宇宙の果てには、いつも雪が降っていた。
……と、ノゾミは記録にそう残している。
だが正確にはそれは雪ではない。
終わりを迎えた宇宙の残骸。崩壊した光と、消えていく時間の欠片。
それらが静かに舞い落ちているだけだ。
それでも彼女は、それを“雪”と呼んでいた。
理由は特にない。
その方が、少しだけ「終わり」に救いがある気がしたからだ。
ノゾミは、その“雪”を金色の瞳の中に焼き付けていた。
白いマフラーが、何もない空間でゆっくりと揺れる。
金色のポニーテールは重力のない世界でふわりと広がり、どこか現実味のない光を反射した。
彼女の役目はひとつだけだ。
――宇宙の終わりを、見届けること。
「……そろそろお別れですね」
誰に言うでもなく、ノゾミは呟いた。
銀河がほどけていく。
恒星が潰れ、時間が軋み、あらゆる命の記録が光へ還っていく。
やがて、全てが無に帰した。
けれどノゾミは、どこまでも穏やかな顔をしている。
それが“いつものこと”だからだ。
いつからなのか、それを何度繰り返したのかは、もう覚えていない。
彼女はベージュ色のトレンチコートを翻し、“狭間の回廊”へ歩き出す。
これから始まる次の宇宙へと。
終わりを見届け、始まりを観測するための通路。
そこは、宇宙と宇宙の間にある“存在しない空間”だった。
だが、今回は少しだけ違った。
回廊の途中。世界と世界の隙間、何も生まれないはずの場所で。
――裸の少女が眠っていた。
銀河を閉じ込めたような長手袋と、腿まで伸びる靴下以外、身に着けているものはなかった。
「そんなはずは……」
ノゾミは立ち止まる。
今、自分がいる空間は、宇宙を外側から見るためだけに作られた狭間。
生命が生まれるはずはない。
宇宙は、本当に終わりを迎えたのだろうか。
それとも――
そう認識した時、二色の眼がノゾミを凝視していた。
眠っていたはずの少女が起きている。
静寂が支配する領域で、金と銀の瞳がノゾミを映すこと数秒。
「お腹、空いた」
ノゾミは、予想外の言葉に困惑した。
ひとしきり悩んだ後、静かにしゃがみ込む。
そして、トレンチコートのポケットから色とりどりの菓子を取り出した。
「こんなものでよろしければ」
「いいの?」
「はい」
ノゾミは柔らかく笑い、銀色のチョコレートをかじっている少女に目を向けた。
高めに結われた金髪が、動くたびリズムよく跳ねている。
少なくとも外見年齢は、この場にいない妹を上回っているようだった。
「ありがとう、お姉さん」
「ノゾミです」
「ノゾミ?」
「はい、私の名前です。あなたのお名前は?」
その問いかけに少女は、わずかに押し黙る。
「わたし、名前ない……」
「なら一緒に決めましょう。次の宇宙が始まるまで、もう少し時間がありますから」
少女はしばらく沈黙を続けていたが、やがて差し伸べられた手に目を向ける。
「とりあえず、ここにいても仕方がありません。先へ進んでみませんか?」
呆気に取られていた少女は、徐々に明るい顔つきとなり、ノゾミの手にしがみ付く。
「うん、よろしくね。ノゾミ!」
ノゾミに抱きつく彼女の長手袋が、かすかに煌めいた。
深い群青の布地には無数の星々が瞬き、渦巻く銀河が腕に沿ってゆるやかに流れている。
まるで本物の宇宙を切り取り、そのまま織り上げたかのようだった。
◇◇◇
「お姉ちゃん遅い!!」
回廊を抜けると、銀髪の少女が頬を膨らませて待っていた。
漆黒のフリルを纏う小柄な体躯。
猫のように吊った銀眼が、静かな威圧感を放っている。
「すみません、ネガイ。少々不測の事態が発生しまして……」
ネガイは、ノゾミの隣に立つ見知らぬ少女を見て眉をひそめた。
「……誰?」
「狭間の回廊でお会いしましたので、拾ってきました」
「拾った!?」
「はい」
「野良猫じゃないんだから……」
呆れたようにため息をつくネガイだが、少女の身体から微かに“終わりの匂い”がすることに気付いた。
世界が閉じる直前の、静かな空気。
それを纏っている。
ネガイは警戒するように睨んだ。
「アンタ、何者?」
少女は返答に困り、恐る恐る言葉を紡ぎ出した。
「……分かんない。気付いたらあそこにいた」
そう言って、自らが歩いてきた白い空間を指さす。
「は? 意味分かんないんだけど」
「私も分かりません」
「お姉ちゃんには聞いてない!」
ノゾミが困ったように微笑む。
「名前もないそうですよ」
「怪しすぎるでしょ! ねえ、ちゃんと宇宙はリセットされたの? 何か取りこぼしてんじゃない!?」
――その瞬間。少女が勢いよく顔を上げた。
「それ!!!」
突然の大声に動揺している二人をよそに、少女の瞳に輝きが満ちる。
そして、「りせっと」「リセット」「リセ……」と言葉を繰り返す。
「……リセ! これがわたしの名前。うん、しっくり来た」
狭間の少女、リセは、ふっと口元を綻ばせた。
「えー……そこから取るんだ」
「よかったですね。では、これからはそう呼ばせていただきます」
「お姉ちゃんも吞気に話を逸らさないで……」
ネガイは呆れながら、ため息をついた。
「まぁまぁ、落ち着いてください。我々にも知らないことがたくさんありますから」
「それっぽいこと言って、煙に巻こうとしないで!」
「ふふ、おもしろ」
「アンタも何笑ってんのよ!」
すっかり毒気を抜かれたネガイは頭を抱えながら、二人に向き直る。
「アンタが何者かはこの際、どうでもいいわ。なんにも知らなそうなことはわかったしね。それで、これからどうするの?」
「考えてない……」
「同じく」
聞いた自分がバカだったと言いかけるネガイ。
だが、己より図体の大きい存在たちが小動物のような態度をしており、どうにも無碍にはできそうになかった。
「はぁ……しょうがない。お姉ちゃん、どうせいつもの旅に出るんでしょ? こいつも連れてこ」
「ええ、最初からそのつもりですよ」
「なにそれ、ウザ……」
悪態をつくネガイの前にリセが躍り出た。
「リセ」
「何?」
「こいつじゃない、リセ」
「は?」
「だから、こいつじゃなくて、リ・セ!」
「あーもう! めんどくさ……リセ。はい、これでいいでしょ!」
「うん!!」
満足気に微笑むリセと、それを煙たがるネガイ。
遠巻きに二人を見守るノゾミ。
三人の旅路は、静かに始まりを告げようとしていた。
無数の星々が再び潰える世界の果て、あるいはその先に向かって。