の後、初華と縁壱が一緒に笑い、巌勝もついに笑いを堪えられなくなった。

 

 

 

「そうだな。今回は私が少し真剣になりすぎたらしい。紐の巻き方だけ分かればよいというものでもなかった。次は、まず力を少し抜いてみよう」

 

 

 

竹林へ、三人の子供の笑い声が混じり合った。三人とも、大きな声で笑うことには慣れていなかった。

 

 

 

縁壱は家の中で気配を殺すように生き、初華は異国から来た家の子という理由で、同年代へ簡単には溶け込めなかった。巌勝もまた、前世から跡継ぎという名の下で、他人より先に大人らしく振る舞うことを覚えていた。

 

 

 

あまりにも早く孤独を知った三人の子供が、独楽一つを真ん中に置き、身分も、呪いも、前世も、家の務めも、ほんのしばらく忘れて笑っていた。その短い時間は、後に三人の中へ長く残る記憶となった。

 

 

 

独楽をさらに何度か回した後、縁壱はふと、懐の奥へ、まだもう一つ玩具が残っていることを思い出した。兄と市場へ出た時、巌勝が買ってくれた小さな凧だった。

 

 

 

縁壱が慎重に凧を取り出すと、初華の視線がすぐそちらへ向いた。

 

 

 

「これ、凧だね。これも巌勝が買ってくれたの?」

 

 

 

「はい。数日前、初めて一緒に市場へ出た時、兄上が買ってくださいました」

 

 

 

「じゃあ、これも少し揚げてみる? 風がよく吹いてるから、遠くまで走らなくても上がりそう。腕が痛くなったら私たちへ糸を渡せばいいし、縁壱がいいなら、一緒にやってみたいな」

 

 

 

初華は顔を上げ、竹林の上を見た。林の奥は竹が密集していて凧を揚げるには難しかったが、少し横へ歩けば、木々の間が大きく開いた小さな空き地があった。

 

 

 

春風も、強すぎず弱すぎず、一定の方向へ吹いていたため、子供たちが凧を揚げるには十分に見えた。

 

 

 

縁壱は兄の時間をさらに奪うことが申し訳なく、少し巌勝を見た。巌勝はその心を読み取ったが、まず弟へ、立ち上がる時や腕を上げる時に、とりわけ痛む場所がないか尋ねた。

 

 

 

「では、ほんの少しだけ一緒に揚げてみよう。糸が強く引かれたら兄へ渡せ。もっと高く上げようと無理をする必要はない。風が弱まったら降ろし、屋敷へ戻って医師へ傷を見せよう」

 

 

 

縁壱が頷くと、三人は横の空き地へゆっくり移動した。巌勝と初華が凧の両端を持ち、風が吹く時機に合わせ、縁壱が前へ数歩進みながら糸を引くと、小さな凧が宙へ浮かんだ。

 

 

 

縁壱は足を止めても、凧糸を離さなかった。指先から伸びる細い糸が風を受けて張り、

 

 

 

つい先ほどまで懐に畳まれていた小さな凧が、竹の先より高い場所で陽を浴びながら揺れる姿を見た瞬間、彼の顔には、独楽を回した時よりも、少しはっきりした笑みが浮かんだ。

 

 

 

「兄上、お姉さん、あんな高いところまで上がりました。遠くまで走らなくても、風を受ければ、こんなにも高くなるのですね。糸をもう少し出してもよいでしょうか?」

 

 

 

いつものように静かな声だった。だが、その喜びだけは誰にでも分かった。初華は、今くらいの速さでゆっくり出せばよさそうだと笑い、巌勝は弟の手が引かれていかぬよう、すぐ傍らで凧糸を見守った。

 

 

 

巌勝も弟の顔を見ながら、知らぬうちにひどく柔らかな表情になった。数日前、市場で玩具を選んだ時、彼が望んでいたのは、本当は大したことではなかった。

 

 

 

縁壱がそれで遊び、一度でも笑ってくれる姿を見たかった。そして今、そのささやかな願いは、自分が想像もしなかった異国の少女一人を傍らへ加えた形で叶っていた。

 

 

 

しばらくして縁壱は、糸を握る腕を見下ろすと、兄を呼んだ。一人で長く持とうとしたが、腕が張ってきたと言い、糸を差し出した。

 

 

 

巌勝はすぐ受け取り、弟が指を開く間もその傍にいた。縁壱は凧を奪われる心配をする代わりに、兄が放しすぎぬよう、残る糸の長さを教えた。

 

 

 

初華が、また怖い顔をしていると凧が逃げるよ、と冗談を言った。巌勝は反論しかけたが、独楽を投げた時のことを思い出し、手へ入った力を抜いた。

 

 

 

凧が風に揺れるのを無理に抑えず待っていると、縁壱が小さく笑った。やがて初華も糸を受け取り、三人の子供は交代しながら同じ空を見上げた。

 

 

 

糸を持たず、ただ傍らへ立つ時間ができると、縁壱は竹の葉が触れ合う音へ耳を澄ませた。

 

 

 

つい先ほどまでは凧を落とさぬよう指先にばかり気を取られていたが、今は頭上を風が通り抜ける音まで聞こえた。竹の方へ顔を向けると、初華が、何を見ているのかと尋ねた。

 

 

 

「葉が触れ合うたび、音が少しずつ違うので、聞いていました。

 

先ほどは凧糸が引かれることしか分かりませんでしたが、お姉さんが持ってくださっていると、他の音も聞こえます。

 

同じ場所へ立っていても、どこを見ているかで違って感じるのが、不思議です」

 

 

 

初華は一度凧から眼を離し、縁壱が見る方を見た。風が軽く通る時にはさらさらと散っていた音が、葉を一斉に裏返すほど吹くと、かなり大きく響いた。

 

 

 

彼女は音を追うように顔を動かし、凧が傾くのへ遅れて気づき、慌てて糸を握り直した。

 

 

 

「言われてみると、本当だね。私は凧がどこまで上がるかばかり見てて、他のものは一つも聞いてなかった。

 

でも両方見ようとすると、どっちかをすぐ見失っちゃう。縁壱、木の方を見てて、面白いものを見つけたら教えてくれる? 私は凧が落ちないように見てるから」

 

 

 

縁壱は頷いた。巌勝は、弟がまた口を開くのを待ちながら一歩横へずれた。

 

 

 

二人の子供が同じ場所を見られるよう場所を空けると、縁壱が兄の方へも身体を少し向けた。

 

 

 

兄にも一緒に聞いてほしいという眼差しへ、巌勝は弟の傍らでゆっくり顔を上げた。三人がしばらく話すのをやめると、竹の葉の間を通り抜けてきた風の音が、空き地までくっきりと広がった。

 

 

 

時間にすれば、それほど長くはなかった。風が弱まると、三人は凧をゆっくり降ろした。初華から糸を返してもらった縁壱は、凧を片づけながらも、すぐに懐へ仕舞うことができず、少しためらった。

 

 

 

いつもの縁壱なら、相手が自分を不快に思う可能性を先に考え、静かに引いていただろう。他の子供が自分を見る時、肩や首へ浮かぶ緊張と、そっと遠ざかる足先を、あまりにも長く見てきたからだ。

 

 

 

だが目の前の初華には、そのような変化が見えなかった。自分が誰かも知らずに助け、独楽を貸してほしいと先に言い、凧を揚げる間も、兄と自分を少しも違うように扱わなかった。

 

 

 

縁壱は何度か唇を動かした後、ごく慎重に呼んだ。

 

 

 

「初華お姉さん、もしよろしければ、次も私たちと一緒に遊んでくださいますか? 今日は独楽を何度か回していただけましたが、凧はすぐ風が弱くなってしまいましたから……次にまたやってみたいとお思いなら、私も一緒にしたいのです」

 

 

 

巌勝の眼が大きくなった。弟が自分から次の出会いを願う姿を見るのは、初めてだった。初華も意外そうに眼を瞬かせたが、やがて今度は他の遊びも探してみようと、ごく自然に笑った。

 

 

 

だが縁壱は、その答えを聞いても、もう一度、自分が一緒にいても本当によいのかと尋ねた。また遊ぶという約束と、その場へ自分がいてもよいという許しを、まだ同じ意味として受け取ることが難しかった。

 

 

 

「どうして駄目なの? 縁壱は縁壱でしょう。今日、独楽の紐の巻き方を教えてくれたのもあなたで、さっきから一緒に凧を揚げてたのもあなたじゃない。次に会って遊ぶって言ったら、当然、縁壱も一緒って意味だよ」

 

 

 

その言葉を聞いた縁壱の指先が、凧糸を少し強く包んだ。彼はしばらく俯いたまま息を整えた後、今度は、自分がどのような約束をもらったのかはっきり理解した声で、ありがとうと告げた。

 

 

 

巌勝は、その短いやり取りを何も言わず見ていた。どれほど自分が弟へ世界を見せ直したいと誓っても、兄である自分一人では埋められぬ場所が、確かにある。

 

 

 

そして、もしかすると今日初めて出会ったこの少女が、その場所の一部を、ごく自然に開いてくれているのかもしれなかった。

 

 

 

「お前のご両親がどのような方なのか、ますます気になってきた。先ほど剣を好む理由を聞いた時にも思ったが、お前が縁壱へ接する姿を見て、一度会って話をしてみたくなった」

 

 

 

巌勝が素直にそう言うと、初華は笑いながら首を傾げた。今日の夕方には会えるでしょう、と返され、今度は彼も、その言葉を流さなかった。

 

 

 

「先ほども、今日の夕方と言っていたな。お前のご両親へすぐ会えるというのは、どういう意味だ? もしや、私たちの家へ来られる用事があるのか?」

 

 

 

初華はそこで初めて、兄弟が何も知らないことへ気づいた。自分にとっては朝から決まっていた予定だったため、巌勝も当然知っているものだと思っていたらしい。

 

 

 

「私はもともと、今日の夕方にあなたたちの家へ行く予定だったの。私一人じゃなくて、お父さんとお母さんも一緒に夕食へ招かれてる。あなたたちのお父さん、巌勝と縁壱にはまだ話してなかったの?」

 

 

 

巌勝は、ますます理解できぬという顔になった。最近の自分と父・正紀との関係は、決して良いとは言えなかった。

 

 

 

縁壱の扱いと母の治療をめぐって正面から衝突して以来、父は必要な報告以外、長男をわざわざ呼び出さなくなっていた。

 

 

 

それでも外から客を屋敷へ招いたのなら、若当主である自分にも知らせるはずだった。まだ話す時になっていなかったのか、それとも意図的に伝えなかったのかは分からない。

 

 

 

「驚いたことに、私は何も聞いていない。縁壱も知らぬようだ。父上がお前のご家族を招かれるほど、すでに知り合っておられるとは……いったい何があったのだ?」

 

 

 

戸惑いの滲む巌勝の答えに、初華は少し考え、自分の純白の武服の襟を一度整えた。

 

 

 

「それを説明するなら、うちの家の話からした方がよさそう。さっき、私の姓も名前も初めて聞いたって言ったでしょう?

 

私たちの家族は、海を越えた遠い半島の土地からここへ来たの。この辺りでは見慣れない服を着て、違う形の剣を使うのも、向こうから受け継いだものを学びながら暮らしてるからだよ」

 

 

 

巌勝は初華の武服と、環頭大刀を模した木剣を見ながら頷いた。最初からその違いへ眼を留めてはいたが、今では、どこから来たのかということより、どのような心を受け継いできた家なのかの方が気になっていた。

 

 

 

初華は、幼い頃から両親へ何度も聞かされてきた自分の家の話を、ゆっくりと兄弟へ語り始めた。彼らの故郷は、日本列島から広い海を渡らなければ辿り着けない、朝鮮半島という土地だった。

 

 

 

そこには遥か昔から、普通の人々では相手にすることが難しい妖怪や魔物、そして弱い民を略奪し殺す悪人や外敵と戦い、人々を守ってきた秘密の集団が存在していた。

 

 

 

司冥剣霊会。

 

 

 

「その組織は、いつ頃から存在していたのだ?」

 

 

 

巌勝が尋ねると、初華はしばらく考えた後、首を横へ振った。

 

 

 

「正確な始まりは、今の人たちにも分からないの。伝わってる話では、朝鮮半島にいくつもの国が本格的に生まれるより前から、似たようなことをしてた守護者たちがいたんだって。

 

王朝や国が何度も変わる間も、『力のない人を守る』っていう使命だけは、ずっと受け継がれてきたの」

 

 

 

初華の父である常善祈鉉は、その司冥剣霊会で先陣に立って戦っていた強力な武人だった。

 

 

 

母である常善深雪は、戦いで傷ついた武士や民を治療する医師でありながら、妖怪が作り出す幻覚や精神の呪いを防ぎ、人々の平穏を祈る巫女の役目まで担っていたという。

 

 

 

縁壱が静かに尋ねた。

 

 

 

「それでは、お姉さんのご両親は、なぜ故郷を離れて、ここまで来られたのですか?」

 

 

 

「それは、国が変わっていく中で、司冥剣霊会の立場も少しずつ複雑になったからなの」

 

 

 

新たな権力者たちにとって、民から尊敬を集めながら、国が完全には統制できない古い武力集団は、必ずしも歓迎できる存在ではなかった。

 

 

 

彼らを恐れる者もいた。自分たちより民から厚く信頼されていることを妬む者もいた。

 

 

 

直接的な討伐や大規模な虐殺が起きたわけではなかったが、時が経つほど、公に活動できる場所は減っていった。やがて組織の内部でも、これから進むべき道を巡って意見が分かれた。

 

 

 

「力があるんだから、新しい権力者たちを追い出して、私たち自身で世の中を変えるべきだって言った人たちもいた。

 

反対に、権力を得るために剣を取った瞬間、弱い人を守るっていう最初の使命を失うことになるから、身を引くべきだって言った人たちもいたの」

 

 

 

「それで、散り散りになったのか?」

 

 

 

「うん。故郷へ残って正体を隠した人もいたし、普通の民として暮らすことを選んだ人もいた。

 

海を越えて、新しい土地を探しに行った人たちもいた。うちの両親がいたのは、最後の道を選んだ穏やかな考えの人たちだよ」

 

 

 

そうして応永の末頃から、一部の者たちは家族と共に日本へ渡り、各地へ散って定住し始めた。異郷へ来たからといって、それまで生きてきた在り方まで、すべて捨てたわけではなかった。

 

 

 

着る衣や食べ物、学んできた武芸と医術、人を見る価値観と故郷から伝わる信仰。そして何より、力なき人を守らねばならぬという古い使命だけは、できる限りそのまま守りながら生きた。

 

 

 

「うちのお父さんとお母さんも、日本へ渡ってきた人たちと一緒に暮らしてたんだけど、いろいろあって皆が散った後、この辺りまで来たの」

 

 

 

初華の説明へ集中していた巌勝が尋ねた。

 

 

 

「それでは、今はどのようなことをなさっている?」

 

 

 

「お父さんは昼間、山で薬草を採ったり、困ってる人を手伝ったりしてて、時間ができると武芸の稽古をしてる。

 

 

 

お母さんは人を治したり薬草を手に入れたりしながら、時々は故郷で習ったやり方で、人の平穏を祈ったり、悪い気を防ぐこともしてるよ」

 

 

 

「それほどの力をお持ちなのに、高い地位へ就いたり、武家へ仕官しようとは思われぬのか?」

 

 

 

初華は、あまりにも当然だというように首を横へ振った。

 

 

 

「お父さんは、家族が一緒に幸せに暮らせて、困ってる人を助けられれば、それで十分だって言うよ。

 

お母さんも似てる。だから、高い地位へ上がったり、武家に仕えることには、あまり興味がないみたい」

 

 

 

巌勝は、初華が両親の話をする時、何の怯えもなく笑う顔を見ていた。厳しい修練を重ねながらも、家へ帰ることを楽しみにする子供の顔だった。

 

 

 

剣を上手く使う方法だけではなく、そのような顔へ育てた家が、どのような場所なのかを知りたくなった。

 

 

 

縁壱もまた、凧を片づける手を止めて話を聞いていた。病んだ人を治すという深雪の話が、心へ残ったようだった。巌勝は弟と眼を合わせた後、まだ解けていない疑問をもう一度口にした。

 

 

 

「だが、その話と、今日お前たちが私たちの屋敷へ来ることに、どのような関係があるのだ?」

 

 

 

巌勝が現実的な疑問へ戻ると、初華は一瞬笑った。

 

 

 

「三日前、うちのお父さんが、あなたたちのお父さんを助けたの」

 

 

 

巌勝の眼が大きく開いた。縁壱も凧糸を片づけていた手を止め、初華を見た。冗談を言っている顔ではないことを確かめ、巌勝はもう一度意味を確かめた。

 

 

 

「私たちの父上を助けたというのか。私が聞き違えたのではなく、三日前、お前の父上が、父上の命を救ってくださったという意味か?」

 

 

 

「うん。私も直接見たわけじゃなくて、両親から聞いた話だけど、かなり危ないことだったみたい。それで今日、うちの家族が夕食へ招かれたの」

 

 

 

三日前、父がそのような危険へ遭っていたということ自体、初めて聞く話だった。そして命を救った相手が、ほかでもない初華の父・祈鉉だという事実に、巌勝はしばらく言葉を失った。

 

 

 

「……いったい、三日前に何があったのだ?」

 

 

 

巌勝がいつもより少し低い声で尋ねると、初華は両親から聞いた話を頭の中で整理するように一度眼を瞬かせ、その後、ゆっくりと口を開いた。

 

 

 

そしてその瞬間、竹林の間を吹き抜けた春風が、三人の子供の衣と髪を一緒に揺らしながら通り過ぎていった。




───

【後書き】

仕事の都合もあり、久しぶりに第4話を更新することができました。

以前とは違い、今回は兄弟の絆や、巌勝と初華の関係についてもう少し深く掘り下げながら描いているため、十三柱の神々に関するお話が本格的に出てくるまでは、もう少し時間がかかりそうです。

おそらく第5話までの物語を描き終えた後、第6~7話あたりから、十三柱の神々と巌勝にまつわるお話も少しずつ出てくる予定です。

ともあれ……いつもこの物語を読んでくださっている皆様、本当にありがとうございます。

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